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政治

ここでは、「政治」 に関する記事を紹介しています。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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鳩山政権の支持率が、日を追うごとに低くなっている。
今日の朝日新聞では内閣支持率が最低の17%を記録したことが報じられている。
また、日経新聞とテレビ東京が行った世論調査でも、内閣支持率は22%と前回調査より2ポイント下落し、「7月の参院選を目前に世論の『鳩山離れ』も進んでいる」と述べている。

前回のエントリでは、鳩山由紀夫がこのごろどうも自民党政権の時のボンクラ宰相に似てきたといったことを書いたが、現実に起きたことを見れば鳩山由紀夫がやったことは沖縄の民意を踏みにじる行為であり、普天間基地問題で国民を完全に裏切ったのである。
これに対して社民党党首の福島瑞穂は「普天間問題は社民党にとって重要な政策であり、譲ることはできない」と主張、とうとう大臣を罷免されてしまった。

国民の側から見れば、正しいことを言っているのは福島瑞穂であることは明らかで、正しいことを言っているのに大臣を罷免してしまった鳩山由紀夫は、これで正義に対しても裏切りを働くことをしてしまったと言えるだろう。

福島大臣が罷免されたことで、社民党は連立を離脱。
鳩山は未練たらしく連立離脱を思いとどまるように説得したようだが、何をいまさらというものだろう。

その後も、鳩山由紀夫は社民党が連立を離脱したことは残念だが、ここは信念を持って乗り切っていくしかないと述べ、引き続き政権運営に対する意欲を見せている。

私のような凡人には政治家という人種がどうしても理解できない。

自分が言い続けてきたことを裏切り、その裏切りに同調できないとした人物を追い出し、相手からもう一緒に仕事をすることはできないといわれたというのに、まだ信念を持って政治を行っていくという、その理屈が分からない。鳩山の言うことばは「友愛」にしろ抽象的なものが多いのだが、ここでいう彼の「信念」とは一体どんなものなのだろう。
それが私には理解できない。

一方の福島瑞穂はそれこそ社民党の信念を貫いて職を追われたわけで、今回の行動については「女を上げた」と評判を上げている。
けれども皮肉なことに、福島が内閣特命大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画担当)に在職していたときの働きぶりについてみると、あまりパッとしたところがない。
つまり、端から見る限りでは、閣僚として内閣に籍をおいている間は大した活躍はしなかったけれど、普天間基地が辺野古に移転することが決まったとたん鳩山由紀夫に三行半をつけることで、ようやくその地位を活かしたことになる。

別にそれが悪いというわけではないが、福島瑞穂がここまでやり、社民党全体が動いて連立を離脱したからには、なすべきことは一つしかないように思う。

それはすなわち、鳩山由紀夫を辞任に追い込むことである。

実際、今回の騒動で野党からは内閣不信任案が提出されるようだが、社民党には失うものはない。ぜひとも同調して鳩山降ろしに一役買ってもらいたい。

おそらく、今回の普天間基地の移設問題や口蹄疫に対する対応のまずさなどから、民主党のイメージは決定的に悪くなり、7月の参院選挙では大きく議席を減らすことだろう。
それならば信念を貫いた社民党はどうかといえば、多少の議席増はあるかもしれないが、残念なことに大幅な躍進は望めないだろう。

普天間基地問題は重要な問題ではあるが、国民全体の問題からすればあくまでも一部に過ぎず、国民にとっては自分たちの生活がどうなるかが喫緊の問題であるからだ。
社民党にはこの点に対するアピールがない。

この点でもっともまっとうな主張をしているのは、共産党くらいではないだろうか。
あとに残る、みんなの党やたちあがれ日本、日本創新党、新党改革などはいずれも消費税の増税をうたう一方で、無駄を省くという名目で公共サービスの縮小を主張しているとんでもない政党ばかりである。

できれば社民党には、鳩山由紀夫を退陣に追い込み、公約破りを公然としてきた民社党に鉄槌を下すと同時に、国民の生活が第一であることを訴える政策をアピールしてもらいたい。

そうなれば参院選で選択肢となるのは共産党と社民党になるが、私にはこのふたつの政党がそろそろ力を持つべきときがきているように思えてならないのである。

関連タグ : 社民党, 共産党,

悪いことは言わない、鳩山由紀夫は早いところ首相を辞任すべきである。

「国民の生活が第一」と言いながら政権の座に就いたものの、国民の生活はいまだに少しもよくならず、それどころか、普天間基地の移設問題では前政権が決めていた現行案に近い結論を出し、犠牲を払い続けてきた沖縄県民の生活をこれからも踏みにじり続けようとしている。

宮崎の畜産業が危機に瀕するまで拡大してしまった口蹄疫の問題では、いかにも初動悪かったことは明らかで、重大な事態が起きているにもかかわらずキューバに外遊していた赤松広隆を叱責することもなく、30万頭以上の豚や牛を殺処分にするという荒療治で解決を図っている。
種牛まで殺してしまうことで全国に誇る宮崎牛が、絶滅してしまうかもしれないという事態には、単に疫学的な問題だけでなく、文化的な損失も考慮されるべきだと思う。しかし鳩山由紀夫は一律に殺処分をする方針を曲げず、農家に対しては1000億円の補償をあてるとしている。それで本当にいいのか。私にはここでも鳩山は畜産農家の生活を踏みにじろうとしているように見えてならない。

鳩山由紀夫にもっと理性があるのなら、全頭処分の決断を下す前に、まだ罹患していない家畜は残すとか、ワクチンを止めるという選択肢もあったはずなのに、それらはほとんど考慮されなかったようだ。(ちなみに、ワクチンを打つと手間がかかるだけでなく、症状が分からなくなるというデメリットがあるという。つまり、ほんとうは罹患していない家畜も、ワクチンを打つことで殺処分を避けられなくなってしまうというわけだ)

さらに鳩山由紀夫は、廃止を公約していた障害者自立支援法の延命につながる改悪案を今国会に提出しようとしている。障害が重いほど負担が重くなるこの法案については、障害者団体から断固反対の声が上がっているが、民主党政権は28日の衆院厚生労働委員会で採決しようとしている。
ここでも鳩山は、障害者の生活を踏みにじろうとしている。

私には、このごろぶら下がり取材でテレビ画面に映る鳩山由紀夫が、うつろな表情で理性も知性も働いていない男のように見える。
理性も知性も一段劣って見えたところでは、安倍晋三や麻生太郎も同じようなものだったが、案の定、今日の朝日新聞にこんなことを書かれている。

カメラ目線、質問への冷淡な対応――。鳩山由紀夫首相が記者に囲まれて質問に答える「ぶら下がり取材」の様子がこのところ、人気低迷に苦しんだ直近3代の政権に似てきた。同じく支持率低下に苦しむ鳩山政権の命運は、首相が発信力を回復できるかどうかにもかかっている。(中略)
「目がキョロキョロしていると批判もあるから、国民に語りかけるように努力している」。首相は19日、記者団からカメラ目線を指摘され、こう説明した。首相は政権発足当初、質問する記者の目を見て答えていたが、大型連休前後から変化した。
これは、3代前の安倍晋三元首相をほうふつとさせる。「キョロキョロすると国民に向かってしゃべる気持ちになりにくい」と説明した安倍氏は、2007年4月からカメラを見据えて語りかけるようになったが、「不自然だ」と、評判はいま一つだった。(中略)最近は自ら質問を打ち切って立ち去るケースが目立つ。今月12日には、記者団に「最近、答えが短くて冷たい感じがする」と言われ、「丁寧に答えているつもりだが、時間的な問題やぶら下がりのあり方自体の問題も含めて、この程度がむしろ望ましい」と反論した。
最近は発言の「ぶれ」を指摘されるケースも目立つ。米軍普天間飛行場の移設問題では「最低でも県外」や「5月末決着」という過去の発言を繰り返し問われている。
これは麻生太郎前首相と重なる姿だ。同氏は定額給付金で所得制限をめぐり迷走。郵政民営化への姿勢でも発言が揺らいだ。
目線は安倍晋三に似ていて、ぶっきらぼうな態度は麻生太郎に似ている。
言い換えれば、ぶら下がり取材での鳩山由紀夫は歴代最低の首相と同じレベルだと言うことだ。

目線と態度だけならまだ許せるかもしれないが、昨日報じられた記事では、どうやら鳩山由紀夫は考え方まで安倍や麻生と同じようになってきたと思わざるを得ない。

「国民は国を守る発想持つべき」鳩山首相(時事通信)
鳩山由紀夫首相は26日夜、日本の安全保障に関し「この国はこの国の人々で守るという、すべての国にとって当たり前の発想が今の日本にはない」と危機感を示した。同時に「それが自然かどうかという発想は国民一人一人が持ち続けるべきではないか」と指摘した。
記者団が米軍普天間飛行場移設問題に絡めて「(常時)駐留なき安保という考え方は変わったのか」と質問したのに対し、「その考え方はいま封印している」とした上で根底の考え方として言及した。官邸で記者団の質問に答えた。
この発言が、数カ月前までは日本にアメリカの基地はいらないと言っていた人のものとはにわかに信じがたい。
これではまるで、日本国民に自国を守る意識が欠けているから、アメリカ軍に日本にいてもらう必要がある。そのために沖縄に基地を置かねばならないのだと言っているようなものだ。 ここまで書いてみて、私はため息をつくどころか軽い目眩に襲われている。
「国民の生活が第一」と訴えていた民主党は、障害者自立支援法維持を図り、沖縄に米軍基地を置き続けようとする疑似自民党と化している。

私は自民党政権による政治にほとほと嫌気がさし、国民不在の政治をこれ以上させてはならじと政権交代を願った。
しかしようやく政権を取った民主党は、もともと保守的色合いが強かったとはいえ、時を経るごとに自民党の亜流となっていき、今では首相の姿さえ、無知で無能だった前政権の首相とダブって見えるようになってしまった。

もうたくさんである。

これ以上、国民生活を踏みにじるような政権には引っ込んでもらいたい。

何の苦労も知らない世襲政治家も見たくない。

目がうつろな鳩山由紀夫、そして重大な問題がいくつも起きているというのにどこか涼しい顔をしている小沢一郎にも政治の舞台から去ってもらいたい。

この政府に対する不審と不満を、次の参院選で民主党に痛打を浴びせるという形で明らかにしたいものだと、私は願っている。

関連タグ : 民主党, 鳩山由紀夫,

思えばウン十年前、学生時代のあの頃の私は何度、この言葉に苦い涙をのんだことだろう。
思いを寄せる女性に対して、自分では誠心誠意を尽くしてきたつもりだし、何よりも大切に考えてきたつもりだった。
彼女とつきあえることになったら、どんなにか毎日が明るいものになるだろう。
そう考えると、理屈もなく希望が満ちてきたし、どこからともなく力がわいてきたものだった。

バカが相手じゃ悪いからと、彼女のために哲学の本を読み、甲斐性がない男では情けないからと、日銭が稼げる肉体労働のアルバイトもした。
哲学は小難しくて、さっぱりページが進まなかったけれど、仕事は味気なくてきついばかりだったけれど、彼女と一緒にいられるときがあり、私の言葉に彼女が微笑み、私がエスコートする(なんて洒落たものじゃなかったが)店での食事に彼女が喜んでくれれば、それでよかった。
それが、私にとっていちばんうれしいことだった。

しかし、端から見れば私の独り相撲に見えたであろう数カ月の蜜月の後、彼女が言いにくそうに私に言ったのは、例のあの言葉だった。
「T君て、とてもいい人だと思う。でも、お友だちでいましょう」

つまり、それは私に対するやんわりとした拒絶の言葉に違いなかった。とんまな私ははじめのうち、その言葉にも若干は希望が残されていると思っていたが、そんな私を見ていた先輩のAさんは的確に教えてくれた。

「バカ。それはお前なんか相手じゃないってことなんだよ」

フーテンの寅さんじゃないけれど、私はその後も女性に惚れては
「お友だちでいましょう」と言われる無様を繰り返したものだった。

まったく学習能力がないね、われながら。

さて、昨日、われらが鳩山総理は迷走を続けてきた沖縄普天間基地の問題に結論を出した。
それは総理自らが言っていた「国外移設、最低でも県外」という約束の実現を表明するのではなく、自民党政権時代にアメリカとの交渉で導き出していた結論とほぼ同じ、「名護市辺野古への移設」であった。
われらが総理は、自らが口にした約束をめぐって気が遠くなるほどのダッチロールを繰り返してきたが、それでも一つだけ約束を果たしたことになる。
それは5月末までに結論を出すということ。

しかし、こんな約束ばかり守られたとしても、多くの沖縄県民や彼らと思いを同じくする国民は納得できるものではないだろう。
昨年9月に政権を奪取して以来、散々威勢のいいことを言ってきたけれど、出てきた結果はこれだけかい。
それが偽らざる気持ちだろう。

これなら、自民党が政権を取ってたのと同じじゃないか。

われわれは自民党政権に対して、なぜノーをつきつけたのか。
それは、彼らが利権既得権益にへばりつき、国民に対してウソをつくことがあまりに多かったことにウンザリしたからではなかったか。
アメリカとの同盟を言いながら、その実不平等条約を甘受し、あまつさえ財政難の危機に瀕しているというのに目のくらむような大金を思いやり予算として毎年与え続ける理不尽な政治にほとほと呆れてしまったからではなかったか。

私は、同じ約束を破るのならば5月中に結論を出すというのを反故にして、この問題を沖縄の人々はじめ国民が納得のいくまで議論を尽くすというのならば大賛成だった。
けれども、守られたのは5月中の結論だけで、その結論と言えばこれまでの時間が何だったのかと言いたくなるような現行案に沿ったものでしかなかった。

われらが鳩山総理は、友愛の政治を掲げて政権の座に就いたが、その友愛とは結局のところアメリカに尽くすという意味合いでしかなく、沖縄の人々や国民のことはないがしろにするということだったのかと納得した。

友愛という美しい言葉を使い、誠心誠意を尽くしているかのようなポーズを見せつけられてきたけれど、私が鳩山総理に言葉をかけるとするならば、数十年前を思い出しながらこう言うだろう。

「総理、あなたはいい人だと思うけど、お友だちでいましょうね」

はたして金持ちの坊ちゃんで、代々続く政治家の家に育った彼は、この言葉が意味することを理解できるだろうか。
もしかすると、以前の私のように「まだ脈はある」と見て、これからも政権の座に居座り続け、小沢一郎と一緒に参院選挙も戦えると考えるだろうか。

鳩山由紀夫がお金持ちの坊ちゃんであることは、別に悪いことではない。
できればその莫大な資産を、これからは自分の政治資金になど使わず、どんな形でもいいから社会貢献するために使ってくれるなら喜ばしいと思う。
だから、お友だちでいる分にはかまわない。

けれどもわれわれのリーダーとしてトップに立つのは、もうごめんだ。

もはや、移り気な私の心は民主党政権を離れ、これからは左派勢力による第3極の結集に向いている。
そのためには、今まで政権与党にありながら影が薄い存在でしかなかった社民党に連立を離脱してもらい、まずは今回の鳩山由紀夫の決断に断固として反対を表明し、その後は次の参院選を目標に左派勢力の中核となって動いてもらいたい。

自民党、みんなの党、たちあがれ日本、日本創新党、新党改革など、新自由主義と保守右派勢力は雨後の筍のように旗を揚げている。その多くは雑魚の集まりとしか見えないが、彼らに共通しているのは反民主であり、政権獲得で、読売、産経などのメディアがこれの後押しをしている。

私は、よもや自民党が政権を奪取することはあり得ないと思っているが、現状を見る限りではこれらの右派勢力の声に対して左派勢力の声がもうひとつ鮮明に聞こえてこないことに苛立ちを感じている。
いくら雑魚とはいっても、まとまれば一つの力になることは間違いない。
これを黙って見ていたのでは、せっかく自民党政権による暗黒時代が終わったというのに、民主党の自民党化がさらに進み、ついには保守連合との大連立などという悪夢がまた始まるかもしれない。

そんなことにならないために、社民党にはここが踏ん張りどころだと思って頑張ってもらいたいのだ。
もしそれができないのであれば、もはや社民党も政権に執着するだけの公明党と同等な存在として見放すしかないだろう。

福島みずほにも「お友だちでいましょう」とは言いたくないんだけどね。

関連タグ : 鳩山由紀夫, 民主党, 沖縄,

宮崎県で口蹄疫が発生して、ちょうど一月になる。

口蹄疫という家畜がかかる病気がどんなものか、すでにテレビや新聞などで説明していることなので、ここではくわしく説明しない。私はたまたま10年前に口蹄疫が発生した直後、たまたま仕事で宮崎の農家を取材したことがあるのだが、そのときの農家の人々が言っていたのは、今回の口蹄疫が広がらなくて、ほんとうによかったという安堵の言葉だった。

口蹄疫は人間には伝染しないが、牛や豚、羊など蹄が二つに割れている動物には非常に強い感染力を持つ。接触するだけでなく、空気感染もするから、ウイルスから大切な動物たちを守るにはほんとうに細心の注意をしなければならない。それはちょうど、昨年の今頃、世界中を覆っていた新型インフルエンザに対する防疫作業を思い起こさせるものだ。

新型インフルの場合も、ウイルスに汚染された養鶏業者ではすべての鶏を殺処分していたが、今回の口蹄疫では感染の拡大を防ぐために、汚染地域にいる牛や豚などはまだ健康なものもふくめてすべて殺処分するという非情とも思える決断が下された。
大切に育てた家畜を、30万頭以上の動物たちをむざむざ殺さなければならない畜産農家の心情はいかばかりのものだろうか。

今、宮崎県では家畜の大殺戮が行われ、生活の糧となる家畜を奪われた人々は、明日からの生活に脅かされる日々を送っている。
家畜にとっても、畜産農家の人々にとっても、地獄が繰り広げられているのだ。

こんなとき、世論の厳しい批判にさらされている人物がいる。
それは農水大臣赤松広隆だ。

赤松は、宮崎で口蹄疫が発生したにもかかわらず、GWを利用してキューバを外遊していた。ウソかマコトか、今日の報道ではキューバを訪れていた赤松は、現地でゴルフに興じていたとされ、直ちに事実無根と否定する声明を出している。
しかし、ここで問題なのは、どうみても日本にとって大切な畜産農業が重大な危機に直面しているときに、農政の全責任者である赤松広隆が《外遊していた》という事実だろう。
はたして赤松は、何の用事があってキューバを訪れなければならなかったのか。
連休後に帰国し、10日にようやく宮崎県入りした赤松は、報道陣に対して自分の行動にはまったく問題はないし、反省することもないと言い切った。
だが、われわれ国民から見れば、赤松が取った行動には大問題があったと言わざるを得ないだろう。
大きな問題が発生したときに、リーダーとならなければならない人間が不在では、速やかに対処することは難しい。これはどんなビジネスでも同じだろう。
リーダーがいるといないのでは大違いだし、たとえ宮崎には東国原英夫がいたとしても、口蹄疫はどんどん拡大し、宮崎県だけではなく九州各県を巻き込んで対策を取らなければならないまでになっていった。

今思えば、昨日になってやっと非常事態宣言を出した東国原の対応も、十分だったのか疑問符がつくが、やはりもっと追及されるべきは国の対応が決定的に遅かった点ではないだろうか。
おそらく政府では口蹄疫がどんな病気で、農家にとってどんなに恐ろしいものであるかという認識が欠けていたのだろう。
19日になって鳩山由紀夫は自分がリーダーとなってこの問題にあたるとし、「当面やるべきことはすべてやる。迅速にやるということであります」と胸を張ったが、農家から見れば口蹄疫発生から一月もたってからこんなことをやらず、もっと早い時期に徹底した対処をしていれば、問題がこれほど大きくはならなかったと思っていることだろう。
そして農政の全責任者である赤松広隆はといえば、相変わらず自分に責任はないと弁明するばかりである。

ここで思い出すのは、2001年、高校生が乗った練習船「えひめ丸」がアメリカの潜水艦と衝突、沈没して多くの死者を出したとき、当時の首相・森喜朗はゴルフに興じており、事故の一報が入った後もプレーを続けていたことが明らかになって大問題になったことだ。
日本の船舶とアメリカ海軍の船舶が起こした事件は、当然ながら国と国とで対処しなければならなかったはずなのに、日本の総責任者である森喜朗はゴルフを続け、それは「プライベートでしたこと」「プレイを続けたのは、後の人に悪いから」と〝常識的な〟答えをしたが、この一件からすでに評判の悪かった森喜朗に対する国民の評価は一気に下がり、2カ月後にはとうとう退陣に追い込まれてしまった。
このときは森もいろいろなことを言って弁明に努めていたのを思い出すが、サメ脳の森などがいくら言葉を重ねても、国民の反感は和らぐことはなかった。責任者としての資格に欠ける。それが多くの国民の思い出はなかったか。

今回の赤松広隆にも、同じことが言えるのではないだろうか。
ゴルフをしていたかどうかは別にしても、日本の畜産農業に大打撃を与えかねない事件の発生を見ながら外遊に旅立った責任は大きい。

思えば自民党政権時代から、農水大臣は問題のある人物が就く、鬼門と言われるポストだった。
ちょっと思い出しただけでも、安倍内閣のときの松岡利勝は光熱水費問題が国会で追及され、戦後の閣僚としては初めて在任中に自殺を遂げた。彼もまた、国会の答弁では光熱水費は「ナントカ還元水を使っていた」などと言って弁解に努めていたのが印象に残っている。
その後、若林正俊のリリーフを経て後任に就いた赤城徳彦も事務所経費の問題など次々の疑惑が生じ、これが原因で2007年7月の参院選で自民党が敗北したとして事実上の更迭をされた。
また若林正俊がリリーフをした後、今度は遠藤武彦が就任したが、この男もカネの問題からなんと就任8日で辞任に追い込まれてしまった。
農水大臣が辞任するときまって若林正俊が後を継ぐのには、笑ってしまうしかないが、その若林が三度農水相を務めた後、2008年の福田内閣でこのポストに就いたのが太田誠一だ。太田もまた事務所経費の問題が出てきたうえ、さらに事故米不正転売事件が起きたときにはその対応を誤り、国民からの批判を散々受けた末に辞表を提出することになる。
自民党政権時代に農水大臣を務めた人間は、言葉は悪いがクズばかりだったといっていいだろう。

ならば政権交代をして、新たにこのポストに就いた赤松広隆は、これまでのいきさつは十分すぎるほど心得ていたはずで、それならばいっそう慎重にこの職務に取り組まなければならなかったはずだ。
そして、口蹄疫問題のような大事件が起きたときにはここ一番のリーダーシップを発揮して、自公政権のときとは違うという印象を強烈に示す必要があったのだ。

ところが実際には、情けないことに赤松が取っている対応と言えば自分には責任がない、反省する必要もないという開き直りばかりで、責任者としての反省は微塵もない。
自身に過失はなかったというのだから、赤松も自分からは辞職するつもりはないのだろう。しかし、そんな態度が許されるだろうか。
閣僚に就くということは、政治家ならば誰しも願うことだろう。
だから、一度就いたからには辞めたくないと思うのは分かる。
しかし、そんなくだらないエゴのために迷惑を被るのは日本の農家であり、国民である。
今、赤松広隆に対しては民主党内からも責任論が出ているらしい。今後、鳩山由紀夫はどんな対応をするのかは分からないが、赤松のように責任逃ればかりをしていて農水相として果たすべき職務を果たさない閣僚は、一刻も早く更迭し、もっとまともな人物をこのポストに就けて、今までの汚名を返上することに務めるべきだ。

関連タグ : 口蹄疫, 赤松広隆, 農水大臣,

タレント政治家あるいはタレント候補者と呼ばれるものは、調べてみると案外古くからいるようだ。むろん、これについて何か書こうと思えば、まずタレント政治家なるものの定義を明らかにしなければならないだろう。とはいっても、Wikipediaで調べるかぎりでは必ずしもその定義が明らかになっているわけではなく、いわゆるタレント業を生業としている者だけを指す場合もあれば、単にメディアを通じて知名度が高いことからタレント政治家と呼ばれる場合もあるという。

そこで、ここでは後者の定義をあてはめて、いわゆるタレント政治家あるいはタレント候補者のことを述べたいと思う。

まず、昭和に生まれた私がタレント政治家として最初に意識したのは、山東昭子、安西愛子あたりからで、いずれも自民党から立候補して政治家になった。もちろん、当時小学生だった私は政治のことなどよりはウルトラマンや怪獣の方に熱心であり、タレント政治家になど、大した興味はなかった。
それでも、「歌のおばさん」として人気のあった安西愛子が私の通っていた小学校の卒業生で、あるとき大先輩で政治家にもなった安西先生が学校を訪れ、校庭に並んだ私たちに話しかけ、一緒に校歌を歌ったことがある。
そのときは政治家といえば偉そうに聞こえるが、目の前にいる歌のおばさんはまるで幼稚園の先生のように子どもたちにやさしく、非常に身近な存在に感じたものだった。
安西愛子が小学校を訪れたのは、後にも先にもそのときだけだったが、私の中ではタレント政治家というものが、難しい政治をわかりやすく小学生にも親しめるようにしてくれる存在なのだろうという意識が形成された。

その意識は、おそらく大人たちも同じように持っていたようで、それ以後も主に自民党から数多くのタレント政治家が生まれたが、それはタレント本人が持っている知名度とともに、彼らがより庶民に近い立場から政治を分かりやすいものにしてくれるという期待がこめられてのことだったように思う。

印象に残るタレント政治家といえば、無所属で出た青島幸男と横山ノック(後に二院クラブ)で、青島は「意地悪ばあさん」で売れていた頃だったし、ノックは「マンガトリオ」のリーダーで、タコの真似をして私たちを笑わせてくれる存在だった。青島も横山も、たしか記録的な得票で当選を果たし、それが契機となってタレントは票が取れるということになり、その後どんどんタレントが擁立されていったように思う。
後年、それぞれ東京と大阪の首長となった二人が、大した成果を残さず、むしろ何もやらなかったり、破廉恥な行為で訴えられるなどして晩節を汚すことになったのを見て、タレントなどに政治をやらせてはいけないと私は思うようになったが、自民党をはじめとする政党はそんなことには凝りもせず、どんどんタレントを擁立していったのである。

タレント政治家に、どんな人材がいたのか、ちょっと振り返ってみよう。山東昭子が出馬して当選したのが1974年の参議院選挙で、この年にはNHK紅白歌合戦の司会者として知られた宮田輝も出てトップ当選をした。また77年にはレコード大賞の司会などを務めていた高橋圭三が無所属から出馬して当選している(当選後は自民党に所属)。そういえば立川談志も71年に立候補して全国区50人中50位の最下位で当選していた。このときは子ども心に落語家が政治をやっちゃいけないと思ったものである。

タレント政治家は、その後1983年に全国区制が廃止されて比例代表制厳正拘束名簿式となって一時不利な状況になったが、2001年には個人名でも投票できる比例代表制非拘束名簿式になってからは、知名度による集票力を期待されてふたたび各党から擁立されるようになった。その2001年参議院選挙では舛添要一や大仁田厚が自民党から出馬、社民党からは田嶋陽子、民主党からは大橋巨泉が出馬して当選した。
しかし、このなかで政治家として目立った活動をしたのは舛添要一くらいで、大仁田厚は何をやっていたのか分からず、田島と大橋にいたっては任期途中で職を投げ出すような形で辞めてしまった。

1995年には橋本聖子が自民党から出て当選。
2004年の参院選では自民党から神取忍、荻原健司、民主党から喜納昌吉、蓮舫が出て当選。
2007年参院選では自民党から丸山和也、丸川珠代(東京選挙区から出馬)、義家弘介、民主党から横峯良郎が当選している。

さて、ここに挙げたセンセイ方の中で、目覚ましい活躍をしている人物がどれほどいるか。

彼らの多くは自らの政治理念を持ってその実現にあたるどころか、自民党あるいは民社党にとって都合のいいイエスマンとして働くだけで、国民の生活をどうするとか、国の財源をどうするとか、沖縄の米軍基地をどうすべきだとか、公務員の天下りを禁止して予算の無駄遣いをなくすにはどうしたらいいかとか、今の日本が直面している問題にはほとんど声を上げてこない。たしかに今や野党になり、打倒民主党しか頭にない自民党の議員たちにしてみれば、国民の生活のことなどどうでもいいだろうが、民主党の議員になったタレント政治家たちは何をやっているのか。

こんなことなら、タレント政治家などイラナイのである。にもかかわらず、今度の参院選に向けて、民主党も自民党も、あるいは国民新党までもが懲りもせずにタレント候補を擁立しようとしている。
もう自民党のことは言うまい。三原じゅん子を立てようが、堀内恒夫を持ってこようが、はたまたあべ静恵を擁立しようが構わない。勝手にバカをやってくれと言うだけである。

しかし黙っておれないのは、民主党である。

民主党が擁立しようとしているのは、谷亮子であり桂きん枝であり、岡部まりであり、池谷幸雄であり、岡崎友紀であり、庄野真代であり原田大二郎である。このなかでも谷亮子は、もし当選しても柔道で現役を続けロンドン五輪を目指すことは変わらないと語り、「私なら議員もできると思った」と会見で答えた。
これについてはすでにブログでも多くの批判が寄せられているが、詰まるところは谷亮子のような政治の素人が、五輪を目指す片手間で政治をやって、日本をよくできるかということにかかっている。
はたして谷は、国家財政の問題を、国民の生活の問題を、沖縄の米軍基地の問題をどうすれば解決できると思っているのだろうか。記者会見のときには民主党が政治とカネの問題で批判を受けていることについて聞かれても、「これからより良い方向に向くと信じている」と述べるだけだったと言うが、他の重要な問題についても「これからより良い方向に向いていくと信じている」としか考えていないとすれば、大問題だ。
谷亮子だけではない、岡崎友紀や池谷幸雄以下のタレント候補者たちも、政権党として重要な仕事が待っているというのに、どれほどの覚悟を持ち準備をしているかといえばはなはだ心許ないとしか答えようがない。

明らかに、彼らは民主党の頭数をそろえるために動員された名前だけの存在であり、民主党としても大した期待をしていないことは明白だ。こんな候補者ばかり並べて、どうか参院選でも過半数を取らせてくださいと言っている小沢一郎以下の民主党は、選挙民のことをバカにしきっているのであり、よしんば選挙に勝ったとしても「国民の生活が第一」という公約を実現する腹など、もはやないといっていい。

今度の参院選では、くだらない野合から出来上がった立ち枯れ新党や舛添新党などは鼻から相手にされず、散々な結果になるだろう。しかし今、国民がもっとも怒りを持って意思表示しなければならないのは、民主党だ。国民をないがしろにし、選挙をもてあそび、公約をないがしろにする政党には、是非とも痛打を浴びせてやる必要がある。
どの政党に投票するかは各人の良識に期待するしかないが、私は地方区・比例代表ともに共産党を記入するだろう。共産党が単独トップになることなどないだろうが、今の政治状況にバランス感覚を取り戻すには、この政党が一定の力を得ることがいちばんだと考えるからである。

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