上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。

「愛国心」――この厄介なもの

ここでは、「「愛国心」――この厄介なもの」 に関する記事を紹介しています。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
映画「靖国 YASUKUNI」が東京で公開され、満員の盛況だったようだ。
どちらかといえば地味な部類に属するドキュメンタリー映画が、これほど注目を集めた背景には、やはり稲田朋美ら自民党の右派議員による「事前検閲」問題が注目されたからだ。この映画の出来映えがどんなものなのか、地方に住む私には見ることができないのがなんとも残念だが、今回の映画は、結局のところ、稲田らが考えている「愛国心」の概念に中国人監督の手になるドキュメンタリー作品がいたく刺激を与えたことが、ことの発端だったように思われる。

ここで問題となる愛国心だが、稲田自身は愛国心を教育問題と絡めて「国を救うには真のエリート1万人が必要であり、その真のエリートとは、いざというときに祖国のために命を捧げる覚悟のある者のことである」という考えを持っている。だから日本は、これら真のエリートを育てるための教育をしていく必要がある、というわけだ。
私からすれば、なんとも鼻持ちならない選民思想であり、半世紀以上も前に日本全国で教育され、その過ちが戦争に結びついた類の愛国心が、今も稲田の心を占めているものだということがわかる。
彼女にしてみれば、靖国神社は祖国のために命を散らした英霊が祀られている神聖な場所であり、反日感情の持ち主かもしれない中国人監督などが、カメラを携えて足を踏み入れること自体がけしからんというのが、本音なのではないか。

この映画の問題にかぎらず、愛国心というものがクローズアップされる場面が近頃やたらと目につくようになっており、それが私の心をむずむずとさせ、居心地悪く感じさせることになる。

たとえば中国政府が行っている聖火リレーだ。
聖火そのものは平和の祭典のシンボルであり、世界融和のメッセージを伝えながら各地をリレーしていくというのが建前になっている。
しかし、今回の聖火リレーでは、自由独立を主張するチベット自治区の人々とオリンピック成功を願う中国人たちとが「愛国心」をむき出しにして対立し、各地で衝突した。
その様子を見るにつけ、また映画「靖国 YASUKUNI」の問題を思い出すにつけ、「愛国心」とは何だろうと考えてしまう。

日本の国家は「君が代」ということになっているが、日本人の中には、今もこの歌に対するアレルギーを持っていて、素直に歌えない人がいる。戦争の時に天皇を賛美する歌として歌われ、「君が代」とともに命を落とした人を思うと、歌う気になれないのだ。
私たちが小学生の頃に習った「君が代」は、やはり天皇である「君」の世が、幾久しく続くようにと願ったうただという、歌の意味を教えられた記憶がある。

ところが、私の娘の世代になると、「君が代」とは母親が子どもの成長を願った歌だと教えられたのだという。さざれ石という小さな石が次第に大きくなって成長し、やがて苔がむすほどまで長生きをすることを願うのだと。

私たちが習った「君が代」は、どちらかというと戦前から伝わってきた、国家賛美の歌としての「君が代」であり、「天皇陛下万歳」という言葉とともに玉砕した日本兵の姿を連想させずにおかない。
だから、私は「君が代」を歌うことに消極的である。
サッカー日本代表が国際試合をするときには必ず試合前に「君が代」が歌われ、試合中にはサポーターたちが「君が代」を歌って応援する。
あるいは、オリンピックで日本選手が金メダルを取ると、その授賞式で「君が代」が吹奏されて観客は、テレビの前に陣取っている人々もふくめて感動することになっている。
サポーターが声援を送り、オリンピックの観客が涙をながすときの「君が代」は、いったいどちらの意味の「君が代」なのだろうか。

今も「君が代」という歌に対して消極的な気持ちを持っている私などは、とてもお母さんが子どもの成長を願って歌っている歌だとは思えないから、好きなサッカーでもサポーターと一緒に熱狂することはないし、オリンピック授賞式で感涙にむせぶこともまずない。
私はどうしても「君が代」に対しては素直になれないのだ。
子どもに対してそれまでとは異なる意味合いの歌として教える教育=国のダブルスタンダードが嫌らしいと思うからなおさらだ。

稲田朋美のような人間は、「君が代」が大好きだろうし、祖国のためを思って犠牲になることも厭わないエリートたちには「君が代」斉唱を教え込むのが当然と考えていることだろう。この場合の「君が代」はもちろん、お母さんが子どもを思って歌うものとは違った意味の「君が代」だ。
しかし、祖国のために命を捧げる覚悟のあるエリートを養うだなんて、それだけで鳥肌が立ちそうだ。
どうして「愛国心」は「命を捧げる」ことに結びつきやすいのだろう。
どうして「愛国心」は、それをむき出しにすることで争いを生むのだろう。

「愛国心」とは、つくづく厄介なものだと思う。
私とて、自分の国を思う気持ちはある。だが、その気持ちはこの国を暮らしにくくしている悪政を行う者に対する怒りとして発露されるものだ。
お国のために命を捧げますなどとは、今の日本では、ゆめゆめ思うことはない。


ブログランキングに参加しています。
↓よろしければクリックを↓
人気ブログランキング


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
今時、君が代を歌うのは学校の先生たちだけです。
この春、子供を卒業させましたが、生徒はどっちらけ、保護者はだんまりかペチャクチャおしゃべり。
起立してまじめに歌っているのは先生方ばかり。

日教組が反日教育をしてるってのはウソです。
県によって対応が違っていて、わたしのところでは、お上に監視された先生方だけが熱心に斉唱して、なんだかこっけいです。
2008/05/04(日) 09:45 | URL | 某県民 #GCA3nAmE[ 編集]
■China Fashion Week 開催さる-中国ゼリー層にも押し寄せる情報洪水
こんにちは。3月10日に最初にチベット暴動の第一報が入ったと記憶しています。その後、オリンピックの聖火リレーなどの妨害に備えた、中国の留学生などのデモ、カルフールの不買運動などがテレビで報道されるようになり、いちやく粗暴で粗野な中国の若者のイメージが定着したと思います。しかし、私はこれらテレビで報道される中国の粗野な若者は、これからの中国を担う人材ではないと思います。このような最中でも、チャイナ・ファッション・ウィークは例年通り、開催され、日本のファッションも高い評価を受けています。私のブログでは、中国のファッションショーを題材とし、中国の次世代を担うのは誰なのかを明示させていたたぎました。あの粗野な中国の若者ばかりに注目し、それが中国の若者のすべてなどと思えば、誰が真の中国の革新の担い手なのかを見過ごしてしまう危険があります。是非ご覧になってください。
愛国心とは、政策や教育などで無理やりつくりあげるものではなく、その国に生まれ育った人の中に自然に醸成される筋合いのものだと思います。また、そうした、愛国心こそ真の愛国心だと思います。とは、いいながら、ある程度の躾けは必要だと思います。
どこの国でも、国家を歌うときや、国旗を掲揚したときにどのように振舞うかくらいは、かなり厳しく躾けています。躾けから先は、個人の問題だと思います。
2008/05/04(日) 14:38 | URL | yutakarlson #.BcbyNME[ 編集]
君が代を歌うのは先生だけです・・当然でしょうね給与に関るのですから、子供が歌わないのは教えていないから歌えないのは当然の話でしょう、教師が自分の思いで子供にマナーを教える気も無いのですから、歌えと考える父兄が抗議すれば良いと思いますよ。
ぺちゃくちゃ公式の場でおしゃべりするのはマナーに反している、マナーを知らない大人が多いことはマトモな教育を受けて居ないと言うことです、愚痴を零してはいけません。

今回の「靖国」は見事に中国人の知能が日本人の「人の良さ」を上回り政治家の言質をマスコミに伝えさせた「妙」は大した「腕」と感心しています。
マスコミ界の大御所まで協力記者会見には将来の日本人がこの世界で生きていけるのか大変心配して仕舞いました。
以前にも記事に成りましたが稲田議員は文化庁の支出を問題にしたもので上映には触れていません、国土庁で400万円が健康器具に使われたと大問題に成りました、今回の750万の支出が問題に成らないのは何が働いているのか疑問を感じます。
日本のマスコミも日本には「偏狭なナショナリズム」を大声で叫びますが、長野の中国人留学生のナショナリズムは何と呼ぶのでしょうか?
愛国心でしょう、日本人の愛国心は戦争で負けたから、死んだからいけません、中国の国歌は日本軍との戦い(共産軍と戦ったかは別として)の歌です、中国人の愛国心は日本と戦い、国連軍と戦い、ソ連と戦い、ベトナムと戦い、インドと戦い、国府軍に変り国連常任理事国に成ったから「偏狭なナショナリズム」では有りません。
一寸考えさせられる記事でした。
2008/05/04(日) 15:05 | URL | 観音崎 #kU3g/2a6[ 編集]
yamadaさん、はじめまて。
China Fashion Weekの記事、拝見しました。日本から輸入されたゼリーを食べて育った世代を「ゼリー層」と呼ぶんですね。興味深い内容で、いろいろ参考になりました。ありがとうございます。
しかし、ゼリー層がいかにできがいい人たちであろうと、一部のエリートだけで国が運営されていくかぎり、中国の体質は変わらないのではないですか。そして大衆の意識が変わらないかぎり、国際関係における中国の位置の難しさも変わらないように思います。
2008/05/04(日) 15:15 | URL | ooaminosora #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://funnyarome.blog82.fc2.com/tb.php/127-d431b409
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。