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介護の問題はペットにもおよぶ

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ウチには4匹の犬がいる。
2匹は今年9歳になるパグのオスとメスで、夫婦犬。7年前に5匹の子犬を生んで私が取り上げ、そのうちの一匹を家に残している。
もう1匹は5年前、私がパキシルという薬を処方されたときに躁状態になり、家族の言うことも聞かずに劣悪な環境にあったペットショップから買い取ったフレンチブルドッグのオスである。
家に来てすぐ、寄生虫のために死にかけたり、ひどいアレルギー体質で病院の世話になったりと、育てるためには金も手間も相当かかった。家人には今でもときどき「なんでこの犬を飼おうと思ったの?」と問われるが、そのときは犬を見て、飼うことしか考えられなかったのだから仕方がない。
もちろん、今ではかわいい家族の一員としての座を獲得している。

人が見れば愛犬家と思うことだろう。しかし、犬4匹を飼うというのはもちろん楽しいけれども大変なことも多いものだ。だから私は、うかつに他人に犬を飼うことを勧めようとは思わない。前にも書いたが、動物を飼うにはそれなりの覚悟が必要だからだ。癒しを求めるだけでは決して動物は飼えないし、飼ってはいけないと思っている。このことについては、また改めて書くつもりだ。

梅太とこもも

今回書こうと思うのは、年老いてきた2匹の犬たちのことだ。
犬も7歳を超えると老犬の部類に入れられる。
それに合わせたかのように、メス犬が膀胱を悪くした。メス犬には多いらしいが、石ができやすくなったり細菌に感染しやすくなって、そのたびに病院から抗生物質をもらわなければならなくなった。石の方は、尿がアルカリ性になるとできやすいらしく、酸性に保つための処方食を食べ続けなければいけないことになった。
この処方食が結構高い。そして、膀胱が細菌感染すると膀胱炎を起こして頻尿になるので、オムツもしなければならない。
精神的にも経済的にも結構な負担である。

つれあいのオスは、子犬の頃からしつけのしやすい犬で、ほとんど粗相をしたことがなかった。わが家ではいちばんの優等生である。
ところが、この犬が最近どうも呆けてきた。一日中ストーブの前で寝ているが、急に起き出すと誰もいない方を見て吠え始める。散歩をしていても突然吠えだして驚かされる。周囲には何もないのに。
そして、このごろ、頻繁に糞を粗相するようになった。我慢がきかなくなったようで、朝起きると散歩に出掛ける前に家の中でしてしまう。
「お前も呆けてきてしまったのか?」
私は犬を抱き、頭をなでながら聞いてみる。犬は黙って目を閉じている。

家の中で飼育されるようになり、栄養状態も良くなったおかげで、犬の寿命も最近は伸びていると聞く。パグの場合は平均12歳と本に書いてあったが、知り合いの家では15歳まで生きたパグがいた。もう両目が見えなくなっていたが、最後までカクシャクとしており、眠るように息を引き取ったという。

さて、ここで私も考えなければいけないのは、犬たちの老後のことだ。
わが家の犬たちも最後まで元気に過ごし、苦しみもなく眠るように逝ってくれれば、淋しいけれど飼い主としての責任は果たしたと思えるだろう。
しかし、慢性的な病気を抱えたり、あるいは本格的な痴呆がはじまってしまったら、どうしたらいいのだろう。犬たちの面倒を見るのはもっぱら私の役目だから、何とかしなければならない。
しかし、介護は大変な問題だ。

家には90に近い老人がいる。カミサンの母親なのだが、昨年の半ば頃から急に呆けてきた。
まず排泄がうまくできなくなり、トイレや家の中を汚すようになった。オムツを使うようになったが、しばしば洋服を汚したり布団に漏らす。一時は家中にその臭いが広がり、義母がそばを通ると思わず顔をしかめずにいられなかった。汚れたものがあっても自分では始末をしないので、悪臭に耐えられず、私は悲鳴を上げた。カミサンはパートに出ており、十分な世話ができずに困っていた。
悪臭と痴呆が始まった老人の存在は、正直なところ、私にとって大きなストレスだ。

その後、義母は介護認定で要支援2となり、施設のデイサービスを受けるようになった。
秋にはカミサンもパートを辞めて、母親の介護に専念できるようになった。
義母は、一度、肺炎で入院し、さらに痴呆が進んだ。同じ部屋にいる老婆たちを見回して、「あれはみんなお父さんが囲っている女だ」と娘に話したという。昼夜の別がわからなくなり、テレビは好きだがスイッチの入れ方がわからなくなった。
退院後の介護認定で、今度は要介護3になった。デイサービスは変わらず受けているが、要介護になった分支出が増えた。年金で賄っているが、オムツ代などを差し引くと後にはほとんど残らないとカミさんは言っている。ポータブルトイレを購入し、部屋で用を足すようになったが、その始末はカミサンがする。文句を言わずにやっているが、その負担はかなり重い。そして相変わらず、家の中には老人の糞尿の臭いがかすかに漂っている。

犬の介護とヒトの介護。
それが自分の愛犬であり、自分の親であれば、その面倒を見るのは当たり前であり、人間の美徳とされるのかもしれない。
けれども、介護の問題はどこまでも重くのしかかる。
この先、私はこれまで愛してきた犬たちの最期を看取ってやれるのか不安だ。
衰えていく一方の母親を、カミサンはどこまで看てやれるのか、また看てやらねばならないのか、それもまた不安の種だ。
ことに人間の場合、今の制度では個人に対する負担が大きすぎる。親の世話をするのは当たり前だという建前だけでは持ちこたえられるものではない。経済的に、精神的に、介護問題は家族を縛り、追い詰めていく。
全国で、介護の果ての親殺しや心中が後を絶たない。しかし世間を騒がす悲惨な事件は、決して他人事ではない。介護とは、それ自体、すでに悲惨なのだ。

人間ならば、殺せば事件になり罪を負うことになる。
しかし犬の場合、「処分」されてしまう数はどのくらいになるのだろう。それを想像すると、ぞっとする。自分がその手の解決にはしらずにいられるかを思うと不安になる。
「お前のことが、大好きだよ」
そう思っていられるうちに、安らかに逝ってもらいたいと、わが年老いた犬の顔を見て思うことが、このごろ多くなった。
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