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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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ああ! なんてこった。

自民党・公明党はまたまたバカげたことを繰り返すつもりだ。

やつらは景気対策と称して、定額減税を実施することを決めた。
規模は2兆円で、所得に関わりなく、つまりは金持ちも貧乏人も一律に分け与えると言うことで、金持ちにとっては数万円ぽっちもらったところで何も有り難くないだろうし、貧乏人にとってはないよりはマシだが、それで購買意欲を高め生活を豊かにしろといわれても「無理でんがな」と言いたいところだ。
要するに、2兆円ぽっちばらまかれても国民生活にはほとんど影響がないということだ。

自公が決めた案によると、この定額減税は一期だけに限るもので、現金やクーポン券などを市町村窓口で直接配布する「給付金方式」にするのだそうだ。

これで嫌でも思い出すのは、99年に公明党が言い出して実施された天下の愚策、「地域振興券」だ。
当時は一定の条件を満たした国民に対し、一人2万円分のクーポン券が配られた。しかしこのクーポン券、使えるのは居住している区域内でしか使えないうえに釣り銭も出ないなど、不便なことこのうえない代物だったうえ、たかだか2万円程度もらったところで、当時の不況・不景気感はピクリとも変わらなかった。
このアホくさいクーポン券のために使われた総額は6000億円あまりだったが、それらはもちろん税金でまかなわれたのであり、せっかくの血税がみすみす無駄に費やされてしまったことになる。

しかし自民党と公明党は、あの失敗に何も学ぶことなく、ふたたび同じようなバラマキをしようとしている。
それだけではない。
何の効果も期待できないバラマキをしておいて、その後には税制を見直し、消費税増税をふくむ、ありとあらゆる増税を実施しようという魂胆なのだ。

自民・公明の政治家どもは、とことん国民のことを馬鹿にしているとしか思えない。
株価が乱高下しただけで金融機関には何も言われないのに10兆円も出してやるくせに、苦しい生活にあえぐ国民に対してはたったの2兆円ぽっち、それも1回こっきり施してやって、有り難く思えと言っている。言葉には出さなくても、奴らのやろうとしていることは、後で増税して思い切り分捕ろうとしている魂胆が見え見えであり、それは国民を侮っているからこそできる仕業だ。

冗談じゃないぜ。そんな端金(はしたがね)に惑わされてたまるかよ。

簡単に増税などさせてたまるものか。
金が足りないというのなら、税に頼る前にすることがあるはずだ。
政官業の癒着をなくし、すべての官庁、すべての政治家が貪っている無駄をなくし、さらに大企業や高額所得者から適正な税金を徴収し、それでもなお足りないというのであれば初めて税の負担を考えてやってもいいというのが多くの国民の言い分だ。

だが、すでに多くのブロガーがこれまでにもさんざん書いているように、今の自民党には現有社会の歪みを糺す力も意志もない。
だからこそ、自公政権がこれ以上馬鹿な政策を実施しないよう、政権交代が必要なのだ。

今日はアタマにきているのでもう一度繰り返す。
くれぐれも目先の端金に騙されてはならない。
自公政権による定額減税には声を大にしてNOを突きつけてやるべきだ。

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関連タグ : 定額減税, 地域振興券, バラマキ,

株取引などに無縁の生活を送っている私にとって、数日来の株式の乱高下など他人事にしか映らない。今日は一時東証で7000円割れになったようだが、どうってことはない。
虎の子の5000万を株に注ぎ込み、あわよくば2割り増し、3割り増しにして差額を元手に老後を豊かに過ごそうと思っていたような人間ならば、今日一日だけでも寿命が5年がところは縮まったかもしれないが。私からしてみれば、そうは問屋が卸すものか、ということろだ。

しかし、この株安・円高の状況を受けて、金融機関を守ることを名目に、政府はまたまた税金を使おうとしている。
なぜだ?
経済に暗い私には、その理由が少しも分からない。
だってそうだろう。
バブル崩壊後の不況のときは、多くの銀行が不良債権を抱えていることが原因だったから政府は公的資金を注入した。なぜ金融機関だけ特別扱いをして、国民の血税で救おうとするのか。このときでさえ、そうした不満の声は高かった。けれどもこのときはまだ、不満の声を抑えてでも公的資金を注入するための名目はあったのだ。
けれども、今回の金融危機はアメリカのデタラメな金融工学とやらが原因になって起きたもので、日本の金融機関にはわざわざ血税を注ぎ込んでやる必要があるとは思えない。
そりゃ、金融危機のあおりをうけてどこかが経営破綻にでもなったら、それはそのときの話だ。少なくとも今、予防措置とはいっても10兆円もの大金をポンとくれてやる理由はどこにもないと思う。

麻生太郎をはじめ自民党内では、この金融危機を理由に「今は100年に一度の危機。解散選挙などやっている時ではない」という考えが主流を占めているようだ。

今は解散総選挙などやっているときではないなどとはよく言ったもので、これだけの危機に直面しながら国民の信を問うてもいない連中が国を動かしている今の状態は異常としかいえないのではないか。
まっとうな神経を持っている者ならば、今こそ国民に信を問うにふさわしい時と考えるのが当たり前だ。

だが、解散が首相の専権事項であり、麻生太郎はあくまでも権力の座にしがみつきたいと思っているらしいのだから仕方がない。
仕方がないけれども、このまま黙っているのは業腹だ。
だったらこの際、重要案件となっているテロ特措法改正案について、徹底的に論議してもらおうではないか。アメリカ軍のためにガソリンをタダでくれてやるのが日本に課せられた国際的な役割だとか麻生は抜かしているが、いつ誰がそんなことを決めたか、許したのか。この際だから時間をかけて明らかにしてもらおうではないか。麻生太郎や自民党の議員たちの空っぽの頭に何を言っても無駄で、彼らはアメリカの言いなりになろうとしているのだから特措法を廃案にするのは難しいかもしれない。いざとなれば連中には60日可決という手もある。
それでも論議すべき問題であることには変わらない。
日本はこのまま無条件で戦争に協力し、紛争当事国で活動する人々をさらに危険に曝し、日本をテロリストたちの標的にしてしまうような法案を通すことが国のためになるのかどうか、分からず屋どもが相手でも徹底的に話し合ってもらいたい。

さらに金融機能強化法についても十分に論議をしてもらう必要があるだろう。今この時期に、金融機関だけをなぜ、血税を使って安易に救済する必要があるのか。その理由を国民の誰にも分かるように説明してもらいたいものだ。

麻生太郎が解散したくないというのなら仕方がないのだ。
だったら、野党としては麻生が政権を放り出したくなるほどに国会の場で問い詰めてやればいい。
いたずらに空白期間を作るべきではないと言ったのは与党なのだ。
ならば野党としても望むところだ。

徹底的に論戦で、奴らをやっつけてやればいいのだ。

■追記
民主党:衆院選先送りで路線転換、徹底審議戦略に 引き延ばしには慎重
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081028dde007010056000c.html

おお、どんどんやってもらおうではないか。

関連タグ : 麻生太郎, 解散総選挙, テロ特措法, 金融機能強化法,

麻生太郎

このところ、どうも魚の小骨が喉に引っかかったような気持ちで過ごしていた。
新聞・テレビなどの報道を見るにつけ、またネットニュースなどの書き込みを見るにつけ、
「なんか違うんだよな」
そう思いながらも言葉にすることができず、なんとなく時を過ごしてしまった。過ごしながらも、こんな三面ネタはすぐに忘れ去られるだろうと思っていた。
ところがこの話題、よほど誰かの癇に障ったのか、いまだに尾を引いている。
私の喉に引っかかったままの小骨も、それとともに邪魔臭さが増してきて、何とかしなければ気が済まなくなってしまった。

何の話かって?

麻生太郎の夜ごとの会合・会食のことである。

今さらここでおさらいすることもないだろう。
麻生太郎が毎日のようにホテルのバーやレストランで飲み食いしていることについて、「庶民感覚からかけはなれている」という非難の声が上がっている、あの件だ。

ほんとうのところ、どれほどの国民が麻生の夜ごとの贅沢に腹を立てているかは分からない。しかし事を報じた記者たちは間違いなく腹を立てているようだ。麻生が

「たくさんの人と会うと言うのは、ホテルのバーっていうのは安全で安いところだという意識が僕にはあります。だけど、ちょっと聞きますけど、例えば安いとこ行ったとしますよ。周りに30人からの新聞記者がいるのよ。警察官もいる。営業妨害って言われたら何て答える?新聞記者として『私たちの権利です』って、ずーっと立って店の妨害して平気ですか?聞いてんだよ。答えろよ」

こう逆ギレしたせいもあって、記者たちはその後も執念深くこの件を書き立てている。
記事を読んだ国民も、おそらくかなりが麻生の贅沢を面白くなく思っているに違いない。
もちろん、私だって癪に障るさ。
「けっ、いいよな。ボンボンは」ってなもんだ。
俺だってできることならやってみたいよ。

さて、私の喉に突き刺さった小骨というのはここにある。

俺だってやれるものならやりたいけれど、金がないからそれはできない。
それを麻生の野郎はこれみよがしに連日連夜つづけやがって。
面白くねえな。

だけど、麻生などは首相にならなくたって似たようなことはやってきただろうし、麻生財閥が解体でもされない限り、奴は贅沢三昧を今後も続けていくはずだ。
それをいまさら「庶民感覚」とかけはなれていると言ったところで詮ないことではないか。
仮に麻生が、酒食に大枚の金を使うかわりに妾を何人も囲って3日と空けずに通い詰めていたとしたら、それは道徳的にけしからんと言ってもいいかもしれない。
だが、ホテルのレストランやバーをわが家のように使っているからと言って書き立てても仕方がない。せいぜいのところ、あまり飲み過ぎて要らぬ失言をしないようにと皮肉の一つも言ってやればいいのである。

この件でもっとも私を苛つかせる小骨は、「庶民感覚」という言葉だ。

いったい何だ? 庶民感覚って。

これまでみんなが寄ってたかって書き立てている「庶民感覚」とは、詰まるところ嫉妬や妬みをもっともらしく言い換えただけのことではないか。
だいたい、庶民感覚などという言葉を使う前に、果たして総理大臣に庶民感覚などというものが必要なのかどうかを考えてみたらどうなのか。

第一に、麻生のような男が「30人からの新聞記者や警官」を引き連れて赤提灯を訪れたなら、営業妨害云々以前にイヤミったらしくてしょうがない。庶民には庶民の領域がある。それを首相ごときに侵してもらいたくはないものだ。
第二に、日本の首相には「庶民感覚」を慮るばかりに安っぽい酒場に入り浸るような真似をしてほしくないという気持ちがある。貧乏くさい首相など、さらに魅力がなくなるではないか。世界の要人と相対することを仕事にする人間ならばそれなりの店を知っておいてもらいたい。麻生はポケットマネーでそういうところに出入りしているというのだから、これはちょっぴりではあっても褒めてやっていいことだとさえ思う。実は全部税金で飲み食いしてたというのなら、それはそれでムカツクことではあるけれど。

そしてもうひとつは、「庶民感覚」という言葉を受け取るわれわれの側にある意識の問題だ。

もし私が麻生ほどではないにしても十分な金をもっていたら、すでに書いたように、私だって連日ではないにしても高級レストランに行くことだろう。
たまたま私は麻生が利用して話題に上った六本木の「馬尻」という店を知っている。
いい店である。そこそこ手頃な金額でワインと上質な料理が楽しめる。
麻生にはもったいない店である。私だって行けたのだから。
私が東京に暮らしていて、小金があれば、そして六本木という土地柄が好きならば、「馬尻」はぜひ行きつけにしたい店である(もっとも最近の事情は知らないのだが)。

誰だって、自由になる金があればそれなりの贅沢はするだろう。人にはそれぞれ趣味があるから、金の使い方はさまざまだろうが、自分の金を使ってちょっと贅沢をすることに、誰が文句を言うだろう。
今回、一連の報道や書き込みを読んでいて感じたのは、記事を書いている者自身が持っている卑しさがそこはかとなく漂っていることだった。

たとえば大手マスコミの社員ならば、普通の会社員よりもずっといい給料をもらっていることは周知の事実だ。彼らだって、毎日かどうかは知らないけれど、六本木や銀座の店を普通に利用しているのだ。いや、自分は新橋の赤提灯しか行ったことがないというのなら、それは趣味の問題か、あるいは単に飲み食いには金を使いたくない人種だというだけのことだろう。

さらに、マスコミに限らず、昔ながらの福利厚生を維持している大企業、中企業ならば社員だけが利用できる倶楽部があるはずである。かなりな高級食材を原価に近い金額で飲み食いできるこれらの施設は、麻生が利用している会員制バーと変わらないではないか。
恵まれた社員たちは皆、こうした施設を利用しているはずである。
そして自分たちは並以下の「庶民」たちには利用できない特権を持ち、それを当たり前のように行使しながら、卑しい人間とはいえ麻生太郎が同じようなことをすると「庶民感覚」とかけはなれていると非難する。

これを卑しいといわないのならば、卑怯とでも言うしかない。

私には今や小金もなければ、恵まれた社員のような特権もない。
だから、今回の報道にはたまらなく嫌悪感を感じる。

麻生も嫌らしいが、それをしたり顔で非難する輩も十分に嫌らしい。

私は総理大臣には庶民感覚など必要ないと思っている。
ただし、この社会は国民全員が互いに助け合わなければ幸せに暮らすことができない。社会保障はそのためにある。この大切な社会保障を維持するためには総理大臣もふくめ、国民すべてが応分の負担をしていかなければならない。
この意味で、首相は国民すべての生活のことを思いやる国民感覚は必要である。これがない者には首相を務める資格はない。

麻生太郎に、それはあるか。

私は、ないと思っている。

関連タグ : 麻生太郎, 庶民感覚, 社会保障,

仕事のせいもあるのだが、ブログの更新が間遠くなってしまった。
この間にもいろいろなことがあったのだが、それはすぐれたブロガーたちがそれぞれに書いていることなので、あえて私が書く必要もないだろう。

ブログを休んでいた間はミクシィの日記を頻繁に書き重ねていた。思いついたことをメモでも書くように記しておけるので、それはそれで便利なものである。
そこでも折に触れてはニュースについて記していたのだが、そんななかで私が関心を持ったのは、たとえば次のような記事である。

-------
[ワシントン 14日 ロイター] 2006年の米国の勤労者世帯の貧困層は28%で、2002年の27%から増加したと、ワーキングプア・ファミリー・プロジェクトが14日発表した調査で明らかにした。

 同調査によると、2002年には9200万人だった貧困家庭が2006年には9600万人に増加。米国では、子どもの3分の1が貧困家庭で生活している。

 また、調査では、2008年の基準を、ハワイ州とアラスカ州を除いた48州で、家族4人が4万2400ドル(約432万円・訂正)以下で生活している家庭を勤労者世帯の貧困層と定義した。

 世帯収入の減少は、富裕労働者に比べて、清掃作業員やレジ係、建設作業員、ベビーシッターなどの職種に多くみられるなど、所得の不平等が調査期間中に拡大したこともわかった。
-------

この報道について、私は、日本ではこのような調査が行われているのだろうか、その場合、年収200万程度が基準になるだろうか、などと書いた。

すると、16日付の神戸新聞が、まさに私の疑問に答えてくれるような記事を載せてくれた。
それは以下のようなものである。

-------
 若者の非正規雇用の増加が社会問題になる中、兵庫県内の労働組合などが七-九月、県内の若者約百人にアンケートしたところ、四割強が、年収二百万円以下のいわゆる「ワーキングプア」という結果が出た。非正規雇用の人に限れば、四分の三が年収二百万円以下と答えた。労組のメンバーらは今後、兵庫労働局へ調査結果を提出する。

 アンケートは、県内の若者らでつくる労組「ひょうご青年ユニオン~波」などで構成する「ひょうご青年実行委」が実施。三宮など神戸、尼崎市の計八カ所で、学生を除く十-三十代の若者百二人に年収などを尋ねた。

 それによると、雇用の形態は六十六人(64・7%)が正規雇用。三十三人(32・4%)が派遣やアルバイトなど非正規雇用だった。三人は求職中。

 年収は全体の四十五人(44・1%)が「二百万円以下」と答えた。雇用形態別の内訳は正規雇用では十八人(27・3%)だったが、非正規雇用は二十五人(75・8%)を占めた。年収二百万円の人のうち十六人は親から独立しており、生活は困窮していると推測される。

 自由回答では、三十代のアルバイト女性は「正社員の補助業務で仕事にやりがいがない。賃金も安く生活がしんどい。将来が不安」と記し、二十代の求職中の男性は「職場でののしられ、家にひきこもりがちになった。一人一人が大切にされる職場や社会にしてほしい」と訴えた。

 同実行委の門屋史明さん(37)は「ひどい労働環境でも、仕事を続けるために声を上げられない人もいた。若者が安定して働けるように法律を変えてほしい」と話している。
-------

ここではまさに年収200万以下がワーキングプアとしてカウントされており、働く若者の4割強がこれに該当。さらに非正規雇用者に限ってみれば、なんと75%がワーキングプアだという結果が出たのだ。
アメリカでは貧困家庭が9600万人にのぼるとされているが、日本でも貧困家庭の数は確実に増えているに違いない。

これらの報道を見て、私はセーフティネットを失った現代社会に問題があると思い、今の自民党政権には弱者を救う方策はないし、元来麻生太郎の頭の中には大企業・大資本に利する経済対策はあっても社会的弱者を救うという考えなどないだろうと思った。
だからこそ、自民党政権を倒し、政権交代の必要があると思う。

ところが、私がミクシィでこのことを書くと、意外なコメントがつけられた。一応、書いた者のHNは伏せておくが、次のようなものだった。

-------
金が無くて僻んでいる人は哀れですね
>富める者に痛みを味わってもらいたいものだ

貧乏で無能な者に投資しても、
ゴミ箱に捨てるようなものです。
-------
大企業・資本家優先の経済対策という認識がそもそも間違っています。
いわいるワーキングプアの方に対する政策を行っても、言い方悪いですが無意味ですから。

ワーキングプアがいやなら社会主義の国にでも行けばいいんです。
生存権を主張する前に義務を果たしてもらわないとww
-------

今、世界的な金融不安を迎えているのは、とりもなおさずアメリカが行ってきた新自由主義的政策が敗北した結果と考えるのが妥当だと言われている。しかし、日本の社会には上のような言葉を平気で書きつける真性の新自由主義者がまだまだいるということである。

私は、テレビに竹中平蔵などが出てイケシャアシャアと喋っているのを見るともちろんむかついてくるのだが、一般の社会に生きる人間から生の声としてこういう言葉を受け取ると妙に凹んでしまう。
貧乏するのは能力がないからで、助かりたければ自分で何とかしろ。
そういう声があることはもちろん知ってはいたが、直接そうした言葉を投げつけられるとけっこう堪える。
こういう考えを持っている人間が、もしかすると街ですれちがっているのかもしれないし、近所にこういう考えの持ち主が暮らしているのかもしれないと思うと慄然としてしまうのだ。

彼らはほんとうに貧乏な者は無能な者だと思っている。
ワーキングプアの対策を取るのは無意味だと考えている。生存権を主張するならば、その前に義務を果たすべきと信じている。

この冷たさはいったい何だろう。
これが同じ人間の考えることか。
新自由主義者というのは、血も涙もない人間のことなのか。

そんなとき、NHKが美輪明宏の番組を放送していた。
私はスピリチャル関係の話は別にして、シャンソン歌手としての美輪明宏は大好きである。
その美輪明宏が、かつて一世を風靡した「ヨイトマケの唄」を歌った。

オトーチャンのためなら、えんやこら。
お母ちゃんのためにも、えんやこらさ。
もひとつおまけに、えーんやこら。

こんな掛け声が、私の子ども時代には流行った。それは男も女も一緒になって働く土木労働者、いわゆる土方の掛け声であり、美輪明宏は彼らの姿を見て「ヨイトマケの唄」を作った。
この歌にはかつて美輪明宏が直面した非常に印象的なエピソードが根底にあり、それは私にも忘れられないものである。

それは美輪明宏が小学生で、父兄参観があったときのことだ。教室にはよそ行きの服で着飾った母親たちが大勢並んでいたが、そのなかに一人だけ、遅れてきた母親がいた。彼女は汚れた野良着のままで、汚い前掛けを外しながら背中をまるめるようにして教室に入ってきた。しかしその姿には少しも卑しさはなく、自分は単に仕事場から直接来たにすぎないということを無言のうちに語っていた。

休み時間になって、野良着を着た母親は自分の息子のところに行き、ヨレヨレになっている服をしゃんと伸ばしてやる。顔を見ると、息子は鼻から青白い鼻汁を2本垂らしている。すると母親は、唇をその鼻につけてチュルチュルッと鼻汁を吸い取り、窓からペッと外に吐き捨てた。

それを見ていた美輪は、なんて汚いことをするのだろうと思った。
しかし次の瞬間、その母親からは他の着飾った母親たちには逆立ちしてもできないことをしてのける大きな母性、母親としての深い愛情が教室一杯に満ちるのを感じた。

「子供の頃に 小学校で
 ヨイトマケの子供 きたない子供と
 いじめぬかれて はやされて
 くやし涙に くれながら
 泣いて帰った 道すがら
 母ちゃんの働く とこを見た
 母ちゃんの働く とこを見た」

ヨイトマケの唄」の歌詞には、そのときの記憶が刻み込まれている。

ヨイトマケという言葉は今では死語になってしまったが、ヨイトマケの子供、きたない子供とはやし立て、苛める子供なら今でも腐るほどいるだろう。
子供だけではない。
額に汗して働いても生活が苦しい者を見て、それは自分に能力がないせいだとか、貧乏人を救っても無駄だと本気で考えている大人がこの社会には生きているのだ。

ヨイトマケの唄」が流行った頃から日本は経済成長を遂げて確実に豊かになったかもしれない。
しかし、人の心はいまだに貧乏は悪であり、不幸なことであるという価値観からは抜け出せずにいる。
今、自民党政府は小手先だけの経済対策で金融不安を乗り切ろうとしているが、たとえそれが功を奏して日本経済が立ち直ったとしても国民は幸福にはなれないだろう。
なぜなら、麻生太郎にも自民党にも、弱者を救済し、貧しい者でも幸せを感じて生きる社会を作ろうという気持ちも方策もないからだ。

私が書いた日記にコメントをつけてきた新自由主義者は、自分のことだけを考え、金を十分に持っていることを幸せとして生きているが、人間の価値観はそれだけではない。
そのことを彼らに知らしめるには、どうすればいいのか。

私は単に政権交替が行われるだけでなく、日本においても市民革命のようなものが必要なのではないかと思いはじめている。


関連タグ : ワーキングプア, 年収200万, ヨイトマケの唄, 新自由主義者,

私は学生時代、ボイラーマンというちょっと変わったバイトをやっていた時期がある。
東京のある公共施設で、そこには温水ブールがあるのだが、一年中水泳教室を開いていた。そのプールの温度管理と水質管理をすることが主な仕事である。
もちろん私にはボイラー技士の資格などない。私を雇ったのは湯島にあった小さな設備管理会社だったが、そこから派遣されているボイラー技士のオッサンについて助手の役目をするという名目で私もその施設のボイラー室に派遣されたのである。

助手とは言いながら、ボイラーの点火にはじまり燃焼チェックから最後の消火まで、仕事の内容は技士のオッサンと変わりなくさせられた。それというのも、このオッサンは無類の将棋好きで、しょっちゅう将棋を指しに仕事場を抜け出したり、週のうち1日か2日、休みを取って気楽にやりたいという魂胆を持っていたのだ。
こんなふうに書くと、オッサンが悪人のように思えるかもしれないけれど、実際はいたって気のいいオッサンで、自分が休みを取るときは自分だけでなく私にも会社にはナイショで休みをくれたりしたのだ。公共施設の地下にあるボイラー室という狭い職場に二人で詰めているという特殊な職場環境があったから、そんな自由がきいたのだ。
将棋好きのオッサンはなんとか私にも将棋を仕込もうと、まるで丹下段平のように手取り足取り将棋の基礎から教え込もうとした。あいにく私にはジョーのような素質がなくて、数ヶ月もするとオッサンは私に教え込む情熱を失った。それでもヒマさえあれば、「どうだ、将棋でも指すか」と盤をもってくるのだった。

ボイラー管理の仕事など、一日中あるわけではない。ときどき水温や館内の温度を見て回ったり、プールの塩素濃度をチェックするだけだったから、実質的な仕事は少なかった。
施設側もその点は心得ていて、本来の業務とはべつに、館内の備品の出し入れや清掃を手伝わせた。
今から思えば典型的な偽装請負だよな。
しかしもちろん、その当時の私にはそんな意識はなかったし、そんな言葉も知らなかった。

館内の清掃や備品管理には別の設備管理会社から人が派遣されてきていた。ほとんどがシルバー世代のおじちゃん、おばちゃんだったが、皆気さくで楽しかった。学生は私ひとりだったから、可愛く思ってくれたのかもしれない。そのなかに一人だけ、30代の男がいて、兄貴のような存在になってくれた。彼もまた将棋が好きでボイラーのオッサンと気が合っていたのだが、その一方では助平なところもあって、私はどちらかというとその方面で彼とは気が合った。

ねずみ色の作業服を着てサンダルを履き、一日なんとなくブラブラしているように見えるボイラー管理の人間は、水泳教室を利用している人々からすればあまり近づきたくない類の人種に映っていたようだ。彼ら彼女たちはときどきプールの水が目に染みる、塩素が濃すぎるんじゃないかとかいってクレームをつけてきたりした。そのときの顔つきが、いかにも見下してこちらを見ているように思われた。ボイラーのオッサンは何も言わなかったけれど、私はそこにうっすらと「差別」があることを感じて腹立たしく感じることがあった。
「いいんだよ、気にするなって」
そんなときもいたっておおらかに、オッサンは受け流し、客が文句を言い終わると将棋盤を持ってきて「どうだ、やるか」と言うのだった。

ぬるいといえばぬるい職場環境だったが、ボイラーの扱いは資格が要る通り、一つ間違えば爆発事故を起こすこともある。オッサンは仕事を教える時に「これだけは手順を間違えるなよ」と真面目な顔をして言ったものである。私は一言も漏らすまいと手帳に書き留めながら話を聞いていた。

私は私なりに一生懸命仕事をしたし、周囲の人々にも可愛がられていたので施設の上の方の人間にも評判がよかった。その評判は私を雇っている会社にも伝わり、私はなんどとなくお褒めの言葉をもらった。バイト代は大してよくなかったけれど、社員たちのボーナス時期が近づいてくると「お前はよくやってくれてるし、それは会社の方も分かってるから、きっと特別にボーナスが出ると思うよ」などと言われた。
「大丈夫。こんど俺は会社に行く用事があるから、そのとき直にボーナスを出してやってくれと言ってきてやる」
オッサンはそう請け合った。

そしてボーナスが支払われる日。給料は皆封筒に入った現金で受け取っていたから、ボーナスも同じだった。
そして私もその日は期待にワクワクしていた。
「よかったな、お前にもボーナス出してやるっていってくれたぞ」
オッサンからそう聞かされていたからだ。

小さな会社だから社員たちが受け取るボーナスも、賞与と言うよりは志に近いものだった。それでも10万以上受け取ったオッサンは顔をほころばしていた。
そして私も封筒を受け取る番が来た。
果たしていくらもらえるのだろう。
どきどきしながら「特別ボーナス」と書かれた封筒を開けてみると、中に入っていたのは3000円だった。
「え、3000円ぽっちか。ひでえな。ケチな会社だな、まったく」
オッサンは怒っていた。
「馬鹿な会社だな、1万でも2万でも出しておけば、後々やる気も違ってくるだろうに。分かってねえな」
清掃の兄貴分はそう言った。
私もその通りだと思った。
20年以上前の話でも、3000円は少なすぎた。ことに「特別ボーナス」と書かれた封筒に入っている金額としては。

私はがっかりしたし、仕事こそそれまで通り真面目にやったけれど、自分を雇っている会社に対する気持ちはすっかり冷めてしまった。こんな会社のためにガンバッテやるものか、と思った。

今思えば、それくらいのことですねてしまった私も大した人間ではないと思う。
しかし、人間というものは期待した代価が得られなければ労働意欲を失うものだし、金を支払う側に対して不信感を持つものだ。中途半端な施しをされると、かえって人間は施されたことを恨むものである。

さて、麻生内閣は解散よりも景気対策がいちばんだとして、この夏にまとめた総合経済対策を前倒しする形で高速料金値下げを拡充すると発表した。
すでに高速料金値下げは9月から一部で始まっているが、この14日からは平日午前0~4時の深夜割引を現行の4割から5割にするという。ETC装着車が対象で、来年1月末までは休日深夜も平日と同様に5割引きにする。
また、西日本、中日本、東日本に本四高速を加えた4社は、9月から実施している平日午後10時~午前0時の3割引きと、東京・大阪近郊を除く地方部の休日午前9時~午後5時の5割引き(100キロまで)を継続する。こちらの期間はいずれも09年9月末までとなっている。

私はこのニュースを知って、あのバイトをしていた時の「特別ボーナス」のことを思い出した。
総合経済対策と能書きは仰々しいが、中身の寒さと言ったらないじゃないか。高速料金値下げするといっても深夜の時間帯では恩恵にあずかる自動車は一部にすぎない。物流関係の企業は喜ぶかもしれないが、一般庶民はごくごく限られるだろう。
おまけにETC装着車でなければ割引しないというのもセコイ。

ETCについては前にも書いたが、金の徴収システムをつけるためになぜ金を支払う側が負担をしなければならないのか。大いに不満がある。今回のもったいぶった割引制度も、景気対策といいながらETC装着率を高める目的があるのが見え見えだ。

一部に限られる割引サービスとETC普及目的の魂胆。
こんなものでどうして喜べるというのだ。
麻生太郎はどこまでいっても国民の心情など理解できず、結局は企業優先の景気対策しかできない。それはこの一事を見ても明らかだ。

どうせ値下げをするならば、どうして深夜といわず日中の料金を下げないのだ。ETCを着けた自動車だけ割引というのは不当な差別だろう。こんなものは経済対策でもなんでもありゃしない。

セコイ。あまりにセコすぎる、麻生太郎

数十年前、私を雇ったあのケチな会社が今もあるかは知らない。
しかし、国民からセコイと思われるような政策しか執れないような内閣などは、早く潰れてほしいものだ。
私は切にそう願うよ。

関連タグ : 総合経済対策, 高速料金, 値下げ, 麻生太郎,

テレビのコマーシャルなどを見ていると、自分たちが環境に配慮し、地球に優しい物作りをしていることを訴えている企業が目につく。
もちろん、地球規模の環境破壊や温室効果ガスによる気温の上昇、地球資源の枯渇など、今、人類が総力を挙げてこれらの問題に取り組まなければ、将来の地球が大変なことになってしまうだろうことは想像がつく。だから、どんな企業も資源の節約やリサイクルに取り組む必要があるし、新しく作る製品はできるだけ環境に負荷を与えず、環境を汚さないようなものを作っていかなければならない。
消費者はコマーシャルなどを通して、企業が訴える言葉を聞き、環境に配慮する企業はいい企業だというプラスのイメージをふくらませていく。

大学を卒業する学生たちに、どんな企業に就職したいかを聞くと、まず第一に安定した企業の名前が並ぶのは昔から変わらないことだが、今はもうひとつ、その企業が環境対策をしっかりしているという点もポイントになっていると思う。環境に優しいモノづくりをしている企業はいい企業なのだから、就職してもいいと考えるのは一応理屈が通っている。
私のような社会の道から一歩はずれたところを歩いている人間からすれば、安定した業績を上げている企業ほど社会の裏側ではそうとう汚れたことをやっているのを知っているし、クリーンなイメージを訴えている企業ほど実際には表に出せない企業実体を抱えているところが多いことを知っている。
だから、マスコミが毎年懲りもせずに行っている大学生の人気企業番付の類を見ると、フンと鼻で笑うばかりなのだ。

たとえば、環境に優しいモノづくりを訴えている大企業では、どんなことが行われているか。
志位和夫

10月7日の衆議院予算委員会で質問に立った共産党の志位和夫委員長は、日本を代表する有名企業が仕事の現場でどんなことを行っているかを白日の下にさらして見せた。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-10-09/2008100908_01_0.html

たとえば青色発光ダイオードの開発で知られる日亜化学では、偽装請負で働かされていた若者たちが、過酷な労働に徳島労働局に救済を求めた。そのうちの一人はライン作業中にロボットに接触し、腕に大けがを負ったという。しかし、日亜化学と派遣会社は労働災害の責任をすべて本人の責任に負わせ、偽装請負を隠蔽するための口裏合わせを強要した。
若者たちはやむにやまれず労働局に救済を求め、労働局も偽装請負があったことを認定し、いったんは1600人の請負労働者全員を順次、直接雇用にするという合意が成立した。
ところがその後、日亜化学はその合意を反故にしたうえ、救済を訴え出た若者たちから仕事を取り上げた。さらに一方的に雇用契約を打ち切った。
青色発光ダイオードによって大儲けし、その名前を世界に知らしめるようになった日亜化学は、偽装請負を行い、そのうえ理不尽にも労働者から仕事を奪ったのである。

さらに経団連会長で、消費税を是が非にも上げようとしている御手洗富士夫を出したキヤノン。この企業は日本が誇る優良企業として学生たちの人気も高いことで知られるが、その関連会社である宇都宮光学機器でも偽装請負で若者たちが働かされていた。
この場合も、栃木労働局によって偽装請負と認定された労働者が期間社員なったものの、そのうちの一人はわずか11ヶ月で解雇された。
この人がやっていた仕事は、生産部門の中でもっとも重要な部品を作る作業で熟練を要するものだった。高い技術を持っていたことから正社員の技術指導まで任されるほどだったが、会社側は彼を罵倒したり、頭を小突くといった嫌がらせを行った。その挙げ句、些細な理由をでっちあげて解雇した。
なんとも非人道的な行いで、キヤノン宇都宮光学機器が行ったことは人権蹂躙の見本のような仕業である。

トヨタ自動車の中核企業であるトヨタ車体では、派遣労働法の禁止事項をかいくぐるための卑劣な手段が執られていた。
ここは環境に優しいハイブリッド車のプリウスなどを生産している企業である。
派遣労働を導入するには「臨時的、一時的な場合に限る」「常用雇用の代替(正社員を派遣に置き換えることはしてはならない)」という大原則がある。
さらに、この大原則を守らせるためには派遣受け入れの期間が制限されており、派遣期間は原則として1年、最長でも3年までとして、これを超えて同じ業務を続けさせることは違法としている。

ところがトヨタ車体では、まず第一に派遣労働者の数を2005年から2008年までに倍増させている。全従業員に占める派遣の割合は16.5%から26.3%まで増えているのだ。トヨタ車体は、派遣労働者を増やすことでコストを削減し、利益を186億円から224億円まで増やしたという。

では、利益を増やすのに重要な役目を負った派遣労働者たちに、トヨタ車体はどのような働かせ方をしていたか。
志位和夫委員長が実際に聞き取りをした話を引用する。

>「車のドアやボンネットなど重いものでは二十キロから三十キロもの大型部品を段ボールにこん包する仕事をしています。多いときには一日千箱ものこん包作業となり、あまりの重労働のため腰痛で苦しめられています。作業は、正社員とまったく同じ仕事ですが、給料は手取りで二十万円、正社員よりはるかに低い。さらに派遣会社が借り上げたアパートに住むと五万円以上が引かれ、手元には十数万円しか残りません。アパートは、3LDKなら三人、2LDKなら二人の共同生活で、部屋はふすま一枚で仕切られているだけ、自分の部屋に行くにも、他人の部屋を通らないと行けないアパートもあります。六カ月ごとの短期雇用契約を、くりかえし更新させられています」<

まるで牛馬のように人を使い、タコ部屋に押し込めた挙げ句にアパート代まで天引きし、さらに短期雇用契約を繰り返し更新することで3年以上働かせていた。それがトヨタ車体がやっていることである。

また、トヨタ車体ではまったく同じ作業をする生産ラインが正社員と派遣労働者とに分けられ、3ヶ月と1日ごとに交代させていた。何のためにこのようなことをしていたかといえば、3ヶ月と1日以上派遣労働者を入れないラインを作ることによって、いわゆる「クーリングオフ期間」が成立し、3年を超えて派遣労働者を使っても法律に触れないことになるという理屈を作っていたのだ。トヨタ車体では、こうして恒常的に派遣労働者を使い続け、業績を上げてきたのである。
労働内容はまったく同じなのに、配置を交代させるだけで期間制限を超えても延々と派遣労働者を使い続ける。そして、今世界を揺るがす金融不安定の時期が来て輸出業の業績が伸び悩む、つまりクルマが売れなくなってくると、簡単に派遣の首を切るというわけだ。

トヨタではこうした違法な雇用形態を全社的にとってきた。そうして年間2兆円もの売り上げを上げ、世界一の自動車メーカーと呼ばれるようになったのである。

違法な雇用を行い、労働者が悲鳴を上げて救済を求めると冷酷に解雇するという手口は、日亜化学キヤノン宇都宮光学機器だけでなく、松下プラズマでも行われているという。

キヤノンが悪質なのは、志位和夫が本社の専務取締役と会って問題を糺したときに「製造派遣は年内に解消する」と約束しておきながら、実際には派遣を請け負いまたは期間社員に置き換える方針に替えただけで、6ヶ月ごとに契約更新を繰り返し、最長でも2年11ヶ月で契約中止するという、きわめて企業側に都合がいいないように改められただけだったことだ。企業にしてみれば、労働者側に問題があった場合はもちろんのこと、企業側に経営方針の変更や業績の悪化による縮小などが必要になった場合も気軽に労働者の首を切って人員整理をすることができる。

これではいくら世間から優良企業、安定した企業と見られていても安心して働くことなどできないだろう。
基本的に労働者をモノとしか考えていない企業は、たとえ正社員であろうと都合が悪くなればどんどん居づらくなるようなパワーハラスメントを行うだろうし、派遣労働者を簡単に解雇するような企業ならば、労働力が減った分のしわ寄せを正社員に負わせるのが当然と考えるだろう。

10月7日に行われた共産党志位委員長の質問は、民間放送では決して放送できない内容だった。もちろん、自民党偏向のNHKだって中継以外、ニュースでこの模様を流したりはしない。
しかし、この問題はひろく日本社会の人々が知っておくべき内容だったと思う。
今の日本の労働者が抱える問題を解決していかなければ、日本の貧困問題も解決できない。貧困問題がいつまでも解決しなければ、国民生活が明るくなることもない。

共産党の質問に対して、答弁に立った麻生太郎や舛添要一ら自民党の閣僚は、一様に「ココの企業の問題については答えることができない」と逃げの答弁に徹していたが、こうした姿勢を取る者たちでは何ら問題を解決できないことは明らかである。
麻生太郎は政権にしがみつくことに汲々としているが、必要なのは一刻も早くこの者どもから政権を奪うことなのだ。

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石原慎太郎が三宅島を復興させるのを目的として強引にぶち挙げた「バイクイベント」については、実質的になんら復興の役に立っておらず、都民が払った血税を使って空疎なお祭り騒ぎを起こしただけだという批判がある。
mixiではこの問題をテーマにしたコミュニティがあり、怒りのコメントが寄せられているが、その声が少しでも石原に届けば無謀な無駄遣いを今年も続けて行うのを阻止できるかもしれないのだが、どうやらその可能性は低いようだ。
石原のような恫喝だけが取り柄の卑怯な男は、たとえ批判の声が耳に入ったとしても聞こえぬふりをしてこのイベントを続けるだろう。
なぜなら、このバイクイベントは石原にとって儲かる催し事だからだ。

このイベントはもともと「マン島レース」を真似して、三宅島の公道をコースに使い、本格的なバイクレースを行おうという石原慎太郎の思いつきで企画されたものだ。
名目上は三宅島復興となっているが、何のことはない、実際には復興どころか村民に新たな負担を強いる、とんでもない企みだった。そのうえ、三宅島の公道をコースに使うにはあまりに危険が多すぎる、救急体制が確保できないといった理由でプロのレーサーたちは皆反対した。それでも言い出したら聞かない石原は、公道レースは諦めたものの飛行場を使ったバイクイベントを開くことで体裁を繕い、そのために2億6500万円もの税金を使った。

こうして昨年11月に開かれたイベントには、わずか1000人ほどの観客しか集まらなかったというが、石原はそれでも懲りずに今年も同様のイベントを行うとし、5月には東京・台場でプレイベントまで行っている。

石原の暴走を止められる者はもはやいないのだろうか。
岩城滉一

ほんとにトホホな気持ちでいるときに、さらに気分を落ち込ませるような事実が報道された。

毎日新聞によると、昨年開かれたイベントにはゲストとして俳優の岩城滉一が招かれたが、パレードやツーリングに参加しただけの岩城に対して、都は三宅島スポーツ振興会を通して1000万円の出演料を支払ったという。しかも、法外なギャラを支払っただけでなく、宿泊費と交通費として約50万円を支払っていた。

なんとも呆れた金銭感覚という他ないが、それは支払った都側にいえるだけでなく、受け取った岩城の方にも言えるだろう。
いくら芸能人だからといって、交通費と宿泊費が50万とは恐れ入る。さらに岩城が所属する事務所によると、受け取ったギャラの1000万円のうち、600万円は島に持ち込んだ三輪バイクの改装費と整備士3人の同行費として使ったという。事務所の代表者によれば「イベントなので見栄えがいいようにバイクを改装する必要があった。島民の気持ちには応えられたと思う」とのこと。
つまり岩城滉一は、自分のバイクを島民にひけらかすために整備士を3人も引き連れていき、税金から支払われた金でそのバイクを改装・整備したというわけだ。

石原慎太郎の腹の中に三宅島復興などほとんどないのは分かりきったことだが、その分け前にあずかった岩城滉一にも復興に協力するなどという気持ちはミジンコほどもなかっただろう。
税金から支払われた金で好きなように自分のバイクを改装し、いい気になってパレードをすることのどこに復興に役立つ効果があったというのだ。
岩城滉一という5流俳優は、単に美味しい仕事として三宅島に出張し、血税と知りながら自分のバイクをカッコよくして帰ってきたに過ぎない。

金に対する意地汚さでは石原慎太郎と同等と言えるだろう。

1000万のギャラが法外だったかどうかはこの際どうでもいい。

もし岩城に三宅島復興への真摯な思いがあったのならば、ノーギャラで仕事を引き受けるべきだっただろうし、受け取ったとしても1000万は多すぎると辞退したことだろう。自分のバイクを改装して島民の気持ちに応えるよりも、いくらかでもチャリティーとして寄付したことだろう。
さらに岩城がまともなバイカーならば、誰もが危険で中止すべきだとしているイベントを後押しするような行為はしないはずだ。
しかし岩城滉一はそのようなことは一切せず、ギャラを受け取り、宿泊費と交通費も受け取った。
岩城滉一は石原慎太郎が企てたクソのようなイベントに同調して都民の金を貪ることで、俳優としてもクズだが、バイカーとしても人間としてもロクなもんじゃないことを示したといえるだろう。
今後、私は岩城滉一という男を石原慎太郎と同等の人間のクズとして見ることにしよう。

最低だな、岩城って。

多くの反対の声を無視して、バイクイベントは今年も17~19日に開かれる。
また大枚の税金が注ぎ込まれ、復興どころかイベント開催支援として島民たちの金がまたしても搾り取られることになる。
石原の暴走を止めない限り、利権と金にまみれた薄汚いイベントはこれからも延々と続くことになるだろう。

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昔、日雇い労務者は日銭を稼ぐと簡易宿泊所、いわゆる木賃宿に寝泊まりしていた。そこではまったくの素泊まりだけで簡単なカギのついた部屋に薄くてかび臭い布団があるだけだった。料金は前払いで、金がなければもちろん泊まることはできない。
周辺では仕事にあぶれた男たちが昼間からカップ酒を飲み、どこからか拾ってきた新聞を広げて見ていたりする。
なんとも殺伐とした光景だった。

私が学校に通う時、電車の窓から木造長屋の木賃宿が見えていた。「一泊300円」などという、ペンキの剥げかかった看板が掛かっているのを見ながら、ああいうところで寝泊まりするようになったら終わりだな、などと勝手な想像をしていたものである。今ならその看板も「一泊1500円」程度に掛け替えられているのではなかろうか。それでもそこを利用する客は、なくならないだろう。

その木賃宿が、最近はネットカフェや漫画喫茶、個室ビデオ店と衣を替えて繁華街に進出している。
利用するのは終電を逃したサラリーマンが多いらしいが、一泊1000円程度で泊まれるとあって、金に困っている日雇い労働者や派遣社員など、ワーキングプア層もねぐらとして利用しているようだ。

さいわいにも私はネットカフェや漫画喫茶、それに個室ビデオ店も利用したことはないのだが、もしそこで寝泊まりしなければならなくなったなら、かつて木賃宿の光景を見て思ったように「俺もついにここまで来てしまったか」と慨嘆するに違いない。

ネットカフェも漫画喫茶も個室ビデオ店も、必要最低限の体を休めるだけの設備は整えているが、ほんらい寝泊まりするための施設ではないのだから、そこで何日も暮らすとなれば体には相当な負担になることは想像に難くない。それでも、さまざまな事情を抱え、自分の家の布団に身を横たえることができなくなってしまった人々が、仕方なくここを訪れ、つかの間の休息を得ているのだ。
彼らに共通しているのは、貧困。不安と絶望。
ネットが利用できたり漫画が読めたり、エロビデオが見れたりするかもしれないが、そんなものを目当てにこれらの施設を使う者はほとんどいないだろう。

終電に遅れたサラリーマンにしたところで、仕事で帰りが遅くなったのならば、ほんらいは会社がタクシー代を出すべきなのに出してはくれないものだから、よんどころなく個室ビデオ店を利用することになる。なぜ仕事が遅くなったかといえば、業績悪化でリストラが進み、仕事場から社員が減ったために仕事量が増え、毎日遅くまで仕事をしなければならないのだ。

昔ながらの木賃宿は今でもあるが、さすがにそこまでいくのには度胸がいる。しかし一晩泊まるにはなるべく安いところを選ぶしかないから、彼らは風俗店のドアを潜っていく。
石原慎太郎

こうした人々のどこが、ファッション感覚で寝泊まりしているといえるだろうか。
それを、事情も分かりもせず、貧しさに喘ぐ人々の気持ちを想像する能力もない東京都知事の石原慎太郎は、愚弄した。

石原は3日の会見でこう言った。
「山谷のドヤに行ってご覧なさいよ。200円、300円で泊まれる宿はいっぱいあるんだよ。そこへ行かずにだな、何か知らんけれどもファッションみたいな形でね、1500円っていうお金を払ってね、そこへ泊まって『おれは大変だ、大変だ』って言うのはね」

これに対しNPO「もやい」の稲葉剛代表理事は「200円~300円で泊まれる宿なんて聞いたことがない。個室ビデオ店に泊まる生活困窮者を『ファッションみたい』というのも失礼な話だ」と指摘している。

石原慎太郎という稀代のポピュリストは、次から次へと口から出任せでものを言う。そしてこの男の口から出てくる言葉は必ずといっていいほど人を小馬鹿にし、傷つける毒をふくんでいる。この男が生活困窮者の気持ちを思いやることなど、百年経ってもできないだろう。
木賃宿に泊まるようになったら終わりだなと思ったとき、私の心の中には、いつか自分もそういう境遇になることへの恐れがあった。木賃宿に泊まるということはどういうことを意味するのか。そういう生活をするということは、どんな思いを味わうことなのか。
私には想像することができたから、できることなら利用せずにすましたいものだと思ったのだ。

東京都の知事として盤石の基礎を築き、殿様のように周囲を見下して暮らしている石原のような男には想像もつくまい。
今、貧困が国民の間にどのように広がっており、一日一日を凌ぐために人々がどんな思いをしているのか。

私は石原慎太郎の吐き出す汚れた言葉を耳にするたび、耳に栓をしたくなる。それでも石原の言葉はどこかから耳目に入ってくるからついに気分が悪くなる。そして怒りが湧いてくる。
この男のねじ曲がった自尊心を叩きつぶし、世界でいちばん惨めな生活を味わわせてやることができるのなら、私は悪魔に魂を売ってもいいと、本気で思っている。

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小川和弘
今年の6月、秋葉原で加藤智大が起こした無差別殺傷事件では、その根底に現在の格差社会がかかえる矛盾があることを多くの人が指摘した。
そして今日、加藤智大は精神鑑定の結果、責任能力があることが認められて正式に起訴されることが決まった。彼が起こした犯行の残忍性や無責任についてはいくら非難しても足りないほどだが、やはり秋葉原事件は自民党政権による新自由主義社会が引き起こした事件として歴史に刻まれることになるのではないだろうか。
事件を起こすかどうかという点については、本人の資質や本人を取り巻く環境、家族との関係などが大きく関わると思うが、もし日本の社会にこれほどひどい格差が存在せず、生きることに希望を失わせない社会だったならば、加藤智大があのような行動を取っただろうかと考えずにはいられない。

同じように、大阪で起きた個室ビデオ店放火事件もまた、根底に格差社会があることをそろそろ論じてもいい頃なのではないかと思う。

新聞・テレビはもっぱら個室ビデオ店という風俗産業の問題点を指摘する方向で事件を語ろうとしており、犯人の小川和弘については借金を抱え、家族・財産を失った人生の転落組であり、最近は奇矯な行動を見せることもあったという点が語られるばかりで、社会的な問題とのつながりを指摘する声は少ない。

しかし、小川和弘もまた日本というすべり台社会の中で足を踏み外してしまい、もはやはい上がることができない、あるいはそれを許されない状況のなかで人生に絶望し、ライターで火をつけてしまったと考えることができるのではないだろうか。
加藤智大は、派遣労働者という不安定で差別的な身分に甘んじていることに我慢できずに犯行を起こした。
小川和弘の場合は、分譲マンションに家族と暮らしていたが、働いていた大手企業をリストラで退職し、その後はギャンブルにのめり込んで財産を失い、最後には戸籍まで売って金を作り、文字通りその日暮らしをしながら犯行の日までしのいできた。個室ビデオ店に入ったときにはほとんど現金は持っていなかったという。
マスコミが伝える犯人像だけを追うと、単にだらしない人間が身を持ち崩した挙げ句、発作的に放火を起こしたかのように見えるが、小川和弘がもらした「生きるのが嫌になった」という言葉にはもっと深い闇が隠されているように思えてならない。

写真に写る小川和弘の表情はうつろで、重大な犯罪を犯した責任を感じているようには見えない。もしかすると、今後行われるであろう精神鑑定で犯行当時は心神喪失状態だったという結果が出るかもしれない。
しかし、彼がもし会社をリストラされていなければ、ギャンブルで身を持ち崩したとはいえ、生活保護を受けるまでになったときに誰かが救いの手をさしのべる制度があれば、「生きるのが嫌になった」と思い詰めるほどの絶望に追い込まれることはなかったのではないか。

小川和弘のような人間に対して、今の社会は「自業自得」という言葉を投げつける。どうしようもなくだらしない男だと吐き捨てるように言う。
たしかに小川という男は、そう言われても仕方のない人間だったのかもしれない。
けれども、なぜ彼がリストラされたのか、なぜギャンブルにのめり込むようになったのか、なぜ借金を重ね、自分の戸籍まで売ろうと思うにいたったのか。
46歳の男が現金をすべて失い、自宅も半ば追い出されるような形で街をさまようとき、はたしてその心にはどんな思いが浮かぶだろうか。
もう一度、なんとかやり直せないものだろうか。彼はそう考えたかもしれない。
しかし、いくらそう考えたとしても、今の社会は46歳の落ちこぼれ人間、新自由主義的にいえば「負け組」の中の「負け組」ともいえる男に対して「再チャレンジ」の機会を与えるほどの優しさは持ち合わせていない。金のない人間は、人間としての値打ちもないと考えられがちな社会の中で、小川和弘は絶望し、追い詰められ、もしかすると精神に異常を来すほどうちひしがれた状態で、あの個室ビデオ店に入ったのではないか。

小川和弘には社会に対する復讐といった、積極的な気持ちは働いていなかったかもしれない。しかし、自分がこんな惨めな状態になってしまったことに対するやり場のない思いは十分に抱いていたはずだ。

私は、加藤智大が抱いていた怒りを人々がある程度理解したように、小川和弘が抱いていた絶望に対しても、もう少し理解してやる必要があるのではないかと思う。
虚ろな眼差しの小川和弘の写真を見て、吐き捨てるような思いを持つことは、私には今のところできないのである。

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社会保障費の財源に消費税を充てたいと考えているのは自民党だが、それを強力に後押しする形で経団連が2011年度までに消費税を5%引き上げるよう提言した。つまり3年後には消費税を10%にしろというのだ。
少子高齢化が進めば社会保障費がかさむのは誰だって分かることだが、その財源としてなぜ消費税を充てなければならないのか。
そこのところを誰か明快に教えてくれないものだろうか。

健康保険料や介護保険料を支払っているのに、なぜ、国民はさらに消費税という形で自分たちの財布を傷めながら保障を維持しなければならないのか。
社会保障は、社会的弱者や貧しい人ほど切実に必要とするものである。それなのに自民党や経団連は、そうした人々からも金を徴収しなければ、制度が維持できないと言っている。
それは本当なのか。

経団連といえば、今の会長はキヤノン出身の御手洗冨士夫で、その前の会長はトヨタ自動車の奥田碩だった。どちらも日本の優良企業のトップで、輸出でがっぽり儲けて日本経済を支えてきたと言われているが、国からは税制的に思い切り優遇され、さらに政府に働きかけて優遇の度合いをどんどん増してきた企業のトップである。
その一方で労働者に対しては派遣労働者など非正規雇用者をフル活用し、できる限り金を出さないようにすることを是としてきた経営者たちだ。
彼らにしてみれば、企業が儲ける金は次に儲けを生み出すために使うものであり、労働者や国民に還元するものではあり得ない。だから、どんなに儲かっていても社会保障費などは国民が自分で賄うべきで、その金が足りないならば当然消費税を充てるべきだと考えるのだろう。

要するにどんなことがあっても自分の懐が痛むようなことはしたくないのだ。

しかし、国民の側からすれば社会保障費をさんざん削られた上に、ダメ押しするように消費税まで取られるというのは二重三重の搾取にあっているようなものではないか。
自民党や経団連の金持ち連中は汲々として日本の富を自分たちの手元に集めてきたというのに。

社会保障費が不足するというのならばまず、富が集まったところから出すようにするのが筋というものではないか。これまでさんざん美味しい思いをしてきた税制を改めて大企業に金を出させるのが第一だ。
さらに、格差社会の中で一握りの人間に集中してきた富を再分配する制度にすることも必要だ。つまり課税を累進制に戻すことだ。
金持ち連中は、そんなことをしたら働くのがバカらしくなると文句を言うが、それ以前に収入がどんどん目減りし、物価ばかり上がり、さらに困った時には誰も助けてくれない社会に生かされている多くの国民の方が、こんな社会で生活するのはバカらしいと思っているのだ。このバカらしさを痛み分けしてもらいたいものだ。

消費税を10%に上げたい経団連は、増税する代わりに年収500万円以下の世帯には一世帯あたり10万円程度の定額減税を実施、そのうえ食料品などは税率を現行の5%に据え置くことを主張している。
ありがたくて涙が出そうな配慮だが、「同情するなら金をくれ!」である。

これからの社会は、新自由主義によって甘い汁を吸ってきた連中から、獲りすぎた分を取り戻す社会にならなければならない。
なにも共産社会になれというのではない。必要となれば皆で応分の負担をすることにやぶさかではないが、負担をするにはそれを納得できるだけの理由と態度を政府にも財界にも示してもらわなければ困るというのだ。

麻生太郎はいま、できるだけ解散を先に引き延ばし、自分たち、つまり自民党や経団連の金持ち連中に都合のいい政策をどんどん可決し、実施に持ち込もうとしているように見える。
そんなことは断じて許さず、自民党や経団連の虫のいい考えにNOをつきつけ、政権交代を実現させることが日本にとっては最重要課題だ。政府与党と野党が睨み合い、実質的に政治の空白状態を続けるよりも、民主党を中心とした野党勢力による政権奪取を実現させる。新自由主義社会に替わって社会民主主義の社会にする。
これを今後も訴え続けていきたいと思う。



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麻生太郎
良識ある国民から見れば、今の自民党に政権担当能力がないことは明らかだし、いちばん必要なのは解散総選挙である。

けれども、喉から手が出るほど欲しかった首相の座をようやっとの思いで手に入れた麻生太郎としては、せっかく座った総理の椅子を明け渡すなど、とんでもないだろう。
自民党総裁選ではマスコミが流す「総裁選後に総選挙」というシナリオに逆らわず、「総選挙が大事だ」などと言っていたが、いざ実際に総理総裁になってみれば、なんでみすみすこの座を誰かに譲らなければならないのだと思うのは自然かもしれない。

育ちのわりにガラが悪く、頭もスカスカな麻生太郎の代わりになって考えてやるのはなんとも気色が悪いことではあるが、私が麻生だったら、今何故解散せにゃならぬ? と思うだろう。

自民党にとって、麻生自身にとって解散総選挙とこのまま総理を続けることとを秤に掛けて比べてみれば、総理を続けた方がいいに決まってる。世論に耳を傾ければ年金問題や後期高齢者医療制度などで自民党には逆風が吹いている。
さらに組閣早々、中山成彬のバカが暴走してくれたおかげで、さらに逆風は強まってしまった。
そのうえ、小渕優子や中川昭一、河村健夫、それに麻生本人も汚職事件の贈賄側企業から献金を受けていた事実が発覚している。さらに河村にいたっては、ついこの間、山積する問題をほっぽり出して辞任した農水大臣と同じ疑惑の事務所費問題まで浮上してきた。

こんなときに解散なんかしたら、総理の座から降りなきゃならないことは、馬鹿な麻生だって痛いほど分かってるだろう。

だったらどうすればいいか。
答えはカンタン。辞めなきゃいいのだ。
幸いなことに解散を決めるのは総理の専権事項だ。このカードさえ手放さなければマスコミがなんとほざこうと、構わない。
「世論は解散より景気対策を求めている」というセリフはそんな気持ちの現れだろう。
そう言っておいて、補正予算審議の後は消費者庁設置、新テロ特措法の延長問題など、問題がまだまだあるとしておけば時間は稼げる。なにしろ任期は来年の9月まであるのだから、それまで続けたって誰も文句は言えないはずなのだ。公明党はうるさく言ってくるだろうが、麻生と公明党は仲がいい。何らかの取引をすれば解散先送りに賛成してくれるのではないか。
おまけに都合がいいことに、アメリカの金融再建問題のごたつきから世界恐慌が起きるかもしれないという「神風」まで吹いている。
麻生は思っているだろう。
「天は俺に味方している」と。

というわけで、解散総選挙についてはさまざまな説が流れているけれど、私は麻生になりかわり、ここで言ってみることにする。

解散総選挙はしないよ。するとしてもずっと先のこと。

だから下々の国民は、しばらくは口のひん曲がった総理でガマンをするように。

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私は知らなかったのだが、今日10月1日は「日本酒の日」なのだそうだ。
なんでまた、この日が「日本酒の日」なのか。またどこかのテレビ局がやってるみたいに、勝手に語呂を合わせてコマーシャルでもやろうという魂胆かと思ったら、そうでもないらしい。

ある日本酒メーカーのHPによると、次のような意味合いがあるのだそうだ。
まず、「酒」という文字は「酉」に由来する。十二支の10番目が「酉」であり、10月は10番目の月にあたる。さらに「酉」は酒壺の形を表す象形文字で、酒を意味するのだそうだ。
また、1965年以前の酒造年度は「10月1日から」と定められていた。蔵元ではこの日を「酒造元旦」として祝っていたという。そこで1978年いらい、日本酒造組合中央会では10月1日を「日本酒の日」に制定した。

10月といえば原料となる酒米の新米が収穫される時期であり、新酒の醸造が始まる季節である。これからどんどん寒くなる気候に合わせて造る酒は「寒造り」と呼ばれ、半年以上も貯蔵・熟成した酒は「冷やおろし」として10月の今ごろから出荷が始まる。

日本には心を込めて醸造し、生産量は決して多くはないけれど、上質で美味い酒を作り続けている酒蔵がいくつもある。
けれども最近は、若者の日本酒ばなれが進んでいるとかで、日本酒の売り上げは年々少なくなっており、仕方なく酒造りを諦める酒蔵もあるという。日本酒好きの私としてはなんとも残念な話である。

日本酒といえば、いまだに問題が解決していないどころか、事件の闇はどんどん深まっている観のある三笠フーズをはじめとする悪徳業者と農水省による事故米転売事件について、書いておきたいことがある。

私は、酒造メーカーがなぜ事故米などという品質的に劣った原料を使ったのかが分からなかった。もしかすると、酒造メーカーは原料費を節約するために安い原料米を仕入れていたのではないかと思っていた。
これについては西酒造が新聞に広告を出し、事故米は転売を重ねることで価格をつり上げる操作がなされており、メーカーが買う時には他の米と変わらない価格になっていたことが分かった。
しかし、それでも疑問が残るのは、価格的に見分けがつかなかったとしても、原料米を見た時に問題がある米だということがなぜ分からなかったのだろうということだ。

これについては、焼酎メーカーがテレビの取材に答えていた。それによると、酒蔵は多くの場合(とくに規模が小さいほど)精米設備を持っていない。そこで原料米を仕入れると、その米を精米設備のある卸屋なりで精米してもらい、酒造りに必要な部分だけを納入させていたというのだ。だから、もし精米を請け負った業者が悪質で「ひねり」という手段を使って酒蔵が仕入れた米を事故米とすり替え、その上で精米してしまえば酒蔵にはもうその米が事故米であるかどうか見分けることは不可能だというのだ。

日本酒を造る場合、原料米はその目的によって50~60%も周囲の部分を削り、芯に近い部分だけを用いる。だから、本当は事故米で周囲にカビが付着していたとしても、その部分を削ってしまえば見た目には問題のない米と区別するのは難しい。

こうした事情を考えれば、酒造メーカーが「自分たちは騙された」というのもようやく納得がいくというわけだ。

昨日はこの問題に関連して、広島にある酒類総合研究所が、汚染米で製造した可能性がある「美少年酒造」(熊本県)の清酒1点から農薬を検出したという発表があった。
検出された農薬は数値では測定できないほど微量のアセタミプリドという成分だったという。同研究所によると、農薬は米を蒸した段階で揮発したとみられるとのことだが、いかに微量であるにせよ、やはり農薬はふくまれていたのだ。

これを報じたのは共同通信だが、記事の見出しは「事故米清酒から微量農薬 美少年酒造、基準値下回る」とある。
たしかに測定値は数値にならないほどの微量だったかもしれないが、農薬は農薬である。いくら基準値を下回っていても、こんな酒は飲むわけにはいかない。農水省などは基準値を下回っていれば飲んでも大丈夫と言いそうだが、それならば自分たちが全部買い取って飲めばいい。
実際には農水省が安全宣言を出したわけでもなく、事故米を原料にしたと思われる酒は自主回収されたのだから、やはり怒るべきは酒造メーカーだろう。

それにしても、毒物が関わる事件では必ず「基準値」という言葉が出てくるが、疑問に思うのは基準値を下回っていればその物質を摂取してもかまわないようにとらえて国やメーカーは発表するケースが多いことだ。
どんなに微量であっても、有害物質はどこまでいっても有害なのであり、微量だからといって摂取していいはずがない。
今問題になっている中国製乳製品のメラミンにしても、丸大食品が販売した「クリームパンダ」にふくまれていたものは微量で、生涯にわたって毎日39個食べても健康に影響はないなどという発表をしているが、丸大食品はそんな発表をしてしまって大丈夫なのだろうか。私だったら絶対にそんなもの食べたくないし、私が丸大食品の人間だったら、毎日39個食べても大丈夫ですなどというよりも、とにかく食べないでくれと言うと思う。
メーカーとしての消費者に対する責任とは、そういうものなのではないのか。

日本酒にしてもそうだ。
せっかく今日は「日本酒の日」なのだ、酒造メーカーはそれこそ今回の事件を取り上げ、日本酒にかけられた国民の疑いを晴らすのに役立てるべきだったのではないだろうか。
なぜ汚染された米を原料として使ってしまったのか、そのいきさつを十分に説明すると同時に、疑いのある商品はすべて回収したこと、今後は原料米に対する管理を徹底することなどをアピールすべきである。
日本酒を飲む人口が減っていると嘆く前に、説明すべきは説明してその上で、自分たちは素晴らしい日本酒を造っているのだと誇って欲しい。

日本酒を愛する者の一人として、そんなことを思いつつ、今夜も美味い酒が飲めたらな、などと思っている次第だ。

関連タグ : 日本酒の日, 汚染米, 農薬, 基準値, メラミン,

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