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餓死者が出るなか、ベースアップを第一に掲げていていいのか

ここでは、「餓死者が出るなか、ベースアップを第一に掲げていていいのか」 に関する記事を紹介しています。
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大阪住吉区にあるマンションの一室で、元派遣社員と見られる49歳の無職の男性が栄養失調状態で死亡していたことが16日までにわかった。住吉署によると、収入がなくなったために餓死した可能性があるという。

調べによると、14日午前、マンション管理人が昨年11月から滞納していた3ヶ月文の家賃を請求するために男性の部屋を訪問したが応答がないため、合い鍵で室内に入ったところ、ベッドで仰向けになって死亡している男性を発見。

男性はひとり暮らしで、死後約1ヶ月が経過していた。発見時に室内にあった現金は90円で、冷蔵庫は空だった。解剖したところ、男性の胃にはほとんど何も残っていなかったという。
男性は昨年1月~5月にも家賃を滞納していた。このときは「銀行に派遣されてコンピュータ関連の仕事をしていたが、病気で長期間休んだため仕事を失った」と話し、実家に連絡を取って家賃を支払った。しかし昨年11月から再び滞納、管理会社が督促したが電話もつながらない状態だったという。

職を失い、経済的に行き詰まった人が生活保護も受けられずに餓死した事件としては、北九州で起きた50代男性のことがすぐに思い浮かぶ。
「おにぎり食べたいよー」と最後に書き残して死んだ、この男性の事件は今も生々しく、事実上生活保護を打ち切った役所の非道と日本社会のセーフティネットの貧弱さがあらためて浮き彫りになった。

今回、餓死したと見られる男性は生活保護を受けていた形跡はなかったようだが、どうして生活保護も受けないまま餓死死ななければならなかったのか。
あるいは北九州のケースのように、役所が申請を受けつけなかったのかもしれないし、男性側の方に生活保護を受けられない何らかの事情があったか、あるいは生活保護を受けることに対する抵抗感が結果として今回のような結果を招いたのかもしれない。

しかし、人間が餓死するまで追い込まれるというのは、想像を絶するものがある。
所持金がなくなり、電気、ガス、水道を止められる。通話料が払えないから当然、電話も使えなくなる。
都会に住んでいながら、まるで無人島に置き去りにされた人間のような状況に陥ってしまうのだ。無人島ならば、魚を捕ったり野草を食べることができるから、まだ希望があるかもしれない。
しかしマンションの一室でただ一人、食べるものもなくベッドに倒れ込んでしまった男性にはひとかけらの希望もなかったのではないか。
派遣という、まったく保障のない仕事をしていたがために起きた、現代の不幸である。

昨日、経団連と連合が会合を開き、事実上の春闘がスタートした。
このなかで、連合は8年ぶりにベースアップを求め、雇用問題に関しては労使が協力して望むことにした。しかしこのなかで、非正規社員を守るための具体策は何も語られていなかった。
年越し派遣村に500人もの職を失った人々が集まった現実、そして派遣の仕事を失ったがために餓死にまで追いやられた人がいるという現実。それらを見れば、連合はベースアップよりもまず非正規雇用の問題を第一に挙げるべきではなかったのか。
経団連の御手洗冨士夫に対して、理不尽な雇用調整を止め、非正規雇用をなくす対策を第一に迫るべきではなかったのではないか。

連合としてみれば、労働者の生活を守ることが第一なのだから、ベースアップを要求するのはごく当たり前のことなのかもしれない。
しかし、非正規雇用者の問題を後回しにして正規雇用者の生活を第一に掲げていたのでは、今後、労使の対決よりも労労間の対立が大きな問題になる恐れがある。
同じ仕事をしていながら、正社員はベースアップもあれば各種の保障がある。片や、非正規社員には何の保障もないばかりか、雇い止めになれば住み家を失い路頭に迷うおそれがある。次の仕事が見つからない限りは収入もなく、その先にあるのは餓死するか自殺するか、犯罪を犯すかしかなくなるだろう。
このままでは日本社会がますます荒んだものになっていく。
連合には、この流れを断ち切るべく運動していく責任があるのではないか。

景気が後退し、仕事の量が減れば賃金カットが行われる。
労働者としては何としても避けたい状況である。
それは当然だろう。
しかし、それとは比べものにならない生命の危機にまで追いやられる労働者がいることを、労働運動をするものは決して忘れるべきではない。
連合は正社員の組合員が組織の中心になっている団体なのだから、どうしても正社員の生活を守ることに目が行ってしまうのだろう。
しかし、職場の中で正社員と非正規社員との対立が激しくなり、労労間に憎悪が芽生えるようになったのでは労働運動そのものが成り立たなくなる恐れがあるだろう。
連合には、正社員だけでなく非正規社員をも取り組んだ労働運動のあり方を探ってほしいものだ。
そして、正社員と非正規社員が一致して、御手洗冨士夫を筆頭とする経営者側との団交に望んでもらいたいものだ。

仕事を失うことが、路頭に迷ったり餓死することに直結する今の社会のあり方は、明らかに間違っている。
悲惨な事件や犠牲者を生み出さないためにも、連合にはもっと真面目に考えた春闘のあり方を考え出してもらいたい。
今回の連合が出した要求には、大いに失望した。

連合の高木剛は、非正規社員の救済と雇用の確保を大々的にぶち上げるべきだったのだ。

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関連タグ : 春闘, 連合, 非正規社員,

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この記事へのコメント
フンニャメロさんのご意見にまったく同感です。もうずいぶん前から「企業の社会的責任」と言う言葉が使われるようになりました。企業は投資家だけのために在るのではない、何よりも社会的存在としての企業は、単なる法律遵守ということではなく、社会的な信頼と社会貢献を目指すことによってその存在が認められるのだ、という考え方がまともな経営者の中では次第に認められるようになってきたことです。御手洗さんに、どうですかと聞けば正面きって否定できないでしょうが、自分からは絶対に言わないことでしょう。高木さんはどうでしょう。労働組合は、労働者の権利と生活を守るためにあるのだ、ベースアップ要求は労働運動の社会的使命なのだ、と言って、企業の社会的責任とは、次元の違う話だとこたえるでしょうか。そんなことでは、困るではないか、と言うのが、フンニャロメさんのご意見と受け止めました。
企業経理者は、投資家の利益ために努力する、労働組合はそこで働く労働者の生活と権利のために戦う、企業資本家と労働組合は団結権を武器とした労働市場での取引をめぐって、自由な市場競争の中で利益を争い会う、こういう団結権主義による労働運動がどんな結果になったか。労働組合運動の社会的責任は、企業の社会的責任と同じような意味を持つものだと言うことを理解してほしいものです。社会的責任と言う問題についての自覚なき企業経営者と労働組合指導者が同じ市場競争至上主義という土俵の中で、今日の社会状況の泥沼を作り出したではないか。と言うのが、私の意見です。
2009/01/19(月) 15:30 | URL | 河原の枯れすすき #-[ 編集]
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2009/01/16(金) | 晴天とら日和
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