●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン
まあ、私のブログなどは更新を待っている人もそんなに多くはないだろうということで、今後もマイペースで続けていきたいと思っています。
それにしてもテレビを見るにつけ、新聞を読むにつけ、この頃は異常としか言えない状況が続いている。
どう考えたって、東国原英夫や橋下徹のような、何の政策もないポピュリズムの固まりのような人間が歴とした政党から三顧の礼で迎えられるような事態は異常としか思えない。
東国原はいまだに宮崎県内では80%以上の支持率を得ているが、どう見たってこんな数字、バブルでしょう。
東国原は全国知事の中でもトップの収入を得たらしいが、その大半は印税とテレビの出演料だった。これだけを見ても、この男がいかに県政とかけ離れたことをしていたかが分かるというものだ。
東国原が知事になって、宮崎県民の暮らしは豊かになったのか?
皆が幸せを感じて暮らせるようになったのか?
とてもそうは思えない。
東国原がやったことといえば、テレビに出まくって特産のマンゴーと地鶏の宣伝をしたことしかないのではないか。
もちろん、そのおかげで暮らしが潤った業者はいるだろうが、一部の人間だけを喜ばせることが知事のやることだろうか。
橋下徹にしてもそうだ。
大阪では彼もまた圧倒的な人気を保っているが、橋下がやったことといえば県職員と公共サービスの切り捨てだけだったではないか。
歯に衣着せぬ物言いは、得てして人気をとりがちだが、橋下はそれを承知でケンカを売って歩いているに過ぎない。
橋下が知事になってから、大阪がどれだけ豊かになったというのか。
府民の暮らしにどれだけ希望が生まれてきたのか。
今の異常な人気は、単に日頃の鬱憤を橋下の口を借りて晴らしているだけなのではないかと思う。
同じことは国政についても言える。
ブログ界ではずいぶん前から、政権交代こそ大事で、民主党が政権を取りさえすれば大丈夫といった物言いが多く見られる。
しかし、肝心なのは政権交代そのものではなく、その後に政権を取ったものがどんな政治をするのか、その一点に尽きる。
これを忘れて、解散の時期がいつになるかなど心配しても何の益もないではないか。
私は、たとえ民主党が政権を獲得したとしても、他党との連合政権を取らなければ自民党とそれほど変わらない社会が続くと思っている。
彼らは、無駄を省くといってわれわれの代表である国会議員の数を減らすという本末転倒なことを平気で言っている。
彼らは、消費税の増税を4年間は議論しないと言いながら、社会保障の財源が不足したときにはやはり消費税に頼ろうとしている。
それで国民は納得できるのか。
国民の生活は豊かになるのか。
格差が広がった社会が、よりよくなることはあるのか。
彼らは「我が党こそ政権にふさわしい」と偉そうなことを言っているが、「国民の生活が第一」という言葉をいつの間にか忘れてしまっているのではないか。
私は、自民党政権が日本をここまで駄目にしたのは間違いないことだと思っているが、かといってすぐに国民の生活を忘れて政局に走る民主党が世の中をそれほどよくするとは思わない。
大事なのは私たち国民の暮らしであり、政権を誰が取るかということや、霞ヶ関の腐敗を糺すことなどは、その後についてくるものなのである。
人間というものは窮すると手っ取り早い解決を求めたがるものだ。
ことに最近の日本人には、その傾向が強いように思えてならない。
しかし、社会をよりよく変えて行くには時間をかけていく必要がある。
誰が何を言い、何をしようとしているのか、われわれはよく吟味していかなければならない。
薬を一錠飲んで、腹痛や頭痛を治すように考えてはいけないのだ。
政治を変えるのも、社会を変えるのも、拙速を望んでばかりいては、結局最後のツケがわれわれ自身に回ってくるだろう。
政権交代は必要である。
しかし、その後に続く政策は、誰がどんな風に実現させていくべきなのか。
われわれは今こそ落ち着いて考えなくてはならないと思う。
決して、東国原英夫や橋下徹のような口先だけの「分かりやすさ」や「心地よさ」に乗せられてはならない。そうしたものは、いわば見せ金にすぎないのだ。
麻生太郎の優柔不断と無能さを叩くのは簡単だ。
しかし、いくら叩いたところで何も生まれてくるものはない。
われわれは焦ってはならないが、無駄なところで足踏みしていてもいけないのだ。そんな余裕はない。国民の生活は追い詰められている。
それを忘れずに、明日の政権交代を考えていきたいものである。