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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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もう冗談としか思えないが、彼らは本気のようである。

幸福の科学

エル・カンターレこと大川隆法を総裁に戴くこのカルト教団が次の衆議院選挙に全国で候補者を立てるという。
このことについては今日の「きまぐれな日々」でも触れているが、私にとってもこの教団で印象深いのは、小川知子と故・景山民夫が広告塔として活躍していた頃のことで、景山は当時の人気番組だった「料理の鉄人」でもしばしばゲスト審査員として登場していたから驚いたものである。
エル・カンターレなどというとっちゃん坊やみたいな教祖を仰いでいる男が、直木賞作家とはいえ、「審査員」として画面に出てくる異様さに、違和感を覚えた。
と、ここまで書いてみて、実のところ自信がなくなってきた。

さすがにフジテレビも、景山が幸福の科学の広告塔として恥ずかしげもなく出てくるようになってからは、ゲスト審査員には起用しなかったかもしれない。
しかし、芸能界には同じカルト教団である創価学会の信者がうようよいることを思えば、景山が出演していた可能性も十分にある。

テレビ界といえば、「俺は男だ!」という、30年前にそれなりの視聴率を稼いだ青春ドラマで人気を取った森田健作は、この番組のイメージを後生大事に実人生にも役立てて「青春の巨匠」などと呼ばれつつ知名度を保ち、それを活かして千葉県知事に当選した。
この森田が今やさまざまな疑惑で叩かれているのはご存じの通りだが、森田はまた幸福の科学からの支援を受けていたことが明らかになっている。
「政治家はさまざまな団体から支援を受けるものだ」という森田の開き直りには呆れるばかりだが、幸福の科学が三流政治家とはいえ森田のような男に粉をかけていた事実と、今回の「幸福実現党」設立の事実を見ると、この団体がどんな性格を持つものかを知っておく必要があるように思う。

そしてネットではすでに「HAKAIYA」というブログが「俺たち幸福実現党!」というエントリを上げ、この団体について詳しく述べているので、これを紹介したい。

まず、幸福実現党の思想傾向は超保守で、憲法9条改正と宗教教育を訴えている。
さらに森田健作については、幸福の科学の機関誌に森田が登場していることから、森田を批判しているのは左翼だと幸福の科学側は逆批判している。どうやら森田もすでに入信しているようだが、幸福の科学と森田健作は、政治・教育・女性に対する考え方がある程度一致しているという。

4月に北朝鮮がミサイル発射実験を行った際に、大川隆法は「レンジャー部隊が北朝鮮で軍事演習して、金正日を生け捕りにする」というぶっ飛んだ発言をしている。
しかし、なぜレンジャー部隊が北朝鮮で軍事演習をするのだ?

幸福の科学は麻生政権を支持し続けており、小沢一郎については「国連中心主義の考え方では日本を守れない」と批判していた。同ブログでは「仏陀(大川隆法のこと)が国連の考え方に文句つけてるというのが凄い」とコメントしている。

幸福の科学はなぜ幸福実現党を作ったのかについては、これまでの選挙では幸福の科学は自民党を支持してきたが、大川隆法は長年にわたって私欲に走った政党政治を批判し、超党派という考え方を提案しているので、現在の自民・民主が争っている状況は大川隆法の政治思想に合っていないのだという。
政治家の考え方は一致すべきであるというのが大川の考え方で、「仏陀再誕」という新作映画では民主主義も批判しているらしい。そのうえ支援していた森田健作がぶっちぎりで当選したものだから、気をよくして自分たちも政治に参加しようという気になったのか。自民・民主の大連立が成立でもすれば、大川の超党派に近い状態が実現する。そうなれば自民に対しては長年にわたる貸しがあるので、政党を作っておけば連立に参加しやすくなる。

選挙では300の選挙区すべてに候補者を立てるという幸福実現党だが、現在候補者を募集中である。
問題はどんな人物が推薦を受けられるか、だが、「仏陀再誕」では国民が政治家を選ぶ基準として
「その人の政治手腕のみによって決めてはならない。いかに仏に近き人を選ぶかということが、大事であるのだ」と述べており、ブログ主によると
「これはいかにも死にそうな人に投票しろ、という意味ではなくて大川隆法の政治思想に近い人を選べ」という意味のようだ。

てことは、憲法9条改正と宗教教育の重要さを信じ、民主主義を否定し、少なくとも森田健作と同程度の政治信条を持っていることが要求されるわけだ。

こりゃ、なまなかな人間では推薦してもらえそうもないな。

そういえばオウム真理教も1990年に「真理党」を結成して総選挙に打って出たが、全員落選した。
オウムの場合はこれがきっかけで反社会的行動に拍車がかかったわけだが、幸福実現党、いや幸福の科学にはどうかそういうことだけはないように願いたいものである。

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関連タグ : 幸福の科学, 幸福実現党,

北朝鮮は25日に行った地下核実験に続いて、26日、続けざまに3発の短距離ミサイルを発射させた。

この北朝鮮の挑発的な行為に対して、国連では安保理が新たな決議採択を目指すことで合意、新たな制裁措置を講じていくものと思われる。
しかし、北朝鮮に対してはすでに06年10月に行われた核実験に対して制裁結夏1718を採択、経済制裁を実施している。そのうえで、なおも核実験を行ったことについては、もはや北朝鮮は「国際社会からの孤立を恐れなくなっており、有効な措置をとるのは難しい」と西側外交筋の談話を新聞は掲載している。

日本国内はどうかというと、衆議院が26日の本会議で北朝鮮を非難する決議を全会一致で採択、参院も27日以降に同様の決議を採択する方向でまとまっている。

ここで気になるのは、麻生太郎が26日夕、北朝鮮のミサイル発射基地への先制攻撃を想定した敵基地攻撃能力について「一定の枠組みを決めたうえで、法理上は攻撃できるということは昭和30年代からの話だ」と述べ、法的には先制攻撃が可能であるとの認識を示した点である。
麻生太郎は、先制攻撃能力を保有すべきかということまでは言及しなかったものの、自民党内には4月の弾道ミサイル発射実験以降、先制攻撃を念頭に置いた発言が相次いでいるのが気になる。

いうまでもなく、北朝鮮の挑発に乗って過剰反応し、日本が「先制攻撃」を仕掛けるようなことがあってはならない。
この点を麻生太郎はどう考えているのか分からないが、極右政治家の麻生であれば、北朝鮮の不穏な動きを口実に攻撃を仕掛ける暴挙に出ないとも限らない。
戦前は軍部の暴走が戦争の口実をどんどん作り上げていき、太平洋戦争を避けられないものにしてしまったが、今回は麻生太郎や中川昭一、安倍晋三などの極右政治家が自ら暴走して自衛隊に攻撃の指令を出さないとも限らない。

麻生太郎は、戦争をしたくて「法的に先制攻撃は認められる」と言っているのだろうか。
つくづく、われわれは無能なうえに危険な考えの持ち主を首相に頂いてしまったものだと情けなく思う。

しかしこんなことを書いていると、反論がくるだろう。

「それでは、北朝鮮が実際に日本にミサイルを撃ち込んできたら、どうするのだ」

私はその問いに対して、こう答えるしかない。
「どんなことがあっても、戦争だけは嫌だ。反対するしかない」と。
まして先制攻撃をするなど、核には核で応えるなど、考えるだけでもよくないと思う。

だが、冷静に考えてみれば、北朝鮮がほんとうに日本を攻撃してくる可能性はどれほどあるのか、そこが肝心なところだ。
北朝鮮が日本あるいは韓国を攻撃したとして、どれだけ利するところがあるだろう。
この狭くて人口ばかり多く、資源も農産物も乏しい国を奪ったところで北朝鮮は豊かになるどころか、常に政情不安を抱えることになるだろう。

なぜなら、日本にも韓国にもアメリカ軍が駐留しており、アメリカにとって両国は極東の一大重要拠点なのだ。
たやすく北朝鮮に差し出すわけがない。

とすれば、今、北朝鮮がやっているのは韓国や日本に対する示威行動などではなく、アメリカに対するパフォーマンスと見るのが順当なところだろう。
では北朝鮮はアメリカに何を求めているのか。。。

まあ、こんなことを書き続けていると、まるで田中宇の陰謀論を真似しているような気分になってくるので止めておくことにする。

しかし、ミクシィのマイミクさんのひとりが、とても興味深いことを書いていたので、それを紹介することにする。
それは、北朝鮮のパフォーマンスは現体制をアメリカに認めさせるためのシグナルだという見方だ。
北朝鮮はアメリカに認めてもらいたい。けれども、現体制をそのまま残しておくのは危険である。
それならば、アメリカは金正日の体制を認めてやり、金を与えて金正日一族をまるごとアメリカに亡命させればいいのではないか。
そうすることにより「北の脅威」はなくなり、北朝鮮の人民も解放されることになる。
日本もアメリカに協力し、応分の金を負担すればいい。
その方が、核武装したり戦争したりするよりもずっと安上がりにすむはずだ。
北朝鮮が解放されれば東アジアの安定化もすすみ、これまで使ってきた防衛費もいらないことになる。
解放した北朝鮮をどこが治めるか、それは国連で暫定政府を置き、国内が安定するまで世界が共同して治めるようにすればいい。

この考え方は、とにもかくにも核兵器の拡散を抑える点においても意味が大きい。

しかし北朝鮮の核兵器がなくなったとしても、世界にはまだまだ核を保有する国がある。なかでも核開発が疑われているイランは、アメリカとの緊張関係が続いており、今後予断を許さない。
核戦争の可能性は依然として残る。

そんななかで、日本はどう対処していくべきなのか。
憲法を改めて戦争を容認したり、核保有国の仲間入りしたり、先制攻撃を認めるようなことがあってはならない。
どんなときも、日本は平和を念頭にして世界を動かしていかなければならない。

そのためにも麻生太郎をはじめ、自民党の極右政治家たちはマスコミを利用していたずらに「北の脅威論」などを広めてほしくないものだと思わずにいられないのだ。

関連タグ : 北朝鮮,

少し前の情報になるが、19日付けの「ITpro」というネットマガジンで「本当に『いす』がなかった、キヤノン電子のオフィス」という記事が出て、一部で話題になった。

なぜ話題になったかと言えば、同社の社長である坂巻久は『椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!』(祥伝社)という本を書いており、その内容通りに社内から椅子を撤去することによって大きな収益改善効果を上げているとされたからだ。

なぜ、社内から椅子を撤去すれば収益改善に結びつくのか。
坂巻の著書によれば、会議室から椅子を撤去したことで会議への集中力が高まり、年間の会議時間が半減した。オフィスでも、立つことで社員同士のコミュニケーションが密になり、問題解決の精度やスピードが劇的に改善した。
さらに椅子代も不要、椅子をなくした分のスペースが節約されるなど、椅子をなくすことのメリットは計り知れない、というのである。
椅子がない職場

これだけ読めば、画期的な社長のアイデアで社内は活力にあふれているだろうといった想像がなんとなく芽生えてくる。

しかしネットの住人たちが驚き、話題にしたのは作業台の前に立って作業している社員たちの、なにか殺伐とした光景であった。
さらに驚かされたのは、廊下の一部に青く塗られたゾーンがあり、「5m3.6秒」と書いてあるところだ。

坂巻が言う。
「広い工場なので、移動に費やす時間がバカにならない。社員に歩くスピードを体得してもらうための仕掛け」
なのだそうだ。
この5mのゾーンの両端にはセンサーが設置されており、3.6秒以内でそこを通過しないと警報が鳴る仕組みになっている。
廊下

この記事を書いた記者は、こうした光景を目にしながらも、
「本当にいすのないオフィスを目の当たりにして,改めて“改革の達人”と呼ばれる酒巻社長の実行力に感銘を受けた。いすをなくすことに代表される酒巻社長のさまざまな改革により,キヤノン電子の業績は,いすをなくした2000年から2007年の8年間で,経常利益率が9.7ポイント改善した」
と評価し、
「急激な在庫調整を行った製造業各社にとって,在庫が適正水準に戻ったこれからが正念場。100年に一度の不況を乗り越えるために企業に求められているのは,「いすをなくしましょう」と言って本当になくしてしまえるような,実行力のあるリーダーなのだろう」
と結んでいる。

だが、ネットでの反応は違う。

「これなんて収容所」
「足腰の弱い奴はやってけんな」
「ほんと社畜って感じだな」
「どこの刑務所だよ」
「刑務所の方がまだましってレベル。もはや従業員はブロイラー」
「さすがキヤノン、社員の扱いは奴隷のようですね。刑務所でさえ椅子はあると思うぞ」
などと、批判的な感想が大半を占めた。

そりゃそうだ。
誰だって、こんな光景を見て、自分もそこで働いてみたいなどとは思わないだろう。さすがに休憩時間ぐらいはしゃがめるのだろうが、一日中立ちんぼで作業させられて、廊下を歩く速度まで測られる。
毎日毎日、そんなことの繰り返しをして給料がいくらなのか知らないが、人生が楽しいなどという言葉は出てきようがない。
まさにキヤノン電子というカイシャは、社員にとっては生活を維持していくために必要なところといえるだろう。

チャップリンは「モダン・タイムス」という作品で企業の効率化優先のために、従業員の人間性が犠牲になる様を描いて見せたが、今その世界が現実になっているのだ。

これはホワイトカラーにもいえることで、国家公務員一般労働組合の活動をしている人々によるブログ「すくらむ」が「このままでは仕事に殺される-過労死・過労自殺を強制する経団連会長・副会長出身企業13社」というエントリで、その実体をつまびらかにしている。

過労死は、今や「KAROSHI」として英語の辞書にも載っているというが、企業が成果主義を取り入れ、生産性と効率の向上を追求するようになった結果、従業員の間には賃金格差が生じ、さらに精神ストレスまでも強める結果になったという。

>成果主義の狙いの一つは、リストラによって人員削減がつづく環境のもとで、ホワイトカラー労働者を相互に競わせ、まえより少ない人員でもっと働かせて、人件費総額を抑制することにあった。その結果、最近は、ホワイトカラーのあいだでも、仕事が増えて給与が下がるという事態が生じている。<

>第一生命経済研究所主任研究員の松田茂樹氏によると、ホワイトカラーの男性正社員の労働時間は、2001年の1日平均 9.5時間から2005年の10.2時間に増え、10時間以上働く人も4割から6割に急増した。このように労働時間は増えたにもかかわらず、平均年収は 2001年の645万円から、2005年の635万円へと10万円下がった。時間当たり賃金は、2001年を100とすると、2005年は91で、1割近く減少したことになる。これらのことは結局、ホワイトカラーが絞り込まれていっそう搾り取られるようになったことを意味している。<

株主の立場から企業の社会的責任(CSR)を求めて活動している「NPO法人株主オンブズマン」は、日本経団連の会長・副会長出身企業16社の労務コンプライアンスの現状を把握するために所轄の労働局に対して時間外・休日労働協定(36協定)に関する情報公開請求を行った。
「36協定」というのは労働基準法第36条に基づく、時間外・休日労働協定のことで、使用者は労働者の過半数を代表する労働組合ないし従業員組織と協定を結び、労働基準監督署に届け出れば、労基法の定めを超えて時間外および休日に何時間労働をさせても罰せられないものとしている。
力関係から見れば、これはずいぶん使用者側に都合のいい協定のように思える。
そして実際、厚労省は「36協定」における労働時間の延長の限度を、1週15時間、2週27時間、4週43時間、1カ月45時間、2カ月81時間、3カ月120時間、1年360時間としているものの、法的拘束力はなく、この限度を遙かに超える時間外・休日労働を可能にする「特別延長時間」を設けている企業が大多数だという。
これ、橋下徹流に言えば企業がやっていることはぼったくりバーと同じ、ということである。

そしてこの情報開示の結果、明らかになったのは、日本経団連の会長・副会長企業の36協定は、三菱商事・全日空空輸・第一生命の3社を除いてすべて過労死ラインを超える36協定を結んでいることだった。

会長企業のキヤノンの場合、最大延長時間は月90時間、年1080時間。
同社の別の事業所では最大で月80時間、年700時間働かせることができる協定を結んでいるが、その場合の1日の延長可能な時間は15時間。
ということは、1日9時間の拘束時間を15時間延長し、24時間働かせることもできるわけだ。
同じように、パナソニックでも1ヶ月に延長できる最大時間は100時間だが、1日に延長できる最大時間は13時間45分。
日立製作所も一日延長できる最大時間が13時間となっている。

これでは過労死や過労自殺が起きるのも当たり前だ。

「すくらむ」では最後に次のように書いている。

経団連はCSRに対する取り組みのなかで、ILOが唱える「ディーセント・ワーク」(まともな働き方、人間らしい労働)の実現を言葉としては受け入れている。しかし、実際には会長・副会長企業の大多数は、付表の36協定の概要に明らかなように、過労死・過労自殺を招く長時間残業の削減にはきわめて消極的である。<

末端の工場では従業員たちが歩く速度まで規制され、立ったまま働かされ、管理職は設定された目標を実行するために身を削って1日中働き続ける。
もはや労働に喜びや達成の喜びをみつけるのは夢物語の世界となっている。
職場は人間交流の場であり、人間成長の場である、というのも幻想に等しい。

あるのは効率と成果。いかに無駄をなくして収益を増やすか。

大不況に見舞われているときに、仕事にありつくことさえ難しくなっている現在だが、その仕事の現場が人間性のかけらもない、ただの「工場」になってしまっているのが恐ろしい。
このままでは企業だけが肥大化し、幸福を得るのはトップだけということになってしまう。
国民生活を豊かなものにするためには、政治を正すだけでなく、企業にもその社会的責任を重く考えさせるようにしていかなければならない。

関連タグ : 経団連, キヤノン, 過労死,

創価学会の信者に対して、お前が信じているのはカルトだとか邪教だとか、心に思った通りのことを言って辞めさせようとしても、信者というものは辞めるものではない。
むしろ反対に、そんなことを言うお前こそ、地獄に堕ちて真っ黒になるまで焼かれてしまうぞと脅されるのが落ちだ。

同じように、私は今の植草一秀氏のブログ「知られざる真実」を熱心に読み、その言説を貴重な警世句として信じている人々に対して、もはや「あなたがたが信じているのはインチキブログだ」などと言うつもりはない。
人は、信じたものがそのすべてになってしまうからだ。

だから、今回はほとんど徒労と知りつつも、あえてもう一度「植草」を取り上げる。
それというのも、前回、私がアップしたエントリに対して、「植草氏は正しい、ブログ主は間違っている」という長々しいコメントをもらったからだ。
私はかならずしも論争が好きではないが、日頃忌々しいと思っている植草などが正しいと、恥ずかしげもなく書いてくるような者に対しては一言言ってやりたくなる。

まず、ここで頭の悪い信者のためにもう一度繰り返しておくが、私は軽々にマスコミを「マスゴミ」と呼ぶことに反感を持っている。
マスゴミなどは2ちゃんねるレベルの連中が好んで使う、汚れた言葉だと思ってる。
コメント主は「マスゴミ」の出典は『マスコミはなぜ『マスゴミ』と呼ばれるのか』という本であると教えてくれている。
まったくありがたいことだが、この本は元産経新聞の記者だった日隅一雄という人物が著したもので、その内容こそは植草氏が日頃ブログで展開している権力による陰謀とマスコミ操作を非難しているものに他ならない。
私はこんな本、クズだと思ってますけどね。

私は、今あるマスコミが健全で完全なものだとは決して思っているわけではない。
たしかに明らかに偏向報道と思われるものがあるのは事実だし、記者クラブの存在によってどこも同じ内容の報道をしている弊害を持っているとも思う。さらに、民放に関して言えばスポンサーのいいなりになっている部分が多いだろうし、NHKにいたっては政治家の圧力を受けて番組内容を変更したことさえあるようだ。
マスコミ関係者はみな高給取りで、庶民の本当の苦しさを理解しておらず、したがって庶民の目線から番組を作ることが少ないのも事実かも知れない。
あるいは、マスコミ同士がなれあって、互いに批判し合うようなことが少ないということもあるかもしれない。

だからといって、それではマスコミ全体がもうどうしようもなく信じられないほど腐りきっているかと言えば、私はそうは思わない。
むしろ植草氏のブログのように日本は陰謀に満ちあふれ、マスコミはその走狗として利用されているという言説の方が疑わしいと思う。
第一、われわれの多くはあらゆる事象に対して一次情報を得る立場にない。たとえば小沢一郎が辞任したときだって、当事者から話を聞ける者がどれだけいるか。
植草氏だって民主党内部に入り込んで情報を得てきたわけではあるまい。
結局のところ、われわれが情報を得るときには多かれ少なかれ、今あるマスコミに頼らざるを得ないのだ。
それが間違っている、明らかに疑わしいと言う場合には、われわれには異議申立てをする権利があるし、マスコミ側にはそれを受け入れる義務がある。
それが民主主義というものであって、テレビ・新聞が流す情報はすべて操られていると決めつけ、十把一絡げに「マスゴミ」と呼び捨てるのはいかがなものか。

私は、メディア批判をするのは大いに結構なことだと思う。
しかしそのやり方は「マスゴミ」呼ばわりして、頭から信じようとしない姿勢とは相容れない。
植草氏は、メディア批判をするときには、まず言葉を選ぶことからはじめるべきで、その際に「マスゴミ」などと使い古された汚い言葉を使うべきではないと思う。
この時点で、まず私は植草氏を信じるに足りないものと思ってしまう。

私が植草氏の「悪徳ペンタゴン」陰謀説を非難したことに対しても、コメント主は文句をつけてきているが、私に文句を付けるくらいならば、自分が走り回って一次情報を獲得し、「悪徳ペンタゴン」なるものの陰謀を晴らしてみてはどうか。コメント主は、結局のところ、二次情報を自分流に解釈している植草氏の言説をさらに自分で受け売りしておいて真実を握ったかのような錯覚を覚えているらしい。
これって、滑稽なことだと思うのだが、どうだろう。

さらに、私は植草氏の本心は日本の政治を改めることにあるのではなく、実は自分を逮捕した検察権力やそれを題材に大騒ぎしたマスコミに対する意趣晴らしにあるのではないかと推察した点について、コメント主は「まったくそれで構わない」と言い切っている。
ならば、あなたがたが日頃言っている政権交代とか日本をよくするとかいう旗印はイカサマだったわけ?
これまた笑止な話である。

私は陰謀論というものが嫌いであることは、このブログでも何回も繰り返してきた。
今回は仕方がないのでもう一度、繰り返すことにする。
陰謀論を用いれば、この世の中は何でもありになってしまうのだ。それは便利で面白いものかもしれないが、真実を知るには何の役にも立たないし、それどころか誤った考え方を広げやすい点で非常に害のあるものだと信じている。
植草氏のブログが害悪であるとしたのは、まさにこの点だ。

植草氏は陰謀に満ちたこの社会の闇を暴くことに懸命なのかもしれないが、私は違う。

私は極端に言ってしまえば、植草氏のいう「悪のペンタゴン」など放っておいてもいいと思っている。
それよりも重要なのは、今の社会が抱えている貧困や格差の問題をなくすことであり、国民が希望を持って生きていけるような社会を実現することである。
もちろん、そのためには社会の悪と戦う必要も出てくるだろう。
でも、戦うときは戦えばいいのであって、戦いそのものが目的ではないと信じる。

さらにいえば、たとえ自民党を倒して民主党が政権を取ったとしても、社会悪は残っていくと思う。これは民主党だけにいえることではなく、どんな政権がどんな政治を行ったとしても、社会というものはどこかに闇の部分とか腐った部分をはらまずにいられないものだと考えるからだ。
格差をどんなになくしていったとしても、大金持ちとそうでない人は依然として残るだろうし、会社の金で美味しい思いをできる人間がいる一方では日夜あくせく働き続けなければならない人もなくならないだろう。
しかしわれわれが目指すのは、できるだけそうした格差を縮めようとすることであり、たとえあくせく働かずにいられなくても、せめて希望を失わずに生活を送れる社会を実現させることが第一と考えている。

そのためには植草氏のように重箱の隅をつついてメディア批判をしたところで、ほとんど何の力にもならないだろう。その考え方が少しも建設的ではないからだ。

コメント主は、私が鳩山由紀夫が言う「友愛社会の建設」が抽象的で意味が分からないというのを嗤って、「友愛」とは「自立と共生」を同時にもたらすメカニズムの意であり、それは民主主義の基本理念である「自由と平等」の現実的な表れであるという説明を聞いているはず、と書いている。
ならば問おう。
その理念を具体的な政策にするとしたらどんなものになるのか。
それを教えてほしい。
私はそれが分からないと言っているのであり、ここで抽象的な文言の解釈をしているのではないと言うことがわからないのだろうか。

「植草氏は正しい」と信じているといっても、この程度のものか。
私にはまったく理解できないね。

こんなことを書いたら、植草信者のコメント主は「地獄に堕ちろ」と思うかもしれない。
だったらあんたも間違いなく、カルトの信者と思った方がいいよ。

関連タグ : 植草一秀, 信者,

かねてよりさまざまな疑惑が取りざたされてきた千葉県知事森田健作だが、就任2ヶ月になる今になっても新たな疑惑がわき出している。

ほんとに疑惑モリモリの森田健作

今日紹介する新たな疑惑の第一は、知事の定例記者会見で知事の都合の悪い部分を勝手に編集しているのではないかという疑惑。
この詳細については「広島瀬戸内新聞ニュース」のさとうしゅういちさんが報じている。それによると、千葉県が運営するホームページでは知事の定例記者会見の動画が配信されており、県民が千葉県の施策を知事の生の声を通して知る機会になっている。
ところが、この記者会見の模様が不自然にカットされてしまったのだ。

これまで記者会見は4回行われているが、すべて放映されたのは1回目と2回目だけで、3回目は最後の約12分がカットされていた。
さらに4回目は最後の6分がカットされていた。
この恣意的に行われたと思われるカットされた部分にはどんな受け答えが収録されていたのか。

3回目の会見は4月30日、4回目の会見は5月14日に行われたが、この両日とも終わりに近い部分で記者たちから森田健作が自民党の支部長を務めていた問題や、高校での講演料を政治資金として扱ったこと、森田の唯一のヒット作である「俺は、男だ!」を題材にしたパチンコ台が出回っていることに対する質問が出たという。
これに対して森田は、記者の質問を遮り、ときには声を荒げる場面もあったという。

こりゃ、恥ずかしいし、とてもやばくて県民には見せられないわな。

で、森田が指示したのかどうかは不明だが、問題の部分が映った動画が不自然な形でブツンと途切れることになってしまったというわけだ。

もう爽やかでクリーンなイメージだけが財産のモリケン、台無し。

この不自然なカットについては県議の間から強い抗議が出て、あらためて定例記者会見は冒頭から最後まで放映することをもとめた。
これに対して県の報道広報課は、「サーバーの容量の関係上、30分以上は放映できない」と説明した。
だけど、1回目の定例記者会見では45分28秒すべて放映してるんだぜ。
森田、この段になって苦しい言い訳をするなよ、男がすたるぜ。

「段」といえば、疑惑の二つめ。

それは森田健作がプロフィールにも謳ってきた「剣道二段」という肩書きが、どうやらウソだったようなのだ。
おいおい、モリケンから剣道を奪ったら、後に何が残るっていうんだよ。

これは雑誌『AERA』が伝えたもので、その取材記事によると、森田が所属する「サンミュージックプロダクション」の政策部長で森田のマネージャーも務める石本耕三氏が説明。
「森田は、親類の範士(剣道の最高位者)が開いた道場に通っていたが、中学3年か高校1年のとき、範士から『君はもう二段だ』と言われた。そのことを受けて『剣道二段』を名乗っている」のだという。

一般に、剣道の段位は全日本剣道連盟が開催する審査会で認定されたものを言う。
けれども、われらがモリケンは全剣連の段位は取得していないのだそうだ。
私ゃ、思わず「一本!」と旗を振り上げたくなっちゃったよ。

まあモリケンのことを考えてみればある意味、範士から「君はもう二段だ」と言われたからその気になって「自分は剣道二段」と思い込むようになったというのもアリかなとは思う。
でもさ、59歳になる今まで、一人で勝手に思い込んでいた段位をプロフィールに謳っちゃまずいでしょ。
あんたも知事なんだし。

モリケン、それでもお前は「男」か?

就任してわずか2ヶ月で、これほどボロが出てくる男というのも珍しいというか、ある意味、自民党員らしいわな。

この先、モリケンからどんなウソや虚偽記載が飛び出してくるか。
『AERA』ではこの他にも、森田が知事選中
「精査しながら、関係都県と協議したうえで対応を考える」としてきた八ツ場(やんば)ダム建設について、わずか就任6日目に開かれた自民党系議員が中心の会合で「八ツ場ダムはやらなきゃダメ」と推進の立場を明確化したという事実も報じている。

まったく森田健作という男は、人間性そのものに問題があるとしか思えない。

千葉県民は我慢強くこの男とつきあい続けるか。

それともいっそ声を上げて「さらば、森田と言おう」というわけにいかないものだろうかね。

関連タグ : 森田健作, 千葉県知事,

あれあれ、きっこ女史はオムライス党(社民党)からいつの間にか民主党の熱烈な支持者に変わってしまったらしい。
まあ、私は「きっこの日記」の熱心な読者ではないから、この変質がいつ始まったのかは知らないのだが。
それでも、小沢一郎が代表を辞任した5月11日のエントリ「飛車格落ちの民主党」を読んだときには驚いた。

だって、小沢一郎は囲碁の名人で戦略の達人だなんて書いてるんだもの。沈没寸前の自民党に対して、民主党は何十手先までも展開を読み切る頭脳派集団で、飛車格落ちでも民主党は楽勝だなどと持ち上げてるんだもの。
ちなみに囲碁の名人が将棋をやって飛車格落ちで勝てるかどうか、なんて突っ込みは誰か入れたのだろうか。

ここまで民主党を大絶賛してもいいのだろうか。
民主党を自民党の対抗軸として考えることには異論はないが、民主党をそれほど信用していない私などにはきっこ女史の言い分は奇異に映るばかりである。

きっこ女史はその後も、小沢一郎が西松建設の献金疑惑について何ら説明せずに辞めてしまったことについても非常に攻撃的な口調で小沢を擁護している。
客観的に見れば、自分の秘書が逮捕され、違法な献金があったことは事実なのだから、代表を辞めるに当たってはこれに対する説明をするのは当然だと思うのだが、どうだろう。だって「違法なことは一切ない」と言いながら「このままでは選挙戦を戦えない」ところまで追い詰められていたのは小沢一郎だろう。
だったらご本人に説明を求めるのは当たり前じゃないか。すくなくともいきなり「偉そうに説明責任を果たしてないなんてのたまってるクルクルパー」などと呼ばれるいわれはないはずだ。国民には事実を知る権利があるし、報道にはそれを知らせる義務があると考えるのがあたりまえだろう。

おまけに民主党の代表選が行われた15日には、自らのブログでアンケートを行い、きっこ女史はここで勝手に立候補(苦笑)。めでたく鳩山由紀夫に次いで2位の票を獲得し、自ら副代表に決まったと悪ふざけをしている。調子に乗ったのか、副代表に「就任した」きっこ女史は、前原誠司と小宮山洋子をお得意のバカ呼ばわりして首を宣告。レンホーとかの腰掛け議員どもはいつでも派遣切りにできるとエスカレートしている。これ、派遣の人たちに失礼じゃね? 限りなく。

きっこ女史はさらに代表選に敗れた岡田克也をフランケンとこき下ろし、今回の代表選は「反自民の鳩山と親自民の岡田の対決」と解説し、岡田克也に投票するのは自民党支持者だと決めつけている。
大丈夫かい、きっこさん。あなたはまだ熱狂的な社民党支持者だとは最後に書いているけれど、それならばなおさらのこと、本気で支持しているわけでもない党のことをこんなふうに書いてしまっていいのだろうか。

おまけに民主党が挙党態勢を整えるために行ったのがこの代表選なのに、あなたのように反自民と親自民に党内を色分けしてしまったのでは何もならないじゃん。矛盾してるよ。

そして、なによりもよくないと思うのは、マスコミを腐りきった自民党の手先のように言い切っていることだ。
べつにマスコミを貶すべきじゃないというつもりはない。
けれども、新聞その他の報道をひとからげにしてインチキ呼ばわりするのは、どう控えめに見ても言い過ぎだ。きっこ女史はおそらく自民党や財界のいいなりになって偏向報道するマスコミなどよりも、自分の主張、ブログの存在の方が正しいと言いたいのかもしれないが、残念ながら今のブログというかネット界を見回すと、これほどバイアスがかかった主張が無責任に横行している世界もないといえる状況ではないか。

マスコミのことを「マスゴミ」呼ばわりするのはネット右翼の常套だが、ここでもうひとつ思い出してしまうのがテカガミ先生こと植草一秀の「知られざる真実」というブログだ。
このブログについても私は熱心な読者などではないが、1日のアクセスが3万にも達するというから、今や影響力もバカにならないといえるだろう。
しかし、「知られざる真実」を読んでいるといつも思うのは、植草という人は、政治や政局を語るように見せかけていながら、もっとも力を入れ、執着していると言ってもいいほど繰り返しているのはマスコミ不信であり、検察をはじめとする権力に対する憎悪である。
彼は理知的に語っているように見せながら、例の「マスゴミ」という表現を何のためらいもなく使っている。
かつては自分もマスコミに出て飯を食っていただろうに、今さらゴミ呼ばわりするというのはどうだろう。私には信じられない神経だ。

植草氏は政官業が癒着した「悪徳ペンタゴン」が日本社会を牛耳っており、それを糺すべく立ち上がろうとしているのが小沢一郎をはじめとする民主党だという筋書きで毎回話を進めている。
けれども仮面ライダー対地獄の軍団じゃあるまいし、この社会の病巣をそんなに簡単なくくりで語っていいものか。
毎日のようにエントリをアップし、熱っぽく語るこのブログが数万の読者を獲得し、それなりの同意というか支持を得ているというネット界の状況が、私にはとても危なっかしいものに見えて仕方がない。

今では「きっこの日記」をはじめとする有名ブログが植草氏の影響下にあるようで、ここ数日の記述を見ても言わんとしていることがよく似ている。なかには植草氏の主張をそのままコピペしたような内容のエントリをあげているブログまであって、おかしいというか可哀相というか、複雑な気持ちになってしまう。

しかし「きっこの日記」が民主党は挙党一致して自民党を倒すべきと言いながら、岡田支持者は自民党に近いと言ってせっかくの主張を台無しにしているように、植草氏もまた「悪徳ペンタゴン」を倒すためには民主党に勝ってもらうしかないと言いながら、実は民主党などこれっぽっちも支持していないネット右翼たちとも仲がいいという矛盾をはらんでいる。マスコミの世話になっていたのにコロリと寝返ってマスゴミと言い放ち、テレビ・新聞の報道は偏見に満ちている、悪徳ペンタゴンに操作されていると言ってしまう植草氏というのは、私にはとても信じることができない人物なのだ。
植草氏の本質は政権交代による社民主義的社会の実現にあるのではなく、単に自分を陥れた(と自ら信じている)権力や、それをネタに騒ぎまくったマスコミへの恨みを晴らすことだとしたら、今、彼を信じ、声をからすようにして応援しているブロガーたちは好い面の皮だろう。

私は民主党など支持していないけれども、自民党を倒すには民主党が中心になって野党共闘していくしかないと思っているからとりあえず民主党を応援している。
この程度なのだから、代表が小沢一郎から鳩山由紀夫に替わったとしても大した期待はしていないし、世襲の鳩山が代表になるよりは岡田克也が選ばれた方がよかったと思っている。
そして、せっかく代表選をやるのだったら、わずか2日間でひっそり決めてしまうのでなく、全党員に投票権を持たせて大々的に代表選をやった方がよかったと思っている。そうすれば鳩山由紀夫が言った意味不明の「友愛社会建設」だとか「愛ある政治」の内容も国民みんなに分かるように説明できたと思う。
テリー伊藤じゃなくたって分からないだろう、普通さ、「友愛社会」なんて言われたって。分からないものを分からないと言うのがなんで民主党攻撃になるのか。
私にはそっちの方がよほど分からない。

まあ植草氏がこのブログを読むこともないだろうから、今さら説明してくれることを期待してはいない。

でもさ、植草さんよ。
そんなにブログで世の中陰謀だらけだと煽って、この後どうするつもりなのよ。

できればそれだけは聞かせてもらいたいものだ。

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民主党代表選は、昨日、鳩山由紀夫と岡田克也が立候補し、この二人で争われることになった。そして明日にはもう決着がつくというのだから、なんとも気短な代表選で、これでは二人が具体的に何をやろうとしているのか、投票権を持つ議員たちにも理解できないだろう。
なぜ、こんなにも急いで代表選をする必要があるのか。

ジャーナリストの上杉隆は、DIAMOND online で、「民主党は拙速な代表選実施で、政治ショーの最高の演出機会を逃した」という一文をアップしている。それによると、小沢一郎は辞任は民主党にとって国会日程の主導権を握っただけでなく、麻生太郎が持つ「解散カード」までも限定的なものにし、代表選を行うことでその後の党勢回復にも一役買うものだった。ところが、その代表選を5月16日に定めてしまったことによって、それらの効果を台無しにしてしまったというのである。

たしかに上杉ならずとも、こんなに早く代表選を実施したのでは二人の代表候補の考えを十分に聞く余裕もないし、第一これではマスコミが盛り上げるヒマがない。
昨年9月に自民党は1ヵ月というもの、国会に空白期間を作ってまで茶番と呼ばれた代表選を行った。国民は大いに白けたが、NHKをはじめとするマスコミはダボハゼのように食らいつき、連日あの5人の候補者の顔をテレビで流した。
広告宣伝効果という点からみると、茶番であれ、自民党がやった代表選は大成功だったのである。

それなのに、民主党は何をやっているのか。
仮に今回民主党が自民党と同じように代表選を行っていれば、鳩山由紀夫と岡田克也の他にも立候補者が立てただろうし、民主党はテレビ・新聞を通して大いに「生活が第一」という自党の理念と政策をアピールすることができたはずなのだ。

ところが今回のように、わずか2日間で代表を決めるとなれば民主党の党勢回復どころか、かえって小沢一郎のフィクサーとしての存在ばかりが際立ってしまい逆効果になってしまう。

鳩山由紀夫は「小沢一郎の傀儡と呼ばれるつもりはない」と強調したが、その言葉を真に受けるものは少ないだろう。

ところで、今日、私が言いたいのは鳩山由紀夫という男についてだ。
昨日、鳩山由紀夫は出馬表明したときにこう語った。

「一言で私の政策を言えば『友愛社会の建設』『愛のある政治』だ」

私はこれで一気に鼻白んでしまった。
友愛社会の建設」、「愛のある政治」とは一体、どんな内容を表すのか。
ミクシィのマイミクの一人は、その日記で「まるで安倍晋三の『美しい国』を想起させる」とこき下ろしたが、私もまったく同感である。

そもそも世襲議員の代表格のようなこの男が、民主党の代表になってしまえば、それだけで自民党との大きな対決軸が一つなくなるわけで、民主党にとっては損である。このことを民主党員はどう考えているのだろうか。

そして鳩山由紀夫が掲げた「友愛社会の建設」こそは、鳩山の祖父、鳩山一郎が好んで使っていた「友愛」という言葉に由来している。
鳩山一郎といえば、日ソ国交回復を成功させ、日本民主党と自由党の保守合同を成し遂げて自民党を結成。いわゆる55年体制を確立した政治家である。
これだけならば、たしかに鳩山内閣が行った政治の基本理念は「友愛」にあったと理解できなくもない。
しかし、その一方で、鳩山一郎は改憲論者であり、日本の独立確保という視点から再軍備を唱えていた。

麻生太郎は馬鹿の一つ覚えのように「吉田茂の孫」と言いふらしていたが、鳩山由紀夫もまた、麻生のように触れ回らないだけで頭の中には偉大なる祖父、鳩山一郎が成し遂げようとしたことにあやかろうとしている節がある。
つまり、それは「友愛」という美しい言葉とともに日本の憲法を改悪し、日本独自の軍備を持つという野望に他ならない。そして、この方向性は鳩山由紀夫の後ろ盾である小沢一郎ともきわめて親和性が高い。

今、民主党が第一に掲げているのは政権交替であり、自民党的な政治に終わりを告げさせることだ。これについては鳩山由紀夫も岡田克也も異論を挟むことはないだろう。
しかし、問題は政権を取った後のことだ。
鳩山は消費税増税はしないといい、企業・団体献金の禁止や国会議員の世襲制限、衆院比例代表の定数削減などを挙げているが、もっと根っこの部分では自民党の右翼議員にも近い「改憲」を懐刀のように忍ばせているのである。

あと24時間もすれば、民主党の新代表が決まる。
そして新しい看板を掲げた民主党は、政権交替に向けて突き進んでいくことだろう。私もまたそうであってほしいと願わずにはいられない。

しかし、新しく決まる代表が鳩山由紀夫になった場合、鳩山が唱える「友愛社会の建設」や「愛ある政治」には強い疑念を持っており、鳩山が実行しようとする政策に諸手を挙げて賛同する気にはどうしてもなれない自分がいる。

鳩山か岡田か。
明日の代表選はまったく選択肢に乏しい、夢も希望も萎むようなイベントとしか言いようがなくなってしまったが、それでも最低限、鳩山由紀夫だけは代表になってくれるな、というのが私の願いだ。
しかし今現在の状況では、どうやら党内では鳩山有利が続いているらしい。
友愛社会の建設」「愛ある政治」。
われわれはまたしても、こんな歯の浮くような言葉を合い言葉にする人間をリーダーに戴きながら、政権交代に向かっていかなければならないのか。

なんとも気が重いことだと言う他ない。

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私は好きである。
しかし好きにもいろいろあって、普段はいい奴なのに、酔うと手に負えなくなる類の人間ガいる。
さいわい、私は酔うと陽気になる質らしく、おしゃべりになって翌日喉が痛くなるということがある。

しかし私の友人の中には乱の気があって、飲んでいるといつの間にか目つきが変わり、こちらの言うことにいちいち絡んでくるようになる男ガいる。素面の時は冗談ばかり言って人を笑わせていた男が、ある一瞬から不機嫌になり、古いつきあいである私に対してさえ、気に入らないことがあると難癖をつけてくる。
いつぞやなどはもう一人の友人と3人で飲んでいて、近頃読んだ本のことなどを話していたのだが、気がつくと一人言葉少なになっていた例の男が怒り出した。
「なんだお前ら、さっきから本のことばっかり話しやがって」
その男は読書とは縁遠い生活をしていることを、私たちは忘れて話にふけっていたのだった。
「俺はな、そういう話がいちばん気に入らねえんだよ」
男は私の胸ぐらをつかんですごんで見せ、今にも殴りかからんとする勢いだった。
「おいおい、よせよ」
もう一人が慌てて止めに入ると、今度はうるせえといってコップの水を浴びせかけた。
あわや乱闘。
私も殴られることを覚悟した。
だが、そこで店のマスターのストップが入り、私たち3人は出入り禁止を宣告されて追い出されてしまった。

古い友人、私の小学校時代の同級生ではあるが、この男は乱なのである。
そして乱ほど迷惑で人騒がせなものもない。
とはアルコールという薬物を含んだ飲み物であり、人の神経に強い作用を及ぼしてしまう恐ろしい飲み物であることを私たちは忘れてはならないと思う。
日本では麻薬は厳しく禁止されているが、依存性が高く、ときには人格を破壊することもある酒に対しては非常にゆるやかな制限が設けられているに過ぎない。

そのせいもあろうか、酔っぱらって失敗をしでかす人間に対しても、この社会は概して甘い対応を取ることが多いように思う。

六本木で泥酔し、全裸になって深夜に大声でわめいたスマップの草なぎ剛は、公然猥褻罪で警視庁赤坂署に逮捕された。草なぎは逮捕されるとき、警察官に体を押さえられると暴れて抵抗し、「裸になって何が悪い」と叫んだという。

絶大な人気を誇る人気グループの一員で、なかでもひときわ善良な若者のイメージがある草なぎ剛が逮捕されたということで、世間は大騒ぎとなり、にわかに同情論が沸き起こった。
ファンだけでなく、日本中の大多数が草なぎを擁護し、アイドルとして日頃大きなプレッシャーにさらされ続けてきた草なぎが、全裸になって叫んだことを「よくやった」、なかには草なぎの行為から「勇気をもらいました」とブログで書く者まで現れた。

しかし、酒乱の幼友達を持ち、自分の父親がアルコール依存症のために脳機能障害を負ってしまっている私からすれば、これほど奇異に映る現象もないと言いたくなる。

私は草なぎ剛というタレントが特別好きでも嫌いでもない。
それでも彼が出ている番組はしばしば見ているし、その番組の中で草なぎがかなりの酒好きであり、アルコールに対して抑えが効かない類の男であることは見ている。
私は、草なぎ剛はかなりの確率でアルコール依存症だと思っている。
アルコール依存症の人間は少しでも体にアルコールが入ると飲み続けずにいられなくなり、泥酔するまで飲み続ける。泥酔すればそこにあらわれるのはアルコールに支配された人間性で、草なぎの場合は限りなく酒乱に近い形でそれが現れた。

つまり、日頃どんなプレッシャーにさらされていようと、34歳にもなった一人前の男が自分を失うほど酒を飲み、あまつさえ全裸になって大声で叫ぶなどは、どの点を見ても同情することはできないどころか理解してやることさえ難しいのである。

私は幼なじみではあるが、酒乱と分かったその友人とはきっぱりと酒を飲むつきあいを止めた。会って話をすることはあるが、「飲みに行こう」と彼が言い出すと、私は帰るといって妥協しない。
おかげで彼とはずいぶん疎遠になってしまったが、仕方がない。
私は酒乱になってしまった男とは友人ではいられないのだ。

しかし日本の世間はどこまでも酒で失敗した男には甘く、今日の報道で草なぎはあの逮捕劇から一月ほどしかたたない28日から再びテレビ活動を再開するのだそうだ。
またあのさわやかな「剛くん」の笑顔が見られると、みんな大歓迎といったところか。

なんとも脳天気なことである。

その一方で、私が捨て置きできないと考えているのは北野誠である。
北野は、自分がパーソナリティを務めているラジオ番組で「あること」を言ってしまった。
何を言ったのか、最近になって少しずつ真相らしきものがあちこちで語られるようになってきたが、正式な発表はいまだにない。
誰もほんとうのところは分からないまま、テレビやラジオという公共の場を仕事の舞台にしていた50歳の男が、突然、問答無用に無期限謹慎を言い渡されて姿を消してしまった。
噂では、ある芸能プロダクションの社長が暴力団組織と関わりがあることを公衆の場で話したことが問題になったというが、一人の社会人がひとつの失言がもとで仕事を取り上げられ、社会から抹殺されるようなことがあっていいものだろうか。

しかし、アル中で酒乱の気がある草なぎ剛にはやさしい態度を見せた日本の社会は、北野に対しては何をしたのか真相も知らないのに、いたって冷たい反応しか示さない。
むしろ、2ちゃんねるなどでは「北野のような生意気な奴は追放されて当然」といった書き込みがなされているのである。

草なぎ剛北野誠
芸能界の力関係で言えば比較にならないほど草なぎの方が圧倒的に強者だろう。人気度においても収入においても北野誠など、足下にも及ばないかもしれない。
だからなのか、草なぎは公然猥褻罪という歴とした犯罪を犯しながらも励まされ、暖かく迎えられようとしている。一方の北野誠は涙の謝罪会見をしたものの事の真相を語ることなく消えていき、そのことを誰も問題にしようともしない。

草なぎが男性器を公然とさらし大声で喚いたのは紛れもなく犯罪で、だからテレビはこぞってこれを報道したが、北野が失言をして闇に葬られたのは犯罪ではないからテレビはこれをスルーし、北野と共に番組に出ていた関係者までが口を閉ざし、そもそも北野誠という存在などなかったかのように振る舞っている。
どう考えても、これはおかしいのではないか。
公平で公正を建前とする公共放送は、このままでいいのか。

日本は言論・表現の自由が認められた国ではなかったのか。
この国は、いつからタブーに触れてはならず、それに触れたものは葬られるのが当たり前になってしまったのか。

私はいまや慄然として、この世の中を見ているのである。

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3月以来ダラダラと代表の座に居座り、日本の政局に停滞感となんともいえない閉塞感すらもたらした小沢一郎がようやく辞任して、さあこれから政治が変わっていく、つまりは政権交代に向けてまっしぐらに動き出すかと、愚かにも私は期待してしまった。

いや、なんともあさはかでした。
それは認めよう。

なんと、民主党代表選を16日に行うことを早々と決め、マスコミでは早くも鳩山由紀夫岡田克也が有力視されている。

実は、私は民主党がこの時期に代表選を行うことにも懐疑的だった。
なぜなら、代表選を暢気にやっている時間などないと思っていたからだ。そんなことをすれば、また自民党の細田博之あたりが得意げな馬鹿面をさらして、ことさらに民主党批判するのは目に見えている。
そんなスキをわざわざ敵に与える必要はない。
そう思っていたのである。

新しい代表は、これまで代表代理を務めてきた菅直人でいいではないか。

ところが民主党は、というよりも辞任を決めた小沢一郎は、自分が陰に回る代わりに表舞台で思い通りに動かしやすい人物を新代表に据えようとしている。
これまで小沢にいちばん近かった人物と言えば鳩山由紀夫であり、菅直人などはいちばん遠いところにいると見て間違いないだろう。
なにせ、3月に小沢の秘書が逮捕されてから、面と向かって小沢に辞任を促したのは菅直人だけだったのだから。

反対に鳩山由紀夫は小沢をかばい続け、小沢のスポークスマンとなって甲斐甲斐しく働いてきた。
鳩山が次の代表として最有力といわれるのも、その論功行賞があればこそだろう。

なんだか、こうして書いていても嫌になってくる。
まるで、これでは自民党内部のことを書いているような気になってくるからだ。
昨日の「きっこの日記」では民主党は飛車角抜きで戦ってもアホぞろいの自民党には勝てると豪語していたが、私はまったくそうは思わない。

民主党が、仮に鳩山由紀夫を代表に決めれば、麻生太郎と変わらぬ世襲議員の代表誕生であり、なにより鳩山由紀夫という人物は麻生太郎よりも優れたところがどこにも見あたらない凡庸な男だからである。
鳩山の人物像については、今日の「きまぐれな日々」や「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」がくわしい。
まず「きまぐれな日々」から一部を抜粋してみることにする。

鳩山一郎の孫である鳩山由紀夫は、単に安倍晋三(岸信介の孫)や麻生太郎(吉田茂の孫)と同じ類型の、世襲政治家の権化であるばかりではなく、耐震強度偽装や田母神俊雄が大賞を獲った懸賞論文で悪名の高いアパともべったり癒着している。
(中略)
小沢一郎は、自らはタカ派にして新自由主義的な本音を抱きながら、選挙区の事情や左派と結んだ政策協定によって左派を重用する党内采配を行ってきたが、代表が鳩山由紀夫に代わってしまうとそうはいかない。確実に左派の影響力は低下し、民主党の政策は右旋回をすることは間違いない。


「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」では次のように書いている。

鳩山由紀夫の能力は麻生太郎以下だと思っていて、鳩山由紀夫は世襲であることと統一協会などのカルトな支援組織と財界が後ろで煮凝りになっていることが取り柄といえば取り柄な、政治家としては少なくとも政党の看板に置いちゃ不味い奴だと評価しているんだが、なんでそんな安倍晋三と似たり寄ったりな無能野郎が民主党の代表候補としてすぐに名前挙がるんだろうか。日本には選んで有害なバカを担ごうとする体質があるんだろうか。それと民主党構成員はあの鳩山由紀夫代表時代の不人気ぶりをもう忘れてしまっているんだろうか。

二人のエントリを読んで思い出したが、民主党は一度、鳩山由紀夫を代表にして懲りた事実があるのである。
にもかかわらず、小沢一郎は鳩山由紀夫を担ぎ出そうという意識がどうやら強いらしい。「きまぐれな日々」のkojitakenさんは小沢にとって鳩山という男は「担ぐ御輿は軽くてパーがいい」という御輿だと看破している。

もちろん、代表選をやる以上は立候補に前向きな姿勢を示している岡田克也にも可能性があるわけだが、岡田にしても世襲議員ではないものの、その出自はイオングループの御曹司であり、すくなくとも自民党に対して世襲議員のことを非難するには抵抗がある人物だ。さらに岡田は新自由主義的立場をとっていることでも知られ、政策については社会保障費の財源として消費税増税を主張している。

無能な鳩山由紀夫と新自由主義者の岡田克也
こんな二人が代表候補になる民主党が、はたして「きっこの日記」が言うように「飛車角抜きでも自民党に勝てる」と言い切れるだろうか。
とてもではないが、私は民主党に一票入れる気にはなれない。

こんなことならば広く候補者を募り、時間をかけて代表選をやってくれる方がよほどよかった。そうすれば長妻昭、あるいは蓮舫といった新しいイメージの代表が生まれる可能性が出てきたはずだ。
しかし民主党執行部は投票を衆参議員だけに限り、今週末に決着を付けようとしている。これではニューフェースなど出てきづらいし、立候補したとして当選する可能性はほとんどないだろう。なにしろ党内派閥で言えば小沢一郎系がもっとも多く、そして彼らが推すのが鳩山由紀夫なのだから。

というわけで、ようやく政治が動き出したと思ったのも束の間、民主党に対してはまたしても裏切られた思いでいっぱいの私は、またしばらく鬱々とした日々を送らざるを得ないようである。

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昨日のエントリを書いた時点で、よもや小沢一郎が辞任するとは考えていなかったので、記事をアップした直後に「小沢代表辞任の意向」というニュースを見たときには正直驚いた。

小沢辞任については、これまで政権交代後は小沢総理になることで世の中がよくなると信じていた人々が「なぜ」の声を上げていたようだ。
しかし「なぜ」もなにも、小沢が代表でいる限り、日本はよくなるどころか、肝心の政権交代さえ自民党に迫れなくなっていたのが実情と見るべきだ。このところの政局の膠着状況というか、なんともいえない閉塞感は、ひとえに小沢一郎が態度を明確にせず、他の幹部も小沢をかばうことに懸命になるために愚昧な麻生太郎を追い詰めることができず、自民党のバラマキ政治への対案を示すこともできずにいたことから生じていた。

もちろん、この間に民主党は企業献金を全面的に禁止するだとか、世襲議員を制限するといったアイデアを出していたが、それとても自民党から出てくる言葉に反応して出していたに過ぎない。
「生活が第一」を掲げる民主党は、この世界的な不況時に、どういう政策を採っていくのか。まずそれを国民に見せていかなければならないところなのに、端から見ている限りではとてもそれどころではないような印象を与えてしまっていた。
だから、本当にこの党には政権交代をする気があるのだろうかと、疑問に思わざるを得なかったのである。

これから民主党がすべきことは、新しい代表をすみやかに選び出すことも重要だが、それとともに政権を取った暁には自分たちは何をしていくかを具体的に見せることだろう。
私は、今日本を襲っている不況が、とても一過性のものではすまないものではないかと思っている。
麻生太郎は4回にもわたって補正予算を組み、総額75兆円の景気対策を打ち出しているが、その内容はいかにも付け焼き刃的で継続性に乏しい。しかも住宅ローン減税や贈与税軽減などに見られるように、本当に生活に困っている人々を助けるための対策を取っているとは言い難い。何をどう使えるようになるのか、その目的さえ分からずにスタートさせたエコポイントなど、迷走としか言いようがない対策も採っている。
本気になってこの不況に取り組むには、もっと抜本的な制度の見直しや大胆な財政出動による救済策を打ち出していかなければならないはずだ。
しかし麻生太郎にそれを求めるのはどだい無理な話で、国民感覚さえ理解できないこのような男が今の日本を率いていることは、繰り返して言うが、日本にとってほんとうに不幸なことだと思うのである。

麻生太郎をはじめとする世襲議員がひしめく自民党では、国民の痛みがどこにあり、どんな手当をすればいいのかということなど永遠にわかるまい。
民主党は企業献金を排し、世襲議員も制限すると言ったのだから、次に作るマニフェストではかならずこれらを盛り込んだ上で、国民生活を守る政策を明らかにしてもらいたい。また、小沢問題では社民党や国民新党との連携も弱まってしまった感があるが、これからはもう一度他党とも話し合いを密にして野党連合を再確認してもらいたい。

解散総選挙がいつになるのか。それは分からない。
しかしこのままぼんくら宰相の麻生太郎に任せていたのでは、比例的に国民生活が疲弊していくことは間違いない。
民主党は誰が代表になっても、自公政権に対して強く解散を迫っていくように、それこそ挙党態勢を組んで臨んでもらいたい。

――とはいうものの、私はいまだに民主党という政党をもうひとつ信じ切れずにいるのも事実なのだ。
まさか前原誠司のような自民党よりの人物が代表につくとは思いたくないが、誰が代表になるかによって、この政党は性格がコロコロ変わる。
私としては菅直人が代表になって、麻生太郎を追い詰めていくのがいちばん効果的に思うのだが、さてどうなることやら。

しばらくは民主党の動きから目が離せないのである。

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民主党に対する気持ちが日毎に色あせていく。
鳩山由紀夫などはいまだに政権交代を口にするが、もはやその言葉も話半分にしか聞こえてこない。

なぜなら、党首の小沢一郎がとっくに賞味期限切れになっているのに、いまだ小沢一郎は代表を辞める気持ちはないらしく、党幹部もなぜか小沢一郎代表にこだわり続けているからだ。
西松建設の違法献金問題をひきずり、これからの成り行き次第では法廷闘争にも突入しなければならない人物が、党代表を務め、仮に政権交代がなったとしても、裁判しながら首相の任務を果たしていくのは無理だと言うことは、すでに立花隆が指摘している。
このもっともな指摘になんら答えることなく、民主党幹部は闇雲に小沢代表にこだわり、13日には麻生太郎と党首討論をしようとしている。

この党首討論でさえ、自民党の採算の申し入れに対して民主党小沢一郎側はさんざん渋り、開催を引き延ばしてきた経緯がある。
麻生太郎にしてみれば、金持ち優遇の、しかもエコポイントのように訳の分からない代物でしかないにもかかわらず、補正予算を通して意気上がっているときだ。今なら小沢一郎をペシャンコにしてやる気持ちがあるだろう。

それにひきかえ小沢はどうか。
国民の目から見れば、さんざん自民の申し入れから逃げ回り、地方行脚を始めたというが、政権交代に向けて具体的なことは何もやっていないとしか映らない。
おまけに党内では前原誠司らの自民党よりな議員たちが、小沢代表では選挙は戦えないと反旗を翻す構えを見せている。

前原誠司など、かってに騒いでいればいいとは思うが、心情的には分からないことはない。
小沢一郎は西松建設問題にも決着を付けられず、与党に解散総選挙を迫る決定打を持っているふうでもなく、果たして本気でこのまま代表を続けていて大丈夫なのかと思わせずにおかない歯切れの悪さばかり印象づけているからだ。

私は、今、日本がかつてないほどの不況に見舞われ、さらに新型インフルエンザの脅威にさらされている非常事態にありながら、真に国民のことなど考える気を持たない麻生太郎を頭に頂いている状況がどれほど国民にとって不幸であり、不利益をもたらしているかと思わずにいられない。
ならば民主党によほどしっかりしてもらわなければならないところなのに、肝心の民主党がどうにも煮え切らず、党内分裂の様相を見せる愚を犯している。
まったく、がっかりすることだらけではないか。

13日にようやく2度目になる党首討論をして、小沢一郎は何を戦わせるつもりなのだろうか。
小沢に西松建設問題さえなければ、麻生太郎には突っ込みどころが満載のはずである。
しかし実際には、いつまでもこの問題を引きずり続けていることで、小沢の方がつけ込まれる展開になるのではないか。
民主党は企業・団体献金の廃止や世襲議員の制限などを訴えて国民の注意を引きつけようとしてきたが、吉田茂の孫である麻生太郎の恍け顔をどれだけ打ち砕いてみせることができるか。
ほんとうならばこの点に関心が集まるはずなのに、民主党の代表が小沢一郎であるだけで、私の気持ちはすでに冷め切っている。

今、麻生内閣の支持率は上昇してきているとはいえ、いまだに30%前後である。
国民の信任を得ることなく、このような内閣が国政を執るのは許されるべきではないはずだ。
しかし、その一方で、国民の70%近くが首相として小沢一郎はふさわしくないとも考えられているのだ。
これではたとえ政権交代が成っても、支持率30%前後の内閣となって同じではないか。
民主党はなぜ、国民の声に耳を貸さないのか。
小沢一郎がほんとうに代表にふさわしいと言い張るならば、国民を納得させるだけの説明をなぜしようとしないのか。
私には民主党という政党が理解できない。
そして理解できない政党には、到底政権なとまかせることはできないと思うしかないのである。

●追記
なんと、こんなことを書いていたら今日午後、小沢一郎は辞任を決めたようだ。
17時から記者会見を開く模様だが、小沢にはこれまで民主党を迷走させてきたことをきっちり詫びてもらいたい。そして民主党執行部は一刻も早く後任を決めて党の立て直しを図ってもらいたいものだ。

関連タグ : 小沢一郎, 党首討論, 民主党,

最近テレビを見るのも疎かにしているせいで、NHKが3日夜に放送したETV特集「いま憲法25条“生存権”を考える-対論 内橋克人×湯浅誠」を見逃してしまった。
断片的な映像はyoutubeで見ることができるのだが、これはやはり通してすべて見ておきたい番組だった。

そこではじめてNHKオンデマンドに登録し、315円を払って見ることにした。
NHKオンデマンドについては言いたいことがあるが、それは改めて書くことにする。

5月3日は憲法記念日で、この日NHKは憲法に関する特集番組を3本放送したが、その内の2本が憲法25条、生存権に関するものだった。
これまで、憲法記念日と言えば第9条が取り上げられることが多かったと思うが、今年になって25条が大きく取り上げられることになったのは、やはり昨年秋以来の不況と、それに派生する派遣切りの問題が大きかったのではないかと思っていた。

たしかに番組では冒頭から派遣切りされて住居を失った若者が映し出され、この春も開村された派遣村の様子などが出てくる。
突然職を失い、住居からも立ち退きを迫られた挙げ句、わずかな蓄えも底をついて街をさまよう元派遣労働者は、今の世相をよく現しているし、なにより憲法25条ですくい上げるべき象徴とも言える存在だろう。

しかし番組を見て私が驚いたのは、憲法25条が森戸辰男という日本人の手で作られた歴史もあるが、1957年に提訴され「人間裁判」として大きく報道された「朝日訴訟事件」のことである。
この事件のことは昭和60年代まで小中学校で教えられていたというが、不勉強だった私には記憶がない。まったくお恥ずかしい話である。
記憶にとどめると目にもあらためておさらいしておくと、朝日訴訟事件は国立岡山療養所に入所していた朝日茂さんが、憲法25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」と生活保護法の内容について争ったもの。

生活保護法は1950年に制定され、一般勤労世帯の生活費の50%を保障するものだった。しかし、国は財政事情からこれを30%に引き下げてしまった。
そうしたなかで、結核を患って療養生活を送っていた朝日さんは、月600円の生活保護を受けていたが、それだけでは生活が困難であるとして給付金の増額を求めた。しかし行政側はこれを拒否。朝日さんは1957年、生活保護は最低限度の生活を保障するものになっておらず、生存権を定めた憲法25条に反するとして提訴した。
人間として生きる権利を争ったこの裁判は「人間裁判」と呼ばれるようになり、1960年には東京地裁が「最低限度の水準は予算の有無によって決定すべきものではなく、むしろこれを指導支配すべきものである」という判決を下し、原告が勝訴した。

しかし、国は即座に控訴。
裁判闘争は生活保護水準の引き下げは最低賃金の引き下げにもつながるとして労働組合も協力し、全国の関心を集めるようになった。
ところが63年に東京高裁が下した判決は原告敗訴。そして65年に原告の朝日さんは死亡し、養子となった健二さんが後を引き継ぐことにしたが、67年、最高裁は原告の死亡により裁判は終了したと判断し、原告の敗訴が確定した。
このとき、最高裁は「念のため」として生存権の判断についての意見を付け加えた。
それは「何が健康で文化的な最低限度の生活であるか、その認定判断は厚生大臣の裁量に任されており 直ちに違法の問題を生ずることはない」というもので、実質的に司法はこれをもって生存権の判断から手を引いてしまったことになる。

それでは判断を任された行政が何をしたかといえば、70年代のオイルショックをきっかけに低成長時代が始まったことから社会保障の削減を始めた。81年には第2次臨時行政調査会が設置され、さらに社会保障費を抑制するようにとの答申が出された。厚生省は生活保護申請について窓口での対応強化を求め、実質的に生活保護を制限するようになった。
その結果、受給者数はピークだった84年の147万人から10年間で88万人まで減少。87年には札幌で生活保護の申請を断られた母子世帯が餓死する事件が起きた。
しかしその後も政府の方針は変わらず、生活苦による餓死者や自殺者の数は増加していった。

そして2001年、小泉純一郎が総理大臣になり、聖域なき構造改革を旗印に社会保障費はさらに削られた。

つまり、生活困窮者は1957年以来、司法にも見放され、行政には放置されるどころか財政事情の受け皿としていいように利用されて今日に至っているということだ。
なんと、日本は半世紀以上も社会保障については劣悪な状況を続け、さらに補強してきたという歴史を持つわけだ。

番組に出ていた内橋克人が言っていた。
「日本はこれまでの歴史で一度たりとも福祉国家であったことはない」と。
一億総中流などといっていたのはまったくの戯言であり、多くの人間は企業に雇われ企業の福利厚生で守られていたに過ぎない。国民の目が向かないところでは50年以上も変わらない状態で貧困にあえぐ人々が細々と生きていたのだ。

まったくなんという事実だろう。

番組ではその後内橋と湯浅誠による対談が続けられ、日本では生活に困る人々に対して努力が足りないという意見と社会保障が不十分だとする考え方が綱引きをしている状態だと語られる。

しかし、その話を聞きながらも、私の頭の中では弱者を守ることを放棄した司法の無責任と、弱者を救うどころか社会の目が向かないのをいいことに彼らを見捨て、貧弱な保障をさらに削り続けてきた政府の非人間性に対する怒りが湧いてきて抑えようがなかった。

内橋克人は、日本の自由とは企業活動の自由を意味しており、新自由主義=市場原理主義が社会を動かす主軸になると人々はむき出しの市場原理にさらされることになったと語った。その結果、今では誰もがちょっとしたきっかけで生活困窮者になり得る「すべり台社会」になったというわけだ。

日本の経済を語るとき、バブル崩壊以後の10年間を「失われた10年」と呼ぶ。
しかし、国民生活の視点から見れば、日本の社会は人間裁判が提訴された1957年以降、失われた50年を送ってきたことになる。

日本は戦争もなく、物資に恵まれ豊かな国として誰もが信じ、国外からも憧れの目を向けられてきた。
しかし、それはまったくの誤魔化しに過ぎなかったのだ。

これほど弱者に対して冷たく、無慈悲な国は先進国に例を見ないのではないか。
自民党が引っ張ってきたという日本の戦後の歴史は、無残に国民を切り捨てる社会を巧妙に作り上げてきたものではなかったか。
この11年にわたって自殺者数が3万人を超えている事実を、われわれはもっと真摯に、重く考えていく必要がある。

つまり、自民党に政権を任せていたのでは日本は滅んでしまうことを、誰もが自覚していく必要があると思うのだ。

関連タグ : 生存権, 人間裁判, 自民党,

今日は憲法記念日だ。

私はもちろん、憲法について偉そうなことを言う立場にはない。
しかし、あらためて日本国憲法の前文を読んでみて感じたことがある。

憲法前文は次のように書かれている。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
(中略)
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
(中略)
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

62年前、日本国民は戦争の過ちを反省し、新たな民主的国家を築いていくために、この憲法を制定した。
私はこの前文を読むと誇らしい気持ちになる。
「主権は国民にあることを宣言し、国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」

しかし、今の日本の現実を見るとどうか。
主権が国民にあるとはいいながら、国民の信任を受けない総理大臣が3代も続いて国のリーダー面をしている。
現総理大臣の麻生太郎は、漢字もまともに読めない低能のくせをして、これまた国民の意を問うことなく勝手にソマリア沖に自衛隊を派遣することを決め、これを実行させてしまった。

さらに、未曾有(みぞうゆう)の経済危機に直面しながら、国民の中でも弱者がいちばん困っていることを理解せずに贈与税の引き下げ、住宅ローン減税、新車購入補助など、とりあえず金には困っていない人間を助けるために15兆円もの大金を投じている。
高速道路の利用料を引き下げてマイカー族に媚びを売り、内閣支持率を10%代から30%近くまで引き上げて悦に入っている。

国が不況に陥っているときには財政出動が必要なのは当然だが、麻生太郎の場合は、そのやり方の筋がいかにも悪い。
とりあえずカネをばらまいておいて、2年後には消費税増税を必ず実施、取り上げるものは等しく全国民から搾り取ろうとする腹である。

日本は今、平和憲法の下、幸いにも戦争に巻き込まれずにすんでいる。
しかし、目に見える戦争に巻き込まれていないだけで、実はわれわれ日本人は戦後最大の不幸を味わっている最中なのではないか。
国民のことを考えない政治家どもに国政を牛耳られ、今日本はどんどん悪い方向に向かっているように思えてならない。

日本国憲法は世界に誇るべき平和憲法だというのに、その思想はないがしろにされ、安倍晋三をはじめとする極右政治家どもが改憲を盛んに叫んでいる。
マスコミもまた、産経新聞のように北朝鮮を仮想敵国に仕立て上げ、安倍晋三らが唱えている「敵基地攻撃能力の保有」に同調する記事を載せ、声高に改憲を叫ぶものがある。
首相の麻生太郎自身、自衛隊のソマリア沖派遣で見せたように憲法解釈は平気で行う劣悪な政治家だ。

われわれは今、よほど注意深くこれらの動きを見守る必要がある。
下手をすると子や孫の世代に大きな犠牲を強いることになる恐れがある。
われわれは憲法を守り、日本の平和を維持し、国民生活を向上させるために、今ある自公政権を何としても打倒しなければならない。

新型インフルエンザが世界規模で広がる様相を見せ、パンデミックを意味するフェーズ6への引き上げが週明けにも宣言されようとしている。
世界は経済だけでなく、衛生面からも未曾有の危機を迎えている。
いわば非常事態だ。

この非常事態にありながら国民生活を軽んじているとしか思えない宰相と与党政府を戴いている日本国民は、今、不幸のどん底にあると言ってもいい。

日本は幸いにも戦争を行っていない。
しかしそれはもはや、たまたまそうであるにすぎず、少しでも気を緩めると狡猾で無慈悲な自民党と公明党、そして右翼思想の持ち主たちによって簡単に足を取られる危険性をはらんでいる。

「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
という憲法の決意を、われわれはあらためて噛みしめてみる必要があるように思うのである。

関連タグ : 日本国憲法, 自民党, 改憲,

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