今日の朝日新聞では「教え子に何と説明する」と社説で批判しているし、読売は社会面でこの問題を取り上げ、収賄で起訴された県教委義務教育課参事の証言で、教員採用には「議員枠」があった事実を報じている。
今回の大分県の汚職が特にひどいのは、現職の校長・教頭が逮捕・起訴されたために5つの小学校や中学校で校長や教頭が不在になるという異常事態が生じていることで、朝日の社説ではないが、金の誘惑に負けた薄汚い「先生」のことをいったい何と説明したらいいのかという憤りが募る。
とくに私が注目するのは、口利きの実態が自分の息子や娘を教員試験に合格するように図っている点だ。
国政が世襲議員によって劣化していることは常々言われていることだが、ことは国会議員にとどまらず、教員の世界でも世襲化=劣化が進んでいることをうかがわせる。
たしかに自分の周りを見回してみても、教員の親を持つ子弟はやはり教員になっているケースが非常に多い。
同様に、公務員の家庭では子どもも公務員になっていることが多い。
だとすれば、霞ヶ関の役人どもも内情を調べてみれば二世・三世の官僚が多いこと目を驚かすばかりなのではあるまいか。
それら世襲の役員たちのすべてが無能というわけではなかろう。すべてが情実で職に就いたというわけでもなかろう。
しかし居酒屋タクシーをはじめとする、浮世離れした金銭感覚、生活に困っている者に対して生活保護の申請を拒否する冷酷さなどは、人の痛みを知ることがない人間が役人になっているために生じている現象とはいえないか。
大分県教委の汚職問題では教員採用制度の透明化など、改革案がいくつも出されるだろうが、ことは教員制度だけでなく、公務員全体のものとして考えていく必要がある。公務員採用・人事には、それを専門に行う独立機関の設置なども考えていくべきだろうし、なによりも議員同様、世襲を排する方法を講じる必要があるように思う。
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