●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン
このことは菓子・製パン業界で昨年から深刻な状況となっており、業務用バターの不足はおそらくあと1年くらいは続くと見られる。
しかし昨日の朝日新聞夕刊では、バター不足が業務用だけでなく、家庭用にもおよびはじめていることが報じられている。
スーパーでの品切れおよび購入制限、学校給食のメニュー変更などの動きもあるようだ。
こうした深刻な状況を招いたのは何か。
新聞では、新興国の消費量が拡大したこと、飼料価格が値上がりしたこと、さらにオーストラリアの干ばつが重なってバターの国際価格が上昇、一部の食品メーカーが輸入から国産に切り替えたために国内の在庫が減ったことをあげている。
さらに、国内では原料の牛乳余りが続き、06年度から減産されたこと。そして牛乳が高く売れる飲料やチーズに優先的に回され、バターや脱脂粉乳に回される分が06年度で前年比7%減少、07年度にはさらに4%減った。そのために現在のバター不足現象が起きていると解説している。
これもすでに書いたことではあるが、今回のバター不足、その結果これから必然的に起きるだろう大幅な価格の上昇は、1にも2にも、日本の農政が見方を誤ったことに原因がある。
なぜならば、上に掲げた要因のうち、予測不能だったものは昨年のオーストラリアの干ばつくらいであり、その他のことは国際情勢を見極めておけば予測できたことだった。
さらに国内の牛乳余り現象を、安易な乳牛の殺処分という方法で調整したために、乳牛を増やすのに時間がかかり、その結果、生産量を回復させるのに時間がかかるようになったのだ。
つまり、農政は目先のことだけを見て1年先、2年先のことを見るのを怠ったために、このような事態が生じたということができる。
なぜ農政は、先を見ることができなかったのか。
目先の問題を見て対処するのは官僚の仕事であり、農水省の官僚たちは見事にその手腕を発揮して06年度に乳牛を殺処分する通達を畜産農家に出したのだろう。
しかし、このときもし農水省のリーダーである農水大臣がしっかりしていて、先を見越す能力を備えていれば、今日の事態は避けられたはずである。
なぜなら、リーダーとは常に先のことを考えて決断を下すのが、もっとも重要な役目だからだ。
現在の状況を招いたということは、2006年から現在に至る農水相は、リーダーとしての仕事をなさず、ほとんどを官僚に任せていたということだ。
2006年から現在までの農水相は誰が務めていたか。
小泉内閣当時の中川昭一(2005年10月~06年9月)
安倍内閣当時の松岡利勝(06年9月~07年5月 自殺)
安倍内閣 若林正俊(07年5月~6月 臨時)
安倍内閣 赤城徳彦(07年6月~8月 バンソウコウ大臣)
安倍内閣 若林正俊(07年8月 環境大臣兼任)
安倍改造内閣 遠藤武彦(07年8月27日~9月2日)
安倍改造内閣 甘利明(07年9月2日~3日)
安倍改造内閣・福田内閣 若林正俊(07年9月4日~現在)
なんとまあ、こうして見るとわずか2年半の間にこれだけ大臣の首がすげ変わっているのだ。
個々の大臣の資質はおいておくとしても、これではリーダーとして1年先のことを考えるヒマもなかったことだろう。明らかにリーダーとして失格だった男たちもふくまれているが、1%くらいは彼らに同情してもいいような気持ちになってしまう。
なるほど、これではバターが品不足になり値上がりするわけだ。
やはりこんな事態を引き起こした、いちばんの責任は首相にあるだろう。
大臣が不祥事を起こすたびに、首相の任命責任が問われてきたが、こうして見ても、安倍晋三という男がいかに人を見る目がなかったか。そして日本の政府がいかに農政を真面目に考えてこなかったかがわかる。
今、社会では原油の高騰に端を発してさまざまな品物の値上げが、次々と国民に襲いかかってきている。
それに対して政府は何ら手を打とうとしていない。
福田康夫は、多くの大臣を安倍内閣から引き継いで組閣をしたが、彼はリーダーとして何を見て自分の内閣を作ったのだろうか。農政の不始末ひとつを見ても、それが疑問だ。
そして福田康夫という男は、これから何をやろうとしているのだろうか。
海自が起こした殺人事件ではへこへこと被害者宅を訪れて人のいいところをアピールして見せたが、日銀総裁人事では、あきらかに人品が劣る武藤敏郎を野党から否定されて「困った、何が悪いのかわからない」とうろたえる。
とても1年先、2年先を見越して国を運営していこうとしている人間には思えない。
彼はいったい何をしようとしている総理大臣なのだろうか。
日本の農政の失敗を見ているうちに、私の心配はいやが上にも日本の国政の不安におよぶのである。
3月3日に行われた毎日新聞の内閣支持率調査では、不支持率51%。
私にはまだまだこの数字は低すぎると思えてならない。
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それでも、ときどきカミサンにつきあって買い物に行くことがある。
数日前もワインのつまみにチーズでも、と近くのスーパーに行った。
すると、チーズの隣に置いてあるバターの棚がやけにスカスカになっているのに気がついた。
棚には、
「ただ今、バターの入荷が少なくなっています。在庫は陳列してあるものだけになりますのでご容赦ください」
と貼り紙がしてあった。
ついにここまで来たか。
バターが不足しているという話は、昨年から聞いていた。
ある仕事で、パティシエとパン屋さんに話を聞く機会があったからだ。
バターが品薄になってきている。普段から取引が大きい店はいいが、町場の小さなお菓子屋さんやパン屋さんには行き渡らないことがある。商品を作るには欠かせない材料だから、業務用の品物を卸してもらえない店は仕方なくスーパーに走り、小売りの商品を買いあさっているというのだ。
今はなんとか商品を卸してもらっている店も、乳製品の価格が高騰し始め、苦労しているという。バターの在庫が切れて、マーガリンを使い始めているところもあるという。
「ウチはマーガリンなど使わない」と言っていた店が、今度はマーガリンの価格が高騰して手に入れられず、青くなっているという。
なぜ、こんな事態になったのか。
それは日本の農政が失敗したツケが回ってきたからである。
ことは2006年にさかのぼる。
当時、牛乳の消費が減って売れ残りが深刻な事態となっていた。
これを見た農水省は、牛乳が売れないのなら生産調整すべしとお達しを出した。
いかにも単純な解決法で、わかりやすいったらありゃしない。
しかし、農水省が出したお達しとは、単に牛から搾る乳の量を減らすというのでなく、乳牛そのものを殺処分することを意味する。
おかげで酪農農家にいる乳牛は食肉となり、目標通り数が減った。
これで目出度しと思いきや、去年の夏は猛暑だった。そのため残った乳牛がバテてしまい、お乳を出せなくなってしまった。その結果、牛乳が不足し始めた。
普段ならばこんなとき、オーストラリアが助けてくれる。
ところが、ご承知の通りオーストラリアは歴史的な干ばつで牛乳を輸出するどころではない状態。仕方なく、オランダなどヨーロッパの酪農国に頼み込んで牛乳を手配したのだそうだ。
もちろん高価格で。
けれども、そうやって入手した牛乳も、まずは飲料用に使われる。製造に手間のかかるバターは後回しで、飲料の次はヨーグルトなどの液状乳製品にまわされる。そして最後に回されるのがバター・チーズの固形乳製品となる。
しかし、せっかく作ったバターも、まずは購買力の高いスーパーなど量販小売店が優先的に仕入れていく。
メーカーにとっては安く買いたたかれる大口加工用のバターは、最後の最後にしかまわってこない。しかも量が限られているわけだから、スーパーに走るパン屋さんも出てくる。
スーパーの棚がスカスカになるわけだ。
そしてさらに悪いことには、乳牛を殺してしまったために牛乳をもとの生産量まで戻すのには、あと2年くらいかかるというのだ。
牛乳があまったら、牛を殺してしまえ。この単純すぎるバカな発想しかできなかった農水省のおかげで今、日本のバターはほんとうに不足してきている。不足しているから当然、価格も上がっている。可哀想な乳牛たち。そして可哀想な日本の国民。そのうち日本中のスーパーからバターが消えるかも?
しかもおかしいのは、飲料の牛乳は今のところ供給できているのだからバターにまわせばいいだろうに、農水省にはその融通を利かせることができない。あくまでも、飲料の次はヨーグルトを作るのであり、バターは最後に作られることになっているからだ。
つくづくおかしな国だと思うよ、この国は。
今年は小麦の価格が30%以上あがるし、このままだと乳製品全体の価格も上がるのは確実だ。大変な思いをするのはお菓子屋さんやパン屋さんだけではすまないだろう。
で、2006年当時、牛を殺させた農水省のトップは誰だったかというと、こいつらだ。
自分で自分を殺処分してりゃ、世話ねえや。
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