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乱暴を承知で、世代論を推し進めてみる

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昨日のエントリでは、かつて「キレる17歳」と言われ社会を騒がせた世代が、今25歳になって秋葉原無差別殺人を起こしたというように書いた。
加藤智大

むろん、これは私の思いつきで、2000年当時17歳だった人々だってキレる人間ばかりではなかったはずだし、むしろ真面目に暮らしている者の方が多かったはずである。
今回の事件を起こした犯人にしても、彼がたまたま25歳だったということであり、その犯行動機を世代に求めるのは無謀というものだろう。

しかし、かつてこの社会では「キレる17歳」が論議を呼んだことは事実であり、議論されたからには何らかの結論が出されていたはずである。
では、西鉄バスジャック事件や愛知県豊川市の主婦殺害事件を起こした17歳が話題となり、マスコミに取り上げられて「キレる若者」が議論の的になったとき、どんな結着に落ち着いたのか。私なりに調べてみた。

まず2005年に社会科学的な調査が行われて、昭和41年、59年、平成10年に発生した少年犯罪を比較すると、14歳から17歳による犯罪が57%から69%に増加したという結果が出ている。これにより少年犯罪の低年齢化の傾向が明らかにされている。
また、2000年に行われた生活者1万人に対するアンケートでも、17歳は現在の生活に対する不満を持っている割合が高いという結果が出ていた。
17歳の不満

つまり、統計的に2000年当時の17歳は、現在の生活に不満を持っている割合が高く、また犯罪を犯す可能性も高いことが、一応ではあるけれどもデータ的には明らかにされたわけだ。

しかし、その結果どんな結論に落ち着いたかというと、結局は家庭での躾ができていないこと。子どもをしっかり叱れない親が増えていることが第一の原因として挙げられた。いわゆる放任教育が行われた結果、キレやすい子どもが育ってしまったというわけである。
これに付随して、学校での教育が適切になされていないという意見も出ていた。
第二の原因としては、セックスや暴力が氾濫するマスコミ情報や出版物、テレビゲーム、インターネットが挙げられた。
ことに愛知県豊川市の殺人事件で主婦をめった刺しにした少年は、「人を殺す体験をしてみたかった」と語ったことが注目されている。巷にあふれる暴力的な情報が、少年たちに悪影響を与えているというわけだ。

その結果、どんな対策が必要とされたか。
第一の原因については、全国民規模で少年たちに対するしつけを改める必要性が説かれた。
第二の原因については、マスコミによる自主規制が求められた。あるいは政府による規制が必要だという声も出た。
さらに、警察に対する批判も行われた。警官による不祥事、警官による犯罪はこの当時も頻発していたので、綱紀粛正を求める声が強かったのは当然だったかもしれない。
そして、もうひとつ、少年犯罪に対する厳罰化の声が高まったことも忘れてはならないだろう。

2000年、17歳によるおぞましい事件が続けざまに発生したときの社会の反応は以上のようなものだったのだ。

それから8年たって、状況はどう変わったか。
私の感覚では、厳罰化は確実に進んだが、その一方で8年前の事件を教訓に家庭や社会での教育が変わったようには思えない。
学校にいたっては「ゆとり教育」がその後も続き、その弊害がようやく見直されたとはいうものの、改善策は単に授業数を増やすことであったり、小学3年生から英語教育をしようというアイデアが出されたりといったものだ。安倍政権では道徳教育に力を入れるべきという声があったが、それは8年前の事件を教訓にするのとはまったく別の目的で叫ばれたものだった。

マスコミによる自主規制はどうなったか。
たとえばオウム真理教による松本サリン事件などが起きたときには、取材手法をふくめたマスコミの報道姿勢が問題になったが、表現の自由の問題をふくめ、いまだにはっきりしたガイドラインは決められていない。テレビ放送については、視聴者の苦情に対応するための第三者機関として97年に「放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)」が設置され、これが発展する形で2003年に「放送倫理・番組向上機構(BPO)」となった。これによって一応の管理機能をもつようにはなったが、マスコミ全体でいえば、いまだに場当たり的な自主規制が今も行われていると言うべきだろう。
また、漫画・アニメ・ゲームについては、警察庁による表現規制法検討会がもたれ、その規制法の検討が続いている。インターネットの規制についても、昨今は規制が強く求められている。

こうして見てみると、8年前にあれだけ社会を驚かせた事件があったというのに、日本社会はその後もそれほど反省することなく、せいぜいが家庭での躾に気をつけましょう的な結論で手を打ってしまったことがわかる。

その一方で、社会全体はバブル崩壊後の長期不況を迎え、その後、小泉政権による新自由主義社会へと雪崩を打って変わっていく。
つまり、2000年当時、強い不満を抱えた17歳たちは、なんら手当を受けることなく自己責任で勝ち組と負け組に選別される社会に放り込まれたと言えるだろう。
彼らが社会に対する不安を常に抱え、金を消費して羽目を外すよりは堅実に貯蓄に励むようになったというのも、こうして見れば当然の成り行きだったのではないかと思う。

小泉純一郎による悪魔のような規制緩和は、その一環として労働者派遣法を改悪した。つまり非正規雇用を増やすことによって企業側には非常に都合よく、反対に労働者側にとっては常に不安がつきまとう労働環境が整えられてしまったのだ。
不安を抱えたまま成長した17歳は、勝ち組になった者はいいけれど、負け組にまわった者はますます社会に対する不満を募らせていったことだろう。

ここからは私の勝手な想像だ。

今回の事件は、単なる異常者による犯行ではなく、社会が作り出した犯罪であり、その大本をたどれば2000年当時の事件を見ておきながら何ら根本的な解決策をほどこさずに過ごしてしまった社会と、相変わらず無責任なマスコミ、そしていちばん責められるべきは新自由主義を導入することによって社会をますます悪くし、国民に絶望と憎悪を与えた政府に原因があると、私は思う。
加藤智大は絶望的な憎悪を秋葉原で爆発させた。
その残虐な行いは十分に責められるべきものであり、間違っても讃えられるべきではない。
けれども、私のなかでは彼が行った孤独なテロリズムがどうにも哀しく、残念でならない。彼の行為は、己が抱え続けてきた怒りに対して常に冷淡だった社会に対する強烈なメッセージだったと思えてならないのだ。

たしかに、世代を一括りにして事件を語るのは乱暴かもしれない。しかし、あの「17歳」世代は、社会の歪みに対してもっとも敏感な世代だったと見ることもできるのではないか。
なぜなら、今の社会に対する不満や怒りは誰もが持っているはずなのだ。持っていても、誰一人立ち上がることなく、ブツブツと文句を言う程度で済ませてしまっている。それを常識ある大人と見るのはひとつの価値観であって、今の真綿で首を絞められるような社会状況に我慢できずにキレてしまうのも、人間としてみれば不器用ではあっても決して異常とはいえない反応なのではないかと思えるのだ。

今の20代の若者たちは、たしかに私などが同じ年頃だったときよりも真面目で堅実な考え方を持っているかもしれない。
就職し、真面目に働いて社会に貢献している人も多いだろう。
私などよりよっぽど立派に生きている人が多いだろう。
それは認めよう。
事件現場

けれども私は、ごく一握りかもしれないけれども、キレやすく怒ると何をするかわからない若者が他にもいるだろうと思うし、彼らがこの先、どんな化学反応を起こしてどんな行動を起こすかということを考えずにはいられないのだ。
新たな事件が起こったとき、やはり世間はまた異常者の犯行と考えるのだろうか。

今のままの社会状況が続く限りにおいて、私にはどうもそう考えることができないのだ。


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