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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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せっかく一年間ブログを書いてきたのだから、最後に総括の意味をふくめて今年の10大事件でも私なりに取り上げ、まとめておきたいと思っていた。

けれども、ここ数日、例の鬱のせいなのか、体調の好不調の波が激しく、調子が悪いときは集中して文章を書くのも辛いので書くことが出来なかった。集中力も低下するので、納得できない文章のままブログを更新することもあったことを白状しておきたい。って、必ずしも調子がよければいい文章を書いていたと言いたいわけではないのだが。

実は今日もなんとなく調子が思わしくなく、大晦日にブログを更新せずにおくのは残念な気もしたのだが、休む方を優先しようと思っていた。
しかし、つらつらと他ブログを読んでいるうちにちょっとばかり私の中で変化が起きた。
調子がよくなったというわけではない。

テサロニケ大先生による「世に倦む日々」は、しばしば拝見するブログである。
鋭い政治・社会批評は無知な私にとって勉強になることも多く、ときには胸打たれる思いをすることもある。
昨日アップされた「2008年の10大ニュース」というエントリも、途中までは感心しながら読んでいた。
このエントリで第一位として取り上げているのは秋葉原の殺傷事件でも株価の暴落でもなく、4月1日に起きた八戸の小4児童殺害事件である。全国小中学校作文コンクールで文部科学大臣奨励賞を受賞するほどの文才に長けた感受性豊かな男の子が実の母親に首を絞められて殺された事件だ。

もう遠い事件のように思われるが、この事件を筆頭にして大先生が泥沼のようだったこの1年からずるずると引き上げて見せたのは、2月11日に起きた足立区の一家無理心中事件、1月29日に起きた藤沢の母子無理心中事件、そして1月28日に起きた仙台の一家無理心中事件と続く。
この中には私自身も取り上げた事件があるし、いずれも今年の世相、昨今の日本社会が生み出した歪みを端的に表したものとして鮮やかに記憶がよみがえる。

ただ、ここまできて私にはどうしてもひっかかり、看過できない文章が現れた。
それは鬱病に関するテサロニケ氏の見解である。以下に引用する。
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足立区の父親と仙台の父親は年齢が同じ世代で、やはり、何事かを考えさせられる。この世代は基本的に精神が弱い。ネットを見ていて、この世代の男と思しきあたりで、「鬱病のようです」とか、「鬱がまた再発しました」という話をBLOGで書く者を頻繁に見るようになった。メンタルヘルスに不具合を負った50 男を屡々見かける。この世代は、日本が高度成長のときに少年時代を送り、何不自由なくぬくぬくと育ったため、社会環境が激変して生き難い時代になると、途端に適応障害を起こして精神を蹲らせる特徴がある。この上の世代、団塊の世代は、戦後のモノの無い時代に育ち、ひもじい少年時代を送っていて、人口の多い同世代の間でガツガツと競争して他人を蹴落とし、自分だけ強引に生き伸びる術を知っている。大学紛争で暴力を振るいまくって平然としているのもこの世代だ。その下の世代、現在50歳前後の世代というのは、ひ弱で、時代と周囲に甘やかされて生きてきた。
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テサロニケ氏がいう「この世代」とは、足立区の無理心中事件を起こした父親(52歳)と仙台の無理心中事件を起こした父親(53歳)が属する世代で、幸か不幸か私はそれよりも少し年下だとはいえほぼ同世代で、しかも鬱病を患っている。つまり、テサロニケ氏が上記の文章で語っている世代論と鬱病に関する記述はそっくりそのまま私自身にもあてはまることになる。
たしかに私自身、ブログを始めた当初から自分が「鬱」であることを白状していたし、しばしば「鬱のために体調が悪い」と書いてきた。
大先生から見れば、甘やかされて育ってきたわれわれの世代はひ弱で、社会状況が少し厳しくなると適応できずに精神を病むということで、まことにダラシナイ、頼りなく見るに堪えない存在に映るらしい。

しかし、この見方はあまりに病を患う者に対しての思いやりに欠けているのではないか。
日頃から社会的弱者を擁護し、現代の貧困を憂えて見せる大先生が、鬱病に対してだけ「甘やかされて育ってきたから」だと世代論に置き換えて原因を断定するのはあまりに乱暴というものではないのか。この言い方はまるで、「フリーターになるのは甘えているからだ」と言った、どこかの経営者と変わらないではないか。

誰が好きこのんで鬱病になどなりたいものか。
それは他のどんな病気とも同じである。
誰だってガンになどなりたくはないし、脳梗塞など起こしたくはないし、狭心症で胸をかきむしったりしたくはない。
しかし、そうなるのは甘えて育てられたからだと言う者がいたら、そいつはとんでもない思い違いをしている馬鹿者だと思われるだろう。思われるだけではすまず、徹底的に非難されるだろう。テサロニケ大先生は、鬱病者に対して、徹底的に非難されても仕方がない誤謬を犯しているのではないか。
「鬱病は心の風邪のようなもの」などという、一部の無責任な専門家の言葉を真に受けて安易に考えているのではないか。
病の辛さ、苦しさは、病にかかった者にしか分からないとはいうが、他人の言葉を鵜呑みにして鞭打つような言葉を吐くのは、人間としてあまりに思いやりがなく、想像力が欠けているのではないか。
「鬱病」が心の風邪のようなものだとしたら、4年も5年も風邪をひいた状態を考えてみるがいい。いつ治るかも分からず、延々と一人でうち沈み、起き上がる気力さえ振り絞らなければならず、そんな自分が許せずに死ぬことを考える状態が続くことを想像してみるがいい。

テサロニケ氏のブログは評判が高く、毎日数万のアクセスがあると聞く。
その論評の質は高く、今や大新聞の社説も寄せつけないほどだと自負しているほどだ。
しかし、どんなに世評が高く多くの人が感心をするとしても、「世に倦む日々」は時に人を傷つけることに容赦がない点において、私はまったくこのブログを評価しない。
近々、かのブログは購読料を取って記事を配信するようだが、人を傷つける傲慢な記事が配信されたとして、いったい日本全国の何パーセントの人間が満足するだろうか。

私は決して認めない。

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関連タグ : テサロニケ, 鬱病,

パレスチナ自治区のガザ地区では、イスラエル軍による空爆が今日も続き、死者はAP通信の発表によれば29日夜までに364人に達しているという。
しかしこの数は、実際にはもっと多く、しかも子どもをふくむ民間人が多く犠牲になっているものと思われる。
「思われる」などと書かざるを得ないのは、日本で発表される情報がほとんどイスラエル側からの発表であるためで、予備知識を何も持たずに日本の報道を見ていれば、そもそも停戦協定中にロケット弾による砲撃を始めたパレスチナ側が悪いということになってしまう。しかも砲撃を行っているのはハマスというテロ組織で、イスラエルはテロ組織を壊滅するという大義名分と停戦協定を破ったことに対する正当な反撃を行っているかのように見える。

しかしパレスチナイスラエルの歴史を知れば、イスラエルが今行っていることは間違いなくジェノサイド(大量虐殺)であり、明らかに戦力において優位に立ち、地勢的にもパレスチナを取り囲むように支配地域を持つイスラエルが、理不尽にパレスチナ人民を根絶やしにしようとしていることに他ならない。イスラエルは聖地エルサレムのあるパレスチナを自国のものにしたくて仕方がない。それは歴史が明らかにしている事実だ。彼らにとってパレスチナに住むアラブ人たちは邪魔者以外の何者でもなく、わずかな面積にひしめき合って暮らしている彼らは虫けら同然のように考えているのだろう。
そうでなければ、今彼らがやっていることの説明がつかない。

世界はイスラエルがやっている蛮行を即座に止めるよう働きかけなければならないはずだ。
しかし、世界中にコミュニティを作り、有力者を多く持っているユダヤ人たちはそれを許さない。本来ならば影響力を持っているアメリカが何らかの働きかけをするべきときだが、ブッシュはもちろんのこと、次期大統領のオバマも沈黙したままだ。
このままでは最悪の場合、パレスチナ側に立つ周辺アラブ諸国が立ち上がり、大規模な中東戦争へと発展する恐れがあるというのに、なぜアメリカは黙っているのだろう。
こういうとき、日本政府が立ち上がり、めざましい働きをしてくれれば内閣支持率も少しは上がりそうなものだが、例によってアメリカのご機嫌伺いをしている我らが政府は、中曽根外相がイスラエル外相に電話をかけ、憂慮の念を伝えたにとどまる。
麻生太郎はさっさと冬休みを取ってしまったらしいし、まったくこの国の政府はどこまでいっても頼りなく、ふがいない存在であるのが情けない。

パレスチナでは今日も理不尽な空爆が続けられ、多くの血が流されているが、日本もまた企業による理不尽な人権侵害という爆弾が炸裂し、多くの被害者が出ている。
政府は年末になってもハローワークを開くなど、対策に乗り出しているかに見えるが、職を無くし住み家を奪われた人々は後を絶たない。
国際的にはアメリカに追従し、国内では財界に追従している政府は、ここでも抜本的な解決ができずにいるのだ。
日本では、見えない爆弾が降り注いでいる。
手足をもぎ取られ、内臓を飛び散らせる後継はないけれど、希望を奪われ、不安と貧困のなかで人間としての自尊心を木っ端微塵に打ち砕かれている人々がうち重なるように寒空に曝されている。

昨日、NHKをはじめとするマスコミは、新幹線のシステム障害によるダイヤの乱れを第一番のニュースとして扱っていたが、毎日のように人が死に、人の未来が奪われている現状を伝えるのが本来のあり方だろう。イスラエルの無法を糾弾し、日本の企業による理不尽な派遣切りを非難し続けるのが報道の役目というものではないのか。

今年も残すところあと1日となってしまったが、来年もまた、世界で行われている非道に対して怒りを表明し、日本では一向になくならない社会格差の是正を訴え続けていかなければと思っている。人には人として生きる権利がある。人には希望尊厳を持って生きる権利がある。
そのことをこれからも、忘れずにいきたいと考えている。

関連タグ : イスラエル, パレスチナ, 希望, 尊厳,

実をいうともう一周年記念にすべき日は過ぎてしまったのだが、この「フンニャロメ日記」を立ち上げたのが昨年の23日だった。
なんだかあっという間の1年だったという気がするが、私がなぜブログを始めようと考えたかと思えば、1年前にもこの社会が閉塞感に満ち、生き難さを感じざるを得ない、まったくもって忌々しい気持ちがあったからで、1年が過ぎた今、その気持ちがどうなったかというと、少しでも和らぐどころか、ますます忌々しさが募っている状態だ。

一年前にも、世の中ではクリスマスが終わり、正月の支度が始まっているのに、私の中では一向にそうした気持ちが盛り上がらないことを書いている。
それは今年も同じで、職を奪われた多くの人が寒空の下に放り出されている現状を見て、何がクリスマスだ、何が正月だという気持ちが強い。今日の毎日新聞の社説では、派遣切りをして人員調整している企業は社会的責任を果たすべく考え直さなければならないと訴えていた。10月から来年3月に失職する非正規雇用者は8万5000人を超え、前回調査から1ヵ月も経たないうちに2.8倍にも膨れあがっている。

こうした状況に対してNPO法人や労働団体が支援に動き出し、いくつかの自治体では臨時職員を採用するなどの方策を打ち出している。
しかし、これらの支援だけでは追いつかないほどの失業者が毎日、企業からゴミのように排出されている。
収益を上げながら内部留保として貯め込み、就業者のために使おうとしない企業の在り方は、今後さらに非難されてしかるべきだろう。
たしかに、企業としては先行きの見えない経済状況で、少しでも体力を温存しておく必要はあるだろう。経済のグローバル化によって外国人株主が多くなった結果、国内の雇用を守るために収益を切り崩すのが難しくなっているという事情もあるだろう。

しかし、どんな事情があるとしても、これまでその企業のために尽くしてきた人々を切り捨てることで生き延びようとする考え方は到底受け入れられるものではない。
企業には雇用者としての責任があることを十分に反省してもらわなければならない。

また、政治に目を向ければ今国会は何事もなく終了し、雇用対策をふくむ法案の審議は新年5日から始まる通常国会からということになってしまった。政府与党はそれで十分、この事態に対応できると考えているようだが、政治家たちがのんびり構えている間に餓死者や凍死者が出たら、責任はどう取るつもりなのだろうか。麻生太郎が口をひん曲げて百万回頭を下げたところで、許されるものではない。

今国会の最後に見せ場を作ったのは一人、渡辺喜美ということになるだろう。野党が提出した解散要求決議案に、自民党の中でただ一人賛成の起立をして今やヒーロー扱いだ。
しかし渡辺喜美という男はそれだけ目立つことをやっておきながら、結局自民党を離党するでもなく、「政界再編の必要がある」と言いながら自らは中川秀直との連携をにおわせるような発言をするばかりで実質何もやっていないのと同じだ。これでは単なる目立ちたがり屋と同じで、ヒーロー扱いなどする必要はないのだ。

渡辺は中川と仲がいいくらいなのだから政治的には小泉改革路線を主張する新自由主義者なのだが、今や日本でも新自由主義は人気が無くなってしまったので動くに動けないのだろう。渡辺としては民主党の新自由主義者たちと組んで政界再編をしたいと考えているところだろうが、今の民主党は渡辺などと組んで小党を組むよりも、解散総選挙で政権を取ることの方を優先しているだろうから相手にされない。
結局のところ、勇気を出して一人だけ解散要求に賛成して見せたものの、渡辺喜美程度の男にできるのはそこまでだったと思った方がいいだろう。渡辺と意気投合して「議員連合」を作った連中は、起立する度胸すらなかったわけで、国民からすれば期待値は限りなくゼロに近い。

渡辺喜美のつまらないパフォーマンスはあったものの、麻生内閣による政治の行き詰まりはこのまま年を越し、いつになったら宿便が出てすっきりするのかも分からない状態が続く。

一年前もパッとしない状況に変わりはなかったが、今年はそれに輪をかけてつまらない状況になっている。
振り返ってみれば今年もいろいろなことがあったけれど、国民にとっては希望が薄く、楽しみが少ない状況がずっと続いているわけで、この状態は年が明けてもまだまだ続くと見た方がいいだろう。
せめて政権交代が実現して、新自由主義のためにガタガタになった日本社会が少しずつにしろ修復される様子が見られるようになれば希望も見えてくるだろうが、今のところはまったく何も見えてこない。
つくづく忌々しい状態が続いているとしか言いようがないのである。

関連タグ : 企業の責任, 雇用対策, 渡辺喜美, 政界再編,

派遣労働者の派遣期間中の解雇を決めていたいすゞ自動車が24日、550人の雇用打ち切りを撤回することを決めた。この措置は、同社側の発表によれば「再就職先を見つけることが困難になっていることや、政府の雇用安定化への要請を受けて再検討したもの」としている。
しかし、契約期間中の雇用打ち切りは明らかに違法であり、これに反対して立ち上がった派遣社員は労働組合の交渉が大きな力になったことは明らかだ。

派遣切りや期間労働者の契約期間中の解雇については、派遣労働者と労働組合が力を合わせて、企業の雇用責任と社会的責任を追及する動きが広がっている。25日には東京・霞ヶ関の厚生労働省で共同アピールが行われ、「きみたち経営者失格!」とレッドカードを突きつけるパフォーマンスで問題を訴えた。(以上、毎日新聞より)

また、日弁連は24日、「派遣切り問題の解決には労働者派遣法の抜本的改正が必要」とする意見書を公表した。また、政府が示している社会保険庁から日本年金機構への移行に際しても、懲戒処分を受けた職員を不採用にする採用基準は法に抵触する疑いがあるとして見直しを求めた。

こうした動きが、ようやく活発に見られるようになってきた。
一方的に解雇を言い渡され、職を失うどころか住居をも失うという、残酷な仕打ちが繰り返し行われている中で、個別に声を上げていた派遣労働者たちの声がまとまりつつあるようで頼もしい。

もっとも、こうした労働者側の抵抗に対して、企業側の対応は鈍く、いすゞ自動車の対応はまだ例外的なものに見える。そして、このいすゞの雇用打ち切り撤回についても、労組側は「会社側の雇い続けないという姿勢が変わったわけではない」と厳しい見方をしている。

今後は、派遣労働者と労組組員がさらに力を合わせ、全国的な運動に盛り上げて行く必要があるだろう。そうして日弁連が訴えているように労働者派遣法の抜本的改正を政府に飲ませるまで持って行かねばならない。

派遣切り問題」は、今や間違いなく社会問題となっている。
そしてこれに対して少しずつではあるが、企業や派遣業者側も動かざるを得なくなってきている。大手請負会社の日研総業は24日、請負会社8社で計1100人超が解雇される大分キヤノンの解雇社員が結成した労働組合(組合員6人)と団体交渉し、組合員一人につき越年資金として5万円、計30万円を支払う方針を示した。その他、12月分給与の前倒し振り込みや寮費の当面無料化案も示し、組合側も了承したという。

こうした流れを見ていると思い出すのは、法外な利息を儲けて脅迫的な返済を迫り、自殺者まで出した貸し金業界がたどった道である。
年利30%近い金利がグレーゾーン金利として認められていたことから、これを悪用する業者が後を絶たず、金を返済できなくなると「内臓を売って返せ」とか「死んで保険金で返せ」といった暴力団のような取り立ての仕方をして債務者を追い詰めていった。
こうした業態が次々と白日の下にさらされていき、ついには2004年に「ヤミ金融対策法」が成立し、さらに2006年にはグレーゾーン金利廃止などの法改正が行われた。
これによって、表向きではあるにせよ、債務者を追い詰めるような取り立てはできなくなり、金利も法外なものは支払わなくてもいいことになった。
金貸しは江戸の昔から必要悪と言われていた業種のひとつだが、あこぎなことをして巨万の利益を上げる商法に規制がかかった意義は大きい。
今やかつての金融会社の多くは銀行系に取り込まれており、不況の折り、そのCMがなんとも小うるさく繰り返されるのが腹立たしいが、彼らは彼らで淘汰されているのである。「肝臓を売って金返せ」「目玉を売って返せ」とすごんだ日栄のような企業は、なりをひそめている(あくまで表向きだが)。

これを見れば、現代の口入れ屋ともいわれる「派遣業」も、早晩、法的規制を受けることは避けられないのではないだろうか。
すでにグッドウィルのような悪質な企業は廃業に追い込まれたが、日研総業のような大手はもちろんのこと、他の中小の口入れ屋どもも、派遣労働者の報酬から法外なピンハネをしたり寮費や光熱費を取り上げ、ギリギリの生活しか送れないようにするシステムは社会から否定されるようになるに違いない。
あこぎな商売をしてきた企業にはそれなりの制裁も加わるだろう。

その日が一日も早く訪れることを願うしかないが、とりあえずはこの年末年始をなんとか乗り越え、厳しい冬を生き延びられるよう、社会全体の支援が望まれるところだ。

それにしても麻生太郎。
のんびり通常国会で2次補正をやれば大丈夫なんて、のたまっているんじゃないよ。お前のケツにだって、今や火がついているのは明らかなのだからな。

関連タグ : 人材派遣業, 派遣切り, 口入れ屋,

世の中が不景気になると、明るいニュースを望む方が無理というものなのだろうか。
派遣労働者の首切りが社会問題になっている一方で、就職内定をもらった学生が、経営悪化を理由に内定を取り消されるケースが相次いでいる。
これについては内定を出した時点で雇用契約が成立しているのだから、勝手に内定を取り消す企業側に責任があると、法律の専門家たちは言っている。しかし、だからといってどれほどの企業が考えを改めて一度取り消した内定を復活させるだろうか。
おそらく法的手段に訴えれば、学生側が勝つだろうが、法廷闘争するには時間と労力、それに解決するまでの生活を維持する金が要る。結局、多くの学生があきらめて、新たな就職先を探し始めているというのが現状ではないだろうか。

こうした異常事態になっても、就職となると企業が新卒にこだわる理由はどこにあるのだろうか。私にはそのことが分からない。
今や日本の多くの企業には人材を育てるという土壌はなく、労働力は単なる消耗品として考えている。だから景気が悪くなれば簡単に社員の首を切る企業が相次いでいるのだろう。
それならば、なにも新卒社員にこだわらなくても、必要なときに社員を雇い入れ、是非はともかくとして必要なくなれば首にしていけばいいのである。そうでなければ、今多くの企業が行っている非人道的な行為にも筋が通らない。

内定取り消しを受けた学生も、企業がいつまでも新卒にこだわるから、下手に卒業してしまうよりも留年または大学院に行ってもう一度チャンスを狙おうと考える。これは仕方がないだろう。
だがここで、少しばかり心にひっかかる記事が目についた。

それは青山学院大学が、内定を取り消され、留年して就職活動する学生の授業料を大幅に減免する方針を打ち出したという記事だ。
内定を取り消された学生たちは、ほんらい単位不足など無く、卒業できるはずなのだが、卒業してしまっては企業が求める新卒者の枠に入れなくなるので籍だけを大学に残すのを許すことにしたというわけだ。

これは大学側の温情と見ることができる。
けれども、もう一方から考えると、その「温情」を受けるためにも授業料を支払わなければならないというのが腑に落ちない。学生たちはもはや授業を受けなくてもいいのであって、必要なのはあくまでも大学に在学しているという事実だけなのだ。
それなのに、いくら「大幅に減額する方針」とはいっても金を取るとはどういうことなのだろう。
これでは賭博で場代を徴収するヤクザと変わらないではないか。

青学でこの特別措置に該当する内定取り消し者は8人いるというが、彼らはどう思っているだろう。
恩情をかけるように見せながら、やることは案外セコイとしか思えないのではないか。

そして今日の毎日新聞には、来年2月に支給されると言われている定額給付金について、奈良県などの複数の自治体が税金滞納者への給付金を差し押さえることが可能かどうか、総務省に問い合わせているという記事が載っていた。

定額給付金については、高額所得者は受け取るべきでないのではという論議が続き、麻生太郎は「受け取るかどうかは矜持の問題」と言っていた。
今回はその逆で、所得が低いなどの理由で税金を滞納している人に対しては給付金を支給するのは適当ではないのではないかという議論が出てきたというわけだ。
給付金の差し押さえを望んでいる自治体としては、税の徴収率が伸び悩んでいることから「給付金を簡単に差し押さえできる特別法を作ってほしい」とし、徴収率が全国ワースト2位で今年9月に財政非常事態宣言を出した奈良県御所市などでは「税金を払わない人が定額給付金を受け取るのはおかしい。給付事務を押しつけられたことは迷惑だが、差し押さえで徴収率を上げられれば、町財政にとって助かる話だ」としている。

麻生太郎は、これに対してなんと答えるだろうか。
税金を払っていない者には政府が恵んでやる1万2000円を受け取る資格はないと言えるのだろうか。もしそう言うのなら、そもそも景気刺激が目的として発案された定額給付金とはいったい何だったのかということになる。
もちろん、私はこんな「低額給付金」で消費が伸びるなどとは努々思っていない。政府に金をばらまいて消費を伸ばそうという本気の考えがあるのなら、百万円単位でばらまいてやらなければ効果はないと思っている。もしそれだけの金をばらまけば、税収に悩む自治体も安心して一部を差し押さえることだろう。いや、それでも個人が受け取る権利を持っているはずの給付金を自治体が勝手に差し押さえるのは許されないのではないか。

政府の考え出した、しみったれの給付金が、今度は金に困った自治体のせこい思惑を端なくも引き出した格好だ。
自治体から相談を持ちかけられた総務省は返答に困っているそうだが、さてどんな結論がひきだされるやら、これからが楽しみである。

関連タグ : 内定取り消し, 青山学院大学, 定額給付金, 差し押さえ,

読売新聞より。

弁護士や市民団体など貧困問題に取り組む「反貧困ネットワーク」は24日、契約を打ち切られて住む家がない派遣労働者や、生活費に困っている人を対象に、無料電話相談「明るいクリスマスと正月を!年越し電話相談会」を開催する。
以下引用。

 多重債務や不当解雇などの幅広い相談にも応じるほか、「今夜食べるものを買う金がない」といった緊急性の高い相談の場合は、スタッフが現地へ出向き、生活保護申請に同行する。

 受け付けは24日午前10時~25日午前0時。電話番号は0120-11-1040。

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ほんらいこのような活動は、民間だけでなく政府や自治体が率先して行うべきものだ。
ところが政府といえば23日未明、税財政改革の道筋を示す「中期プログラム」の政府原案について、消費税率引き上げを含む税制抜本改革について「2011年度より実施できるよう必要な法制上の措置をあらかじめ講じる」と時期を明記することで合意した。(毎日jpより)

経済状況を好転させることを前提条件につけ、法制上の措置についても原案の「2010年」を削除するなど、表現はよわまったものの、政府の腹づもりでは1年ちょっとすれば間違いなく増税することで決まっているのだ。景気回復の状況を見極めるとしたところで、今のままでは財政状態は悪くなるばかりなのだから消費税増税に頼らざるを得ないだろう。
しかし、そんなことをすれば言うまでもなく、消費はいちだんと冷え込んで景気の底が抜ける。
政府は雇用法にも手をつけることに消極的だから、企業は不況を理由にさらなる人員削減をし、今度は正社員の首も危なくなるだろう。
麻生太郎が消費税増税だけにかくも固執し、これだけは現を翻さなかった理由はどこにあるのか。いずれにせよ、今の政府が困窮した国民生活よりも財界や富裕層を向いていることだけは間違いないだろう。
この政権に与してきた公明党は、これまで「百年安心年金」だとかいう政策を得意気に抱えてきたが、結局は自民党と一緒になって増税を受け入れ、国民を追い詰める手助けをしている。
このような党に「生活」だの「安心」といった言葉は、それこそ向こう百年は語ってほしくないものだ。

景気を回復させるための具体案を何ら示すことをせず、ただ消費税増税だけを明言している自民党には、早いところ政権の座を明け渡してもらいたい。
国民の一人として、私は景気回復の道筋をつけ、福祉のセーフティネットが構築され、医療制度が改められて地方の医療が改善され、さらに社会格差がなくなったならば、喜んで消費税増税を受け入れようと思っている。

誰がただで消費税だけ上げるのを許してやるものか。

関連タグ : 反貧困ネットワーク, 消費税増税,

トヨタ自動車は、22日、2009年3月期の連結業績予想を下方修正し、営業損益を6000億の黒字から1500億の赤字に引き下げた。
年末会見の席に立った渡辺捷昭社長は「当社を取り巻く経営環境は極めて厳しい。かつてない緊急事態であり、創業以来の原点に立ち返って構造改革を進めたい」と語った。

たしかにトヨタはかつてない厳しい状況に直面しているのだろう。
経営者としては気を引き締め、無駄を廃していかねばならないと考えるのは当然だ。

しかし、その無駄を廃するという事柄の中に派遣社員の首を切るという項目が入るのは納得がいかない。
なぜなら、トヨタはついこの間まで、史上空前の売り上げを誇り、がっぽり儲けた金を社内に貯め込んでいる。うなるほどの金を金庫の中にしまっておきながら、経営事情が悪化すると、それまで黒字を出すために汗を流してきた社員の首を切るというのは、どう見ても理屈に合わない。
16日付けの「しんぶん赤旗」がこのことを伝えている。テレビ朝日の「サンデープロジェクト」での田原総一朗と志位和夫のやりとりを採録したものだが、ここで志位和夫は一覧表を見せ、トヨタがこの9月末までに系列6社で17.4兆もの内部留保を持ちながら、1万460人の人員を削減する事実を明らかにしている。
内部留保

志位は言う。
「この人員削減計画、これを撤回するのに300億円あれば(人員を)切らなくてすむ」

17兆4000億円のうち、たかだか300億円出せば、1万人以上の人々が職を失わずにすみ、あるいはホームレスになる心配をせずにすむ。
トヨタにはなぜ、それができないのだろうか。自社の売り上げのために尽くした人々のために、なぜ貯め込んだ金を少しばかり切り崩すことができないのだろうか。

そればかりではない。トヨタはこれからも莫大な金を要するF1レースには参戦し続けるし、つい昨日は数年前まで「トヨタカップ」と称していたクラブサッカーの世界一を決める大会のスポンサーを続けている。
レースを続けるのが悪いとか、大イベントのスポンサーになるのがよくないと言うのではない。
それだけのことをして文化に貢献する意気込みがある企業ならば、いくら非正規社員とはいえ、労働者を路頭に迷わすような真似はすべきではないと言いたいのだ。トヨタの車を作っていた人々から希望を奪い、将来に対する不安を与えるような仕業をしてはならないと思うのだ。

同じことは御手洗冨士夫を会長に頂くキヤノンにも言える。
キヤノン内部留保は9月末時点で約3兆円もありながら、大分工場では1200人を首にするという。社員1人の年収が300万と計算しても、総額36億円。これは内部留保の0.1%程度にしかあたらない。17日付の日刊ゲンダイでは、これだけの内部留保があれば首にする予定の社員を850年雇えると書いている。さらに地元議員の言葉を引用し、

「経団連会長でもある御手洗氏は1日に麻生首相と会談した際、『雇用安定に努力する』と言っていたが、舌の根も乾かない3日後に大分の削減計画が明らかになりました。そもそも大分の工場は、県が『雇用創出につながる』と30億円もキヤノンに補助金を出したのに、従業員の7~8割は非正規社員で、このうち6割が県外者という状況です」

。。。。。実を言うと、私はもうこうした記事を書くのは嫌になっている。
ニュースでは毎日のように派遣切りを報じ、都会ではホームレスのための炊き出しが行われていると伝えている。
日産が派遣社員全員の解雇を発表すれば、スズキもダイハツも日野も続いて解雇を発表する。トヨタに次いでホンダが解雇をすれば、それが既成事実となって連鎖現象を生んでいく。

世間では年の瀬が迫り、今、街に出ればクリスマスソングがひっきりなしに聞こえてくる時期だというのに、私の気分は少しも楽しくなれず、クリスマス気分に浸るどころではない。クリスマスどころか年の瀬のなにやら落ち着かないワクワクした気分もまったくないし、正月が待ち遠しいという気持ちなど湧いてこようもない。

それどころか、いつか追い詰められた人々が爆発するのではないかという心配で心がふさがれる。どこかでひとたび爆発が起きれば、今度は虐げられた人々による暴力の連鎖が起きるだろう。
今の日本社会はそこまで追い込まれている。

だから、ここでどうしても言っておく必要があるのだ。
これまで大儲けした企業は、社員を解雇するな。働く者の首を切るのは、最後の最後にしてくれ。
どうかおのれ一人が儲けを抱え込み、株主と分け合うような真似だけはやめてもらいたい。
社員の首を切る前に、もう一度、考え直してほしい。

心の底から、そう願うのだ。
そして絶望する寸前で踏みとどまり、わずかな希望にすがろうとしているのだ。
私は、まだ絶望したくはないから。

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フリーランスの仕事を選び、ずっとライターとして仕事をしてきた私が、今の社会に漂う生き難さを嘆き、憤りを感じたとしても、現実のところ、あまり説得力を持たない。
それは、カイシャという組織に縛られることを嫌い、人生とは自分で道を切り開いていくべきもの、そして人間にはその可能性があるはずと信じてこの道を選んだからである。
だから、今さら生活が苦しくなったとか、仕事が少なくなった、本が売れなくて収入が減ったと愚痴を垂れても、仕方がないのだ。

それは分かっている。

けれども、私のような選択をした者が感じる今の生き難さが、結局のところ「自己責任なのだから」という一言で片付けられてしまうのには抵抗がある。
自己責任論は、とくに新自由主義的な考えを持つ経営者などが持ち出したがる理屈だが、いわゆる「勝ち組・負け組」という狭い枠組みだけで人の生きる道を捉え、たまたま成功したから、上手く人生を歩むことができずにいる人間を見下して「それは努力が足りないからだ」「選択の仕方がまずかったからだ」と本人に責任があるとする。

しかし生きるということは、誰だって知っているように生やさしいことではないのだ。一日の生活を凌ぎ、一週間生き抜き、一ヵ月をなんとか持ちこたえ、半年生きながらえて、どうにか一年やり繰りして暮れと正月を過ごすことが出来そうだというときにようやくホッとする。しかし、それが過ぎれば、また同じことの繰り返しを延々と続けていかなければならない。生きるということに一息つくというのは、なかなか許されることではない。
それでも、結果として上手くいかないことが多いのだ。
生きて行くのがしんどくなって、もう死んでしまおうかと考えるときがしばしばやってくるのだ。
楽をして、安穏に暮らせればいいなとは思っていても、現実にはそんなことが許されるはずがない。
みなそう言う状況のなかで、なんとか生き続けている。

私が何を言いたいのかというと、人は一生懸命に、必死に生きて毎日を送り続けているという点において、誰もが努力をしているということだ。それに対して「自己責任論」を持ち出し、自分が選んだ道なのだから、上手くいかないといって嘆くのは甘えだとか、努力が足りないからだというのは間違っているということだ。

責任論で人を評価しようとする限り、上手くいかなかった人間は考えが甘い、努力が足りない、勝手に楽な生き方を選んだのが悪いということになる。
しかし、それでは人間には自分の人生に対して夢を持つことも希望を持って生きることも許されないことになる。

私がなぜフリーランスという道を選んだか。それは家庭環境がいわゆるサラリーマン的な生き方を認めないという特殊な事情があったのも関係するが、学生時代になって就職という段になると、周囲の学生たちはとにかく大きな企業、安定した収入が得られる仕事に就くことを第一に考え、誰かが有名企業に内定するとみんなして羨むという雰囲気に猛烈な反感を持ったからである。皆それぞれに小説を書いたり、脚本を書いたり、演劇をしたり、映画を作ったりしていた。それはあくまでも気楽な学生時代の遊びと割り切り、就職となればそんな趣味とは無縁の大企業に入ることがいちばん価値のあることだという常識に嫌悪感を持ったからである。

私は企業という組織に入ることを拒んだ。
結果として、生活は不安定になり、正直なところ、カイシャに就職するのが生き方としては正解だったのかと思ったこともある。
私は自分で自分の生き方を「自己責任論」で批判したのである。

おそらく今、非正規雇用で仕事を失い、明日をも知れぬ生活に大きな不安を抱えている人たちは、皆多かれ少なかれ、一度は自分のことを責めたのではないかと思う。
世間から「自己責任論」でしたり顔して責められる前に、自分自身がいちばん分かっていて自分を責めたのではないか。

しかしだからといって、人間が自分で選んだ道が間違っていた、努力が足りないから上手くいかないのだと切り捨てるのは、世間の方が傲慢だ。
人には等しく権利がある。いちばんの基本となるのは人間らしく生きる権利。そして人間らしく生きるためには、だれもが希望を持ち、自分の可能性にかける自由を持つ権利がなければならない。

自己責任論」はそれらの権利を否定している。
上手く生きられないのは自分のせいだとする考え方は、言ってみれば株屋の常識に過ぎないのではないか。値が上がると思って買った株が値下がりをして損をした。それは自己責任だ。なぜもっと株式を勉強して、相場というものを正確に読む努力をしなかったのか。損をしたのは自分が悪い。そういう理屈だ。
だが、株屋の理屈を人間の生き方に勝手にあてはめ、「お前が悪い」と責める権利など、誰にあるというのだろう。

今の日本社会を襲っている不況の嵐は、政治と経営者たちが誤った考えを持ったために起きている。そのあおりを受けて、多くの人たちが職を失い、単なるモノのように切り捨てられて路頭に迷おうとしている。
ネットの中にはこうした人々を指して「自己責任論」を振りかざし、派遣などという気楽な仕事を選んだ自分が悪いのだから、路頭に迷うのも仕方がないのだと偉そうに書いている輩がいる。
私はそういう奴らの横面を思い切りひっぱたいてやりたい。

今、困っている人々のなかに怠惰だったり、ずるいことをして金を得ようとした者はほとんどないはずだ。皆それぞれに一生懸命仕事をしてきたのに、突然、会社側の理由によって首を切られてしまったのだ。こうした人々に、どうして自己責任論を押しつけることができるだろうか。
よしんば、派遣労働者になった理由が、正社員になるよりも気楽だからとか、自分には他にやりたいものがあるからとりあえず、だったとしても、彼らが路頭に迷おうとしているのを責めるのは人間として許されるものではない。

自己責任論者、すなわち新自由主義者は言う。
「努力した人が正当に報われるのが正しい社会だ」と。
しかし、それをいうならば、
「たとえ努力をして上手くいかないことがあっても、見捨てられることがないのが正しい社会だ」
という条件をつけ加えなければ完全ではない。
新自由主義者たちは、自分さえ豊かになれば他の人間はどうなろうと構わないと考えている。
だから許し難いのだ。そして、その許し難い考え方を持った人間が、政治家にも実業家にも、悪いことにこれから社会に出ようとしている若者の中にもいるというのが現状だ。

私は、私たちは、こうした非人間的な考えを持つ人々を許してはならないと思う。年間に3万人以上の自殺者が出ていても平気でいられるような人間を批判しないでいることは大きな誤りだと思う。
人間の生きる権利を無視して会社の利益と株主への配当を優先する経営者を断固として糾弾していくべきだと思う。

私は自民党にはもはや政党としての役割を果たす力はないと思っている。だからといって民主党に政権が移れば、それだけで世の中が暮らしやすくなるというほど楽観もしていない。
だが、とにかく今の自公政権によってもたらされた最悪な社会状況を変えなければならないことだけは確かだ。日本社会が今よりも暮らしやすくなり、人々が自分の人生に希望と誇りを持って生きていけるような社会になるには、新自由主義をまず駆逐し、新しい社会制度による政治を打ち立てなければならない。
その社会制度とは何なのか。

とにもかくにも今はまず、人の生き方を否定し人間を踏みにじる「自己責任論」を排することから始めていきたい。

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「O君、俺と一緒にいっぱい仕事しような。そうしたらさ、世の中がみんな注目するような本ができるって」

Tさんは、あのいつもの人懐こい笑顔を浮かべて私の肩をがっちりつかんで揺すった。彼の力強さが服をを通して伝わってきた。
彼は私の返事などろくに聞かず、さっと向きを変えて歩き始めていた。お気に入りのトレンチコートの裾が風をはらんで広がり、背中を見せた姿はどんどん遠ざかっていく。

彼は有能な編集者として、会社からも、周りの人間からも一目置かれていた。馬力あふれるその仕事ぶりは、ときには当初の企画意図をはずれて思いがけない方向に向かってしまうことがあり、そんなときには「また暴走機関車の脱線がはじまった」と揶揄されることもあった。他の編集者ならば、編集長から大目玉を食らいかねないような脱線ぶりをすることもあったが、彼の場合は黙認された。
売れない雑誌の編集部とは言え、彼は編集長に次ぐナンバー2の位置にいたし、脱線しながらも結果として他の編集者ではつかめないような取材源の尻尾をつかみ、大きな記事にしたこともある。だから、彼の暴走がはじまっても、しばらくの間は皆様子を見ているのだった。

Tさんは、キンノスケという役者みたいな名前だったものだから、いつもみんなからは「キンちゃん」と呼ばれて親しまれていた。キンちゃんは、名前だけでなく顔つきもなかなかの男前で、女性社員からも人気があった。明るくて冗談好きで、彼が言うとそれが下ネタであっても女性たちはそれを許した。
彼には妻がいたが、会社の受付嬢だった頃にTさんが口説き落としたのだと聞かされた。男前で陽気なうえに仕事も人一倍できるときているのだから、彼から結婚を申し込まれた女性なら、二つ返事でOKしたのではないだろうか。
盛大な結婚式を挙げて、幸せな家庭を作っていたが、30をだいぶ過ぎても彼には子どもが出来なかった。
「キンちゃん、あんまり仕事ばかりするから子どもを作るヒマがないんじゃないの」
編集長がからかうと、キンちゃんは真顔で言い返した。
「そんなことないですよ。やるべきことはしっかりやってます」
「そのやり方がさ、違う方に暴走してるんじゃないの」
そう言われると、顔を真っ赤にしてうつむいてしまい、周囲にいた者は大笑いした。
しばらくして、キンちゃんは編集スタッフのIさんに声をかけていた。
「ねえ、Iさんとこはどうやったら子どもできたの?」
Iさんは、40歳近くになって子どもができた人である。
「え、どうやってって言われても」
困惑するIさんにキンちゃんは食い下がった。
「Iさんはさ、週に何回くらいやってるの。俺、2回くらいなんだけど、それじゃやっぱり少ない?」
「いやあ、ちょうどいいんじゃないですか。。。」

そんなキンちゃんに、ようやく子どもが出来た。
もう来年は40になるという歳だった。その喜びようは大仰なほどで、まさに嬉しさを爆発させていたといってもいいだろう。彼は赤ん坊を抱いた写真をお守りのように持ち歩き、会う人ごとにそれを見せていた。
「どう。可愛いだろ。ウチの長男だよ」
2年後には二人目が出来て、彼はさらに有頂天になった。
その喜びのエネルギーを仕事にも向け、彼は文字通り馬車馬のように働いた。
もともと会社からも目をかけられていた男だけあって、彼はそのうち編集業務だけでなく、営業のような仕事まで任されるようになった。大企業とのパイプ役になって広告を出してもらうと同時に、内部事情を聞き出してそれを雑誌の企画に役立てようとした。ちょっとした産業スパイのような役割だ。
仕事は激務を極め、通常の仕事の他に接待などもこなさねばならず、帰宅するのは夜遅く。休日返上で走り回ることも少なくなかったという。

私がキンちゃんに出会ったのは、彼に最初の子どもが生まれるころだった。新米スタッフとして雇われ、右も左も分からないような私をなぜか彼は気に入ってくれた。もちろん子どもが生まれた時には何度も写真を見せられた。
「これが俺の奥さん。美人だろ」
そんなことも悪びれずに言う人だった。
彼は私と組んで仕事をするようになり、私は暴走機関車の下働きとしてこき使われた。仕事が終わると飲みに行き、安酒場で焼き鳥と酎ハイを飲みながら編集長の悪口を聞かされた。仕事でヘマをすると、彼は私の家にまで電話してきて叱ってくれた。彼は怒る時も真面目で、一生懸命だった。
私が原稿を書くと必ず目を通してくれて、出来がいい時には褒めてくれた。それが何よりうれしかった。

彼とは3年ほど仕事を一緒にした。
その間に、たしかに私は鍛えられた。それと同時にカイシャの裏事情やら人間関係のドロドロも嫌と言うほど聞かされて、私はうんざりしてしまった。
その後、彼は昇進して別の部署に移り、私は編集スタッフの仕事を辞めてライターになった。

そして間もなく、彼の死を知らされた。まだ50にもならない、早すぎる死だった。
クモ膜下出血で倒れ、一度も意識を取り戻すことなく逝ってしまったのだという。
後には奥さんと、まだ幼い二人の子どもが遺された。
「彼はカイシャに殺されたようなものです!」
キンちゃんに可愛がられていた出入りの業者は、泣きはらした目でそう言った。彼が倒れたのは日曜日で、その日も接待に出かけて遅く帰り、風呂に入って床についたらそのまま意識を失ってしまったのだという。
キンちゃんの死は皆を驚かせ、そして悲しませた。
葬式には大勢の人が集まり、まるで社葬をしているみたいだった。

彼が死んでから、もう10年以上の時が経ってしまった。
さすがに彼の記憶も薄れてきた。
そんなときに彼のを見た。
の中でキンちゃんは(もっとも私は彼のことをキンちゃんなど、畏れ多くて呼んだことはないのだが)、相変わらず威勢がよくてバリバリ仕事をしていた。
私と一緒に仕事をしようと言ってくれたときも、これから取材に出かけるところで、彼は私を誘ってくれたのだった。

睡眠状態が悪い私は、毎日、睡眠導入剤を飲んでいる。
しかし、いつも処方される薬を飲んでいると、眠れることは眠れるが、必ずといっていいほど悪を見る。にうなされて叫び声を上げ、自分の声に目を覚ます。
そして目を覚ました時の気分の悪さにしばらく動けなくなる。

かかりつけの医者に事情を話した。
「それじゃ、別の薬を出すから、それを頓服のように布団に入ってから飲むようにしてください」
そう言われて出された薬は、たしかに効いた。
眠りが深くなり、にうなされることもなくなった。目覚めた後も、わりあいすっきりしている。
その代わり、眠気がなかなか取れない。
今日は、その眠気に負けてもう一度眠ったところ、思いがけずキンちゃんのを見た。

キンちゃんが遺した子どもたちは、どうしただろう。
奥さんは、あれから苦労したのだろうな。
私は、その後も生き続けて、いつの間にか死んだ彼よりも年上になってしまった。彼が生きていたら、私はまた一緒に仕事をしたのだろうか。そうして、世の中をあっと言わせるような本を作っただろうか。

まだぼんやりしている私の脳裏に、Tさんの颯爽とした後ろ姿が焼きついて、なかなか消えようとしなかった。

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今日発表された日銀短観では契機が急速に悪化していることを認め、とくに製造業では史上2番目の下落だという。
しかし庶民感覚でいえば、今ごろ日銀に発表されなくても景気の悪さは数ヶ月前から実感されているところである。

東京新聞が伝えるところによると、広島市では国内工場の減産計画により派遣社員の削減を進めるマツダや関連会社から派遣契約打ち切りを言い渡された13人が生活保護を申請、7人に支給が決定したという。残る6人も審査中で、生活保護の申請は今後さらに増える可能性があると同市では話している。

さらに、自殺の名所として知られる福井県の東尋坊では11月、自殺防止パトロールに取り組むNPO「心に響く文集・編集局」が自殺しようとしていた若者ら6人を保護した。そのうち4人は派遣社員だったという。そのうちの1人は保護されてから安心したのか、身の上話を始めた。
男性は岩手県出身で、首都圏で携帯電話販売の派遣をやっていたが、10月になり「もうお前はいらない」と告げられ、住んでいた寮を追い出されたという。頼る身内もなく、転々としているうちに東尋坊にたどりついた。
別の男性は「話を聞いてほしい」とNPOの事務所に泣きながら入ってきた。地方公務員を目指して勉強をしながら派遣社員として三重県内の建設会社に勤務していたが業績悪化で11月で契約を打ち切られた。自転車で各地を転々とし、東尋坊に来た時には50円しか残っていなかった。
NPOの代表を務める茂幸雄さんは、「4人はいずれも20~40代の働き盛り。行き場を失った人を再チャレンジさせるため、行政は一時的に収容する施設を早急に造るべきだ」と訴えた。

しかし肝心の政治家たちは何をやっているのか。
先日設立された、中川秀直ら新自由主義者による「生活安心保障勉強会」では、年金や介護手当、育英資金、医療、農業所得補償、減税戻し税、寄付などの扱いを統合する「国民安心基盤口座(仮称)」のような制度を作ろうという、行政改革の入口に位置する重要な項目を勉強したという。

また、別の自民党有志は「日教組問題究明議員連盟」(会長・森山真弓元文相)を設立、最高顧問に森喜朗元首相、顧問には町村信孝前官房長官と、日教組批判で更迭された中山成彬前国土交通相が就任した他、10日の初会合には43人の衆参議員が出席したという。

仕事の現場では容赦ない派遣切りが行われ、行き場を失った人々が自殺を考えざるを得ない状況にさらされているという時期に、なんとも悠長なことをしているというか、はっきりいって自民党の連中は何も国民のことなど考えていないのではないかといいたくなる。
仕事を失い、明日の生活費にも困る人々、住居を追われて生活の場さえも無くしてしまった人々に対しては何を置いても対策を講じなければならないはずだ。

それが政治というものではないのか。

もちろん「生活安心保障勉強会」などは公明党が掲げる「生活安心」プロパガンダとほとんど変わりないもので、これまでさんざん国民生活を破壊してきた張本人たちが生活安心などということ自体矛盾している。さらに「日教組問題究明議員連盟」にいたっては、お前ら何のために国会議員をやっているのだと言いたくなってくる。

こういう奴らが先生ともてはやされ、月何百万円だかの血税から出る報酬を得てのうのうと暮らしているのである。

もはや自民党が権力を握っていたのでは、百年待ってもこの国はよくならない。こんなことは書くだけで虚しくなってくるが、それでも書かなければ、訴え続けていかなければ社会は変わらないのだ。
一刻も早く総選挙を行い、自民党を木端微塵に粉砕して社会民主主義あるいは修正資本主義でもいい、国民のための新たな政府を打ち立てる必要がある。

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前のエントリで取り上げた、中川秀直を中心とする「生活安心保障勉強会」に参加した顔ぶれが、早くも明らかになった。
晴天とら日和」が公開したもので、私もそのメンバーを載せておこうと思う。
情報を上げてくれた「晴天とら日和」さんに感謝したい。

以下、「徳島新聞」より転載。
 中川秀直元自民党幹事長を中心とする議員連盟「生活安心保障勉強会」設立準備会の参加者は次の通り。
 【衆院】(50人)
 ▽町村派 松本文明、早川忠孝、奥野信亮、関芳弘、中山泰秀、中川秀直、中野正志、高木毅、衛藤征士郎、谷畑孝、鈴木淳司、下村博文、馳浩、西村康稔、安倍晋三、三ツ林隆志、並木正芳、伊藤公介、杉田元司、小池百合子、柴山昌彦
 ▽津島派 伊藤達也、鴨下一郎、桜田義孝、小坂憲次、山口泰明、加藤勝信
 ▽古賀派 平井卓也、徳田毅、竹本直一、菅義偉、塩崎恭久、清水鴻一郎、木原誠二
 ▽山崎派 上野賢一郎、大前繁雄、江崎洋一郎、山際大志郎、石原伸晃、広津素子
 ▽二階派 清水清一朗
 ▽無派閥 佐藤ゆかり、小野次郎、片山さつき、渡辺喜美、菅原一秀、水野賢一、安井潤一郎、藤田幹雄、山内康一
 【参院】(7人)
 ▽町村派 山本一太、中川雅治、世耕弘成、丸川珠代、若林正俊
 ▽津島派 田村耕太郎
 ▽伊吹派 秋元司


こうして見ると、見事に新自由主義者と次の選挙では当選が危うい崖っぷち議員たちがそろっていることに、いっそ嗤ってしまいたくなる。
しかし肝心なことは、これらの中で、渡辺喜美のように大衆にとって口当たりのいい言葉を吐く者がいないか注意することである。
上記のメンバーこそは、社会保障をよりよくするどころか、社会保障を削り、格差拡大による国民生活逼迫の度合いを深めようとする犯罪者的政治家なのだ。


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麻生太郎が以下に低能で、総理はおろか社会人としても無能であることは今さら言うまい。
言うだけで空しくなるというものだ。

しかし看過できないのは、反麻生勢力として立ち上がった有象無象の政治家たちである。

11日、自民党の中川秀直元幹事長を中心とする社会保障改革の議員連盟「生活安心保障勉強会生活安心保障勉強会
」の設立準備会が、自民党本部で開かれた。この会には衆参両院議員57人が出席した。

テレビ各局のニュースでは、いかにも無能な麻生太郎を見限った良識派議員が決起したかのような取り上げ方をしていた。
たしかに安直な見方をすれば、率直な物言いでマスコミにも好印象な元行政改革担当相の渡辺喜美が参加している。
そのうえ、開会の挨拶では中川秀直が「政局を目的としたグループだと伝えられ、心配をかけたが、純粋な政策の勉強会なので、安心してほしい。国民に安心してもらえる社会保障制度を作ることに反対する議員は1人もいないと思うので、しっかりと議論したい」と述べ、あくまでも自民党議員たちによる社会保障の勉強会であることをアピールした。

これだけ見れば、小泉改革により毎年2200億もの予算を削減され、今やボロボロになってしまったわが国の社会保障制度を見直そうという動きが、ようやく出てきたかに思われる。

しかし、この会に集まった顔ぶれを見れば、社会保障の綻びを繕うどころか、小泉改革を維持し、さらに発展させようと考えている連中が集まっているのは明らかだ。
代表の中川秀直からして、そもそも上げ潮派として市場原理主義すなわち新自由主義を唱えてきた男である。上げ潮派とはすなわち自由放任経済で、政府の管理などなくても市場は自ずと発展し、市場が持つ良識の下、富が再分配されるとする考え方を指す。

だが、今や誰もが承知の通り、アメリカが率先して行ってきた自由放任経済は見事に破綻して今日に至っている。市場の「良識」に任せていたのでは、自国の経済どころか世界中を巻き込む不況を引き起こすことが現実となって明らかになっているのである。
この点を反省することなく、中川秀直はどんな考えをもってこれからの社会保障を考えようというのか。

さらに中川のもとには、やはり新自由主義者として知られる小池百合子石原伸晃山本一太そして今やテレビではヒーロー扱いを受けている渡辺喜美がかけつけている。さらには佐藤ゆかりら小泉チルドレンも雁首をそろえている。
これだけで、このグループの本心は「生活安心保障勉強会」などとは名ばかりで、今や先行きが危なくなった自民党のなかで、なんとか政治家生命をつなぎ止め、新自由主義の巻き返しを図ろうとすることにあるのは明らかというものだ。

さらに目を覆いたくなるのは、メンバーのなかに安倍晋三までが顔を出している点だ。
安倍は麻生太郎との関係が深く、マスコミで報じられている「反麻生」的色彩とは一線を画している。無能と低能なことでは麻生にも劣らない安倍は、何を血迷って新自由主義者と肩を並べているのか。

おそらくは低能なくせに世知にだけは長けている安倍のことだ、自民党が沈没した後に残るグループとつながりだけは保っておきたいといったところだろう。

要するに、中川以下の新自由主義者同様、安倍もまた政治家として生き延びるという、自己保身が今回の行動を起こさせたのだろう。「生活安心保障勉強会」とは名ばかりで、誰一人、国民の生活を守ることなど真剣に考えてはいないのだ。
私は、このような欺瞞に満ちた、噴飯もののグループの存在を断じて許すことはできない。

小泉改革以降、いかに国民が辛酸をなめてきたか。その状態がいつ終わるともしれない状況にありながら、何の反省もなく、善人面をして「生活安心保障勉強会」などという名前をつけること自体、国民を愚弄していると考える。

今後、このグループのメンバーが明らかに成り次第、私はこのブログに公表し、国民生活を破壊しながら、なおかつ世界中でその政策では国を破綻させかねない危険なものであると証明されながら、懲りずに新自由主義を推し進めようと画策する者どもを徹底的に批判していきたいと考えている。

今、世の中は麻生太郎の無能にあきれ果て、これに異を唱える者はすべて正義のように考えてしまいがちだが、これほど危険なことはない。新自由主義者は狡猾で巧妙だ。
日本にこれ以上の格差と生活破壊を許さないためにも、これらの者どもに対する監視をするべきであることを強く訴えていきたい。

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前回のエントリでは、黒字を出しながら9600人もの非正規雇用者を解雇しようとしているトヨタの非道を批判した。
ところが今度は、もうひとつの日本の優良企業と目されていた、そしてトヨタよりはもっとましだろうと思われていた企業のソニーまで、大規模なリストラを発表した。

中国新聞の記事によると、ソニーは2009年度末までにエレクトロニクス事業の正規社員16万人の5%にあたる約8000人を削減する他、全世界の非正規社員も8000人規模で削減すると発表した。

合計1万6000人ものリストラは、全世界の事業所で行われるとはいえ、トヨタを凌ぐ規模の大きさだ。しかも、ソニーの場合は非正規雇用者だけでなく、正社員をも対象にしている。もちろん、正社員ならば退職金が支払われるだろうから、非正規雇用者よりはずっと条件は恵まれている。それでも、この世界的な不況の折に、職を失うことの不安はたとえようもなく大きいに違いない。

企業の側から見れば、業績が落ち、売り上げが減少したときには、もっともコストのかかる人件費を削るというのが常識なのかもしれない。しかし、企業には、とくにトヨタやソニーのような規模の大きな企業には、単に製品を作って利益を生み出せばいいという目的を優先させればいいというものではなく、多くの人の人生をも預かっているという社会的な責任が大きいことも自覚しておく必要があるのではないか。

昨日は昨日で、マンション分譲大手の日本綜合地所に内定を取り消された大学生らが、東京東部労組の関係者らとともに同社と初の団体交渉を行ったというニュースが報じられた。
日本綜合地所もまた9月の金融危機以降、業績が下がったとして53人もの内定取り消しをしたことで大きく取り上げられていた。ここでも優先されたのは企業の一方的な論理で、自分たちが食っていくためにはまず人減らし、それもいちばん切りやすい者から切っていく、戦前でいえば間引きや娘を人買いに売って口減らしをしていた貧農と同じような酷い手法が選ばれた。戦前の貧農には徹底した搾取に喘いでいたという同情すべき点があるが、現代の間引きを行っている企業にはあまり同情すべき点がない。そこに見えるのは自己保身でしかないからだ。

日本綜合地所から内定をもらった学生のなかには、将来に備えて宅建資格を取るべく勉強をしていた者もいるという。そこまでしなくとも、どの学生も社会に出てからの生活を夢見、将来を思い描いていたに違いない。
私は寡聞にして日本綜合地所はおろか不動産業界の事情もよく知らないが、内定取り消しされた学生からすれば、たとえばソニーやトヨタに就職が決まったのに、ある日一方的に取り消しをされたようなものだろう。就職したからといって、今の時代は決して将来も安泰と考えることは許されないのだが、社会的にも信用ある大手企業に入社が決まれば誰だってホッとするだろう。

内定を取り消した日本綜合地所は、当初、53人の学生たちに補償金として42万円支払うと言っていたそうだ。それが、昨日の団交で100万円に増額すると提案した。
しかし学生側にしてみれば、信じていた会社から裏切られたという思いが強いだろう。たかだか100万ばかりの金をもらったところで何になるというのだ。

彼らの憤る気持ちは痛いほど分かる。

政治が混迷し、景気が低迷している今の社会では、われわれは夢を持つことも許されなくなっているのだろうか。
誰かを、何かを信用することもできなくなっているのだろうか。

人が生きて行くという営為には大変な意志と労力が必要である。しかも一人の力だけでは生き延びるのは難しい。信じ合い、助け合っていかなければ到底社会は成り立たないのだ。

日本を代表するとされる企業が、コストカットのために自社のために働いてきた人間を路頭に迷わせている。そうしたうえで経営方針を立て直すと言っている。
非道なことをしておいて、何の経営方針なのだろうか。
若者の将来への夢を打ち砕いておいて、何が大手企業なのだろうか。

これから何を信じ、誰と手を携えていけばいいのか。
今、一人ひとりが真剣に考えるべき時に来ていると思う。

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トヨタ
今さら言うまでもないが、トヨタ自動車といえば世界的な企業として知られている自動車メーカーで、その売り上げは昨年4月から12月期の連結決算が19兆7221億円というから、国家予算的な規模の金を稼ぎ出していることになる。
そのトヨタが9月以降、大きく収益を減らしたことを理由に非正規雇用を中心に大規模なリストラを行おうとしていることはすでに報じられている通りである。首を切られる人の数は来年の3月までに9600人。さすがトヨタ、儲けもでかいが、首を切る人の数も思い切っている。

もとよりトヨタ車など金輪際買う気のない私は、今回のトヨタによる血も涙もないリストラ策に今さら驚くまでもなく、ますますトヨタが嫌いになっただけだ。
こんな企業が日本を代表するカイシャだとは、まったくお恥ずかしい話だと思う。
たとえば「トヨタ」と「売上」でググってみると、数え切れないほどの項目が上がってくるが、その中でこんな見出しが目を引いた。

トヨタ自動車は売り上げ23兆円、営業利益2兆円以上を上げています
この記事はYHOO知恵袋の質問で、次のように続いている。

「トヨタ自動車は売り上げ23兆円、営業利益2兆円以上を上げています。

一般的な企業で利益率5%あればよいほうだといわれています。
トヨタでは10%に達します。なぜこれだけの利益を得ることが出来るのでしょうか?
他の自動車会社と比べてみても極めて優秀といわざるを得ません。」

これに対するベスト・アンサーは次のものだ。

「知らないのですか?
下請けや関連企業が苦しめられて
その血肉がトヨタの利益となっているのです。

ちなみにトヨタの口癖は30%コストダウン!
トヨタと繋がっていないと生きていけない人が多く
利益が1%でもあればと・・・・涙流している人ばかりですよ」

このQ&Aを読むだけでも、トヨタがいかに自分の儲けを上げるために非道なことをしているかが分かるというものだ。下請け会社を生かさぬよう殺さぬよう、絞れるだけ絞った挙げ句に2兆円もの利益を上げているのだ。こうした企業体質は社員に対しても反映されており、その具体的な話が日本労働党のHP内にある“学者 弁護士 議員 労組が共同 連携してリストラはね返せ”というページに出ている。以下はその引用だ。

「トヨタのリストラの現状だが、賃金ではすでに十三年前に職能給を導入し、段階的に年齢給を下げてきた。そして、今年になって事務、技術系は完全な職能給賃金を完成させた。現場では一部年齢給が残っているが、トヨタは狙い通りの賃金体系ができたといっている。
 事務部門では正社員を減らし、ほとんどが派遣労働者でまかなわれている。また、最近は安上がりな労働力ということでラインに女性労働者を入れてきた。」

これは2000年4月に行われた講演会の記録で、発言したのはトヨタ関連労働者の武田浩一さんという人である。すでに8年前にしてトヨタは年齢給を引き下げて職能給とし、生産ラインだけでなく事務部門でも正社員を減らして派遣労働者を利用、さらには肉体労働の現場である生産ラインに女性を使うなど、ありとあらゆる手段を使ってコストを切り下げている。この発言から8年経った現在は、さらに徹底したコストの切り詰めが行われていることだろう。
来年3月までに9600人もの非正規雇用をクビにするというのも、トヨタにとってはまったく理にかなった方針であり、人の情が入る余地なく出されるべくして出された方針だろう。

しかし、ここでさらに神経を逆なでするようなトヨタ式経営の嫌らしさが現れたのは、自動車レースのトップに君臨するF1に対するトヨタの態度である。これについては12月5日の「きっこの日記」できっこさんが書いている。
F1レースといえば、日本ではホンダが1960年代から取り組み、一時は会社の経営を傾けるほどの熱の入れようだったことが知られている。「F1は走る研究所」と言われるように、最大のパワーとスピードを発揮するエンジンを開発するためにレースの期間を通して研究が重ねられ、技術が蓄積されていく。それでも成功よりは失敗することの方が多く、ホンダが初めて念願の初優勝を獲得したのはレースに参加して3年後の1965年のことだった。メキシコグランプリで見事に勝ったとき、当時の監督だった中村良夫はユリウス・カエサルの言葉を借りて「来た、見た、勝った」と東京にいる本田宗一郎に電報を送ったという逸話がある。
ホンダにとってF1とは単なるレース以上のものだったのだ。

そのホンダが、やはり9月以来の円高と金融危機により収益を大幅に減らし、やむなく非正規雇用を合計760人削減すると発表。その一方で年間500億かかるとも言われるF1レースからも撤退することを正式に発表したのだ。
ホンダにとっては掛け替えのない夢に違いなかったF1を諦める。そのかわり、申し訳ないが雇用調整もさせてほしいというメッセージが伝わってくる。
もちろん、非正規雇用を都合よく馘首することに違いはないし、実際に首を切られる労働者からすれば、この年の瀬と正月をどうやって迎えたらいいのかと頭を抱えたくなる気持ちだろう。
それでも、まだホンダのやり方には理が通っているところがある。
トヨタロゴ

しかしトヨタはどうだ。
大きく収益を減らしたことはホンダと変わらないが、それでもトヨタは赤字になるわけでなく、相変わらず6000億円という利益が出る予想が立っている。それにもかかわらずトヨタはホンダの13倍にあたる数の労働者をクビにするというのである。

これには海外メディアも注目しているらしく、この秋以降、韓国やヨーロッパから取材陣が次々と名古屋を訪れているという。
「黒字だというのに、なぜリストラが必要なのか。その姿勢や背景を知りたい」と韓国のプロデューサー、崔炳崙(チェ・ピョンユン)さんは語っている。
「このような人員整理をされたら韓国では労働者は怒って行動するが、日本では派遣社員も期間従業員も経営者側に理解を示しているのが不思議だ」(asahi.comより)

なぜ、トヨタはかくも非道な仕打ちをしているというのに、労働者たちは声を上げないのか。
その疑問は私の疑問でもある。
そして、それに対する答えはおそらく、先に挙げたQ&Aにあったように、巨大なトヨタという存在に拳を振り上げることすらできない状況が日本という国の中に横たわっているということになるだろう。

儲けを上げるために必死で、そのためにはどんな非道も、法に触れない限りは厭わない。都合が悪い法律は自民党のへたれな政治家どもに奥田碩が圧力をかけて変えてしまう。

そんな企業が日本を代表する企業で、いいのか。恥ずかしくないか。
私は、恥ずかしい。
トヨタという企業を嫌悪する。
F1で多くの人に夢を与えるというストーリーも持たず、ひたすら広告塔として利用し続けるトヨタ。
1万人近い労働者を路頭に迷わせて、それでもF1だけは続けますといけしゃあしゃあと言ってのけるトヨタ。

こんな企業が日本を引っ張っているなどという現実に、私は止めどもなく失望を感じるばかりだ。

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1日、首相の麻生太郎は、首相官邸に日本経団連御手洗冨士夫会長ら経済界首脳を呼び、賃金引き上げや雇用の安定を要請したという。

北海道新聞の記事によると、「景気が後退局面入りし、雇用や収入の先行きに不安が広がっていることから、年明けに本格化する春闘交渉を控え、異例の賃上げ要請に踏み切った」とのこと。
雇用と賃金は生活に直結しており、防衛しないといけない。賃上げに努力してもらいたい」さらに採用内定取り消しの増加を踏まえて、「できるだけ避けてもらいたい」と述べた。

これに対し御手洗は「雇用安定に経済界としても努力する」と応じ、内定取り消しについても「(回避を)会員企業に呼びかける」と語ったが、賃上げ要請に対しては「(2009年春闘の)経済界のスタンスを検討の最中」と述べるに留まった。
さらに日本商工会議所の岡村正会頭は「多くの中小企業では賃金を引き上げる余力はほとんどない」と厳しい現状認識を首相に伝えた。

麻生太郎は景気対策が優先といいながら二次補正予算の提出を先送りし、その一方で経団連の御手洗らを呼びつけて賃上げ要請をしたというわけだ。
しかし御手洗冨士夫はかねてより消費税増税を主張して国民生活をさらに圧迫することを考えている張本人であり、こんな男にただ賃上げせよと言ったところで、円高と金融危機で減益している企業には余力がないというのが本音だろう。
麻生が御手洗たちを呼びつけて行った要請は、明らかに国民向けのパフォーマンスと見るべきだろう。

ほんとうに麻生が「雇用や収入の先行きに不安が広がっている」と感じており、その対策を急ぐと考えているのなら、雇用創出や最低賃金引き上げの法案を作るはずだ。御手洗らに言うとすれば、いたずらに消費税増税を叫ぶなとたしなめるべきだろう。そのうえで、自ら言った3年後の消費税増税を取り消し、消費税減税をして国民の消費マインドをもり立てるべきだろう。
御手洗冨士夫は頭から湯気を上げて反対するだろうが、財源はもちろん大企業からの税金であり、御手洗や麻生ら富裕層から徴収する税金を引き上げることで生まれる金を充てることだ。
当然、こんなことは麻生自身の口からは百年待っても出てくるはずがないのだから、この連中が引き出す答えとしては「雇用安定に経済界としても努力する」という御手洗の言葉に集約されるのだろう。

それにしても麻生は、せっかく御手洗たち財界首脳を集めておきながら、どうして3万人にもなると言われる非正規雇用の雇い止め問題に触れなかったのだろうか。御手洗自身が会長を務めているキヤノンでも多くの非正規雇用者が契約を打ち切られ、失業するという自体を迎えているのに、麻生の言った「雇用や収入の先行きに不安が広がっている」というセリフはいかにも生ぬるい。

御手洗冨士夫は言うまでもなく自民党のスポンサーである経団連の会長であり、その権力を背景に2011年度までに消費税を2%程度、その後さらに3%程度上げることを主張した「希望の国、日本」(御手洗ビジョン)の提唱者である。そして消費税増税の一方で、法人税は2015年までに10%引き下げるべきだとも提唱している、国民は犠牲にして企業だけが肥え太ればいいという考えの持ち主である。前会長の奥田碩同様、自民党を操り、協同して日本の社会をここまで破壊し、国民を苦しめてきた人物に他ならない。

麻生政権が長持ちしそうもないことは、今や誰が見ても明らかなところだが、肝心なのはこれまで暴走してきた財界の手綱を誰がどう引き締めるのか、だ。
民主党は自民党に替わる経済政策を参院に提出するが、ガソリン税廃止などではなく、消費税減税といった、より国民生活に直結した政策を打ち出すべきではないのか。そうして財界との対決姿勢をも明確にすべきではないのか。
これができない限り、政権が民主党に替わったところで、そう大きな期待はできないと思うのだが。

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小泉毅による元厚生次官連続襲撃事件では、犯行の動機が34年前に殺処分された愛犬の仇討ちだったことが供述から明らかになっている。小泉は、図書館で10人の高級官僚の名前と住所を調べて5人に絞り込み、その妻ともども10人を襲う計画だったという。

しかし、この報道を目にして、犬を飼ったことのある人間、そして犬を喪って辛い思いをした経験のある人間ならば、誰もが違和感を抱くに違いない。
というのも、愛犬を喪ったときの痛みは多くの場合、他人よりも自分自身を責めることにともなって生まれるからだ。
小泉の場合は、まだ12歳の頃のことで父親をふくめた大人たちが勝手に犬を処分してしまったという理不尽さに怒りを募らせたという事情はある。しかし、だからといって34年間も恨みを忘れず、処分には直接関わっていない官僚を殺すことで気持ちを晴らそうとしたところに異常性がある。

たしかに、愛犬(愛猫)が死んだ時、それが獣医の不手際によるものだった場合は、その獣医に対する怒りが生じる。
見知らぬ自動車にはねられてペットを喪った場合にも、ひき逃げした自動車の運転者を憎む気持ちが湧いてくるだろう。
だからといって、普通の飼い主は怒りをため込み、仇を討とうとはあまり考えないものだ。愛する動物を亡くした悲しみがまずなによりも大きくて、それに耐えることが精一杯になる。たとえ藪医者の手にかかって殺されたに等しい場合でも、そんな獣医のところに連れて行ってしまった飼い主としての自分を責める。
ペットが自動車にはねられたのならば、外に出してやった自分を責める。自分さえしっかりとこの犬(猫)のことを見てやっていれば、みすみす死なせることはなかったのではないかと思ってしまうのだ。

私の場合がそうだった。
私は小学校4年生のときに、それまで3年飼っていた猫を自宅の前でひき逃げされた。キヨコという、水前寺清子から名前を取ったオス猫だったが、私にいちばんなついていて、夜寝る時にはかならず私の布団に入ってきて一緒に寝る仲だった。
そんなキヨコが遊びに出て行ったまま夜になっても帰ってこない。オス猫はメスを求めて夜歩き回るなどと親から聞かされていたものの、玄関先でなにやら異常な自動車の音がしたと思って出てみると、道路端にキヨコが横たわっていたのだった。腹をひかれたらしく、アスファルトには夜目にも夥しい血糊が広がっていた。

キヨコは庭先に穴を掘って葬ったが、彼がひかれた玄関先の道にはずいぶん長いこと血糊の跡が消えずに残っていたのを今でも覚えている。
あのとき、私はキヨコをひき殺した自動車の運転手をたしかに恨んだ。しかし、その憎しみよりも、毎日一緒の布団に寝ていたキヨコがいなくなってしまった悲しみの方が大きく、それに堪えるので精一杯だった。

9年前にパグ犬のココを亡くしたときも、後から思えばもっと腕のいい獣医に診せていれば助かったかもしれないと思ったが、パグ犬が暑さに弱いのにもかかわらず、夏のさなかに無理をさせて熱中症を起こさせてしまった自分がいちばん悪いと思った。医者は私を非常識だとかえって責めたが、そんな言葉も上の空だった。
当時、すでにうつ病の傾向があった私は、まだココが元気だった頃、辛さにたまらず「一緒に死のうか」などと話しかけたことがあった。

ココが先に逝ってしまった悲しみは大きく、私は数日呆然と過ごし、自動車で1時間ほどかかる寺まで行って、ココが眠っている墓に手を合わせ、すまないことをしたと詫びた。
それからしばらくたって、私の夢にココが現れた。そして自分が死んだのは、お前に命を大切にしろと言いたかったのだ、簡単に「死のう」などと考えてはいけないと伝えてきた。
私は夢の中で声を上げて泣き、目が覚めてまた泣いた。

その悲しみのなかで、おそらくは藪医者だったろう獣医に対する怒りは消えていった。もちろん、満足に治療もできなかったうえ、私を責めた獣医への怒りはあったが、愛犬に対する思いの前に、そんなものは些細なことだった。

愛犬を無責任に棄てる人間がいる。
「患者」として運び込まれた犬や猫に対して、ひどい治療をする獣医がいる。
少し前には手術をして死亡した犬の内臓から、あり得ないビニール袋が出てきたことで訴えられた獣医がいた。この獣医は他にもひどい治療をして多くの犬猫を殺したとして100件以上の訴訟を起こされているという。
飼い主たちは皆、怒っていると同時に悲しんでいるだろう。獣医を許せないと思っているだろうが、恨みに思って仇を取ってやろうとは思っていないのではないか。愛する動物を喪った悲しみも怒りも、外ではなく内に向いていくからだ。

それだけに、34年にもわたって恨みを忘れず、見当違いな仇討ちを実行してしまった小泉毅の異常性は際立っている。
小泉は、ほんとうに犬を愛していたのだろうか。
どうも私には、そうとは思えない。
小泉は、社会の中で上手くやっていけない鬱屈した気持ちを転嫁させただけなのではないか。
あるいは誰かにその鬱屈した気持ちを利用されたのではないか。

実際、専門家たちも小泉のとった行動には疑問を投げかけている。
朝日新聞の記事では、精神科医の帝京科学大学准教授・横山章光氏のコメントとして「ペットをきちんと飼っていれば前向きな感情が強まるはず。小泉容疑者が犬を可愛がっていたというのは本当の意味でなのか、と考えてしまう」と紹介している。横山さんはさらに「家族を巻き込む意志があったところが異質」と指摘し、「思いこみによる恨みだけではなく、その先にもう一つのねじれがあるのではないか。病理を感じる」とも語っている。

日本ペットロス協会の吉田千史代表も、同じような疑問を明らかにしている。「子供のころの復讐というのは、表面的な理由にしか見えない。こんな事件は許されるものではなく、ペットを失ったことのある人も心を痛めていると思う」

ペットロスとは自分を苛むものではあっても、決して他人を攻撃するような感情を生み出すものではない。
殺処分数

ただし、この国で無責任な飼い主により毎年50万匹もの犬・猫が殺処分になっている現実や、不要になった動物をモノ同然に処分しているペット業界の闇の部分には、私も強い憤りを感じている。
そのことだけははっきりさせておきたい。

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