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人の善意をくさして得意がるブロガーの醜悪さ

ここでは、「人の善意をくさして得意がるブロガーの醜悪さ」 に関する記事を紹介しています。
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年末から正月にかけて、東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が設営され、派遣切りされて行き場を失った人々が続々と集まったのは連日報道された。その数は当初予想された人数の3倍近くまで達し、あらためてこの問題の深刻さをうかがわせた。なかには所持金が10円しかないという人や、それまで住んでいた寮まで追い出されて行くあてがなく、このまま野垂れ死にするしかないと諦めかけていた人もいた。
そう言う人々にとって、善意で開かれた「年越し派遣村」はほっと安心できる場所であったに違いなく、1600人も集まったボランティアの人々に接することは、少なからず心の救いになったはずである。

ほんらいならば、契約途中での雇い止めなどはあってはならないものだし、契約が終わったのだから年末であろうと寮からも出て行けと迫るのは人の心を踏みにじる冷たい仕打ちであって、決して容認されるものではないはずだ。
けれども、去年は9月以来の異常な経済状態に襲われたおかげで、企業はそうした非道な行為を当然のこととして行った。
この状況は、まともな神経を持っている者からすれば誰が見ても異常であり、企業はおのれの利益を守るために人権を踏みにじる行為をしたと非難されてしかるべきである。

そして、こうした事態が生じたときには、国や自治体が動いて路上に閉め出された人々を救うべく手を差し伸べる手だてを講じるのが当たり前なのだ。しかし、国も自治体も路頭に迷った人々がいることを知りながら何も手を打とうとしなかった。
だから湯浅誠らが立ち上がり、日比谷公園に「年越し派遣村」を作ったのだ。そしてここに500名からの人々が救いを求めて集まったことがニュースとなり、全国に知れ渡ったおかげで厚労省がようやく重い腰を上げて講堂を開放するということになった。その行為のどこが、ポピュリズムだというのだ。

私は湯浅誠らが行ったことは快挙だったと思っているし、彼らの行動がなければ国は動かなかっただろうし、路頭に迷った人々からは凍死する者も出ただろうと思っている。

ところが、多くの「愛読者」を持つブロガーの池田信夫は、そのブログの中で「『派遣村』の偽善」と題するエントリを上げ、「年越し派遣村」のことをおちょくっている。池田に言わせると「年越し派遣村」なるイベントは与野党のポピュリズムに利用されており、民主党の鳩山幹事長が派遣村に対して「本当に働く気持ちのある人がいるのか疑わしい」といった坂本政務次官の解任を要求したのには唖然としたと書いている。完全失業者は250万人もいるというのに、なぜ日比谷公園に集まった500人だけを特別扱いするのか、というのである。
池田は、竹中平蔵の盟友である木村剛の文章も引用している。

日比谷公園のテントでわざわざ年越しをする必要があるのだろうか、というそもそものところから、やや不自然なものを感じます。政治活動を主目的に活動している方がいるような気がしてなりません。故郷があるのなら、帰省のための交通費を貸してあげた方が親切なのではないでしょうか。

池田の分析によれば、「年越し派遣村」運動の中核になっているのは労組や共産党の活動家で、労使紛争を派遣切りという看板に置き換えて巧妙な運動を仕掛けたのだということになるらしい。
以下、池田の文を引用する。

そもそも住宅を供給するのは、企業の義務ではない。会社をやめたら寮を出るのは当たり前だ。わざとらしく日比谷公園に集まって役所に住居を斡旋させるのは筋違いで、それに応じる厚労省も不見識だ。これが500人ではなく5万人だったら、彼らは同じことをするのか。「製造業への派遣労働を見直す」とか言い出した舛添厚労相は、彼の軽蔑しているみのもんたに成り下がったのではないか。こういう状況で、誰も派遣村を批判できない気分はよくわかる。私も、かつて取材する側として、こういう「絵になる」ネタはよく使わせてもらったが、こういう事後の正義が日本経済をますますだめにするのだ。

悪意の目を持って「派遣切り」の事態を見れば、このように映るのか。
池田は、住宅を供給するのは企業の義務ではないと書いているが、そもそも派遣会社と契約した時点で労働者たちは強制的に寮に入ることを義務づけられたのではなかったか。そのうえで、派遣会社は彼らから寮費や光熱費を給料から天引きして儲けを獲っていたのである。
つまり1999年以降改悪された労働者派遣法によって劣悪な労働条件を強いられるようになった労働者が、景気の悪化にとってこんどは一方的に首を切られ、寮を追い出されたのである。池田のように企業側・派遣会社側の視点で見れば寮から出るのは当たり前に思えるのだろうが、血の通った人間の目で見れば、そもそも労働者派遣法を改悪したことからして間違いだったのであり、この制度を悪用して労働者をモノのように扱うようになった企業に問題がないわけがない。

池田は役所に住居を斡旋させるのは筋違いだと言うが、今度の派遣切り問題は、企業が起こした人災に他ならず、被害者たちは被災者と呼ぶのがふさわしい。被災者が出たときに役所が救援に手を差し伸べるのは当たり前のことではないのか。
池田は500人ではなく5万人だったら湯浅誠らは同じことをしたかと疑問視しているが、もし派遣切り労働者が5万人も出ていたら、それこそ社会の大問題として多くの人が受け止め、もっと多くの人々が湯浅たちに協力することだろう。

つまり、湯浅誠たちがやったことは賞賛されこそすれ、妙なイチャモンをつけられるいわれはまったくないのである。

自称「経済学者」を語る池田には、今起きている事態が、財界と政治によって起こされた人災であると言うことがわかっていない。地震が起きて家を失った人を救済しようとする人々に対しても、池田のような数字物事を考えられない人間は、ポピュリズムだとか公金のバラマキだとか勝手な言葉を並べて批判するつもりなのだろうか。

派遣村の活動を批判せず、自治体までが出てきて救済に乗り出すという「温情」が、今後の日本経済をダメにするとしたら本末転倒というものだろう。
そもそも労働者派遣法を改悪し、非正規雇用の割合を世界のどこよりも多く利用するようになったこの国の経済のあり方の方が、日本経済全体にとって悪影響を及ぼしているのである。

池田は、その後のエントリでも湯浅誠の『反貧困』を取り上げ、「旧態依然たる格差社会論」にすぎないとこき下ろしているが、池田に根本的に欠けているのは、現代の格差社会がもたらした貧困をいかにしたら救えるかという人道主義的な思いである。血の通った人間の思いがなければ、『反貧困』を理解することもできないということを、池田は自ら白状しているようなものだ。
池田信夫のような人間には、ぜひとも派遣切りに遭って職と住居を一気に失った人々の声を直に聞いてもらいたいものだ。
そして、池田なりに彼らのために何ができるのかを考えてもらいたいものだ。

くだらない批判だけは、もうたくさんだ。
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関連タグ : 池田信夫, 派遣村,

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2009/01/09(金) 05:04 | | #[ 編集]
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