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高みから笑われる左派系ブログのあり方を考える

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私は本質的に右翼は嫌いだから、政治ブログを読むとすれば大抵というか、自然に左派系ブログを読むことになる。
しかし左派系ブログにもいろいろあって、現在の自公政権を倒すことがとにもかくにも急務であるとし、敵の敵は味方とばかりになんと右派系ブログと連携して目的を遂げようと乱暴な発言をしているものもあれば、自公政権を倒す目的は同じとしながらも、それに替わる政権が民主党でいいのかと疑問を投げかけるブログもある。民主党がダメというならばどこが替わりに立つべきかといえば、社民や新党日本あたりが中心となって連立を組むべしという案もあれば、共産党にはたらきかけて野党連合を組むべしという考えを示すところもある。
百花繚乱といえば大袈裟に過ぎるかもしれないが、一口に左派系ブログといっても決して一枚岩でないことだけはたしかだ。
そのうえ陰謀論や疑似科学の類が絡み合ってくるから、様相はよけいに複雑なものとなっている。

さらに左派系ブログ界にはもうひとつ変種があって、これら左派系ブログの動きを一段高いところから見下ろし、手厳しい批判を加えるものがある。私が苦笑しつつも勉強させてもらうことが多い「世に倦む日々」などはその代表格といえるだろうが、こうしたブログに問題があるとすれば、あまりに高みからものを言うことが多いために大衆蔑視に陥りやすいという点だろう。
明晰な頭脳を使って現状を分析し、社会に指針を与えようとするのはいい。
けれども、それがエリート主義の衣をまとい、「われら少数エリートが愚かなる大衆を導いてやる」ような言説を取るようになると、肝心な大衆の方が離れていってしまうという矛盾をはらんでいる。

たしかに自民党を倒せ、公明党は怪しからんと声高に叫び、事あるごとに政治家や官僚を茶化し、愚弄するだけでは社会全体の動きには結びつきにくいだろう。
現政権を倒すためには小異を捨てて大同につく必要があるとはいっても、その次にくるものが「とりあえずは小沢一郎を代表とする民主党に政権を取らせる」だけでは、あまりに大雑把すぎて納得が得られない。
現政権を倒すという目的を共有するまではいいが、その後の詰めをきっちりしておかなければ結局のところ、大衆蔑視の大先生に嘲笑われて終わることになるだろう。

今さら言うまでもないが、政局とは生き物である。
福田政権に異を唱え続けて首相が目出度く交代したとして、その席に座るのが極右の麻生太郎になったなら、こんどはどうするのか。
あるいは政界再編の動きが活発になり、自民と民主が分裂して新党結成となったときにはどう対応するのか。民主党に巣くっている前原誠司のような新自由主義者が中川秀直らと新党を作れば、民主党支持者たちは膿を出したと喜ぶかもしれないが、果たしてそう簡単に思い通りに事が動くという保証はまったくない。「生活が第一」と言っていたのをきれいに忘れてしまった小沢一郎が、新しい首相になったとき、果たして格差是正や社会保障問題に真摯に取り組む保証はあるのか。そこまで信用できるのか。
こうしたこと一切に目をつぶって大同小異運動をすすめることにどれだけの意味があるのか。

左派系ブログ界の混迷ぶりは目を覆うばかりだと、高みから見るブログ主たちは笑っているが、彼らとしても日本に暮らしている以上は何らかの指針は表明していかなければならない。しかし、そのアイデアが大衆から乖離したものでは結局言葉遊びに終わってしまうだろう。彼らからすれば大衆は愚かかもしれないが、社会を動かす運動は大衆とともになければ成功はおぼつかないのもまた事実なのだ。

現政権を倒すという目標はいい。
しかし、それだけでまとまるのは難しい。左派系ブログが今混迷しているとすれば、まずは陰謀論など余計なものを振り払い、そのうえで原点に立ち返り、反新自由主義、反右翼をいま一度申し合わせ、仕切り直しをすることが求められるのではなかろうか。

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関連タグ : 左派系, 右派, 政権交代, 大衆蔑視,

コメント
この記事へのコメント

左翼という規定を堂々とするようなブロガーの政治表現力の妥当性をあざ笑う立場だが、
大衆蔑視は明確な理由がある。
運良く「なぜ大衆が蔑視されるのか」
という記事を載せたので参考にされるといい。
高みというべきか、それは分からないが視点の多様性、視点のフレキシブルさという問題こそ重要なのであり、
高低という評価もそもそも妥当性がないだろう。
つまり、高い低いという見方の基準が存在しないまま、高低を論じているようでは、説得力がないということである。
もっとも、左翼、右翼なんて意味不明かつ厳密さのない用語と堂々と使える人間の知識、気概、知性など論じるほど崇高でもないだろうし、程度が知れているのである、
その理由は、左翼、右翼という二元論で収束する乱暴なカテゴライズ方法と、その二元論の基準の問題に尽きるのだが。。。。
http://self0507.blog52.fc2.com/blog-entry-647.html
2008/07/14(月) 19:49 | URL | アシS #-[ 編集]
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