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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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麻生太郎は、その所信表明演説で、これまで政府が取ってきた規制緩和と小さな政府を目指す新自由主義的な方針からの転換を明らかにした。
それは昨年秋以降アメリカから起こった金融危機で、市場原理主義が結局は破綻を招き世界を混乱させるのを証明したからで、当初は日本への影響はわずかだとエコノミストたちが楽観していたものの、実際には製造業を中心に経営内容が次々と悪化し、大手企業が軒並み収益を下方修正して派遣労働者の大量解雇が社会問題になるや、日本への影響は少ないどころか、かつてないほど深刻な景気の悪化に見舞われることが明らかになった。日本もまた、アメリカに追従する形で新自由主義的政策を採ってきた結果が今日の惨状となっているわけで、麻生太郎が政策の転換を表明するのは遅すぎたと言ってもいいだろう。

しかし、麻生は新自由主義からの転換を明らかにしながらも、自分で言っている言葉の意味がよく分かっていないらしい。

今日、参議院で行われた代表質問で、自民党の尾辻秀久参院議長会長は、政府の経済財政諮問会議規制改革会議について「新自由主義、市場原理主義を唱え、日本をアメリカのような国にすればいいと言ってきた。それが間違いだったことは今回の世界不況が証明した。責任は重く、廃止すべきだ」と主張した。
ところが、これに答えた麻生太郎は「諮問会議と規制改革会議は、経済財政政策の重要事項などの調査、審議で大きな貢献を果たしてきた」として廃止する考えがないことを明らかにした。

私は、先日のエントリで小渕政権の下で新自由主義の旗振り役を演じた中谷巌を批判したが、政府の方針に大きな影響を与える立場にあった人間が、今ごろになって自分は間違っていたと懺悔録を出しても社会はすでに崩壊の危機に瀕している。本を出して謝っただけですむ話ではないのである。
中谷はなぜ、自分が間違っていたと思うならば国民の前に出て頭を下げないのか。

これと同様に、日本を誤った方向に導く役目を果たしてきた経済財政諮問会議規制改革会議のメンバーたちも、自分たちの発言が毎年3万人以上の自殺者を生み、若者から中高年に至るまで広い世代にわたって定職を持てず、路頭に迷う寸前に立たされているという異常な事態を招いたことを認め、自分たちの過ちを恥じて即刻辞任すべきなのである。
しかし、麻生太郎をはじめ、諮問会議や規制改革会議のメンバーたちには毛頭そんな認識はないようだ。

片や金融危機の震源であるアメリカでは、オバマ大統領が金融機関の首脳たちに対して激怒したというニュースが伝えられている。
米国の金融機関は巨額な公的資金による救済を受けながら、その役員らは昨年も高額なボーナスを受け取っていた。その総額は推定で1兆7000億円にのぼるという。
「無責任の極みだ。けしからん」
オバマ大統領は記者団に語ったが、これからどうするのだろう。ハゲタカのようにどんなときにも金を鷲づかみにしていく人間どもから金を奪い返すのか。オバマがそれをやれば、支持率はまた上がるだろう。

しかるに日本では、中谷巌が懺悔したのはまだいい方で、竹中平蔵に至ってはいまだに「改革が中途半端だからこういう社会になった」と平然と言いふらしている。
毎日ホテルや高級レストランでゆっくり食事をしている麻生太郎には、社会が直面している危機を共有する能力もなく、今もっとも重要なことは国民経済の問題ではなく政権の座にどこまで居座れるかにあるかのようだ。
麻生太郎のような愚鈍な男がトップでは、日本にもいるハゲタカのような人間たちから金を奪い返すという発想すらなく、足下にある諮問会議さえ解散させる気がないのだ。
これでは支持率など上がりようがないだろう。

経済財政諮問会議は、小泉政権下では金融システム改革、郵政民営化、三位一体の改革、政策金融改革、規制改革、税制改革、経済成長戦略、歳出・歳入一体改革などを行ってきた。自民党の閣僚の他には経団連の息がかかった経営者が顔を並べており、この連中が格差を拡大し、日本の社会構造を破壊したことは明らかである。

現在の民間メンバーはトヨタ自動車の現会長である張富士夫、新日鐵会長の三村明夫、エコノミストで元日銀副総裁の岩田一政、東大教授の吉川洋。吉川は小泉内閣でも経済財政諮問会議議員を務めている。

規制改革会議は2007年に「規制改革・民間開放推進会議」という、その名もずばり新自由主義を標榜したグループが終了したことを受けて安倍晋三が再度設置したもの。労働時間や派遣労働の規制を全面的に撤廃することを主張、最低賃金の引き上げには反対するなど、まさに国民の敵ともいっていい集団だ。
メンバーは議長に日本郵船会長の草刈隆郎、議長代理に政策研究大学院学長の八田達夫、ヤマトホールディングス会長の有富慶二、成蹊大学法科大学院教授の安念潤司、日本綜合研究所理事の翁百合、八王子市教育委員長の小田原榮、社長府製作所社長の川上康男、キャスターの木場弘子、関西大学政策創造学部教授で千葉知事選にも出馬する白石真澄、慶応大学商学部教授の中条潮、政策研究大学院教授の福井秀夫、マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパンプリンシパルの本田桂子、松井証券社長の松井道夫、アドベントインターナショナル日本代表兼マネジングパートナーの松本洋、慶応大学理工学部教授の米田雅子。
このなかには白石真澄のような筋金入りの新自由主義者や中条潮のように大学でも構造改革の推進を教えている人物がいる。

これらの人間どもが自己批判をして考えをあらため、自ら解散するなどということは、おそらく絶望的にないだろう。
したがって、麻生太郎はこれからもこうした新自由主義的主張をするグループを足下に置きながら「政策の転換」を推し進めていくというわけだ。

麻生の言っている言葉が、いかに軽く、信憑性のないものかが、これ一つをとっても明らかになってくる。

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関連タグ : 麻生太郎, 経済財政諮問会議, 規制改革会議,

中谷巌
今日の毎日新聞経済面に「市場主義万能は誤り」として、元一橋大学教授で小渕政権の経済戦略会議議長代理を務めた中谷巌のインタビューが載っていた。
中谷は最近『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)を著して、かつて自分が旗振り役となって新自由主義を日本に導入したことを誤りだったと認めて話題になっている。

いまさら中谷の懺悔に金を出してやる気になどなれないが、今日の毎日と、日経ビジネスオンラインのインタビュー「なぜ私は変節したか?」を読んで、やはり腹が立ってきた。

要するに中谷は偉そうな顔をしてカイカクの必要性を説いていたが、元を正せばアメリカ留学中に眼にした、アメリカ社会の豊かさと新自由主義が説くシンプルな金儲け理論に目がくらんだだけのことだったということだ。

中谷は
「小渕内閣の「経済戦略会議」が終わってからは、一切、政治には関与しなかったんです。自分もちょっと考えるところがあって、もう一度、勉強しなければならないと考えていました。ですから、小泉政権やそれ以降の政権でも、世間的にはあまり意見を申し上げないことにしていました。

 その間、もういろいろな分野の専門家の方々にお会いしたり、本を読んだり、それに没頭してきました。その後、7~8年たって、グローバル資本主義や日本のあり方などの姿がおぼろげに見えてきたので、半年前から書き始めたんですよ。そうしたら、リーマン・ブラザーズの問題が起きて…。 」

こんな言葉で反省の弁を述べているわけだが、この間、毎年3万人以上の自殺者を出し、社会格差がどんどん開き、なおかつ固定化されていく過程を誰よりもよく分かりながら沈黙を守ってきた罪は大きいと思う。
中谷は、自分が社会を煽った結果、日本がこれほど荒廃し、社会が崩壊に瀕している事実を本当に反省していると言えるのか。
たかだか本を1冊上梓して、自分が間違っていたと述べるだけで罪が晴れるとでも思っているのだろうか。

日経のインタビューでは竹中平蔵のことにも触れているが、決して中谷は竹中を非難したりはしないのだ。

「例えば、竹中平蔵さんはどんな問題にもきちっと答えられるでしょう。経済学の知識が体系立てて頭に入っている人は、どんな問題でも必ず答えられる。

経済学の世界では、ロジックを組み立てて、サイエンティフィックな意味で絶対に穴が出ないような完璧な論旨の論文が書けるかどうかが重要になる。これを積み重ねていくと、いい大学からオファーが来て、出世できる。でも、そのモデルは人間社会の2割か3割しか説明できていない。残りの7割、8割はもっと不可分な、ドロドロの世界でしょう。」

要するに、竹中は経済学のエキスパートとして当然のことをしているのであり、その限界は認めつつも学者として間違っているわけではないといっているようなものだ。
そして中谷自身、カイカクそのものは日本にとって必要なものだったと言っている。

これのどこが反省なのだ?

もし中谷が本当に心から反省しているのなら、竹中と刺し違えるくらいの覚悟を見せてもらいたいものだと、私は思うのだがいかがなものか。

以上の点で、毎日のインタビューも日経のインタビューも、まったく中途半端なものであり、私は不満だ。

関連タグ : 中谷巌, 新自由主義,

明日27日は、国連が定めた国際ホロコースト追悼記念日にあたる。
第2次世界大戦当時、ナチス・ドイツはユダヤ人ら600万人を虐殺したが、1945年の1月27日、悪名高いアウシュビッツ強制収容所から生き残った人々が解放された。
国連がこの記念日を制定したのは2005年だが、5回目の記念日を前にして、世界ではイスラエルによるパレスチナ侵略とアラブ人虐殺に抗議して反ユダヤ的行為が各地で起きているという。

それはそうだろう。
ユダヤ人たちは地球上の誰よりも辛く、苦しい日々を送り地獄のような毎日を味わってきたというのに、その経験を活かそうとせずに同じような思いをパレスチナに暮らすアラブ人たちに加えてきたからだ。
反ユダヤ主義に同調して暴力をふるったのでは、結局その行為もまたナチスやイスラエルと同じ行為をしていることになるのだから、私は各地で起きている騒ぎには反対である。
けれども、気持ちの上ではイスラエル人たちを決して許せないと思っている。

同時に、ナチスやイスラエルと同じように許せないのは、今の自公政権だ。

昨日のエントリで眠り猫さんが民主党に対して送ったメールのなかにあった次の文章が忘れられない。

「今の経済の困窮の折、ここ10年近く、毎年3万人の自殺者が出ている。1日80人以上の死者だ。ガザ虐殺より多い。」

私は、1月23日のエントリで戦争というものが人間性を推し量る試金石だと書いた。
眠り猫さんのこの一文を読んで、何も感じない人間がいるとするならば、その人間は冷血漢であり、自公政権とともに同じ日本人である同胞を10年にわたって大量に殺しておきながら、なお平気な顔をして自分のことだけしか考えられない最低の人間だと思う。

今月14日には、大阪で49歳の元派遣社員がワンルームマンションの自室で餓死と見られる死体で発見された。冷蔵庫の中は空で、所持金はわずか90円だったという。行政解剖の結果、胃腸に残留物はなく、低栄養状態だったことが明らかになっている。

社会保障制度を崩壊させ、労働環境を破壊してきた自民党と公明党による政治が生んだ犠牲者である。
職を失い、生活に困っても拠り所にするものが何もない社会を自公政権は作り上げてきた。
その結果、毎日平均して80人もの人が自ら命を絶ち、あるいは誰にも知られないまま孤独に飢えて死んで行っている。
どう考えても今の日本社会は異常としか言いようがない。
自公政権が日ごと夜ごと日本全国に絨毯爆撃を仕掛けているおかけで、生活に行き詰まることや餓死することさえも人ごととは考えられない状況になってしまった。
国民が餓死する国。それが今の日本だ。

リーマンショック以来、極端に景気が悪化しているアメリカでさえ、飢えている人や困っている人には助けの手がさしのべられている。
日本では人を救うと言っている宗教団体を支持母体にしている政党が政権の座にありながら、誰も助けようとせず、次々と犠牲者を増やし続けている。
これが異常でなくて、何が異常だというのだ。
キリスト教国のアメリカならば、政府に替わって教会が慈善活動を率先して行うが、この国ではどの宗教家も声一つ上げようとしない。
これは、見ようによってはガザで起きた虐殺以上に酷い状態といっていいのではないか。

大阪の共同住宅の一室で死を迎えた男性は、果たして今年何番目の犠牲者だったのだろうか。
景気の悪化で経営が厳しくなっている全国の中小企業経営者たちは、目前に迫っている年度末をどのような思いで迎えようとしているのか。今年3月は、もしかすると今までになく自殺者が増えることが懸念されている。
それに対して政府は何をしているか。
とてもではないが、ソマリアなどに自衛隊を派遣しているときではないのだ。
政治家たちは、今の日本国内で起きている戦争をなんとかして終わらせなければならない。
それが何よりも優先すべき事柄だ。

そして憎むべき新自由主義による政治を続けてきた自公政権を何としても打ち倒さなければならない。

この見えない戦争が終わったとき、その日を日本のホロコースト追悼記念日として永く伝えたいものだと思う。

関連タグ : ホロコースト, 餓死,

民主党の鳩山由紀夫幹事長は、政府が東アフリカ・ソマリア沖の海賊対策に海上自衛隊護衛官を派遣する方針を固めたことに対して「簡単に認めるべきではない」との見解を示し、社民党・国民新党と協調する姿勢を見せていた。

しかし、同じ民主党内には長島昭久のように「国際協力活動であり国益に資する」と考える積極論があり、こともあろうに党代表の小沢一郎までも今回の海自ソマリア沖派遣に関して「他党とは完全に一致するとは限らない」と発言している。

私は自衛隊の海外派遣は憲法上の問題があるうえに、国内には国民生活を守るというさらに重要な問題があると考える。
自衛隊のソマリア沖派遣には断固として反対だ。

ブロガーの眠り猫さんは私と同じ考えを持っており、民主党にメールを送付した。
以下にその文面を転載する。


昨日の北海道新聞、毎日新聞によりますと、社民党、国民新党の要請を受け、鳩山幹事長も、護衛艦ソマリア沖派遣について、「野党でまとまれる方向で」とおっしゃったそうで、ぜひその方向でまとめていただきたい。

 私は平和ブログhttp://heiwawomamorou.seesaa.net/を運営したりして、また今はmixiというようなインターネットツールがありまして、家にいながら事実上毎日何十人もの人と会話しているわけです。
 私のブログに来る人ですから、反自民、反戦の人が多いのは当然ですが、彼らから今回の件で、大きな声が上がっています。
 それは、
 「自民独裁政権打倒のために民主党を支持するつもりだったが、今回のソマリア沖派遣を容認するようでは、民主党の安全保障政策の底が知れる。支持するのをやめた。(やめたい)」
 という声です。

 私は以下の点から、民主党は決してソマリア沖護衛艦派遣に賛成してはならないと考えます。

○ 政権を取るかとらないかでしのぎを削る中で、なぜ、今、困窮する国民生活と無関係で、死者も出ていないソマリアの海賊問題に、数百億円もかけて護衛艦を派遣することに賛成するのか?
 ここでこそ、自民党を、保険会社や船会社の利益のためだけに行動する、国民生活を顧みない反国民的政党と叩くべきだ。

○ 上記と同じだが、今の経済の困窮の折、ここ10年近く、毎年3万人の自殺者が出ている。1日80人以上の死者だ。ガザ虐殺より多い。
 戦争は国内で起きているのであって、ソマリア沖で起きているのは、単なる恐喝である。護衛艦が行くべきことか?その費用を自殺対策に充てよ。戦争はソマリア沖で起きているのではない、日本で起きているのだ。

○ 海上警備行動だから、戦争ではなく、護衛艦を出しても良いというのは詭弁。北岸のイエメン当局も言うように、自国の前の海域に他国の軍艦がうろうろするのを好む国はいない。マラッカ海峡の海賊対策で実績のある海上保安庁の艦船でなぜだめなのか?どうしても軍隊を海外に出したい、復古的国家主義者の麻生の思いつきに、はいはいと乗せられるほど民主党は馬鹿なのか?

○ 民主党への支持は世論調査では必ずしも伸びていないことに留意すべきだ。支持者が伸びていないのに、次の選挙で投票する政党として民主党が出てくるのは、左右両方、つまり従来左翼政党に投票していた人や公明党に投票していた人、右派からも経済面で自民党の独裁はまずいと気づいた人が、次の選挙で政権交代、っと思って、本心の支持政党への投票をあえて抑えて、民主党に投票しようと考えているのである。
 ここで、ソマリア沖派遣に賛成するようなことがあれば、これらの人のうち左派の人は完全に離れるだろう。右派の人も、「国民生活が苦しい時に何を能天気な。やはり保険会社のためにやるのか。」と離れる人もいるろう。
 政権が取れそうだと舞い上がっているんじゃない。
 国民が何を期待しているのかをよく考えよ。

○ 護衛艦ソマリア沖派遣は、法的にも問題がある。
  海上警備行動とは日本の主権の及ぶ範囲、つまり領海内での活動とまず考えるべきで、その延長で、了解の周辺の公海上での活動と考えられる。
 船舶というものはいわば浮かぶ国土のような法的状態にあるが、日本船籍ではない日本船がたくさんある。これを護衛艦が海上警備行動で護衛するというのは、法的問題が多分にある。ましてや他国の船においておや。
  日本に憲法9条があり、それによって本来軍の保有が認められないのに、警察の延長として、その後アメリカの要請により肥大化して行った
自衛隊は、能力としてはアジア1,2の軍事力だが、法的にはやはり違憲、または違憲すれすれ。その上に存在する自衛隊法などの関連法規も違憲すれすれと考えるべき。
 今回のソマリア沖で、護衛艦が侵略をするとは私も考えていないが、法的にはやはり疑義が大きい。なぜより重要度の高かった使用済み燃料輸送船の護衛に海上保安庁で対応したのに、今回、たかが漁船に武装集団が乗っただけのものに護衛艦を複数出すのか?
 まさに、旧軍の復活を望む国家主義者麻生、安倍らの妄執以外の何物でもない。それと民主党は同じことをするのか。

 以上のことを、特に小沢代表は法学部出身というのなら、とくと考えよ。また選挙のプロというのならなおさらである。
 私は上記の意見をネット上で公開する。私のブログは今休止中だが、再開すれば1日2000人の人が見に来る。
 他のメーリングリストでも流し転載歓迎とする。mixiでも呼びかける。
 私の意見に賛成ばかりではないだろうが、少なく見積もっても5000人の人にこの意見を読ませることができる。たぶんもっと多いだろう。他のブロガーにも協力を要請すれば、この数字は10倍になる。

 政権が目の前にぶら下がったら、衣の下から鎧が見えるのか?
 かつて防衛利権は故・金丸信から小沢一郎に渡ったと言われていた。今は野党になったとはいえ、次回政権をとれば、また同じことを小沢はするのか?と痛くもない腹を探られることになる。

 今は、反自民で結束するために、意味のない、また海上保安庁で対応可能なソマリア沖派遣に賛成するべきではない。

関連タグ : 民主党, ソマリア沖,

反イスラエル

以下に「反戦翻訳団」のエントリを転載する。

この旗の意味が解からない人たちの為に・・・。
 
 1945年、欧州のユダヤ教徒たちは、ドイツ第三帝国が解体されたことによって救われた。
 逆に、パレスチナに昔から住んでいた人たちは、欧州のユダヤ教徒たちがドイツ第三帝国から受けた苦しみを、1948年のイスラヘル「建国」以降60年間に渡ってイスラヘル人たちから受け続けているのだ。どうすればパレスチナ人たちは救われるのだろうか?ドイツ第三帝国と同じく確信的にパレスチナ人絶滅政策を遂行している民主的軍事国家イスラヘルに、元より自浄能力は期待できようか?いや、出来まい。
 
 目指すべきは、1948年以前の姿に戻すこと。国連決議によって「建国」したイスラヘルという「国家」を新たな国連決議によって解体し、パレスチナ国連管理地域としてキリスト教徒・イスラム教徒・ユダヤ教徒が同じ立場で共同で生活する土地を復興することだ。後から入ってきたユダヤ教徒たちが、昔からその土地に住んでいたパレスチナ人たちを絶滅させようとするのは、そこに「自分たちの国家」が在るからである。その「国家」を認めることを前提とすると、後は、「領土の線引き」や「パレスチナ人の取り扱い方法(殺すなら人道的な兵器を使いましょう?)」の程度問題にすりかわってしまって、アメリカ合州国という生命維持装置をつけたイスラヘルは、パレスチナ人の絶滅政策を続行することが出来る。

 ユダヤ教徒という存在は悪では無いが、イスラヘル人という存在は悪である。

このエントリに掲載されている写真を見てほしい。
そこには1940年、ナチスによって虐待を受けているユダヤ人たちの姿がある。
そして右隣には2009年、イスラエルユダヤ人たちによって虐待されているパレスチナのアラブ人たちの姿がある。
両者は誰が見ても瓜二つ。
つまり、イスラエルユダヤ人たちは今、ナチスと同じことを行っているという何よりの証拠である。

ユダヤ人は、2000年ちかく前のローマ帝国時代にも反乱をたびたび繰り返し、ついにはヴェスパシアヌス帝によって彼らが住んでいたパレスチナの地を追われたという過去を持つ。
いらいユダヤ人たちは国を失った民として世界各地に散らばり、被害者意識と仲間内の団結心だけを強くして生きてきた。
しかし彼らは自分たちを襲った度重なる悲劇から他者を思いやる気持ちを学ぶことなく、第2次世界大戦後にイスラエル国家を与えられると即座にパレスチナに住み着いていたアラブ人たちを迫害し始めた。

アメリカでオバマが大統領に就任するのに合わせてイスラエルはパレスチナ侵略をいったん休止したが、イスラエルによる国境封鎖はまだ解けたわけではない。イスラエルは、アラブ人たちの反撃がほんの少しでもあれば、いつでも何千倍にして仕返しする用意をしている。

こんな状態にあるのを国連も手を出せずに見守っている。
バラク・オバマは就任早々、前任者のブッシュと同じく「イスラエルには自国を守る権利がある」とイスラエル擁護を宣言した。
世界は、パレスチナというゲットーに閉じ込められた人々をいつになったら救うことができるのか。
そのためにはイスラエル国家を解体し、1948年以前の状態に戻すしかないのではないか。
ローマ皇帝がしたように、ユダヤ人たちを再び離散させ、パレスチナに近づくことを許さないようにすべきではないか。

歴史と体験に学ぶことがなかった民族国家には、それほど厳しい措置を講じるしかないのではないかと思うのである。

関連タグ : ユダヤ人, ナチス, イスラエル, アラブ人,

大統領就任

オバマ大統領は、就任第一日目から精力的に仕事を始めているようである。
とくに外交問題では最初にパレスチナのアッバス議長に電話をかけ、話し合いをした。次いで矢継ぎ早にイスラエル首脳とも話し合い、今後の中東和平について話し合ったと見られる。

しかし、繰り返して書くが、バラク・オバマは、今回のイスラエルによるナチス的なジェノサイドを黙認することで支持をした。その点において、強く非難されるべきであり、オバマは自らの行為を恥じなければならないと私は思っている。

第二次世界大戦を経験したヨーロッパの人々は、戦争中にナチスに協力したか否かを厳しく問われた。ナチスに少しでも荷担したことが明らかになった場合、その行為は糾弾され人によっては職を失ったり、名誉を失った。日本でも有名なココ・シャネルは戦前は売れっ子のデザイナーとして活躍し、多くの文化人との交流もあったが、パリがドイツ軍の手によって陥落するとナチス将校と愛人関係を結び、その庇護のもとで自堕落な生活を送った。
戦争が終結してパリが解放されると、国民はシャネルを「ナチスに魂を売った売国奴」として非難し、シャネルは難を逃れてスイスに亡命しなければならなかった。フランスでは今でもシャネルを嫌っている人がいるという。

ナチスはその宣伝に芸術を取り込む戦略をとっていたことが知られているが、ここでもナチスに協力したか否かで、戦後の人生を大きく変えられた人々がいる。
たとえば音楽界では、名ピアニストとして知られたフランス人のアルフレッド・コルトーは、ナチスに招かれて演奏会を何度も行ったが、そのことが戦後になって非難の的になり、パリの音楽界からボイコットされることになった。オランダが生んだ偉大な指揮者と言われたウィレム・メンゲルベルクも、ナチスに招かれてベルリン・フィルで指揮したことが問われて戦後はすべての名誉と財産を剥奪され国外追放されるという憂き目にあった。
また、ドイツが誇る名指揮者といわれたフルトヴェングラーは、必ずしもナチスに対して協力的ではなかったけれどもドイツにとどまり、結局はナチスに利用される形で演奏し、その模様がフィルムに撮られていたのが証拠とされて、戦後は演奏活動を禁止された。

これらの例を見れば分かる通り、戦争は人間ひとりひとりの真価を問う試金石となっている。
映画でも描かれたオスカー・シンドラーはナチス党員でありながら、そのあまりに残虐な行為に心を痛め、密かにユダヤ人たちを助ける活動をした。日本の外交官だった杉原千畝もまた、政府の命令に反してユダヤ人の亡命に便宜を図ったことで知られる。

人心にもとる非道が行われ、罪もない人々が苦しみ、財産を奪われ、あるいは命を落としていっている事実を知ったときに、人はどういう態度を取るべきなのか。
パレスチナのガザ地区を中心に繰り広げられたイスラエル政府による虐殺行為は、世界中が知るところである。
しかし、この許されざる行為を前にしながら何もしなかったという点で、バラク・オバマは強く非難されるべきではないかと、私は思っている。
もちろん、親イスラエル政策をとり、戦争兵器を大量に売りつけて金儲けしていたブッシュ政権はナチスに協力した人間と同じように名誉を剥奪し、国外追放にしてもおかしくない罪を犯したといえる。バラク・オバマはこのときまだ政権についておらず、自分では何もできなかったと釈明しているが、彼もまた残虐行為を知りながら黙認したというだけで罪を負うべきだろう。

オバマはすでに次期大統領として、普通の人間に比べればずっと大きな影響力を持っていた。たとえ外交筋に働きかけることはできなくとも、世界が期待を寄せている人物ならば、反対の声をあげるだけでも大きな効果があったはずだ。
アメリカはユダヤ系人種が大きな権力を握っており、オバマが大統領選を勝ち抜くためには彼らの力がものをいったという背景はあるのかもしれない。
オバマとしても難しい微妙な立場にあったのかもしれない。
ダンス

それでも、と私は思わずにいられない。
大統領就任式の前、ボランティアとして施設の壁にペンキを塗る暇があったのならば、オバマはイスラエルに対していい加減に人殺しは止めてくれと声を上げるべきだったのだ。
就任式の後、優雅にファースト・レディとのダンスを披露する暇があったのなら、オバマは犠牲となったパレスチナ人民に対して詫びをいうべきだった。
何百人ものパレスチナ人が殺されていっているときに、ハワイでゴルフを楽しんでいる姿を世界中にさらす必要などなかったはずだ。
麻生太郎でさえ、形式的なだけにせよ、イスラエル政府に対して憂慮の念を伝えたときに、オバマは何を考えていたのか。
ガザ地区

バラク・オバマはアメリカ国内のみならず、世界中から期待と喜びをもって大統領に迎えられた。
しかし、彼は就任したそのときからすでに、目の前にある非道を黙認し、消極的ながらも支持したという罪を背負っていた。
歴史はイスラエル政府が行った大量虐殺行為に対して、厳しい評価を与えるだろう。
同時に、ブッシュはもちろんのこと、バラク・オバマを筆頭とするアメリカ政府に対しても大きな汚点を残したとして記録にとどめることになるだろう。

■追記
今、国連総会に対して「イスラエル戦争犯罪特別法廷」の設置を求める署名運動が起きています。下記のアドレスのサイトの上のほうにあるSign the Petitionをクリックすると、署名のページになるので、名前とメールアドレスを記入してください。
メッセージを書くこともできます。これは英語でなければだめでしょうけれども。
今回のイスラエルによる大量虐殺に対して反対の意思を唱える方は、ぜひ署名してください。
よろしくお願いします。
もちろん、私も署名しました。

http://www.PetitionOnline.com/EAFORD09/petition.html

関連タグ : バラク・オバマ, イスラエル, ガザ,

第44代のアメリカ合衆国大統領にバラク・オバマが就任した。
その模様は世界に中継され、多くの人が関心を持って注目していた。
日本での中継は20日深夜だったが、これを歴史的瞬間と捉える人々はテレビに釘付けになっていたことだろう。

すっかり夜更かしが苦手になってしまった私は、はじめから起きているつもりはなく、新聞で中継があることを確かめて録画しておこうかと思ったが、それも止めて寝てしまった。

どうせ翌日になっても日本のテレビは腐るほどこのニュースを繰り返し報じるに違いないのだから。
そして、今日21日、その通りだった。

ネットでは早くもオバマ大統領の就任演説日本語訳が読めるようになっている。

読んでみると、さすがにプロが練りに練ったものだと感心する。
オバマは大統領選のときから「私(I)」を使わず「私たち(We)」を使い、国民(You)に対して呼びかけてきた。
今回の就任演説でもそれは踏襲されていて、オバマはアメリカ国民のみならず世界の人々に対して、今直面している危機を乗り越えようと呼びかけている。

しかし、イスラエルによるジェノサイドを見て見ぬふりをしていたことを許せずにいる私には、このよくできた演説も皮肉な眼を持って見てやりたくなる。

オバマは、暴力と経済の危機に直面して深刻な状況であることを認めながら、恐怖ではなく希望を持ち、争いでなく協調していくことの重要さを説いている。
けれどもそれは結局従来通りのアメリカ中心の内向きのメッセージでしかないように思う。
イラクはイラク人の手に返す、アフガニスタンには平和を取り戻す、さらに核の脅威を減らすべく努力し、地球温暖化とも対峙する、とオバマは高らかに宣言しているが、もとはといえばアメリカが先頭に立って世界を引っかき回し、核の脅威で脅しをかけ、地球温暖化の責任から一方的に逃れてきたのではなかったか。
オバマはこれら「先人のしてきたこと」について、誇りを謳い上げるよりもまず世界に対して悪いことをしたと詫びるべきではなかっただろうか。そうでなければ、とてもではないがオバマの優等生的な作文をそのまま受け入れる気にはなりようもない。

しかし、優等生の作文だとしてもそれが幾人かを感動させたのは事実だろう。その点は率直に認め、彼我の違いを思って羨ましいとさえ思うのである。

アメリカ大統領就任式に先立つ18日、日本では自民党と民主党が定期党大会を行った。
民主党代表の小沢一郎は、相変わらず原稿を棒読みする芸のなさを繰り返し披露したが、それでも国民の生活が第一という党是を確認したことはまず評価できる。

ひどいのは自民党の党大会だ。
なにしろ、応援に駆けつけて演説したのが公明党の太田昭宏に経団連会長の御手洗冨士夫。これだけでも今の自民党が国民生活を蝕むカルト集団と財界べったりな関係にあり、こんな政党が社会格差をなくし、ワーキングプアの問題や雇用問題を解決できるはずがないと思わせるに十分である。
そして最悪だったのが麻生太郎演説だ。
ブルーのカクテルライトに照らされながら、まるでプロレスラーのように会場に入ってきた麻生は、あの柄の悪いだみ声で「公明党、経団連から励ましていただいたが、励まされるようじゃダメ。オレたちが励ますような立場にならねばいかん!」と、「オレたち」を連発させたのだ。

この頭の悪い宰相には、国民と共にがんばろうとか、国民のために力を尽くそうといった思いは微塵もなく、「オレたちが頑張らなければ」とか「オレたちが世界で最初に不況から脱出する」とか、自分たちのことしか頭にないのだ。

当日、会場には3400人もの出席者がいたそうだが、麻生が予定時間を倍もオーバーする演説を始めると、どんどん席を立っていく者がいた。そりゃそうだ。この期におよんでいまだに消費税増税をぶち上げ、オレが、オレがと叫ぶ党首を見ていれば、誰だって見切りをつけたくなろうというものだ。
麻生のような思想も主義もない男には、オバマの爪の垢を煎じて飲ませてももはや手遅れというべきで、こんな男は早いところ総裁の座を降りてほしいというのが党員たちの本音だったのではあるまいか。

しかし辞めるつもりはないのだろうな、麻生太郎ご本人にはいつまでも。
麻生太郎

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オバマ
バラク・オバマが第44代アメリカ大統領に就任する。
アメリカ国内はもとより、同盟諸国もこぞって彼の就任を喜び、祝福することだろう。
おそらく明日の新聞もニュースも、オバマ新大統領で埋め尽くされるだろう。
ブッシュによるこれまでの8年間があまりにもでたらめな政治だったこともあり、オバマに対する期待はいやが上にも高まる。

しかし私はアメリカ国民ではないし、次期大統領になったときからのオバマを見ていて素直には喜べない気持ちでいる。喜べないというよりも、やはりアメリカはアメリカであり、大統領が誰になろうともどうしようもないのだという諦めと落胆で一杯になっている。

なぜオバマに失望しているかといえば、ひとえに彼がこの年末から始まる3週間にわたってパレスチナを空爆し、侵略行為をほしいままにしたイスラエルに対して、なにひとつ行動を起こさなかったからだ。
ガザ地区という世界でもっとも人口密度が高い地域に無差別に爆弾を落とし、文字通り町中を廃墟に変えてしまったイスラエルの蛮行は、非難してもしきれるものではない。1000人以上の女性や子どもをふくむ市民が犠牲となり、家を失っていったこの3週間の間、オバマはハワイでゴルフを楽しみ、悠然と構えてワシントン入りに備えていた。

これは私に、あの2001年の「えひめ丸事件」が起きたときに、平然とゴルフを続けていた総理大臣・森喜朗を想起させた。
アメリカの潜水艦に衝突されて何人もの若者が命を落としたとき、森は事件の一報を耳にしながら事件を究明し、アメリカに抗議をするどころか第三報が入るまで楽しげにプレーを続けた。
その結果、森内閣に対する支持率は決定的に下落し、二ヶ月後に森は退陣へと追い込まれた。

ハワイでゴルフに興じ、パレスチナで多くの犠牲が出ていることを聞かされながらも「大統領はふたりも必要ではない」と言って平然としていたオバマは、大統領就任が決まり、金融危機に陥ったアメリカ経済に直面したときとは、明らかに違った対応を見せた。
それはオバマが、アメリカはこれまで通りイスラエルとの関係を重視するということの表明であり、他国で起こっていることよりも自国をまず優先して考えていくことの表明に他ならない。
彼が就任演説でどんなに立派なスピーチをしようとも、この事実は変わらない。
オバマは、パレスチナでの虐殺行為を肯定し、イスラエルを擁護し続けることに積極的ではないかもしれないが、決して反対ではないのである。

私はこの数週間にわたって行われたイスラエル政府による大量虐殺は、かつてナチスがユダヤ人に対して行った行為に匹敵するものだと思うし、国際社会を味方に引き込んで好き放題をしようとしているイスラエル政府を決して許すことができない。今回の虐殺に荷担し、これを肯定し続けたオルメルト首相ら政府要人と軍関係者は国際軍事法廷にかけて厳しく非人道行為を責められるべきだと思う。また、自らの歴史的背景を理由に被害者意識を持ち、それゆえにパレスチナを攻めるというイスラエル人たちの甘えは、今後決して許されるべきではないと思っている。
犠牲者


イスラエルは、今回の非人道的行為を行ったことにより、後々大きな代償を払うことになるだろう。今回の身勝手な行為によって世界に根深く浸透している反ユダヤ主義には恰好の材料を与えることになるだろうし、新たなレイシズムを生み出す原因にもなるかもしれない。私はレイシズムに与するものではないが、ユダヤ人とは積極的に親しくなりたいとは思わないし、オリンピックなどの国際大会にはイスラエルが参加するかぎりボイコットする方を支持する。
スポーツを政治の道具にするなとはいわれるが、スポーツとは政治の道具であり続けてきたのだ。その道具をこれから日本も使うことにすることに異論はない。

バラク・オバマは熱狂的にアメリカ国民に迎えられることだろう。
そして彼は、彼らの期待に応えるべく、必死に仕事に取り組むだろう。
しかし、それはアメリカ国内に向けたものに大きく限られるに違いない。
経済の立て直し、雇用の改善など、アメリカ国内には取り組むべき問題が山積している。オバマは、これらに取り組むことで精一杯だろう。もし、それが上手くいけば、波及効果として世界経済も立ち直るきっかけをつかむかもしれない。しかしそれはあくまでも二義的なことだ。
オバマは内政に重点を置かざるを得ない。
だから、イラク問題やアフガン問題は同盟諸国の負担を強いることだろう。
確固とした政治的信条を持たない日本政府は、唯々諾々としてアメリカの要求に従おうとするだろう。しかし、われわれは忘れてはいけない。
戦争に荷担するようなことはしない。
そして非人道的な虐殺行為を黙認し、荷担するような国の言いなりになど、決してなるべきではないということを。

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大阪住吉区にあるマンションの一室で、元派遣社員と見られる49歳の無職の男性が栄養失調状態で死亡していたことが16日までにわかった。住吉署によると、収入がなくなったために餓死した可能性があるという。

調べによると、14日午前、マンション管理人が昨年11月から滞納していた3ヶ月文の家賃を請求するために男性の部屋を訪問したが応答がないため、合い鍵で室内に入ったところ、ベッドで仰向けになって死亡している男性を発見。

男性はひとり暮らしで、死後約1ヶ月が経過していた。発見時に室内にあった現金は90円で、冷蔵庫は空だった。解剖したところ、男性の胃にはほとんど何も残っていなかったという。
男性は昨年1月~5月にも家賃を滞納していた。このときは「銀行に派遣されてコンピュータ関連の仕事をしていたが、病気で長期間休んだため仕事を失った」と話し、実家に連絡を取って家賃を支払った。しかし昨年11月から再び滞納、管理会社が督促したが電話もつながらない状態だったという。

職を失い、経済的に行き詰まった人が生活保護も受けられずに餓死した事件としては、北九州で起きた50代男性のことがすぐに思い浮かぶ。
「おにぎり食べたいよー」と最後に書き残して死んだ、この男性の事件は今も生々しく、事実上生活保護を打ち切った役所の非道と日本社会のセーフティネットの貧弱さがあらためて浮き彫りになった。

今回、餓死したと見られる男性は生活保護を受けていた形跡はなかったようだが、どうして生活保護も受けないまま餓死死ななければならなかったのか。
あるいは北九州のケースのように、役所が申請を受けつけなかったのかもしれないし、男性側の方に生活保護を受けられない何らかの事情があったか、あるいは生活保護を受けることに対する抵抗感が結果として今回のような結果を招いたのかもしれない。

しかし、人間が餓死するまで追い込まれるというのは、想像を絶するものがある。
所持金がなくなり、電気、ガス、水道を止められる。通話料が払えないから当然、電話も使えなくなる。
都会に住んでいながら、まるで無人島に置き去りにされた人間のような状況に陥ってしまうのだ。無人島ならば、魚を捕ったり野草を食べることができるから、まだ希望があるかもしれない。
しかしマンションの一室でただ一人、食べるものもなくベッドに倒れ込んでしまった男性にはひとかけらの希望もなかったのではないか。
派遣という、まったく保障のない仕事をしていたがために起きた、現代の不幸である。

昨日、経団連と連合が会合を開き、事実上の春闘がスタートした。
このなかで、連合は8年ぶりにベースアップを求め、雇用問題に関しては労使が協力して望むことにした。しかしこのなかで、非正規社員を守るための具体策は何も語られていなかった。
年越し派遣村に500人もの職を失った人々が集まった現実、そして派遣の仕事を失ったがために餓死にまで追いやられた人がいるという現実。それらを見れば、連合はベースアップよりもまず非正規雇用の問題を第一に挙げるべきではなかったのか。
経団連の御手洗冨士夫に対して、理不尽な雇用調整を止め、非正規雇用をなくす対策を第一に迫るべきではなかったのではないか。

連合としてみれば、労働者の生活を守ることが第一なのだから、ベースアップを要求するのはごく当たり前のことなのかもしれない。
しかし、非正規雇用者の問題を後回しにして正規雇用者の生活を第一に掲げていたのでは、今後、労使の対決よりも労労間の対立が大きな問題になる恐れがある。
同じ仕事をしていながら、正社員はベースアップもあれば各種の保障がある。片や、非正規社員には何の保障もないばかりか、雇い止めになれば住み家を失い路頭に迷うおそれがある。次の仕事が見つからない限りは収入もなく、その先にあるのは餓死するか自殺するか、犯罪を犯すかしかなくなるだろう。
このままでは日本社会がますます荒んだものになっていく。
連合には、この流れを断ち切るべく運動していく責任があるのではないか。

景気が後退し、仕事の量が減れば賃金カットが行われる。
労働者としては何としても避けたい状況である。
それは当然だろう。
しかし、それとは比べものにならない生命の危機にまで追いやられる労働者がいることを、労働運動をするものは決して忘れるべきではない。
連合は正社員の組合員が組織の中心になっている団体なのだから、どうしても正社員の生活を守ることに目が行ってしまうのだろう。
しかし、職場の中で正社員と非正規社員との対立が激しくなり、労労間に憎悪が芽生えるようになったのでは労働運動そのものが成り立たなくなる恐れがあるだろう。
連合には、正社員だけでなく非正規社員をも取り組んだ労働運動のあり方を探ってほしいものだ。
そして、正社員と非正規社員が一致して、御手洗冨士夫を筆頭とする経営者側との団交に望んでもらいたいものだ。

仕事を失うことが、路頭に迷ったり餓死することに直結する今の社会のあり方は、明らかに間違っている。
悲惨な事件や犠牲者を生み出さないためにも、連合にはもっと真面目に考えた春闘のあり方を考え出してもらいたい。
今回の連合が出した要求には、大いに失望した。

連合の高木剛は、非正規社員の救済と雇用の確保を大々的にぶち上げるべきだったのだ。

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共同通信によると、与野党は11日、継続審議になっている日雇い派遣を原則禁止する労働者派遣法改正案に関し、派遣元だけでなく派遣先企業の責任も明確にする見直しを検討することで一致した。

改正案では、派遣社員の常用雇用への転換について派遣元企業の努力義務を定めているが、昨年来の景気悪化により契約を打ち切られ、職や住居を失う労働者が多数出ている事態を踏まえて法的措置の見直しが必要と判断したもの。

これにより、ワーキングプアを根絶するための法規にはほど遠いと批判があった改正案も一歩前進する。

しかし、いまだ改正案は30日を超える短期雇用を容認し派遣労働者の不安定雇用を是正するには至っていない、派遣料金のマージン率について上限を定めていない、登録型派遣については派遣事業主に対して直接常用雇用を促進するなどの努力義務を課しているに過ぎないなど、不十分な点が多い。

自民党幹事長のの細田博之は記者団に対して、与党で同法改正案の見直し作業を急ぐ考えを示した上で「住宅確保などでは与野党で一致する可能性がある」と述べ、与野党協議に応じる姿勢を示したというが、麻生内閣の支持率が20%を切った今となっては(共同通信の世論調査による)、一刻も早く政権交代し、新政権による抜本的な改正が望まれるところである。

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先日の武蔵野市議「やすえ清治」のエントリに対して、匿名の方から情報をいただいた。
それは、やすえ自身がエントリをアップした後、メールを送った支持者(?)に宛てて送られたメールのコピーだ。

これを読む限り、やすえは、あの人を傷つけずにおかない暴言を今も率直な気持ちだったとして後悔する気はないようだ。
むしろ、批判もあったけれど予想以上に「よく言ってくれた」という意見が多く、勇気づけられたと書いている。

以下に、やすえによる文章を引用する。


やすえ清治です。ご意見ありがとうございます。
正直言ってこの記事は出すかどうかちょっと悩みました。ここまで言っていいものかと。ものすごい批判も覚悟だったのですが、自分の率直な気持ちのつもりです。

メール以外でもいろんな方からいろんなご意見をいただきました。批判も沢山いただきました。でも、僕の予想よりもはるかに「よくいってくれた」との意見が多かったのは何よりも勇気になりました。

僕のプロフィールに「IT系サラリーマン」と記載してますが、僕も実は派遣社員でした。保険もありませんでした。なかなか厳しいところで、契約期間も何も最初はなくて、研修後の試験で一定の得点を取らないとその場ですぐに切られるんです。(正確には契約してもらえない)大勢の人が応募してきても契約すらできなかった人の方がはるかに多かった。

でも、やっぱ悔しいからさ。僕もそうだし、みんな頑張ってたと思う。決してやりたかった仕事ではなかったけども、やってみると仕事は結構楽しくて、たくさんの仲間がいて、いつ切られるかという不安やいろんな不満もあったけども自分なりの楽しみ方を模索した。最後は辞める時に躊躇した。今でもその時の仲間たちとメールのやりとりはあります。

あの経験は今でも僕の中で生きている。

今はもっと厳しいかもしれません。
ただ、「政治が悪い」だけの方向にベクトルが向くのがいいことなのか?そこを僕は言いたかった。

だからと言って必ずしも今の政策すべてがいいとも思わない。責任がすべて本人にあるとも思わない。本当に困っている人たちを政治が救っていかなければならないと思っている。

だから、みんなにがんばって欲しい。いや、がんばっていこうとメッセージを送りたかった。一生懸命汗を流した人が報われる社会を作りたい。わかりやすく言うとこれが僕の想いです。

表現がまずくて気分を害した方がいたら率直に謝ります。でも本音が言えなくなったらそこで終わり。やっぱ書いてよかった。


まるで学生が後輩に書いた下手くそな手紙のような文章である。

どうやら、やすえ自身も派遣社員を経験しておりそれなりの苦労はしているようだ。
しかし「やっぱ悔しいからさ。僕もそうだし、みんな頑張ってたと思う。決してやりたかった仕事ではなかったけども、やってみると仕事は結構楽しくて、たくさんの仲間がいて、いつ切られるかという不安やいろんな不満もあったけども自分なりの楽しみ方を模索した」というあたりには、一家の生活を背負っている人間の責任感というよりは、学生のアルバイトのような乗りの方が強く感じられる。

今巷にあふれている派遣切りにあった人々は、仕事に楽しみを見つける余裕もなく、まさに「いつ切られるかという不安」が現実のものになって住み家まで失ってしまった人々なのである。やっぱ悔しいからと頑張ろうとしても、会社側からは契約打ち切りの通知を渡されるだけでは頑張りようもないだろう。

やすえがどれだけの期間、派遣社員として「頑張った」のかは知りようもないが、現実に困っている人たちは、会社から直接雇われる期間工として仕事をしていても最長2年11ヶ月で契約を打ち切られ、仕事をもっと続けるには派遣社員として契約し直さなければならなかった。運よく再び期間工になっても2年11ヶ月たてば派遣に逆戻り。この繰り返しをして妻や子供を養っていたのである。
さらに、会社側は直接雇用者を減らすために、派遣会社と目論んで積極的に派遣労働者を増やそうとしていた節がある。
期間工として働き続けるには社員寮を移ってもらわねばならず、そこは2人部屋で6畳一間、ガス・水道もない、事実上寝るだけの部屋になるというのだ。煮炊きができなければ外食かコンビニ弁当に頼ることになり、食費がかさむ。家族に仕送りしていた労働者は、仕送りする金が減るのが心配になる。そこに派遣会社から誘いがかかる。派遣契約をすれば、もっとましな部屋でくらすことができますよ、というわけだ。中には「今だったら入社祝いとして10万円出す」といって勧誘した派遣会社もあるという。
こうなれば、誰だって会社の寮に入って不自由な思いをするよりは派遣会社と契約しようと思うだろう。

しかし、それは会社にとっては人間がモノへと変わることを意味したし、派遣会社にとっては商品が増えて販路が拡大することを意味したのだ。
会社は、不景気になれば派遣会社との契約を打ち切ればすむ。派遣会社は、仕事がなくなったといって放り出す。そこには何も保障などない。彼らが扱っているのは人間ではなくモノだからだ。
40代、50代になってモノとして扱われ、家族を養っていく力を奪われた人々には何が残るか。絶望しかないだろう。

去年、非正規雇用の雇用打ち切りを決めたいすゞ自動車は、その後、労使との交渉により期間工に対しては保証金を出すことにしたが、派遣社員はその対象からはずした。
同じ仕事をしていても、直接会社と契約している期間工と、派遣会社を介していた派遣労働者とでは雲泥の差ができたのである。

そもそも期間工として働いても最長2年11ヶ月しか契約できないようにしたのは、政治の責任だ。企業は政治が作った制度にさからうことなく、最大限に利益を上げることだけを考えるように対応した。それには派遣会社が非常に便利な存在だったというわけだ。
つまり、一にも二にも、今の雇用不安を生み出した原因は政治にある。

この事実がありながら、やすえは「自分も実は派遣社員だったが、自分なりの楽しみ方を模索した」などと余裕のあることを書いている。やすえの頭の中と現実との間には相当の開きがあるとしか思えない。
やすえは、「『政治が悪い』だけの方向にベクトルが向くのがいいことなのか? そこを僕は言いたかった。」と書いているが、政治が悪いこと以外のどこにベクトルを向けるべきだというのか。やすえのような男に、「頑張っていこう、みんなで頑張ろう」と励まされたところで、頑張りようがないのが現実なのである。

そのうえで「自分で死ぬ気でやってんのかよ。政治は魔法じゃねぇんだよ!」と捨て台詞を吐くやすえは、すでに政治家としての自覚はなく、責任を放棄しているとしか思えない。
こんな言葉を吐き散らしておきながら、率直な気持ちを言ってよかったと自己満足しているやすえ清治という男は、政治家と呼ぶのも恥ずかしい、ゴキブリ程度の頭しか持っていないヤツだとしか言うほかない。

「やっぱ書いてよかった」

お前は、アホか。

こんなヤツは次の選挙には立候補してほしくないものだし、もし立候補しても断じて当選などさせてはならないと思うのである。

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犬のケンカというやつは、単なるじゃれあいのような取っ組み合いから、命がけの決闘まで、いくつかの段階がある。激しく組み合って噛み合っているようでも、案外彼らにしてみれば遊び半分ということもあり、そんな場合には飼い主が「こらこら!」と制止すれば離れていく。
しかし、いわゆる本気モードになると、犬は特有のニオイを発散するらしくそれを嗅ぐことで犬たちはさらに興奮して抑制がきかなくなる。こうなると飼い主が間に入っても止めることは容易ではない。正気を失ったかに見える犬は、どちらかが負傷して引き下がるまで闘いを止めようとしないのだ。

これはなにも犬だけの話ではないように思える。
たとえば、ときどきニュースにもなる集団リンチ事件などは、暴力をふるっているうちに正気を失い、そうなると相手にどんな危害を与えても当然だというような高揚した気分が支配して抑制がきかなくなる。その気分はその場にいる人間に瞬く間に伝播して、暴力をエスカレートさせる。たわいもない理由で始まった集団暴力が、終いには殺人事件へと発展していくときは、こうした人間の正気を失わせる空気が現場を支配していることが多いと考えられる。

その最たるものは戦争だろう。
ホロコースト

今、世界中が注目し、多くの人が心を痛めながらどうにも止めることができない「戦闘行為」がイスラエルパレスチナの間に繰り広げられている。
しかしここで「戦闘」という言葉を使うのには抵抗感がある。
パレスチナ側がロケット砲で散発的に攻撃しているのに対し、イスラエルはアメリカから提供された潤沢な兵器を存分に使い、空から陸から、圧倒的な戦力で人口が密集しているガザ地区を攻撃し続けている。イスラエルパレスチナ人たちを狭い地域に押し込め、兵器はもちろん、食料や医療品の供給もできないようにして攻撃している。
この2週間ほどの間に、パレスチナ側では700人近い死者が出ているのに対して、イスラエル側は数人ほどの犠牲者がでているだけだ。この事実だけを見ても、両者の戦力がいかに偏ったもので、攻撃が一方的に行われていることがあきらかになろうというものだ。

そして6日には国連機関の学校が砲撃されて多くの犠牲者が出た。さらには医療活動を続けている国連の自動車も攻撃されて職員が殺された。
イスラエルは明らかに攻撃する必要のない施設や人員に攻撃を加えて犠牲者の数を増やしている。それを作戦遂行の一環として正当化している。
さらに昨日は、ガザ近郊のザイトゥン地区で110人のパレスチナ市民をイスラエル兵が銃を突きつけて1軒の住宅に集めたうえで砲撃を加え、少なくとも子どもをふくむ30人を死亡させるという事件が起きた。

こうした一連のイスラエルの行為を見ていると、どうしても思い出してしまうのは、かつてナチスがユダヤ人民に対して行ったホロコーストの悲劇である。
あのとき、ナチスは優勢思想からユダヤ人を世界から抹殺しようとした。強制収容所をつくり、そこの連行されたユダヤ人たちはガス室に閉じ込められて一気に殺害された。
収容所では過酷な労働と非衛生的な環境、それに最低限の食料しか与えられずに、何人ものユダヤ人たちが餓死したり病死したりした。

今、イスラエルがパレスチナ人たちに対して行っている行為は、かつて自分たちの縁者たちが受けたのと同じ行為をなぞっているとはいえないだろうか。
150万人もの人々を狭い地域に押し込めて食料や医薬品を運び込むことを禁止し、事実上、彼らはパレスチナ人を鉄格子のない収容所に隔離してしまった。
そのうえで、子どもや女性をふくむ非戦闘員を無差別に銃撃あるいは砲撃して命を奪っている。昨日起きた、住民を閉じ込めたうえで砲撃を加えた事件などはナチスのガス室や、あるいは米軍がベトナムで行ったソンミ村での虐殺事件を想起させずにおかない。

イスラエル人たちは、もはや抑制を失わせるニオイを嗅いでしまった犬のように相手を殺さずにおかない気持ちになっているのではないだろうか。
あるいは国を挙げての集団リンチに加わっているうちに、相手に何をしても構わないような残酷な気持ちにはまりこんでいるのではないだろうか。

噛み合いに夢中になってしまった犬を鎮まらせるには、冷水をかけてやるか、人間が棒などをつかって力ずくで引き離してやるしかない。
集団リンチに夢中になってしまった半狂乱の人間を鎮めるには、冷静な第三者が間に入って暴力を止めるように説得するしかない。

イスラエルが今行っている、残虐な行為を止めさせるにも、こうした手段が有効なのだろうか。
冷水を浴びせて攻撃に逸る政府や軍部を抑えることができるのならば、地中海の海水でも浴びせかければいいのだろうが、彼らはそんなことでは諦めないだろう。
ならば残っているのは、冷静な判断力を持った第三者が仲裁に入るか、ある程度の武力を持って抑止する方法しかない。
仲裁にはいるべき第三者として、いちばん期待されるのが国連だったが、停戦を求める決議にアメリカが反対してその効力は半減してしまった。今となってはエジプトの停戦案をイスラエルがどれだけ真摯に受け止めるか、その理性に期待するしかない。
もし、エジプトの仲介も不調に終わったならばどうなるか。

私は武力を使うことには反対だから、世界中でイスラエルに対するボイコット運動を広めていくことがいちばん有効なのではないかと思う。ただし、この方法には即効性がないのが懸念材料だ。それでもガザにいるパレスチナ人たちに、これ以上犠牲者が出ないために、私たちは何かをしなければならない。それは一人一人が声を上げていくことであろうし、イスラエル政府に抗議する運動に参加することでもあろう。また、イスラエル産の輸入品を買わないということもひとつの方法だ。世界中の人間ひとりひとりが考えて、この残酷な現実を早く終わらせるために手を打たなければならない。
さもなければ、イスラエルの行動に業を煮やしたアラブ同胞国が立ち上がり、大規模な戦争が勃発する恐れもある。

それだけはなんとしても避けなければならないと思うのだ。

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5日から開かれた通常国会の冒頭で論議の的になっているのは、国民一人あたり1万2000円を支給するという、例の低額給付金もとい、定額給付金だ。

民主党の鳩山由紀夫が税金の無駄遣い、悪しきバラマキであるとして撤回を要求したが、答弁に立った麻生太郎はまるで意固地に固まったように撤回する意志はないと繰り返す。
その麻生太郎は、昨年中は「所得が1億円ある人がもらうかどうかは、人間の矜持の問題である」と語り、「自分は受け取る気はない」と言っていたものだが、今年に入るや「時代が変わった」として受け取るかどうかはこれから決めると、これまた例のごとく発言を転換して全国を呆れさせた。

もともと筋の悪い政策、天下の愚策というしかない定額給付金なのだが、自民党では幹事長の細田博之が「国会議員も受け取るべきだ」と発言、はやくも高額所得者には取得制限すると言い、「1800万円以上」を所得制限とするとしていた総務省の目安をなし崩しにしてしまった。なぜなら国会議員の平均所得は2500万円もあるからだ。

その総務省のトップに立つ鳩山邦夫も、当初は給付金は受け取らないと言っていたものがここにきて「給付金は政府の粋なはからいのようなもの」と言い、自分は受け取って地元のとんかつ屋だか鴨料理屋だかで飲み食いするつもりだと言っていた。

いったい、国会議員先生たちの矜持というのはどこにあるのだ?

一方、所得が2500万もある先生たちが棲息する永田町にほど近い日比谷公園に暮れから正月にかけて集まった「年越し派遣村」の元派遣労働者たちは、多くが住居も失ってしまったために給付金を受け取ることができない。給付金は住民票を元に支給されることになっているからだ。

国会では麻生太郎が「定額給付金にはGDPを0.2%程度押し上げる効果がある」と言い、公明党の副代表・井上義久も「GDPを押し上げる効果がある政策は定額給付金しかない」旨の発言をした。

しかし、住処さえ失ってもっとも金を必要としている人々が受け取ることができない恐れがある金で、この国のGDPが0.2%ほど上がったところでどれほどの意味があるというのだ。
定額給付金が天下の愚策であり、筋の悪い政策だというのはこの点にあり、筋の悪さにおいて、とても「粋なはからい」などとは言えないのである。

総額2兆円の金をどうしてもばらまきたいならばばらまけばいい。
しかし、そのときには少なくとも全国民に平等にばらまくのが最低条件だろう。今のままではその最低条件すら守られずに2兆円は泡のように消えてしまいかねない。
麻生太郎はなぜ、定額給付金にこうまでもこだわるのだろうか。2兆円を使うなら、その分を消費税減税に回す方がまだ不公平感がない。
大阪府知事の橋下徹は年収400万の所得制限にして財源を確保し、その金を学校の耐震化に使う、さらに臨時職員を雇って所得の確認業務に当てると提案した。
橋下程度の男にもこのくらいの提案ができるというのに、麻生太郎をはじめとする政府の人間たちは、ひたすら民主党に反対することしか考えていないように見える。その顔がいかにも愚鈍に見える。

私は、この筋の悪い政策は第2次補正予算案から切り離すべきだと思う。そしてもう一度、ゼロから見直すべきだ。
「粋なはからい」と思っているのは自民党のおめでたい議員だけで、多くの国民はこれほど野暮で愚劣な企みはないと思っているのだから。

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やすえ清治

派遣村・・・・・政治のせいにするのはいいよ、でもおまえら何をやろうとしてるのさ。

自分で死ぬ気でやってんのかよ。
政治は魔法じゃねぇんだよ!


世の中のせいにする前に死ぬ気でやってみろよ!


傷をなめあってんじゃんぁねえよ!
甘えるなよ!人のせいにするなよ!



1973年生まれ、山羊座 のB型
自民党衆議院議員かすや茂秘書、IT企業のサラリーマンを経て平成15年統一地方選挙で最年少で初当選。平成19年も引き続き最年少で二期目の当選。
建設委員会委員長、広報委員長などを歴任。

やすえ清治は、今や自民党若手のホープというところか。
だから率直な気持ちで表現すれば、派遣切りで路頭に迷った人々を「おまえら」呼ばわりし、世の中のせいにするな、傷をなめあってんじゃねえよと、麻生太郎のようなべらんめえ調で罵声とも取れる言葉を投げつける。
さぞ、気持ちがよかっただろう。
言いたいことを言って、すっきりしたことだろう。

派遣切りされた人の中には私のような中高年者もいた。
私のような中高年者がいきなり職を失い、仕事を新たに得ようと思っても、家族を養えるに足るだけの職を見つけるのは容易なことではない。
住居を失った場合には礼金、敷金などの他、保証人も用意しなければならない。
財布に100円か200円しか残っていない状態で、途方に暮れてしまったとき、途方に暮れても誰にも相談しようもないとき、人はどうするだろう。
誰かに相談したい、できることなら少しでもいいから助けてもらいたい。

そう思ったとして、誰に責める権利があるというのだ。

今、未曾有の不景気を迎えて、仕事の数は急激に減っている。
下手をすればこのまま路頭に迷わなければならない。
この寒さの中、どこから段ボールを見つけ出し、どこにそれを敷いて眠ればいいのかも分からない。もしかしたら、このまま凍死するかもしれない。
そんなとき、本来ならいちばんのたよりになるはずなのが社会のセーフティネットではないのか。
そのセーフティネットとは政治によって作り出させなければならないものではないのか。
「政治は魔法じゃねえんだよ」
その言葉の裏には「施しをするつもりはねえんだよ」という気持ちが潜んでいる。
「おとといきやがれ」という捨て台詞が見え隠れする。
セーフティネットのことを考え、市民生活のことを考え、その生活を守るのが政治家の仕事ではないのか。

やすえ清治

この男には、それがわかっているのだろうか。
この男には想像力があるのだろうか。
この男には、政治家の手を煩わせない人間しかまともな相手にできないのか。

自己責任論者は、自分が苦労したことを自分の勲章のように看板に貼りつけ、自分にできたのだから他人にできないはずはないと言い張る。できない人間は努力が足りないからだと言いたがる。

しかし待てよ。
ドンつまりまで落ち込んで、行き場がなくなった人間の中には、もう死にものぐるいになる元気もない者だっているはずだ。

やすえ清治
この男には人を思いやることはできないのか。
今年36歳。
まだ若造じゃないか。

お前なんぞに人を罵倒する資格は、ないんじゃないのか。

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年末から正月にかけて、東京・日比谷公園に「年越し派遣村」が設営され、派遣切りされて行き場を失った人々が続々と集まったのは連日報道された。その数は当初予想された人数の3倍近くまで達し、あらためてこの問題の深刻さをうかがわせた。なかには所持金が10円しかないという人や、それまで住んでいた寮まで追い出されて行くあてがなく、このまま野垂れ死にするしかないと諦めかけていた人もいた。
そう言う人々にとって、善意で開かれた「年越し派遣村」はほっと安心できる場所であったに違いなく、1600人も集まったボランティアの人々に接することは、少なからず心の救いになったはずである。

ほんらいならば、契約途中での雇い止めなどはあってはならないものだし、契約が終わったのだから年末であろうと寮からも出て行けと迫るのは人の心を踏みにじる冷たい仕打ちであって、決して容認されるものではないはずだ。
けれども、去年は9月以来の異常な経済状態に襲われたおかげで、企業はそうした非道な行為を当然のこととして行った。
この状況は、まともな神経を持っている者からすれば誰が見ても異常であり、企業はおのれの利益を守るために人権を踏みにじる行為をしたと非難されてしかるべきである。

そして、こうした事態が生じたときには、国や自治体が動いて路上に閉め出された人々を救うべく手を差し伸べる手だてを講じるのが当たり前なのだ。しかし、国も自治体も路頭に迷った人々がいることを知りながら何も手を打とうとしなかった。
だから湯浅誠らが立ち上がり、日比谷公園に「年越し派遣村」を作ったのだ。そしてここに500名からの人々が救いを求めて集まったことがニュースとなり、全国に知れ渡ったおかげで厚労省がようやく重い腰を上げて講堂を開放するということになった。その行為のどこが、ポピュリズムだというのだ。

私は湯浅誠らが行ったことは快挙だったと思っているし、彼らの行動がなければ国は動かなかっただろうし、路頭に迷った人々からは凍死する者も出ただろうと思っている。

ところが、多くの「愛読者」を持つブロガーの池田信夫は、そのブログの中で「『派遣村』の偽善」と題するエントリを上げ、「年越し派遣村」のことをおちょくっている。池田に言わせると「年越し派遣村」なるイベントは与野党のポピュリズムに利用されており、民主党の鳩山幹事長が派遣村に対して「本当に働く気持ちのある人がいるのか疑わしい」といった坂本政務次官の解任を要求したのには唖然としたと書いている。完全失業者は250万人もいるというのに、なぜ日比谷公園に集まった500人だけを特別扱いするのか、というのである。
池田は、竹中平蔵の盟友である木村剛の文章も引用している。

日比谷公園のテントでわざわざ年越しをする必要があるのだろうか、というそもそものところから、やや不自然なものを感じます。政治活動を主目的に活動している方がいるような気がしてなりません。故郷があるのなら、帰省のための交通費を貸してあげた方が親切なのではないでしょうか。

池田の分析によれば、「年越し派遣村」運動の中核になっているのは労組や共産党の活動家で、労使紛争を派遣切りという看板に置き換えて巧妙な運動を仕掛けたのだということになるらしい。
以下、池田の文を引用する。

そもそも住宅を供給するのは、企業の義務ではない。会社をやめたら寮を出るのは当たり前だ。わざとらしく日比谷公園に集まって役所に住居を斡旋させるのは筋違いで、それに応じる厚労省も不見識だ。これが500人ではなく5万人だったら、彼らは同じことをするのか。「製造業への派遣労働を見直す」とか言い出した舛添厚労相は、彼の軽蔑しているみのもんたに成り下がったのではないか。こういう状況で、誰も派遣村を批判できない気分はよくわかる。私も、かつて取材する側として、こういう「絵になる」ネタはよく使わせてもらったが、こういう事後の正義が日本経済をますますだめにするのだ。

悪意の目を持って「派遣切り」の事態を見れば、このように映るのか。
池田は、住宅を供給するのは企業の義務ではないと書いているが、そもそも派遣会社と契約した時点で労働者たちは強制的に寮に入ることを義務づけられたのではなかったか。そのうえで、派遣会社は彼らから寮費や光熱費を給料から天引きして儲けを獲っていたのである。
つまり1999年以降改悪された労働者派遣法によって劣悪な労働条件を強いられるようになった労働者が、景気の悪化にとってこんどは一方的に首を切られ、寮を追い出されたのである。池田のように企業側・派遣会社側の視点で見れば寮から出るのは当たり前に思えるのだろうが、血の通った人間の目で見れば、そもそも労働者派遣法を改悪したことからして間違いだったのであり、この制度を悪用して労働者をモノのように扱うようになった企業に問題がないわけがない。

池田は役所に住居を斡旋させるのは筋違いだと言うが、今度の派遣切り問題は、企業が起こした人災に他ならず、被害者たちは被災者と呼ぶのがふさわしい。被災者が出たときに役所が救援に手を差し伸べるのは当たり前のことではないのか。
池田は500人ではなく5万人だったら湯浅誠らは同じことをしたかと疑問視しているが、もし派遣切り労働者が5万人も出ていたら、それこそ社会の大問題として多くの人が受け止め、もっと多くの人々が湯浅たちに協力することだろう。

つまり、湯浅誠たちがやったことは賞賛されこそすれ、妙なイチャモンをつけられるいわれはまったくないのである。

自称「経済学者」を語る池田には、今起きている事態が、財界と政治によって起こされた人災であると言うことがわかっていない。地震が起きて家を失った人を救済しようとする人々に対しても、池田のような数字物事を考えられない人間は、ポピュリズムだとか公金のバラマキだとか勝手な言葉を並べて批判するつもりなのだろうか。

派遣村の活動を批判せず、自治体までが出てきて救済に乗り出すという「温情」が、今後の日本経済をダメにするとしたら本末転倒というものだろう。
そもそも労働者派遣法を改悪し、非正規雇用の割合を世界のどこよりも多く利用するようになったこの国の経済のあり方の方が、日本経済全体にとって悪影響を及ぼしているのである。

池田は、その後のエントリでも湯浅誠の『反貧困』を取り上げ、「旧態依然たる格差社会論」にすぎないとこき下ろしているが、池田に根本的に欠けているのは、現代の格差社会がもたらした貧困をいかにしたら救えるかという人道主義的な思いである。血の通った人間の思いがなければ、『反貧困』を理解することもできないということを、池田は自ら白状しているようなものだ。
池田信夫のような人間には、ぜひとも派遣切りに遭って職と住居を一気に失った人々の声を直に聞いてもらいたいものだ。
そして、池田なりに彼らのために何ができるのかを考えてもらいたいものだ。

くだらない批判だけは、もうたくさんだ。

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イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への侵略はその後も続き、地上軍の侵攻に加えて国際的にその使用の規制が論じられているクラスター爆弾が使用されているとの情報もある。
こうした攻撃により、ガザ地区では600人近い民間人の死者が出ており、その中には160以上の子どもがふくまれているという。

1月4日に上げたエントリでは、こうしたイスラエルの一方的とも言える侵略行為がかつてナチスがユダヤ人たちに対して行ったジェノサイドに等しいものであるとし、今後も批判の声を上げることの重要性を唱えた。
現在、イスラエルにはフランスのサルコジ大統領が停戦仲介のために訪れているが、ペレ巣大統領、オルメルト首相と相次いで会談したものの、説得は不調に終わった模様だ。

狭い地域に150万人もの人々を閉じこめて長期にわたり糧道を断ったうえ、空爆と地上侵攻するイスラエルの行為は決して許されるべきではない。
この点については同じ思いを抱く方が多いと思うのだが、なかには「イスラエルにも空爆を」という意見も出るなど、日本人の間にも苛立ちに近い思いが広がっている。

しかし、どんなことがあっても戦争が起きれば必ず無辜の民間人が巻き込まれるのは避けられない。日本人までが急進的になって「イスラエルにも空爆を」とは、やはり言い過ぎだと見るしかない。

実際、先日のエントリに対してはホタルさんという方から貴重な情報が寄せられている。

それは、イスラエル国内でも政府と軍部の暴力行為に対する反対運動が起きているというものだ。
以下は、いただいたコメントのコピーだ。

  一つ、あまり報道されない事実は、政府の強攻策に反対するイスラエル市民が沢山いるということです。毎回の選挙の結果が左・右ぎりぎりで拮抗していることからも、国民のほぼ半数は戦争反対と言えます。私はイスラエル滞在暦が長かったことから、その空気をよく知っています。また、市民の平和団体も多数あって、アラブ人イスラエル人が協力して活動しています。
(中略)
約1万人が攻撃反対デモに参加している。日本でさえ1万人のデモはそう無いでしょう。

ここまで市民が反対しているのに、政府は非道な行為を強行する。国際社会が動いても容易には説得されないでしょう。


残念ながらホタルさんが紹介してくれたサイトを開くことはできなかったが、私も調べてみようと思い、検索してみると次のようなものがみつかった。
記事のタイトルは「イスラエル国内でガザ侵攻に反対して10万人以上がデモ」である。
この記事によると、年末から年始にかけて中東・ヨーロッパ・アジア・アメリカなど全世界で約100万人の労働者・学生・市民がイスラエル弾劾とガザ連帯の集会・デモ行動に決起している。そしてきわめて重要なこととして、イスラエル国内でもパレスチナ人とユダヤ人がともに手を組んで決起し始めているという。1月3日には、テルアビブで1万5000人が参加したデモが行われ、パレスチナ人の多い北部のサクニンでは10万人以上が参加した巨大なデモが闘われた。
テルアビブでは、「ユダヤ人とアラブ人は敵同士であることをやめよう!」「ユダヤ人とアラブ人は人種差別・民族差別に対して闘おう!」「平和なくして安全なし。資本の支配を解体しよう!」といったスローガンが多く掲げられた。

日本ではなぜかほとんど報道されない事実だが、この背景には今行われている侵略行為が、アメリカの支援を受けているという要因が良心あるイスラエル、パレスチナ双方の人々を動かしたと見るのが妥当だろう。
こうした反戦運動が行われていることひとつをとってみても、「イスラエルにも空爆を」などとは決して言ってはならないことだと思う。

自国に対して強硬な態度を取る組織がたまたま第一党に選ばれたからというだけで、圧倒的な武力を行使して他国に攻め込むというのは、どんな国にも許されないことだ。
これを容認しているアメリカは、今後、イスラエル政府同様に国際的な非難を受けるべきだろう。
バラク・オバマは自国の経済対策を行う前に、イスラエル問題対策に追われるかもしれない。

ガザ地区では、今この瞬間にも侵略が進められ、多くの人々が血を流し、命を奪われている。
われわれはそのことを決して忘れることなく、この無法行為に反対する全世界の人々と一緒に、反対の声を上げ続けていかねばならないと、あらためて思う次第である。

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語るも忌々しいが、日本の司会者の中で忙しさナンバー1を誇るみのもんたは自分の番組で年越し派遣村に集まった人々のことに触れ、ハローワークから聞いたという話で「職の求人はけっこうたくさんある、と。だけど『アレがいい、コレがいい』となると、なかなか決まらない面もある」と言い、出演者から「この深刻な状況は、社会全体、国の責任で発生したこと。どんなにお金を使っても、全国民の権利である最低限度の生活を保障すべきだ」とたしなめられた。
しかし、なおも納得できないみのは、「どうなんでしょう? もちろん政府は努力すべきだけど、派遣を切られた、職がないといった方たちも努力しないといけないでしょうね。権利だけ主張して『住居を、食べ物を』と言うけれど、仕事があるなら(気に入らなくても)とりあえず仕事をしたらどうなのかと思うことがある」と反論した。(テレビウォッチより)

また、坂本哲志総務大臣政務次官は、総務省の仕事始め式で、やはり「年越し派遣村」について触れ、「ほんとうに真面目に働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」と述べ、派遣村の活動について「40年前の学生紛争の時に、『学内を開放しろ』『学長出てこい』(などと学生らが要求した)、そういう戦略のようなものが垣間見える気がした」と続けた。(時事通信より)

大晦日から元旦の朝にかけて放送されたテレビ朝日の「朝まで生テレビ」では、内需を掘り起こす必要が語られ、その一つの案として農業政策の見直しが語られた。そのなかで、減反政策で現在休耕田になっている田んぼを使えるようにしたら、農業で雇用創出できるという話になり、司会の田原総一朗は派遣切りされた人々は百姓仕事をやったらいい、と言った。

みなそれぞれ勝手な立場から勝手なことを言っているが、要するに彼らに共通する認識は、心のどこかに派遣切りされて日比谷公園に集まってきた人々は仕事をする努力、あるいは仕事を見つけようとする努力に欠けていて、生活に行き詰まると人からの施しを受けたがる、しょうもない人間だということだ。ネットでも心ない連中が、税金を使って路頭に迷った人々を救おうということに激しい抵抗感を示している書き込みをしている。

職を失い、同時に住む家さえ無くした人がどんな気持ちでこの年の瀬と正月を迎えたのか。彼らが抱える不安がどれほどのものなのか、彼らに対して厳しい言葉を投げつける人間には想像力が絶望的に欠けている。
仕事を失い、手持ちの金もゼロに等しく、行く当てのない人間ならば、どんな仕事でもやろうと思っていることだろう。しかし実際にはハローワークに行って求人情報を探してみても条件面で一致するものがそう多くあるとは限らず、また実際に面接をしてみるとあらかじめ書かれていた条件とは違うことを言われることがままあるのだ。
どんな仕事でもとりあえずやっていこうとは思っても、彼らは派遣切りという非人間的な扱いを受けて深い痛手を被っている。できることならば、この次につく仕事は年金受給年齢ちかくまで続けたいと思うだろう。安定して安心して働ける仕事に就きたいと思うだろう。
それがわがままだとか、権利ばかりを主張しているとしか思えないとすれば、みのもんたや坂本哲志はよほどの冷血漢といっていいのではないか。

それは、仕事が欲しければ百姓でもやればと言い放った田原総一朗にしても同じである。
百姓仕事は誰でも簡単にできる仕事ではない。体力も必要ならば専門知識も必要だ。よしんば国が職業訓練する期間を与えるとしても、田畑を耕し、生活に必要な収穫を得るようになるまでは相当な時間がかかるだろう。仕事が必要ならば百姓でもやればいいとは、いかにも田原総一朗らしく無慈悲で思いやりのない言葉である。

一連の言葉を見聞きして思うのは、これらのいわゆる「勝ち組」に属する人間たちは、どうして痛めつけられた側の人々ばかりに冷たくあたるのだろうと言うことだ。
下手をすれば餓死したり凍死しかねない状況に追いやられると言うことは、尋常では簡単にあり得る話ではない。それが、政府の発表だけでもこの春までに8万5000人もの人々が職を失い、あるいは住居を追われる見込みだというのだ。
いちばん責められるべきは、このような事態に国民を追い込んだ政府の無策ぶりであり、空前の内部留保もちながら冷酷に労働者の首を切った企業の側ではないか。

昨日、日比谷公園の「年越し派遣村」が解散した後、元派遣労働者たちは国会前をデモ行進した。
議事堂の前では国会議員たちが彼らを見守り、共産党の志位和夫らに対しては「なんとか国会で労働者派遣法を改正してほしい」と訴えていたが、公明党の議員たちに対しては何人かの元派遣労働者がつかみかかり、「こうなったのはお前らのせいだ!」と怒りをぶちまけていた。
彼らが怒るのは当然である。
彼らがこのように辛い思いをしているのは、自公政権の責任なのだから。彼らが被った被害は、明らかに人災なのだから。

自己責任論者」たちは何かにつけて、今もなお派遣になるような奴は努力が足りないと言い、彼らには本当は働く気がないという。
しかし、ほんとうに生きることに対して努力せず、働く意志を持たないならば、彼らはとっくに犯罪を犯しているだろう。
大阪ではタクシー運転手が襲われる事件が連続して起きており、東京ではホームレスを続けざまに襲っていた男が逮捕された。
働く気がない人間はこうして犯罪を犯すのだ。
しかし、日比谷に集まった人々は、自分が情けないと思い、このままでは野垂れ死にするか自殺するしかないと思い詰めていた人々なのだ。実際に、自殺しかけて死にきれず、たまたまそばに落ちていた新聞に派遣村の記事があって日比谷に来たという男性もいた。
働きたくても職を奪われた人々は、「自己責任論者」に責められる前に自分で自分を責めているのだ。そういう人々をどうして責めることができるだろうか。
彼らを税金で救ってやるのはもったいないと言い張る者があるが、そんなに税金がもったいないのなら、内部留保を抱えたまま首を切った企業に請求してやればいいではないか。
人をモノのように扱うことが、結局は高くつくのだということを思い知らせてやればいい。

みのもんたも坂本哲志も田原総一朗も、どれだけ収入があるかは知らないが、生活が安定しているのだけは確かだろう。自分は高見から見物しながら、仕事が欲しかったら好き嫌いをいうななど言う前に、少しは収入の一部を寄付でもしてやったらどうなのだ。社会貢献を何らせず、責任論を偉そうに説くこれらの男たちが、私には内部留保を貯め込みながら労働者の首を切る大企業のトップにだぶって見えてくるのである。


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女性や子どもをふくむ数百人の犠牲者を出しながら、イスラエルはいまだに空爆を止めず、さらには地上軍を侵攻させて本格的なパレスチナ侵略を始めた。
イスラエル側の口実はただ一つ、「自国南部の安全を確保するため」。
しかし実際にはイスラエル南部をロケット砲で攻撃していないパレスチナ西岸地区までイスラエルの空爆がおよんでいる。
今後、本格的な地上軍の攻撃が始まれば、ガザ地区に閉じ込められている150万人もの人々が命の危険にさらされる。
イスラエルはこれまで2年間もガザ地区を封鎖し、物資の搬入や薬剤の供給さえ禁止してきた。周囲をイスラエルに取り囲まれたガザ地区に住む人々は、逃げ出そうにも出国できず、次第に食糧が尽きて危機的状況にあった。そこに空爆を加えられて、今では電気の供給もままならない状態にある。

イスラエルはハマスを壊滅するまでは攻撃をゆるめないつもりのようだ。
日本ではハマスというとイスラム原理主義組織あるいはイスラム過激派組織などと表記されるが、彼らは2年前に民主的な選挙によって選ばれた政党であり、パレスチナ人民の支持を集めた人々なのだ。
それを過激組織だとして一方的に攻撃しているのはイスラエルであり、世界はこのイスラエルの蛮行をなぜか黙認している。

国連安保理は即自艇停船を求める議長声明採択を、アラブ諸国を代表してリビアが求めたが、アメリカが反対したために物別れに終わっている。

今、世界から見ればいかにもちっぽけなパレスチナという地区の一区画に150万人もの人間が押し込められ、逃げ出すこともできないままにイスラエルからの無法な攻撃を受けている。

これはイスラエルによる明らかな侵略行為であり、武器を持たない一般市民をも巻き込んだ大量虐殺である。

この国家による犯罪行為に対して、なぜか世界の反応は冷ややかだ。EU代表団が停戦調停に乗り出したりはしているが、イスラエルを非難し、非人道的行為を即刻止めるように強く求める声は聞こえてこない。日本の麻生太郎首相は、パレスチナのアッバス議長と電話会談し、早期停戦への努力を要請したようだが、麻生がやるべきことはアッバスではなくイスラエルのリブニ外相を説き伏せ、首相のオルメルトを説得して非道を止めるよう説得することだった。
あるいはアメリカに働きかけて国連の停戦議場声明案に反対しないようにするべきだった。

この戦争はイスラエルによって一方的に行われている殺戮行為であり、武器も物資も十分でないパレスチナの側に停戦を呼びかけるのは見当違いというものだろう。

今、この時間にも侵略と虐殺を行っているイスラエルに対して、なぜ世界は声を上げないのか。
パレスチナという国を公然と地図から消し去ろうとしている悪事に対して、黙認を続けるのは何故か。
今、イスラエルがやっている行為は、ナチスがユダヤ人に対して行った行為に匹敵する野蛮な行為である。

それに対して、止めろと声を上げずにいることは「悪」である。
罪のない人々が殺されていくのを黙って見過ごすのは、人殺しに荷担しているようなものである。

アメリカでは変革を訴え、世界の協調を訴えたバラク・オバマが次期大統領に決まっているが、オバマはこの野蛮な行為に対して何も声を発していない。
偉そうに変革を訴えていたときの勢いはどこに行ったのか。
もちろん、イスラエルの行為の裏にはアメリカの協力があるからオバマは何も言えないのかもしれない。
それでも、側近を通して「この次期は大統領が二人いるべきではない」と言ったというのはいかにも逃げ腰で卑怯で、およそ次のリーダーにふさわしいとは言えない態度だったのではないか。

今、必要なのは、世界中が声を上げることだ。
イスラエルが行っている非道な行為に対して「No」を突きつけなければならない。

黙っていることは悪である。

小さくてもいい、一人ひとりが声を上げるべき時である。

戦争に反対。人殺しを止めろ。
他国を侵略するのを止めろ。

この声をイスラエル人たちの耳に届かせることが必要だ。

■追記
NYの独立放送局デモクラシー・ナウ!で12月29日に放送された、イスラエルのガザ攻撃をめぐるディスカッションを字幕つきでストリーミングしています。
http://democracynow.jp/subomov/20081229-1
日本では報道されない事実を是非知っていただきたい。

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昨年暮れから東京の日比谷公園では年越し派遣村実行委員会の手により、炊き出しを行うと同時にテントを提供して住居を失った人々のために寝場所を用意していた。
当初の予想では150人程度の受け入れを想定し、50ほどのテントを用意していたが、実際には31日からの3日間で300人を超える人が集まったため、炊き出し用のコンロやテントが不足する事態となってしまった。

日比谷公園の様子を映し出したニュースの画面を見て、まず思い出したのは大震災直後の映像だ。古くは阪神淡路大震災、近くは新潟中越沖地震、岩手・宮城内陸地震。
災害によって家屋も仕事も失った人々が、食事を求めて、寝場所を求めて、列を作っていたあの光景。小学校の体育館などに雑魚寝して、日に日に疲れを蓄積させながら、それでも雨露がしのげるだけでもありがたいと言っていた人々。
国や自治体は非常事態宣言をして、被災者たちの救援にあたるとともに、住居を失った人々のために仮設住宅を造って順次移住させていった。

今回の、企業による未曾有の派遣切りもまた、日本人がかつて経験した災害と同じ光景を生み出している。違うのは、被災者たちが避けることの出来ない天災にあったか、経営者たちの都合によって被害にあったかという点だ。

政府の発表では、当初、派遣切りで職を失うのは約3万人といっていたが、その数字は早々に8万5000人へと修正された。しかし、実際にはその3倍の20万人以上が「被害」に遭っているとも言われている。派遣村で予想していた受け入れ人数の倍の人々が、温かい食事と体を横たえる場所を求めてきたことからも、事態が深刻であることは想像がつく。
これに対して厚労省は昨日になってようやく重い腰を上げ、講演に隣接する同省の講堂を開放することに決めた。また、東京都中央区も、旧小学校講堂の「京華スクエア」などの2カ所の施設を5日から一週間程度開放することを決めた。

もし、こうした処置が執られなければ、おそらくは職も住居も失った人々の凍死者が出たことだろう。
繰り返すが、これは企業と派遣業者によって起こされた、大規模な災害である。
国と自治体は、被害にあった人々を救うために、迅速な救済措置を執る必要がある。それは食料や寝場所の提供だけにとどまらず、住居の斡旋や仕事の紹介、あるいは生活保護の申請に協力することまでをふくむ。今はほとんどがボランティアの手によって行われているが、災害があった場合にはやはり国や自治体が中心となって活動をすることが必要だ。

こうした救援活動をするについては、思いやりの心と想像力を持たない人間の間から、必ずや税金の無駄遣いだとか、自己責任なのだから仕方がないといった言説が出てくる。
しかし、放っておけば死者が出る可能性がある事態で自己責任を説いてどうなるというのだ。
真面目に働いていたのに、経営が悪化したという一方的な理由を押しつけられ、仕事を奪われ、住居からも退去を求められた人々は、困り果て、皆傷ついている。
彼らに温かい手をさしのべることがどうしていけないといえるだろうか。

もうひとつ、税金の無駄遣いという話については、私にも思うところがある。
たしかに今回の災害は、同じ災害で被害者を出しているとは言え、原因は企業の無責任な雇用体制にある。人をモノとしか扱わないシステムが生み出したもので、トヨタやキヤノンをはじめとする大企業の多くには巨額な内部留保が眠っている。
ならば、国や自治体は仮設住宅などできるだけの援助を被災者に対して行い、それに要した対価を派遣切りした企業や派遣会社に請求すればいいではないか。
そして、自分たちが首を切った人々が、ふたたび安心して働き、安定した生活が出来るまでの保障を義務づければいい。

国や自治体は、一刻も早く本格的な救援に乗り出し、路頭に迷おうとする人々を救わなければならない。人生に絶望しかけている彼らに生きていく希望を与えなければならない。
それが政治というものではないのか。

今年は、これまで財界の思惑通りに社会大系が作られてきたことを反省し、人間主体の社会システムを再構築することが大きなテーマとなるだろう。

まずは派遣切りに遭った人々を救うこと。
そして、そのつけは企業に請求すること。

これはボランティアだけに任せることではなく、国が総力を挙げて取り組むべき事柄である。

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昨日の夜、NHKで「激論2009 世界はどこへ そして日本は」というスペシャル番組をやっていた。

前日の夜中、つまり元日の夜中にはテレビ朝日が「朝まで生テレビ」で「崖っぷちニッポン 脱・貧困ドーする?! 経済・雇用危機」を放送していたが、例によって出演する国会議員ら(大村秀章、高木陽介、それに哲学者の小川仁志)のマナーが悪く、人の話を遮って自説を押し通す悪癖の応酬が続いて辟易させられた。せっかく湯浅誠や河添誠らの話が聞けると思っていたのに、司会の田原総一朗はあまり話をさせようとせず、社会保障と雇用のセーフティネットが必要だという一応の結論点まで達したところで「しかし、昔の日本には倫理観というものがあって、働かないのは恥ずかしいことだという気持ちを持ったものだ」と言い出してそれまでの議論をひっくり返して見せたのには苦笑せざるを得なかった。

田原総一朗の耄碌ぶりが目についた。彼はもはや、人の話について行くこともできなくなっている。それでいて、社会保障の財源はまず金持ちから税金として徴収すべきだという話が出ると、高額所得者であろう田原はムキになって「そんなことではこの問題は絶対に解決しないんだよ」と言うあたりがいかにも醜く、田原のゼニへの執着をうかがわせていた。

どう見ても品が悪かった「朝まで生テレビ」に比べると、NHKの番組は「新春ガチンコトーク」などと銘打っているわりには皆、お行儀がよく、それはそれで物足りなさを感じないわけにはいかなかった。
出演したのは小泉改革を推し進めてきた最大の戦犯、竹中平蔵と八代尚宏、岡本行夫、社会民主主義的立場を取る側から金子勝、山口二郎、斎藤貴男。そして政治的にはどっちつかずの立場を取る勝間和代。

私としては竹中平蔵金子勝、山口二郎らがどれだけまともにぶつかり合うのかが楽しみだったのだが、番組自体が2時間の中に「経済問題」と「外交問題」「グローバル化」という3つの柱を設けているためにいずれも話が深まることがなく、欲求不満が残る内容になってしまったのが残念だった。

しかし見ていて思ったのは、竹中平蔵の饒舌ぶりだ。
金子勝が最初に「ブッシュ=小泉型改革からの脱却」を挙げ、市場原理主義にもとづくこれまでの改革が結局は破綻して現在の経済危機が起こったのを、まず反省することが必要だと言ったのに対して、竹中平蔵は例によってヘラヘラした顔で、現象に対してすぐに「原理主義」などというレッテルを貼るのは悪い癖だと茶化し、今見舞われている金融危機なども自分が唱えている改革が中途半端な形で止まってしまった結果なのだと主張、金子の言うように原因を探って犯人捜しをするような真似をするよりもこれからどうするかを考えることの方が重要だと切って返す。
竹中は自分に都合の悪い部分は巧妙に「そこは直すべき部分だ」と言い逃れながら、これまでの反省などは微塵も見せる様子がない。

番組全体がこのような調子で、金子や山口が格差をなくし国民が安心して暮らせるような社会を作る必要があると訴えれば、竹中と八代はそのためにこそ改革がさらに推し進めなければならないという論調でやり返す。その連続だった。
見ていると、考えながら話をする金子勝とやや訥弁な山口二郎に対して竹中はペラペラとよくしゃべるので、どうしても優勢なのは竹中側に思えてくるのがもどかしい。

派遣切りがある一方で、企業には空前とも言うべき社内留保があるという問題についてもそうで、金子はこうした事実を反省する必要があると言うと、竹中は非正規雇用は正規雇用を厚く待遇しすぎてきた結果出てきた制度であり、改革のシステムが悪いというのは間違いだと言い返す。
これにはさすがに、斎藤貴男がむっとした口調で「構造改革が理想として求めてきた形の結果がこの事態であり、そう言う主張をするのは狡いのではないか」とやり返す場面もあった。
わずかでも溜飲が下がったのはこの部分くらいだった。

とにかく竹中はヘラヘラペラペラ良く喋る。
金子勝があらためて市場原理主義の弊害を言うと「まだあんなこと言ってる」と小声で司会者に囁く。
竹中は積極的にマスコミに顔を出してきたが、その経験はこうしたチャチャの入れ方にも役立っているのだろう。
そうして人を舐めた態度を取っておきながら「これから必要なのは法人税をさらに引き下げることだ」という自説だけは言うことを忘れない。これに対してNHKは、金子には「そんなのは反対ですよ」とつぶやく機会しか与えなかった。
全体に中立を装いながら、NHKは巧妙に竹中組の肩を持っていた印象が拭えない。
番組が終わってみると、竹中が言ったサッチャーの言葉の引用だけが妙に印象に残るのだ。
「金持ちを貧乏にしても貧乏人が金持ちになるわけではない」
そして竹中は「必要なのは貧困を救うことなのです」とつけ加えた。

しかし竹中の言うことはもっともなように聞こえながら欺瞞に満ちている。
なぜなら、税制というものは社会全体が持ちつ持たれつの関係を築きながらよりよいものにしていくことを目的にしているのだから、大きく儲けている企業や富裕層からはその分多く徴収するのは当然の話である。竹中や八代は法人税を引き下げれなければ優良企業はみな海外に逃げ出すと脅すが、優れた技術力、人材、治安などの面で日本はまだまだ海外に劣っているとは考えにくい。
おそらく金子勝にしても山口二郎にしても、竹中に対してはもっと言ってやりたいことがあったはずだが、NHKは時間を仕切ることでそれを避けていた。結果として竹中らの主張の方が現実的で理に適っているかのような印象を与えてしまっている。

今年はNHKの報道や番組製作の在り方にも注意していかなければならないと思わせた元日の番組であった。

関連タグ : 田原総一朗, NHK, 竹中平蔵, 金子勝,

昨年中は、拙い文章におつきあいいただき、ありがとうございました。
年があらたまったとはいえ、時間のつながりから言えば今年もまた多くの苦難が待ちかまえているように思うのが、多くの人々の実感なのではないだろうか。
景気の悪化、雇用の不安、迷走を続ける政府自民党。
どこを見回しても明るい材料はない。

けれども今年は総選挙がある。
われわれ国民の意思を直接政治に反映させるための貴重な機会が訪れる。
願わくは政権交代により、社会民主主義的な政府ができますように。
国民が安心と希望を持って生きていける社会が実現しますように。

今年もまたプリプリ怒ってばかりのブログになるかもしれないけれど、ひとつ堪えて、よろしくおつきあいください。

皆様、今年もよろしくお願いします。

ooaminosora

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