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映画を観るには想像力とリテラシーが必要だ

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いうまでもなく、すぐれた映画というものは、見る側に対して相応のリテラシーを要求するのである。
私が「ノーカントリー」をすぐれていると感じたのは、単に善と悪が闘うアクションと暴力がすさまじかったからではなく、善と悪という人間的な価値観を超えたところにある「死」の存在が描かれているところに衝撃を感じたからであり、理不尽で無差別に襲いかかる死というものが、きわめて現代的なテーマに通じているところに感心したからである。
血と暴力に彩られた死の前に、人は無力に佇むしかない。そこには絶望が感じられるが、もちろん、この映画はそれだけを答えにしているのではない。残虐で無慈悲な殺戮は、なにも現代だけの専売特許なわけではなく、昔も同じように行われていたという台詞がある。この台詞をとらえて考えれば、死も暴力も普遍的なテーマとして描かれているのが、この作品であり、観客はいくら時代が進んでも人間の本質は変わらないといったあきらめを感じるかもしれない。
あるいは、ラストシーンでトミー・リー・ジョーンズが妻に向かって長々と夢を見た話をするが、その内容は、雪の降る凍える山道を死んだ父親と馬に乗っていく夢だ。父親は牛の角に火を灯したものを持って先に行ってしまうが、自分は父親がきっとどこかで待っていてくれるだろうと感じる。
この話をラストに持ってくることにより、観客は、無慈悲な死と殺戮が描かれているが、遠い未来にはかすかな希望も見えているのだというメッセージを受け取ることもできる。

つまり、すぐれた映画というのはいくつもの答えがあるものなのだ。

さて、このごろ話題になっている「靖国 YASUKUNI」の問題だ。
遅ればせながら、私もひとこと書いておきたい。
YASUKUNI

私が思うには、いちばん問題なのは、映画に対する想像力もリテラシーも欠如している稲田朋美が議員の特権を乱用して試写を要求し、まったく的外れな感想を述べたことにあると思う。

稲田に想像力が欠けているのは、映画を見る以前に、国会議員が政府出資の助成金が出て映画が作られていることを問題視して試写を要求することがどういう影響を与えるかということに対してまったく想像力を働かせていないということだ。そのようなことをすれば検閲と受け止められることは容易に想像がつくことなのに、稲田にはそれがわからなかった。
そしてリテラシーに欠けているのは、さまざまな受け取り方が可能であることがすぐれた映画であることを理解せず、自分の物差しだけを当てはめて「靖国神社が国民を侵略戦争に駆り立てる装置だったという政治的メッセージを感じた」と感想を述べた点にある。それは稲田が感じたひとつの感想に過ぎないものであり、映画「YASUKUNI」のすべてを語りうるものでは決してないということを、稲田は理解していない。そういう見方をすることもできるかもしれないが、そうではなく、今まで靖国神社に対して特別な思い込みや知識を持っていなかった人が、改めて靖国神社について考えるきっかけを与えてくれた。その点で、この作品は高い評価を得たはずなのだ。
稲田程度のリテラシーでは、せいぜい「恋空」のようなケータイ小説を映画化したものでも見ていればいいだろう。

議員による検閲ではないのかという批判が起きるのは当然のことなのに、稲田は卑怯にもまともに答えようとせず、逃げ回っている。このような議員に税金が支払われていることの方が、私としては問題視したい気持ちだ。

また、自民党の水落敏栄参院議員、有村治子参院議員は、この作品が助成対象としてふさわしくないと、助成金の返還を求めている。
しかし、そもそもこの映画は文化庁の決して緩くはない審査をパスして助成金を得たものであり、それを今さら蒸し返すのは、たんなる難癖をつけるだけの幼稚な行為である。
靖国神社を映画の題材にすることは英霊や御霊に対する不遜であるという有村の言い分も、無理がある。それならば、これまで数え切れないほど作られてきた戦争を題材にした映画すべてが、戦争で犠牲になった人々に対して不遜であることになり、すべて上映禁止にしてDVDなどは販売禁止にしなければならないだろう。そんなことは不可能だし、ナンセンスだ。

靖国神社はとくべつな存在である、と議員たちはよくいうが、どこがどう特別なのか。その特別なところがいいのか悪いのか、ひとつひとつをはっきりさせる者がいない。われわれから見れば、彼らは自分の主義主張に都合よくこの神社を利用しているに過ぎないように思われる。

靖国神社は国が、先の戦争で亡くなった人々を祀る神社だが、そこには強制連行された朝鮮人の遺骨や、戦争犯罪人として処刑された人の遺骨もいっしょくたに祀られてしまっている。そのいい加減さが反発を呼び、国際問題に発展する。合祀問題をどう考えるか、どう処理すべきかを明らかにすることが政治的意味合いを持つことそのものなのであり、そのことを論じるのが目的ではないドキュメンタリー映画を撮ることに政治的な解釈をこじつけるのは、映画作家に対して失礼なことだと思う。

いずれにしても「YASUKUNI」がすぐれた映画かどうかは、議員が判断することではなく、一般の人々が見て判断すべきことである。そして判断するには、この映画が上映される機会を持つ必要がある。この点において、ようやく公開に踏み切る映画館が増えてきたことは喜ばしいことだと思う。
偏狭な右翼思想による妨害は、警察の手によって排除される必要がある。

われわれには、すぐれた映画を観る権利があるのだ。


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コメント
この記事へのコメント
稲田さんは、上映には一言も触れていませんね、上映は自由でしょう。
彼女の言わんとするのは「文化庁」が助成金を出した理由を聞いているだけ、議員としての750万円の税金の使い方が正常なものなのかを質問している、又彼女の了解も得ず彼女が映画の中に出て来る、彼女は言わないが肖像権の問題は起こりえることでしょう。
過剰・異常反応・・・・朝日新聞の広告料に6千万円出しているプロダクションが何故「文化庁」の750万が必要なのか?当然「文化庁」の名が映画に入れば国が承認した事になるのが欲しいだけと勘ぐられても仕方がないでしょう。
2008/04/08(火) 16:30 | URL | 観音崎 #kU3g/2a6[ 編集]
稲田議員は公費750万円の助成金の是非を見るために試写会を要請しただけです。(助成を受けるためには条件がありますから。)質疑を見ましたが、文化庁の担当職員の助成金決定過程のいい加減さに呆れました。以後はしっかりと検討していただきたいものです。
2008/04/10(木) 06:08 | URL | kaze #3rBS7m.w[ 編集]
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