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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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今さら何を言っても森田健作(本名:鈴木栄治)が100万票以上もの有権者からの信任を獲得した事実は変わらない。
これについて文句を言ったところで負け犬の遠吠えというものだろう。

しかし、森田健作はそのマニフェストでも教育問題にからめて子どもに対する道徳教育の重要性を訴えていたことは記憶に新しい。
私のような者から見れば、森田の説く道徳教育はアナクロニズムそのものであり、戦前からついこの間まで続いてきた男尊女卑的なニオイが鼻を突く、鳥肌が立ちそうなほどかび臭い代物だった。
だが世の中には森田の道徳観に共鳴し、私の書いた批判の方が間違っていると感じた人もいくらかはいたようで、お叱りに近いコメントを頂いたのも事実である。
たしかに、人間社会が円満に成り立っていくには道徳は重要な役割を持つ。
人に嘘をついたりしてはいけないし、目上だけに限らず他人に対する敬意を持って生きて行かなければならない。それは人間の根幹に関わる価値観であり、常に清廉潔白を貫いて生きて行くのは難しいとしても、心のどこかに忘れずに置いておき、いつでもそこに立ち戻ることができるようにしておくべきものである。

ところでブログ界には非常に調べ物が上手な人が少なくない。
私が今日、とても興味深く見たブログもそんな人によるブログである。
卵かけごはんさんによる「東京サバイバル情報」の「さらば…右翼と言おう♪」パート4というエントリhttp://yaplog.jp/ichijihinan/archive/192で、先日私が拝見したエントリの続編ともいうべきものである。
すでに前のエントリで森田健作は自民党東京都衆議院選挙区第二支部を通して多額の献金を受けていたことが明らかになっているが、たしか森田は当選が決まった翌日のニュースで小沢一郎の西松建設問題に触れ、あの企業献金問題が今回の選挙の結果に影響があったと述べ、不正な献金はいかん、というようなことを言っていたかと思う。

しかし、「東京サバイバル情報」に出ている事実を見ると、森田健作自身がいくつもの企業からの迂回献金を受けていたのが一目瞭然で、少なくとも森田に小沢一郎を避難する資格などはないというのが私の気持ちだ。

さらに問題なのは、卵かけごはんさんも書いているように、自民党支部という企業からの献金の受け皿を持っていながら選挙期間中「無所属、無党派」を声高に連呼し、いかにも自分は清廉潔白の士であるかのように選挙民の心に訴えていた事実だ。
そういえば何年か前に民社党から立候補した新間正次が、選挙活動中に「中学生当時、公費の留学生に選ばれ、福祉を学ぶために、スイスで半年間、ボランティアの勉強をした」と嘘の演説をしたことがあった。新間はその効果があってか見事に当選。
ところが、当選の万歳をしている最中に「明治大学入学というのは事実か?」と記者から質問され、「入学手続きはしたけど、授業には出ていない」と答え、これが記事になるやそもそも明治大学に入学した事実もなかったという学歴詐称が明らかになり、これが元で公職選挙法235条違反(虚偽事項の公表)で在宅起訴されてしまった。新間はその後民社党を離党し身の潔白を訴えたが、最高裁判所は禁固6月執行猶予4年の有罪判決を下し、これが確定した。
そして新間の当選も無効となった。

そこで今回の森田健作センセイだ。

この選挙期間中、「完全に無所属、しがらみのない候補」と連呼しながら、その実自民党に所属し、その支部を迂回してたんまり企業献金を受け取っていた森田の場合は問題にならないのか。
私から見れば、森田に比べれば新間正次の学歴詐称がカワイク思えるのだが、どうか。
卵かけごはんさんは手厳しく「学歴詐称」よりたちの悪い「政党詐称」と言っているが、モラロジーにうるさい人々はどう考えるか。

知事と決まってしまった以上仕方がないが、森田にもっとも必要なのは己の道徳観をもう一度点検することだろう。


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関連タグ : 森田健作, モラロジー, 企業献金, 詐称,

それにしても昨日の千葉県知事選は異常だった。
なにしろ開票したとたんに森田健作の当確が出てしまったのだ。
それほど森田の勢いはすさまじかったのだろう。
結果、森田は100万票以上取って2位の民主党推薦候補だった吉田たいらに倍近い差をつけて圧勝してしまった。

考え得る中でも最悪の結果になってしまった。

公明党が推していた新自由主義者の白石ますみは34万票あまり。森田の約3分の1で、森田からすればまったく敵ではなかったということになる。

昨日の夜は、あまりの悔しさに私も少々荒れてしまったが、一人で嘆いていても仕方がない。
これからの4年間がどんなものになっていくのか、千葉県民の生活がどう変わっていくのかを考えるとなお暗澹とせずにはいられないが、ここは気持ちを切り替えて、森田健作がなぜ勝ったのかを考えておきたい。

そもそも4年前の知事選で、森田は堂本暁子と大接戦を繰り広げており、わずか6000票ほどの差で敗れている。森田としてはほんとうにこれが悔しかったのだろう、政見放送でもまず4年前の悔しさを述べていた。同時に、6000票の差であれば、この次は絶対に取り返せるという目算もあっただろう。
今回の知事選で立候補したのは森田の他に民主・社民・国民新推薦の吉田平、公明党推薦の白石真澄、無所属だが前自民党県議だった西尾憲一の5人。
はっきりいって、森田以外に名を知られる人物はいない。
白石真澄はテレビのコメンテーターなどでマスコミに登場することもあったが、森田と比べると知名度においてその差は歴然だった。

実際、わが家の近所の主婦の中には「こんどの選挙どうする? 私、森田健作しかしらないんだけど」と話す者がいたように、はじめから森田健作ありきだった有権者がかなりの数、いたものと思われる。

冷静な目で各候補者の主張つまりマニフェストを見比べれば、森田の主張が「千葉県を日本一に」と繰り返すばかりで具体性がなにもないことがすぐに分かるのだが、今回の選挙は有権者の中にマニフェストに目を通す者はごく少ないという事実をも明らかにしたと思う。

となれば、森田がいかにアナクロニズムなことを言い張り、その背後にサラ金や新興宗教などの協力者がついていたとしても有権者にとってはいまだに「青春の巨匠」であり、さわやかに「さらば涙と言おう」を熱唱する熱血漢のイメージが頭にこびりついており、今や俳優としてはほとんど振り返られることもなくなった森田程度の男でも唯一の“有名人”としてハートを鷲づかみにされてしまうのだ。
なんともお寒い状況で、これでは日本の選挙は学級委員を選ぶのと同じ、人気投票と変わらないということになる。
そして選挙が人気投票であることは、東京都で石原慎太郎が3期続けて圧勝し、大阪で橋下徹が圧勝し、宮崎で東国原英夫(そのまんま東)が圧勝したことの延長であり、今回、森田健作が圧勝したことは当然と言えば当然のことだったのである。

ここまで考えるのは容易い。
おそらく政治のプロならばもっと詳細に状況分析して選挙戦に入ったことだろう。
しかし、圧倒的に有利な森田健作を前にして、民主党は候補者を立てるのにもたついた。
はじめはこともあろうに白石真澄を公認にしようとして自民党とぶつかり、結局推薦をとりやめた。自民党もケチがついた白石を捨てて議連は各自の自由に任せるとしたが、その半数は森田についたと言われる。
森田健作がいちはやく立候補を表明したのに比べ、民主党からの立候補者はなかなか決まらず、結局、堂本暁子が後継者として選ぶ形で吉田平を立てた。
しかし吉田の知名度は広い千葉県ではほとんど知られておらず、森田に対抗させて行くにはよほどの知恵を集めなければならなかったはずだ。

しかし結局は民主党は有効な手を打つことができず、反対に党内で小沢スキャンダルが勃発したために足並みが乱れることになった。

政権交代を目指す民主党にとって、今回の千葉知事選は重要な意味を持つと私は思っていたのだが、結局、民主党は無策のうちに敗れてしまったと言う他ないだろう。
テレビ・新聞では今後、小沢代表の辞任問題に発展する可能性をしきりに出しているが、問題の根幹は小沢一郎ではないだろう。
たしかに小沢のスキャンダルはマイナスにはなっただろうが、それがすなわち選挙結果に見るダブルスコアにつながったとは考えにくい。
ここはやはり、民主党そのものの考え方が甘かったというべきだろう。
したがって、私はもう一度ここで繰り返すが、この選挙結果で小沢一郎をさせることには反対である。小沢を辞めさせたところで党内がどれほどまとまれるのか。なによりも、小沢一郎が退くことで民主党の訴求力が今よりも強くなるのかを考えると、いたずらに小沢降ろしに走るのはムダとしか思えない。

問題は、ポピュリズムにかくも弱いことが明らかになった日本の有権者に対して、どうやってまともな政策を打ち出し、心に焼き付けさせることができるか、その方法を党を挙げて模索することだろう。これは東国原や橋下の支持率が今以て高いことを考えると、なまなかなことではないと思う。

悲しいことだが、千葉には森田健作というアナクロニズムの出自をたどれば自民党政治そのままの政治家がトップに立ってしまった。

民主党、社民党、国民新党が政権交代を真剣に考えるならば、よほど腹をくくっていかなければならないと改めて思った次第である。

そしてもうひとつ。
蟹工船ブームなどがあり、注目度がアップしたはずの共産党が無残な負け方をしたことをどう考えるか。
単に格差是正や貧困解消などと訴えるだけでは票は取れない。
今回の選挙はその難しさも提示することになったと思う。


関連タグ : 森田健作, 千葉県知事, 民主党,

なんだかだ言っているうちに千葉県知事選の投票日は明日にまで迫ってきた。
今日が最後の運動とあって、各候補とも声を枯らしていることと思う。
けれども千葉県に住む有権者にはぜひともここで冷静な判断をしてもらいたい。

まず、なによりも投票すること。
そして今の自公政権にNOという声を突きつけるために、森田健作白石ますみには投票しないことである。
森田健作は無所属と言いながら議員時代は自民党から立候補していたのだし、無所属無党派を訴えながらも自民党からしっかり寄付金を受け取っている男である。
森田についていえば、前のエントリでも書いたように幸福の科学や統一教会とのつながりがあり、しかも右翼団体の日本会議とも関係が深い。こんな男にだけは知事になってほしくないものだ。

そして白石ますみについても、公明党が支持していることはすでに承知の通りで、しかも何より悪いのは小泉純一郎と同じ、日本をぶっ壊そうとするカイカク主義者つまり新自由主義者であることだ。白石の応援にはやはり改革派で超タカ派の橋下徹が名を連ねている。
千葉県民は大阪府民が犯した過ちを繰り返してはならない。白石には惨敗を喫してもらい、公明党にも痛烈なパンチを食らわしてやりたいものだ。

候補者の中でいちばん影が薄い? のは西尾憲一だが、これも素性をただせば自民党県議である。マニフェストでも今の政府が進めている政策に当たり障りのないような言葉を並べている。それだけでも知事にはしたくない。

残る候補者は、民主党・社民党・国民新党が支持する吉田平と共産党の八田英之だが、ここで票割れしてしまっては元も子もない。私自身は八田を支持したいところだが、選挙前の調査でもっともリードしている森田健作に肉薄しているのは吉田の方である。
吉田の主張は八ツ場(やんば)ダム建設中止、三番瀬保全、特別養護老人ホームの人員5割増しなどまずまずのもの。
千葉県民としては吉田平に一票を投じてもらいたいものだ。

もちろん、一県民として私も明日は吉田に投票するつもりだ。

関連タグ : 千葉県知事選, 吉田平, 森田健作, 白石ますみ,

数日前、わが家のポストに妙なチラシが入っていた。
B4版に印刷されているのは「新・女性知事に千葉の未来を託し千葉をもっと元気に」という赤い文字と笑顔の赤ん坊の写真。そして筆文字で「よみがえれ! 千葉」とある。
あ、千葉知事選のチラシね。
それはすぐに分かった。「新・女性知事に千葉の未来を」なんて書いてあれば、これが白石真澄候補のものだということも分かる。

しかし、なんだか変なのだ。
というのもこのチラシ、どこを見ても白石の名前が出てこない。
赤ん坊の写真の下には「5つの改革」という項目があって、
1いのちを大切に、医療と福祉 2子育て支援と教育で人づくり 3いきいきと働ける雇用促進 4交通と産業のさらなる発展 5農林水産業を元気に
とあって、それぞれに箇条書きの公約? が書いてある。

で、裏面を見るとさらに変。
ここには白石を応援する人間の写真が並んでいて、それぞれにメッセージが添えられている。応援者のメンツは大阪府知事の橋下徹、衆議院議員の小渕優子、それにヤンキー先生こと参議院議員の義家弘介、漫画家のやくみつる、千葉商科大学学長の島田晴雄。
変なのは、彼らのメッセージに一言も白石の名前が出てこないのである。
みな「彼女は」とか「彼女の」と3人称代名詞を使っている。
いちばん変なのは橋下徹のメッセージで、こんな具合だ。

千葉県知事選挙もいよいよ間近に迫ってきました。
○○さんが千葉県知事を目指されるとお聞きし、驚くと同時に都道府県知事の中にまた一人、共に霞ヶ関と戦っていただける頼もしい同志が増えることに大きな期待を持っております。
○○さんは、東洋大学、そして現在は関西大学でバリアフリーをはじめ地域福祉論の教鞭を執られる一方で、国の審議会委員だけでなく、千葉県では教育委員も務められるなど、行政とも関わりが深く、豊富な知識と経験に裏打ちされた判断力をお持ちで、国に対してしっかりとモノ申すことができる方です。

(以下略)

なんで、わざわざ「○○さん」などと名前を伏せて書く必要があるのだ?

チラシにはもう1枚折りたたんだものが添えられていて、こちらには白石ますみの顔写真とプロフィール、マニフェストなどがくどいくらいに書いてあるのだ。

もう一度、白石の名前を伏せてあるチラシを見ると、隅っこに「このチラシは公職選挙法にもとづいたものです」と断り書き。
公職選挙法では、2枚チラシを配布するときにはどちらかを名前を伏せて作らなければならないことになっているのか?

だいたい「○○さんは」などと下手な謎解きみたいなことをやって誰が喜ぶというのだ。
白石真澄は「千葉の家計簿を見直す」と言っているが、それはすなわちムダを省くという名目に名を借りた財政緊縮と職員の首切りで、こんなことをやられてはますます千葉の景気が悪くなり、失業者の数が増えてしまう。
白石などには絶対に投票しないと最初から決めていたが、こんな奇妙なチラシを見たら、誰に投票するか決めかねている有権者も白石だけには投票したくなくなるのではなかろうか。

■追記
不審に思ったので、白石の選挙事務所に電話してみた。
すると、公職選挙法では本人が作る正式なチラシには顔写真、名前を出してもいいが、応援団体が作るチラシには名前も顔写真も出してはいけないことになっているのだそうだ。
ふむふむ、ひとつ勉強させてもらったよ、白石センセ。

でもなあ、いかに応援したいかは分かるが、「○○さん」とまでして出す応援メッセージって、どうよ。
いかにも策がないねえ。大丈夫なのか、知事になったとしても。

関連タグ : 千葉知事選, 白石真澄,

西松建設による献金問題については、だいぶ前に書いたが、それ以来どうにも興味がわいてこなくて書かずにいた。

私としては公設秘書が逮捕され、献金疑惑が出てきた時点で小沢一郎は代表を辞任すべきだったと思っている。
法的に問題はないといっても、国民の多くは小沢という政治家が田中角栄いらいの「政治とカネ」の体質を持つ男であることを嫌でも思い出さずにいられなかったのだし、それはつまるところ法的にどうであれ、ダーティな男をトップに頂いている民主党にとって利するところはないと思ったからである。
あの時点で小沢一郎が辞任し、菅直人なり岡田克也なりが代わりに立てばよかった。
あるいは代表選を行うことにしてもよかったと思う。

けれども、小沢は検察との対決姿勢を打ち出し、代表を辞するつもりはないと言い張り、秘書が起訴された24日には涙まで浮かべて続投の意志を明らかにした。

ここまできてしまったら、もうやるしかないではないか。
民主党は党を挙げて検察と戦い、小沢を養護し、自らの正当性を強くアピールしなければならないはずだ。
朝日新聞をはじめとするマスコミは小沢辞任を求め、週刊誌などは小沢の時代は終わったなどと書き立てているが、そんなことはない。
自らが正しいと思ったならば徹底的に戦わなければ、結局のところ小沢一人ではなく民主党そのものが「終わり」となってしまうだろう。

小沢一郎は辞任すべきだった。
しかし、今は違う。
民主党はひとつにまとまっていかなければ、まず目前に控えている千葉知事選で隠れ自民党の、それもへたれ右翼の森田健作に出し抜かれることになるだろう。さらに4月には秋田知事選もある。
次期総選挙を占う重要な選挙でもあるこれらの知事選で、自民党につけいる隙を与え、政権交代がまた遠のくようなことがあってはならないのだ。
テレビカメラの前で当たり前のような顔をして小沢辞任を求めた小宮山洋子や仙石由人ら「造反議員」には厳しい態度で臨むべきである。
マスコミが小沢の時代は終わったと書く。
たしかに私自身、小沢という政治家は好きではないし信用できないと思っている。しかし、現状を見てみれば小沢一郎などとは比べようもないほど人間的に劣った男が宰相を務めてその座にしがみついているのである。
この状況を変えることこそ、なによりも大事なのだ。

民主党執行部は毅然とした態度で今の事態に対処し、当面の目標である知事選で勝利することを目指さなければならない。
自民党に痛打を浴びせ、ガタガタになっている屋台骨を徹底的に破壊してやらなければならないのだ。

小沢一郎が辞めた方がいいなどと寝ぼけたことを今さら言ってもらっては困るのである。
ここまできたのなら、小沢と一緒に地獄まで行けばいい。そのくらいの覚悟で戦えと言いたい。
民主党が内輪で揉め始め、またぞろ内部の新自由主義者どもがうごめきはじめることでいちばん喜ぶのは自民党ではないか。
自民党を喜ばせるようなことをしてくれるな。
小沢一郎を辞めさせるのならば、政権交代という大目標を達成してからでも遅くはない。

私は今回の西松建設問題が国策捜査だとか何だとかいう言説にはほとんど興味がない。
そんなことよりも、これからの日本、これからの国民生活のことを考えて誰が何を言い、どう動くのか、そのことの方に興味がある。
だから重ねて言う。
今、政権交代を目指しているときに、内部で揉めたり分裂することほど愚かなことはない。
民主党は断固として小沢を守り、自民党と戦って行くべき時だ。国民の目が民主党に注がれていることを忘れないでもらいたいものだ。

関連タグ : 小沢一郎, 民主党,

昨日に引き続き、千葉知事選挙でリードを伝えられる森田健作の批判をする。

まず、「dj19の日記」が取り上げている「森田健作先生のマニフェストがひどい」http://d.hatena.ne.jp/dj19/20090324/p1から。
ここではマニフェスト「政党より県民第一。輝け千葉・日本一」17ページにある「教育日本一」という項目を引用している。
私も読んでみてたまげたが、その内容はヒドイの一言に尽きる。マニフェスト

「学級崩壊のみならず、家庭内殺人・無差別殺人など、これまでの常識では考えられないような事件が頻発しています」って、これではまるで子どもたちが「家庭内殺人」や「無差別殺人」を頻発させているかのように読める。
ブログ主もそれを取り上げて、「何を根拠に言ってるんだろう? なんか『少年犯罪の急増、凶悪化』といったマスコミの捏造報道を信じちゃってるっぽいなぁ」と軽くジャブをくれている。
実際、法務省がまとめた『犯罪白書』を見ると、日本社会で少年犯罪がどれだけ発生しているのか、その推移を見ることができる。そして、そのデータを見ると、少年犯罪のピークは1960年代、80年代、90年代後半にあるものの、全体を見渡してみればその数が最近になって急増しているなどという事実はないことが分かる。森田健作はこのデータを見ることもなく、テレビなどが無責任に垂れ流している報道のイメージから「これまでの常識では考えられないような事件が頻発しています」と書いているのではないか。
さらに、「常識では考えられないような事件」というのは凶悪事件のことだろうが、殺人、強盗、強姦、放火などの凶悪な事件は1950年代から60年代に大きなピークがあり、それ以来、全体としては減少傾向にある。

森田健作、何を見てマニフェストを作っているのだ?

さらに「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記」では、森田健作が統一協会や政界進出を目指す幸福の科学と深く結びついていることを暴露している。http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090226#1235589967
統一協会の文鮮明による2000年2月のメッセージ「誰もが願う真の愛」では次のようなくだりがある。
「女性や男性が貞操を守り保護することは、宇宙を保護することと同じです。男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。ですから、これを動物のように乱用してはなりません」

これって、「行き過ぎたジェンダーフリー(性差否定)教育や過激な性教育を見直し、男女の生まれ持った違いや良さを尊重し、家族や家庭を大切にする明るく元気で生き生きとした子供たちを育てます」という森田のマニフェストとよく似てるじゃん。
それもそのはずで、統一教会系青少年団体ワールドカーブ・ジャパンの『2004年倫理問題調査会青少年問題研究報告書』で協力者として紹介されているのが山谷えり子と森田健作なのだ。

さらに、前回の参院選で丸川珠代らを組織的に支援したとされる「幸福の科学」だが、教団発行の『ザ・リバティ』9月号には巻末9ページにわたって森田健作の特集記事が組まれているという。雑誌が9ページも使って一人の政治家を特集するというのは破格の扱いであり、教団が森田健作を支援していることは一目瞭然だ。

また、右翼団体「日本会議」系新興宗教「モラロジー研究所」でも森田健作は講演している。

森田健作は単に右翼政治家というだけでなく、政界進出を狙う新興宗教のお先棒も担いでいる、とんでもない男なのだ。

森田健作とカネの関係についても、「カマヤンの虚業日記」では「サラ金など貸金業界の政治団体、全国貸金業政治連盟が、政界工作のため国会議員のパーティー券を購入し『協力者リスト』として、国会議員79人の氏名を記載したなかに、『森田健作 自民党・衆議院東京都第四区』と、明記されています。社会問題になったサラ金の無法なやり口も、森田氏の言う『愛国心』や『男らしさ』とは、矛盾しないようです。」と揶揄している。

まだ、あるぞ。
「さらば…右翼と言おう♪」パート2http://yaplog.jp/ichijihinan/archive/190では、森田健作の資金管理団体「森田健作政経懇話会」の政治資金収支報告書にある記載を見つけ出し、森田健作が平成19年度に自民党東京都衆議院選挙区第二支部から1160万円あまり、平成18年度には同支部から1420万円あまりの寄付を得ていたことを暴露している。

森田健作。どこが無党派で無色透明なんだよ。

これじゃ自民党から立候補しているも同然じゃんか。
そのうえにサラ金とも縁が深く、新興宗教からもちゃっかり応援してもらっている。

千葉県民は、ことによるといちばん危なくて汚い男を知事に選ぼうとしているのかもしれない。
一県民として、まったくぞっとするような事態が今進行しているのかと思うと、気が気でない。
隣の東京都には独裁者・石原慎太郎が君臨し、西にはサラ金派弁護士・橋下徹が異常な支持を受け続けている今、千葉県にも三流右翼で節操なくどこからでも支援を受けて空疎な「男らしさ」を看板に掲げる森田健作が新たに主張の座に加わったなら、これからの日本はますます地盤沈下してしまいそうだ。

これ以上、日本を悪くしないためにも、ストップ・ザ・モリケン!

関連タグ : 森田健作, マニフェスト, 新興宗教, 自民党,

いやはや、しばらく更新を怠っている間になんとも困った状況になってしまったものだ。

今、千葉県では29日の投票を前に、県知事選が最後の追い込みに入ろうとしている。
当初、私は前知事の堂本暁子から後継指名を受けた吉田平が本命と見ていた。
立候補しているのは吉田をふくめて5人。
前回の知事選で「善戦」して敗れた森田健作と県議から立候補した西尾憲一、それに共産党から立候補した八田英之(はったふさゆき)、大阪生まれだが今は千葉県在住の新自由主義者、白石ますみ。

このうち白石ますみについてはあらためて語る必要もあるまい。民主党からの公認を取り消され、今は公明党の推薦を得ているが、テレビのコメンテーターとして出演していた頃からきわめて上昇志向の強いガチガチの新自由主義者で、今回の公約でもムダをなくすという旗印の下、県財政については超緊縮型政策で臨むことをうたっている。選挙公報で白石に応援文を寄せているのが大阪府知事の橋下徹で、自分とともに霞ヶ関と戦っていける同志であると白石のことを祭り上げているが、白石などが知事になれば橋下が大阪で行っているようななんでも切り捨て型政治を行うだろうことは想像に難くない。橋下同様、白石も県民のためのサービスなどには目もくれない「小さな自治体」実現のためにやっきになることだろう。

吉田平は白石を見切った民主党が推薦し、前知事の後継ということもあってもっとも知事に近い存在かと思っていた。
財政難に苦しむ「いすみ鉄道」の社長に就任して次々とユニークな経営手段を導入したことはニュースでも報じられたし、社員の誰よりも早く出社して社長自らトイレ掃除をするという日課は、社長になるがゆえに陥りやすい傲慢を自ら戒めるためだというのも新鮮に映った。
しかし、現職知事からの要請を受けたとはいえ社長に就任してから1年もたたないうちに仕事を放り出す形で「いすみ鉄道」を辞め、知事選に立候補するというのはいささか無責任というしかない。
私は吉田平には投票しないつもりでいたが、県民の意志をならしてみれば吉田がもっとも有力なのではないか、少なくとも無難な候補なのではないかと思っていた。

ところが、少し前からちらほら情報を耳にしていると、あに図らんや、私はまったくの泡沫候補だと思っていた森田健作が善戦しているという。
それを裏付けるように、今日の東京新聞でも21日、22日に行った電話による世論調査の結果として森田健作が5人の中で一歩リードしていると報じている。
森田に続くのが吉田平で、次いで白石ますみという結果になったという。

森田は無所属ながら自民党県議の約半数から支援を受けており、もともと自民党支持層が多い千葉県民がこれを補強する形で他を引き離しているというわけだ。自民党支持者が多い地方というのは、中高年だけでなく20代をはじめとする若い世代も自民党を支持する傾向が強い。千葉県の場合はきれいにこの傾向を現して森田健作支持へとなびいているのだろう。

同じような調査は毎日新聞も行っていて、その結果でも、やはりトップを走っているのは森田健作で、その支持は県全域にわたっているという。これに吉田、白石が続いているというのだから、どうやら森田健作は今のところ県知事にいちばん近い存在であるといえそうだ。

しかし、選挙公報を見ても「輝け! 千葉日本一。」とか「千葉県民くらし満足度日本一宣言」などとやたら「日本一」が並ぶばかりで、およそ具体性に欠けるのが森田の「政策」アピールだ。知事になるからには、何をどうやって「日本一」に持って行くのかを明らかにしなければならないというのに、森田の口から出てくるのは号令と、「さらば涙といおう」の熱唱だけだ。

森田といえば「おれは男だ!」というスポ根青春ドラマが唯一のヒット作で、タレントとしてはお世辞にも一流とはいえない存在だった。その後、自民党から国政に打って出たが、当選したものの議員として数え上げることができるような実績を上げたこともない。
世間的にはもはや大昔のドラマである「おれは男だ!」で演じた剣道部のキャプテンのキャラをいまだにひきずって、威勢だけで突っ走る向こう見ずな男。要するに、かけ声だけはよく通るが、中身は空っぽの男というのが森田健作なのだ。
だが、この男が千葉の首長になるとすれば、単に威勢だけの男として見逃すわけにはいかなくなってくる。

森田健作は、「青春の巨匠」などともてはやされたこともあるが、その体質はまさに体育会系そのもので、石原慎太郎とも通じるところがある右翼的人物である。実際、前回の知事選では堂本暁子に敗れはしたが、選挙戦後半になって石原慎太郎の応援を得て猛追し、結果として6000票ほどの僅差で敗れている。今回、石原が応援するかは分からないが、森田が絶叫する青春スピリットは「つべこべ言わず、とにかく俺についてこい!」という問答無用なものであり、そこには議論を尽くして民主的に結論を導き出そうというプロセスはない。要するに森田健作は男一匹であり、ひとたび大将になれば周りに忠実な僕を侍らせて石原慎太郎のようにふんぞり返るに違いない。

と、こんな想像をいくら書いてみたところで仕方ないのだが、森田健作が県知事になって何を具体的にやろうとしているのか、それが今の段になってもほとんど見えてこないところが恐ろしい。こんな奴にどうして千葉県民の多くが支持を寄せているのか。私には皆目見当がつかない。
森田健作ならば何かをやってくれるかもしれないと思っているのだろうか。
それは世の中の景気がよくて県民も満ち足りた生活を送っているときならば許されるのかもしれない。
しかし実際には多くの地方自治体の例に洩れず千葉県も財政難に苦しんでいるのであり、県内の経済情勢もまったく振るわない状態にある。さらに公立病院が閉鎖されたり規模縮小を余儀なくされるなど医療問題も山積している。教育問題もある。こうした問題の一つ一つに有効な対策を立てていけるのか、森田健作に。私には「おれは男だ!」と叫び続けているだけの男にしか見えない森田などに、県政を任せようなどという気持ちには到底なれない。
森田のような右翼的体質を持った頭の空っぽな人間が4年間もトップとして県政の舵を取って行ったなら、任期が終わる頃の千葉はどうなっているのか。
私には空恐ろしくさえある。

今からでも遅くはない。
千葉県民は29日の投票日には森田健作になど投票しないでもらいたい。
もちろん、白石ますみでもなく、吉田平でさえなく、ここは八田英之に投票して革新県政を誕生させてほしい。今、5人の候補の中で社会格差の問題、福祉の問題など、県民の生活に密着した事柄に丁寧に答えようとしているのは八田英之だけである。
私は共産党とは何の関係もないが、今の社会には共産党の主張をもっと生かしていく必要があると考えている。

いや、今の状態で八田に投票したのではただの死票になってしまう恐れがある。

ならば百歩譲って吉田平でもいい。民主党、社民党、国民新党が推薦するこの候補者を当選させれば、自民党にとって嫌な思いをさせることができる。

とにかく森田健作のようなかけ声だけの男が首長になって、県民がボロボロになるのを許すわけにはいかない。タレント特有のポピュリズムにひきずられて、宮崎や大阪で見せられた馬鹿げたショーを千葉でも再現するのだけは勘弁してほしい。
テレビで作り上げられた熱血漢の虚像に惑わされるのだけは、止めてほしいと心から願わずにいられない。


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西松建設の違法献金事件で、小沢一郎が窮地に立たされている。
民主党はこれは国策捜査だとか、政権による陰謀だと公言して党を挙げて対決しようとしている。

昨日は政府高官の発言として「自民党側は立件できないだろう」という台詞が飛び出して、民主党側はいっそういきり立ったかに見える。
誰が言った言葉なのか。もしその台詞が本当ならば、やはり今回の小沢一郎に対する強制捜査は国策捜査であり政府の陰謀なのではないか。

しかし、私は陰謀論というのが大嫌いである。
陰謀論というのは詰まるところ憶測に過ぎず、自分がはっきりと見てもいないことに対してそれらしい理由付けをして満足してしまう。
そこには何の理性も、思索もない。
民主党にしてみれば、今回の事件が小沢一郎と民主党に打撃を与えるために行われた政権与党の陰謀だと想像すればそれだけで頭に血が上り、なんとしても自民党をやっつけてやろうという気持ちになるだろう。

だが、忘れてもらっては困るのは、民主党が自民党を倒すべく闘っているのは、国民生活を立て直すためであり、そのための政権交代なのだ。
党首である小沢一郎を信じるのはいい。党首を守ろうとするのはかまわない。
しかしそのために、政党が果たすべき役割を忘れてもらっては困る。

今日になって「自民党側は立件できない」と発言したのは元警察庁長官で官僚トップの漆間巌官房副長官らしいことが明らかになった。
民主党は週明けにも漆間氏を追及していく構えだが、その一方では西松建設の裏献金が自民党の有力議員にも10年以上にわたって総額6000万円程度わたっていたという関係者の供述が出てきている。
仮にその「有力者」が自民党政権の中枢を担っている人物だったとしたら、今度は自民党が打撃を食らう番だろう。

この一連の成り行きを見ていて思うのは、やはり思い込みで陰謀論を主張することの無益さである。
民主党には自民党の誰が裏金を受け取っていたにせよ、「それ見たことか」などと喜ぶようなことはせず、しっかりと地に足をつけた態度を見せてほしい。
そのためには、まず小沢一郎にかけられた嫌疑を明確に証明することであり、もうひとつは解散総選挙を行って国民生活を取り戻すという、政党が掲げていた目標をもういちど確認することだ。
それなくしては共闘していくだろう他の野党も納得できないだろうし、なによりも国民が承知しない。

陰謀論を捨てて党議に立ち返る。
今の民主党に求めるのはこれに尽きる。

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公設第一秘書逮捕を受けて、昨日行われた小沢一郎の会見では、検察に対する激しい非難の言葉が吐き出された。
小沢としてはたしかにはらわたが煮えくり返る思いがあるのだろう。
今、この時期になってなぜ、自分が標的にされるのか。
そこには権力側・政権側の悪意が感じ取れる。

しかし、あの会見を見て納得できたのは、盲目的な小沢支持者と民主党にいる何人かだけだったのではないか。
検察は西松建設からの政治献金のなかでも、小沢一郎に対する献金額が突出して多いことを問題にして、そこに利益供与がなかったかを疑っている。
だとしたら小沢一郎は、政治資金の使い道を明らかにしてそこに利益供与などなかったことをまずはっきりさせなければ、国民を納得させられなかったと思う。

あの会見の後、民主党の議員は「われわれは小沢代表を信じて団結していく」と語り、岡田克也もポスト小沢の水を向けられると「そんな馬鹿げたことを言ってるのは信じがたいことだ。今は団結して前進していくだけ」と語っていた。さらに幹事長の鳩山由紀夫は「われわれは民主党員なのだから、検察と小沢代表のどちらを信じるかといわれれば、代表を信じていくのは当たり前だ」と語っていた。
今や民主党小沢一郎の潔白を信じて、さらに結束の絆を強めていこうという意志でかたまっているようだ。

だが、民主党信者ではなく、小沢一郎を盲信しているわけでもない多くの国民からすれば、一連の言動はいつかどこかで見た光景と重なるものである。
政治家と金の問題が生まれるたび、それは多くが自民党議員が発生源になっていたのだが、われわれ国民は「○○先生を信じる」「こういうときこそ一致団結していかねばならない」という決まり文句を聞かされてきたのだ。

つまり、会見を開いて小沢一郎がどんなに憤って見せても、民主党の議員たちが声をそろえて団結を唱えても、小沢一郎を総理としてふさわしいと思ってなどいない7割から8割の日本人は、そらぞらしいと感じ、麻生太郎は駄目だけど小沢もやっぱりよくないなと思ったに違いない。
民主党の議員たちが団結するというのは勝手だが、それは何のため、誰のための結束なのかと言い返してやりたくなった人も多いのではないか。

今回の逮捕劇では国策捜査が行われたという意見がもっぱらだが、たしかにこれで民主党が受けたダメージは相当大きい。
しかしこのダメージが自民党にどれだけ利するかといえば、それほど利するところは多くないのではないだろうか。金額こそ小沢一郎が突出して大きかったものの、西松建設からの献金を受けていた議員の数は自民党の方が圧倒的に多かった。それらのひとつひとつを丹念に洗い出し、不正はなかったのかを突き詰めていけば、新たな逮捕者が出てくる可能性は十分にある。
また、小沢一郎のイメージが下がったからといって、麻生太郎の評価が相対的に上がると言うこともあり得ない。小泉純一郎が政界を引退すると明言した今、それでは誰が首相にふさわしいのかというと誰の顔も浮かんでは来ないのである。

むしろ、景気が行き詰まり雇用問題が深刻になっている今、自民党に政権を任せていたのでは駄目だという気持ちだけは消えず、検察がいかに国策捜査をしようが自民党が大逆転の勝利を勝ち取る可能性など皆無に等しいのだ。
国策捜査はあったのかもしれない。
だが、国民の側から見ればそれをとやかく言っているときではない。

問題は自民党政権では駄目なことははっきりしている以上、民主党が中心になって政権を取るべき時が近づいているというのに、肝心の民主党が疑惑を持たれイメージが下がってしまった(もともとイメージは高くなかったのに)小沢一郎を信じて、検察との対決姿勢を表面に出していていいのかという点にある。
私は昨日のエントリで小沢一郎は代表を辞任すべきだと唱えたが、その考えは今も変わらない。そして民主党は代表という看板を付け替える時期を誤ると、結局は自民党の麻生太郎と同じような立場に小沢一郎を追い込むことになるだろうと思う。
さらに、総選挙後の事を考えれば、社民党や国民新党との連立を円満に行う必要があるが、その先行きにも暗雲が漂うことになるだろう。

党首なのだから小沢一郎を信じる。
それは分かる。
しかし、誰のために信じるのか。党を一致団結させる必要は、誰のためにあるのか。
民主党にはその点をよく考えてもらいたいのである。

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すでに多くのブログが小沢一郎の公設第一秘書が西松建設の裏金事件に連なることで逮捕されたことに触れている。
なかには「国策捜査」だ、「陰謀だ」と言っていた鳩山由紀夫に同調して陰謀論を声高に叫ぶものもある。

たしかに、昨日のニュースを見ていて「おや?」と感じたのは、自民党幹事長の細田博之が出てきて記者たちから事件の第一報を耳にしたとき「もう(捜査が)入ったのか?」と反射的に聞き返したときだ。「もう」ということは、細田はすでに何らかの情報を握っており、検察が動くことを知っていたと言うことだろう。
そうだとするならば、細田をはじめ自民党の中枢にある者は検察の手が民主党に司直の手が及ぶのを知っていたのだろうし、もしかすれば検察に対して自民党から情報が流れていたと考えるのも妥当かもしれない。

しかし、そうしたことがあったとしてもわれわれが「陰謀だ」と騒ぐのは時期尚早というものであり、はっきりした事実が出てきてから批判をするのが理性的な考え方だろう。

それよりも、私はこの際、小沢一郎には党代表の座を降りることを望みたい。
第一に、かねて自民党に対しては責任説明を要求してきた小沢が、昨日の事件第一報があったときにはダンマリを決め込み、記者たちの取材を拒否した態度に疑問がある。身の潔白を信じるならば党首として毅然たる態度で捜査を受けるいわれはないと、つまり今日になって行った記者会見で話したことの十分の一でもいいから昨日のうちに表明しておくべきだったと思う。

小沢一郎に対しては、正直なところ清廉潔白な人士というよりも、旧来の自民党政治家が持っていた利権と金をひきずる政治家というイメージが強い。だから、そんな小沢がいくら「生活が第一」と言っても、私としては素直にその言葉を受け入れる気になれなかった部分がある。
こうしたイメージが間違ったものだということをはっきりさせるためにも、小沢一郎はこれからよくよく言葉に気をつけて自身の潔白を証明していく必要があるだろう。
だが、小沢一郎がどういう説明をしようとも、民主党全体にとっては今回の事件が与えた傷はあまりにも大きい。
次期政権を狙う民主党としては、疑惑を持たれた党首を頂いたまま陰謀論などを振り回すより、この際すみやかに小沢一郎を退陣させ、代表代理の菅直人を新たな代表に据えるべきだ。
そうすることによって民主党が受けたダメージを最小限に止め、なおかつ連立を組むべき社民党や国民新党との絆をより強くすることが大切だ。
今のままでは社民党も国民新党も疑心暗鬼のまま手を組むことはできないと言い出すだろうし、そう言われたときに民主党には堪える言葉がないだろう。

菅直人を代表にする必要がある。
鳩山由紀夫では駄目なのだ。いうまでも鳩山は世襲政治家であり、新しく政権を取る民主党が自民党の真似をするようなことがあってはならない。
第一、鳩山の言動にはこれまで首をかしげざるを得ないようなことが少なくなかった。とてもではないが、新しい国のリーダーとしては頼りにできないのである。

さらに自民党にとっては、この事件が陰謀であろうとなかろうと、解散総選挙をする大チャンスに違いない。
民主党のイメージに傷がついた今ならば、選挙をしても勝つことはないにしても大敗はしないで済むかもしれない。新年度の予算案が通った今ならば、解散を邪魔するものはないはずだ。
もし麻生太郎が踏ん切りをつけられず、このままずるずると解散を引き延ばせば、せっかくの好機はなくなり、自民党にとっては無惨な敗北が待っているだけだろう。
決断力がなく、頭の悪い麻生太郎には、この段になっても自分のすべきことが分からないかもしれないが、今こそ党を挙げて麻生に解散を迫るべき時である。

そして国民にとっては、ようやく自分の意志を政治に反映させる機会がやってくる。
民主党に過度な期待をすることもない。ましてや自民党に対してはこれまでの悪政・愚政に対する怒りがまだまだ冷めることはない。
われわれにとっても今がいちばん選挙に適したときといえるのではないか。

重ねて言っておこう。
民主党はすみやかに小沢一郎を退陣させるべきである。その上で小沢一郎には身の潔白を証明させるべきである。
そして麻生内閣は、この機に解散し、一刻も早く民意を問うべきである。

麻生太郎にとっては、もしかするとこれが最後の、男を上げるチャンスになるかもしれない。

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今さら麻生太郎の批判をしても仕方がない。
麻生太郎のような無知で無能な男の悪口を書いたとしても、何にもならない。
そう思って我慢していた。

しかし、景気はどんどん悪くなる一方で、派遣切りはすでに常態化しており、今では正社員すら職を失いかねない状況になりつつある。
奥谷禮子のようなおめでたい新自由主義者は、「やる気さえあれば仕事はいくらでもある」とか、「ハローワークにいけば求人はたくさんあるのに、仕事に就かずにいるのはわがままだ」と吠え続けているが、とんでもない。

すでに派遣切りなどで苦汁をなめている人ならば、同じ派遣社員にはなりたくないと思うのは道理だし、できるだけ長く勤めるならば、自分の適正や希望にかなった仕事に就きたいと思うのも至極当たり前のことだ。
しかし現実には派遣の仕事ならばあるかもしれないが、正社員の募集は少ないし、あったとしても年齢や資格などの条件があって仕事に就くのは難しい。
それでも働かずに無一文になって野宿をするよりはましだからと、仕方なく再び三度、派遣の仕事を選ばざるを得ないのだ。

こうした現状が、この半年というものずっと続いており、状況は好転するどころかどんどん悪くなるばかりである。
しかし、これに対して政府はどんな対策を打ってきたか。

自分は「経済の麻生」だ、などと称して自民党総裁選に立候補し、目出度く総理総裁になった麻生太郎は、欧米諸国に比べて経済的打撃はずっと少なかったはずの日本の経済を今も立て直すことができずにいる。実際には、日本の経済事情は欧米よりも恵まれていたなどということはなく、外需に依存して未曾有(笑)の利益を上げてきただけで、輸出先の経済が悪化すればその影響をもろに受ける体質を持っていた。多くのエコノミストを名乗る「専門家」は、これを見抜けずに「日本が受けた傷は浅い」と言っていたが、経済の麻生もまた同じように先を読むことができず、ついこの間まで「世界の中でいちばん最初に不況から抜け出すのは日本だ」などとうそぶいていた。

日本を率いていくリーダーが、これほど先見性がないだけでも大いに問題なのだが、事の本質はそれだけに止まらない。
麻生がダメな総理で、もしかすると安倍晋三にも劣らない史上最低の総理かもしれないのは、これほど日本経済が打撃を受け生活に困る人が増え続けているというのにその現実を見ず、なんら有効な対策を打つことなく総理の座に執着していることにある。

もはや内閣支持率は20%をとうに切り、一桁台まで落ち込んでいるというのに麻生太郎の鈍感さはそれをやり過ごす。そして「政局より政策」と言い続けて何もせず、予算案審議が始まれば民主党が邪魔をするとごねて見せる。
そうしてやはり何もしないのである。
あまりの鈍感さ・無神経さに、自民党内はもとより閣内からも早期退陣を求める声が出ているが、麻生太郎は「解散・総選挙は総理の専権事項」を繰り返すばかりで一向に応じる気配を見せない。

私は、麻生は解散の時期を見失い、孤立無援になって立ち往生しているのだと思うが、それでも少しまともな頭をもっていれば辞職すればいい。しかし、麻生太郎にはその決断もつけられず、総理の座に恋々としてしがみついている。

日本は今、深刻な経済情勢にあり、国民の生活を立て直すためにはなによりも早く手を打たなければならない状況にある。それなのに、麻生太郎にとって最も重要なことは総理であり続けることであるかのように、予算を通した以外には何もしていない。
政治的空白は許されないとは誰もが言うが、麻生太郎が首相になってからの半年近くはまさに政治的空白としか言いようがなかったのではないか。

今、日本国民はもっとも重要で喫緊の課題は経済対策であると知りながら、それよりもまず必要なのは首相が交代することであり、解散総選挙が行われることであるというジレンマに陥っている。
まさに泣くにも泣けない状態にあるのが、今の国民感情なのではないか。

そして、国民をここまで追い詰め、情けない思いをさせているのはひとえに、麻生太郎の無能さと権力に対する醜い執着であるということを忘れてはならないと思う。

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チェンジリング


クリント・イーストウッド監督の「チェンジリング」を観てきた。

この映画、紹介文を読むとどうしても最近ビデオで観た「バニー・レークは行方不明」(1966)を想起させる。
「バニー・レークは行方不明」は、自分の娘が行方不明になったというのに誰も娘のことを知らない、見たこともないという状況に置かれた母親が孤軍奮闘して真実を明らかにしていくという物語。ローレンス・オリビエ扮する刑事も、当初は母親の言い分がおかしいのではないかと疑ったりするが、母親の熱意に動かされて次第に事件性を感じ取っていく。
娘は本当にいたのか? いたとすれば今どこに? 誰が、なぜ娘を連れ去ったのか?
この謎の解明に向かって物語は進んでいく。

チェンジリング」もまた、息子がある日突然姿を消してしまい、その行方を追い続ける母親の物語だ。
ところがこちらの方は、5ヵ月後に息子が見つかったとして警察が男の子を連れてくるところで一件落着。しかし、その男の子は別人で、母親はそれを訴え、息子はどこにいるのか捜査を続けて欲しいと懇願するのだが、警察は頑として受け付けようとしない。
まるで「バニーレークは行方不明」を裏返したような物語だが、なんとこちらは現実にあった事件だというから驚きである。

チェンジリング」では、息子が見つかったという事実を受け入れようとせず、なおも捜査を求める母親を、警察は強制的に精神病院に入院させてしまう。
怖いといえばこちらの方が断然怖い。やはり事実は小説よりも奇なり、である。
息子はどこにいるのか? 連れてこられた別人の少年はいったい誰なのか?
観客はこの疑問を抱きながら物語を見守ることになる。

しかし「チェンジリング」の場合は、この後ストレートな息子捜しの物語とはならず、思いもかけなかった大量殺人事件の露見と警察の腐敗が糾弾される方向に向かっていく。
なんとも恐ろしい事件、しかも謎めいた展開を見せる事実に目をつけたクリント・イーストウッドはさすがと言いたい。映画にするには打ってつけの事件じゃないか。

今、アメリカ映画は経済危機によるファンドの破綻でどの映画会社も資金難に苦しんでいるという。アメリカ映画と言えば派手なアクション、大金を注ぎ込んで作ったセットが売り物だったけれど、これからしばらくの間、ハリウッドではそういう映画は作られないだろうといわれている。もし作るとしてもそれは他国の資本が入った場合で、事実、今年のアカデミー賞作品賞はインド資本で作られた「スラムドッグ$ミリオネア」だったし、「レッドクリフ」のようなど派手な大作は中国資本によって作られている。
そんな状況下でいい映画を作り続けて行くには一にも二にもすぐれた題材、アイデアによる脚本を練り上げていくしかない。そして出来上がった脚本のよさを最大限に活かして演出する監督がいなければハリウッドは早晩滅びてしまうだろう。
クリント・イーストウッドは今のハリウッドの中で、間違いなくその命運を握る監督の一人といえるだろう。ただし、それを託すには少々年をとりすぎているのが心配なのだが。

というわけでイーストウッドによる「チェンジリング」は今回もなかなかよくできているのである。主演のアンジェリーナ・ジョリーも、息子を捜して憔悴する一方で、決して諦めない母親の強さをよく演じていたと思う。

しかし、客席にいる私としては入れ替わってしまった息子の行方を追う物語が、意外な男児誘拐殺人事件と警察告発となっていくにつれて「あれれれ?」と思わざるを得なかった。

<以下、ネタバレあり。ご注意>


ひとつには息子として現れた少年の正体がもうひとつはっきり説明されなかったことがある。

自宅に帰ってから実際に起きたこの事件のことを調べてみると、少年は継母との折り合いが悪く、家出したところを警察が保護したものらしい。警察はおざなりな調査をして行方不明の少年と決めつけ、主人公の母親に押しつけてしまった。1928年当時のロサンジェルス市警の腐敗ぶりはほんとうにひどかったようだが、この母親も典型的な犠牲者の一人となったわけである。しかし、映画の中では継母との折り合いのことなど一切触れられず、遊園地に行きたかったとか言って、本当の母親が迎えに来て連れ去られて終わりである。
これでは観客にとっては消化不良を催させずにおかないだろう。

もうひとつ解せなかったのは、肝心の男児誘拐殺人――しかも20人にもおよぶ大量殺人――の動機がはっきり示されないことである。
映画では明らかに精神異常のゴードン・ノースコットという男が、自分の甥を使って男の子をさらっては農場に隔離し、ある程度人数がたまったところで惨殺する、というように描かれている。
まあ、それだけでも異常には違いなく、映画ではそれ以上描く必要はないのかもしれないが、男の子だけを何人も誘拐するとすれば誰だってそこに性的な目的があったのではないかと思うはずで、ただ惨殺するために子どもを誘拐していたというのではかえって不自然な感じがしてしまう。
実際、現実に起きた事件ではゴードン・ノースコットは性的目的で男児を誘拐し、自分の慰めものにした挙げ句、飽きてしまうと次々撲殺していったという。さらに悪質なことに、この男は同じ性的嗜好を持つ「客」のために誘拐した男児を提供してもいた。だからこそ3人でも5人でもなく20人もの子どもが犠牲になったのであり、これに当時の警察の腐敗・無能さが加わって事件を大きくしたのである。

「チェンジリング」は2時間半の長尺を緊張感を途切れさせることなく、最後まで見せてくれる映画だが、事件はそれでも説明しきれないほど複雑かつ怪奇なものだったわけだ。
とすると、クリント・イーストウッドには悪いが、事件の描き方はこれで十分だったのかと問いたくなる。
抑えた演出で引き締まった物語にしようとしたのはよく分かるのだが、肝心の事件の動機や謎解きに納得のいく説明はするべきだったのではないか。
ゴードン・ノースコットは裁判でものらりくらりと証言を二転三転させたようだが、事件の闇は闇としてきっちりと描く必要がある。

贔屓のクリント・イーストウッドではあるが、今回の作品は私としては70点の出来。
次回作「グラン・トリノ」では自ら主演しているようだが、こちらの方を今から期待したい。

関連タグ : クリント・イーストウッド, チェンジリング,

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