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生活者の声が聞こえてこない道路論議

ここでは、「生活者の声が聞こえてこない道路論議」 に関する記事を紹介しています。
ガソリン暫定税率が、いつの間にか今国会の問題の焦点になり、あちこちでこの問題が論じられている。これについては、すでに述べているとおり、はなはだ不審であり、不満を持っている。暫定税率よりも重要で急を要する問題があるだろうに。

しかし、議論されている以上、私にも思うところがあるので書き記しておきたいと思う。

まず、地方都市に暮らす私たち家族は、車が生活の必需品であること。
毎日の買い物はもちろんのこと、病院に行くにも、映画を見に行くにも車で片道30分から1時間かけて行かなければ目的地に到達できない。子どもが友人に会うといって出掛けるにも、駅まで片道10分ではあるが、車で送っていかなければならない。もちろんバスは通っているが、1時間に数本しか運行していないバスは、たまたま電車の時間と合うのでない限り使えない。電車だって1時間に3、4本。少ない時間帯には2本しか来ないのだ。
そういう環境に生活していると、走行距離は年に1万5000キロ近くなる。近頃は燃費のいい車が多くなってきているが、わが家の場合、それでも月に120リッター程度給油しなければならない。ということは、リッター150円として18000円がガソリン代としてかかる。そのうち税金として負担しているのは2900円あまりということになる。
年に換算すれば35000円ほど。これが減るとありがたいと思うかどうかだが、私は大いにありがたいし助かると思っている。
だから、暫定税率は廃止になった方がいいと思う。

もうひとつは道路の問題だ。
議論では、無駄な道路がいかにも多い、それが問題であるというのが主な論調だ。
たしかにそうだろう。ほとんど車が通らない山奥に立派な道を造ることに、どれほどの意義があるのかという主張はわかる。
道路の特定財源を悪用して、一部の官僚や政治家が懐を肥やし、土建業者ばかりが潤うという現在の社会構造もおかしいし、是正されるべきだと思う。

しかし、地方に暮らしてみると痛感するのだが、地方の生活道路というのはいまだにおそろしく貧弱なのもまた、事実である。
たとえば農村の場合、生活道路はかつての農道を改修したものが多いから、狭かったり曲がりくねっていたりする。昔からの旧街道を舗装しただけで使い続けているから、道幅は狭い。その狭い道を大型のトラックやバスが運行しているから、危険であるうえに渋滞することが多い。
山間の道では土壌改良が十分でないまま舗装された道が使われているところがあり、そういうところではしょっちゅう道路のあちこちが陥没する。車で走っていても不快だが、私のように2輪車も使う者は、非常に神経を使いながら走ることを強いられる。

以上のことを考えると、道路は生活者にとってはまだまだ必要な部分が多いのである。
新しく高速道路を造れというのではない。生活に必要な道路の整備がまったく不十分なのだ。
ゆえに、道路特定財源を一般財源化するのには、疑問がある。

道路を語るとき、また暫定税率を語るとき、どうして皆は人気のない道路を無駄の象徴としてあげ、道路はもう十分だと言い切るのだろう。
どうして政治家や土建業者の声を取り上げて、生活者の声には耳を傾けないのだろう。
問題は、道路が十分でもう造る必要はないのではなく、無駄な道路が造られている一方で必要な道路が造られていないことにある。それを差し引きしたうえで、道路特定財源が必要なのか、暫定税率の維持が必要なのかを論じなければ、意味がないのではなかろうか。
いままでの論議を耳にしたり読んだりしてイライラしてしまうのは、生活者から見た「道路」がほとんど語られていないということだ。

私は今『ローマ人の物語』を読んでいるが、その第10巻はローマのインフラストラクチャーについて語られている。
インフラストラクチャーとは生活基盤とか社会基盤などと訳される言葉だが、2000年前のローマは帝国中に高速道路にあたる舗装道路をめぐらせ、上下水道を完備させていた。それでいてインフラストラクチャーを現す言葉がなかったという。しいて探せば「モーレス・ネチェサーリエ」という言葉で、それは「必要な大事業」という意味をもつ。そしてこの言葉には、「人間が人間らしい生活を送るためには」という一句がつけられているのだという。

人間が人間らしい生活を送るためには、道路は必要なのである。
そして、ローマでは必要な道路を張り巡らし、維持管理を怠らなかったために800年の間実用に耐えた。それどころか、一部の道路は21世紀の現在も利用されている。道路とは、単なる社会設備のひとつではなく、後代に残す遺産でもあるのだ。
しかし、今の日本では、ローマの時代から2000年がたった今も、人間が人間らしい生活を送るために必要な道路が十分に整備されていないのが実情だ。

「道は、人が足で踏み固めただけでもできる。だから、人間の住むところならば、道は必ず存在する」と、塩野七生は書いている。それでもあえて、ローマ人は完全に整備舗装された道路を造り上げたという。国家百年の計を考えれば、道路は国にとっての動脈でなければならず、人と物産の流通が自由に行われなければ国の繁栄は求められないからだ。一連の議論で、百年の計にもとづいて、どれだけ議論が行われているのだろうか。私はそのことに危惧を感じている。

今の道路行政で、いちばん問題なのは、国家百年の計に基づいて道路が造られているのでなく、一部の利権に基づいているからであり、それゆえに無駄が目に余るということではないか。
この点をきっちりと論じ分けてからでなければ、真に意味のある論議はできないのではないかと思う。
以上のことを念頭において民主党のこれまでのやりかたを見ていると、いかにも手法がまずく、説得力に乏しいといわざるを得ない。ガソリン値下げ隊などと称するパフォーマンスも、ただただ幼稚なものに映るばかりで、これでは有権者の支持を得るどころか、関心さえもまともに引くことはできないだろう。
野党第一党がこのていたらくでは、自公政権はほんとに政治がやりやすかろう。
まったく忌々しいことだが、この国では政治家たちによるまともな議論が行われていない。そのことに私のイライラは募るばかりなのだ。


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2008/02/23(土) 00:50 | | #[ 編集]
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