
大方の予想通り、何の波乱もなく自民党総裁選は麻生太郎を第23代総裁に選出した。
麻生の得票数は国会議員票と地方票を合わせて351票(有効投票数525)だった。ちなみに他の4候補の得票数は、与謝野馨が66票、小池百合子が46票、石原伸晃が37票、石破茂が25票だった。
麻生は挨拶の壇上に立ち、挨拶で「新総裁に選ばれたのには天命を感じる」と述べ、さらに「真の意味での天命を果たすのは総選挙で民主党に勝った時だ」と気炎を上げた。
これで目出度く自民党の茶番も幕引きとなったわけだが、麻生に言われるまでもなく国民が本当に注目しているのは解散総選挙となったときに政権の行方がどうなるかということだ。
麻生も馬鹿ではあるまい。ご祝儀相場で自民党支持率が上がるとしても、今の逆風下ではそれほどの効果は期待できないと踏んでいるに違いない。
だとすれば衆議院を解散するにもタイミングを見計らうことだろうが、批判的な麻生ウオッチャーからすれば、この男が遠からずまた失言をすることにより、解散の時期は望むと望まざるとにかかわらず早まるだろうと思われる。
そこで今日は、麻生内閣誕生を記念し、また一刻も早く解散総選挙となることを祈念して、これまでの麻生太郎の問題発言・失言をまとめておくことにする。
「下々のみなさん」
衆議院選挙に初出馬した1979年の演説で登壇して開口一番、支援者に対して。このころから麻生太郎には選民意識が強かったことがうかがわれる。
「創氏改名は朝鮮人が望んだ」「日本はハングル普及に貢献した」
2003年5月31日、東京大学学園祭においての発言。麻生は日本統治時代の朝鮮・台湾に対しては肯定的側面もあったとしている。
「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも糖尿病という時代ですから」
2003年10月20日のホームレスについての発言。当然ながら、差別的であるとして各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから抗議を受けたが、麻生は発言撤回をしていない。
「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」
総務大臣在任中の2005年10月15日、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞で。
「シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」
2006年1月9日、福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連して。イスラエルのシャロン首相が脳梗塞で倒れたことを受けて発言したもので、当然ながら配慮を欠くと非難された。
「金正日に感謝しないといけないな」
2006年7月8日に広島市内で行なった講演で、北朝鮮がミサイルを撃ち、主要国が重大な関心を持ったことについて。
「隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」
2006年10月、中川昭一自民党政調会会長が核武装も選択肢として考えておくべきだと発言したのを受けて。日本は自由な発言ができる国だとして語ったものだが、核容認論は許されるべきではないはずだ。
「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」
2007年7月19日、富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして発言。野党からの反発はもちろん、与党からも参院選に悪影響がおよぶと懸念され、塩崎恭久内閣官房長官からも「適格性を欠く」と批判された。翌7月20日に謝罪した上、撤回。
「酒は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」
2007年7月20日、アルツハイマー発言の翌日に鳥取県倉吉市での演説で。連日の失言である。麻生とは、懲りない男なのだ。
「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? 農協は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」
2008年2月、中国製ギョーザによる中毒問題に関連し熊本市での講演で。こういう短絡思考の男が国を率いていくかと思うとゾッとする。
「ナチス・ドイツも『1回(政権運営を)やらせろ』と言ってああなったこともある」
2008年8月4日、福田改造内閣組閣後に江田五月参議院議長と会談した際、民主党を批判した上でナチスに例える発言を行い、民主党関係者から猛抗議を受けた。
「(認証式のために)陛下の日程をあけておけ」
2008年9月、首相でもない麻生が宮内庁に指示を出した。
「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」
2008年9月14日、JR名古屋駅前での自民党総裁選候補としての街頭演説の中で、前月に岡崎市など愛知県内で3人の死者を出した平成20年8月末豪雨に関して発言。麻生がその場限りの人気取りに懸命な男で、被害に遭った人々に対する思いやりに欠ける男だということを端的に示した。
これに対し岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧について出来る限りのことをする。」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した。お詫びは人任せの麻生太郎。
「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなぁ」
2003年9月21日、引退前の最後の自民党総務会で野中広務が最後の発言として、麻生による上の発言を非難した。講談社刊『野中広務 差別と権力』に記載。これに対して麻生はこの発言をなかったものと否定している。野中広務はいまだに麻生を許していない。
この他、麻生太郎は公明党と太いパイプを持つことで知られる。また、統一教会との関係では勝共推進議員の一人であり、国際勝共連合から送り込まれた一人の統一教会(世界基督教統一神霊協会)信者を秘書として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道されたが、本人は週刊誌の取材に対し、統一教会との関係を全面否定している。
また、麻生の実家である麻生財閥は麻生炭坑で韓国人徴用者を強制労働させて財を築いたがこれについて頭の麻生は「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」と話している。
どうせ短命内閣で終わるだろうが、たとえ短期間にせよこんな男に率いられるかと思うと、私は軽い目眩を覚えるのである。
とりあえず、当方の現段階での麻生分析はこちら。お気に召しましたら、どうぞ。
http://harepanda.blog.so-net.ne.jp/2008-09-22
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