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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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なんだか今月はイマイチ体調が悪いのと、忙しかったために更新の間隔がずいぶん開いてしまった。
まあ、私のブログなどは更新を待っている人もそんなに多くはないだろうということで、今後もマイペースで続けていきたいと思っています。

それにしてもテレビを見るにつけ、新聞を読むにつけ、この頃は異常としか言えない状況が続いている。
どう考えたって、東国原英夫や橋下徹のような、何の政策もないポピュリズムの固まりのような人間が歴とした政党から三顧の礼で迎えられるような事態は異常としか思えない。

東国原はいまだに宮崎県内では80%以上の支持率を得ているが、どう見たってこんな数字、バブルでしょう。
東国原は全国知事の中でもトップの収入を得たらしいが、その大半は印税とテレビの出演料だった。これだけを見ても、この男がいかに県政とかけ離れたことをしていたかが分かるというものだ。
東国原が知事になって、宮崎県民の暮らしは豊かになったのか?
皆が幸せを感じて暮らせるようになったのか?
とてもそうは思えない。

東国原がやったことといえば、テレビに出まくって特産のマンゴーと地鶏の宣伝をしたことしかないのではないか。
もちろん、そのおかげで暮らしが潤った業者はいるだろうが、一部の人間だけを喜ばせることが知事のやることだろうか。

橋下徹にしてもそうだ。
大阪では彼もまた圧倒的な人気を保っているが、橋下がやったことといえば県職員と公共サービスの切り捨てだけだったではないか。
歯に衣着せぬ物言いは、得てして人気をとりがちだが、橋下はそれを承知でケンカを売って歩いているに過ぎない。
橋下が知事になってから、大阪がどれだけ豊かになったというのか。
府民の暮らしにどれだけ希望が生まれてきたのか。
今の異常な人気は、単に日頃の鬱憤を橋下の口を借りて晴らしているだけなのではないかと思う。

同じことは国政についても言える。
ブログ界ではずいぶん前から、政権交代こそ大事で、民主党が政権を取りさえすれば大丈夫といった物言いが多く見られる。
しかし、肝心なのは政権交代そのものではなく、その後に政権を取ったものがどんな政治をするのか、その一点に尽きる。
これを忘れて、解散の時期がいつになるかなど心配しても何の益もないではないか。

私は、たとえ民主党が政権を獲得したとしても、他党との連合政権を取らなければ自民党とそれほど変わらない社会が続くと思っている。
彼らは、無駄を省くといってわれわれの代表である国会議員の数を減らすという本末転倒なことを平気で言っている。
彼らは、消費税の増税を4年間は議論しないと言いながら、社会保障の財源が不足したときにはやはり消費税に頼ろうとしている。

それで国民は納得できるのか。
国民の生活は豊かになるのか。
格差が広がった社会が、よりよくなることはあるのか。

彼らは「我が党こそ政権にふさわしい」と偉そうなことを言っているが、「国民の生活が第一」という言葉をいつの間にか忘れてしまっているのではないか。

私は、自民党政権が日本をここまで駄目にしたのは間違いないことだと思っているが、かといってすぐに国民の生活を忘れて政局に走る民主党が世の中をそれほどよくするとは思わない。
大事なのは私たち国民の暮らしであり、政権を誰が取るかということや、霞ヶ関の腐敗を糺すことなどは、その後についてくるものなのである。

人間というものは窮すると手っ取り早い解決を求めたがるものだ。
ことに最近の日本人には、その傾向が強いように思えてならない。
しかし、社会をよりよく変えて行くには時間をかけていく必要がある。
誰が何を言い、何をしようとしているのか、われわれはよく吟味していかなければならない。
薬を一錠飲んで、腹痛や頭痛を治すように考えてはいけないのだ。

政治を変えるのも、社会を変えるのも、拙速を望んでばかりいては、結局最後のツケがわれわれ自身に回ってくるだろう。
政権交代は必要である。
しかし、その後に続く政策は、誰がどんな風に実現させていくべきなのか。
われわれは今こそ落ち着いて考えなくてはならないと思う。

決して、東国原英夫や橋下徹のような口先だけの「分かりやすさ」や「心地よさ」に乗せられてはならない。そうしたものは、いわば見せ金にすぎないのだ。
麻生太郎の優柔不断と無能さを叩くのは簡単だ。
しかし、いくら叩いたところで何も生まれてくるものはない。
われわれは焦ってはならないが、無駄なところで足踏みしていてもいけないのだ。そんな余裕はない。国民の生活は追い詰められている。
それを忘れずに、明日の政権交代を考えていきたいものである。

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関連タグ : 政治, 政権交代,

昨日18日、衆院本会議で臓器移植法改正4案のうち、脳死を人の死と認め、15歳未満の子どもからの臓器提供を可能にする案が可決された。これは他の3案に比べ、もっとも人の死を認定するハードルが低い案であることが論議を呼んでいる。

もちろん、人の死を安易に決めてはならないことは当然であり、「死」の判定には慎重の上にも慎重が要求されることは言うまでもない。

けれども、私としては基本的に、昨日の衆院での採決の結果は妥当だったのではないかと思っている。
これまで、臓器移植をすれば命が助かる可能性があるのに、未成年であるが故に日本で手術を受けられず、莫大な金を払ってアメリカなど海外で移植手術を受けねばならないという、我が国の医療事情には問題があると思っていた。
手術を受け付ける国にも移植を必要とする幼い患者がいるのであり、彼等にしてみれば他国の患者よりもまずは自分を、自分の子どもを助けてやってほしいと考えるのはもっともなことだ。
さらにはそうした事情から順番待ちを強いられ、ようやく移植手術が受けられると海を渡っていったものの、手後れになって助からなかったという事例がこれまでどれだけあったかと思えば、今後は日本国内でも子どものドナーから臓器の提供を受け、国内で手術できるようになることは、患者達にとって大きな希望を与えるものになったと思う。

だが、テレビの報道を見ていると、臓器移植を待つ幼い患者がいる一方で、生まれつき障害を持ち、「限りなく脳死に近い状態」で何年も生き続けている子どももいることを知った。生まれてから一度も目を開いたことはないけれど、人工呼吸器を付けて息をしているけれど、赤ん坊から小児へと体は成長し、髪の毛は伸び、爪も伸びている。医師からいくら「脳死に近い」と言われ、「場合によっては治療を中止するかもしれない」と言われたとしても、親にしてみれば眠ったままのわが子はまさに生きているのであり、目を開けないし言葉も話さないけれど、成長を続けているのである。
こうした子どもを持つ親にしてみれば、脳死を人の死と認め、子どもにも臓器移植の道を開いた今回の結果は、法律によってわが子が「生きていない」と決めつけられる恐れがあると心配をもたらすものだったに違いない。

子どもの脳死判定には医学的にも難しい問題があり、さらに医療事情がガタガタに崩壊しつつあり医師不足、病因不足が深刻になっている日本では、はたして満足な脳死判定とその後の臓器移植手術が行えるのかという心配もある。

臓器移植でしか助からない命と、脳死に近いと言われながら生きている命。それらの間で対応を迫られる医療。いくら国会で法案が可決されても、問題は大きく根深いものがある。

また、日本人の間では脳死よりも心臓死を「死」と考える精神風土があることも、臓器移植問題にとって大きな壁となっている。

私は日本人の精神風土については、これから積極的に変えていく必要があると思うし、そうしなければ助かる命がいつまでたっても助けられないことになってしまうと思っている。
だから、その考えを延長したところにある今回の法案可決には私も賛成としておきたい。

けれども、いざ脳死と判定された子どもが出ました、あなたのお子さんの臓器を他の子どもを助けるために提供してくださいとなったとき、果たして心を悩まさずに承諾できる親がいるだろうかと考えると、なんとも悩ましくなってしまう。
「だって、まだ心臓が動いてるのに」
「体だって温かい」
「息を吹き返すかもしれないじゃないか」
親だったら誰だってそう思うだろう。

しかし、私はあえてそれを患者のミーイズムと呼びたいと思う。

誰だって助かりたいし、わが子を死なせたくはないのだ。

移植手術を待ち続けている子どもやその親もそう思っているし、「限りなく脳死に近い」と言われている子どもの親も思っている。
ミーイズムは「私だけは」と我を張ることで、決していい意味では使われない言葉だが、立場を正反対にした患者とその親は、究極のミーイズムを発揮しなければ命を助けることができないのだ。だからこの場合のミーイズムを責めることは、誰にもできない。

それでも。

私はできるだけ、助けるのはより健康に人生を送る可能性が高い患者の方にするべきではないかと思うし、患者本人が生きる喜びを教授できる結果をもたらす選択がなされるべきだと考える。
毎日新聞には人口100万人あたりの年間心臓提供者数のグラフが出ているが、1位のスペインが12.5人であるのに対して、日本はわずかに0.05人と極端に少ない。この状態はなんとしても改善していく必要があるのではないか。

毎日は社説でも臓器移植法に関してはまだまだ議論がし尽くされていないと、慎重な姿勢を見せている。
それはその通りだ。
もっともっと話し合っていくべきだ。そうすることで日本人の「死」に対する考え方も変えていく必要があるだろう。
そしてもっとも重要なのは、究極のミーイズムに折り合いを付けることで、そのために話し合う時間を惜しむことがあってはならないと思うのである。

たとえば親から虐待を受けて脳死になった子どもから臓器を移植できるのかという倫理的な問題もある。

強烈なミーイズムと目を背けたくなるような問題に曝されながら、それでもわれわれはこの問題に真剣に取り組むしかない。皆で知恵を出し合い、考え続けていくしかないと思うのである。

関連タグ : 臓器移植法, 脳死,

郵政社長人事をめぐる対立で、とうとう鳩山邦夫総務相が更迭された。

麻生太郎にしてみれば鳩山は「太郎会」の会長であり、麻生が代表選に立ったときには3回も選対本部長を務めたほどの功労者だ。
その鳩山を麻生が切った裏には、あの「郵政民営化」選挙で大勝利を収めた自民党内に、今もこの問題を逆行させるような動きに対しては大きな抵抗が働いていることを感じさせるものがある。
鳩山が対決しようとした西川善文は、竹中平蔵の肝煎りで三井住友銀行から迎えられた人物で、西川に辞任を迫った鳩山に対しては竹中が血相を変えて非難している様子がテレビに映し出されていたのが印象的だ。
今回の決着を導いたのにも竹中=小泉=財界の思惑が働いていたのは明らかであり、鳩山邦夫は孤軍奮闘の英雄気取りで「正義を貫く」と言い続け、更迭が決まってからは「潔く去る」といいところを見せようと涙目になっていた。

しかし、鳩山邦夫という男は「正義漢」どころか「男らしい」人間でもなく、これまでの経歴をたどれば再三にわたって恩を仇で返してきた卑劣な人間であることが分かる。
その辺をkojitakenの日記がうまくまとめているので、引用させていただく。
タイトルは「鳩山邦夫裏切りの人生」だ(笑)。

[旧民主党結党時に武村正義・村山富市両氏を排除]

鳩山由紀夫・邦夫の兄弟が「排除の論理」と称して、さきがけの武村正義氏や社民党の村山富市氏の民主党への参加を拒否。この動きに特に熱心だったのが、弟の鳩山邦夫だったことはよく知られている。

[東京都知事選立候補のためと称して民主党離党、その後なんと自民党入り]

そんなわがまま三昧の鳩山邦夫だったが、1999年の東京都知事選に立候補するためと称して民主党を離党。しかし、都知事選では民主党の支援を受けて戦った。結局都知事選は、「後出しジャンケン」で参入した、鳩山邦夫以上に卑劣な石原慎太郎に敗北。しかし鳩山は、都知事選後も民主党に戻らず、あろうことか自民党入りしてしまった。

[菅直人への「刺客」として衆院選に立候補]

民主党を裏切って自民党入りした鳩山邦夫は、ナナナナナント! 2003年の衆院選で菅直人の「刺客」として東京18区から立候補。この時鳩山邦夫は、「あのような人物を一国の総理にするわけにはいかない」とほざいた。この選挙で鳩山は、一時は菅直人を上回っているとも報道されたが、結局地力の差が出て選挙区では落選、比例で復活した。


どういうわけか、反自民を標榜するブログ界では今回の鳩山邦夫の「反抗」を持ち上げ、あろうことか民主党に戻って兄・由起夫とタッグを組むべしなどという輩がいるようだ。
しかし上の引用にもあるように、鳩山邦夫は都知事選のために民主党を離党し、そこで敗れるとあろうことか今度は自民党に寝返った男である。そして今度は菅直人の刺客として立候補した。これはまさに、恩人に対して後脚で泥を浴びせるような真似といってもいいのではないか。
鳩山邦夫がいかに見得を切って「潔く去る」などと言っても、決して騙されてはならないと思う。

私自身が鳩山に対して不信を抱くのは、法相時代に「死刑をベルトコンベアー式に自動化する方法はないものか」といい、2月ごとに死刑執行を命じていたことが大きい。この男は人の命をどう考えているのだろうか。そう思わずにいられなかった。
朝日新聞の素粒子が「死神」呼ばわりして、鳩山は血相を変えて怒ったが、数日前に冤罪だったことが明らかになった管家利和さんの例を見ても分かるように、死刑制度は罪もない人を殺してしまいかねない危うさを持っている。
それを鳩山のような考えで自動化していったらどうなるか。
管家さんのように無罪を主張し、確たる証拠もなかったのに死刑が執行されてしまった飯塚事件の久間三千年さんのことを考えても、慄然とするしかないのである。
鳩山邦夫という男は、不完全な死刑制度を積極的に肯定し、自ら機械仕掛けのロボットのように2月ごとに死刑執行の命令を下していったのである。
このような男を、どうして今さら「正義の人」などと呼べるだろうか。

民主党員のさとうしゅういちさんもまた、鳩山邦夫に対しては厳しい見方をブログで見せている。
さとうさんは鳩山のことを「正直に申し上げて「裏切り三昧で信用できない人」だとわたしは思います。」と評し、「野党であろうが、与党であろうが、一般有権者であろうが、この方を過剰に持ち上げることは愚策だ」と述べている。そして鳩山の本質は「信念などあまりなく、その場その場で、受けそうな行動を派手にぶちあげる。」というところにあることはたしか、としている。
そのうえで、さとうさんは鳩山邦夫が民主党に復党することについて、「弟だからといって特別扱いしたら、それこそ、民主党の世襲立候補禁止の趣旨(仲間内政治の排除)にも反してくる」と釘を刺している。

今回の郵政社長人事では、またしても決断力のなさを見せつけた麻生太郎だが、この一件が支持率をいっそう低下させるのならばまだしも、端から見れば自民党内のゴタゴタでしかなかった今回の事件を上手いこと理由付けして郵政民営化を正当化し、さらなるカイカクを進めようという議員たちを勢いづかせてはならない。
国民にとっては西川善文などのことよりも、苦しくなる一方の生活をどう立て直すか、社会保障をどう見直していくのかが最大の焦点なのだ。
このことを忘れて自民党に利するようなことがあってはならない。
なによりも政権交代をして自民党を倒し、これまで自公政府が行ってきた悪政ひとつひとつを新しい政権の手で洗い直していくのをなんとしてでも実現化しなければならないと思う。

私は民主党が第一党になっても批判すべき点はたくさん出てくると思っているし、そのときには遠慮なく批判していきたいと思っている。できることならば民主党を中心に社民、国民新党の連立でバランスの取れた政治を行ってもらいたいものだが、どんなときにも政権を厳しく監視するのは国民の務めであることを忘れないでおきたいと思っている。

関連タグ : 鳩山邦夫, 正義,

私は以前のエントリで、民主党代表選に立候補した鳩山由紀夫が「愛ある政治」「友愛社会の建設」という政策を打ち出した事に対して、意味が分からないと書いた。
「友愛社会の建設」などは鳩山自慢の祖父である鳩山一郎から譲ってもらったものであり、今の社会でこれを実現するとすればどんな政策になるのか、具体的なイメージが皆目つかめない。それは「愛ある政治」にしてもそうで、鳩山由紀夫の言っていることは悪く言えばお坊ちゃまの理想・空論で、具体性も実効性もまったく不明瞭なものだと言わざるを得ない。

しかし実際の代表選では、お坊ちゃまの理想・空論を掲げた鳩山由紀夫が代表に選ばれてしまった。

そして先月末に開かれた麻生太郎との党首討論では、吉田茂の孫と鳩山一郎の孫が対決? という画面が全国のテレビに放送された。
このやりとりを見て、一部のブロガーは「鳩山代表が麻生を圧倒していた」「鳩山代表の勝利」などと書き立てて喜んでいたが、私にはこの神経が分からない。

麻生太郎と鳩山由紀夫が相対する画面を見て、私にはいいようもない嫌悪感が湧いてきたからである。
二人の世襲議員による「対決」は、あたかも戦前の貴族院議院が復活したかのようであり、とても国民の代表が国民のために議論を戦わせているようには見えなかったからである。

国民不在の政治もここまできたか。

そんな思いが強かったこともあり、私は二人の「対決」なるものを最後まで見る気は失せてしまい、同時にこの党首討論についてブログで何か語ろうという気もなくなってしまった。

あえて今、ここに党首討論の感想を書くとすれば、「国民が持っている関心の第一は西松建設問題だと思う」と言った麻生太郎の脱力するしかない発言に改めてげんなりしたことと、相変わらず政権交代を狙う政党の党首として政権獲得後の政策を具体的に語ることができなかった鳩山由紀夫に対する幻滅を再確認したことである。

今日の毎日新聞では、民主党のブレーンでもある北大教授の山口二郎が「鳩山民主党の課題」という一文を寄稿している。
ここで山口は、民主党が自民党に対して対決の構図を作ってこれなかったことが日本政治の回り道の原因であり、それは同時に民主党が回り道をした原因でもあると述べている。
そして山口は、政権交代の必要性について次のように書いている。

なぜ政権交代が必要かと言えば、それは国民自身が政策を選択したという政党制を作り出すためである。選挙で国民が政権党とその政策を選択することで、信託を受けた政府は官僚機構の抵抗を排除して政策を実現できる。政権交代直後の政府こそ、政治主導を強力に発揮できるはずである。

これに続く文章で、山口もまた、鳩山由紀夫が掲げる理念に疑問を呈している。

政権交代で何を変えるかという点は、政党の思想にかかわる。鳩山氏も、友愛を掲げ、党首討論では居場所の確保、悪平等でも弱肉強食でもない第三の道など、思想の片鱗を感じさせてはくれた。しかし、今一つ聞く者の胸に響いてこない。

どうやら山口二郎も同じような感想を持っているようである。
学者である山口は、私が感じたものをさらに明確に文章にしている。
いわく、思想と綺麗事を分かつものは何かといえば、語る者の本気度の違いだと。

はたして、「愛ある政治」と「友愛社会の建設」を掲げた鳩山由紀夫には本気度がどれだけあるのか。
それは麻生太郎がとぼけて「今、国民が持っている関心の第一は西松建設問題」と言ったのに対して「自民党にも怪しげな人がたくさんいる」と言い返したところに見て取れる。
鳩山が「本気」ならば、麻生太郎に対して怒りを露わにし、「何を言っているのだ、国民がもっとも関心を持っているのは景気のことであり、国民生活そのものではないか」とやり返さなければならないところだった。

昨日、自公政権は国会会期を55日間も延長することを決めた。
この際、鳩山由紀夫には、政権交代をした後にどんな政策を打ち出すかという目に見えるものを国民の前に出してもらわなければならない。
そうでなければ、とても民主党を応援する気になどならないし、憲法改正に肯定的で国会議員定数削減に前向きな点など、自民党との大連立を組んでもおかしくないような傾向を持っている点において、私はますます鳩山由紀夫と民主党に対して疑いの目を向けざるを得ないのである。

関連タグ : 鳩山由紀夫, 民主党, 本気度,

いまや「エコ」という言葉は一種の免罪符になっている。

ガソリン消費が少なくてもすむハイブリッドカーはエコの代表選手みたいな扱いをされて大人気だし、消費電力がより少ない液晶テレビや最新型のエアコン、冷蔵庫なども二酸化炭素排出量を減らすのに貢献すると言われている。

それって「エコ」だよね。
といえば時流に合っていてカッコイイという意味を持つようになっている。

だからみなさん、エコな商品に買い換えましょう。

そう言って麻生太郎が考えたのか、とにかく自公政権は「エコポイント制度」などを盛り込んだ補正予算を成立させた。

しかしなあ。
よく考えてみましょうよ、皆の衆。

たとえば15年使い倒してきたオンボロ車をインサイトとかプリウスに買い換えるとして、それはほんとうにエコにつながるのか?
とりあえずは自民党さんのおかげで自動車減税が受けられるし、何に使えるかは分からないけれどエコポイントもつくらしい。
そのうえガソリン燃費がよくて二酸化炭素の排出量も少なくてすむのだからいいことづくめじゃないの。

だけど、その一方で廃車にしてしまったもとの愛車の末路を考えると、そうそう上手いことばかりではないのではないかと思えてくる。
だってそうでしょ。自動車をスクラップにすれば確実にゴミが増えるのだ。
今は再生できるものは資源として再生するというが、費用対効果でいえばエコカーが環境に貢献する度合いとゴミを処理するために環境を汚す度合いというのがどの程度のものなのかが分からない。
もしエコカーに乗り換える方がほんとうに環境にやさしいのなら、乗り換えによる効果>廃車による環境負荷でなければならない。
でも、そんなこと誰も証明したわけじゃない。

それはテレビやエアコンにしたところで同じである。
いくら2011年からは旧式のブラウン管テレビはそのままじゃ使えなくなると言われても、液晶テレビの方が消費電力が少なくてオトクですと言われても、現に今映っているテレビを買い換えることがほんとうに環境にやさしいことなのか。
新しいエアコンの方が冷却効率もよくて消費電力もぐんと少なくてすむと言われても、ときどき妙な音がすることはあるものの、まだ十分に冷房として使えるものを買い換えることが環境にやさしいのか。

昔の人だったら、無駄遣いはするものじゃないよ、と諫めるところである。

しかし今は、国をあげて買い換えろ、その方が環境にもやさしいのだからとけしかける。
その尻馬に乗って、「どうせ買い換えるのなら、ポイントも高くなる大型テレビがいいよなあ」などということをやってしまうと、疑問はますます大きくなる。
だって、いくら液晶だって大きくなればなるほど消費電力は上がるに決まってる。
エアコンにしたって、「ついでだから今年は子供の部屋にも1台ずつつけるべえ」ということにしたら確実にエコじゃなくなる。

今の政府が進めている「エコ政策」には、実はもっと恐ろしい落とし穴がある。
これはさとうしゅういちさんが「景気対策、逆に『エコ破産』『公共交通衰退』を加速?」というエントリで書いている。

たとえば今しきりに宣伝されている太陽光発電、オール電化住宅だ。
これらをわが家にも取り付けたいと考えたとする。
環境にやさしいのはもちろんだし、なにより太陽光発電なら電気代がタダになる。
ところがこれらの装置は決して安くはない。当然ローンを組むことになる。
問題は、そのローンが、これまで払っていた電気代よりも高くなり、払いきれなくなって破産に追い込まれるケースがあるのだ。
以下、さとうさんの文を引用する。

わたしの大学の同級生が中国地方の農村部で弁護士をしています。その地域の弁護士は、彼女ともう1人しかいません。地域では最近、太陽光発電や太陽熱温水器が流行していて、みなさんがこの手のものをつけました。、高いローンを組まされます。

 「小泉・竹中」以降、金融機関は、金融庁の指導で、中小企業向け融資は絞りますが、個人向けは積極的に融資をしています。個人は(言い方は悪いが)脅かせば、サラ金から借りてでも返してくれますから……。ローンの支払いは、かからなくなった電気代分より遙かに大きい。その上、今般の不景気で失業したり給料が下がったりすると、ローンが払えなくなる。そして、自己破産して家ごと失ってしまうのです。

 「エコの意味ないじゃん! わたしのところは、こんな事例がしょっちゅうなので腹が立つ」と彼女は呆れ顔です。

「エコ破産」と同様に「オール電荷破産」もある。さらには自動車の「エコ替え」で今までよりも高いローンを組まされ、自己破産のあげくローン付きの車を引き上げられるというケースも決して少なくないという。

要するに、政府の言いなりになっていると、とんでもない目に遭う可能性がありますよ、ということだ。
これって、エコじゃないよね~。

さらに、ETC付き自動車限定の「高速1000円」のおかげで、今、地方の公共交通が大打撃を食らっているという。
先月のゴールデンウィークは休日1000円を当て込んだマイカーが高速道路に殺到して大渋滞を引き起こしたことが記憶に新しい。
これ自体、すでにまったくエコからかけ離れた現象なのだが、この制度の問題は大将を限定しているところにあって、恩恵を受けられない物流業者や定期バスなどは配送が遅れたりダイヤが守れなくなって大変だった。
のみならず、みなマイカーを使うことで観光バスやフェリー会社が大打撃を被り、経営問題にまで発展しているという。

そりゃそうだ、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋も1000円で通行できるとなれば、わざわざ観光バスに乗ったり、フェリーを使わずマイカーで、ということになるだろう。
このため打撃を受けたフェリー会社は航路の一部を廃止し、今では雇用問題になっているという。

エコでもなければ雇用の問題まで生んでしまっている、今の政府がやっていることって何?
麻生太郎が最重要課題として景気対策を掲げ、国会を通過させた補正予算て、誰のためのもの?

よ~く考える必要があると思うよ。

ほんとうに環境のためを考えるなら、政府の尻馬に乗ってエコ替えなんかしないことだ。
古い自動車、古いテレビ、古いエアコンで我慢することだ。
そしてできることなら、どこにも出かけず、テレビも見ず、これからの暑さを我慢してエアコンをつけないことだ。

やせ我慢こそ究極の姿である。

それって、エコじゃね?(カッコイイんじゃない?)

関連タグ : エコ, 自己破産,

北朝鮮の核実験とそれに続くミサイル発射実験に、日本国内はなにやら色めき立っているかのように見える。
国内ばかりではない。核実験を強行したことに対しては、国連の安保理も懸念を示し、非難決議を採択した。これまで北朝鮮をなにかとかばってきた中国とロシアも、今回は非難する側に回っている。

北朝鮮は今月に入って再びミサイル発射実験を実施する準備をしているようだが、自民党内では今、敵基地攻撃論がさかんに取りざたされている。中川(酒)や安倍晋三のような極右政治家は以前からこれを主張し、憲法にも取り入れるべきなどと世迷い言をいっているが、今や彼ら極右政治家だけでなく山本一太のようなへたれ議員までもが、「北朝鮮に対する抑止力強化を考える会」で「敵基地攻撃能力を防衛大綱に入れていくキャンペーンを強めていきたい」と挨拶している。

座して死を待つのを潔しとしない。

対北強硬論者たちの基本にあるのは、戦前の政治家たちも好んで使った武士道精神の受け売りだ。

しかし、どうにかならんのかね。
この大時代なかび臭いような言い回し。
ま、こういう言い方が好きなのは自民党の議員だけじゃなく、左派ブロガーに人気の植草一秀なんかも大好きなんですけどね。

私はこんな言葉、大嫌いだ。聞いただけで拒絶反応が起きてしまうよ。

彼ら「座して死を待ちたくない」連中は、ただやられるくらいなら、せめて一発くらい仕返しをしてやらなければ気が収まらない、という理屈で適地攻撃論の必要性を説いているわけだが、不良のケンカじゃあるまいし、もうちょっとましなことは考えられないものだろうか。

今日、1日はアメリカのビッグスリーのなかでも長くトップに君臨していたGM(ゼネラル・モーターズ)が、ついに破産法を申請し、これからは政府が株式の72.5%を保有する国営企業として再建の道を歩むことになった。
GMのような巨大企業でも経営を誤り負債が山積みとなれば破綻してしまうのだ。

これはなにも企業だけに言えることではないだろう。
たとえば北朝鮮は2004年の国民総所得が2兆円で、日本の280分の1、韓国の40分の1にすぎない。国家予算にしても3600億円で、これは島根県の予算よりも低い額である。
こんな国が核兵器を作り、大陸弾道ミサイルなどを量産していけるのか。
軍事には暗いが、平気を作るには莫大な金が必要であることくらいは私だって知っている。

とすれば、今の北朝鮮の国力で、ミサイルを撃ち続けるのは無理に決まってる。
だって金がないんだから、どうしようもない。
今だって国民を餓死寸前の状態にしてまで予算を軍事費にまわすという無茶苦茶なことをやっているのに、もうこれ以上の無理は利かないだろう。

「お父ちゃん、お腹が減ったよ」と国民が金正日父さんに泣きついても、これまでは「ちょっと待ってな。今にお父ちゃんはアメリカからたっぷり金をもらってやるから。そうしたらたらふく食べさせてやるから」
そう言ってなんとか誤魔化してきたのだが、今回はアメリカは見向きもしない。
おかしいな、と思った父さんは小出しに核実験をしたりミサイル発射実験をしてみたりしているが、財布の中身はどんどん侘しくなるばかりなのだ。

こんな国が、戦争を仕掛けてくるかもしれないだって?
まさか、無理だろうよ。
私ならそう思う。
今は突っ張ってるけど、そのうちに音をあげるに決まってるさ。

そうは思わないかい?

もし私が考えていることに少しの分があるのなら、今自民党の議員どもがギャーギャー騒いでいる「敵基地攻撃論」なども、滑稽なものとしかいえないのではないか。

敵基地攻撃して一矢を報いるなどと、大時代なことを考えるよりも、現実的なのは北朝鮮が破綻したときに誰がどのように引き受けるかを今のうちに考えておくことである。
ガリバーとも称されたGMは破綻した。これを引き受けるのはアメリカ政府しかなかった。
北朝鮮もこのままでは近いうちに破綻する。そのとき、混乱を最小限にしてこの国を再生させるには誰が何をすればいいのか。

今、日本の議員たちが真剣に考えるべきは、このことなのではないか。

座して死を待つよりも、と思っているのはわれわれではなく、北朝鮮の方なのだ。

そうだとは思わないもんですかね、自民党のセンセイ方は。

関連タグ : 敵基地攻撃論, 自民党, 北朝鮮,

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