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みのもんたは何も変わってない

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ネットの産経ニュースで「みのもんた 何が変わってしまった?」という記事が出ていた。
要するに、テレビをつけると毎日のようにみのもんたが登場している。彼の話術にかかると、つまらない問題も重大問題のように思えてくる。時事問題でも絶妙の合いの手を入れて、見ている側をうなずかせてしまう。
まるで魔術のような語り口だというのだ。

そして、記者(ライター?)は思い出す。
そういえば、みのといえば昔、プロ野球ニュースの「好プレー、珍プレー」で大いに楽しませてくれた。彼の話術で、単なる落球や転倒が一編のコントに生まれ変わる。その巧みさには舌を巻いた。

ところが、最近のみのは不二家問題で暴言を吐いたり、コメントを拒んだ相手に対して「映っちゃってるよ、もう」と笑ってコメントして訴えられたりするようになった。何かが変わってしまったようだ、と疑問を投げかけている。

しかし、傲慢で無神経なみのもんたは昔から変わってはいないのだ。
だいたいにしてから私はあの「好プレー、珍プレー」なる番組が大嫌いだった。見ていて不愉快だった。
作家の山口瞳も生前、苦々しく思っていたらしく、「人が一生懸命にやっているプレーを笑いものにするのはどうか」と書いていた。
私は小膝を打って同意したものである。

そうなのだ。
みのもんたの本質は、人が一生懸命にやっていることをネタにして高いところから(いわゆる上から目線? ケッ!)茶々を入れ、笑いものにする。それを売り物にしてきたところにあるのだ。そして、自分がそうやって人を傷つける可能性が高いことをしていながら自覚するところがなく、むしろその手法を拡大させて今日まできてしまったのだ。反省することなく、金儲けの手段にしてきたのだ。
なにひとつ変わってなどいない。変わったとすれば、面の皮がますます厚くなり、神経が太くなって他人のことを思いやることが絶望的なまでにできなくなっていることだ。

しかし、そのみのもんたをテレビ局も大衆も受け入れている。受け入れて面白がっている。
みのが吐き出す暴言を、世論であるかのように思い込んでいる。
変わったとすれば世の中の大衆と呼ばれる人々の感覚が鈍り、いっそう扇動されやすくなっている点だろう。言葉の中身を吟味する前に、雰囲気だけで判断してしまう。その傾向が強くなってきたことだろう。みのをはじめとするポピュリストたちにとって、これほど生きやすい世の中はないだろう。橋下徹は、この世の中の流れを利用したに過ぎない。

テレビを見て、みのもんたがおかしいと言う前に、鏡を見て自分はおかしいのではないかと、産経の記者は書くべきなのである。
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関連タグ : みのもんた, ポピュリスト,

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