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気持ちを伝えることの難しさ

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あの男とだけはつきあってくれるなよ。

私はそう思い、カミサンにも娘本人にも言い伝えておいた。

けれども、娘が就職して関東の端にある自宅からの通勤が困難となり、都内に部屋を借りて独立することが決まったとき、よりにもよって娘がその男とつきあっていることが分かった。

娘は、部屋を見つけると言っては休日になると朝早くから出かけ、夜は終電ぎりぎりで帰ってくることが多かった。今日は友だちの家に泊まるからと、夜遅くなってから連絡してくることもあった。
少しでも時間ができれば、娘は家を出て行った。
はじめのうち、私は、なかなか部屋が決まらないのだと思っていた。
けれども、いつまでたっても部屋は決まらず、娘が家を空ける時間は多くなるばかりだった。
免許を取りに通っていた自動車学校も、「あの学校は波長が合わない」と言い出して行くのを止めてしまった。
もったいないとは思ったが、私は勝手にしろと言っていた。

娘は朝、暗いうちから起き出して風呂を沸かし、ひとり湯を使って早い電車で出て行く。そして友だちと会って、一緒に部屋を探す。その友だちとは娘の中学校時代からのつきあいで、娘が高校に上がるのと同時にわが家が都内から引っ越してからは、しばしば泊まりに来たこともあるグループだった。

5、6人のそのグループのなかには男友だちも数人ふくまれていた。
仲良しが娘の部屋に来て、雑魚寝をしているのはまあ仕方がないと思っていた。

けれども、その中に一人だけ、許すことができない男がいた。

その男は時間にルーズで、あるとき、皆と一緒にわが家に来るはずが一人だけ遅れ、翌朝早く来たのを娘が迎え入れていた。
朝食のとき、私がリビングに入っていくと、前日きた連中のなかに新しい顔がひとつ混じっていることに気づいた私は、カミサンに「あれは誰だ? 昨日はいなかっただろう?」と聞いた。
カミサンは「なんか、一人だけ後から来たみたいよ」と言った。
私はなんだか面白くない思いでリビングに戻って行ったが、前夜から来ていた連中が「おはようございます」と挨拶をしたなかで、その男はひとり無言でテレビを見ていた。

「なんだあいつは。泥棒ネコみたいな奴じゃないか。人の家に勝手に入ってきて、挨拶もしない」
いったい、どんな男なんだと私はカミサンに問いただした。
カミサンは言い渋ったが、私が怒り出すと仕方なく話し始めた。
その男は中学校の頃から最低の成績で、高校にはようやく入ったものの長続きせず、中退して今ではフリーターをやっているのだという。自営業をやっている親はそんな息子を叱咤するでもなく、好きにさせているともいう。

「駄目だ、そんな奴は」
私は、あの男とだけは娘とつきあわせるなと言った。

ところが、娘はまさにその男とつきあっていたのだった。
朝早くいそいそと出かけていったのはみな、その男と一緒に過ごすための方便だったと分かったとき、私はそれまで新しい部屋を借りるときの保証人になってやるという約束も、用立ててやると言っていた引っ越し費用の約束も、すべてご破算にした。

「今後はいっさい、お前の援助はしない」

私は本人にそう宣言した。

娘は黙って部屋に入っていったが、やがてようやく借りる部屋が決まり、保証人などの手続きが必要になってきたときになって、私に食ってかかってきた。

「お父さん、保証人になるって約束したじゃない。どうして、そういう意地悪をするのよ」
「あんな男とつきあっている限り、援助はしないと言ったはずだ。保証人は自分で探せ」

そう言うと、娘は泣きながら私を殴り始めた。1発、2発……。

私はしばらく打たれてやってから、娘を張り倒した。
「親をだましてあんな男とつきあって。お父さんは絶対に許さないからな」

娘は捨て台詞を残して泣きながら部屋に戻っていき、それから私と口をきこうとしなくなった。
保証人はカミサンの甥っ子に頼み込んだらしい。甥っ子から私に「僕が保証人になってもいいの?」」と連絡がきたが、私はすまないがよろしくたのむと返事した。面白くはなかったが。

引っ越しの日取りが決まり、荷造りを始めると、娘の頭にはもう新しい生活のことしかないようだった。あるとすれば、それは私に対する憎しみだったろう。

「それじゃ、失礼します」

一言だけでも挨拶していったのだから、まだましだったのだろうか。
娘は出て行った。
そしてそれきり、家には戻らなくなった。
カミサンが携帯に電話をかけても通じないことが多かった。メールを送っても返事が返ってくることは稀だった。
「元気にやっているのかどうか、それくらい言ってくれればいいのに」
カミサンも怒っていた。
私はもう、なにも言わなかった。

娘にとって、カミサンは理解者だったはずなのに、誕生日が来ても、母の日が来ても、クリスマスが来ても、正月が来ても、娘からは葉書一枚来なかった。
そうして1年がたち、2年、3年と時が過ぎていった。

成人式はあの仲良しグループと一緒に迎えると言ってきた娘に、カミサンは誂えた着物一式を持って東京まで出かけ、着付けをしてやってきた。そのときとった写真を後で見せられたが、私は何も言わなかった。実際、喜びといった感情は湧いてこなかった。
むしろ勝手なことをしておいて、晴れやかに笑っている娘のことが、さらに許せないと思った。

娘ははじめ、ある製薬メーカーに派遣社員として就職したのだった。
「人間には寄って立つ所が必要だと思う。一人でできることは、ごく限られている。できることなら、なんとか正社員になれるように頑張れよ」
私と娘がまだ口を利いていた頃、私はそう言ったのを覚えている。
それは、寄って立つ所を持たず、いまだに悪戦苦闘している親父からの、せめてものアドバイスのつもりだった。

その言葉を忘れなかったのかどうか、娘は社内で試験を受けて正社員になることができたらしい。
珍しく送られてきたメールでそのことを知ったカミサンは喜んだが、一方で、娘はいまだ寄って立つところを持たないフリーター男とつきあっているのだった。
私から見れば将来に見込みのない、頼りない男に過ぎないのだが、娘はそんな男といると安心できるのらしい。

どうせそのうち、娘もわかるようになって、あんな奴には見切りをつけるだろう。

私はそう思っているのだが、さて、現実はどうなるのかわからない。
娘が幸せならば、それでいいと思うのが親なのだろうか。
いや、そんな甘い考えで幸せになれるほど、今の社会はやさしくないぞ、とも思う。

愚かな選択をしたことに早く気がついて、別れちまえよ。

私はそう思い続けているのだが、人の気持ちを変えることは難しい。
たとえそれが自分の娘であっても。
せめてこちらの気持ちの10分の1でも、娘が汲み取ってくれればいいのだが。

気持ちを伝えること、分かり合うことの困難さを、私はこれからもしばらく味わい続けていかなければならないようだ。

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