上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
これから仕事がやりづらくなるな。
私も取材して原稿を書くのを仕事にしている人間の一人である。
昨日、奈良地裁で判決が出た医師による調書漏洩事件で、刑法の秘密漏示罪に問われた精神科医が有罪となり、医師が取材に協力して調書を提供したのは「プライバシーに対する配慮を欠いた軽率な行為」とされたのである。
もの書き業は、これからやりづらくなるなと思わないわけにはいかなかった。

この事件では、草薙厚子というライターが奈良で起きた母子3人放火殺人事件を取り上げ、ノンフィクション『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)を書くために、事件を起こした少年の精神鑑定をした医師に取材し、その過程で資料として供述調書や鑑定書を閲覧した。
問題は、この草薙というライターが、非公開であるはずのこれらの貴重な資料をそのまま原稿に引用し、本にしてしまったことに起因する。
起訴された医師がこれらの重要書類を見せたことの裏には、少なくともライターとの間に信頼関係が成り立っていたはずである。つまり、本来は一般に公開され得ない文書を見せるからには、それを使って原稿を書く場合、出典を隠し、文章を変えて書くのがライターとして信頼に応える唯一といっても言い方法なのだ。
しかし草薙厚子は調書をそのまま文中に引用して原稿を完成させ、本にしてしまった。
本来ならば、原稿を書いた事典で取材者協力者にも読んでもらい、OKが出た事典ではじめて出版するというのが道理である。

たしかに、いくら信頼関係があったからといって、マスコミ関係者に精神鑑定書や供述調書を見せていいものか、訴えられた医師の行動には疑問が残る。
しかし私には、いちばん責められるべきは取材協力者に対して誠意のない仕事をしてしまったライターの草薙厚子にあるように思えてならない。そしてさらにいえば、内容チェックをしたはずの編集者と売らんかなの魂胆丸出しのタイトルをつけて本を出した講談社にも問題があったと思う。
ノンフィクションというのは取材が命である。
取材のなかには人には語りたくないことを語ってもらわなければならない場合もある。そういう相手に対して、取材者は誠意を尽くして説得し、なんとか貴重な証言を手に入れる。そこにあるのは最後には全責任を自分が取るという取材者側の覚悟と誠意でなければならない。
それがなければ、だれが他人に話などしてやるものか。
『僕はパパを殺すことに決めた』を書いた草薙厚子に、その誠意と覚悟はあったか。
講談社にはそれがあったのか。

今回出た判決に対し、講談社側は控訴したようだが、彼らが行った行為はジャーナリズムに関わる人々すべての首を絞める結果をもたらしたと言えるだろう。

昨日はもうひとつ、大きな報道があった。
朝日新聞阪神支局襲撃事件など、一連の朝日新聞社を狙った「赤報隊」の犯行をめぐり、実行犯を名乗る男の手記を4回に渡って掲載した『週刊新潮』(新潮社)が、誤報を認めて謝罪したのである。この記事については掲載当初からウソであるという声が上がっていたが、新潮社は掲載を続けた。しかしここにきて、当の手記を書いた男性がウソを認め、新潮社側もこれを認めないわけにはいかなくなった形だ。
世間を震撼させた事件の犯人による手記という特ダネで、『週刊新潮』の売り上げがどれだけ伸びたかは知らない。
しかし、その特ダネ記事を作る上でもっとも重視されなければならないはずの事実確認(裏を取る、と言われる)が、信じられないことに行われていなかった。『週刊新潮』の早川清編集長は、産経新聞のインタビューに答えて「真実であると証明できないが、否定もできなかったから手記を掲載した」と述べている。
ここでもまた取材記事の命と言ってもいい事実の信憑性の確認が疎かにされ、販売優先で本が作られてしまった。
この件でテレビの取材を受けた佐野眞一は「裏を取らないとは信じられない。これはジャーナリズムの自殺行為だ」と断じた。

講談社、新潮社という日本を代表する大出版社が相次いで起こした今回の出来事は、日本のマスコミジャーナリズムが確実に劣化していることを示しているように思う。

つい最近では日本テレビの「真相報道バンキシャ!」がでっちあげの証言を採用して岐阜県の裏金問題を報じて問題になった。ここでも、取材対象者の確認と事実関係の裏づけが抜け落ち、視聴率優先で放送してしまったことが批判されている。
テレビの場合はこの手の安易な番組作りがたびたび問題になっているが、いっこうになくならないのはなぜなのか。

こうした慎重さと誠意を欠く仕事を続けていく限り、日本のマスコミジャーナリズムはどんどん自分で自分の首を絞めていくことになる。
そしてそのしわ寄せが、末端で仕事をしている私のようなしがないもの書きにも押し寄せ、ジワジワと首を締め付け、生活の糧を奪っていくのである。

いまや劣化が著しいとしかいいようがない日本のマスコミだが、私はそれでもかろうじて自ら属する世界を「マスゴミ」などと汚らしい言葉では呼ばないようにしている。
しかし、このような問題が今後も重なっていくならば、私のささやかな自負心も持ちこたえようがなくなってしまうと言わざるを得ない。

スポンサーサイト

関連タグ : ジャーナリズム, マスコミ, 草薙厚子,

サマータイムの導入が検討されたのは小泉内閣当時のことだったかと思う。
春から夏にかけて、日照時間が長くなるのを利用し、時計を1時間早く戻す。その方が一日を有効に利用できるという考えが基本だった。
しかし、大方の国民から見れば時計の針を1時間戻し、今までより早起きするようにしたところで寝不足になるばかりだろうという冷めた見方が大勢を占めていたように思う。
早起きして早くから仕事を始め、終業時間も早くする。
しかし、実際にはずる賢い経営者が多いこの世の中だ、始業時間だけ早めて就業時間は変えない企業が続出したのではないだろうか。サマータイム手当などとわずかばかりの額を給料に上乗せするだけで、実質的には強制的に長時間労働を課すのに役立てられるばかりだったのではないだろうか。

以上は私のつまらない妄想だが、実際、時計の針を戻したところで人間の体は容易に時計通りに生活のリズムを順応させることはできないものである。
それはもう、すでに私が実証済みだから間違いない。

それというのも、わが家には4匹のがいて、このたちが夜明けが日毎に早まるこの時期になると有無を言わさずサマータイムを導入してくれるからだ。

幸か不幸か私はたちに好かれており、家族の中でも序列はいちばん高いところに置いてもらっているらしい。
そのため、家の中であればどこであろうとたちは私のそばから離れようとしない。
ソファに座ってテレビを見ていれば足下に4匹が私を取り囲むようにして寝そべり、そのうちあわよくば私に抱かれようと隙をうかがっている。私が油断しようものならひょいと飛び乗って私の腿をベッドにゆっくりと眠りに入る。なるべくそんなことはしたくはないのだが、難儀なことに私はちょくちょくに対して隙を見せてしまうので、私はソファに座るときはかなりの確率でを抱くことになる。

風呂に入れば脱衣場に入ってきて、私の脱いだ服を敷いて横たわる。犬が入ってこないようにドアを固く閉めて風呂に入ると、犬は風呂場のドアの前で私が出るのを待っている。

そして夜ともなれば、犬たちは当然のように私のそばに寝たがるのだが、さすがに寝室にまで犬4匹を入れる気にはなれないので、わが家では寝室のドアの前に犬用の寝床を広げ、そこで眠らせるようにしている。なに、寝床と言っても古くなった夏掛けなどを折りたたんで敷いてやるだけだ。夏になって暑くなれば、布団に変えてアルミの板などを置いてやる。犬たちはそれぞれに気に入った場所で一晩を過ごしている。

さて、それで困っているのはこの3月から4月にかけて夜明けが早まってくるにつれ、犬たちが目覚める時間も早くなってくるらしく、目が覚めると私にも起きろと鼻を鳴らしたり寝室のドアをカリカリひっかいたりするのである。
冬の間は、犬たちも平気で7時近くまで熟睡していたものが、最近では犬の立てる音に目を覚まして時計を見ると5時半だったりする。
犬たちにしてみれば明るくなったのだから散歩に出かけ、早いところエサにありつきたいということなのだろう。

しかし、犬に誘われるまま5時半に起き出していてはこちらの身が持たないし、第一それでは飼い主としての示しがつかない。
そこで私は犬が鼻を鳴らしても素知らぬふりでもう一度眠りに入る。
だが、犬も容易に諦めるものではなく、何とかして私に起きてもらいたいと騒ぎ続ける。
そして私もついには根負けして、体調が良ければ6時頃に起き出して散歩に出ることにする。
体調が悪く、起きるのが辛いときでも6時半頃には起きている。

つまり、この季節になると私は犬によって強制的にサマータイムを導入せざるを得ない状況になるのである。

これで小泉純一郎が狙ったように、私の一日が効率よく時間を使うことができれば文句を言う必要はない。
しかし実際には、無理矢理起こされると睡眠を邪魔された不快感が残り、寝不足のボーッとした状態が続く。
犬を散歩させ、望み通りにエサを与え、ついでに鳥のケージを掃除したりエサやりをしていると、いつの間にか1時間半から2時間近くが過ぎている。
それから朝食をとるのだが、その頃になると私は大概気分が悪いというか、とにかく調子が悪くなってきて起きていられなくなる。我慢できなくはないが、我慢をするとその不調を一日引きずることになる。だから、私は気分が悪くなってくると家族に告げてもう一度寝床に入ることにしている。そうして1時間から2時間眠るのだ。

ほんとうはこんなことはしたくない。
せっかく起きたのにもう一度床に入るのは、自分としては許し難い行為で、時間を無駄にしているとしか思えない。
けれども起きていれば気分が悪いためにもっと時間を無駄にすることになる。
私は頭を掻きむしり、チクショー何でこうなるんだと呻きながら、2度目の睡眠に入る。

もし犬たちが騒がず、わが家のサマータイムが導入されていなければ、私は邪魔されることなく睡眠を続け、適当な時間に気持ちいい目覚めを得ることができるのだろうか。
それは何とも言えない。
犬を飼いはじめてもう何年にもなるが、そしてここ数年の間、私は毎日簡単な日記をつけているのだが、この時期の日記を読み返すとこの時期はずっと犬に起こされて気分が悪い、調子が悪いと行った記述ばかりが続いているのだ。

ことほどさようにサマータイムなど導入したって人間の体はそう単純についていけるものではないのだ。
一日を有効に活用するだって?
冗談じゃない。
それより安心して眠れる生活の方がずっと大切だよ。
そう思いつつ、私は今日も犬たちを恨めしい目で見つめるのである。

関連タグ : サマータイム, , 睡眠,

正直なことを書こう。
実を言うと、このところブログを書くのが楽しくない。
なぜといって、麻生太郎をはじめとする自民党や公明党のことを批判するのはいくらでもできるだろうが、それをして何になるかという空しさと後味の悪さばかりが残るようになってしまったからだ。
金融危機以降、国内の景気は最悪。どこを見回しても不景気な話ばかりで気分はさらに落ち込んでくる。
おまけに去年もまた自殺者の数が1万人を超え、これで11年連続となった。
景気の悪化とセットで語られる雇用状況も悪くなるばかりで、社会保障というセーフティネットがないこの社会では、一度職を失うなりして人生の階段を踏み外してしまうと、死ぬかホームレスになるかという究極の選択をしなければならなくなる。

政府は15兆円もの大金を投じて景気対策に役立てようとしているようだが、その対策とやらも見てみればいずれも一時的なものでしかなく、たとえば高速道路の通行料金が1000円になったところで2年間の限定的なものでしかなく、3年目になれば値上げの他に消費税増税というオマケまで付いてくることは明らかなのだ。
これで何を喜べと言うのだろう。
他の対策も、生活困窮者をなくしていくための施策というよりも財界を喜ばせるようなものばかり目について、これではいくら金をばらまいても国民の生活を底上げすることにはならないだろう。

麻生太郎は民主党が出した政策案に対して財源をどうするのかとしきりに尋ねていたものだが、今回自民党がやったことはといえば単に赤字国債を発行したり金をたくさん刷り上げることでしかないではないか。こんなことをやっていて将来はどうなるのだろうと心配で仕方がないが、それをここで書いたところで何ほどの力にもならない空しさが、やはりつきまとう。

支持率が低下したまま、麻生太郎は首相の座にしがみつき、もしかすると本気で9月の任期満了まで解散はしないつもりではないかと思えてきた。
これに対する民主党の方も、西松建設スキャンダルがいまだに尾を引いていて、しかも当の小沢一郎はあくまでも代表の座を降りないと言い張っている。世論調査では6割から7割の国民が小沢辞任すべしと答えているのに、こちらも国民の声などは耳に入らない様子である。
仮に今、麻生太郎が解散総選挙に踏み切ったとしたら、やはり自民党は負けるだろう。だから麻生太郎は解散などできない。
民主党は勝つには勝だろうが、その差はごくわずかで、たとえ小沢内閣が発足したとしても支持率は最初から低迷、不安定な政権を余儀なくされることだろう。

今、日本には政権交代が何よりも必要だとは思うが、このままその夢が実現したとしてもこれくらいのことしか起こらないというのではせっかくの夢もふくらみようがない。
私には一向に辞めようとしないという点において、麻生太郎小沢一郎も同じように見えている。それぞれいうことは違っているかもしれないが、国民の信を失った人間が何を言っても詮ないこととしかいうしかない。

こんな状況では怒る気にもなれないし、怒ったところでどうにもならないのは分かりきっているので、ただただ虚しいばかりだ。

昨日は千葉県知事選に続いて秋田県知事選でも自民党が推す候補が民主党の推す候補を破った。マスコミは西松建設スキャンダルが民主党の足を引っ張ったのと、自民党の15兆円の景気対策が功を奏したのだと書き立てているが、はたしてそうか。
当選した佐竹敬一郎は自民、社民の他に連合秋田がついており、政党支持者よりも連合の組織票がものいったのではないか。それは千葉で、森田健作の圧倒的な知名度が党派を超えて支持された(森田はこの点で実に汚い手法をとったわけだが)のと同じようなものに思える。小沢が辞めないから民主党推薦の候補に入れない、とはならないだろう。思えば日本人の投票動機は実に単純で、それを考えるとまた頭が痛くなって寝込みたくなる。

今日本を襲っている未曾有の不景気と生きづらさは、ある意味で国民の民度の低さが支えているのではないかと思えてならないからである。

関連タグ : 小沢一郎, 麻生太郎,

ミサイルかどうかもはっきりしないものを「ミサイル」と断定し、連日連夜これを報じて国民の目をそらそうとしている日本の異常さを取り上げたばかりだが、昨日の夜、その異常さがいよいよ仮面を剥ぐ形で現れてきた。

私が知ったのは夜遅くのニュースだったが、それは自民党の坂本剛二組織本部長が7日に開かれた党役員連絡会で、北朝鮮の「ミサイル」発射について、
「北朝鮮が核を保有している間は、日本も核を持つという脅しくらいかけないといけない」と発言したというもの。さらに、朝日新聞によると、坂本は国連安保理で日米が唱える新たな決議の採択が難航していることも触れ、「国連脱退くらいの話をしてもよい」との考えを示したという。

坂本はその後、朝日の取材に答えて「日本は国際社会に対して国連を脱退するぞ、核武装するぞと圧力をかけるくらいアピールしないとだめだという例えで言った。現実に日本が核武装できないのは知っている。私は核武装論者ではない」と話したとし、朝日はこれに付け加えて細田博之のいつもの弁解を載せている。
いわく、
「誰も本気で言ったとは思っていない。核武装できるとも思っていない。特に問題視はしない」

まったく、ミサイルか人工衛星かもはっきりしない「飛翔体」を「ミサイル」と断定して連日報道している朝日に、自民党の極右政治家を批判するような資格はないと思うのだが、それにしても一連の発言は冗談やたとえ話で誤魔化していい類のものではない。

それというのも、自民党は以前から中川(酒)が政調会長時代に「核があることで攻められる可能性は低いという論理はあり得るわけだから、議論はあっていい」と発言しているし。総理の麻生太郎自身も、外相時代には「他の国は(核保有議論を)みんなしているのが現実だ。隣の国が持つとなった時に一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」と語って核保有を容認する構えを見せているからだ。

自民党の政治家が劣化し、日日その政権担当能力のなさをさらけだして日本を無残な姿にしてしまったことは今あらためて言うまでもないことだが、無能な一方で奴らは危険きわまりないことを目論んでいることが、これで明らかになったというものだ。

日本はすでに核を保有しているようなものだ。
国内に原発を持ち、核処理施設を持っているのだから、その気にさえなればいつだって核爆弾を作ることができる。さらに日本は世界でも5本の指に入るほどの軍事力を持っているのだから、これまたその気にさえなれば北朝鮮のみならず東アジア一体を侵略だってできるのだ。
現実には、そんなことをしたら中国やロシアが黙っていないだろうが、自民党議員の言うように「たとえとして」「気構えを持てば」、侵略することは実現可能で、そうなったら当然戦争に突入することになる。

いまさら日本が戦争をするとはにわかに信じられないだろうが、実を言えば戦争こそは今のどん底状態の不況を脱するための特効薬なのだ。
歴史を振り返ってみるがいい。
1929年に始まった世界恐慌から、世界が抜け出したのは第2次世界大戦が始まったからである。
アメリカでは農業も工業も需要がなく、工場が閉鎖されて失業者があふれていた時代、戦争が起きたことでまず工業が息を吹き返し、腹が減っては戦ができないとばかりに農業も立ち直っていった。日本でいえば、外交のまずさから孤立してしまい貿易ができず、しかも国内には資源がないという八方塞がりで大不況に陥ったとき、中国、朝鮮をはじめ東アジアを侵略することで新しい市場を開拓し、資源までも手に入れようとした。
そして国民はこの政策を諸手を挙げて歓迎したのだ。

戦争こそは今の金融恐慌を脱する絶好の手段なのである。

しかし、いったん戦争を起こしてしまえば、今度は本当に日本全土が焼け野原となり屍の山を築くことになるのは火を見るよりも明らかである。
だから戦争などは絶対に起こしてはならず、したがって戦争につながるような言説は厳に慎まなければならないのだ。

自民党の馬鹿で無能な政治家たちは、政治的手腕がないものだから劇薬の戦争に手を伸ばそうとしている。
マスコミもまた、これに利用されてミサイルでもないものをミサイルと決めつけ(誰が実際に弾頭を見たというのだ!)、大本営発表を垂れ流す愚を繰り返している。

細田博之はたとえ話と誤魔化しているが、われわれはよくよく自民党の言うことには注意をしていかなければならないだろう。
奴らは密かに劇薬に手を伸ばそうとしているのではないか。
われわれは、麻生太郎の本質が極右政治家であることを忘れてはならない。
麻生が景気回復を唱え、財政出動を発令しようとも、その心は常に財界を向いており、国民のことなど考えていないということを忘れてはならない。
国民が眼中にない総理大臣にとって、戦争という劇薬は、さぞかし甘いシロップのように映っていることだろう。

日本は今、われわれが思っている以上に危険なところに来ていることを心しなければならないようだ。

関連タグ : 自民党, 核保有, 抑止力,

それにしても週末からここ数日間のテレビの報道はひどかった。
これについては「『猫の教室』平和のために小さな声を集めよう」の、今日のエントリでも詳しく書かれているが、まるで大怪獣が出現し、日本を襲ってくるかのような騒ぎ方だった。
「猫の教室」の眠り猫さんは、この一連の騒ぎを「テポドン祭り」と揶揄しているが、まさにPAC3が配備された秋田と岩手の現場からの中継やそれらの町役場の対応ぶりを報じるニュース番組は、「24時間テレビ」のマラソン中継でもやっているかのような騒ぎ方だった。

いちばんワルノリしていたのは、嘆かわしいことにNHKで、昨日などは7時のニュースだけでは足りずにその後に続く「クローズアップ現代」でも北朝鮮による脅威をテーマに取り上げていた。そして同番組には、近頃すっかり元気を取り戻したらしい安倍晋三がしたり顔で登場し、インタビューを受けるというおまけまでついていた。
安倍晋三などは、たとえ今回の「テポドン祭り」がなくても北に対する強硬姿勢を訴えるに決まってるじゃないか。安倍には改憲と対北強硬論しか芸がないのだから。つまりNHKははじめから結論ありきの北朝鮮脅威論を垂れ流していたのだ。

これは異常としかいえないのではないか。

テポドンは日本にとって脅威ではない。
脅威があるとすれば、切り離されたロケットブースターが日本国内や日本海域にいる船舶の上に落下してくることだが、これは今回政府・防衛省がとった措置では防ぐことができない。いくらレーダーで追ったところで、軌道を予測できない物体を「迎撃」することなどできないからだ。
テレビには「専門家」たちが登場してもっともらしいことを言っていたが、日本にとって脅威なのはテポドンではなくノドンの方であり、今回の打ち上げはほとんど心配する必要はないと言った者はどれくらいいただろうか。

ほんらい、マスコミは非常時には国民に対して落ち着くようにと呼びかけるのが役目である。阪神淡路大震災のような災害が起きたとき、いたずらに恐怖をあおるような報道をしたらどうなるか。しかし、今回のテポドン騒ぎではまさにマスコミは国民の恐怖心や北朝鮮に対する警戒感・敵愾心を煽ることに懸命になっていたとしか言いようがない。

NHKまでが熱心に国民の恐怖心を煽るように努めていたのは、極右政治家として軍備拡大・拡張の野心をもつ麻生太郎をはじめとする自民党政権の意志が反映されていたように思う。
麻生太郎はG20に出席し、その成果を国民に分かりやすく説明する役目があったはずなのに、まともにそれをせず、国民にとって喫緊の課題であるはずの景気や社会保障の問題から注意をそらすように北の脅威を強調し、国連決議を声高に叫んでいる。
国民にとって最も重要な問題は最も難しい問題でもある。しかし無能な麻生太郎には景気や国民の生活をどうするかということよりも、ほとんど実体のないテポドンの脅威を訴えて恐怖を煽り、改憲・再軍備を訴えていく方が手っ取り早く国民の気持ちをつかむ手段だとばかり、声高に北朝鮮を非難することに懸命だ。さらに、これをいい機会とばかりに、自民党の改憲・タカ派議員どもは敵基地攻撃を議論すべき時がきたと騒ぎ出している。
もし日本が戦争抑止のためとして、敵基地に先制攻撃するようなことがあれば、どうなるか。山本一太らバカ議員には分かっているのだろうか。

国民にとっては目下のところ、北朝鮮もテポドンもどうでもいいのだ。
世界恐慌とも言われる不況にどっぷり両足を突っ込んだ状態から、どうやって抜け出すかこそが重要な問題である。私は陰謀論は嫌いだが、この問題から目をそらせようとする報道はすべて政府与党の意図が働いていると思いたくなる。

政府は景気対策として10兆円の補正予算を決議したものの、はたして10兆円程度の財政出動で効果を上げることができるのか。
麻生太郎はいまだに財務、金融、経済財政政策という国の経済にとって最も重要なポストを与謝野馨ひとりに預けっぱなしにしているが、こんな状態がいつまでも続いていていいのか。私のような素人が見ていても危なっかしくて見ていられない気持ちである。
私にとっては北朝鮮などより、麻生太郎の無能な政治が続くことの方がずっと脅威だ。
このままでは日本はどうなってしまうのか。
11年続けて3万人以上の自殺者が出ている状況を変えるにはどうしたらいいのか。

日本の政治家には敵基地攻撃が戦争抑止になるなどという戯言を考えるよりも、もっと重要な問題が山積しているのだ。そのことを忘れないでもらいたい。
これは民主党をはじめとする野党にもいえることで、NHKなどの報道に引きずられる形で北朝鮮問題に気を取られ、内政を疎かにしているような印象が続けば政権交代は限りなく遠のくに違いない。彼らにはそのことが分かっているのか。

つくづく異常さは北朝鮮ではなくこの国の内側にあると思う。

関連タグ : テポドン, NHK, マスコミ,

私がガツガツの新自由主義の経営者で、小沢一郎が下で働いていたとしよう。
彼は今までよく働いてくれた。
とくに先週末の千葉での大イベントまでは、社内をまとめ一丸となってライバル社との競り合いに勝たねばならなかった以上、彼の存在はなくてはならないと私は考えていた。

しかしその大イベントも期待はずれの結果に終わった。
もちろん、その責任がすべて小沢にあるとは思っていない。むしろ、家庭内で問題を抱えていたとはいえ、結果に対する彼の責任はわずかなものだったと思う。
それでも今、経営者の私は小沢を社長室に呼びつけて言わなければならないだろう。

「小沢君、君は今までよくやった。でも、もう君に任せることはなくなった。明日からは出社しなくても結構だ。では、さようなら」

そう。私はもはや小沢一郎は、民主党代表としてその座に着いている意味はなくなったと考えるようになった。
今ならば新自由主義者ではない私も声を大にして言う。
小沢一郎よ、代表の座を去れと。

千葉知事選で民主党が推す候補が負けたことは、小沢の責任だけに帰すことはできない。あの負けは、民主党県連が候補者選びを誤った挙げ句に大きく出遅れてしまったことが原因だ。森田健作の嘘を暴くこともできず、愚直な選挙戦を行って愚直に負けたということだ。
その結果に小沢一郎が今抱えているスキャンダルが大きく影響を与えたとは思わない。

しかし、党内でのモヤモヤを抱えたまま、小沢一郎はいまだに党員たちに納得のいく説明をしていない。むしろ反対に説明などは後回しにして自分は党代表としてこれからも頑張ると言っている。
ということは、今彼が抱えているスキャンダルに党全体を巻き込んで行くことを意味している。その上で、もっとも重要な課題は政権交代することだと小沢は言っているが、果たして公設第一秘書が政治資金規正法違反に問われたまま政権交代などできるのか。
小沢一郎は、このスキャンダルが起きた時点で代表を辞任してすみやかに民主党の看板を掛け替えるのがベストだと思っていた。けれども、小沢は身の潔白を訴え、涙まで浮かべて党首としてやっていくと宣言し、最初の総選挙を占う千葉知事選に臨んでいった。
けれども知事選が終わった以上、小沢が代表でいる理由もなくなった。

ブログ界では、小沢続投に異常なまでにこだわり続けている人々がいるようだが、言っておこう。
小沢はもう終わったのだ。
マスコミ各社の世論調査では、小沢が今回のスキャンダルで国民に納得のいく説明をしていないと答える人が60%程度いることを明らかにしている。一社だけの調査ではなく、どの調査を見ても小沢が説明責任を果たしていないという答えを出している。私自身もそう思っているし、これは大多数の国民が感じていると思って間違いないだろう。
民主党と小沢一郎は、この国民の声に素直に耳を傾けるべきである。

さらに、次の総理大臣にふさわしい人は誰かという調査においても、ついこの前までは麻生太郎にダブルスコアをつけて勝っていた小沢一郎が、今では僅差とはいえ、逆転されるまでになっている。
あの無能な極右政治家の麻生と比べても、総理にはしたくないと考えられているのだ。
これでも小沢を代表にして戦えるのか。
たしかに総選挙をすれば、民主党は勝てるだろう。しかし、今のままでは野党と連立政権を組んだとしても自民党との差はわずかにしかならないだろう。それでは安定した政権運営を望むことはできまい。

数日前の朝日新聞には立花隆が「民主代表のまま裁判を続けるのか 師から何を学んだ」と題する論考が寄せられた。
そこには、ここまで私が書いてきたような理由とともに次の点を挙げて小沢辞任を促している。
すなわち、一国の宰相とは私的なことなど考える余裕もないほどの激務であり、次から次へと懸案事項が持ち上がり、それに対する決断を下していかなければならない職務である。そんな職務に、政治資金規正法の法解釈など検察との論争を抱えたままの人間が就くことが果たしてできるのか。国政という重要な職務よりも裁判が大事という人物を日本の総理大臣に据えるわけにはいかないというのだ。

私はこれこそ重要なポイントだと思う。
小沢がどんな微罪であれ、汚職に関わっていたことは疑いようがない事実である。その上でなお問題がないとして検察と戦う姿勢を示し、総裁の座を狙うと言うことは許されるべきではない。
立花隆は、田中角栄がロッキード事件で逮捕されたときのエピソードを紹介して、田中が逮捕されて真っ先にやったことは、検事正から紙を貰い受け、その場でサラサラと自民党への離党届を書いたという。角栄は自分の無罪を信じており、そのためにはとことん裁判で戦うつもりだったが、それはあくまで私事であり、党を巻き込むことはしないという覚悟の現れだったのだ。

その角栄の姿を間近で見てきた小沢一郎は、今回、それとはまったく逆のことをしている。小沢は田中角栄からいったい何を学んだのか。立花隆はそう書いている。

小沢がこのまま代表に留まれば、民主党はいつまでも納得できない議員たちが不満を抱き続け、党が一つにまとまることなどできないだろう。
「党に迷惑をかけちゃいかん」
田中角栄が言ったその言葉を、小沢一郎はどうして自分の口から吐くことができないのだろうか。
小沢が本気で政権交代を望み、野党の連立で自民党を完全に押さえ込むためには、小沢自身が代表を辞して裏方にでも回る必要がある。
昨日の毎日新聞には菅直人が小沢に直接、代表を辞めてはどうかと言った事実が記事になっていたが、小沢は菅の言葉を重く受け止めるべきなのである。
そして一刻も早く代表を退き、後任を菅直人なりに任せるべきなのである。

私は立花隆の論は非常に理性的な考察だと思うし、これに深く同意する。
小沢一郎でなければならないと頑なに信じているブロガーはどう思うか、私の知ったことではないが、今の小沢に対する民意はきわめて正論に立っていると私は信じる。

関連タグ : 小沢一郎, 民主党, 立花隆,

北朝鮮がムスダンリから「通信衛星を乗せたロケット」を打ち上げると通告した期日は4日から8日の間。はやければ明後日にも「ロケット」が打ち上げられることになる。

これについて、日本ではそれが通信衛星を乗せたロケットではなく、爆弾を積んだミサイルなのではないかとの憶測が乱れ飛んでいる。それというのも、ロケットもミサイルも本体は同じ物であり、違うのは天辺に載せているものが人工衛星か爆弾かの違いでしかないからで、しかも通常ロケットは地球の自転を利用して東向きに打ち上げられるもので、その打ち上げコースの真下には日本列島があり、もし爆弾を積んだミサイルならば日本を直撃する恐れがあるからだ。

北朝鮮に対する信用は、日本では限りなく低い。
だから人工衛星であろうとミサイルであろうと、とにかくぶっそうなものを打ち上げられては困るというのが日本人の感情だ。普通ならば東側に他国がある場合、自国から打ち上げるのではなく他の国にある打ち上げ場を借りるものだが、北朝鮮の場合はあくまでも自国からの発射にこだわっている。それは「ロケット」打ち上げが国威発揚につながるからだろうが、日本からしてみれば爆弾を落とされる恐れがあるうえ、たとえ衛星を載せたロケットだったとしても打ち上げに失敗して日本に落下してきたらどうするのか、あるいは切り離した燃料タンクが落ちてきたらどうするのか、心配の種は尽きることがない。
なんとも困った隣国。それが北朝鮮で、打ち上げ中止を訴えてももはや聞く耳持たないという態度だ。

これに対して日本はどう対応すべきなのか。
先月下旬からのマスコミ報道を見ると、まるで今日本は戦時下にあり、テレビも新聞も大本営発表の情報を垂れ流していた時代に逆もどりした感がある。

新聞見出し

上は、各新聞が報じた北朝鮮の「ロケット打ち上げ」に関する報道の見出しだが、毎日を除いて5社が「ミサイル」という言葉を使っている。そして各社とも「冷静に備えよ」「万全の態勢を」「揺さぶりに動じるな」と勇ましい言葉を使い、これでは北朝鮮の報道もびっくりという論調だ。
こうした心配を受けて、政府も3月27日に浜田靖一防衛相が自衛隊に対して初のミサイル破壊措置命令を下した。そして「ミサイル」が飛んできた場合に備えて地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を配備することに決め、東京、埼玉、千葉の首都圏と「ミサイル」の弾道下にあたる秋田、岩手にこれを設置した。

また海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載したイージス艦「こんごう」「ちょうかい」を日本海に、また「ミサイル」をレーダーで捕捉するためのイージス艦「きりしま」を太平洋に展開した。

しかし最新鋭のこれらの兵器を使っても、猛烈なスピードで飛翔する物体に命中させることは難しいとする専門家は少なくない。さらに、もし命中したとしても、こんどはバラバラになった物体の破片が日本上に落ちてくる可能性もある。

防衛問題を語るのは難しいのだが、あえて言うならば、私にはどうも日本は過剰反応しているような気がしてならない。
もちろん、日本上空をミサイルだか衛星を載せたロケットだか、得体の知れない物体が飛ぶというのは愉快なことではないし、できることなら今からでも北朝鮮に自重してもらいたいものだ。たとえ北朝鮮がいつもの通り頑なな態度をとったとしても、日本政府はギリギリまで外交的に打ち上げ中止を訴え続けるべきだろう。
しかし、北朝鮮から見れば今の日本はどう映るだろうか。
近頃めっきりおやつれになった将軍様を元気づけるためにも、ここはどうしても大きな花火を打ち上げてやる必要があるというのに、勝手にミサイルだと騒ぎ、迎撃ミサイルまで配備している。日本側はわが国のロケット打ち上げが失敗したときのことを勝手に心配しているが、せっかく打ち上げたロケットを破壊されたのではたまったものではない。いわんや、迎撃ミサイルが標的を外してわが国に飛んできたらどうするのだ。
これは戦闘開始行為に他ならないではないか。

北朝鮮はそう思って、結果によっては本当に日本を攻撃してくるかもしれない。

日本は憲法9条という平和憲法を持っている国であり。戦争は放棄しているはずである。
その日本が防衛のためとはいえ、立派なミサイルを撃つというのはどういうことなのか。
このことに関して論じようとする者は、どういうわけか見かけない。
日本はいつから「一億総火の玉」になってしまったのか。

わかっている。こんなことを言うと、「それではお前は自国が攻撃されたときに、黙ってやられていろと言うのか」という問いが突きつけられるのだ。
この問いに答えるのは容易ではない。
けれども、今の私に言えるのは、北朝鮮が打ち上げようとしている物体を「ミサイル」と決めつけ、それが打ち上げられた場合の迎撃態勢ばかり整え、迎撃が可能かどうかばかり論じていていいのかということだ。アメリカが提供する衛星写真を見てロケットかミサイルかと論じたところで、分かるわけがない。今、北朝鮮が打ち上げようとしている物は、打ち上げてみなければ衛星打ち上げのためのロケットなのか、日本をふくむ他国を攻撃するためのミサイルなのかは分からないのである。
分からないものに対して最悪の場合ばかり想定していていいのだろうか。
私はむしろ、最悪の場合でなかった場合を想定した論議が必要な気がしている。
北朝鮮がやろうとしている行為は、国際的に見ても、つまり安保理決議に照らし合わせて見ても違反行為である。けれども、北朝鮮に戦意がなく、ほんとうに通信衛星を打ち上げる世界で10番目の国になりたいのだとしたら、もう少し柔軟な対応が考えられるのではないだろうか。

北朝鮮は拉致問題もふくめ、日本にとっては好ましからざる国である。
だからといって、強硬な態度ばかりが先走り、ろくに議論もせずに破壊措置命令を下し、迎撃ミサイルを配備していたのではかえって北朝鮮を刺激し、無用な摩擦を引き起こすもとになるのではないか。私はそのことを恐れる。
新聞もテレビも、ミサイルが飛んできたらと書き立てるばかりでなく、北朝鮮に自重を促し、今後もこのような行為をさせないように説得するような報道があってもいいのではないか。われわれは一人ではないのだ。国際社会も日本の味方だ。北朝鮮のような国には一国ではなく世界が力を合わせて臨んでいかなければならない。そのための議論を、日本の中でもっと尽くしていく必要があるのではないか。

テポドン2号と見られる物体が打ち上げられたとして、それが通信衛星を運ぶものなのか、それとも攻撃用ミサイルなのかを判断するには5分から10分の猶予しかないという。
そのわずかな時間にかけて、一億総火の玉になってしまって大丈夫なのか。
私にはそのことが心配なのである。

関連タグ : 北朝鮮, ミサイル, 破壊措置命令,

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。