●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン
問題の三笠フーズから汚染米を仕入れて酒を造っていたメーカーはもちろんのことだが、それ以外のメーカーも「焼酎はあぶない」というイメージが先に立ち、消費者が買い控えることが予想される。
その損害を考えると、関係者は頭が痛むだけでは住まないだろう。
今日の西日本新聞では、商品を自主回収した酒造メーカーの苦悩を伝えている。回収にかかる費用はもちろんのことだが、在庫として残った日本酒や焼酎の処理にも莫大な金がかかるというのだ。
たとえば美少年酒造(熊本県)の場合、8月中に出荷した日本酒約3万本の自主回収を始め、工場にも約38万本分の在庫が保管されている。しかし回収した酒を処理するには、酒税法に基づいて密売を防ぐための処理をしなければならない。
>同社によると、廃棄する場合は、事前に国税局に申告し、製品に塩を入れて飲めなくする「不可飲処置」を施すことが必要で、税金がかけられている酒が密売されないようにする目的がある。処置が終了すると、廃棄物処理業者に委託して、廃棄するが、緒方伸太郎副社長は「ものすごい額になるだろう」とため息をつく。保管の費用もかさむばかりだ。
>光酒造(福岡県粕屋町)も1月以降に出荷した米焼酎など約5万本の自主回収を行っているが、処理についてはまだ決めておらず、光安直樹社長は「バイオ燃料として再利用できないかも検討している」という。
メーカーにとっては金がかかることも頭が痛いが、それ以上に「杜氏が心を込めて作った酒を捨てることは忍びなく、悲しい」。
それは本心だろう。
酒好きの一人として、私も心が痛む。
ただ、私はここで素朴な疑問を呈しておく。
これらの酒造メーカーでは、これまで原料米にそれほど神経を使ってこなかったのだろうか。もちろん事故米を買わされたのは卸業者に騙されたからに違いないが、そもそもそうした米は普通の米よりも相場でいえばずっと安かっただろう。
これらの酒造メーカーはこうした安くて限りなく品質にこだわりをもたない米を買い付けて、酒を作っていたのだろうか。
以前、私は酒蔵を訪ねたことがある。
その蔵は、規模は小さいけれども江戸時代から続く酒蔵で、先代の跡を継いだ若社長が自ら杜氏として酒造りに加わり、今までにないふくよかな香りと柔らかい味わいを持つ日本酒を作り上げて全国的な話題となった。
その杜氏でもある若社長が言っていた言葉を思い出す。
「いい酒を作るには水、米、そして酵母が大切なのです」
昔からいい水が湧き出る土地といい米が取れる土地ではいい酒が作られてきた。水でいえば京都の宮水は有名だし、米でいえば新潟などの米所が銘酒の産地としても知られている。
酒造りに使われる米は酒造米といって、一般のうるち米とはまったく違うものだが、酒蔵では狙った味の酒を作るために米の選別を行い、これに磨きを掛けて芯に近い部分だけを原料にする。
要するに、品質のいい米を使わなければいい酒などできないのである。
「酒というのは非常に単純な素材で作る。それだけに繊細で、出来上がるまでは神経を使わなければならないのです」
磨き上げた米を蒸して、これに蔵酵母をふりかけ麹を作る。これを製麹(せいきく)という。麹室で厳密に温度と湿度を管理しながら酵母を繁殖させる。そうして出来上がった麹に水を加えて発酵させる。
ごくごく簡単に工程を説明すれば以上のようになるが、これは焼酎の場合もそれほど違わないはずだ。(もちろん、焼酎の場合はこれに蒸留という大きな工程が加わるのだが)
だとすると、大切な原料米にごく安い米を使い、それがために事故米を買わされていた酒造メーカーが作っていた酒とはどんなものだったのか。調べてみると、焼酎には日本米よりも輸入米(インディカ米)が適しているということだから、日本米よりは安い米が使われていたことは想像がつく。
それにしても、事故米を仕入れたメーカーはどこかでおかしいと思わなかったのだろうか。
幸か不幸か、私は焼酎が苦手なのであまり飲まないが、それでも今回の事件で名前が挙がったいくつかの銘柄は口にしたことがあるし、美少年酒造の酒はたしかに呑んだことがある。辛口の、悪い酒ではなかったと思う。
しかし、これらのメーカーが酒の命ともいえる米の仕入れでこのような泥をかぶってしまったのには、酒造メーカーとしてどこかに手落ちがあったのではないか。
素朴な疑問が残る。
今、もっとも痛い思いをしているだろうメーカーを責める気にはまだなれないが、これは一消費者として持たざるを得ない疑問でもある。
はたしてわれわれは、これまでどんな酒を飲まされていたのか。