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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
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――ノーム・チョムスキー
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小川和弘
今年の6月、秋葉原で加藤智大が起こした無差別殺傷事件では、その根底に現在の格差社会がかかえる矛盾があることを多くの人が指摘した。
そして今日、加藤智大は精神鑑定の結果、責任能力があることが認められて正式に起訴されることが決まった。彼が起こした犯行の残忍性や無責任についてはいくら非難しても足りないほどだが、やはり秋葉原事件は自民党政権による新自由主義社会が引き起こした事件として歴史に刻まれることになるのではないだろうか。
事件を起こすかどうかという点については、本人の資質や本人を取り巻く環境、家族との関係などが大きく関わると思うが、もし日本の社会にこれほどひどい格差が存在せず、生きることに希望を失わせない社会だったならば、加藤智大があのような行動を取っただろうかと考えずにはいられない。

同じように、大阪で起きた個室ビデオ店放火事件もまた、根底に格差社会があることをそろそろ論じてもいい頃なのではないかと思う。

新聞・テレビはもっぱら個室ビデオ店という風俗産業の問題点を指摘する方向で事件を語ろうとしており、犯人の小川和弘については借金を抱え、家族・財産を失った人生の転落組であり、最近は奇矯な行動を見せることもあったという点が語られるばかりで、社会的な問題とのつながりを指摘する声は少ない。

しかし、小川和弘もまた日本というすべり台社会の中で足を踏み外してしまい、もはやはい上がることができない、あるいはそれを許されない状況のなかで人生に絶望し、ライターで火をつけてしまったと考えることができるのではないだろうか。
加藤智大は、派遣労働者という不安定で差別的な身分に甘んじていることに我慢できずに犯行を起こした。
小川和弘の場合は、分譲マンションに家族と暮らしていたが、働いていた大手企業をリストラで退職し、その後はギャンブルにのめり込んで財産を失い、最後には戸籍まで売って金を作り、文字通りその日暮らしをしながら犯行の日までしのいできた。個室ビデオ店に入ったときにはほとんど現金は持っていなかったという。
マスコミが伝える犯人像だけを追うと、単にだらしない人間が身を持ち崩した挙げ句、発作的に放火を起こしたかのように見えるが、小川和弘がもらした「生きるのが嫌になった」という言葉にはもっと深い闇が隠されているように思えてならない。

写真に写る小川和弘の表情はうつろで、重大な犯罪を犯した責任を感じているようには見えない。もしかすると、今後行われるであろう精神鑑定で犯行当時は心神喪失状態だったという結果が出るかもしれない。
しかし、彼がもし会社をリストラされていなければ、ギャンブルで身を持ち崩したとはいえ、生活保護を受けるまでになったときに誰かが救いの手をさしのべる制度があれば、「生きるのが嫌になった」と思い詰めるほどの絶望に追い込まれることはなかったのではないか。

小川和弘のような人間に対して、今の社会は「自業自得」という言葉を投げつける。どうしようもなくだらしない男だと吐き捨てるように言う。
たしかに小川という男は、そう言われても仕方のない人間だったのかもしれない。
けれども、なぜ彼がリストラされたのか、なぜギャンブルにのめり込むようになったのか、なぜ借金を重ね、自分の戸籍まで売ろうと思うにいたったのか。
46歳の男が現金をすべて失い、自宅も半ば追い出されるような形で街をさまようとき、はたしてその心にはどんな思いが浮かぶだろうか。
もう一度、なんとかやり直せないものだろうか。彼はそう考えたかもしれない。
しかし、いくらそう考えたとしても、今の社会は46歳の落ちこぼれ人間、新自由主義的にいえば「負け組」の中の「負け組」ともいえる男に対して「再チャレンジ」の機会を与えるほどの優しさは持ち合わせていない。金のない人間は、人間としての値打ちもないと考えられがちな社会の中で、小川和弘は絶望し、追い詰められ、もしかすると精神に異常を来すほどうちひしがれた状態で、あの個室ビデオ店に入ったのではないか。

小川和弘には社会に対する復讐といった、積極的な気持ちは働いていなかったかもしれない。しかし、自分がこんな惨めな状態になってしまったことに対するやり場のない思いは十分に抱いていたはずだ。

私は、加藤智大が抱いていた怒りを人々がある程度理解したように、小川和弘が抱いていた絶望に対しても、もう少し理解してやる必要があるのではないかと思う。
虚ろな眼差しの小川和弘の写真を見て、吐き捨てるような思いを持つことは、私には今のところできないのである。

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