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きわめて現代的な「死」を描いた映画「ノーカントリー」

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4月4日の「世に倦む日々」のエントリを読んで、ずっと心の中に澱のように沈んでいる言葉がある。
この日、取り上げられていたのは青森県八戸市で起きた、母親による8歳の息子絞殺事件のことだった。東京で結婚し、子供をもうけたが離婚して八戸の実家に息子と2人で帰ってきた母親。自宅に引きこもりがちだったという母親に、何があったのかはわからない。しかし、いつもそばにいて、母親が苦労している様子を見てきた息子は、「おかあさん」という題名の詩を書き、それが学校の教師の目にとまり、コンクールに応募して入賞を果たした。その詩の内容は、母親に対する愛情にあふれるものだった。
母親に対して深い愛情を持ち、全幅の信頼を寄せていたであろう8歳の息子の首を、30歳の母親は電気コードで締めて殺害した。

なんとも痛ましい事件がまたひとつ起きたわけだが、私の心に染みついて離れないのは、thessalonike4氏による以下の言葉だ。

「私にはどうしてもこういう問題とは自分を向き合わせなくてはならないのだという気分がある。それに触れずに先に行くことができない。何が起きているのかを考え、言葉にしなくてはいけないと思い、最も適切な言葉は何だろうかといつも思う。格差社会の戦場にいるのだ。それが私自身が最も納得できる言葉である。新自由主義の砲弾が飛んできて、隣にいた人間の頭部を吹き飛ばしたり、前を歩いていた人間の内臓をぐしゃぐしゃに潰して、死体が散乱して血だらけになった地面の上を歩いているのだ。戦場だから、次の瞬間に砲弾の犠牲になるのは自分だから、誰にも何も声をかけず、目を背けることもせず、ただ生体が死体になる事実だけを喉からのみこんで歩くだけなのだ。戦場では弱い者から犠牲になるのだ。イスラエルの地上軍はガザの子供を銃で頭を撃って殺すが、日本の新自由主義は日本の弱者の子供をこうやって殺す。」
土浦殺人事件
われわれは戦場に暮らしている。
目には映らず、耳にも聞こえないが、新自由主義の砲弾や銃弾が降り注ぐ修羅場の中で生きている。その言葉が、重く心にのしかかる。
親が子供を殺し、家族が家族を手にかける事件が相次いで起きている。
また、先月には土浦で無差別殺人事件が発生し、岡山では駅のホームから他人を突き落とすという衝動殺人事件もあった。
それぞれの事件には異なる背景があるが、私にはどの事件も、現代を象徴するもののように思えてならない。それを言葉にすれば「世に倦む日々」の記述と同じことになってしまうのだが。
戦場の中で生きているうちに、われわれの心は荒み、死というものに対する恐れが鈍ってきている。人の死を悼む気持ちはあるが、一方では悲惨でむごたらしい死が日常のことになって心の上層を滑り落ちていく。死はきまぐれに人々の上に訪れて、人間を弄ぶようにして命を奪って去っていく。人はなぜ、このような死に方をしなければならないのか、考えるいとまもなく死んでいく。
これまで、人間はいかに生きるべきかを考えることが人生の大きな命題だったが、今やわれわれはなぜ死なねばならないのかについても考えなければならないときにきている。

本年度の米アカデミー賞で、作品賞、監督賞など4部門を受賞したジョエル&イーサン・コーエン兄弟による「ノーカントリー」を観てきた。
すでにこの作品については様々なことが書かれていることと思うが、何の予備知識も持たずに観に行った私は、この作品がまさしく現代的な死をテーマに据えた、緊張感にあふれる物語として画面に見入った。

冒頭、画面はテキサスの広大な荒れ地を映しながら、保安官のエド(トミー・リー・ジョーンズ)の長い独白で映画は幕を開ける。「今の殺人は、まったく訳がわからない。老人の家に押し入った強盗が、年金を奪っただけで老人を拷問し、殺して穴に埋める。なぜ、そんなことをしなければならないのか」「自分はこの前、少年を死刑にした。彼は殺人を犯したが、理由などなかった。ただ殺したくて殺した。もし刑務所から出ることがあったら、また殺すと言っていた。まったく訳がわからない」――そんなモノローグが続いていくと、警官がひとりの男を逮捕する場面になる。男はおとなしく手錠をはめられてパトカーに乗り、保安官事務所まで連行される。まだ年若い保安官補が電話をかけていると、その背後に男が忍び寄り、手錠をかけた腕で保安官補を絞め殺す。渾身の力を腕に込めながら、どこか恍惚とした表情を浮かべて命を奪っていく。その男の名は、アントン・シガー(ハビエル・バルデム)。この映画の主役といってもいい、異様な殺人者だ。
シガー
画面が替わって、この映画のもう一人の主要人物、ジョシュ・ブローリン演じるルウェリンという男がライフルを構えて鹿を狙っているところをカメラがとらえる。彼は岩でライフルを支え、照準器を使って一頭の鹿に狙いを定める。息を凝らし、全神経を集中させて、鹿の胸のあたりを狙って引き金を引く。
次の瞬間、鹿は一瞬ガクッとよろめくが、銃声に驚いた他の鹿たちと一緒に逃げていってしまう。
獲物を逃したルウェリンは、双眼鏡であたりを見回しているうちに奇妙な光景を発見する。
それは、ギャングたちが麻薬取引で撃ち合いとなり全員が死亡してしまった現場だった。彼はそこで大量の麻薬と200万ドルという大金を見つけてしまう。誰も見ている者はいないが、そのカネに手をつけることは命を狙われることを意味する。それでも彼は200万ドルが入ったバッグを手に歩き去る。
物語は、ここから命がけで逃げるルウェリンと、ギャング組織に命じられてその命を狙うシガー、そして大量殺人事件解決とルウェリン保護のために立ち上がるエドの3つの視点から進められていく。

これ以上、ストーリーの説明は不要だろう。誰が死んで、誰が生き残るのか、そんなことはこの映画は問題にしていない。いちばんの眼目は、「死」というものがいかに理不尽に、しかも気まぐれに人に襲いかかるかという点にある。登場人物の一人がこんなセリフを言っている。
「死というやつは誰の思い通りにもならない。病気で長くはないとわかっていても、死ぬとなればなぜ今日なんだと思わずにいられない」

シガーは金などといった人間的な価値観を超越した存在で、人を殺していく。前を走っている車を止めては、不審気に降りてきた男に世間話のように語りかけ、屠畜用の圧搾ポンプで額に穴を開ける。彼は死そのものであり、彼のそばに寄るものは、カラスだろうと一発見舞われることになる。
しかしこの映画では、とかく関心は異常な殺し屋のシガーに向けられるが、私はむしろルウェリンという「まともな男」が狩りをしている場面が心に引っかかる。
ルウェリンはなぜ、狩りをするのだろうか。食料が必要だから? 毛皮や肉を売って金にするため? それとも、単にハンティングを楽しむだけだったのか。
映画ではルウェリンがベトナム戦争帰りだということが明かされるが、死神そのもののシガーの存在だけでなく、動物を狙い撃つルウェリンもまた、実は確たる理由もなく死をもたらす側に属していることを映画は暗示している。
数多くいる鹿たちのなかから、一頭に狙いを定め、引き金を引く。その一頭を殺さなければならない理由は何もないのだ。鹿に対して、ルウェリンは何も特別な感情を持ってはいない。ただ殺す。そこに獲物がいるから銃を撃つだけだ。シガーは、同じ臭いを持つ存在に感づいたから、導かれるように彼を追いつめようとする。
ルウェリン
思えば土浦で起きた無差別殺傷事件も、岡山で起きた駅ホームでの突き落とし殺人事件も、犯人となった男たちは得体の知れない死神のように被害者に迫り、命を脅かした。彼らは誰かを殺す必然に駆られて行動を起こした。ただし、その必然には意味などなかった。貧困、孤独、絶望、そんな言葉が浮かんでくるが、それこそが新自由主義が日本全国に絨毯爆撃のようにまき散らしている砲弾にほかならない。その砲弾にあたり、人生を粉砕された人間が我が子の首を電気コードで絞めて窒息させる。その銃弾に前途を閉ざされた若者が、見ず知らずの会社員をホームで突き飛ばした。あるいは集中砲火によって仕事の取引がなくなり、経済的に追いつめられた父親が家族を抹殺しようとした。まだ年若い母親が、マンションから我が子を投げ落とし、自分も身を投げた。彼らはみな、新自由主義の見えない狙撃手から照準器で狙いをつけられ、不幸にも被弾してしまったのだ。
ノーカントリー」では、理由なき殺人を繰り返すシガーの存在を現代的な死の象徴として描く。彼に対して、われわれは善悪のものさしすらあてはめて考えることができない。純然たる死に、いいも悪いもない。死の前に、われわれはただ膝を屈するしかない。
その言いようもない挫折感と絶望感。
きわめて現代的な死の問題をわれわれに反芻させつつ、この映画は幕を閉じる。

なぜ人は死ななければならないのか。その死は、どうして訪れたのか。これからは、その背景を思いつつ、「現代の死」に向き合う必要がある。そんなことを考えさせる映画だった。

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コメント
この記事へのコメント
ノーカントリーが半額レンタル期間になれば、必ず観ねばならんリストにチェックさせられる内容でした。
私は悲しい事件の背景に「新自由主義」を読み取る力はありませんが、なろへそ・・・・とも感じる部分がありました。
2008/04/07(月) 01:38 | URL | モンテもん吉 #tz/xCSdw[ 編集]
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