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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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日本時間の23日午前中からアメリカで行われた映画の祭典アカデミー賞授賞式では、短編アニメ部門と外国語映画賞の2部門で日本映画が受賞するという快挙を成し遂げた。

よかったよかった。
映画を愛する者の一人として、私もうれしいよ。
昨日のニュースはNHKをはじめ民放各社ともトップニュースはこのダブル受賞だったし、世界的不況と政治の行き詰まりを見せる中で、昨年の日本人ノーベル賞受賞に続いて久しぶりに明るい話題を提供してくれるものとして伝えられていた。

それはいい。ごもっともなことだ。

しかし、偉そうなことは言いたくないが、最近の日本映画の傾向を見ているとなんだか一言言いたくなってくる。
ひとつはケータイ小説を映画化した「恋空」などに見られるような、いかにも甘い恋愛やファンタジーへの憧れが強いということであり、もうひとつは、非常に「癒し」を意識したものが多いということである。
ファンタジーへの憧れも、「癒し」を求める気持ちも、現実の社会がどうにも生きづらく、どこへ行っても息苦しい思いから逃れるのが難しい状況にあることを思えば、せめて映画を観ている間だけでも安らぎや心の癒しを求めたいという理屈で考えれば筋が通っているように思う。
しかし、一時癒されたとしても、それはとどのつまり現実から逃避しているに過ぎないのであり、映画が単なる現実逃避のための道具でしかないとすれば、あまりに悲しく寂しいことだと私は思う。

おくりびと」は納棺師という職業に目をつけたところが新しかったし、人間の死というものをこの職業を通して見つめるという姿勢も評価されるべきものだと思う。
だが、結局のところ、この映画を観た人々が感じるのは「癒された」という思いにとどまるのではないか。上質な映画を観た満足感を感じることだろうが、この映画から果たして今ある日本人の死のあり方や死生観の変化についてどれだけ考える材料を得ることができるのか。

正直に言って、私は今回のアカデミー賞外国語映画部門ではイスラエルのアニメーション・ドキュメンタリー「戦場でワルツを」が受賞すると思っていた。
もちろん、この映画を観たわけではない。しかしある程度の情報なら知っている。
この作品は監督自身が主人公になっていて、今から二十数年前、イスラエルがレバノン侵攻したときに兵士として参加した自分の記憶を再生していく過程を描いた作品だ。
レバノン侵攻では、昨年暮れから今年はじめにかけてイスラエルがパレスチナの人々に対して行ったと同じような虐殺が繰り広げられた。その舞台に「殺す側」の一人として送り込まれた青年の見たものは何だったのか。それは政治的な信条も人間的な理性もない、ただの殺戮行為だったことが明らかになっていく。
この映画を観ていれば、誰だって今のイスラエルのことを考えずにいられなくなるだろう。アニメの画面の向こうに、血みどろになった人々や、息絶えて親に抱きかかえられている幼い子どものリアルな映像が見えてくるに違いない。
そして、映画を見終わった後にはなんともしれない不安で嫌な気分に満たされるはずだ。

私は、映画は娯楽であり人々に夢や安らぎを与えるものであっていいと思う。
けれども、一方では、映画の可能性をそこで終わらせてしまうことには反対である。
映画はときに人を不安に陥れ、不快な気持ちにさえするものであっていいと思う。その不安や不快な気持ちの中から何かを考え、現実を見る目が少しでも変わってくるのならば、その映画にはすぐれた価値があると思うからだ。
おくりびと」はいい映画だっただろう。アカデミー賞を日本作品としては初めてとったのもめでたいことだと思う。
しかし、あえて言わせてもらうなら、「おくりびと」のような映画は「今」作られなかったとしてもよかった作品だったと思うし、それに比べれば「戦場でワルツを」のような作品は今こそ作られるべき作品で、しかも殺す側のイスラエルの一般人の感覚から見た戦争がどう言ったものだったのかを知るうえで非常に重要な作品だったのではないかと思う。

もちろん、アカデミー賞というものが真にすぐれた価値を持つ作品に対して贈られるものというよりは、プロモーションの優劣や製作会社の力関係で決められる、きわめて政治的な賞であることを考えれば、しかも親イスラエルのアメリカで選ばれる賞であると考えるならば、反イスラエル的な戦争否定を訴える可能性がある作品に賞を与えるとは考えにくい。
おくりびと」は悪くはないが、はっきり言って毒にも薬にも、それほどならない作品として無難に選ばれたのではないか。

今回のアカデミー賞では「スラムドック$ミリオネアー」が作品賞など主要8部門を受賞したことが話題になったが、この映画はイギリス人監督によって撮られたものとはいっても、インド社会の貧困という一国の裏事情を描いている。これに対してインド本国では困惑というよりも怒りの声さえ上がっているという。
もし「おくりびと」が現代日本のリアルな社会での「死」というものを描いたものだったら、どうなっていただろうか。
昨年、義母を亡くした私は考えずにいられない。

日本では、人が死ぬと葬式に平均で200万以上の金がかかる。
むろん、簡素な葬式にすることはできるが、人が死ねばどうしても金は必要になるものなのだ。私は葬儀会社から渡された明細を見て驚いたものである。そこには納棺費用として30万以上の金額が書き込まれていた。納棺という仕事は一般には受け入れられない特別な仕事なのだから、費用もおのずと高くなるのだろう。

しかし、貧困が広がり、年収が200万以下の世帯が多くなれば、家族の誰かが死んだだけで年収を超える金を用意しなければならず、葬式をすれば一家の生活はガタガタになってしまうという現実がある。まったく生活にゆとりのない家庭では、遺体を火葬に付すだけでも大変な痛手になるだろうが、事情は逃れることを許さない。
そんなことを考えると「おくりびと」が描く世界とは全く異なる状況が今の日本には横たわっていると思わざるを得ない。
人の死とは、崇高で美しくもあるかもしれないが、それ以前に家族にとっては現実的で身も蓋もない問題でもあるのだ。

「おくりびと」を見て感動の涙を流すのはいい。
いい映画だったと感心するのもいいだろう。

けれども私は、どうしてもこの映画がアカデミー賞によって世界に認められ、日本映画の実力の証になったと手放しで褒める気にはなかなかなれず、したがってこの映画から「癒し」を得ることもできないのである。

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関連タグ : アカデミー賞, おくりびと, 葬式,

飲んだくれの財務・金融担当大臣がドタバタと辞めていったことはもう忘れよう。国の経済の舵取りをする重要なポストを担っていた人物が、無教養なうえに自己管理もできない最低の男だったというだけで十分だ。
あんな男のことをいつまでもひきずっている余裕は、今の日本にはないはずだ。

中川が去った後で私が気になるのは後任として与謝野馨が決まったことだ。
与謝野に対する危惧は、すでに今日の「きまぐれな日々」のエントリでも触れられているが、奈良たかしさんの「生きてるしるし」でも与謝野馨が経済財政政策担当大臣と財務・金融担当大臣を兼任するということは経済のあらゆる権限を与謝野一人が握ることになるとして疑義を呈している。

なぜ与謝野馨が日本の経済政策をすべて引き受けることに危惧するかと言えば、与謝野はもともと消費税増税論者であり、財政緊縮論者でもあったからで、今の日本の底が見えない不況のなかで、与謝野が言う通りにしていたらますます状況は悪くなることは明らかだからだ。
こんな時期に消費税を上げれば消費はどんどん冷え込むだろうし、大規模な財政出動が必要なときに緊縮財政的政策をとれば景気の底が抜けてしまうだろう。
与謝野馨は今の日本の危機的な状況にはもっともふさわしくない人材といえる。
さすがに与謝野も今の状況を見れば持論を進路変更させるだろうが、感心できないのは上記のブログでも述べている通り、与謝野馨がリーマン・ショック以来、日本経済の行方を見ながらことごとく的を外した見解を示してきたことだ。
この点を「生きてるしるし」は分かりやすくまとめている。

2008年9月25日 麻生内閣再任後の初閣議後、「日本は重篤な病ではない」と追加財政出動を否定、「8月に策定した緊急対策で」対応し、「次の財政出動の機会は2009年度予算編成過程の話になる」と述べた。

2008年10月3日 日銀の金利誘導水準引き下げは効果ない
「潤沢な資金供給が日銀の金融政策としては正しく、効果がある」と述べ、利下げによる景気浮揚効果に疑問を呈した。

2008年10月7日 日本経済は底堅く健全、円買いの背景に相対的な安全性
 米国発金融不安による世界同時株安や円高進行が日本経済に与える影響について、よい材料はそろっていないが、日本経済自体は底堅く健全であるとの見解を示した。外為市場で円高が進んでいることに関連して、相対的に安全な円が買い進まれているとの認識を明らかにした。
お調子者の麻生は与謝野の言葉に安心したのか、「世界のなかで最も早く不況から脱するのは日本です」などとうそぶいたのである。
麻生太郎には自分の信念も主義・主張も一切ないということがこの半年足らずの間にはっきりしているので、さも自信ありげに言ったあの言葉は与謝野馨の請け売りだったのかもしれないとさえ思えてくる。

どう見てもアルコール依存症の中川昭一が去ったのはいいとしても、後に残るのは相変わらずバカ丸出しの麻生太郎と、日本経済にとって好ましくない考え方を持っている与謝野馨なのだ。

これでは先行きが心配と言うしかない。

ただし、麻生内閣は支持率が10%を割り込むほどの凋落ぶりで、誰が見てもそう長続きしないだろうことは予想がつく。
内閣を解散させる度胸がない麻生はいずれ自民党内の反発と公明党の声によって引きずり下ろされるだろう。自民党は、少しでも国民のウケがよさそうな野田聖子あたりを首相に据えて選挙管理内閣にする、といったことが考えられる。
もっとも、野田聖子が首相になったとしても選挙をすれば自民党が負けるのは目に見えている。
私がもっとも嫌な感じで考えるのは、自民党橋下徹と東国原英夫に色目を使っている点であり、いったん下野した自民党がこの二人を取り込んで盛大な打上げ花火を挙げることである。
信じられないことだが、今、大阪で圧倒的な支持を誇っている橋下徹を御輿に担いではやし立てれば、ポピュリズムに弱い日本の国民はあの郵政総選挙のコイズミ劇場で踊らされたように、再び我を忘れて踊り出すのではないかという危惧がある。

選挙をすれば次は勝つであろう民主党も、小沢一郎の人気は相変わらず高いとは言えず、しかも党内には自民党の小泉チルドレンと近い立場の人間が蠢いている。国民からすれば民主党が政権を取ったとしても少しも安心などできないのだ。
そこに橋下徹がつけ込むスキができる。

。。。などと考えていると、今、ブログで反自民を唱えている人々がやらなければならないのは、現在の自民党を批判することよりも、ひとつ先を見越した考えに基づく発言をすることではないかと思うのである。

ということで、これからしばらく私は自民党批判もさることながら、橋下徹と東国原英夫の動向を注視し、この二人がこれまでやってきたことを掘り返し、強く批判していきたい。

関連タグ : 与謝野馨, 橋下徹, 自民党,

オーラーラ!

フランス人ならこんなふうに声を上げたかもしれない。
昨日の夜、ローマで行われていたG7の記者会見で日銀の白川総裁と同席した財務相の中川昭一がみるからに泥酔した状態で記者団に対し、ちぐはぐな回答をしていた。その様子は日本だけでなく世界中で報じられたし、YouTubeでもさっそく映像がアップされて多くの人がこれを見たはずだ。



まったく、なんてこったい。
世界的な経済危機を迎えて、各国の財政を代表する人々が集まって会議をしたっていうのに、われらが中川昭一はへべれけになって列に加わったのだ。
真面目にやる気はあるのだろうか、中川昭一

今日になって中川は、酒ではなく風邪薬を大量に飲んだために意識がもうろうとしてしまったなどと弁解をしている。
しかし、あれほどベロベロの状態になるだけ薬を飲んだとしたら、会議などに出席するよりも救急車で病院に運ばれるべきだっただろう。中川がそうしなかったのは、いつもの酒癖が出たからに違いなく、酒のみの常套句でもある「大丈夫、まだ酔ってないから」とかなんとか言いつつ千鳥足で会議場に向かったのだろう。

まったく酒呑みっていうヤツは。
いや、私も酒呑みだからあえて言うが、ただの酒呑みがあそこまで酔うことはめったにないものだ。酔うとすれば酒を飲み出すと止まらなくなるからで、止まらない酒はつまるところアルコール依存症ということになる。
中川の酒好き、酒癖の悪さは以前からちらほらと噂になっていたが、世界が注目している国際舞台であの醜態をさらしたとなるとただでは済まされないだろう。
風邪薬を飲み過ぎたというのなら、どんな薬をどれだけ飲んだのか明らかにすべきだし、もしそうでなく酒のせいだったとしたら責任は重大で、国の財政を預かる責任者がアルコール依存症では困るのだ。
これはもちろん、任命責任者として麻生太郎にも批判が向けられるだろう。

昨日はもうひとつ、日本テレビの世論調査で、内閣支持率が9.7%になったという報道もあった。読売系の調査で10%を切ったとなると、もはや麻生政権も来るところまで来てしまったと思うほかない。

そして今日は少子化対策担当相の小渕優子が第2子を妊娠したという報道があった。
この知らせ自体は目出度いことなのだろうけれど、今の日本の状態を省みると、とてもではないが安心して子どもを生み育てようという気にはなれないのである。世界一高い教育費、子どもを育てにくい社会環境、社会保障もボロボロでは子どもが欲しくても普通の国民には生むことができない。少子化問題は国の問題なのだが、国民が生みたくても生めない状態が続いているのに、少子化対策担当の大臣が自分だけ子作りに励んでいてどうする。
生活に心配のない世襲議員の脳天気さが、ここにも出ているように感じるのは、私の根性がひん曲がっているせいなのだろうか。

フラフラフワフワと言葉を翻し続ける総理大臣とアルコール依存症の財務・金融担当大臣、国の少子化をよそに自らの子作りに励む少子対策担当相。
どこをとってみても責任感のかけらも感じられない内閣である。

支持率が一ケタ台になったこともあり、さすがの自民党も麻生太郎ではやっていけないと腹を括るしかないだろう。
もうすぐ麻生おろしが始まり、代わりに立つのは誰になるのだろうか。
これも昨日の報道になるが、自民党は大阪府知事の橋下徹と宮崎県知事の東国原英夫にラブコールを送っているという。
党が危なくなるとポピュリズムにはしって何度も危機を乗り越えてきた自民党は、今度は橋下徹でも看板に立てるのではないか。
なにしろ大阪では絶大な支持を得ている橋下だ。得意の弁舌で1年前同様に、今度は日本中をだまくらかそうとするかもしれない。

橋下は国政に出ることは2万%ないと言っていたが、あの男の言うことなど何一つ信じられるものはない。
もし橋下が打って出るようなことがあれば、こちらとしては徹底的に批判していかなければならないと考えている。

関連タグ : 中川昭一, 小渕優子, 内閣支持率,

小泉純一郎が12日に開かれた「郵政民営化を堅持し推進する会」で麻生太郎の言動を批判し、定額給付金を盛り込んだ第2次補正予算関連法案について「衆院の3分の2を使ってでも成立させなければならない法案だとは思っていない」と述べたことで政界とマスコミが大騒ぎをしている。
民主党などは敵の敵は味方と考えたのか、さっそく鳩山由紀夫は自民党内に小泉と同調する者が出ることを期待する発言をし、輿石東参院議員会長が訪露する小泉の帰国を待ってから参院での同法案採決をすべきだと、小泉頼みとも取れる提案をした。党内にはこれに対して異論も出たようだが、結局、小沢一郎は輿石の考えを是とした。

これだから民主党は頼りない。
信用ならないところがある。

民主党には自民党の新自由主義者と親和性の高い政治家が何人もいることはもとより承知だが、一連の民主党の反応を見ていると、これではまるで小泉に同調して造反する者たちを取り込もうとする算段が働いているように見えても仕方がない。
輿石東や小沢一郎は、いまさらになって小泉の力を利用して法案を廃案に持って行きたいと考えているのか。それではまるっきり他人のフンドシで相撲を取るようなものではないか。

私は定額給付金の支給には反対である。
経済危機のなか、財政出動は必要だと思うが、定額給付金という形でそれを行ってどれほどの効果があるのか疑問に思うからだ。広く薄く1万2000円から2万円の現金を渡し、それにともなう膨大な手間と事務費を考えると、とても経済活動に刺激を与えるとは考えられない。
2兆円を使って景気をよくしようとするのなら、他に手だてがあるはずだ。
だから反対だ。

しかし、同じ反対を唱えても、小泉純一郎定額給付金を必要と考えないとするのはまったくスタンスが違うところから考えているからだ。
小泉政権が弱者切り捨ての政策を行い、その悪影響が今顕著に現れて国民を苦しめていることは、最近のマスコミによる新自由主義(市場原理主義)に対する批判や反省の記事を見ても明らかである。
竹中平蔵と手を取り合って日本をぶっ壊した張本人の小泉が、いまさら国民生活を救おうと考えるはずがない。貧困と格差の問題に少しでも取り組むべきだと考え、2兆円をもっと有効に使うべきだとして定額給付金に反対するわけがないのだ。
小泉は単に2兆円をばらまくのは無駄だと考えているに過ぎない。そんなことをするよりも法人税を引き下げ、金持ちをもっと優遇する施策に使うべきだと考えている。

そんな小泉の言動をとらえて単純に敵の敵は味方のように考える民主党とは、ある意味、度し難い阿呆と言われても仕方がないのではないか。

昨日NHKでは「地域発! どうする日本」という番組を放送していた。
そこでは財政赤字で苦しむ地方自治体が、せっぱ詰まったところまで追い詰められた挙げ句、公共サービスを打ち切る実態が映し出されていた。幼稚園や児童館などの閉鎖や利用料アップ、准民税の引き上げ、学校の耐震強化工事の延期、あらゆるところに影響が現れ、住民たちが困惑する姿が描かれていた。
その原因を作ったのは何か。
もちろん大切な税金を無駄遣いしてきた行政の無責任もある。
しかしもっとも大きな影響を与えているのは、国が景気刺激策として各自治体に箱物建造や道路拡張・整備を奨励し、借金は後から交付金で補うとしながら小泉政権になってから財政支出カットで交付金を出さないことにしたことにある。さらに竹中平蔵が旗振り役となって「地方財政健全化法」が制定され、地方自治体を勝ち組と負け組に色分けし、負け組と判定された自治体は夕張市のように財政再建団体とされてしまうようになった。

ひとたび財政再建団体とみなされると、その自治体は住民サービスよりも借金の返済を第一に迫られる。住民サービスは完全に二の次だ。
おかげで夕張市は住民サービス低下と増税の二重苦から、若者の流出が続き、町は老人ばかりになってしまった。人口が減ってしまったために税収が落ち、肝心な借金の返済計画も予定通りに進まなくなってしまったという。

小泉純一郎と竹中平蔵はこうして日本をぶっ壊し、今に至るもその悪影響を及ぼし続けているのだ。
こんな奴らがいくら定額給付金に反対しようと、民主党は決して同調すべきではないのだ。

敵の敵は味方とは、つまるところ、味方を欺く方便に過ぎないと思うのである。

関連タグ : 定額給付金, 小泉純一郎, 民主党,

いささか情報は古くなるが、防備録として記しておきたいと思う。
2月9日の毎日新聞夕刊の特集ワイドで、劇作家の山崎正和が今回の「100年に1度」と言われている経済危機について言及している。

山崎はこの危機を100年に1度どころか、「300年に1度あるかないかの危機」の鳥羽口だと見なしている。
100年に1度というスケールは、言うまでもなく20世紀初頭に起きた世界大恐慌いらいの経済危機を表現するものだが、山崎はもっと遡って18世紀半ばに始まった産業革命から現代のグローバリゼーションに至る歴史の中で迎えようとしている大きな歴史の転換点としてこの経済危機を捉えている。

たしかに、化石燃料はいずれ枯渇することが分かっているのだし、原子力エネルギーもリスクがあまりに大きいために主要なエネルギーにはなり得ないことは明らかだ。だとすれば第三のエネルギーをすぐにも開発しなければならないところだが、今のところ、それは太陽、風力、波力などの自然エネルギーに求めることになるのか、あるいは水素エネルギーやバイオエタノールなどの化学的なエネルギーになるのか、分からない。いずれにせよ、われわれが新しいエネルギーを日常的に使えるようになるまでにはまだ相当な時間がかかるわけで、化石燃料から新エネルギーに替わるまでの間をいかに混乱なく通過できるかは、全世界にあたえられた課題だと言えるだろう。

さらに、産業革命いらい悪化することはあってもよくなることはなかった環境をいかにしてこれ以上破壊せずにすませるか。二酸化炭素排出による地球温暖化は、かならずしも定見がさだまっているとはいえないが、とりあえずはこの問題にも決着をつけて環境破壊を食い止めていかなければならないのが使命となっている。

もうひとつは食糧問題。
日本の食料自給率ひとつを見ても明らかだが、自国で消費する食糧をすべて自給できている国はごくわずかで、先進国ほど他国に頼って胃袋を満たしているのが実情だ。しかし今後、新興国での需要が増加していけば今のままでは食糧の需給バランスを保つことは難しくなる。この問題を解決するには言うまでもなく、自国での自給率を上げる努力をするしかない。つまりどの国も「地産地消」を余儀なくされる。だが、輸入に頼っている日本を見るかぎり、食料自給率を上げ、地産地消を実行に移すにはかなりの技術的努力と政治的努力が必要とされるだろう。
先進国は今後も技術を新興国に普及していく役目を負っているが、その在り方も「地産地消」の考え方に沿ったものでなければならないだろう。だが、これもまた国際間の合意なくしてはスムーズに行われるとは限らない。

そして人口増加に伴う国際間の格差の問題。
グローバリゼーションは労働力の流動化を生み出したが、それは同時に経済力の格差を生み出した。これは今、日本国内で起きている派遣労働者の問題を見ても分かることで、貧しい国の人々は経済成長している国へ安い賃金で労働力を提供する。しかしこのままの状態が続けば貧富の差が広がり、やがてはそれが差別と被差別の問題につながり、国際問題へと発展する可能性がある。
私は海外からの労働力移転には慎重であるべきだと考えているが、山崎正和もまたこの問題は相当の危険をはらんでいると説いている。

こうした問題をあげたうえで、山崎は、このままではたとえワークシェアリングしても失業率は上がり続け、生活レベルは1937(昭和12)年レベルまで落ち込むことを覚悟すべきだと唱えている。
昭和12年といえば、軍部が政治においても発言権を増し、盧溝橋事件から日中戦争へと突入した年である。さらにこの年、南京大虐殺があり、国内では贅沢は敵とされ、翌年には戦争遂行のために国家総動員法が制定されている。
国民生活は限りなく貧しく、節約を余儀なくされる一方で、この難局を一つの口実として全体主義が国全体を縛り始めていった年である。

山崎はファシズムに対する警戒には言及していないが、日本が戦争に突っ走り始めた時期に現在をなぞらえたのは偶然ではないだろう。危険の予兆が少しでも現れていないか、今を生きるわれわれとしては過去に学んで注意深く社会を見渡す必要がある。

山崎正和は、もはやグローバリズムは諦めた方がいいと断言している。とはいってもそれは金融と資源、労働のグローバリズムであり、情報と知恵のグローバリズムは重要だと訴えている。

「基礎科学などの知識に加え、教義の文化にとどまらず、例えば『人権民主主義』のような価値観の普遍化は続くでしょう。人とモノは地域化しても、情報と知恵がグローバル化すれば、大戦争は防げるはずです」

今の状況は100年に1度どころか、産業革命いらいの300年に1度の危機である。
私は、この山崎の見方に与したい。
新自由主義のために世界中の経済秩序、社会秩序が破壊されて、皆があえぎ苦しんでいる。しかし今はこの苦しみに耐えながら、やがて来るであろう次の産業革命を待ち、そのために備えて哲学を持ち文化を創造していかなければならない。
新しい時代を迎えるために政治を変え、社会を国民のために改めていかなければならない。

政局におどる麻生太郎はじめ、自民党の無様なまでの醜態にかかずりあっている暇などはないのである。

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昨年秋以降、大きな社会問題になっている派遣切りは、景気がますます悪化していく中で一向に減る兆しがない。
昨日は大量の内定取り消しで問題となった日本綜合地所が会社更生法の適用を申請し、とうとう正社員たちの生活まで危機にさらされることになってしまった。

企業はどこも赤字、業績の下方修正ばかりで、景気がいいのは東京ディズニーランドを抱えるオリエンタルランドとゲーム業界をリードする任天堂くらいになってしまった。
職を失い、住む家さえ無くしている人が大量に出ている一方で、巨大遊園地とゲームという、生活にとっては重要度がグッと下がる業種が大儲けを出しているというのは皮肉なことである。

企業の儲けと言えば、派遣切りが問題になり始めた頃、トヨタやキヤノンなど、昨年前半までは空前の黒字を出していた企業が大量に抱えている内部留保が取り上げられ、話題になった。
今も変わらず非正規の首切りは続いているというのに、内部留保を雇用確保に利用してはどうかという話はその後、とんと聞かれなくなってしまったのはなぜなのだろう。

今日の毎日新聞朝刊には、「企業の内部留保 雇用確保に使えないの?」という質問に答えるコラムが載っている。
この記事では「なるほドリ」という質問者が読者に替わって専門畑の記者に質問をするという形をとっている。
そこでまず、内部留保とは、という説明から入り、要するにそれは企業活動により企業が内部に貯め込んだ金だということで、トヨタ自動車は昨年9月末で約12兆6000億円、ホンダは同12月末で4兆700億円、キヤノンも同時期で2兆6000億円という巨額の内部留保があることを明らかにしている。

そんな数字を聞かされれば、当然ながら質問は「そんなに金があるのなら派遣切りなどせず、雇用維持に利用できないのか」ということになる。
しかし、毎日の経済記者は次のように答えるのだ。

「ただ、内部留保は現金ではなく、多くが工場の土地や建物、機械設備などに再投資されているので、使うにはこれらを売却して現金化しなければなりません。日本経団連は『結果的に工場閉鎖につながり、雇用をさらに悪化させる』と説明しています。また、内部留保の一部である利益剰余金は株主の資本なので取り崩すには株主公開の決議も原則必要になり、現実的には内部留保をすぐに活用するのは難しい面もあります」

しかし、毎日の記者には悪いが、この答えでは派遣切りされた人々は到底納得できないのではないか。
経団連の、内部留保を雇用に使えば工場閉鎖につながるなどというのはたわごともいいところで、これまでさんざんアウトソーシングと称して自社の設備拡大は抑えて下請けに任せてきた。トヨタのカンバン方式などはその最たるものだっただろう。
要するに内部留保を現金化して雇用に回すことができないという企業の本心は、内部留保はさらなる儲けを生むために資金運用に使うためにあるもので、そうやって設けた金は経営者と株主で山分けすることになっているから雇用になど回す分はないということなのだ。

これまで景気がいいときには散々人をこき使い、過労死するほど働かせて利益を最大限搾り取ってきた資本は、景気が悪くなればなったでそれまで貯め込んだ金を使い回して自分たちの取り分だけは確保しようとしている。

それだけのことではないか。

トヨタやキヤノンは、はたして景気がよかったときには利益を従業員とともに分け合ってきたのか?
利益の再配分も満足にしてこなかったのに、景気が悪いとなれば都合のいいことを言って金に固執する企業を毎日新聞をはじめとするマスコミはなぜもっと叩かないのか。
もちろんそれは、大マスコミもトヨタやキヤノンと同じ体質を持っているからであり、派遣切りされるような人間に期待を持たせるような記事を書くわけにはいかないのだろう。

経済危機が深刻になるほどに、さすがのマスコミもこれまでの市場原理主義を批判する側にまわりはじめているが、いわゆる「勝ち組」として新自由主義を謳歌してきた者たちが書く批判はどこか腰が引けていて痛々しささえ感じさせる。

内部留保はどうして雇用確保に回せないのかなどと、物わかりのいい顔を見せながら結局それは難しいなどと経団連の肩を持つような記事を書くのでなく、毎日もふくめマスコミはどれも、まず己がこれまで持ち上げてきた市場原理主義的姿勢を反省し、自己批判する記事を載せるべきだろう。そうしないことにはいつまでたっても煮え切らない、及び腰の記事を書くか、恥知らずなダブルスタンダードを続けることになる。
もはやその痛々しさは読者の広く知るところとなっているのだから、マスコミは一刻も早く自己批判し、その上で派遣切りされた人々のための記事を書くべきである。

そうでなければ説得力のある記事など、書けるわけがないのだ。

関連タグ : 内部留保, 経団連, マスコミ,

厚労省は4日、景気悪化による雇用調整で昨年10月から今年3月までに職を失ったか、失う正社員が1月26日時点で約6000人に上る見通しであることを明らかにした。---読売新聞より

ただし、この見通しはリストラや倒産などによる100人以上の大規模利殖の事例だけを集計したものなので、実際の正社員の解雇数はさらに多い。
職を失う派遣社員が8万5000人になる見通しであるという発表はすでに出ており、実際には40万人にも上るという話をつけ加えて考えると、これから年度末の3月にかけて40万人もの元派遣社員と1万人近い元正社員が職を求め、生活を確保するために真剣に求職活動をしなければならないことになる。

しかし、元派遣社員のなかには手元に数十円しか現金が残っていなかったり、解雇と同時に寮を退去しなければならず、住処も失っている人が少なくない。年末から正月にかけて日比谷公園に設置された「年越し派遣村」には、途方に暮れて自殺しようかと考えていた人たちが集まってきていたことは記憶に新しい。
自殺者


そこで気になるのは、平成10年(1998)以降、3万人以上の自殺者が出ていた状況が、いちだんと経済事情が悪くなったことし、どうなるのかという点だ。
警察庁は毎年自殺者の総数を発表しているが、ここ数年は3万2000人から3万3000人で推移してきている自殺者の数が、今年はぐんと増えるのではないかという懸念が強まっている。
98年以降、10年にわたって自殺者が3万人も出続けているのは、言うまでもなく橋下政権の失政に始まり、小渕、森、小泉と続いた歴代内閣が新自由主義政策をとり、大資本と金持ちを優遇する一方で労働者や生活弱者には社会保障費を削って厳しい態度で臨んできたことが大きな原因となっている。
つまり、10年で30万人以上の人々が自民党政権によって殺され続けてきたということだ。このことは決して忘れてはなるまい。

そして今年、さらに経済事情が悪化している状況では、自殺者の数はもしかすると4万人を突破するのではないかと心配になってくるのだ。
ニュースでは、自殺が起きると個々の事件性を報じるが、野党とマスコミ各社は警察庁と連携をとって月事の自殺件数を発表するようにしたらどうだろうか。
そんなことをして自殺をあおり立てることにつながるのではないかという危惧も成り立つが、現政権がいかに無策のまま弱者を見殺しにしているかということを是非アピールしてもらいたい。
毎月、何人が自ら命を絶ったか。その理由は何だったのか。
それを明らかにしてもらいたい。
そして、次々と国民が死を選んでいるときに、麻生内閣は何をしていたのかを対比させて記事にしてもらいたい。

自殺の動機

たとえば平成19年に自殺をした人の動機をまとめたグラフがあるが、いちばん大きなものは健康問題で48%で、これは健康を崩したために仕事が続けられず、あるいは前途を悲観して自殺したものと見ることができる。さらに、経済・生活問題が24%、家庭問題が12%となっているが、これらの問題は密接に絡み合っているといえるだろう。仕事が行き詰まり、生活費が得られなくなれば、それは即家族全体の問題になるだろう。
要は健康問題にしても経済・生活問題にしても家庭問題にしても、社会のセーフティネットがしっかり機能していれば、あるいは防げたかもしれない自殺なのである。

しかし、今の自公政府はこれらの問題に対する施策はほとんど行わずに10年というものを過ごしてしまった。
この責任は大きい。

もういちど繰り返すが、これから期末を迎える3月、そのあとの4月と、野党は月ごとの自殺者の統計を取り、その内訳とともに新聞紙上などで明らかにしてほしい。
そうして、こんな悲惨な状況に歯止めをかけるにはどうしたらいいのか、対策を打ち出してほしい。もちろん、それは政権交代後の政府がとるべき重要な政策になることだろう。

私はもはや自民党にはなんら期待することができず、したがってブログで取り上げて非難する気にもならずにいる。
正直、虚しいのだ。
だからせめて、野党には頑張ってもらって、今の日本の惨状を明らかにして、この状況から抜け出すための政策をわれわれ私の前に提示してもらいたい。

そう願うしかないところまで、私もまた追い詰められた心境でいるのである。

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ベスパ

イタリアのスクーターといえばベスパ
そのベスパが、こんな美しい木製の車体で登場。
とは言っても販売してるわけじゃなく、ポルトガル人の家具職人が作ったものだ。
たまたま仕入れたベスパがボロボロだったので、中身だけを取り出して、ボディは木材を蒸気で曲げて作ったのだそうだ。
さすが職人技!
乗ってみたい。私のベスパも動かなくなってしまったので。

でも、雨が降ったら大変だろうな。

関連タグ : ベスパ, 木製,

アメリカに端を発する金融危機と経済不況は止まるところを知らない様相を呈している。
数日前のニュースでは、アメリカで解雇を言い渡された男が妻と5人の子どもを拳銃で撃ち殺し、自分も自殺をするという痛ましい事件が起こった。
ビックスリーのリストラが報じられ、つい先日もキャタピラーが2万人の人員削減を発表、この先もリストラ=人員削減は続き、そのうち街中に失業者があふれることだろう。

ことはヨーロッパでも同じで、サッカーの人気チームがスポンサーの経営悪化でクラブの運営が窮地に立たされたと言ったニュースが報じられている。オイルマネーでバブルを謳歌していた中東諸国でもそのバブルがはじけ、超豪華マンションが売れずに不動産業者が悲鳴を上げているという。
そんな断片的なニュースの間で、アメリカで起こったような悲惨な心中事件や自殺も数え切れないほど起こっているに違いない。
もちろん、それは想像しているだけだが、同じように景気の悪化が連日のように報じられているわが国を見ていれば、世界全体で悲惨な状況がひろがり、無惨に人が死んでいっているのは間違いのないところだと思うのである。

日立製作所は過去最悪の7000億円の赤字を出した。
パナソニックも3500億円の赤字。
シャープも上場初の最終赤字の見通し。
野村證券も1500億円の赤字。

ここ数日を見るだけで、これだけ景気の悪いニュースが並んでいる。
厚労省は3月までに職を失う派遣社員の数が8万5000人になる見込みと発表したが、製造業の派遣・請負企業の業界団体では、その4,7倍の40万人が失職するという見通しを出している。
日本でも失業者があふれる情景が遠からず見られるに違いない。
年度末となる3月を控えて、経営が厳しい中小企業は文字通り生存をかけた選択を迫られることだろうし、そのなかには力尽きて自ら命を絶つ人も出てくることが予想される。
いったい今年は何人の自殺者が出るのだろう。

今はまだ金融機関が守られているだけで、他を見渡せば世の中に蔓延している状況はすでに恐慌が起きているといってもいいのではないか。
恐慌が起きたといってしまえばパニックが起きるからマスコミは口にしないだけで、実際にはわれわれは地獄の釜のフタの上にいるのではなく、すでにフタが開いてしまい、釜の中に脚を突っ込んでしまっていると考えた方がいいのではないか。
おそらく、私があらためてこんなことを書かなくても、多くの人は肌身でそれを感じているに違いない。

今、われわれは1929年以来の恐慌に踏み込んでいるのだ。

こんなことを改めていわなければならないのは、この状況にありながら政府がいかにも暢気な国会を続けて一向に危機感を持たないことに憤りを感じるからであり、自国民が不況で喘いでいるというのに1兆5000億円以上のODA資金を提供するなどと見得を切り、国内に対してはわけのわからない定額給付金に固執する麻生太郎に呆れきっているからである。

昨年は年明け当初から悲惨な無理心中事件が続いたのを覚えているだろうか。
母親がマンション11階から幼い子供二人を投げ落とし、自らも飛び降りた事件。
父親がナタで家族を斬りつけ惨殺して無理心中した事件。
いずれも生活に行き詰まり、人生に望みを失った人々が起こした悲惨な事件だ。

去年とくらべて世の中の状況は少しもよくなっていないのは明らかなのだから、今年もまた、悲惨な事件が遠からず起きるだろう。

麻生太郎の政策で、去年のような悲惨な事件が防げるか。
自公政権が続くことで、今年もまた同じような惨い事件が起きるのではないか。

今、この国では間違いなく戦争が起きているのだ。

テレビをつければお笑い芸人たちが薄ら笑いを浮かべながら時間を潰しているが、その画面のこちら側では絶望した人々が自らの手を血で汚そうとしているのだ。暗い目をして梁に吊したロープを見上げているのだ。
都会では買い物を楽しむ人々がいつもと変わらぬ風景を見せているが、その片隅では職を失い、住み家をなくし、人間としての尊厳すら失った人々が段ボールにくるまれて寒風をしのいでいるのだ。誰も彼らのことを気にはしない。気にしていたら恐ろしくなるからだ。
財布に数十円の小銭しかなく、行き場を失う身の上になるのは他人事ではないことをどこかで感じているから正視できないのだ。

今、私たちは血みどろの内戦を繰り広げている。

敵は金だけを至上の価値とし、富める者と富まざる者との格差を広げようとする財界人であり、それらとつるんで利権を貪る政治家と官僚たち。人をモノのように扱って心を痛めることがない雇用者たち。政治家と財界に都合のいい理屈を並べ立てて勲章のような肩書きを並べている「有識者」と呼ばれる者たち。

国民を追い詰め、希望と尊厳を奪い、単なる員数に変えてしまう敵方の作戦は巧妙だが、ほころびも見えてきている。われわれは決して敵を許すことなく、そのほころびを突いて、彼らを打ち倒さなければならない。

これは国民の自由尊厳を賭けた戦争なのだ。

関連タグ : 恐慌, 戦争, 自由, 尊厳,

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