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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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いえ、仕事が忙しいとか鬱がひどくなったからというのでなく。
まあ鬱の方はずっと変わらず「よくはない」ですが。

タイトルの通り、しばらくこのブログをお休みさせていただくことにした。

というのも、なんだかこの頃、つまらなくなってしまったのだ。
ニュースを見ても「これについて書いておこう」という気持ちがわいてこなくなってしまった。自分のための防備録として書いておこうという気にもならなくなってしまったのだ。

ひとつは、今の政治の愚劣さにある。
麻生太郎や自民党の批判をいくらしても馬鹿馬鹿しくなるばかりで、書く気が起きない。
民主党がなんとなく右傾化しようとしているなんていうことも、とりあえずは政権交代してから吟味すればいいかという気分になってしまった。
私としては民主党ばかりに関心が向くのでなく、社民党や日本新党との連立を念頭に置いた上での議論がもっと盛り上がってくれることを願っているんだけどね。そのなかには共産党の存在も、もちろんある。

けれども、そういうことをちょっとは真面目に考えようとしても、周りを見回してみると政治ブログと呼ばれるものの多くが植草一秀に毒されていたり、陰謀論で(なかにはアクセス数が減ったのはなんらかの操作があったと思われるなんて植草教祖みずからトンデモな発言をしたものもあったりね)思考停止に陥っているものが多くて、コンナヤツラと一緒にいるのはまっぴらだと思ってしまうのだ。

何度も書くけど、植草という男は自分を挙げた検察や、自分をネタにかき立てた「マスゴミ」が憎くてたまらない、ただそれだけでブログを書いてるいかさま野郎だ。奴がほんとうに国民の幸福だとか、自民党にボロボロにされてしまった国民生活を回復させるとか、真面目に考えているとはとうてい思えない。
奴は国民がどんな生活をしてどんな苦しみを味わっているかを知らないし、知ろうともしていない。だから「悪徳ペンタゴン」などというくだらない造語を作って悦に入っているんだよ。
だけど、そんなものをありがたがっているブロガーが、まったく嫌になるほどいて、そいつらがまた徒党を組んで我こそは正義みたいなことを臆面もなく垂れ流している。

私は嫌いなんだよ。徒党を組むということが。

数を頼みにして、自分とは相容れない者を全否定してしまうような連中には反吐が出るんだよ。

というわけで、すっかりブログがつまらなくなってしまったので、休むことにします。

とは言っても、1ヶ月後の選挙が近づいてきたらまた血が騒ぎ出すかもしれない。
そうしたら、また何か書いてみようかと思う。
それまではしばらくさようなら。

最後に、くたばれ植草一味。
失せろ「自End」村。

これが私の「最後っ屁」だ。
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関連タグ : 植草一秀, 自End,

私はとっくに関係を絶ってしまったが、自公政権を否定し、政権交代を目指すブログが集まったトラックバックピープルに「自End」というグループがある。

発足したのは2007年9月で、ちょうと安倍晋三が政権を放り出し、福田内閣ができる前のことだった。それまで、グループのメンバーたちは極右思想を掲げ日本をどんどん「醜い国」にしつつあった安倍晋三の存在に危機感を抱き、政権打倒を目指した「AbEnd」というリンクリストを作り、反安倍政権に関するエントリを毎日のように上げては互いに刺激し合っていた。
そして2007年7月の参院選挙で自民党が大敗し、それから1ヶ月後に安倍晋三が健康上の理由で政権を投げ出した瞬間、「AbEnd」は目標を達成。参加したブロガーたちは快哉の声を上げたのである。

そして次なる目標は、自公政権を倒すこと、つまり政権交代であるとしてメンバーは「自End」を立ち上げ、「自民党に関する話題について書いたときにTBしてください」と宣言したのである。管理人は「カナダde日本語」の美爾依さんである。

爾来およそ2年。
自End」グループのめざましい活動が功を奏したか、今や自民党はグダグダの骨抜き状態となり、政権党としての体をなしていない状態まで落ちた。そして、ついに衆議院は解散され、8月30日には総選挙の投開票が行われることが決まり、自民党が政権の座を明け渡すのは時間の問題と誰もが見るようになった。

バンザイ、「自End」。
やったね、これまで地道に自民党を批判してきた努力がもうすぐ形になって現れるね。

よかった、よかった。

しかし、そう思っているのは当の「自End」村の村民だけだろう。

なぜなら、「自End」村は、自民党が瓦解していくのを眺めながら、なぜかそれより一足先に自家中毒を起こし、存在の意味を失ってしまったからだ。

今や「自End」村は植草一秀という陰謀論者を教祖と仰ぎ、これを批判する者に対しては徹底的な排他主義をとる仲良しグループに堕してしまった。
彼等をつなぎ止めているのは植草一秀と民主党崇拝による政権交代のみ。これさえ守っていれば、たとえ教祖の植草が言論に対するパージを声高に叫ぼうと批判する声は上がらず、ファナティックな信者の一人があからさまな人種差別的なエントリを上げても黙認し、お題目のように植草が痴漢の罪で刑務所に収監されるのを心配する。

さらには植草が刑務所内で謀殺されるのではないかと思い込み、満月と新月の日には教祖の無事を祈るエントリをメンバー各自がアップしようと言い出すまでになってしまった。

これのどこが「自End」なのだ?

もはや政権交代後に行われる政策について語られるのでもなく、政権交代が現実に近づくにつれ、これまでの公約を変えようとしている民主党に対する批判をするでもない。

単なる植草一秀崇拝の悪魔的な組織になってしまった。

自らに都合の悪いことを言うブログはパージし、仲間内の暴言はスルーし、内向きに小さく小さく固まってしまった。
自浄能力をも失ってしまった彼等、「自End」は、自民党が崩壊するのを待たずに自らが自滅してしまったと言っていい。

今も「自End」の管理人をつとめる美爾依さんのブログは惨憺たる内容で、かつてアルファブロガーに輝いたときの面影はない。
美爾依さんと仲良いとされる「きっこの日記」も近頃は露骨なまでに民主党の肩を持つエントリをしばしばアップするようになって著しく質を低下させてしまった。

開かれた体質と健全な批判精神がなければ、そもそもブログ同士の連携などなりたたないというのに、「自End」村の村民たちは植草一秀を精神的支柱にしはじめてから初期の精神を忘れ、自分に都合のいいものは受け入れるが、そうでないものは排除するという体質に変わってしまった。今では植草流の陰謀論とメディア批判が彼等にとっての定番メニューだ。

さらば「自End」。
短い命だった。
あなた方はまだ気がついていないのだろうが、もはや存在意義はないのだよ。
「自End」という看板があまり汚れないうちに掛け替えた方がいいと思うよ。

新しい村名は「植草党」とでもしてはどうだろうね?

関連タグ : 自End, 植草一秀,

昨日は、その前日に見たNHKの「マネー資本主義」最終回を放送していたのだが、放送時間をうっかり忘れていて後半部分しか見られなかった。
とはいえ、これまでなかなか充実していた内容に比べ、最終回となった昨日の放送はゲストに糸井重里や西原理恵子といった、あまりピンとこないゲストを3人並べ、海外のインタビューに交えてコメントさせるという、つまらない構成になっていたのが残念だった。

それでも印象に残ったのは、終盤にインタビューしたヘッジファンド社長のジム・チャノスとハーバード大学のマイケル・サンデル教授の対照的なコメントだった。

チャノスは当然ながら、市場原理主義の権化ともいうべき言説を展開し、今こそ徹底的に自由競争を追求していくべきだと言っていた。資本主義である以上は、富を公平に分配することは不可能であり、その代わりに猛烈な努力をした人や人にはない独創的なものを生み出した人には大きな富を得るチャンスが与えられる。社会主義はすべての人が公平に富を受け取るべく作られたが、結局破綻してしまったではないか。資本主義が残った以上は自由競争を追求していくのは当然で、不平等が生まれるのも資本主義だからこそなのだ、といったことを述べていた。

これに対して、マイケル・サンデル教授は、もはや経済成長だけが社会の目的ではあり得ず、「公共」という概念を取り戻す必要があるのではないかと言っていた。

ヘッジファンド社長がいまだに社会主義は敗れ、資本主義が勝ち残ったのだから、自由競争をつきつめろというのは、それ自体、理にかなった主張といえよう。しかし、本当に資本主義が勝ち残ったのかといえば、この番組のそもそものテーマである金融恐慌はなぜ起こったのかということに行き着く。
富を追い求める自由競争が世界規模で行われ、金儲けこそが第一の価値観になった挙げ句、金融工学というモンスターを作り出し、そして自壊していったのが昨年の金融恐慌ではなかったのか。
たしかに社会主義を実践した国々は、理想と現実のギャップを埋めきれずに体制そのものを崩壊させてしまったが、あれは社会主義の敗北だったのか。

そう考えてみると、サンデル教授のいう「公共」という概念が、これから光を浴びることになるのではないかという気がしてくる。

私はジム・チャノス社長とは反対に、敗北したのは資本主義の方であると思っている。奇しくもチャノス自身が言ったとおり、資本主義が資本主義である限りは社会すべてに富や幸福を分配することはできない。力のある者が勝ち、力が劣る者は負ける。しかしこの基本原理のなかでいちばん問題なのは、勝った者が負けた者に対して思いやるシステムが欠けている点だ。

社会主義と資本主義を対比するとき、私は思い出すものがある。

運動会の徒競走で、順位をつけるのは不公平だからみんなで並んでゴールさせようとした学校があるとして批判された問題だ。

みんなで一緒にゴールするのでは、競争の意味がなくなってしまい、そもそも競技は成り立たなくなる。悪しき学校教育の見本であり、歪んだ平等主義と叩かれた。
もちろん、私も徒競走くらい自由に走らせるべきだと思うし、子どもたちをそこまで管理するのは如何なものかと思う。
けれども、その一方では、徒競走がクラスのヒーローを作るための競技だとするのも違うな、と思ってしまう。

私の娘が幼稚園に通っていたときも運動会があり、徒競走が行われたが、子どもたちのなかには、それまで先頭を走っていたのに、後ろで転んでしまった子がいると、その子のことが気になって走るのを忘れてしまう園児がいた。
「○○ちゃん、走れー!」という声がとぶ。
一方では転んだ子に対して
「がんばれーっ!」と声援が送られる。
一等賞の子にはもちろん大きな拍手。そして、転んでヒザを擦りむき、泣きながらビリでゴールした子に対しても、みんながあたたかく拍手で迎えた。
これは幼稚園がそうするように決めごとを作ったのではなく、子どもたちやその保護者たちに自然に備わった優しさや思いやりが現れたものだった。
どこにでもある運動会の一コマだったが、私は妙に感動したのを今も覚えている。

徒競走のよさは、こんなところにあるのではないかと思う。
そして、社会のあり方も、結局のところは同じではないかと私は思うのだ。
自由競争はあってもいい。
けれども、競争には必ず勝者と敗者が出る。そのとき、みんなで敗者のことを思いやり、転んでもがんばれと声を掛ける思いやりがあるべきではないのだろうか。

金儲けが第一で、勝ち組と負け組を明確に分けるような社会、ついこの間までわれわれが踊らされていた社会に、そんなあたたかさはあっただろうか。
そう思うとき、一企業が自己の利益だけを追求するのでなく、社会への貢献をも大きな目的として活動していくという「公共資本主義」が、社会主義への反省とともにこれからもっと考えられていってもいいのではないかと思うのだ。

今日7月21日。
衆議院は午後1時からの本会議で解散された。そして第45回衆院選は8月18日公示、30日投開票の日程で行われることが決まった。

日本の社会を滅茶苦茶にし、国民生活を疲弊させ、年間3万人以上もの自殺者を生み出し続けている自民党による政治は、今度の選挙ではっきりと否定しなければならないと思う。
政権与党でありながら、いまだにマニフェストも公表できず、候補者が銘々勝手にマニフェストを出すなどと馬鹿なことを言っている自民党の候補者たちには1票たりとも与えたくない心境だ。

しかしその一方で、政権交代が期待される民主党に対しても、われわれは厳しい目を持って投票の是非を決める必要があると思う。
これまで自民党が行ってきた金持ちと企業ばかり優遇する政策をとるのではないか、4年間は上げないと言っていた消費税はどうなるのか。経団連は18%まで増税する必要があると言っているが、国民の敵とも言える経団連との距離をどうとっていくのか。
次の選挙では、単に自民党政治を否定するだけでなく、日本社会が息を吹き返すような、国民全体が安心できるような政権が生まれることを考えなければならない。
そのためには民主党だけを一人勝ちさせるのではなく、社民党や国民新党、さらには共産党にも議席を与えるようにしていきたいものだ。

人間としてのあたたかさや、思いやりが生かせる社会を実現させるために、今度の選挙をわれわれは大切に考えていかなければならないと思うのである。

関連タグ : 総選挙, 資本主義,

支持率
今日の朝日新聞による世論調査では、自民党の支持率は20%で、前回(7月4、5日)に行ったときの24%から4ポイント下がり、01年4月以降で最低となった。その一方で、民主党は31%(前回25%)と6ポイント増。
「いま投票するとしたら」として聞いた衆院比例区の投票先も、自民党が19%に対して民主は42%と圧倒的。
ついでに内閣支持率は17%で、前回の20%からさらに下落した。

同様の調査は他の新聞社やテレビ局も行っているだろうが、おそらくは似たような結果だろう。

実際の投票はまだ40日も先のことだから、この先、どんなふうに世論が変化していくのかは分からない。
けれども、内閣支持率が20%を割り、自民党の支持率も20%となると、もはや自民党は党としての体裁を保つこともままならず、選挙を前にして分裂するなどして自滅してしまうのではないかと思ってしまう。
悪政をこれまで続けてきた自民党など潰れてくれた方が、私としては喜ばしいが、一方では核拡散の恐怖ではないけれども、自民党の主流派が民主党と野合してしまう大連合という恐れもある。政権交代は歓迎するが、こればかりは勘弁してもらいたいものである。
昨日は鳩山邦夫が渡辺喜美と平沼赳夫の3人で会合を開いたという報道があったが、もはや化石のような極右の平沼と新自由主義者の渡辺に、死刑制度を自動化できないかなどという、私から見れば気違い沙汰にしか見えないものを信条にしている鳩山邦夫などが党を結んだとして何をやろうというのか。まったく訳が分からない。

一方の麻生太郎も、もはや観念したというのだろうか、記者のぶら下がりインタビューに対しても、どこか他人事というか、なげやりな受け答えが目立つようになってきた。
もとから優柔不断な麻生は、解散の時期を聞かれるたびに「自分の判断でしかるべきときにする」と自主性があるかのように答えてきたが、その実、タイミングをはずすにいいだけはずしてしまい、もはや自力ではどうにもならないところまできてしまい、ようやく解散を21日、総選挙の投票日を8月28日と決めた。これにしても、当初は解散を14日としていたのを1週間もずらさざるを得なかったなど、麻生の決断力の鈍さと周囲の信用のなさはここに極まった観がある。

さらに、中川秀直ら反麻生勢力が両院議員総会の開会を求めたのに対し、自民党執行部はもたついた挙げ句に議員懇談会を開くことでお茶を濁すことにしたが、これに対しても麻生は自分は総会が開かれたとしても逃げるつもりはないなどと言っておきながら、懇談会にトーンダウンしたことについては「党が決めたことで自分はそれに従うまでのこと」と、まるで自分は自民党の食客でもあるかのような言い方をして平気な顔をしている。

麻生はもはや自民党総裁であることも忘れてしまっているのではないか。

都議選で自民党が大敗して以降、党内があれだけゴタゴタしていたにもかかわらず、それを収めようとするどころか、我関せずといった態度を貫いてきた。下手なことを言えば自分の責任問題に火が付くのを恐れたのかもしれないが、麻生の無責任さは、端から見ていて異常なほどだった。

党首がこんな無責任を続け、党内では反麻生勢力が声を上げ、党分裂の恐れも否定できない状況にある。
これでは鳩山由紀夫がいくら問題のある政治資金を受け取っていたとしても、自民党を支持する理由が見あたらない。

麻生太郎にはもはや期待するのは無理に決まっているが、自民党はこの際潔く解党して一から出直したらどうか。
おそらく40日後には、好むと好まざるとに関わらず、同じような結果が出るだろうが、まともなマニフェストも作らずに「政治は、ギャンブルじゃない」などと、民主党を貶すばかりのパンフレットしか作れないような党には政権を担当する資格はないとしかいいようがない。

民主党は、マニフェストも大切だが、政権交代したあかつきには、麻生内閣が15兆円も無駄にばらまいた税金をどうやって補っていくのか。それこそ財源を明らかにしていかなければならないだろう。
その財源が、やはり消費税増税しかありませんというのでは、国民はとうてい承知しない。
次の政権には、これまで自公政権が行ってきた悪政のツケをどう埋め合わせるのか、その知恵も託されているのだ。

関連タグ : 自民党, 麻生太郎,

ブログ界で今や隠然たる影響力を持つかに見えるエコノミストのU草氏には、このところ立て続けに災難が降りかかっている。
ひとつは『サンデー毎日』と争っていた名誉棄損をめぐる訴訟で、「セクハラ癖があり、業界では有名」などとと書いた『サンデー毎日』側の主張が認められ、U草氏はいたくそのメンツを傷つけられたこと。

もうひとつはさらに深刻で、2006年9月に電車内で痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の罪に問われていたU草氏に対して、最高裁第三小法廷は被告側の上告を棄却する決定を下した。
つまり、懲役4ヵ月の実刑とした1、2審の判決が確定したわけで、U草氏は今月末にも収監されることになる。

U草氏は現在、「知られざる真実」というブログを精力的に更新し、非常に多くの読者を得ているが、ファナティックとも思えるほどの民主党支持は、政権交代が現実味をおびてきた昨今、さらに熱が入ってきているようだ。

都議選で自民党が惨敗を喫した翌日、13日付けのエントリでは、圧倒的な勝利を収めた民主党をたたえ、「政権交代推進勢力」が民主党に投票を集中させた結果だと分析。自民、公明、民主をオール与党だとして唯一の野党を訴えた共産党は「政権交代実現」を重視する有権者から関心を得られなかったとしている。
しかし、現実は共産党の言う通り、民主党は都議会において自公に与する与党として機能してきており、自公が提出した議案にほとんど賛成してきた党であるということを完全に無視している。
政権交代を重視するのならば、有権者はどうして自公の味方ばかりしてきた民主党などに投票したのだろう? U草氏に学者としての思考回路があるならば、なぜ民主党が圧勝したのか、別の要因についても考える必要があったのではないか。

もちろん、民主党は選挙前になって宗旨変えをして築地市場の豊洲移転に反対、新銀行東京の経営責任を問うなどと石原都政を批判するようになったが、都民が単純にその訴えを受け入れて民主党に投票したという行動原理の裏には、政権交代を切望する気持ちもあろうが、多分にマスコミに踊らされていた部分もあったと考えるのが常識的ではないか。
しかもマスコミによる大衆扇動については、日頃のU草氏の言動を見ていればもっとも説明しやすいことだろう。
どうやらU草氏は物事の都合のいい部分だけを見て語る傾向が強いようだ。これでは元学者だったという肩書きが泣くのではないか。

しかし民主党による政権交代こそは日本の歴史上、初めて一般国民を主役とする政府を樹立しようとする「政治革命」だと位置づけるU草氏には、そんなことは一向に気にならないようである。
U草氏は書く。
大資本のための政治

官僚のための政治

外国勢力のための政治

を排除し、

 国民のための政治

を、日本の歴史上、初めて創設できるかが問われる選挙になる。

おお、なんとも雄々しく、輝いてさえ見える言葉ではないか。
しかしなあ、前にも書いたけれども、トップにどんな政党を戴いても、組織というのは必ず腐った部分が出来てくるものではないのか。
U草氏はさらに、

大資本との癒着を解消し、

 官僚利権を排除し、

 外国資本への利益供与を断ち切り、

 平和主義を外交方針の基本に据える、

政府を樹立することが目的である。真に、一般国民の幸福を追求する政府を樹立することを目指すのだ。

と続けているけれども、国策捜査の犠牲となり、冤罪の憂き目を味わってきた人物としてはいささか純粋すぎるというか、かなり青臭い理想論ではなかろうか。いや、信者にしてみれば、辛い思いをした人物だからこそ、これほど純粋な理想に燃えるというのは素晴らしいということになるのだろうけれど。
なんか薄っぺらいというか、裏付けに乏しいというか。

現時点では一応は応援するものの、そして政権交代は望むものの、それほど民主党を信用していない私のようなひねくれ者はU草氏からすれば「政権交代実現推進勢力」を攻撃する者であり、「悪徳ペンタゴン勢力」を側面支援することに気づかずにいるたわけ者ということになるのだろう。
まあ、それならそうで私は一向に構わないのだけれど、「政権交代実現推進勢力」などと仰々しい看板をつけて政権交代について語るより、あるいは「悪徳ペンタゴン勢力」について語るより、もっと現実に根ざした議論をしてもらいたいものだと思わずにいられない。

それでもU草氏は、無能宰相の麻生太郎を罵倒したりしないところは偉いなと思う。さすが、懐が深い。

ところが、今日付けのエントリを拝見すると、正直私は驚いた。

8月30日総選挙に勝利し『無血革命』を実現しよう

なんともすごいアジテーターぶり。
たしかに、念願の総選挙の日程が決まったのだから、U草氏のボルテージは否が応でも盛り上がろうというものだ。
しかし、しかし。

読み進めていくと、お得意の田原総一朗の「サンデープロジェクト」批判があり、メディアによる選挙妨害を疑う発言があり、その後に総選挙が自らの収監期間中に行われることへの憤懣やるかたない思い(そりゃ、ずいぶん悔しいことでしょうねえ)があって、後は信者に託したぞみたいな文脈が続いた後、U草氏は恐ろしいことを言い出しているのである。

新政権を樹立する際に、もうひとつ重要な緊急課題が存在する。メディアの民主化である。日本のマスメディアは腐り切ってしまった。ごく一部を除いて大半のマスメディアが権力の走狗(そうく)になり下がってしまった。

テレビに頻繁に登場する人々の9割以上が、「走狗」に塗り固められてしまった。第二次大戦後、GHQによる「公職追放」が実施されたが、新政権樹立後、マスメディア人材の「パージ」を実行する必要がある。偏向報道を主導した関係者の責任を明確にしなければならない。

こ、これってマスコミに対する粛清ってことですか?

私は政権交代は必要だと思うが、その後に来る政権が自らに都合の悪い報道をした者たちを洗い出し、9割以上を粛清するようなものにはなってほしくない。
国民主権の民主主義的な政治を行う政府を作ってほしいとは願うが、恐怖政治を行うような政権が来るのなら、政権交代などしない方がいい。

思えば日頃からマスメディアに対して厳しい態度で臨んでいるU草氏は、テレビはもちろんのこと雑誌メディア(もちろん筆頭は『サンデー毎日』だろう!)にも対検察なみの深い憎しみを持っているようだ。
かねがね私はU草氏の原動力になっているのは権力・マスコミに対する私怨だと思っていたが、図らずも粛清という形で自らの思いを遂げようとしていることには慄然とせざるを得ない。

ブログ界ではU草氏を批判することはタブーのような雰囲気があり、実際、私などがちょこっと批判エントリをアップしただけでも過剰なまでの反応がある。
しかし、自ら信じる者を批判することを許さないというのは実に偏狭であり、非民主主義的なことだとは思わないか。
たしかにマスコミには偏向報道と思われるものがある。
ならば、それに対しては正々堂々と言論で対抗していけばいいだけの話ではないか。
なぜ「パージ」を実行する必要があるなどという考え方になってしまうのだろうか。

U草氏がどんなに立派な思想の持ち主であり、信者たちを納得させる言説を日頃展開しているとしても、この排外的と言ってもいい偏狭さがある限りはU草氏を民主的な言論のリーダーなどとは、私は思わない。

関連タグ : U草氏, 粛清,

昨日投開票が行われた東京都議選では、民主党が54議席と大躍進し、対照的に自民党は議席を20も減らす38議席という惨敗を喫して終わった。
いや、もうひとつある。
公明党が22議席から23議席へと議席を伸ばして手堅く「勝った」こと。
そして共産党が民主党に票を食われる形で惨敗したことだ。

地方選挙が全国から注目され、投票率も最終的には54%に達するなど、今回の都議選は一種の興奮状態の中で行われたといっていいだろう。
もちろん、全国の注目を集めたのも投票率が高くなったのも、来るべき解散総選挙で政権交代がなるかどうかを占う意味があったからに他ならない。

政権交代という点で見れば、これは明らかに民主党が大勝利で政権を獲得する確率が高くなったといえるだろう。
しかし、現政権を握っている自民党と公明党に対する評価がどうだったかといえば、公明党は議席を減らすどころか一つ増やしたのであり、自公政権が完全に否定されたとは言い難い。
東京都民ではないが、私にはこの点がどうにも歯がゆい。

さらに東京都議会でいえば民主党は野党と言うよりも、どちらかというと与党側に立って行動してきた政党で、選挙運動のときこそ築地市場の移転問題や新銀行東京問題に対して批判をしていたが、そもそもこれらの議案を通すときには民主党は賛成に回った与党だったことを忘れてはならない。

その意味で、「純然たる野党」の共産党が議席を大幅に落とし、社民党も議席を回復できなかったことは残念でならない。
都議会が今後、健全に運営されていくためには民主対自民・公明だけの対立軸だけでは不十分であり、十分な野党の声が必要だと思う。
しかも公明は政権党であり続けたい政党だから、簡単に自民との連携は解消し、今度は民主党と手を組むことも考えられる。
民主党には公明党と親和的な議員もいるので、彼らが手を組めば、都議会はまたしてもオール与党になってしまう。

そんなこんなを考えていると、たしかに自民党が大敗を喫したのは喜ばしいと思うのだが、民主党だけが大勝したという点については、どうしても消極的にならざるを得ないのである。

この都議選の結果を受けて、権力の座に執着していた麻生太郎も、いよいよ仕方なく解散総選挙を決めたようだ。

解散は7月21日で投票が8月30日。
麻生としてはぎりぎりまで解散時期を引き延ばし、都議選で受けた傷を少しでも癒し、あわよくば鳩山由紀夫の献金問題をつついて失地回復を狙ってのことだろう。
民主党としては、ここで余計でつまらない献金問題などを長引かせたりせず、鳩山由紀夫に徹底的に説明させ、必要ならば国会で釈明させるくらいの覚悟を持ってもらいたい。
そして、政権交代をしたあかつきには国民生活をいかにして回復させるかというマニフェストを一刻も早く提示してもらいたいものである。

さらに注文を付けるとすれば、調子に乗って単独与党などという欲をかかず、国民新党や社民党との連携をしっかりと持ってもらいたい。
民主党だけでは信用に値しないことは、これまで何度も書いてきた通りである。
そして、民主党に驕った気分にさせないためにも、主権者であるわれわれ国民は民主党だけに投票するのでなく、国民新党、社民党、あるいは共産党にも票を入れるようにしたいものである。
具体的には、私ならば小選挙区では民主党か共産党に入れ、比例区では社民党に入れる。
もちろん、誰がどの党に投票しようと自由だが、民主党に独り勝ちさせずに政権交代を成功させるというのが、私の考える理想である。

いずれにしても解散総選挙が決まった以上、確実に政治を変えるチャンスがわれわれの手に戻ってきたのだ。
この大事な権利を無駄にすることのないように、各人には考えてもらいたいと思う。
これからの1ヶ月半、私も微力ながら健全なる政権交代と、国民生活の回復に向けて考えて行きたいと思う。

関連タグ : 自民党, 民主党, 政権交代,

大阪市此花区で起きたパチンコ店放火事件については、触れようと思っていなかった。

しかし犯人の高見素直(41)が自首して逮捕され、犯行の動機として「仕事もカネもなく、人生に嫌気がさした。通り魔みたいに誰でもいいから人を殺したいと思った」と自供したことを知り、これは触れておかなければならないと思った。

つまり、今回の事件もまた、人生絶望した人間が見知らぬ人を巻き添えに無残な犯行を起こしたことで、記録にとどめておく必要があると思ったからだ。

ここ数年、われわれは幾度となく人生絶望した人間が犯した犯行を目にしてきた。
近くは1年前の6月、秋葉原の歩行者天国に自動車で突っ込み、通行人をナイフで殺傷した加藤智大の事件が記憶に新しい。
翌7月には東京八王子市の駅ビルで、女性2人が包丁で刺され死傷した。捕まった菅野昭一は「大きな事件を起こして両親を困らせようと思った」と話し、誰でもいいから殺そうと考えていたことが明らかになっている。
さらに10月には大阪市浪速区の個室ビデオ店で客16人が死亡した放火事件。この事件では、離婚や早期退職で人生に挫折した小川和弘が捕まっている。
昨年は3月にも茨城県土浦市で金川真大が、人生に嫌気がさし、死刑になりたいという願望から8人を殺傷した。

どの事件にも共通しているのは相手は誰でもよかったという場当たり的な犯行である点と、その動機に人生に対する深い絶望が横たわっている点である。

こうした事件を防ぐにはどうしたらいいのか。
それぞれの事件後には、警察関係者や弁護士、心理学者など、専門家たちがテレビに登場してそれぞれの意見を述べていた。
ことに、凶器としてナイフが使われた土浦の事件と秋葉原の事件以降は、アウトドア用の器具としてどこでも売られていた両刃のナイフ(ダガーナイフ)が斑馬を規制されるようになった。
大阪で起きた個室ビデオ店の事件では、迷路のようになっている店の構造が問題となり、火災に対する備えの重要性が叫ばれた。

今回の高見素直が犯したパチンコ店放火でも、昨日のニュースでは消防関係者が出て、「どんなに規模が小さい店でも、スプリンクラーの設置が必要だ」と述べていた。

しかし、これらの犯罪のいちばん重要なポイントであるはずの、犯人たちがなぜ人生に絶望したのか、という点については何も語られない。
加藤智大が事件を起こした直後は、派遣労働者たちの過酷な労働環境や、人をモノとして扱う人材派遣業者やその受け入れ会社の非人間性が非難された。

けれども、それから1年以上がたった今、また同じように人生に絶望した男が人を無差別に殺傷する事件が起きたというのに、この男の絶望については語られることがない。

われわれは、あの秋葉原事件から1年が過ぎたというだけで、派遣労働者の問題も、非人間的な労働環境の問題も解決したと思っているのだろうか。
あるいは、この社会に生きることがいかに難しく、希望さえ持てなくしているという事実から目を反らすように教え込まれてしまったのだろうか。

加藤智大の事件のとき、私は、同じようにこの社会に絶望しているし、大きな不満を抱えて生きている。もしかしたら自暴自棄になって、私自身もまた破滅的な行動に出るかもしれない。加藤と私は同じ人間だと書いた。
その思いは今も変わらない。
社会は閉塞して息苦しく、名ばかりの自由はあるけれど、経済的な苦しさや精神的な辛さに、今にも押し潰されそうになっている。
こうしてブログを今も書いていられるのは、ほんの偶然と言ってもいいのかもしれない。

今の日本社会は、一部のゆとりのある人々にとっては過不足ない社会かもしれないが、生活にゆとりが持てない人間にとっては毎日がギリギリの崖っぷちを歩いているようなもので、一度バランスを崩したら、犯罪を犯すか自殺するしか自分を解放する術がない。

一連の無差別殺人事件で、いちばん語られる必要があるのは、この社会が持っている病理であり、歪みを正していくための方法についてだ。
ナイフの販売や所持を規制したり、火災の時にも対応できる設備を作るのは、下痢をしたときに下痢止めを飲むのと同じだ。たとえ薬のおかげで下痢が止まったとしても、体内に蓄積される有毒物質をすっかりはき出さない限り、根本的な治癒は望めない。

昨日のニュースでは、過労死・過労自殺についての報道もあった。
毎年3万人以上が自殺しているなかで、過労自殺もまた増加しているという。
しかし過労死や過労自殺をしたとしても、遺族がそれを証明するためには大変な障害があるという。
まず、企業側が社員を過労死・過労自殺に追いやったことを認めたがらない。
そのうえ、過労死・過労自殺の実態を知ろうとしても、労働局が企業名の公表を拒む。企業名を公表すれば、その企業の業務に支障が出る可能性がある、というのが理由だ。

自殺者が1日に100人も出ているという、戦争よりもひどい現実にありながら、企業にしても労働局にしても、なんという後ろ向きな姿勢だろう。
国は自殺対策プロジェクトをスタートさせているが、その成果は上がるどころか、一向に自殺者の数は減らず、今行っているような手ぬるい対策では早急な効果は望めないのではないか。

自殺もまた人生に絶望した人間が、最後に選ぶ道である。

生きて行くことの苦しさから逃れる選択肢が、犯罪か自殺しかないとしたら、あまりに酷いことだとはいえないか。

景気対策として気前よく補正予算からバラマキを続けてきた麻生太郎には、日本の社会が抱えている本当の問題が見えていないし、解決する気もないだろう。
この異常な社会の上でままごとのような閣僚人事を行い、不祥事を起こしては首を挿げ替えるといったゲームのような政局に明け暮れている人間どもには、犯罪を犯した人間や自殺していった人間の心の闇は分かるまい。

人の痛みを共有できない今の日本には、私はつくづく嫌気がさしている。嫌悪しているといってもいい。
自分でももてあましてしまうほどの嫌悪感を抱きながら、一縷の望みをまだ捨てきれずにいるのは、もうすぐ政権交代が実現し、今よりは少しでもマシな社会が実現できる可能性がないわけではない、と思うからである。

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昨日5日、投開票が行われた静岡知事選では、すでにご承知のとおり民主党推薦の川勝平太が僅差で勝利した。
川勝という人物については、どう見ても右翼政治家であり、民主党がなぜこういう人物を推薦したのか理解に苦しむ。
今後、静岡では学校の式典では日章旗の掲揚と君が代斉唱が義務づけられ、それに反する教師は処罰されることになるのだろうか。
そうだとすれば、民主党候補が勝ったというだけで、静岡県民にとってはあまり有り難いことではなかったのではないだろうか。

しかし、民主党が勝ったという、ただその一事だけを見れば、自民党が顔色を失ったのは想像に難くない。
一夜明けた今日は、麻生太郎をはじめ自民党の閣僚たちは平静を装い、「国政と地方選は別だ」と言っている。

だが、その同じ口で来週に控えている都議選については全力を挙げて勝たねばならないと言っている。
自民党の議員たちは、麻生太郎が「全閣僚が応援するように」と発破を掛けるまでもなく、必死の思いで選挙戦に臨むだろう。

私は、都議選についてはすでに述べたとおり、石原慎太郎を追い詰めるためにも、何としてでも野党に勝ってもらいたいと思っている。
しかし、民主党だけが一人勝ちしたのでは安心できない。
石原慎太郎を徹底的に追い詰め、これまでの悪行を暴き出してやるためには、共産党や社民党というスパイスを強めにきかせる必要があるからだ。

毎日新聞の調査では、来週の都議選で自民に投票するという人は13%、民主に投票するのは26%と、このままいけばダブルスコアになりそうな勢いを示している。
けれども、繰り返すが、東京都民の有権者は民主が勝てばそれでいいという単純思考ではなく、共産・社民といった第三極が躍進することでちょうどバランスがとれた力関係ができあがるのだと考えてもらいたい。

もし自民党が大きく議席を減らすことになれば、麻生太郎はどうなるのだろうか。
都民ではない私は、今はそちらの方が気になる。

もはや麻生は使い物にならないとばかり、自民党では麻生おろしが露骨に行われるだろう。
ことによると総裁選を前倒しして石原伸晃や舛添要一あるいは小池百合子がスポットライトを浴びるかもしれない。

あるいは鳩山由紀夫の献金問題をことさらに大きく取り上げて会期の延長をはかるかもしれない。

そのとき、世論はどう反応するだろうか。

たしかに、民主党にとって代表が2代続けてカネの問題で進退を問われるとなれば痛手にはなろう。
しかし、自民党は二階俊博や与謝野馨という爆弾を抱えているうえに、もし鳩山を交代にまで追い込んだとしても次の一手がない。

むしろ自民党としては手っ取り早く麻生太郎を引きずり下ろすことを考えるだろう。
そして、国民の中には、無能な麻生太郎が引っ込んだというだけで、問題解決と考える者が出てくるのではないか。
それこそ、自民党の思うつぼだ。

しかし、忘れてはならない。
今の日本がこれだけガタガタの惨状を呈するようになったのは、麻生太郎だけの責任ではないことを。
さかのぼれば中曽根康弘の頃から推し進めてきた自民党による一連の政治が、日本をここまで駄目にしたのである。
看板がこれからどんなものに変わろうと、自民党を叩き潰してやらなければならないという国民の使命は変わらない。
土建屋根性に根ざした利権政治から社会保障を重視する社民主義的政治へと、日本の政治を大きく転換させなければならないのだ。

都議選では民主党もいいが、共産、社民も忘れずに。

そして来るべき衆院選では民主党もOKだが、日本新党、社民も忘れずに。

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昨日3日告示された東京都議会選挙で、各党は党首をはじめとする幹部クラスが街頭に立ち、熱弁をふるった。

この都議選で敗れるようなことがあれば、自らの進退にも関わるとされている自民党の麻生太郎は、今回もまた民主党を挑発するような言葉で自民党を「応援」した。
いわく、民主党は何をするのか。政権交代とは手段で目的ではない。
いわく、政権を交代して何をするかが問題だ。政権交代と景気後退。同じ「コウタイ」でも意味は違う。政権交代が景気後退になってはならない。

麻生太郎にしては、いい部類の演説ではなかったろうか。
政権交代とは手段に過ぎないというのは正論だし、政権交代をして景気後退をしたのでは洒落にならないというのも、その通りだ。

しかし、一方で麻生は、この9ヶ月間に予算編成を4回もやったと言い、これは異常なことだが、世の中が異常なくらいの不況なのだから仕方がないのだとも言った。

これには異論がある。
たしかに世の中は異常なくらいの不況に見舞われているが、その対策として麻生太郎がやったのは、予算編成という名のバラマキで、その規模は空前と言ってもいいだろう。中には問題になっている「マンガ喫茶」もあるが、それ以前に、定額給付金にしてもエコポイントにしても、効果的な景気刺激策を施したとは言い難い。

さらに、麻生太郎が行ったバラマキの質が悪いのは、生活に困っている人よりも経済的に余裕がある人に厚く恩恵が届くような使い方をしている点だ。
エコポイントがそうだし、エコ・カー減税もそうだ。
換金できるポイントがつくから家電を買い換えよう、それも大型にした方がポイント率が高くなるから大型にしようなどと考えられるのは、ゆとりのある人々だけだし、減税されるうえに補助金まで出るのだから車を買い換えようというのもゆとりのある人々にしかできないものだ。

例の「マンガ喫茶」に至っては、世界的にも認められる日本のアニメを発信する基地にしようという名目はもっともらしいが、肝心のアニメを作っている現場では、月に10万ちょっとの給料で下請け仕事をしている人々がいる。こうした人々の労働・雇用環境を改善することなしに、何を世界に発信していこうというのか。

麻生太郎がこの9ヶ月間にやってきたことは、見事に的外れな施策だったとしか言いようがない。

こんな自民党とその肩を持って社会を悪くした公明党には、早いところ下野してもらいたいが、そのためにも今回の都議選では野党に投票してもらいたいものだと思う。

と言って、その野党とは民主党かといえばそうではない。

民主党は国政では野党だが、都政を見る限りでは野党とは言い難いことをやってきている。
新銀行東京の設立でも民主党の議員たちは自公と一緒になって賛成に回っている。

昨日、荻窪で第一声を上げた共産党の志位和夫委員長は、民主党が新銀行東京のことを「史上最悪の失策」と言っているが、かつては「夢とロマンの持てる新銀行」などと持ち上げていると批判した。

それはもっともな話で、民主党は都議会でしばしば自公とともに石原慎太郎による悪政を支えてきたことは忘れられない。
築地市場の豊洲への移転問題でも、民主党は当初、この案に賛成していたはずだ。
今になってそんな事実はなかったかのように自民党を批判する資格は、民主党にはないというものだ。

石原慎太郎は新銀行東京をはじめ、利権が絡むといわれる築地市場の豊洲移転、東京五輪招致といくつもの問題を抱えている。
今回の都議選では、何としても石原の暴走に待ったをかけるために、自公の候補者を落とし、この期に及んで節を変えたかに見える民主党の候補者にはしっかり吟味をしたうえで、東京都民には投票してもらいたい。

私はできることならば共産党に躍進してもらい、社民党にも議席を回復させ、石原包囲網をがっちりと作ってもらいたいと思っている。
民主党には、都合のいい裏切り行為だけは許さないぞと思って見ている。

銀行としての機能を果たしているとは言いがたい新銀行東京には店をたたませ、東京の台所を猛毒の土壌の上に建てるなどという暴挙を止めさせ、浪費と混乱を招くだけの五輪招致にもストップをかけられるような議会を作ってもらいたい。

石原慎太郎を三期も当選させるという愚挙を犯した東京都民には、今回こそ、賢明な判断をする責任があるのではないだろうか。
投票日は12日。

その結果が、怖いようだが楽しみだ。

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政府・日銀は先月、株式が一時一万円台を回復したこともあり、「景気は底打ち」したと発表した。
しかし、機能発表された5月の主な経済指標では、雇用や消費など家計に関わる指標は依然として厳しい状況が続いていることが明らかになった。

少し細かく見ると、総務省が発表した完全失業率は5.2%と前月から0.2ポイント悪化。
従業員500人以上の企業で、雇用者が前年同月比0.3%減と1年11ヶ月ぶりに減少。これは雇用環境の悪化が中小企業から大企業に広がっていることを示す。
また、厚労省が発表した有効求人倍率も0.44倍と過去最悪を更新した。

家計の方を見ると、総務省が発表した家計調査では1世帯(2人以上)あたりの消費支出は28万5530円と、実質で前年同月比0.3%増。1年4ヶ月ぶりに前年同月を上回ったが、定額給付金やエコポイントなど特殊要因が押し上げたというのが読売の経済記者のの見方だ。

毎日新聞の社説では、やはり雇用の悪化が過去最悪になったことを取り上げている。完全失業者数も前年同月に比べて77万人増えており、完全失業率5.2%は、いずれ過去最悪の5.5%を突破するのではないかという。

こうした数字を見るまでもなく、われわれの生活実感からしても景気はまだまだ下向きであり、とても底を打ったなどと言えるものではない。

ホンダやトヨタのハイブリッドカーが人気を呼んで納車まで数ヶ月待ちだとかいう報道や、テレビを見ているとしきりに流れる自動車会社の「エコカー減税」も、金に余裕のある人にしか関係のないものばかりで白けるばかりだ。
もちろん、ハイブリッドカーが売れれば日本の主要産業の自動車生産企業が息を吹き返すのだから、全体的に見れば日本にとって悪い話ではない。
けれども、雇用の現場を見れば、相変わらず非正規雇用の問題は解決しておらず、今の政府にはこの問題に取り組む姿勢すらないように思われる。

昨日30日で、昨年末から注目された「派遣村」がとうとう解散したが、派遣村が浮き彫りにした日本の格差の現実と貧困の問題、非正規雇用の問題を、政治はこれからどのように解決していくつもりなのか。麻生太郎が内閣人事に手を付けると言ったとか、言わないとか、相変わらずのブレまくった醜態をさらしている間にも、職が見つからず、住居の確保を心配する人が不安な毎日を送っている。自民党でもいい、民主党でもいい。誰かこの現実を振り向いて、何とかしようと声を上げられないものだろうか。

次の政権に望むのは、一刻も早く同一労働・同一賃金の原則を確立し、非正規雇用を体よく利用しようとする雇用者側に対する歯止め策を打ち出すことだ。
まずは現実に困っている人々を早く救済する手立てを講じること。毎日新聞では「ハウジングプア」の連載をしていたが、人間の生活にとって住居というものがいかに大切なものであるかを痛感させられる。

単に雨露をしのぐ場としての住居でなく、人は住居を持つことによってはじめて社会的存在として認められるのだ。それがいとも簡単に失われ、糸の切れた凧のようにホームレスになっていく人がまだまだ多い。
この国では住宅政策もまた貧しいと記者は訴えている。
行政による家賃補助制度は他の先進国に比べて大きく遅れているうえに、家賃の安い公営住宅は極度に少なく、その抽選に当たることは宝くじに当たるようなものだとさえ言われる。
それなのに、政府は公営住宅の戸数を減らそうとしているというのだから頭が痛くなってくる。

国内外の住宅政策を研究している神戸大・早川和夫名誉教授の指摘は鋭い。
「日本人は住宅に公的支援がないことに疑問を感じない。マインドコントロールにかかっているようなものだ」
早川氏は続ける。
「住居の保障は医療や教育と同じように政府が取り組むべき社会政策だ」

政府は目前に困っている人々がいる現状を解決するために一刻も早く手を打つべきだ。
その一方で、すっかり崩壊してしまった日本の社会保障をこれからどうやて立て直すかを真剣に考えていかなければならない。手っ取り早い解決策などはないだろう。財源の問題一つをとっても、消費税増税で賄おうなどという乱暴な手で、この問題を解決しようなどとは考えてほしくない。消費税の逆進性は誰もが認めることであり、経済的弱者に大きな負担を強いる制度は決して受け入れるわけにはいかない。政治家や経済学者にはじっくり頭をひねってもらいたいところだ。

自民党は、東国原英夫を閣僚に迎えるなどと言っているが、東国原のような男が何人増えても、社会をよりよくしようなどと言う論議が深まるとは思えない。
われわれは政治に素人を求めているのではないのだ。
政策に対して深い考えを持ち、息の長い論議ができるプロを必要としている。
自民党はもはや末期的症状を呈していると見てよさそうだが、それに対する野党はどうなのか。
国民はポピュリズムに惑わされることなく、じっくりと政治を語る人間たちの言葉に耳を傾ける必要がある。

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