◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー

今日の朝刊各紙では日経を除いて朝毎読の各紙が中山成彬の辞任問題を取り上げている。
朝日と毎日が大臣としての資質を欠く中山の暴言を非難し、中山を任命した麻生太郎の責任は重いとしているのに対して、読売の社説だけは少しばかり論調が違っている。
以下は読売の社説からの抜粋だ。
> 中山氏は、成田空港整備の遅れについて、「ごね得というか、戦後教育が悪かった。公のためにはある程度自分を犠牲にしてでも、というのがなくて、自分さえよければという風潮の中で、空港拡張もできなかった」と述べた。
一般的に、中山氏の言うような「風潮」は、なくはないだろう。成田空港の場合、反対派の運動がこれまで、安全で十分な発着能力をもつ空港を整備するという「公共の利益」を損ねてきたことも、また、否定できない。
(中略)
中山氏は、大分県教育委員会の汚職事件に関して、「日教組の子どもは成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い」「私が全国学力テストを提唱したのも、日教組の強いところは学力が低いと思ったからだ。だから学力テストを実施する役目は終わったと思う」と語った。
中山氏は「国旗・国歌も教えない」「道徳教育に反対している」などとして日教組を批判した。的を射ている点もあるとしても、教育にかかわる問題は、国交相の所管外のことだろう。<
おいおいおい。
読売は成田空港建設のときの国が取った横暴なやり方に対して地元民が取った抵抗をどう見ているのだ。
これでは中山成彬と同様、腹の中では地元民の「ごね得」があったと認めているようなものではないか。
さらに日教組の問題に対しても、中山の暴論が「的を射ている点もある」と肯定している。読売の右傾化には目に余るものがあるが、今日の社説が取っているスタンスは中山批判に形を借りた右翼礼賛と言われても仕方あるまい。
成田三里塚の地元民は、この読売の社説に対して抗議をすべきではないのか。
日教組は、読売の新聞社としての偏りぶりに対して異を唱えるべきではないか。
読売は27日の記事で自社が行った国民の意識調査の結果を報じているが、それによると、今の自分を「幸福だ」と感じている他人は88%に上り、「不幸だ」という人は10%にとどまることがわかったという。この結果から読売は、「現状を肯定的に受け止める日本人の幸福観が浮かび上がった」としている。
冗談じゃないぜ、まったく。
何が幸福か不幸か、それは人それぞれの価値観によって異なる問題だろうに、読売は十把一絡げに国民の9割近くが現状に満足し、幸福と感じているというのだ。
しかし現実の国民の暮らしを見れば、「幸福」などほど遠いというのが実際なのではないか。物価高ひとつを見ても暮らしづらいし、給与が上がらない、雇用の不安がある、社会保障がどんどん削られている、将来に対する不安が強いというのが多くの国民の実感なのではないか。
どこをどう捻れば「現状を肯定的に受け止める日本人の幸福観が浮かび上がった」などという世迷い言に近い結論が出てくるのだ。
この結論を見て喜ぶのは政府自民党と財界の人間くらいだろう。
読売はこれらの広報紙になりはてている。
中山成彬を批判するかに見せかけておき、腹の底ではよくぞ言ったという本音が丸見えで、しかも政府と財界を喜ばせる記事作りに余念がない。
このような新聞が部数日本一を誇っているとはどういうことなのか。
国民の大多数が読売によって都合よく洗脳され、来る総選挙ではこぞって自民党に投票するような事態にだけはなってほしくないものだ。

2004年年の第2次小泉改造内閣で文部科学大臣として初入閣し、様々な教育改革を提案した中山成彬としては、国交相などというポストはどーでもよかったのだろう。
それよりも、かつて慰安婦問題で調査を行い、南京大虐殺は存在しないというレポートを出した「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」会長として、今の教育のあり方に一言言いたかったのだろう、善意に解釈してやれば。
それにしても中山の言い分は支離滅裂とも言っていいほどひどいもので、日教組と学力調査の結果との因果関係はなにも見られなかったというのに、「日教組の強いところは学力が低い」などと言っていた。「大分県の学力は低い」という文言は、差別発言とも解釈できる内容だ。
さらに「日教組は教育のガン」「日教組をぶっ壊すために私が頭になる」という発言になると、これは単に教育のあり方について考えを述べているのではなく、中山は日教組に対して私怨を持っているとしか思えない。
卒業式で君が代を歌うのを拒否したり、日の丸掲揚に反対したりする日教組職員が、右翼としての心情を刺激し、憎くて仕方ないというところだろうか。
たとえそうだとしても公の席でのこうした発言は、己の頭の悪さを露骨に示すばかりの効果しかなかったと言うべきだろう。
右翼って、こういうバカしかいないのかね。
従軍慰安婦問題については、軍による強制はなかったと主張し、南京大虐殺についてもその事実はなかったといい続ける「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、中山が会長を務め、事務局長が安倍晋三、会員には中川昭一や山本一太、自殺した松岡利勝らが名前を連ねている。要するに自民の極右政治家がたむろする集団で、中山はそのボスというわけだ。
中山はさらに文科相時代は新自由主義的教育改革の導入を主張したことでも知られる。文科相就任当時の時事通信は次のように伝えている。
>中山成彬文部科学相は4日、大臣就任のあいさつのため訪れた地元の宮崎県庁で記者会見し「学校の中では競争してはいけないと言われ、(社会に)出ると競争、競争では、ギャップについて行けない」と語り、教育現場への競争原理導入が必要だと強調した。具体的には「学力テストの結果を公表するようにして、各校で競い合う」などの方策が考えられるとしている。また、「先生にも自分の資質や技術を問い直し、緊張感を持ってもらうのはいいことだ」として、教員免許の更新制度導入を「前向きに考えて行きたい」と述べた。(2004年10月4日)<
子ども同士がライバルで、しのぎを削って行ってこそ国力がつくという考え方は、つまるところ新自由主義社会で勝ち組になる人間を作ることが目標だ。教育を多様化し、差別選別教育をすすめ、激しい競争に耐えられるようにしてエリートに対する憧れをもつようにすべきという教育理念をもつ中山にとって、なるほど日教組は許し難い仇のようなものだったかもしれない。
なにしろ日教組は「ゆとり教育」を推し進め、学校では「競争をタブー」とした教育方針をとってきた団体なのだから。
私は日教組的な「ゆとり教育」や過度に競争を廃した学校運営(運動会でもみんな同着にするとか)には賛成しかねるが、だからといって学校が新自由主義者養成所のようになるのはもっと嫌だ。
中山のようなねじ曲がった右翼に大切な子どもの教育を任せた時期があると思うと今さらながらにぞっとする。そして中山に文科相を任命したのがコイズミだったことを思い出すと、あらためてコイズミという男は日本を根底からひっくりかえそうとしていたのだと痛感する。
同じ極右政治家として、麻生太郎はごく自然に中山成彬をチョイスしたのだろうが、今回の中山の暴走に対して少なくとも麻生は罷免するなり更迭するなりのリーダーシップを見せることができなかった。麻生内閣にとっては中山の辞任そのものよりも、麻生がまったく決然たる態度を見せられなかったことの方がダメージが大きかったのではないだろうか。
小泉純一郎が突然引退したことを受けて、今日の全国主要三紙の社説はそれぞれ小泉政権を総括する形となっている。
それにしても思うのは、小泉政権が残したものは国民生活をぶち壊し、格差の拡大、社会保障の切り捨てで今もなお続く「痛み」を残したのが最大の「負の遺産」であるのに、そのことを正面切って非難する姿勢が三紙ともほとんどないということだ。
これには少々呆れてしまった。
いちばんひどいのは日経新聞で、これは株屋の新聞なのだから新自由主義的立場から小泉政権を評価するのはもっともなことだともいえるだろう。
社説ではまず「政権を5年5カ月維持し、旧来の財政依存型の景気対策を封印し、不良債権処理を着実に進めて日本経済の再生を図った功績は大きい」と評価し、誕生した麻生政権が景気対策最優先を掲げてコイズミ路線の転換を図ろうとしていることに一抹の寂しさを感じさせている。
そしてコイズミの政治手法は型破りだった、郵政総選挙で自民党を圧勝させた手法はコイズミ政治のハイライトだったと懐かしみ、コイズミが竹中と組んで改革を推し進め、金融を正常化したことを高く評価している。
マイナス点をつけているのは靖国神社参拝で日韓関係を悪化させたこと、そして引退にあたって次男を後継者に指名したのがコイズミらしくないということだ。
総じて日経はコイズミ劇場が日本に大きな改革をもたらし、その方向性は政権が変わっても維持したまま推し進めることが経済成長につながるという論調だ。
やっぱり株屋さんはこれだけ社会が疲弊していても、新自由主義にしがみついていなければ納まらないということだ。
次いでひどいのは読売新聞。
読売はこれから「構造改革後」が問われているとして、一応はコイズミが行った郵政民営化や道路公団の民営化の評価が定まるにはまだ時間を要するとしている。
しかし「自民党をぶっ壊す」「聖域なき構造改革」のスローガンによって自民党が8割を超す驚異的支持率を得たことを書くのは忘れない。そしてやはり金融機関の不良債権処理を果たしたことを評価し、郵政総選挙では「刺客」を立てるポピュリズム的政治手法は政治をエンターテインメント化する弊害をもたらしたとしながらも、外交面ではイラクへの陸自派遣が歴史的政治決断だったとし、PKO以外で初めての陸自の海外派遣は日本の国際平和協力活動に新たな地平を切り開いたと絶賛している。
さすがは右派の読売新聞。面目躍如だ。
さらに北朝鮮外交では金正日に日本人拉致を認めさせ、近隣国の国家犯罪を白日の下にさらし、日本人の安全保障観をただす契機にしたと礼賛する。
これらの外交的成果に比べれば、新自由主義的経済政策が拝金主義の風潮を生んだことや社会保障制度や税制改革の問題が今の社会に重くのしかかっていることなど小さい問題だと言いたげである。
読売は麻生太郎が集団的自衛権を容認し、憲法改正を進めるのを待ち焦がれているのだろう。
コイズミが靖国神社を参拝し続けて日中関係が悪化したことにも触れているが、この新聞が構造改革を否定するものでなく、今後も日本の右傾化を望んでいることは明らかだ。
最後に、もっともリベラルな立場にあるはずの朝日新聞だが、ここでも「小泉氏引退―あの熱狂はすでに遠く」と、妙に小泉時代を懐かしむタイトルをつけている。
そしてコイズミが行った一連のポピュリズム的手法が新しい政治スタイルで国民を熱狂させたと礼賛し、イラクへの自衛隊派遣問題では「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域だ」とか自身の年金にまつわる問題では「人生いろいろ」と言を左右に言い逃れたことを「小泉氏一流の突破力」だったと讃えている。
冷ややかにコイズミを見つめていた国民からすれば、あれほど国民を舐めきった態度はなかったと、今でもハラワタが煮えくりかえる思いがするのだが。
朝日はさらに、バブル崩壊後の低迷時、有効打を打てない自民政権のなかで政治の有り様を変えたのがコイズミだったと、またも礼賛している。コイズミ改革は多くの劇薬をふくみ、社会に負の遺産も残したとしながら、コイズミがやり残した課題は次の政権が引き継がねばならないとしている。
これって、改革をさらに推し進めろということだよな。
結局三紙とも小泉政権が何だったのか、国民に何をもたらしたのかを冷静に客観的に総括するというよりも、コイズミという男がいかに型破りな政治家だったかを懐かしみ、彼が敷いた改革という路線、対外的には集団的自衛権容認そして憲法改正という右傾化路線を煽る形になってしまっている。
いいのか、大新聞がこんなことを書いていて。
これではまったく国民が感じている不安や痛みから発した目線が欠けているではないか。
そうした目線から見れば、コイズミという男が行った政治は悪夢のようなものであり、負の遺産しか残さなかったというしかない。
小泉政権を総括するならば、そうした視点が欠かせないはずなのに、主要三紙はまったくその点を軽視している。
こんな社説では、政治家たちは何も反省することがなく、さらに改革を進めていけば間違いはないと思うだろう。
なんだかんだ言ってもいまだに新聞が持つ言論の重みはばかにならないのだ。
今日の社説では毎日新聞だけが小泉引退を取り上げなかった。
その代わり、中山国交相の失言問題と麻生太郎の集団的自衛権についての発言を取り上げていた。
これは一つの見識だと思うが、小泉政権の総括はいずれじっくりとやってもらいたいものだ。
正しい総括をしたうえで、われわれは新政権を選ぶ必要がある。
それにしても思うのは、小泉政権が残したものは国民生活をぶち壊し、格差の拡大、社会保障の切り捨てで今もなお続く「痛み」を残したのが最大の「負の遺産」であるのに、そのことを正面切って非難する姿勢が三紙ともほとんどないということだ。
これには少々呆れてしまった。
いちばんひどいのは日経新聞で、これは株屋の新聞なのだから新自由主義的立場から小泉政権を評価するのはもっともなことだともいえるだろう。
社説ではまず「政権を5年5カ月維持し、旧来の財政依存型の景気対策を封印し、不良債権処理を着実に進めて日本経済の再生を図った功績は大きい」と評価し、誕生した麻生政権が景気対策最優先を掲げてコイズミ路線の転換を図ろうとしていることに一抹の寂しさを感じさせている。
そしてコイズミの政治手法は型破りだった、郵政総選挙で自民党を圧勝させた手法はコイズミ政治のハイライトだったと懐かしみ、コイズミが竹中と組んで改革を推し進め、金融を正常化したことを高く評価している。
マイナス点をつけているのは靖国神社参拝で日韓関係を悪化させたこと、そして引退にあたって次男を後継者に指名したのがコイズミらしくないということだ。
総じて日経はコイズミ劇場が日本に大きな改革をもたらし、その方向性は政権が変わっても維持したまま推し進めることが経済成長につながるという論調だ。
やっぱり株屋さんはこれだけ社会が疲弊していても、新自由主義にしがみついていなければ納まらないということだ。
次いでひどいのは読売新聞。
読売はこれから「構造改革後」が問われているとして、一応はコイズミが行った郵政民営化や道路公団の民営化の評価が定まるにはまだ時間を要するとしている。
しかし「自民党をぶっ壊す」「聖域なき構造改革」のスローガンによって自民党が8割を超す驚異的支持率を得たことを書くのは忘れない。そしてやはり金融機関の不良債権処理を果たしたことを評価し、郵政総選挙では「刺客」を立てるポピュリズム的政治手法は政治をエンターテインメント化する弊害をもたらしたとしながらも、外交面ではイラクへの陸自派遣が歴史的政治決断だったとし、PKO以外で初めての陸自の海外派遣は日本の国際平和協力活動に新たな地平を切り開いたと絶賛している。
さすがは右派の読売新聞。面目躍如だ。
さらに北朝鮮外交では金正日に日本人拉致を認めさせ、近隣国の国家犯罪を白日の下にさらし、日本人の安全保障観をただす契機にしたと礼賛する。
これらの外交的成果に比べれば、新自由主義的経済政策が拝金主義の風潮を生んだことや社会保障制度や税制改革の問題が今の社会に重くのしかかっていることなど小さい問題だと言いたげである。
読売は麻生太郎が集団的自衛権を容認し、憲法改正を進めるのを待ち焦がれているのだろう。
コイズミが靖国神社を参拝し続けて日中関係が悪化したことにも触れているが、この新聞が構造改革を否定するものでなく、今後も日本の右傾化を望んでいることは明らかだ。
最後に、もっともリベラルな立場にあるはずの朝日新聞だが、ここでも「小泉氏引退―あの熱狂はすでに遠く」と、妙に小泉時代を懐かしむタイトルをつけている。
そしてコイズミが行った一連のポピュリズム的手法が新しい政治スタイルで国民を熱狂させたと礼賛し、イラクへの自衛隊派遣問題では「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域だ」とか自身の年金にまつわる問題では「人生いろいろ」と言を左右に言い逃れたことを「小泉氏一流の突破力」だったと讃えている。
冷ややかにコイズミを見つめていた国民からすれば、あれほど国民を舐めきった態度はなかったと、今でもハラワタが煮えくりかえる思いがするのだが。
朝日はさらに、バブル崩壊後の低迷時、有効打を打てない自民政権のなかで政治の有り様を変えたのがコイズミだったと、またも礼賛している。コイズミ改革は多くの劇薬をふくみ、社会に負の遺産も残したとしながら、コイズミがやり残した課題は次の政権が引き継がねばならないとしている。
これって、改革をさらに推し進めろということだよな。
結局三紙とも小泉政権が何だったのか、国民に何をもたらしたのかを冷静に客観的に総括するというよりも、コイズミという男がいかに型破りな政治家だったかを懐かしみ、彼が敷いた改革という路線、対外的には集団的自衛権容認そして憲法改正という右傾化路線を煽る形になってしまっている。
いいのか、大新聞がこんなことを書いていて。
これではまったく国民が感じている不安や痛みから発した目線が欠けているではないか。
そうした目線から見れば、コイズミという男が行った政治は悪夢のようなものであり、負の遺産しか残さなかったというしかない。
小泉政権を総括するならば、そうした視点が欠かせないはずなのに、主要三紙はまったくその点を軽視している。
こんな社説では、政治家たちは何も反省することがなく、さらに改革を進めていけば間違いはないと思うだろう。
なんだかんだ言ってもいまだに新聞が持つ言論の重みはばかにならないのだ。
今日の社説では毎日新聞だけが小泉引退を取り上げなかった。
その代わり、中山国交相の失言問題と麻生太郎の集団的自衛権についての発言を取り上げていた。
これは一つの見識だと思うが、小泉政権の総括はいずれじっくりとやってもらいたいものだ。
正しい総括をしたうえで、われわれは新政権を選ぶ必要がある。
小泉純一郎が突然、政界を引退することを表明したニュースはマスコミに驚きをもたらしたようで、昨日の「報道ステーション」では、冒頭から繰り返し小泉事務所前から自動車に乗り込んだ小泉を追いかけたカメラが、記者たちの「引退は本当ですか」という質問に無言で頷く様子を映し出していた。
古舘伊知郎は例によってバカの一つ覚えの台詞である「この日本に難問が山積している時期に」というフレーズをこの日も得意気に使って小泉引退の意味について語ろうとしていた。
この日のゲストは時事通信の田崎史郎だったが、古館の陰気くさい質問に「結局、後継者を指名するために引退するという、昔ながらの政治家の手法をとったにすぎず、がっかりした」といった旨の言葉を返していた。
TBSの「ニュース23」でも小泉引退をトップに報道していたが、その扱いは意外にあっさりしたものだった。そして後藤謙次が、「何の総括もなく勝手に辞めていく。これは形が違った投げ出しに他ならない」と切り捨てていた。
ニュースでは自民党議員たちの言葉として「驚きはあるが、小泉氏はすでに終わった人だから」という冷めた見方もあることを報じていたのが印象に残る。
突然の引退表明をしたのには、たしかに驚きはあったが、つまるところ小泉の退場劇が意味するものは以上の事柄で語り尽くされているのではなかろうか。
つまり、小泉純一郎という男は竹中平蔵と組んで構造改革を断行し、その結果として大手企業や金融界には大きな恩を売ったが、その一方で肝心の国民生活を完膚無きまでにたたき壊した。そして今、社会では打撃を被った国民生活の立て直しが急務となっており、小泉政権がもたらした改革の見直しに迫られている。その時期に張本人の小泉が引退したということは、自ら取った政策を何ら総括することなく投げ出したことに他ならない。
さらに、世襲政治家の劣化が指摘されているなかで、やはり自らも自分の息子を後継者と指名して麻生新政権が発足したその日に引退を表明した。国民としてはまたしても世襲政治家がひとり増えることにげんなりするほかない。今後、小泉進次郎がどんな政治家になるかはわからないが、親譲りの新自由主義者であることは間違いなく、親から受け継いだ支持基盤をもとにカイカクを訴えていくことは想像に難くない。
新自由主義者であり、世襲政治家となる小泉進次郎については、これから厳しい目でその言動をチェックしていかなければならないだろう。
国民にとってはさしたる驚きも、影響もない小泉引退だったが、自民党にいる小泉チルドレンたちにとっては青天の霹靂だったろう。
ただでさえ、次の総選挙では総崩れが予想されるうえ、拠り所を失った彼らにはもはや単なる失業者になるしか道は残されていない。看板を失ったチルドレンどもなどに、だれが見向きなどするものか。彼らには新自由主義の冷たく厳しい社会に出て、身を切られるような辛い思いをしてもらいたいものだ。もしかしたら、少しはそこで学習して、まともな感覚を持った人間になれるかもしれない(無理だと思うが)。
財界には大きな味方だった小泉の引退を惜しむ声が強いが、次の選挙で政権が代わり、社民主義政治が行われるようになった暁には、これまで好き勝手に日本の富を貪り、格差社会を築くことに汲々としてきた御手洗以下の不届き者どもに痛烈な一撃を食らわせてやりたい。
念願の総理総裁になり、ますます口がひんまがってしまった麻生太郎の卑しいプライドを粉砕する必要もある。
今度の総選挙では、なんとしても民主党に勝たせて自公を政権の座から蹴落としてやらなければならないと、あらためて思う次第である。
古舘伊知郎は例によってバカの一つ覚えの台詞である「この日本に難問が山積している時期に」というフレーズをこの日も得意気に使って小泉引退の意味について語ろうとしていた。
この日のゲストは時事通信の田崎史郎だったが、古館の陰気くさい質問に「結局、後継者を指名するために引退するという、昔ながらの政治家の手法をとったにすぎず、がっかりした」といった旨の言葉を返していた。
TBSの「ニュース23」でも小泉引退をトップに報道していたが、その扱いは意外にあっさりしたものだった。そして後藤謙次が、「何の総括もなく勝手に辞めていく。これは形が違った投げ出しに他ならない」と切り捨てていた。
ニュースでは自民党議員たちの言葉として「驚きはあるが、小泉氏はすでに終わった人だから」という冷めた見方もあることを報じていたのが印象に残る。
突然の引退表明をしたのには、たしかに驚きはあったが、つまるところ小泉の退場劇が意味するものは以上の事柄で語り尽くされているのではなかろうか。
つまり、小泉純一郎という男は竹中平蔵と組んで構造改革を断行し、その結果として大手企業や金融界には大きな恩を売ったが、その一方で肝心の国民生活を完膚無きまでにたたき壊した。そして今、社会では打撃を被った国民生活の立て直しが急務となっており、小泉政権がもたらした改革の見直しに迫られている。その時期に張本人の小泉が引退したということは、自ら取った政策を何ら総括することなく投げ出したことに他ならない。
さらに、世襲政治家の劣化が指摘されているなかで、やはり自らも自分の息子を後継者と指名して麻生新政権が発足したその日に引退を表明した。国民としてはまたしても世襲政治家がひとり増えることにげんなりするほかない。今後、小泉進次郎がどんな政治家になるかはわからないが、親譲りの新自由主義者であることは間違いなく、親から受け継いだ支持基盤をもとにカイカクを訴えていくことは想像に難くない。
新自由主義者であり、世襲政治家となる小泉進次郎については、これから厳しい目でその言動をチェックしていかなければならないだろう。
国民にとってはさしたる驚きも、影響もない小泉引退だったが、自民党にいる小泉チルドレンたちにとっては青天の霹靂だったろう。
ただでさえ、次の総選挙では総崩れが予想されるうえ、拠り所を失った彼らにはもはや単なる失業者になるしか道は残されていない。看板を失ったチルドレンどもなどに、だれが見向きなどするものか。彼らには新自由主義の冷たく厳しい社会に出て、身を切られるような辛い思いをしてもらいたいものだ。もしかしたら、少しはそこで学習して、まともな感覚を持った人間になれるかもしれない(無理だと思うが)。
財界には大きな味方だった小泉の引退を惜しむ声が強いが、次の選挙で政権が代わり、社民主義政治が行われるようになった暁には、これまで好き勝手に日本の富を貪り、格差社会を築くことに汲々としてきた御手洗以下の不届き者どもに痛烈な一撃を食らわせてやりたい。
念願の総理総裁になり、ますます口がひんまがってしまった麻生太郎の卑しいプライドを粉砕する必要もある。
今度の総選挙では、なんとしても民主党に勝たせて自公を政権の座から蹴落としてやらなければならないと、あらためて思う次第である。
実に忌々しいことに、私の親類縁者の中にも創価学会員がいる。
日頃から学会を非難し、池田大作は金正日のようなものだと憎まれ口を叩いている私に彼らは近づこうとしないが、それは幸いなことである。
それでも先月亡くなった義母は姪からの頼みで聖教新聞を購読しており、その契約は義母が亡くなっても今年いっぱい契約が続いているとか言うことで今もわが家のポストに毎朝届けられている。犬の散歩があるために家でいちばん早く起きる私は新聞を取り出す係になっているのだが、私がとっている新聞と一緒に入っている聖教新聞を、私はいつも二本指でつまんで取り出している。
もうひとつ忌々しいのは、聖教新聞をとっているということで選挙が近くなると必ず、近所にいる学会員がわが家を訪れることである。
いつもニコニコして訪れるその主婦は、困ったことに道を2本挟んだ向い側にある家の人で、これまた犬の散歩をしている私はしょっちゅうその主婦と顔を合わせ挨拶をする。べつに私だってご近所さんと顔を合わせれば挨拶するくらいの常識はもっているのだが、学会員のその主婦は、聖教新聞を購読しているのは私だと思い込んでいる節があり、選挙はよろしくとやってくるときは必ず私を呼び出すのである。
私としても、義母が存命の時でさえ年寄りを相手にさせるのもなんだと思うから仕方なく出て行って「はあ、はあ、分かりました」と相づちだけ打ってドアを閉めるのだが、腹の中では次の訪問先に向かっていく後ろ姿に塩を投げつけてやりたい思いでいる。
「私たちの生活を必ずよくしてくれる党ですから、どうぞよろしく」
その主婦は、ときには公明党の町会議員まで伴ってきてはそう言って頭を下げるのだが、ジョーダンじゃねえや、と私は心の中で言い返すのが常だ。
公明党は昨日、党大会を開いて太田昭宏を代表に再選した。
今日の毎日新聞の社説では「太田公明党 明快な説明と行動を求めたい」と題する一文を載せているが、これを読んでもこの党が国民生活を大切に考えてきたといいながら、その実、そのときどきの世論に合わせて主張をコロコロ変えてきただけであることがよく分かる。
毎日の社説では公明党に対して3つの注文をつけている。
第一は衆院解散・総選挙を直前に控えた臨時国会に臨む姿勢として、今日本が抱えている諸問題、景気対策の柱となる補正予算、米国初の金融危機への対応、食の安全問題、年金改竄問題などに対する具体的方針を示すべきだという点。
太田昭宏は大会あいさつで「政局ではなく生活こそが大事だ」と語り、その後の記者会見では「現在の経済状況を受け、総合経済対策をまとめたのでやらなければならない」と補正予算の必要性を強調したのだから、臨時国会ではぜひとも公明党のプランを明らかにしてもらいたいものだ。
しかし福田政権末期で公明党は一期かぎりの定額減税を主張したが、よもやこれがメインではあるまいな。
すでに言われているように、公明党の言う定額減税では景気対策としての効果が薄いだけでなく、その財源をどうするのかという問題が明らかになっていない。この定額減税の話を聞いて、あの地域振興券を思い浮かべた人は多いと思うが、公明党の考える生活第一の対策とはいつもその場限りで効果が薄い。1世帯あたり2万円分だかの商品券をばらまいたのと同じように、こんどは減税という名のバラマキをやってお茶を濁そうというのであれば笑止である。
毎日新聞が第二に求めているのは最近の行動に対する明快な説明だ。
福田康夫とはアジア政策などで一致していたのにもかかわらず、政権末期には「福田降ろし」に走ったのはなぜか。
公明党が最重要視している都議選の日程から逆算して総選挙の時期を考えると、福田康夫には一刻も早く退陣してもらいたかったのだとすれば、結局、公明党はまず選挙ありきの「党益」中心の行動をしたと受け止められても仕方ない。この点について公明党はどう説明できるのか。太田昭宏にはぜひとも説明してもらいたいものだ。
毎日はさらにインド洋での給油活動継続問題への対応も不可解だったと書いている。1月には新テロ特措法を衆院再可決する自民党に同調したが、今回は同法を延長する改正案に賛同しながら再可決には反対していた。太田昭宏は「特措法は延長すべきだ」と述べたが、公明党の対応のブレに対する説明はしていない。
これなども、つまるところは公明党がその時々の政局と世論の流れに合わせて主張を都合よく変えている証だと思うが、どうなのだろうか。アメリカの戦争に協力するのに賛成なのか反対なのか、はっきりしてもらいたいものだ。
そして第三は総選挙後の行動についてだ。
毎日は書いている。
>民主党が勝った場合に同党と連立する可能性を示唆する幹部の発言もある。「世論志向政党」と指摘する声も聞こえる。政局に臨機応変に対応することも必要だろう。しかし、次の総選挙は公明党にとっては自民党との9年間の連立が問われる選挙でもあるのだ。<
自民党が勝てば今まで通り連立を維持するが、もし民主党が勝った場合には民主党と連立するというのではあまりに都合がよくないか。悩ましいのは民主党自身もまた公明党との連立に否定的でないところがある点だが、自公政権として公明党がこの9年間にやってきたことを思えば、良識ある国民(もちろん創価学会以外のだ)は民公連立など決して許さないだろう。
日頃から学会と公明党については忌々しく思っている私は、もしそんなことがあれば公明党と民主党を徹底的に批判するつもりだ。
公明党とはつまるところ、学会員の目を欺くために場当たり的に金をばらまき、政策的には権力の座から降りないための選択をするだけの政党なのではないか。
日本という国を率いて行くにはあまりにもお粗末で、自己都合ばかりの、政党とは言えない政党。
私はそう思ってこの党を見ている。
もう少しすると、またご近所さんのあの主婦がわが家を訪ねてくるだろう。そのときには一つ尋ねてみたいものだ。
「公明党は、国民が幸福になることと池田大作が幸福になることと、どちらを優先している党なのでしょうね」
もちろん、私はそんなことを聞きはしない。
どうしてって、答えはすでに分かっているからだ。
日頃から学会を非難し、池田大作は金正日のようなものだと憎まれ口を叩いている私に彼らは近づこうとしないが、それは幸いなことである。
それでも先月亡くなった義母は姪からの頼みで聖教新聞を購読しており、その契約は義母が亡くなっても今年いっぱい契約が続いているとか言うことで今もわが家のポストに毎朝届けられている。犬の散歩があるために家でいちばん早く起きる私は新聞を取り出す係になっているのだが、私がとっている新聞と一緒に入っている聖教新聞を、私はいつも二本指でつまんで取り出している。
もうひとつ忌々しいのは、聖教新聞をとっているということで選挙が近くなると必ず、近所にいる学会員がわが家を訪れることである。
いつもニコニコして訪れるその主婦は、困ったことに道を2本挟んだ向い側にある家の人で、これまた犬の散歩をしている私はしょっちゅうその主婦と顔を合わせ挨拶をする。べつに私だってご近所さんと顔を合わせれば挨拶するくらいの常識はもっているのだが、学会員のその主婦は、聖教新聞を購読しているのは私だと思い込んでいる節があり、選挙はよろしくとやってくるときは必ず私を呼び出すのである。
私としても、義母が存命の時でさえ年寄りを相手にさせるのもなんだと思うから仕方なく出て行って「はあ、はあ、分かりました」と相づちだけ打ってドアを閉めるのだが、腹の中では次の訪問先に向かっていく後ろ姿に塩を投げつけてやりたい思いでいる。
「私たちの生活を必ずよくしてくれる党ですから、どうぞよろしく」
その主婦は、ときには公明党の町会議員まで伴ってきてはそう言って頭を下げるのだが、ジョーダンじゃねえや、と私は心の中で言い返すのが常だ。
公明党は昨日、党大会を開いて太田昭宏を代表に再選した。
今日の毎日新聞の社説では「太田公明党 明快な説明と行動を求めたい」と題する一文を載せているが、これを読んでもこの党が国民生活を大切に考えてきたといいながら、その実、そのときどきの世論に合わせて主張をコロコロ変えてきただけであることがよく分かる。
毎日の社説では公明党に対して3つの注文をつけている。
第一は衆院解散・総選挙を直前に控えた臨時国会に臨む姿勢として、今日本が抱えている諸問題、景気対策の柱となる補正予算、米国初の金融危機への対応、食の安全問題、年金改竄問題などに対する具体的方針を示すべきだという点。
太田昭宏は大会あいさつで「政局ではなく生活こそが大事だ」と語り、その後の記者会見では「現在の経済状況を受け、総合経済対策をまとめたのでやらなければならない」と補正予算の必要性を強調したのだから、臨時国会ではぜひとも公明党のプランを明らかにしてもらいたいものだ。
しかし福田政権末期で公明党は一期かぎりの定額減税を主張したが、よもやこれがメインではあるまいな。
すでに言われているように、公明党の言う定額減税では景気対策としての効果が薄いだけでなく、その財源をどうするのかという問題が明らかになっていない。この定額減税の話を聞いて、あの地域振興券を思い浮かべた人は多いと思うが、公明党の考える生活第一の対策とはいつもその場限りで効果が薄い。1世帯あたり2万円分だかの商品券をばらまいたのと同じように、こんどは減税という名のバラマキをやってお茶を濁そうというのであれば笑止である。
毎日新聞が第二に求めているのは最近の行動に対する明快な説明だ。
福田康夫とはアジア政策などで一致していたのにもかかわらず、政権末期には「福田降ろし」に走ったのはなぜか。
公明党が最重要視している都議選の日程から逆算して総選挙の時期を考えると、福田康夫には一刻も早く退陣してもらいたかったのだとすれば、結局、公明党はまず選挙ありきの「党益」中心の行動をしたと受け止められても仕方ない。この点について公明党はどう説明できるのか。太田昭宏にはぜひとも説明してもらいたいものだ。
毎日はさらにインド洋での給油活動継続問題への対応も不可解だったと書いている。1月には新テロ特措法を衆院再可決する自民党に同調したが、今回は同法を延長する改正案に賛同しながら再可決には反対していた。太田昭宏は「特措法は延長すべきだ」と述べたが、公明党の対応のブレに対する説明はしていない。
これなども、つまるところは公明党がその時々の政局と世論の流れに合わせて主張を都合よく変えている証だと思うが、どうなのだろうか。アメリカの戦争に協力するのに賛成なのか反対なのか、はっきりしてもらいたいものだ。
そして第三は総選挙後の行動についてだ。
毎日は書いている。
>民主党が勝った場合に同党と連立する可能性を示唆する幹部の発言もある。「世論志向政党」と指摘する声も聞こえる。政局に臨機応変に対応することも必要だろう。しかし、次の総選挙は公明党にとっては自民党との9年間の連立が問われる選挙でもあるのだ。<
自民党が勝てば今まで通り連立を維持するが、もし民主党が勝った場合には民主党と連立するというのではあまりに都合がよくないか。悩ましいのは民主党自身もまた公明党との連立に否定的でないところがある点だが、自公政権として公明党がこの9年間にやってきたことを思えば、良識ある国民(もちろん創価学会以外のだ)は民公連立など決して許さないだろう。
日頃から学会と公明党については忌々しく思っている私は、もしそんなことがあれば公明党と民主党を徹底的に批判するつもりだ。
公明党とはつまるところ、学会員の目を欺くために場当たり的に金をばらまき、政策的には権力の座から降りないための選択をするだけの政党なのではないか。
日本という国を率いて行くにはあまりにもお粗末で、自己都合ばかりの、政党とは言えない政党。
私はそう思ってこの党を見ている。
もう少しすると、またご近所さんのあの主婦がわが家を訪ねてくるだろう。そのときには一つ尋ねてみたいものだ。
「公明党は、国民が幸福になることと池田大作が幸福になることと、どちらを優先している党なのでしょうね」
もちろん、私はそんなことを聞きはしない。
どうしてって、答えはすでに分かっているからだ。
今日付の朝刊各紙に、事故米を原料に焼酎を製造した恐れがあるとして「薩摩宝山」30万本を自主回収した西酒造が全面広告を出した。
回収の経緯、商品の安全性等について説明するもので、「きちんとお伝えする責任がある。私たちは、初めて新聞広告を掲出いたします。」という特大文字のコピーが目を引く。
ここで説明している事柄は以下の通りだ。
■なぜ、薩摩宝山を自主的に回収することを急いだのか?
■今回の不正流通より以前に造られた薩摩宝山は安全なのか?
■芋焼酎なのに、なぜ原料に米を使用していたのか?
■原料を安く仕入れ、利益を得ようとしたのか?
■薩摩宝山以外の銘柄に不正流通米は使用されていないのか?
このなかで、かねて私が不審に思っていたのは「原料を安く仕入れ、利益を得ようとしたのか?」という点だが、これに対して同社は「今回、購入した米の約85%は1kgあたり100円前後、残りの15%は1kgあたり73〜80円でした。一般的に使われている組合米の価格が1kgあたり80〜85円ですから、不当に安く仕入れようとした事実はありません。」と答えている。
これを見ると、少なくとも西酒造は事故米と知らずに原料米を購入したことになり、和菓子メーカーと同様被害者ということになる。
しかし、和菓子メーカーが米粉で購入したために事故米とは気づかなかったのに対して酒造メーカーは米は米のまま仕入れるのが普通である。仕入れる時点で異常に気がつかなかったのか。
その疑問は残ったままだ。
今回のように全面広告を使って消費者に説明を試みる姿勢は評価できるが、これだけでは焼酎に対する不信を拭うには不十分といわざるを得ないだろう。
回収の経緯、商品の安全性等について説明するもので、「きちんとお伝えする責任がある。私たちは、初めて新聞広告を掲出いたします。」という特大文字のコピーが目を引く。
ここで説明している事柄は以下の通りだ。
■なぜ、薩摩宝山を自主的に回収することを急いだのか?
■今回の不正流通より以前に造られた薩摩宝山は安全なのか?
■芋焼酎なのに、なぜ原料に米を使用していたのか?
■原料を安く仕入れ、利益を得ようとしたのか?
■薩摩宝山以外の銘柄に不正流通米は使用されていないのか?
このなかで、かねて私が不審に思っていたのは「原料を安く仕入れ、利益を得ようとしたのか?」という点だが、これに対して同社は「今回、購入した米の約85%は1kgあたり100円前後、残りの15%は1kgあたり73〜80円でした。一般的に使われている組合米の価格が1kgあたり80〜85円ですから、不当に安く仕入れようとした事実はありません。」と答えている。
これを見ると、少なくとも西酒造は事故米と知らずに原料米を購入したことになり、和菓子メーカーと同様被害者ということになる。
しかし、和菓子メーカーが米粉で購入したために事故米とは気づかなかったのに対して酒造メーカーは米は米のまま仕入れるのが普通である。仕入れる時点で異常に気がつかなかったのか。
その疑問は残ったままだ。
今回のように全面広告を使って消費者に説明を試みる姿勢は評価できるが、これだけでは焼酎に対する不信を拭うには不十分といわざるを得ないだろう。

大方の予想通り、何の波乱もなく自民党総裁選は麻生太郎を第23代総裁に選出した。
麻生の得票数は国会議員票と地方票を合わせて351票(有効投票数525)だった。ちなみに他の4候補の得票数は、与謝野馨が66票、小池百合子が46票、石原伸晃が37票、石破茂が25票だった。
麻生は挨拶の壇上に立ち、挨拶で「新総裁に選ばれたのには天命を感じる」と述べ、さらに「真の意味での天命を果たすのは総選挙で民主党に勝った時だ」と気炎を上げた。
これで目出度く自民党の茶番も幕引きとなったわけだが、麻生に言われるまでもなく国民が本当に注目しているのは解散総選挙となったときに政権の行方がどうなるかということだ。
麻生も馬鹿ではあるまい。ご祝儀相場で自民党支持率が上がるとしても、今の逆風下ではそれほどの効果は期待できないと踏んでいるに違いない。
だとすれば衆議院を解散するにもタイミングを見計らうことだろうが、批判的な麻生ウオッチャーからすれば、この男が遠からずまた失言をすることにより、解散の時期は望むと望まざるとにかかわらず早まるだろうと思われる。
そこで今日は、麻生内閣誕生を記念し、また一刻も早く解散総選挙となることを祈念して、これまでの麻生太郎の問題発言・失言をまとめておくことにする。
「下々のみなさん」
衆議院選挙に初出馬した1979年の演説で登壇して開口一番、支援者に対して。このころから麻生太郎には選民意識が強かったことがうかがわれる。
「創氏改名は朝鮮人が望んだ」「日本はハングル普及に貢献した」
2003年5月31日、東京大学学園祭においての発言。麻生は日本統治時代の朝鮮・台湾に対しては肯定的側面もあったとしている。
「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも糖尿病という時代ですから」
2003年10月20日のホームレスについての発言。当然ながら、差別的であるとして各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから抗議を受けたが、麻生は発言撤回をしていない。
「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」
総務大臣在任中の2005年10月15日、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞で。
「シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」
2006年1月9日、福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連して。イスラエルのシャロン首相が脳梗塞で倒れたことを受けて発言したもので、当然ながら配慮を欠くと非難された。
「金正日に感謝しないといけないな」
2006年7月8日に広島市内で行なった講演で、北朝鮮がミサイルを撃ち、主要国が重大な関心を持ったことについて。
「隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」
2006年10月、中川昭一自民党政調会会長が核武装も選択肢として考えておくべきだと発言したのを受けて。日本は自由な発言ができる国だとして語ったものだが、核容認論は許されるべきではないはずだ。
「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」
2007年7月19日、富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして発言。野党からの反発はもちろん、与党からも参院選に悪影響がおよぶと懸念され、塩崎恭久内閣官房長官からも「適格性を欠く」と批判された。翌7月20日に謝罪した上、撤回。
「酒は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」
2007年7月20日、アルツハイマー発言の翌日に鳥取県倉吉市での演説で。連日の失言である。麻生とは、懲りない男なのだ。
「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? 農協は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」
2008年2月、中国製ギョーザによる中毒問題に関連し熊本市での講演で。こういう短絡思考の男が国を率いていくかと思うとゾッとする。
「ナチス・ドイツも『1回(政権運営を)やらせろ』と言ってああなったこともある」
2008年8月4日、福田改造内閣組閣後に江田五月参議院議長と会談した際、民主党を批判した上でナチスに例える発言を行い、民主党関係者から猛抗議を受けた。
「(認証式のために)陛下の日程をあけておけ」
2008年9月、首相でもない麻生が宮内庁に指示を出した。
「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」
2008年9月14日、JR名古屋駅前での自民党総裁選候補としての街頭演説の中で、前月に岡崎市など愛知県内で3人の死者を出した平成20年8月末豪雨に関して発言。麻生がその場限りの人気取りに懸命な男で、被害に遭った人々に対する思いやりに欠ける男だということを端的に示した。
これに対し岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧について出来る限りのことをする。」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した。お詫びは人任せの麻生太郎。
「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなぁ」
2003年9月21日、引退前の最後の自民党総務会で野中広務が最後の発言として、麻生による上の発言を非難した。講談社刊『野中広務 差別と権力』に記載。これに対して麻生はこの発言をなかったものと否定している。野中広務はいまだに麻生を許していない。
この他、麻生太郎は公明党と太いパイプを持つことで知られる。また、統一教会との関係では勝共推進議員の一人であり、国際勝共連合から送り込まれた一人の統一教会(世界基督教統一神霊協会)信者を秘書として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道されたが、本人は週刊誌の取材に対し、統一教会との関係を全面否定している。
また、麻生の実家である麻生財閥は麻生炭坑で韓国人徴用者を強制労働させて財を築いたがこれについて頭の麻生は「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」と話している。
どうせ短命内閣で終わるだろうが、たとえ短期間にせよこんな男に率いられるかと思うと、私は軽い目眩を覚えるのである。
















