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ペットロスと仇討ちの関係

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小泉毅による元厚生次官連続襲撃事件では、犯行の動機が34年前に殺処分された愛犬の仇討ちだったことが供述から明らかになっている。小泉は、図書館で10人の高級官僚の名前と住所を調べて5人に絞り込み、その妻ともども10人を襲う計画だったという。

しかし、この報道を目にして、犬を飼ったことのある人間、そして犬を喪って辛い思いをした経験のある人間ならば、誰もが違和感を抱くに違いない。
というのも、愛犬を喪ったときの痛みは多くの場合、他人よりも自分自身を責めることにともなって生まれるからだ。
小泉の場合は、まだ12歳の頃のことで父親をふくめた大人たちが勝手に犬を処分してしまったという理不尽さに怒りを募らせたという事情はある。しかし、だからといって34年間も恨みを忘れず、処分には直接関わっていない官僚を殺すことで気持ちを晴らそうとしたところに異常性がある。

たしかに、愛犬(愛猫)が死んだ時、それが獣医の不手際によるものだった場合は、その獣医に対する怒りが生じる。
見知らぬ自動車にはねられてペットを喪った場合にも、ひき逃げした自動車の運転者を憎む気持ちが湧いてくるだろう。
だからといって、普通の飼い主は怒りをため込み、仇を討とうとはあまり考えないものだ。愛する動物を亡くした悲しみがまずなによりも大きくて、それに耐えることが精一杯になる。たとえ藪医者の手にかかって殺されたに等しい場合でも、そんな獣医のところに連れて行ってしまった飼い主としての自分を責める。
ペットが自動車にはねられたのならば、外に出してやった自分を責める。自分さえしっかりとこの犬(猫)のことを見てやっていれば、みすみす死なせることはなかったのではないかと思ってしまうのだ。

私の場合がそうだった。
私は小学校4年生のときに、それまで3年飼っていた猫を自宅の前でひき逃げされた。キヨコという、水前寺清子から名前を取ったオス猫だったが、私にいちばんなついていて、夜寝る時にはかならず私の布団に入ってきて一緒に寝る仲だった。
そんなキヨコが遊びに出て行ったまま夜になっても帰ってこない。オス猫はメスを求めて夜歩き回るなどと親から聞かされていたものの、玄関先でなにやら異常な自動車の音がしたと思って出てみると、道路端にキヨコが横たわっていたのだった。腹をひかれたらしく、アスファルトには夜目にも夥しい血糊が広がっていた。

キヨコは庭先に穴を掘って葬ったが、彼がひかれた玄関先の道にはずいぶん長いこと血糊の跡が消えずに残っていたのを今でも覚えている。
あのとき、私はキヨコをひき殺した自動車の運転手をたしかに恨んだ。しかし、その憎しみよりも、毎日一緒の布団に寝ていたキヨコがいなくなってしまった悲しみの方が大きく、それに堪えるので精一杯だった。

9年前にパグ犬のココを亡くしたときも、後から思えばもっと腕のいい獣医に診せていれば助かったかもしれないと思ったが、パグ犬が暑さに弱いのにもかかわらず、夏のさなかに無理をさせて熱中症を起こさせてしまった自分がいちばん悪いと思った。医者は私を非常識だとかえって責めたが、そんな言葉も上の空だった。
当時、すでにうつ病の傾向があった私は、まだココが元気だった頃、辛さにたまらず「一緒に死のうか」などと話しかけたことがあった。

ココが先に逝ってしまった悲しみは大きく、私は数日呆然と過ごし、自動車で1時間ほどかかる寺まで行って、ココが眠っている墓に手を合わせ、すまないことをしたと詫びた。
それからしばらくたって、私の夢にココが現れた。そして自分が死んだのは、お前に命を大切にしろと言いたかったのだ、簡単に「死のう」などと考えてはいけないと伝えてきた。
私は夢の中で声を上げて泣き、目が覚めてまた泣いた。

その悲しみのなかで、おそらくは藪医者だったろう獣医に対する怒りは消えていった。もちろん、満足に治療もできなかったうえ、私を責めた獣医への怒りはあったが、愛犬に対する思いの前に、そんなものは些細なことだった。

愛犬を無責任に棄てる人間がいる。
「患者」として運び込まれた犬や猫に対して、ひどい治療をする獣医がいる。
少し前には手術をして死亡した犬の内臓から、あり得ないビニール袋が出てきたことで訴えられた獣医がいた。この獣医は他にもひどい治療をして多くの犬猫を殺したとして100件以上の訴訟を起こされているという。
飼い主たちは皆、怒っていると同時に悲しんでいるだろう。獣医を許せないと思っているだろうが、恨みに思って仇を取ってやろうとは思っていないのではないか。愛する動物を喪った悲しみも怒りも、外ではなく内に向いていくからだ。

それだけに、34年にもわたって恨みを忘れず、見当違いな仇討ちを実行してしまった小泉毅の異常性は際立っている。
小泉は、ほんとうに犬を愛していたのだろうか。
どうも私には、そうとは思えない。
小泉は、社会の中で上手くやっていけない鬱屈した気持ちを転嫁させただけなのではないか。
あるいは誰かにその鬱屈した気持ちを利用されたのではないか。

実際、専門家たちも小泉のとった行動には疑問を投げかけている。
朝日新聞の記事では、精神科医の帝京科学大学准教授・横山章光氏のコメントとして「ペットをきちんと飼っていれば前向きな感情が強まるはず。小泉容疑者が犬を可愛がっていたというのは本当の意味でなのか、と考えてしまう」と紹介している。横山さんはさらに「家族を巻き込む意志があったところが異質」と指摘し、「思いこみによる恨みだけではなく、その先にもう一つのねじれがあるのではないか。病理を感じる」とも語っている。

日本ペットロス協会の吉田千史代表も、同じような疑問を明らかにしている。「子供のころの復讐というのは、表面的な理由にしか見えない。こんな事件は許されるものではなく、ペットを失ったことのある人も心を痛めていると思う」

ペットロスとは自分を苛むものではあっても、決して他人を攻撃するような感情を生み出すものではない。
殺処分数

ただし、この国で無責任な飼い主により毎年50万匹もの犬・猫が殺処分になっている現実や、不要になった動物をモノ同然に処分しているペット業界の闇の部分には、私も強い憤りを感じている。
そのことだけははっきりさせておきたい。

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関連タグ : 小泉毅, 殺処分, ペットロス,

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