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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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油田

電気代が大幅に値上がりするのも、もとはといえば原油高が原因ということになっている。
漁業者たちは燃料の高騰から漁が出来なくなり、7月にも一斉休漁をしたばかりだが、この状況が続けば全国20万人の漁師のうち8万人が職を失い、漁獲高が4割減るというケースも想定されるという。

日刊サイゾーの記事によると、この事態に慌てた政府・与党は漁業者に対して燃料代を補填するために総額745億円もの緊急支援策を発表したが、それも「高い重油代の一部を政府が肩代わりするだけの話で、疲弊しきった漁業界を立て直す根本策ではない。しかもこれだけの税金は結局、石油元売り会社に支払われることになり、実態は、儲けを増やしたい元売り各社への支援策ではないかとすらいわれている」。

6月に甘利明経産相(当時)が中東を訪問して原油の増産を働きかけ、サウジアラビアやクウェートがこれに応じてそれぞれ日量50万バレルと30万バレルの増産を約束した。
ところが、これでガソリンや重油の価格は下がるどころか、増産された重油はとんでもないところに使われてしまったというのだ。

「調達した石油は日本の元売り各社が受け取り、それを経済成長著しい中国などに輸出するんだよ」(経済ジャーナリスト)

経済発展が著しい中国などのアジア地域はインフレ状態が続いており、石油は日本よりも高く売れる。だからせっかく中東からまわされた増産分も、元売り各社は日本国内に回さずに中国でよく使われる産業用の軽油や、灯油と同質のジェット燃料へと大量精製して輸出しているという。
日本国内には原油が回ってこないので、いつまでたっても燃料費の高騰は続く。
その一方で、石油元売り会社だけはぼろ儲けする構図が出来上がっているというわけだ。

税金を使ってまで増産してもらった原油を、より高い価格で売れる中国などに売り飛ばしている石油元売り会社
ようやく来月からは5円程度の値下げをすることを発表したが、ほんとうはもっと早いうちから値下げできたはずなのだ。
日本の国民を苦しめておいて自分たちばかりが設けようとしているこれらの会社は、日本に対する背信行為を働いているといって非難されてもいいのではないか。
税金を投入して支援しようとしながら元売り会社ばかりを儲けさせている政府・与党の愚かさは、もっと非難されるべきではないか。

先日はトラック業界の人々が抗議デモを行っていたが、これから先も電気をはじめ値上げ品目がずらりと並び、国民生活はさらに脅かされようとしている。
今度は国民規模のデモを行う必要があるように思う。

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関連タグ : 原油高, 緊急支援策, 石油元売り会社, ぼろ儲け,

来年1月から電気料金が800円値上げされる。
一方的にそんなアナウンスをされても黙って受け入れられるか!
そう思う方はぜひ、このデモに参加を。
以下は檄文のコピー。
--------------------------
電力料金値上げ、おかしくない? みんなのエネルギー☆デモ 9/6(土)

ご存知の通り、来年1月から電力各社が一斉に値上げする予定です。「原油価
格の高騰によるコスト増大」がその理由とされていますが、果たして、この値上
げは本当に「仕方ない」ことなのでしょうか?生活の中で不可欠な電気の料金
を、私たち国民に充分説明もないまま、今までの電力会社の経営戦略の見直しも
ないまま、ただ値上げするのは、少しおかしいのではないでしょうか?

 そこで、私たちは「電力料金値上げ、おかしくない?みんなのエネルギー☆デ
モ」と題し、電気料金や日本のエネルギーのあり方について問うデモを、この9
月から来年1月まで、定期的に行いたいと思います。「原油高はわかるけど、何
かヘンじゃないかな?」「値上げしすぎじゃないの?」等と少しでも思われてい
る方々は、是非、後記の「このデモをやるべき4つの理由」をお読みの上、ご賛同・ご参加
をご検討下さいませ。

日時:9月6日(土)14時半集合・15時デモ出発
集合場所:水谷橋公園(中央区銀座1-12-6)
デモコース:水谷橋公園>東京電力本社>日比谷公園
主催/電気代値上げ反対委員会
発起人:増山麗奈(桃色ゲリラ)、澤田サンダー(作家)、志葉玲(ジャーナ
リスト)、本杉美智子(映像作家)
☆個人/団体賛同募集中です。連絡先はneageiya●gmail.com
(●を@に置き換えて下さい)


暫定版フライヤー↓
http://renaart.exblog.jp/9511867/
mixi内コミュ↓
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3599497


☆このデモをやるべき4つの理由
1)電気で広がる格差
2)高いのは原発なのでは?
3)高くなる一方の石油・石炭よりも、前途有望な自然エネルギーを!
4)みんなが使うエネルギー、みんなで考えよう。


1)電気で広がる格差

 非正規雇用の拡大などの影響で、今、日本では年収200万以下の人口が1000万
人を超え、特にワーキング・プアと呼ばれる人々や、年金暮らしのお年寄りは、
日々の生活費を10~100円単位で節約せざるを得ないなど、それでなくとも困
窮しています。この上、月800円=年間で9600円も値上げすることは、「貧しい
者は電気を使うな」と言う様なものではないでしょうか。個人だけでなく、既に原材料費など
のコスト高に苦しむ中小企業にとっても、ますます経営が圧迫されることは確実
で、ひいては日本経済そのものにも悪影響を及ぼすかもしれません。  

 一方で、電力会社は、大企業など大口顧客に対しては、電気を使えば使う
程、安くするという料金設定にしています。以前から「使いたい放題」により、
省エネ意欲を削ぐ要因にもなっているのではないか、と指摘されてきましたが、
こうした料金設定を改めずに、家庭や中小企業からの料金を値上げするのは、
「電気を使う上での格差」を拡大させるのではないでしょうか。
 必ずしも電気を使うことが幸せにつながるとは限らないものの、例えば、猛
暑の中で冷房が使えないことは、場合によっては、命にも関わることです。憲法
25条で保障された生存権の一環として、誰でも公平にエネルギーにアクセスでき
るべきではないのでしょうか。
 
2)高いのは原発なのでは?

 電力会社の言う「コスト高」は、本当に原油などの化石燃料の価格高騰だけ
なのでしょうか?少なくとも、東京電力に関して言えば、昨年の地震による柏崎
刈羽原発の停止と、その補修費用が、「29年ぶりの赤字転落」(08年度)が見込
まれる大きな原因となっていることは確かです。地震は天災ですが、揺れの規模
や活断層の存在を軽視したことは「人災」であり、その検証も充分でないままに、ツケを消
費者に回すことは、果たして、容認されることなのでしょうか。 

 コスト高といえば、今秋にも稼動するという青森県六ヶ所村の核燃料再処理
工場にからむ費用も凄まじいのですが、これらも結局、電気料金か税金でまかな
われるでしょう。「使用済み核燃料をリサイクルする」とされる施設ですが、実
際にリサイクルされる燃料は1割のみ。それに対し、コストは建設費だけで2兆
4000億円もかかっており、しかも、今後操業を続けると閉鎖までに少なくとも約19兆
円もかかるとされています。また、これらの試算には「一日で原発一年分」とい
う量の放射能排出による健康被害がもたらすであろう、医療費の増加分は含まれ
ていません。
 「本音を言えば原発はお荷物」だとの声が、電力会社内部でもあるそうです
が、これを機会に脱・原発を図ることで、無用なリスクから電力会社も解放され
るのではないでしょうか。また、所轄官庁の経済産業省も、リスクは勿論のこ
と、費用対効果から、「国策」としての原発の見直しを考えるべきではないで
しょうか。


3)高くなる一方の石油・石炭よりも、前途有望な自然エネルギーを!

 石油や石炭などの化石燃料に頼る限り、電気料金の値上げは今後も続きま
す。特に石油は早ければ2015年前後にも需要と供給のバランスが崩れる「ピーク
オイル」が来る*と言われ、石油に依存する経済は破綻するでしょう。石炭も需
要の増大で高騰することは、ほぼ間違いない上、石油に比べても多くのCO2を出
し、地球温暖化の進行を早めることになります。事実、この間、石炭利用を増やしてきた各電力
会社の火力発電所は、やはり石炭を多く使う製鉄所と共に、国内で最もCO2を排
出する事業所のワースト1~20位を独占しているのです。
*「もう始まっている」との説も。

 これに対し、風力や太陽光、地熱や小・中水力といった自然エネルギーは、
温室効果ガスをほとんど出さないばかりか、現在の技術で使用可能な分だけで
も、世界のエネルギー利用の5.9倍の資源量があり、しかも半永久的に使えま
す。「高い」とされた発電コストも、特に風力は低コスト化が進み、大規模な発
電施設を持つ欧州では、石油火力並みのコストにまでなり、「温暖化対策も考慮すれば石炭火力よりも安い」とされています。世界的に見れば、自然エネルギーは猛烈な勢いで成
長している産業であり、風力発電の成長率は昨年27%を記録。早くから自然エネ
ルギーの普及に力を入れてきたドイツでは、新たに25万人の雇用を生むなどの経
済効果をもたらしているのです。
 残念ながら、日本は自然エネルギーの活用では欧州に出遅れた感がありますが、技術力や自然条件などから見れば、「エネルギー大国」に変貌する可能性はあります。高くなる一方の石油・石炭よりも、前途有望な自然エネルギーを活用することは、来るエネルギー危機時代の生き残り策になるのではないでしょうか。

4)みんなが使うエネルギー、みんなで考えよう。

 私たちは、電気やその他のエネルギーを毎日使っています。生活に不可欠な
ものだからこそ、国やエネルギー業界に任せきりではなく、私たち自身がエネル
ギーについて、声を上げていく必要があるのではないでしょうか。デモに参加し
てみようという方も、「デモはちょっと・・・」という皆さんも是非、電気料金
値上げを機
会に、日本のエネルギーのあり方について考えてみて下さい。

関連タグ : 電気料金, 値上げ, エネルギー, 格差,

政府・与党は29日午前、総合経済対策「安心実現のための総合対策」について合意。公明党が要求していた所得税・住民税の一定額を減税する定額減税することについて、2008年度中に実施することで一致した。
減税は単年度の措置として行い、規模は年末の税制改革協議のなかで検討するとしているが、公明党は2兆円規模にすることを主張している。

定額減税は、納税額にかかわらず一定額を減税するというもので、中低所得者層への恩恵が大きいとされる。
しかし、薄く広く税を減免したとして、しかも単年度に限ってこれを実施したとして、実際にはどれほどのありがたみがあるだろう。
発案者の公明党としてみれば鼻高々の経済振興策なのかもしれないが、これは思い返すまでもなく、天下の愚策といわれたあの「地域振興券」と同じことになるのではないか。
さらにいうならば、もともと「恒久的な減税」として99年から実施されてきた定率減税を、2007年6月までに全廃させたのは他ならぬ公明党なのだ。

やることがセコイというか、見え透いているというか。公明党により全廃された定率減税により、国民は年間で最大29万円もの増税を味わってきたのだ。
何を今さら言ってやがる、というものだろう。

朝日新聞などは政府がこの定額減税案を受け入れたことで、また「バラマキに踏み出すつもりか」と社説でも反論している。
けれども、朝日の言っている反バラマキキャンペーンは結局のところコイズミ以来の「改革」を推し進めようというものであり、国民にとって救済策を提示しようとするものではない。その点で朝日は非常に冷酷な持論を展開していると言っていい。

定額減税を実施したとしても、その効果はほとんど上がらないことは目に見えている。
それは地域振興券で地域産業がついに息を吹き返さなかったのと同じ構図だ。
公明党は目の前にニンジンをぶら下げることで、またしてもその場しのぎの「景気対策」をしようとしている。こんなもので「わが党は景気対策に懸命に取り組んでいます」と総選挙の宣伝に使うつもりなのだろうか。

だとしたら、国民を舐めるのもいい加減にしろと言ってやりたい。

国民が今、真に求めているのは税金が一時的に数万円戻ってくるのではなく、社会保障制度そのものを変革することであり、税制そのものを変革してコイズミ以来の「改革」によって改悪されて企業と金持ちを優遇するようになった税制を累進制に改めることである。

定額減税の実施については、今もなお自民党内に反対論が多く、しかも財源をどうするかという難問がたちはだかっている。
公明党は総選挙対策しか頭にないだろうから、無理にもその実施を迫るだろうが、国民としてはそんなやりとりを冷ややかに見ていくしかない。

自民党にも公明党にも、もはや国民本位の景気対策をする力量はないのだ。

朝日が望む「改革」の続行、あるいは増税もまた国民の生活を立ち直らせるものではない。
朝日はいったい、誰の見方をしたくてこのような暴論を主張し続けているのだろうか。

社会保障制度を変え、税制そのもののあり方を変えて行くには政権交代しかない。
今のわれわれにとっては、それこそがいちばんの「景気対策」といってもいいだろう。

関連タグ : 定額減税, 公明党, 地域振興券, バラマキ,

どういうわけか、マスコミは今回の太田誠一の失言問題に触れるときに「消費者がやかましい」という部分だけをクローズアップして伝えている。
そのせいか、ブログの中には「太田誠一は狙われている」だの、「言葉尻をとらえて揚げ足取りをしている」と書いて、無駄なことをしていると切り捨てているものがある。

たしかに言葉尻をとらえて揚げ足取りするのを見ているのはバカバカしいかもしれない。
しかし、太田は単に「消費者がやかましい」と言っただけでなく「日本の消費者は潔癖バカだ」とまで言っているのだ。
つまり、農水相太田誠一は国民のことをバカ呼ばわりしているのである。
これを見過ごしておけるものか。

消費者がやかましいと言っていただけならば、麻生太郎が苦し紛れのヘルプをしたところで誤魔化すこともできたかもしれない。
だが、「潔癖バカ」とまで言ってしまったのではさすがの麻生にも庇いようがないだろう。
なぜ、マスコミはこの決定的な失言の方を使わないのだろうか。

やかましいと言われたくらいで目くじらを立てるなという言説を展開していたブロガーも、己をふくむ国民がバカだといわれて、それでもなお「揚げ足取りの時間の無駄」をしていると言うだろうか。

百歩譲って、人間は誰しも失言をするものだという前提を持ってくるとしよう。しかし失言にもいろいろあって、言葉の使い方を単に誤るものから端なくもその失言に言った本人の普段からの思想や信条が現れてしまう場合まである。
そして太田が言った失言は、太田という人間の根底部分に巣くっている国民蔑視が顔をのぞかしたものと考えるのが妥当だろう。
このような男を大臣として押し頂き、血税から大枚の給与を支払ってやっていいものだろうか。
太田を庇い立てしたブロガーには是非とも弁明してもらいたいものだ。

さらに太田という人間は、これ以前にも連続レイプした男どものことを「元気があっていい」「男ならレイプするくらいが正常だ」と、人間として許すまじき言葉を吐いている。
ほんらいならば、すでにこの時点で太田誠一は政治家としての看板を下ろさなければならないはずだったのだ。

今回はこの失言問題に加えて、事務所費の不明朗な使い道が表沙汰になったことも問題になっており、太田は今日、証拠の品らしい領収書の束を両手に掲げて見せていた。しかし、領収書などいくらでも不正に作れるのだし、太田は肝心の人件費についてはプライバシーを盾にして明らかにしようとしなかった。
国民をバカ呼ばわりしたうえに、太田という男は国民の血税をも私腹を肥やすために使ったといっていいだろう。

このような男を大臣に任命したした福田康夫の責任は大きい。
レイプ犯を容認するような男をそれと知りながら大臣に任命した。
そして大臣になってからは国民を愚弄する発言をして言い訳に終始するのを座視している。

政治家としても人間としても欠陥があるこのような男が大臣に居座っていることを、国民は決して見逃すべきではない。
太田誠一は日本の恥である。
1分1秒も早く大臣を罷免し、政治家としての道をも断つべき卑劣漢である。
そしてこの男と気脈が通じているらしい麻生太郎といういかがわしい政治家にも、今後は厳しい目を向けていく必要があるだろう。


関連タグ : 太田誠一, 農水相, 潔癖バカ,

ペシャワール会の伊藤和也さん殺害事件後、日本は国際治安支援にどのように関わっていくべきか。
これについては慎重に討議する必要がある。
すでに民主党の前原誠司は空自の派遣も考える必要があると言い出しているが、テロリズムに対して武力をもって抑え込もうとする考え方が短絡的なものであることは疑いようがない。

これも既に述べたことだが、暴力に対して武力で対抗しようとして上手くいった試しはないのだ。イラクが戦場と化してしまったのは、アメリカ軍が武力を持ってフセイン政権の圧政を覆し、平和をもたらそうとした結果であることを、今では誰もが知っている。

当初、アメリカのネオコンたちは6000億円で結着がつくと予想を立てていた。彼らは最新の兵器を使えばピンポイントで的の拠点を叩くことができるので、戦闘は一部の精鋭だけですむと読んでいた。
ところが実際には、アメリカ軍の最新兵器はほとんど役に立たず、戦闘は市街戦になって泥沼化した。軍事費用も大幅に跳ね上がって、今では2兆ドルを超えている。そしてなによりも、イラク、アメリカ双方に多大な死傷者を出してしまった。

アフガニスタンも同じだ。
タリバーン勢力を一掃するとして、アメリカは平和維持軍を送ったが、峡谷の洞穴などに隠れる敵に対してアメリカはひたすら空爆を繰り返し、その結果、誤爆が相次ぎ民間人に多数の死者が出た。そして一時は散り散りになったタリバーンは、最近ふたたび勢力を盛り返してきて、アメリカ軍はもちろんのこと国連から派遣された平和維持軍にも攻撃を仕掛けている。さらに悪いことは、相次ぐ誤爆や進駐軍の兵士たちの粗暴な振る舞いが市民たちの反感を買い、平和をもたらすためにやってきた軍が憎しみを買うようになっているという事実だ。

暴力には暴力を、武力には武力で対抗するというのは分かりやすい考え方だが、その効果はきわめて薄いということをわれわれは知らねばならない。
だから、前原誠司のような馬鹿者の言うことは一顧だにする必要はないのである。

ところが昨日、官房長官の町村信孝は、伊藤和也さんが殺害された事件を受けて記者会見を行い、テロとの戦いを継続していくためには洋上給油活動は重要且つ継続的に行われる必要があり、さらに今後はテロとの戦いに積極的にコミットしていくことが重要と考えていると述べた。
かねがね町村は、アフガニスタンには陸自の派遣も必要であると語っている男である。
伊藤さんが命を落としたのは武力の護衛がなかったからであり、これからは地上部隊を派遣して日本も積極的に武力によるテロ鎮圧をすべし、というのが町村の本音なのだろう。

しかし、そんなことをすればアフガニスタンは間違いなく、イラクがアメリカにとって泥沼の戦場と化したように、日本にとっても多大な被害をもたらすゲリラ戦を強いられることになるだろう。
そんなことになれば、これまで四半世紀に渡って地道な活動を続けてきた「ペシャワール会」のようなNGOの活動はますます難しくなるだろうし、日本人に対するアフガニスタンの人々の感情も変化して、外国人排斥の対象になるだろう。

これでは伊藤さんの尊い犠牲が何の役にも立たないことになる。「ペシャワール会」代表の中村哲医師は、おそらく今後も地道な活動を続けていく強い意志を持っているだろう。
だとすれば、国がやるべきことは、こうした人々の活動を支援することであり、日本が戦争を起こそうとしている国ではないことを明らかに示していくことではないのか。そうすることが、伊藤さんが拉致されたときにその行方を捜すのに協力してくれた数百人もの村人たちの心に訴えかけていくことになるのではないか。

闘いからは闘いしか生まれない。
そのことが町村をはじめとする政治家たちには分かっていない。
ISAFに積極的な考えを持っている小沢一郎も分かっているとはいえない。
さらに大手マスコミもまた、このことを報じることに積極的ではない。

テロ特措法の延長を止め、日本は一切軍事に荷担しないことを明確にしていく必要性を説く識者はいないものだろうか。
われわれがブログで声を上げるだけでは大した力にはならないだろうが、このことは強く訴え続けていく必要があると思う。

関連タグ : アフガニスタン, 平和維持, テロとの戦い,

アフガニスタンのジャララバード近郊で武装勢力に拉致された「ペシャワール会」の伊藤和也さんの殺害が確認された。
予想しうる可能性のなかで、もっとも悪い結果が出てしまった。
アフガニスタンで地道な活動を続けている日本人がいるということは聞いていたが、武力によらず、住民ととけ込むようにして地域の復興活動に従事していた伊藤さんのような人が、銃弾の犠牲になったことがなんともいたましい。
事件の真相については、いまだに情報が錯綜しているが、今後一刻も早く解明してもらいたいものだ。

心から、伊藤和也さんのご冥福を祈ります。

昨日のエントリでも少し触れたが、このような事件が起こることで懸念されるのは、武力による治安維持活動がいっそう重要だと考える者が出てくることであり、そのためには自衛隊を派兵する必要があると短絡的な答えを出す輩が必ず出てくることだ。
案の定、伊藤さんの訃報が流れると、民主党の前原誠司はさっそく空自の派遣が必要だと言い出した。
まったく、度し難いバカとはあの男のことをいうのだろう。

今回の事件のために、今後、アフガニスタンでのNGOの活動は大きな制約を受けることになるだろう。
しかし、この事態を受けて、日本がまず最初にやるべきことは、テロ特措法をふくめ、あらゆる軍事的な援助を中止することである。
アメリカ軍に協力するのを止めることを明言することだ。
さらに、国連に働きかけて国連派遣軍を撤退させること。

アメリカ軍も国連軍もともに平和目的でアフガニスタンに「侵攻」しているが、相次ぐ誤爆事件や兵士による暴行事件など、軍が進駐しているためにかえってアフガニスタン国内の治安が乱れていることを忘れてはならない。
武器による平和維持活動は、イラクを見ても明らかなように、けっして上手くいかない。このことはアメリカだけでなく国連もまた学ぶべきである。

さらに日本がやるべきことは、これまでアメリカ軍に協力するために使っていた予算を、ペシャワール会などの地道な活動をしているNGOに振り分けること。
そうすることによって軍事によらない復興支援のあり方の手本を国際社会に見せることである。
あくまでも平和的な手段をもって支援し、テロにも対話で対していく姿勢を見せることである。

伊藤さんの犠牲は大きな痛手となったが、その死を無駄にしないためにも、日本は以上のことにすぐにも取り組むべきである。

関連タグ : ペシャワール会, アフガニスタン, 復興支援,

26日、アフガニスタンの農村で医療、農業支援などを行ってきたNGO「ペシャワールの会」のスタッフ、伊藤和也さんが武装勢力に拉致された事件は、一旦は解放されたというニュースが流れた後に誤報だったと発表されるなど、情報が錯綜し、いまだに事件は解決していない。
タリバーンが仲間の釈放を求めて伊藤さんを拉致したとの情報もあるようだが、いずれにしても一刻も早く、伊藤さんの無事救出を祈りたい。
「伊藤さんは現地の住民ともなじんで、その活動は感謝されていた。現地の有力者が解放の仲介に立ってくれると信じている」という福元満治事務局長の言葉もある。武装勢力との武力衝突を避け、できれば現地の人々の説得で解放してもらいたいものだ。

しかし、こういうニュースが流れると気になるのは、不測の事態が起こったときのためには軍による護衛が必要だという考えが表面に出てくることであり、日本の自衛隊派遣は是非とも必要だという論調が力を得ることである。

けれどもテロや暴力に対抗するには軍の力に頼るしかないという考え方はいかにも危険で、間違っていると私は思う。
現に、ペシャワールの会現地代表の中村哲氏はアフガニスタンの現状について、
「治安悪化の原因は、大干ばつによる深刻な食料難と、タリバン掃討作戦を進める米軍の相次ぐ誤爆による犠牲への怒り・反発だ。かつては日本人であるだけで命拾いしたが、今は日の丸がむしろ標的になっている」と語っている。
アフガニスタンにはアメリカ軍だけでなく国連軍も派兵されていて治安維持にあたっているが、どうやら評判の方はアメリカ軍に劣らずよくないようだ。全体にモラルが低く、地域の習慣や文化を理解しない兵士たちはアルコールが禁じられているアフガニスタンにいながら装甲車の上でワインをラッパ飲みし、空き瓶を通行人に投げつけるといった傍若無人を繰り返している。そのため現地の人々からは感謝どころか憎しみを買っていると、これも中村医師が語っている。

さて、ここでもう一つ心配になるのは、民主党代表の小沢一郎のことだ。

すでに民主党は代表選を行わずに小沢代表の三選を決めてしまったようだが、そのまま総選挙が行われて大方の予想通り自民党が敗北し、連立するにせよ民主党が政権を取ったとなると、当然ながら小沢一郎首相の誕生ということになる。
私が心配するのは、小沢は自身のウェブサイトで憲法改正を主張しており、日本が国際社会との協調を図っていくためには「国連常備軍」を創設する必要性を訴えている。
小沢は持論のなかで、今の国連は明治維新のときの朝廷のようだとたとえている。以下はその引用。

-------
明治維新のとき、朝廷は武力を持たなかった。警察力も権力もなかったので、薩長を中心に親衛軍をつくったのである。今の国連は、ちょうど維新後の朝廷と立場が似ている。固有の力を持っていないので、事が起きた時に、その都度各国に呼びかけPKOを始めとして多国籍軍の編成を行うことになる。これでは、緊急な時に迅速な行動がとれないという事もあり、又、その時々の各国の思惑や事情により実効があがらないという面も多々ある。従ってこういうやり方でなく、一歩進めて国連に常備軍を設けるべきであるというのが私の主張である。
--------小沢一郎 「政策とオピニオン」より。

つまり、今の国連がイラクやアフガニスタンに多国籍軍を送って平和維持活動を行うというやり方ではスピーディな対応ができないから、日本が中心になって国連常駐の軍隊を置き、イラクやアフガニスタンに派兵すべきだというのだ。
そして実際、小沢は雑誌『世界』1997年11月号に投稿論文を発表し、そのなかで「私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAF(国際治安支援部隊)への参加を実現したい」と述べ、「国連の平和活動は、たとえそれが武力の行使を含むものであっても、日本国憲法に抵触しない、というのが私の憲法解釈です」と断言している。

民主党は、私の記憶が正しければ、テロ特措法延長に反対の立場をとっているはずだが、その代表であり、もしかすると次期首相になる可能性もある小沢一郎は憲法を改正することにも賛成した上に海外派兵にも積極的な考えを持っているのだ。

これは普通、どう見てもおかしいのではないか。
もし小沢内閣が実現したとして、小沢はさっそくISAF参加を実現させるだろう。その結果どうなるか。
ペシャワールの会の中村哲医師が語ったように、軍事力の介入は現地人からの憎しみを買うだけになるのではないか。
小沢が改憲を実現させ、国連に日本を中心とした常備軍を置くことにしたとする。その軍とは誰が行くことになるのか。自衛隊とは別の組織なのだから、新たに兵士を募ることになるだろう。
私はそこで「徴兵制度」という言葉を思い浮かべないわけにはいかなくなる。
小沢一郎は、日本で徴兵制度を始めるつもりなのだろうか。それを視野に入れながら次期政権を取ろうと目論んでいるのだろうか。
私はここに非常な危惧を感じる。

小沢三選が決まってしまった以上、もはやISAFについても論じられることはなくなってしまったとは「きまぐれな日々」のkojitakenさんも批判的に書いているが、私もまったく同感である。

国民生活を破壊した自公政権には、一刻も早く舞台から降りてもらいたい。
しかし、次に政権を取るだろう民主党はどのような国政を運営していくつもりなのか。それがもうひとつはっきりしない。
憲法を改正し、海外派兵にゴーサインを出そうとする小沢一郎を抑える勢力が民主党内で力を持つことと、連立する政党には小沢の暴走にストップをかけ、本来の「生活が第一」の内閣を実現してもらいたいものである。

関連タグ : アフガニスタン, 拉致, 小沢一郎, ISAF, 憲法改正, 民主党,

人の誕生は、喜びとともに訪れるが、は、驚きとともに突然訪れる。
なんだかトルストイみたいな書き出しをしてしまったが、私も自分の後について考えておかなければと思った。
後といっても、霊の世界じゃないよ。
私はエハラじゃないんだから。

7年間同居していた義母が、22日夜、突然亡くなった。

その日の夕方まで元気だった。朝からデイサービスに出かけて昼食を食べ、入浴もして帰ってきて、自室に戻ってからはテレビをつけて「水戸黄門」を見ていた。
それが、3時間後の7時半、カミサンが夕食を知らせに部屋に入っていくと、ベッドの上で息絶えていた。

慌てて救急に連絡し、言われた通り心臓マッサージを続けながら隊員が到着するのを待った。
病院に運ばれていって蘇生術が続けられたが、すでに心肺停止の状態で、夜9時半に亡が確認された。

あまりに突然の、あっけない
87歳という年を考えれば、いつきてもおかしくはないと思っていても、いざ本当にそのときがきてしまうと、少なからず動転してしまう。

義母は、自室でひとり息を引き取ったため、手続き上は変扱いとなり、警察が来て検屍をした後、私たち夫婦は事情聴取を受けた。義母には財産がどれくらいあったのか。生命保険などには入っていたのか。土地・家屋の名義は誰のものになっているのか。
世の中には金目当てで親をも殺す手合いがいるものだから、私たちも一応、その線の疑いがないかを調べられたのだ。

義母には借金もなかったが、財産もまったくなかった。
生活は年金ですべて賄っており、そのわずかな収入は、日々の暮らしのためにほとんど消えてしまっていた。
ここ数年は体も頭も衰えてきたことから、娘であるカミサンが金の管理をしていたが、食費の他に介護保険や健康保険料を支払い、デイサービスの費用を支払い、ベッドなど介護用品のレンタル料を支払い、下の世話をするためのオムツや尿取りパットなど日用介護用品を購入すると、後にはほとんど金は残らなかった。

借金こそないのは幸いだったが、蓄えもまったくなかったので、葬儀は私たちがやらねばならなくなった。
義母が亡くなったその夜、葬儀社の人間がさっそく家に訪れて、夜通しかかって葬儀の見積もりを始めた。

私たちは互助会に入っていたために、30万円近くをすでに支払い終わっていた。おかげで、遺体の搬送や棺代、霊柩車代、さらには通夜・告別式の会場費に祭壇の費用などが免除された。もしこのサービスを受けずにいたら、祭壇だけでも60万からの金が必要になる。棺が8万4000円、霊柩車が7万3500円、病院の霊安室から自宅まで遺体を運ぶだけでも2万6000円の金がかかるということだった。
互助会に入っていたおかげでこれらはすべてタダ。

やれやれと思ったのもつかの間、葬儀社の男は次に、サービスにふくまれないもろもろの費用について説明を始めた。

施主が祭壇に供える生花は欠かせないでしょう。
これが1対で4万2000円。
個人は花がお好きだったそうですが、遺影のまわりを花で飾りましょう。これは30万から20万、10万とありますが、どれにしましょうか。
ご親戚やお友達からの生花は1基3万1500円からありますが、どうしますか。
お寺さんは私どもがご紹介します。ただし、住職へのお支払いは直接なさってください。
お車代として通夜・告別式にそれぞれ5000円ほど。お食事をご一緒しないという場合には食事代を包んでください。
戒名についてはお寺さんによっては「お気持ちで包んで下さい」というところがありますが、失礼があってはいけないのでお幾らをお包みすればいいのか聞くようにしてください。
葬儀社の男は手慣れた口調で次々と必要項目を挙げて、その金額を提示していった。

「で、戒名をつけてもらうには、だいたい相場はどれくらいなんですか」
私は恐れをなして聞いてみた。
「そうですね、お寺さんにもよるし、戒名にもよりますが、高いところでは70万から80万。でも、だいたいの相場は40万というところです」
「はあ、戒名だけで40万ですか」

男はそれからも必要なものを挙げていった。
通夜には何人くらい来るでしょう。それにあわせて食事を用意しなければなりません。だいたい、10人前のセットが5万、3万、2万とあって、それぞれ品数が違います。これだけでは足りないでしょうから、他におつまみのようなものもご用意した方がいいでしょう。お寿司の場合で5人前9750円からになっています。

火葬場は、公営施設なので料金は当日その場で払っていただきます。ご自宅の区域にある火葬場の場合、1万5000円ですが、少々遠くにあるため車で1時間ちかくかかります。この場合、参列者の方々もお疲れになるでしょうし、マイクロバスを借りる場合は長距離になるとその分、料金も割高になります。
区域は違いますが、葬祭場の近くにある火葬場をご利用になってはいかがでしょう。料金は6万円になりますが、車で20分ほどですからご参列の方にも負担になりません。もちろん、マイクロバスの費用も安くなりますから、総体で比較すれば1万円ほどしか違いません。

火葬場では、だいたい1時間から1時間半ほど待ち時間があります。その間にみなさんにはお菓子などを食べていただいた方がいいと思いますが、こちらはだいたい5人分で2100円となっています。
火葬が終わった後は、精進落しになりますが、お料理の方はどうしましょうか。「やすらぎ」が1人前6500円、「おもかげ」が5500円、「おもいで」が3600円、「しらぎく」が2500円となっていますが。

そんな説明を聞きながら、さて87歳の義母のためにいったい何人の人が通夜・告別式に来てくれるのか。私には見当もつかなかった。しかし、それをはっきりさせなければ、料理ひとつをとっても差し障りが出る。多すぎれば高い料理が無駄になるし、反対に足りなくなれば会葬者に失礼なことになってしまう。
これには本当に頭を悩ませた。
カミサンが自分の親戚などを勘定して、なんとか頭数を出したが、ほんとうにそれで大丈夫でしょうね、と念を押されると心許なかった。

そうやって諸々を計算すると、出てきた金額は通夜・葬儀費用だけで150万ほど。これに戒名料や住職への礼もふくめると、かるく200万を超えてしまいそうだった。

今、全国の平均的な葬儀費用はおよそ237万円といわれる。
今回の義母の場合は、ごく内々で式を執り行いたいという希望を出して総額200万になろうとしたのだ。故人の年齢や社会的立場、さらに家の考え方によって、この金額はいくらでもふくらんでいくだろう。

しかし、借金もなかったかわりに残した財産もない義母の場合。
私たち夫婦がいきなり200万の金を負担することは不可能だ。
それに、考えてみれば葬儀社の男が挙げていた諸費用のひとつひとつは普通の相場から考えてもあまりに高くないか。
たとえば遺影に飾る生花が、なんで30万とか20万もするのか。祭壇に飾る花だって、普通の花屋に頼めば数千円でアレンジしてくれるだろう。なぜ、葬儀用というだけで万単位になってしまうのか。
見積書をじっくり見直してみると、ひとつひとつのレートがとにかく高い。
儀式だから、特別なのか。
遺体につけるドライアイスが30キロで1万8700円というのは、どうなのか。
納棺式の費用が31万5000円というのはどうなのか。
遺体を乗せていた布団を焼却する「お焚上げ」が1万5750円というのはどうなのか。
坊主丸儲けとはいうけれど、戒名をつけるだけで40万からの金を支払う習慣というのは、守る必要があるのか。

もちろん、人が死んだ後にはそれなりの手続きが必要だし、死者を敬う気持ちを持つのも必要だろう。
しかし、そのために平均200万以上の金を待ったなしで払わなければならないというのは、理に適っているといえるのだろうか。

もし、亡くなった義母に確かめることができるなら、葬式はどの程度にするのか、花はどれくらい必要なのか、誰と誰を呼ぶ必要があるのか、そもそも葬式が必要なのかどうかを聞いてみたいと思った。

死者に鞭打つようなことを言うべきではないのは承知しているが、自分が死んだときはどうしてもらいたいのか、ほとんど金も残さず死んでいくのであれば、葬儀はどの程度で妥協するのか、義母にははっきりさせておく義務があったと思う。
生前、体だけは健康でと言い、血の滴るようなステーキを食べたいという元気があった義母は、自分が死ぬことなど考えることもできなかったのだろう。
しかし、本当は後に残る人間のことを少しでも思う気持ちがあるのだったら、自分の始末の仕方を伝えておくのが思いやりというものだ。年金が入るのを楽しみして、金が入ると買い物をするのが気晴らしになっていた。その気持ちは分かる。それくらいの楽しみがなければ、生きていたって何が楽しいものか。
それでも、自分が必ず死ぬ日がやってくるということは、頭のどこかに置いておくべきだったのだ。

いまさら責めたくはない。しかし私自身、義母との生活には疲れを感じていたこともある。カミサンの親ではあるけれど、生活様式もものの考え方もまったく違う人と一緒に暮らすことは、箸の上げ下げひとつを見ても気にし出せばストレスになる。認知症とはいわれなかったが、明らかに行動がおかしくなり、下の始末ができなくなってからというものは臭いにも耐えて暮らさなければならなかった。義母の入った後に風呂に入ると小便の臭いがする湯船に入らなければならなかった。さすがに風呂だけは勘弁してくれと、義母の入浴は最後にすることにし、体力が衰えてからはデイサービスで入浴を済ませるようにしてもらった。それでも近くによると排泄物の臭いが抜けない義母を、正直なところ、私は疎ましく思いはじめていた。
もう限界だ、勘弁してくれ。しばらくでもいいから施設に入れられないか。
そう思った矢先の、突然の死だった。

通夜と告別式には、思いの外大勢の人たちが集まってくれた。義母が可愛がっていた孫たちも、自分の子どもを連れて泊まりがけできてくれた。皆が、義母との別れを惜しんでいた。そのなかで、ひとりホッとした気持ちに包まれていた私は、とんでもない罰当たりだったかもしれない。

しかし、自分の人生の結着を明らかにしなかった義母を見て、私はあらためて教えてもらった。
俺が死んだときには葬式もいらないし、墓を建てる必要もない。そう娘たちには伝えておこう。
今は昔ながらの葬儀が執り行われる一方で、新しい葬儀のあり方を考える人々も多くなっている。葬送の自由を考える会やもやいの会などNPOも活動している。それらは多くが生前に手続きする必要があるようだが、私もなるべく早くそうしたものに入会しておこうと思う。

なにしろ、死は自分にとっても突然、驚きとともにやってくるだろうから。

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私はこれまで何度も書いてきたが、民主党は9月の代表選をなんとしても行うべきだと考えている。
それは、代表選を行うことにより民主党の考えが明らかになるからだ。国民が、民主党が何をやろうとしているのかを知ることができるからだ。
なぜそれが重要かと言えば、自民党政権に変わって民主党が政権を取ることになるとすれば、民主党代表が首相になるわけであり、その首相が国民に対して政策を明らかにしておくことは必須であると考えるからだ。

「ニュース23」の後藤謙次はテレビキャスターとしては切れ味が鈍く、私は好きになれずにいるが、昨日の番組では民主党代表選について、やはり次期首相を選ぶことにつながるのだから代表選は是非とも行うべきだと述べていた。
私も同意見である。

しかし、今日の報道を見ると、代表選に立候補を表明していた野田佳彦広報委員長が、幹部議員らと協議を行った結果、慎重論が根強いために出馬を断念する意向を固めたらしい。
野田はこれまで、次期衆院選のための党のマニフェストの内容を深化させるために、代表選を行って政策論争するのが必要だと主張してきた。これはまったく正論であり、代表選を行わずに小沢一郎が3選することだけが決まれば、国民が得るところはあまりに少ない。
まさか民主党は、小沢一郎にだまってついてこいと国民に言いたいのだろうか。
それほどまで民主党は、国民の支持が厚いと自信を持っているのだろうか。

どうやら党内では無言のうちにそうした実態のない自信のようなものが蔓延しているらしい。党有力幹部の松本剛明前政調会長らが、「衆院選の準備に全力を挙げるべきだ。今は党内で争っている時ではない」として慎重論を唱え、譲らなかったという。また、党内には、いま代表選の対立候補に協力すると、衆院選後に行われるであろう小沢一郎の粛清を恐れる声も強いようだ。
なんともはや、これではスターリン政権下のソビエト共産党のようではないか。

さらにブログのなかには野田佳彦出馬について、日本の状況を判断する能力がないのではないかとこきおろすものがある。これらのブログによると、野田の代表選出馬は陰謀論の亜流に過ぎない「偽装チェンジ」勢力と結びついているとの憶測もあるようだ。
どこかの妄想に駆られたバカな学者崩れの言葉を鵜呑みにして「偽装チェンジ」論などをもてはやしているだけで、私はすでに相手にする気にもなれない。
偽装チェンジ」論をもてはやす彼らは、民主党がなすべきこととして「責任ある政権公約を国民の前に早急に示すべき」で、党を結束し「官僚主権構造の日本」を「国民主権構造の日本」に刷新する責任ある公約提示が求められているとしている。

しかし冷静に客観的に見れば、責任ある政権公約を国民の前に示すには、代表選をすることがいちばん適した場になるのではないか。代表選によって民主的に「国民主権構造の日本」を実現できる党代表を選ぶことこそ、党を結束させ、なおかつ広く国民の支持を得ることにつながるのではないか。この点で「偽装チェンジ」派の言っていることは矛盾しているとしか言いようがない。
まったく、くだらない陰謀論には反吐が出る思いだ。

そんなものはどうでもいい。
私は何度でも繰り返す。
民主党は代表選を行うべきである。そうすることで国民の前で民主党が持つ論点を明確にし、政権を取った後に何をしていくかをはっきりと示すべきだ。民主党が政権を取ることによって、自公政権よりもましな社会が実現できることを具体的に示すべきだ。
決して密室政治で代表を決めるべきではない。
これは民主党の信義に関わる問題だと思う。

このまま野田佳彦が出馬を断念し、なしくずしに小沢一郎が代表3選を果たすのであれば、民主党はどのようにして政権公約を明らかにするつもりなのか。去年のように「生活第一」といいながら、それを反故にしてきた責任を小沢一郎はどう取ったうえで次期政権を取ろうとするのか、はっきりさせなければならない。そうでなければ民主党がいくら結束したところで、国民はそっぽを向くだろう。
一般国民の良識を馬鹿にしてはいけないというものだ。
民主党員たちにはぜひ、そのことを頭に入れておいてほしいものだ。

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テレビを見ていると、いわゆる良識派として登場する人物がいる。
櫻井よしこもその1人で、私は最近まで彼女のことをある程度評価して見ていた。
櫻井よしこ

櫻井よしこといえば以前、「櫻井良子」と表記して日本テレビの「NNNきょうの出来事」に小林完悟とペアでキャスターをやっていたのを思い出す。この2人をお笑いタレント(誰だったか失念)が真似をして、小林の「えー、さてー」という口癖と、櫻井の独特な抑揚の語り口を真似して笑わせていた。

その当時の櫻井といえば、中国残留孤児の問題がしばしば大きく取り上げられた時期であり、この問題に大きな関心を持った櫻井は、自ら中国語を習得するほどの熱の入れようで取り組み、少なからず感動的なルポをしていた思いがある。
実は私はこのとき櫻井本人に面会し、中国残留孤児についての思いを聞いたことがある。
なぜ、自ら中国語を習ってまでこの問題に取り組もうと思ったのかという私の問いに対して、櫻井は「中国語しか話せないみなさんの胸の内を本当に知るには、直接語りかけることが不可欠だと思ったからだ」と答えた。その時、櫻井は残留孤児たちのことを思うあまりか感極まって涙を抑えることができず、しばらく話が中断したのが印象に残っている。

次に櫻井のことがクローズアップされたのは、薬害エイズ問題で、櫻井はこの問題の中心人物の1人と目されていた帝京大学の安倍英に単独突撃インタビューを試み、邪険に追い払おうとする安倍に執拗に食らいついていく姿が番組で流され、その模様は薬害エイズ問題を振り返るとき、しばしば繰り返して放送された。

これらの姿から、私の脳裏に残っているジャーナリスト櫻井よしこのイメージは、いささか漠然としてはいるが「骨のある、プロのジャーナリスト」というものであり、そのイメージは長く私に染みつくことになったのである。

しかし、最近の櫻井の言動を見ていると、言論人としての櫻井には首をかしげざるを得ないことが多い。

そのひとつは「kojitakenの日記」にkojitaken氏が書いたエントリ(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080810/1218343896)にある通り、テレビ番組に出演した櫻井が、秋葉原で起きた事件の原因が日本国憲法にあると主張した件だ。櫻井いわく「現憲法が権利ばかり主張して義務をおろそかにする風潮を生み出した」というのがその根拠だそうで、櫻井とすれば「だから今の日本国憲法は改憲する必要がある」と言いたかったのだろうが、あまりにも論理が飛躍しすぎていて私などにはとても理解できない言い分だ。

さらに櫻井は、『文藝春秋』で韓国の政界をリポートし、韓国の政治家について「彼らはひ弱な左翼思想から脱皮し、堅牢な現実感覚を身につけている」と述べて左翼を批判しつつ、次のようにまとめている。

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私たちが「冬ソナ」で見落としてはならないのは、あの優しげな顔のヨン様も、兵役で鍛えた頑丈な肉体を持っていることだ。それは、韓国に台頭する新しい指導者層が、ひ弱な左翼思想から脱皮し、堅牢な現実感覚を身につけていることを連想させる。彼らは日本に憲法改正と軍事力の充実を求めている。私たちはそれに応えると同時に、首相以下全員が靖国に参拝し、一時の反発を恐れず、参拝の意義をきちんと説明すべきである。そのような日本人と日本のあり方を、韓国の心ある人々は必ず、喜んで見守るだろう。
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つまり、櫻井は改憲論者であると同時に徴兵制支持者であり、首相以下、国民全員が靖国神社を参拝するべきだという強烈な右翼民族主義思想の持ち主であることを明らかにしているのだ。

骨のあるプロのジャーナリスト櫻井よしこに対する私のイメージは、ここにきて音を立てて崩壊していく。

さらに櫻井は一種のレイシストとしての側面も見せている。彼女は、在日朝鮮人に参政権を与えることを「亡国への第一歩」とし、「いわゆる永住外国人と呼ばれる人の内、9割余りが韓国、朝鮮籍の人々だ。参政権問題は、即、在日韓国、朝鮮人問題である。参政権付与に賛成の政治家たちは、彼らの日本での状況をどれだけ認識しているのか」と語り、在日韓国・朝鮮の人々に対してひどく冷たい態度をとっている。

私の前で中国残留孤児の身の上を思い、涙を見せた櫻井は、ことが日本人以外におよぶと見事に冷淡な人間だったのである。参政権をはじめとする日本人としての権利を得たいのであれば、櫻井は「帰化すればいいのだ」と言う。しかし、その言葉は日本との間に複雑な事情を持つ韓国・朝鮮の人々に対して、あまりに思いやりに欠けた言い方なのではないか。
在日韓国、朝鮮人に参政権を与えることは、すなわち彼らが政治的意思表示を通して日本が犯してきた行為を糾弾することにつながるのであり、櫻井は何としてもこれを避けるべきだと考えているように思われる。

このような考えの持ち主である櫻井よしこが、超保守・右派政治家である平沼赳夫や城内実に声援を送るのも、きわめて自然なことといえるだろう。

注意しなければならないのは、これまでの櫻井の活動に目を奪われ、彼女に対してリベラルなイメージを勝手に持ってしまうことだ。彼女はニュースショーにしばしば良識派のコメンテーターのような立場で登場する。
しかし見誤ってはいけない。
右翼にしてレイシスト。
見ようによっては、石原慎太郎よりも右よりな言論人。
これがジャーナリスト・櫻井よしこの正体なのだ。

■最後にYoutubeから、城内実の応援演説をする櫻井よしこ。
安倍政権を評価し、これが残留孤児たちのために涙を見せた人かと思うほど、見事なまでの反中・民族主義ぶりを見せる。残留孤児たちを助けて育てたのは中国人たちだったというのに。

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北京オリンピックも半ばを過ぎたかと思うが、この間なにが不満かといえば、放送各局がニュース報道を放棄したかのごとく政治や経済、社会の出来事を報じなくなってしまったことだ。
ことにひどいのがNHKで、7時のニュースまでがオリンピックの中継と結果報告に費やしている。
9時からのニュース23ではメインキャスターの青山祐子が北京に行ってしまい、毎日社会のことなど忘れたかのように嬉々としてオリンピックを伝えている。

なんだろうね、このはしゃぎぶりは。
そんなにお祭り騒ぎが嬉しいか。

オリンピックなどはどうでもいいと思っている私は、ナショナリズムむき出しのアナウンサーどもを憎々しげに睨みつけてはチャンネルを替えることになる。

おかげで昨日は出演者たちがやかましくしゃべりあうことで普段は敬遠している「たけしのテレビタックル」を見てしまった。

その中で原油高騰の話題が出て、森永卓郎が現在の原油高騰はバブルであり、必然的にはじけるという見方を述べていた。
現在、レギュラーガソリンでリッター170円台後半というのが私の近辺の価格だが、先週から今週にかけて原油価格が下がったというのにガソリン価格には目立った動きはなかった。

もともと原油価格が高騰したのは投機マネーが原油市場に流れ込んだためにはじまった。それをさらに遡れば、アメリカのサブプライムローン問題で不動産バブルがはじけたことにつながっていく。不動産で儲けを見込めなくなった投機筋が、こんどは確実に需要があり儲けが短期で手に入る原油市場に目をつけたというわけだ。これに中国やインドなどの経済発展による原油需要の高まりがからみ、原油価格は一気に上昇した。

しかしこの原油バブルも、森永が言ったようにそろそろはじけようとしているようだ。
読売オンラインによると、国際指標であるニューヨーク市場の原油先物価格は、7月11日に1バレル=147ドルの最高値をつけたあと下落し、このところ110ドル台前半で推移。下落幅は30ドルを超えたと伝えている。
ただし下落したとはいっても原油価格は1年半前の約2倍という高水準で、読売の記事は先進各国は今後さらに投資ファンドへの規制を強化するなど、原油価格のさらなる下落で協調すべきだと続けている。

まったくその通りだが、現在の石油価格の高騰が国民生活を強烈に締め付けているという事実を前にして、日本国内でも取るべき対策があるのではないか。
森永卓郎とともに出演していた三宅久之は、政府が緊急時のために備蓄している石油を今こそ使うべきだと言っていた。今使わなくて何のための緊急用備蓄なのかと。
これもまた、その通りだ。
ただし備蓄している石油を使ったところで全国の石油価格に与える影響はわずかだろう。
もっと目に見える効果的な対策はないものか。

となると、私はやはりガソリン税を廃止することしかないように思う。
今、政局は上げ潮か増税かと揉めているが、国民不在の不毛な論議を重ねる前に、暫定税率を廃止すべきだ。暫定税率を廃止すれば道路が造れなくなると言うが、道路を造るよりも国民生活を立て直す方が重要であることは明らかだ。それでは困る、一般税にしたときの財源がなくなるというのなら、本気になって今まで積み重ねてきた無駄をなくし、公務員の天下り先をなくせばいいのだ。こういうことは口先だけでなく、本当に困らなければやれないものだろうから。

原油バブルは必ずはじける。
しかし、バブルがはじけたとして、ガソリン価格が1年前、2年前の水準に戻るとは誰も保障できまい。
国民の生活を立て直さなければならないというときに、自然の成り行きに任せていたのではいつまでたっても問題は解決しないだろう。やはり政府による強いリーダーシップが今もっとも求められているのだ。
しかし、繰り返しになるが今の自民党は上げ潮派と増税派が対立し、福田康夫は公明党=創価学会の意向に左右されて臨時国会をいつ始めるのかもよく決められずにいる。

やはり今は、一刻も早く政権を交代し、野党に国政を任せるのがいちばん効果的で手早い対策になるのではないかと思う。

それにしても、だ。

こうした国民生活がかかった重要な問題が山積しているというのに、オリンピックに夢中になっているテレビ報道の姿勢は批判されるべきだ。
もはや民放には何も望むまい。望む方が無駄だ。
しかし国民から金を取って放送をしているNHKの責任は重い。
オリンピックの中継をした方が国民が喜ぶなどと思っているのなら、大きな間違いで、それは国民蔑視というべきものだろう。

せめてNHKくらいは。
お祭り騒ぎに浮かれずに、地に足の着いた報道をしてもらいたいものだ。

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これまで学校で行われてきた歴史教育で、もっとも見直す必要がありながら未だにそれがなされずにいるのが日本の近・現代史教育だ。中学・高校とも縄文時代から編年式に教えるやり方は常に時間切れとなり、明治政府ができて殖産興業政策が採られ、対外的には日本帝国による軍拡・植民地政策が行われるようになったというところで3学期が終わってしまう。
里見甫

現代にもっとも身近にあり、現代史に大きな影響をおよぼしている近代日本の歴史が、「後は各自で勉強するように」とばかりに放り出されているのだ。
教育現場がなかば責任放棄するような状況にあるために、われわれの父祖の世代がたどってきた時代がどんなものだったのか、子どもたちは知らずに大人になっていく。
歴史教科書の記述問題がしばしば問題になり、それにつけ込むかのように、日本の戦争責任問題を中心に、とくに右派言論が扇動してねじ曲がった歴史観を植え付けようとしている現状にはまったく憂うばかりと言わざるを得ない。
東条英機

しかし昨日、NHKスペシャルで放映された「日本軍と阿片」は、日本が昭和のはじめから太平洋戦争にいたるまで、いかに手段を選ばず、汚い方法で中国を侵略し、戦争に突入していったかを反論の余地なく白日に曝したといえるだろう。

私が受けた日本史の授業では、もちろん太平洋戦争のことなど駆け足で触れる程度だったし、日本の戦争責任などに触れることもなかった。しかし、その後の「各自に任された」学習の中で、私は太平洋戦争が陸軍を中心とした軍部の暴走で起こされたものであり、政府は軍部が作り上げる既成事実を追認するしかなかった。その結果として戦争は起こるべくして起こったということを知った。

昨日の番組では、その陸軍が東条英機板垣征四郎を中心に阿片取引によって侵略を続けていたことを明らかにしていた。
満州国を樹立した日本は、南下しながら領土を拡張していったが、その最先端では中国人たちにケシを栽培させて阿片を造り、それを中国人たちに売りさばくことで国家予算には計上されない軍事費を作りだしていた。関東軍による侵略は、大規模になるほど莫大な戦費を必要とし、太平洋戦争直前には国家予算の75%以上が軍事費になるという目茶苦茶な状態になっていた。それでも費用が足りず、東条と板垣は阿片売買でそれを補おうと画策した。
中国には阿片中毒の人々がおり、彼らを救済する施設を造るという表向きの名目で阿片窟を各所につくり、そこで阿片やヘロインを吸引させていたのだ。
板垣征四郎

当初、国と軍は民間人の里見甫(さとみ・はじめ)に「宏済善堂」という商社を始めさせ、これを通して阿片を売りさばいていた。表向きは日本軍はもちろん、日本政府も阿片のことにはノータッチに見せかけていたのだ。
ところが、やがて日本政府は対中政策のために置いた「興亜院」内部で阿片取引を行うことにする。明らかに国と軍が阿片取引の元締めとなり、その後、宏済善堂は営業部門として“商売”を続けていく。その取引高は年間3億元、現在の物価に直すと560億円にも上ったという。

番組では、こうした事実を日本、中国、そして国際連盟のあったジュネーブに秘蔵されていた証拠文書によって明らかにしていく。
戦争に阿片を利用することは、長時間をかける残虐な行為であるとして、ヨーロッパ諸国は厳しくこれを監視していた。日本がひそかに行っていた阿片取引もすぐに情報が漏れ、日本は各国から非難されて世界から孤立する。松岡洋右が席を蹴って国際連盟を脱退したことは授業でも一応習った覚えがあるが、その裏にはこうした事情が働いていたということは初めて知った。
中国では日本が売りさばいた阿片のために年間数千人もの犠牲者が出たというが、阿片は中国人を依存症にして蝕んでいっただけでなく、日本という国そのものも重い依存症にして蝕んでいった。
回復不能なまでに蝕まれ、国が病んだ挙げ句に訪れたのが、あの敗戦だったのではないか。

太平洋戦争はソ連の国境突破で日本の敗戦へと向かっていくが、ソ連の攻撃から逃げ延びようとする軍人たちもまた阿片を利用していたという。もとより日本の金などは何の値打ちもなかっただろうから、彼らは阿片を金の代わりに使って逃げ道を確保したのだ。

なんとも重い内容の番組だったが、これを見れば日本史の授業に欠けている近・現代史の知識の穴を埋めるには大きな意味のあるものだったといえるだろう。
少なくとも、この番組を見れば、日本がいかに汚い方法で戦争を行い、中国人たちを犠牲にしてきたかがはっきりする。
いまだに日本には戦争責任はないだとか、あれは聖戦だった、アジアを救うために必要な行為だったなどといっている右翼の大馬鹿者たちには、膝を正して見てもらいたい番組だ。

■追記
番組の最期には、戦後、日本の阿片取引に関わりながら生き残った者の多くが口を閉ざしたまま生涯を終えたという、静かな批判の言葉があった。東条内閣に加わりながら(商工大臣)戦犯にならなかった岸信介などは、その最右翼といえるだろう。岸信介については「きまぐれな日々」が興味深いエントリを上げている。

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世の中はお盆休みということで、今日はお笑いネタをいくつか。

まずは「世界最年少のビジネスマン」。
夏の暑さにもめげず、ビジネスマンはおむつ一丁になって頑張っております。



もうひとつは、お猿も大変ということで衝撃映像を。「自分の肛門の臭いをかいで気絶するチンパンジー」です。



最後に、職場で嫌なことがあっても、仕返しするときは気をつけましょうということで「嫌がらせでコーヒーにオシッコしようとして意外な結末に」。



みなさん、夏の暑さはまだまだ続きますが、めげずに頑張りましょう。

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ブログではあまり触れる者がなかったように思うが、終戦記念日の今日、先日公開された東条英機の直筆メモのことを記しておきたい。
東条英機

メモは1945(昭和20)年8月10日から14日にかけて書かれたもので、これは国体護持を条件に連合国側のポツダム宣言の受け入れを御前会議が決めた10日と重なる。当時「メモ魔」と呼ばれるほどだった東条はすでに首相の座を降りていたが、重臣会議で経緯を説明され、意見を求められたという。メモはそのとき天皇に上奏したとする内容を「奉答要旨」として細かく記したものだった。

以下、朝日新聞からの引用。

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中心は、ポツダム宣言が求める「日本国軍隊の完全武装解除」への懸念だ。「手足を先(ま)づもぎ、而(しか)も命を敵側の料理に委する」ようだと例えながら、武装解除に応じてしまえば、国体護持は「空名に過ぎ」なくなると訴えた。「敵側」が国体護持を否定する態度に出れば「一億一人となるを敢然戦うべき」と上奏したとしている。

 戦争の目的は「自存自衛」「東亜の安定」にあり、目の前の戦況に心を奪われないように求めたとも書いている。

 長崎原爆投下から2日後の11日以降は自身の思いを書きつづる。「無条件降伏を応諾」すれば「稍(やや)もすれば一段安きに考えたる国民として軍部をのろうに至るなきや」と記し、見下ろすような考えを示しながらも国民の反応を気にする姿が見える。さらに日本軍は「相当の実力を保持」と見解をつらね、「簡単に手を挙ぐるに至るが如(ごと)き国政指導者及(および)国民の無気魂なりとは、夢想だもせざりし」と当時の内閣や国民に不満をぶつけた表現もある。

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東条は陸軍大臣当時から対米英戦で主戦論を唱え、41年10月に首相に就任。12月にパールハーバー奇襲で開戦に踏み切った。戦況が悪化した44年7月に総辞職。戦後、A級戦犯容疑者として東京裁判に起訴され、48年12月、巣鴨拘置所で処刑された。

今、東条が残したメモを見ると、日本を戦争に導いたこの男は敗色濃厚になり政府が無条件降伏を受諾しようとしたときもまだ、徹底抗戦を主張し、無条件降伏を受諾することは不甲斐ないと憤り、日本軍はいまだ戦うに十分な力を持っていると考えていた。

広島・長崎に原爆が投下され、米軍の空襲によって東京をはじめ日本各地が焼け野原にされたときになってもなお、この男は戦争継続を訴え、戦力はあると思い込んでいたのだ。現実を見ようとせず、己が力を盲信する男に率いられて命を落としていった300万を超える人々の無念が思いやられる。
国を率いるべきではない人間に国政を託すことが、どんな結果をもたらすかを考えると、戦後63年を迎えた今も、決してわれわれは気を緩めてはならないのだと思う。

今、政治の世界では極右思想の持ち主で、戦中戦後を貧しい人々を苦しめながら富を貪ってきた家に育った麻生太郎が首相として待望されている。また自民党の外では平沼赳夫に連なる右派民族主義の政治家たちが頭をもたげようとしている。「きまぐれな日々」ではこれらに旗を振る櫻井よしこら右派マスコミ人を厳しく批判しているが、リベラル・左派を任じるブロガーはここで改めて立場を明確にし、対極でものをいう人々に対して地道に反論していく必要があるだろう。
ゆめゆめ21世紀に東条英機の亡霊を甦らせるようなことがあってはならない。
そしてもちろん、私が願うのは今様の民族主義的国体護持、戦力温存、戦争容認などではなく、福祉国家の実現であり、格差を是正し、平和憲法を守っていくこと。これを実現できる政治家を支持し、選挙で一票を投じることである。

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麻生財閥の御曹司である麻生太郎は、人の気持ちを思いやることが苦手だ。その代わり、機を見るのに敏い。これは多くの朝鮮人や被差別部落の人々を犠牲にして肥え太ってきた麻生財閥が、石炭が斜陽となるやセメントに切り替えてうまく時代を切り抜けてきたように、麻生家の血にそういう才能がふくまれているからかもしれない。

その麻生太郎が、今や断末魔を迎えている自民党のなかで、幹事長という立場を利用して公明党と接近している。

毎日新聞によると、すでに「麻生-公明党」ラインが出来上がり、国会の召集時期やテーマなど政権運営の主導権を握りつつあるという。
たとえば来年1月15日に期限が切れる新テロ特措法の延長についても、福田康夫は麻生と会談してその延長の必要性を強調したが、麻生は福田との会談よりも先に公明党の幹部たちとの会談を持ち、新テロ特措法の延長ではなく景気対策を優先すべきという公明党の意見に歩調を合わせている。
「景気経済対策は小出しではダメだ」と言う麻生に対して、公明党の北側一雄が我が意を得たりと「大型の対策を打ち出すべきだ」と同調、まるで新テロ特措法の延長などそっちのけの雰囲気。1兆円規模の景気対策を求めている公明党との大合唱だったという。

臨時国会招集時期についても、福田康夫は9月上旬を示唆しているが、こんどは自民党側から「それは自民党と政府ですり合わせたものではない。景気対策を考えるとできるかどうか」と異論が出たという。もとより公明党は9月中旬以降の国会召集を求めており、今や福田康夫は孤立状態と言っていい。

麻生とそれに同調する自民党議員は、このまま公明党=創価学会の力を背景に次の政権を狙っているのだろうが、相も変わらぬ国民不在の政権の奪い合いにはほとほと嫌気がさしてくる。公明党が1兆円規模の景気対策をすると言っても、それを実行するのが新自由主義者で人の気持ちなど踏みにじってきた麻生財閥の血を引く麻生太郎などが総理になったのでは、またしても企業ばかりが優遇されるに決まっている。公明党にしたところでラッパは吹くけれども中身は空っぽの大号令がいいところだ。
その結果、国民の格差はどんどん固定され、疲弊の度合いがますます深まるだろう。

人の生き血をすする麻生やカルト集団の傀儡である公明党の思い通りにさせてはならない。
ここは福田康夫にもう少し踏ん張ってもらい、次の政権は民主党を主軸とした野党連合政権にバトンを渡してもらいたいものだ。

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最近、思わず笑ってしまったテレビでの会話。

「吉永小百合って、いつまでたってもきれいだよな」
「あれ、CGだろ」

たしかに吉永小百合という人はいつまでも変わらない。本物はどうなのか知らないが、テレビで見る限りではシワらしいシワも見あたらない。年を取れば誰しも皮フがたるみ、重力に負けてあちこちが垂れ下がってくるものだが、テレビで見る限り、吉永小百合の肌はいつもピカピカのツルツルだ。

実はCM業界では知られていることだが、吉永小百合はとっくに引退しており、今画面に映っているのは過去の映像を元に作られたCGなのだ。
誰かがそう言ったなら、100人中30~40人は信じてしまうのではなかろうか。
それほどに、吉永小百合は今も若い。
ハルク

まことにコンピュータ技術の進歩には目を見張るものがある。
映像に携わる人間にとっては、まさに魔法の杖のようなものだろう。
この世にないものをあるかに見せて人を疑わせない技術は、北京オリンピックの開会式にも利用され、巨人の足跡を描いた花火が実は実写ではなかったことがニュースになったのは昨日のことである。中国政府はCGを使うことで自らの威信を守って見せた。世界中の人々は、そのCGによって見事にペテンにかけられ、さる有名なブロガーなども感動のエントリを上げてしまったほどである。

しかし、ミーハーながら長年映画を見続けてきた私にとっては、今やCGは親の仇のようなものと言っていい。
CGによって見事な映像が作られ、あり得ないような画面が繰り広げられるほど、私の興はどんどん冷めていく。

どうせCGだろ。

よくできたコンピュータと、よくできたコンピュータ・ソフトが気の遠くなるような計算をして作り上げたとしても、それは巨大な演算結果が目の前で踊っているに過ぎない。数値で作られた画像からは手作りの工作に見られるような、ぎこちないけれどため息が出るほど「よくできている」質感もなければ、工夫に工夫を凝らし苦労に苦労を重ねて作ったであろう作り手の情熱も伝わってこない。
CGが作る画面にそれらが欠けているというのではない。それらはたしかにあるのだろうが、かつて私が映画を見て感じたときめきをもたらしたものとは明らかに質が違うものなのだ。

昔はよかったな。
ハリーハウゼン

それはVFXが登場する前の特撮映画であり、SFXと呼ばれる手法が使われていた時代までのことである。
レイ・ハリーハウゼンのストップモーション・アニメは、精巧に作られた人形を少しずつ動かして撮影しているのだと分かっていても、私は画面に引きつけられたし、東宝の怪獣映画が子ども心にもミニチュアと着ぐるみで作られていると分かっても、私は手に汗握り夢中で映画を繰り返し見た。
近くでいえば「スターウォーズ」の模型の精巧さに唸ったし、「ウルフェン」や「ハウリング」で見た変身のリアルさに「すげぇ!」と声を上げて友だちと語り合わずにいられない興奮を覚えた。クローネンバーグの「ヴィデオドローム」や「スキャナーズ」のおぞましい場面には声を失い、どうやって撮影したのだろうと好奇心をかき立てられた。
こうした映画は映画史の中では必ずしも名作といわれるものではないものがふくまれているけれども、製作者の熱意と工夫はダイレクトに伝わってきたし、映画の登場人物たちの気持ち――恐怖や痛みまで――を感じ取ることができた。

しかし映画にVFXが使われるようになると、画面の作りは精巧になったが、特殊効果は誰が携わっても同じようにしか見えないし、なまじ本物らしく見えるがゆえにかえって嘘くさく感じられるようになった。そこでは登場人物たちがいかに苦闘しようとも、見ている私には痛みも恐怖も伝わってこない。

どうせCGだろ。

吉永小百合がいくら若く見えて容色に衰えが見えなくても、CG処理してるのだと思えば不思議でも何でもなくなるように、CGを使っている映画からは驚きや好奇心といったものが薄れていく。どんなに精巧でリアルに見えても、一度ばれてしまった嘘でメッキが剥げてしまうように、CGを使っているというだけで興が冷めていく。

やっぱり映画は昔の方がよかったな。

あらゆるジャンルの映画にCGが使われるようになり、アニメーションもCGが当たり前になってしまった今、私はそう思わずにいられない。
映画は科学と技術の進歩とともに発展してきたが、コンピュータが使われるようになってから、どうも道の選択を誤ってしまったような気がしてならない。
このままではどんどん映画がつまらなくなる。
リアルを追求するがためにかえってリアルから遠のこうとしている。
映画はこれでいいのか。

一映画ファンとして大きな危機感を抱きつつ、私は映画館に足を運び続けている。

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グルジア侵攻

オリンピックの開会式が始まったその日、グルジアに対して侵攻を開始したロシア軍は、その後、グルジア側が停戦を求めているにもかかわらずその受け入れを拒否し、攻撃を続けている。
ロシアの強硬な姿勢は、プーチン体制になってからどんどん露骨になっており、国際社会は停戦に向けて説得を続けているものの、その姿はどこか及び腰で、今や資源大国、軍事大国、そして経済大国になりつつあるロシアに気を遣うことに汲々としているように見える。

すでにロシア軍はグルジア中部のゴリを制圧し、親欧米のサーカシビリ政権の転覆も視野に入れながら南オセチア問題をめぐる交渉を有利に進めようとしているようだ。
ロシアは、グルジアからの独立を目指す南オセチア自治州の住民大半に市民権を与えており、グルジアの南オセチア進攻を「ロシア国民へのジェノサイド(大量虐殺)」と断定。グルジアによる攻撃で1600人以上の死者と3万人の難民が発生したとしている。
プーチン首相は政府幹部会で、グルジア擁護を強める米国などを「白を黒に塗り替え、侵略者を侵略の被害者に仕立てようとしている」と非難した。
米国を盟主とする北大西洋条約機構(NATO)は「ロシアの軍事力行使は過剰で、グルジアの領土保全を侵害している」(報道官)と表明しているが、この見方はロシア以外の国の大半が共有するものだろう。

やりすぎだよ、プーチン。いくらなんでもオリンピック期間中に戦争を始めることはないだろう。もう参ったと言ってる相手に対して殺戮を続けて許されるわけがないじゃないか。
ロシアとしてはこのまま攻撃を続けて南オセチア自治州に加えアブハジア自治共和国までも自国に取り込んでしまうつもりなのだろうか。だとしたら、とんでもない横暴で、国際社会は声を大にして非難していくべきだ。
まったく、オリンピック期間中に戦争を始めるのも許せないが、多くの死傷者が出ている戦闘が続いているのに平気で「平和の祭典」を続けている世界の感覚も私には理解できないよ。
今のままではオリンピックの「平和の祭典」という看板が泣いているよ。

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人の言葉尻をつかまえて揚げ足を取るような真似をするのは本意ではない。
けれども、先日の麻生太郎のナチス発言に続き、今度は農水相太田誠一がとんでもない発言をした。
これは捨てては置けない問題だ。
太田誠一

太田誠一は10日のNHKの番組に出演した折り、中国製冷凍ギョーザによる中毒事件などを受けた食の安全対策について、「日本国内は心配ないと思っているが、消費者がやかましいから徹底する」と述べたのだ。

これに対して毎日新聞は、国民が食の安全に対して過剰反応していると消費者を軽視したとも取れる発言と批判。
一方の太田はその後、「日本は消費者が正当な権利を主張する民主主義の国という意味での発言だった」と釈明した。

しかし太田の言葉を蒸し返して言うならば「消費者がやかましいから徹底する」とは、もし消費者がやかましくなければやらないということであり、中国産毒入りギョーザに対する消極的な姿勢が端なくも本音として現れているととっていいだろう。

まして、今、日本では国内でも各種食品の偽装問題が相次ぎ、高級料亭でさえもが客の食べ残しを使い回していたことが発覚するなど、食と食に関わる者の倫理観が厳しく問われているときである。
さらに、毒入りギョーザ事件では、死者こそ出なかったものの、重症患者が出ているのであり、一つ間違えば無差別大量殺人事件に発展する可能性さえはらんでいた。

こうした国民生活の基本に関わる重大な問題を抱えているにもかかわらず、「消費者がやかましいから安全対策をやる」という言い方はまったく不見識というもので、これは先にスーフリグループによる集団レイプ事件が起きたときに、レイプ犯のことを「元気があってよろしい」と言った軽率な発言に通じるといえるだろう。

麻生太郎は対立野党である民主党に対して「ナチス」という最大限の侮辱をしたのであり、太田誠一は国民に対して「やかましいから安全対策をやる」と侮辱的な発言をした。
政治家として、人間として、許されるべきことではないと私は思うのだが、当の野党からも国民からも大して声が上がらないのはどういうわけなのだろう。

こういうアホでトンマで無神経な男たちが国政に携わっていることの危険性には、もっと敏感にならなければならないと思う。

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巷では、平和の祭典、4年に1度の夢の大会などと白けたキャッチフレーズをつけて北京オリンピックを話題にしているが、世界に目を向けると、とてもそんなお祭り騒ぎをしていられるような状況ではないことは明らかだ。
グルジア

8月7日から8日にかけて、グルジアからの分離独立を求める親ロシア南オセチア自治州にグルジア軍が侵攻し、大規模な攻撃を始めた。ロイター通信などによると、この攻撃に対してロシア軍機がトビリシ郊外のグルジア空軍基地を爆撃するなど報復攻撃し、軍事衝突が拡大しているという。このままではグルジアロシアの本格的な戦闘が始まる可能性が高い。

もともとグルジアは19世紀にロシア帝国に併合され、91年にソ連から独立を宣言した国だ。しかしその内部にはロシア編入を主張する南オセチア自治州があり、92年には主権宣言したアブハジア自治共和国と紛争を起こした経緯がある。現在は南オセチア自治州、アブハジアともロシア部隊が駐留し事実上の独立状態にあるのだが、今回そのうちの南オセチア自治州が立ち上がったというわけだ。

自国内で起きた反乱に対してグルジアが鎮圧に乗り出すのは当然の成り行きだが、面倒なのは南オセチア自治州が親ロシアであるためにロシアが黙っていないという点だ。
もちろん、軍事力で反乱を鎮めようとしたグルジアの手法は褒められたものではないし、グルジアが軍事力を行使すればロシアが黙っていないことは明らかなのだから、グルジアが下した判断も正しかったとは言い難い。
それにしても、一地方の小国であるグルジアをロシアが強大な軍事力にものをいわせてねじ伏せようとする対応の仕方には反発を感じる。ロシアはまたしてもチェチェンやコソボで行われたような非人道的な軍事行動を取るつもりなのだろうか。
戦闘

西アジアで起こった火の手を見ながら、そこで多数の人々が血を流し、命を失っているという事実を知りながら、世界は北京でのお祭り騒ぎを続行して良心が痛まないのだろうか。

私は、今回の北京オリンピックは直前に大地震に見舞われたこともあり、オリンピックのために中国政府が非人道的といってもいい強権を行使して表面を取り繕いながら無理矢理開催にこぎつけた点で、このオリンピックが延期もしくは中止すべき大会だったと思う。
まして、会期中に同じアジアのなかで戦争が勃発しようとしているときに続行される「平和の祭典」にどれだけの意味があるというのだろうか。

この時期、ニュースもオリンピック一色になり、まともな報道が行われないのはゆゆしき問題である。
もとより私は北京オリンピックなど見ないつもりではあるが、オリンピック以外の情報を得るのが難しくなっているこの状況を憂慮せずにいられない。

まったくもう、平和の祭典だなどと、インチキ臭いオリンピックなどに目を欺かれるな。平和ボケもいい加減にしろといいたい。

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今日の朝日新聞朝刊では、総選挙前の新党結成を目指す動きとして平沼赳夫に触れている。
平沼といえば郵政民営化法案に反対して自民党を離れ、9.11の衆院選では刺客として自民党から立候補した阿部俊子と闘って返り討ちにした経緯を持つ。
自民党はその後、平沼ら郵政造反組を復党させようとしたが、平沼だけが復党条件に反発。「誇り高き無所属」などと称して一匹狼を気取って現在にいたるが、総選挙を前に新党を作る動きが始まっているようだ。
7月には平沼自身が「新党をつくるなら総選挙前が望ましい」と語り、自民、民主など各政党にまたがる保守系議員を糾合し、「第三極」として既成政党に飽き足らない国民の受け皿になる狙いがあると朝日は報じる。

一方、民主党は平沼の発言に呼応するかのように鳩山由紀夫が「自民党政権を倒すためにご協力を願いたい」と秋波を送り、平沼を自党に引き込みたい考えを明らかにしている。

民主党にしてみれば、平沼の存在は「反小泉」のシンボルとして大きく、また魅力的に映るのかもしれない。
また、ゴルフをしたり、一新会の勉強会で講演するなど小沢一郎と親和性が高いことも、ポイントになっているのだろう。

しかし、いかに「反小泉」のシンボルとはいっても平沼自身は保守中の保守であり、民主党反自民の勢力として平沼を味方につけようと考えるのには同調できない。第一、利権談合で腐りきった自民政治の後に来るものが平沼一派が理想とする右派民族主義的政治では、喜ぶにも喜べない。
打倒自民を叫ぶのはいいが、「反小泉」のシンボルが平沼一人であっていいはずがない。次に来るべき政権が基本にするものは修正資本主義であり、社会民主主義でなければならないことをあらためて確認するならば、リベラル・左派陣営もまた「反小泉」すなわち「反新自由主義」のシンボルを打ち立てる必要があるのではないだろうか。

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今日9日は長崎に原子爆弾が投下された日だ。
広島同様、63回目の原爆忌を迎えた長崎では、爆心地に近い長崎市松山町の平和公園で、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開かれ、被爆者や全国の遺族代表、福田首相、市民ら約5650人が参列した。
長崎原爆忌

広島同様、長崎でも平和宣言が行われ、田上富久市長は核保有国に対し核兵器の削減、廃棄を求め、「核兵器の廃絶なくして人類の未来はない。核兵器に『NO!』の意志を明確に示そう」と呼びかけた。

それなのに、である。

毎年思うことではあるが、テレビ・新聞の扱い方は、広島の時と比べるといかにも小さく、申し訳程度と言っていいほどだ。
これではまるで、長崎には小型の原子爆弾が落とされ、その被害も小さかったかのような印象を与える。
もちろん、たとえ長崎に落とされたものが小型だったとしても核兵器が使われたことに変わりはなく、被害の大小に関わりなく核廃絶の訴えを大きく報じるのが日本のマスコミの務めというものだろう。

実際には、長崎に投下された「ファットマン」は広島に投下された「リトルボーイ」よりも威力が強いものだったのであり、それにもかかわらず長崎での被害者数が広島のそれよりも少なかったのは、広島が平地だったのに対し、長崎が起伏に富んだ土地だったために爆風が広範囲におよばなかったためという。それだけの違いでしかなかったのだ。

なぜテレビ・新聞は広島に比べて長崎を小さく扱うのか。
さとうしゅういちさんの「広島瀬戸内新聞ニュース」では「しょぼすぎる朝日新聞の長崎報道」と題して、次のように書いている。

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今日の長崎原爆の日を伝える、朝日新聞朝刊。

あまりにしょぼすぎます。二段(13字)×四行しかスペースがありません。
「きょう長崎原爆の日
長崎は9日、63回目の原爆の日を迎える。爆心地そばの長崎市松山町の平和公園で午前10時40分から、市主催の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典がある。田上富久市長は平和宣言を読み上げ、核兵器廃絶に向けて決意を示す。」

せめて、「旧長崎市外の区域に住んでいたために被爆者には認定されなかった「被爆体験者」の被爆者認定を求め訴訟が提起されている。」くらいの記述は設ける。また、2008年6月に厚生労働省は12km以内の人を体験者として認めたが、被害を訴えている人の35%は認められていない、くらいの話まで踏み込めればなお良い。

 また、平和祈念公園の写真くらいは載せて欲しかったと思います。

 確かに前日に北京オリンピックが開幕したという「逆風」があります。それにしてもひどい話です。

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日本では、信じられないことに爆弾投下から63年も経っているのになお、原爆症に苦しんでいる人々に対して十分な認定が行われていないという事実がある。
それは長崎でも同じで、「広島瀬戸内新聞ニュース」では「8月9日長崎原爆の日・・・被爆体験者問題」というエントリで次のように告発している。

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旧長崎市外の人も、実際には、放射線などの被害を受けているのですが、被爆者を「長崎市内に限る」という行政区分に阻まれ、被爆者に認定されていなかったのです。

そこで、長崎の人々は怒り、厚生労働省を追い詰め、被爆体験者制度を2002年4月創設させました。

しかし、それでも不十分だと、いうのが、被爆体験者たちの主張で、それは当然です。

http://www.47news.jp/CN/200711/CN2007111501000145.html
被爆体験者」が初提訴 平等援護、手帳交付求め
 長崎で原爆に遭遇したのに地域によって「被爆者」と「被爆体験者」に区分けされ、援護に差をつけられているのは不当として、被爆体験者や、被爆体験者にも認められなかった計22人が15日、国と長崎県、長崎市に被爆者としての認定を求め、長崎地裁に提訴した。 原告は長崎市と長崎県諫早市に住む60-80代の男女で、具体的には被爆者健康手帳の取得申請を却下した処分の取り消しと、1人当たり1000円の損害賠償を請求。行政が被爆体験者に区分した人は現在約7200人いて、弁護士によると同種の訴訟は初めて。ほかにも提訴の準備を進めている人が複数いるという。  原告側は「放射能を浴びて被害を受けたのは被爆者と同じ。わたしたちにも被爆者健康手帳を交付し、被爆者と認めてほしい」と主張している。 国は1957年、山で囲まれた長崎の地形や原爆投下当時の行政区画に基づき、南北に細長い形で「被爆地域」を設定。域内で被爆した人(胎児含む)を援護対象とした。

現在、200人もの原告団になっています。

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被爆後63年もたっているのに、いまだにガンなど、放射線によるさまざまな被害に悩まされている人がおり、国はそれに対して保障をするどころか機械的な選別をして被爆者の数を増やすことに消極的な姿勢を崩していない。
そのことに驚きとともに強い憤りを感じる。

こうした国の姿勢は、現在の薬害問題にも通じるといえるだろう。
この国は自分の責任でもなく原爆による放射線や薬害に苦しんでいる人がいるという事実に対して謙虚に目を向けようとせず、むしろ反対に目を背け事実を過小評価しようとしている。
そして、このように重大な問題をはらんでいる事実があるというのに、オリンピックが開催されたからか、お祭り騒ぎの方に目を奪われ、国民にとって大切な意味を持つ事柄を報じようとしないマスコミ。

オリンピック騒ぎの一方で、今も苦しんでいる人々がいるという事実から、われわれは目をそらせてはならない。
自戒を込めて、そう思う。

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ほんとにお暑うございます。
こんな日は考え事するのも放棄したくなるので、私は陰謀論を語るよりも動画で口を濁すことにする。
私がわりと好きな江頭2:50
テレビの枠に(悪い意味で)収まりきらないところが、かえって憎めないというか。
一度、本人に会ったことがあるが、生真面目でさわやかな印象さえある「変態男」だった。
これからも頑張ってほしいと思います、エガちゃん。



もうひとつ、ある意味、私の人生の師匠と呼びたい人物。みうらじゅんの動画を。
ナントカ・ベンジャミンの話より面白いと思うよ。





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どうも「知性」という言葉にコンプレックスを持ち、世界で起きているあらゆる紛争にはユダヤが介在しているという妄想を抱いているブログのことが心配だ。

今年の夏も暑さが厳しいから、アタマがどうかしてしまったのではないだろうかと心配なのだ。

大してIQも高くない私が言うのもおこがましいが、「反知性」とは「考えることを放棄すること」であり、決して「反知識人主義」とはならないはずだ。
「考えることを放棄すること」とはすなわち、世の中で起こっているあれやこれやを論じるときに、いちいち論証していくのは面倒だから誰かの陰謀にしちまえと片付けてしまうことである。

なるほど陰謀論は便利だし、それなりにオモシロおかしく読めるだろう。陰謀論のなかにも一つや二つくらいは真実がふくまれているのかもしれない。夏休みの読み物としてはうってつけかもしれない。
けれども、その程度の代物で真面目な顔をして歴史や世界を語ってほしくはないものだ。

世の中に起きる事象の真実を探ろうという姿勢はいい。
しかし特別な組織も持たずにあまねく真実を白日の下にさらすのは不可能というものだろう。そこに陰謀という言葉をもってきて、すべてはそのなかにふくまれているというのは、傍目から見ているとインチキ手品にしか見えない。

あれはユダヤの陰謀です、それも実はユダヤがやっていたのです。
その「うな重」のウナギはユダヤのものです。日本の売国奴どもが偽装をしているのです。
はっはっは。

それで、その「うな重」は、どんな味がするのだい?

関連タグ : うな重, 知性, 陰謀論,

スポーツを観ていて興奮するのは勝手だ。
しかしテレビ中継をしているアナウンサーが声をからして絶叫するのはなんとかならんものか。
私は小学校の頃からサッカーをやってきて、今でもサッカーは大好きなスポーツだが、ここ数年、テレビのサッカー中継を見ることができなくなってしまった。

それは自分がウツになったせいも関係していると思う。
画面の向こうで興奮したアナウンサーや解説者が、スゴイだのヤッターだのと叫ぶたび、私の心はどんどん冷え込み憂鬱に沈んでいくのだ。
サッカーについていえば30年以上も試合を見ていれば、私もそれなりにすれっからしになっている。それなのにテレビをつけるたびに素人くさいはなしを聞かされ、サッカーのサの字くらいしか知らないようなタレントがコメントを垂れ流し、最後には恥ずかしげもなく絶叫するのを聞かされる。おまけに、サッカーとは流れのあるスポーツなのに、何も分からないスイッチャーが繰り返しゴール場面や反則場面のリプレイを重ねていく。
ほとんど苦痛である。
今よりは少し精神的に健康だった時分でも、テレビのサッカー中継を見るのは、ことに民放が中継するのを見るのは苦痛だった。

お前の解説など聞きたくはない。
ゴールシーンのリプレイを見たいのではない。
試合を見せろ。

私は幾度となくテレビ画面に向かって怒鳴ったものである。恥ずかしげもなく。

それが今ではテレビ中継そのものが見られなくなっている。
見ても、ものの30分でスイッチを切ってしまう。
見続けることができない。

スポーツ中継がつまらない。
民放のひどさは今さらいうまでもないが、有料放送のNHKも面白くない。
さらにサッカー中継でいうならばWOWOWも金を返せと言いたくなるときがある。
倉敷保雄

そんななかで唯一、安心して見ていられたのは倉敷保雄が担当するスカパーのサッカー中継だった。豊富な知識はいうまでもないが、必要なときに最低限のことを言い、平常心を失わない。それでいてときには思わずこちらをニヤリとさせるような冗談も言うので、一度彼の中継を見たら他のスポーツアナの中継など見る気がしなくなる。

そんな倉敷保雄が、現在のスポーツ中継が抱える問題点について語っている記事があった。
http://www.cyzo.com/2008/08/post_765.html

倉敷が挙げている問題点は、まずテレビ局がかかえる制作体制の弊害。
自社で番組を制作する局はなく、下請け孫請けと続いていくうちに最終的に予算がギリギリになり、質的に低いものしか作れなくなる。それでは視聴率を稼ぐことができなくなるから、手っ取り早く「飾り物のようなタレント」を使うか、過剰な「飾り言葉」で取り繕うようになる。
なかにはスポーツ番組など制作したこともない制作会社が番組を担当し、おまけにテレビ局のプロデューサーから番宣のために前後の番組に出ているタレントを出してくれと頼まれるケースもあるという。
なるほど、言われてみれば民放のスポーツ番組はサッカーに限らず、露骨な番組宣伝をしているものが数え切れないほどある。

倉敷が次に挙げるのは、「放送の独占化」だ。
たとえばワールドカップのような大会を高額な放送権料を支払って独占放送することになると、他局が配信しなくなる。サッカーの試合が行われているのに、他局ではまったくその模様が放送されず、試合の結果すら知らされないことがあり得る。独占中継は結局、金を払った放送局の内輪のお祭り騒ぎで終わってしまうというのだ。
さらに、放送の独占が継続されればそれなりにアナウンサーやスタッフも力をつけていく余地があるが、放映権が他局に移ったとたん、その努力はムダになり、次に放送を担当する局のスタッフが1から勉強し直さねばならなくなる。これでは視聴者も喜べないし、第一そのスポーツにとって不幸なことである。これは格闘技中継などに見られる現象だ。

第3の問題点は、局による過剰な演出だ。
倉敷は2006年のトリノ五輪を取り上げ、テレビ各局が高い放送権料を出した競技でメダルの可能性もないのに「この選手がメダルを取る」という報じ方をしたという。その結果として、まるでウソの報道をしている形になるケースが多くなってしまった。さらに、日本選手に注目するあまり、競技の結果がおざなりになり、結局どこの誰が優勝したのか分からない場合もあった。
また、スター選手を持ち上げる演出が行きすぎて、「大丈夫、彼ならやってくれます!」といったコメントを乱発させ、客観的な放送とはほど遠いものになってしまった問題もある。

このあたりは古舘伊知郎がスポーツを担当していたころから顕著になってきたと私は思うが、結果としてスポーツ番組そのものが大仰なだけのつまらないものになってしまった。
私がスポーツ番組を見ないようになり、スポーツ番組を見るのが苦痛にさえ感じるようになったのは、このあたりに原因がある。

今でも倉敷保雄が中継をする試合ならば、最後まで見られるような気がするのだが、残念ながらスカパーの契約を止めてしまった私には、もはや彼の中継番組を見る機会はない。

今、テレビをつけていると、嫌でも北京オリンピックの情報が入ってくる。
頑張れ、ニッポン。さて、メダルはいくつ取れるでしょうか。
この大会を盛り上げていきましょう。

もういいよ、そんなこと。
私にはどうでもいいことだ。

頑張るな、ニッポン。
早く終わってしまえ、オリンピック
甲子園の熱闘がハエのようにうるさく私の周りを飛び回っているというのに、さらにオリンピックの狂乱が始まるのか。

私にとっては、この夏の暑さとともに、どうにか早いところ終わってくれと願うばかりの憂鬱事だ。

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今日も関東地方は朝から真夏の強い日差しが照りつけ、厳しい暑さが続いている。
63年前、アメリカ軍によって原爆を投下された広島も、朝から暑い一日だったという。
原爆祈念式

こんな暑さのなかで鉄をも溶かし、コンクリートに影を焼きつけるほどの灼熱地獄を味わった人々のことを思うと、まったく言葉が出てこなくなる。

一瞬にして何万人もの命を奪い、その後半世紀以上たってもなお、放射線による死者を出し続ける核兵器がいかに恐ろしいものか。そんな凶悪な爆弾を使うことが戦争終結に役立ったというアメリカの言い分がいかに身勝手なものだったか。
そして、原爆という凶器を憎みながら、アメリカと手を結ぶことによって自らも核の傘の下に入って守られてきた日本という国が持つ矛盾。

原爆記念日は、亡くなった人々を悼んで祈りを捧げる日。
そして考える日だ。

しかし半世紀以上が過ぎて、被爆者の平均年齢は75歳を上回り、あの忌まわしい日は戦争の記憶とともに確実に過去のものになりつつある。

被爆国として、あの日のことは忘れてはならない。無惨な敗戦国として犯した失敗の記憶を失ってはならない。
そう言いながら、はたしてわれわれには何ができるのだろうか。

せめて日本人ならば、一生に一度は原爆記念館を訪れるようにしたい。戦争体験を語り継ぐ人々の話に耳を傾けたい。記録をアーカイブにして誰でもいつでも見られるようにしたい。他にもできることがあるならば、今のうちにやりはじめなければならない。
過去が過去のものとして消えていくのを押しとどめるのが、われわれの役目だ。

8月6日と9日は原爆で命を失った人々に祈りを捧げる日であると同時に、記憶を未来に残す役割の重さを感じていかなければならない日でもある。

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多くのブログが、今日は麻生太郎を取り上げている。
まあ、当然のことといえば当然かもしれないが。
麻生太郎

国会内で会談した江田五月参院議長に対して、「民主党はほんとうに政権を取るつもりはあるのか。国民のことを考え、対話をするような雰囲気ではない。ドイツでも1回やらせてみようと、国民がナチスを選んだことがあった」と挑発。民主党出身の江田は直ちに反論し、この話を伝え聞いた民主党の鳩山由紀夫幹事長も「いくらなんでも民主党をナチスと同じ扱いにするのは許し難い暴言だ」と反発した。

あーあ、幹事長就任早々、またやっちゃったよ、麻生太郎

こいつには歴史認識もなにも関係なく、ちょっとでも状況に似たところがあるとナチスだろうがヒトラーだろうが平気でもってくる。

まったく、これがいい年をしたオトナなのかと疑いたくなるようなアホである。

麻生のアホさ加減については他ブログでもいろいろ触れていることだから、あえてここでも繰り返そうとは思わない。

問題なのは、麻生が失言したという事実よりも、いつかは失言すると分かっている麻生のような軽薄な男を改造人事の目玉として持ってきた自民党の方にある。
福田康夫はほんとうに麻生太郎が国民的な人気を持っていると信じ、その力を頼みにして内閣支持率を上げようとしたのだろうか。
もしそうだとしたら、福田康夫は人を見る目がないというものだろうし、国民感情を読み取る力が欠けていると言わざるを得ないだろう。

麻生太郎などが、ほんとうに人気者といえるのか?
政界一のマンガ好きと言われ、講演会ではおちゃらけた冗談で聴衆を笑わせることが得意というだけのこの男がもてはやされているように見えるのは、ただ単に、「親しみやすいキャラ」というだけであって、そこには敬意もなければ畏怖の念もまったくないのだ。
芸能界で言えばウド鈴木のようなもので、バカさ加減が愛敬として受け入れられているに過ぎない。誰も麻生太郎に政策の話など真面目になって聞く気などしないだろう。
客観的に見て、麻生太郎のような政治家はクズの値打ちもないと言うべきだ。

しかし自民党はその麻生に頼らざるを得ないほど、人材が払底し、国民を振り向かせることができない状態にある。
福田康夫が記者会見でいくら「安心実現内閣」とキャッチフレーズを連呼して見せようと、観客である国民の大半はとうに自民党には見切りをつけ、相手にしようとも思っていないのだ。

こうした状況にあって、麻生が「ナチス発言」をしたことを考えると、自民党がいまや抜き差しならないほど追い詰められた状態にあり、もはやかつての勢いを挽回するのは不可能なところまできていると見るのが自然だろう。

政権与党がアップアップの状態にあるということは、今もっとも注視されるべきは民主党をはじめとする野党がこれからどのような対応を見せるかと言うことだ。
まずは9月の代表選で民主党がどのようなマニフェストをかかげるか。社民党、共産党は反自民・公明勢力としてどんな戦略をとっていくのか。
麻生のようなバカ男の失言に浮かれているヒマはないはずだ。

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3日付のロイターによると、福田改造内閣の主要閣僚は3日午前にNHKや民法の番組に相次いで出演し、税制抜本改革で取り扱いが焦点になっている消費税について、景気の下振れリスクが高まっていることなどを背景に2009年度からの税率引き上げに多くの閣僚が慎重な見方を示した。
官房長官の町村信孝は、消費税をふくめた税制改正についてはこれからの議論としながらも「景気を見なければいけない」とし、「景気に下振れ感があり、09年度の税制改革で消費税率上げを決めるのは、今の経済情勢を前提にすればなかなか難しい」と指摘した。

また、二階俊博経済産業相は、消費税率引き上げ議論に対して「経済を成長路線に持っていくために、そうした問題で(景気を)冷やしていく時ではない」と強調し、「消費税をすぐにどうするということではない」と、中長期的な観点で議論するべきとの認識を示した。

要するに、福田改造内閣は「国民目線に立った安心実現内閣」といいながら、虎視眈々と消費税を増税させる機会をうかがっているということだ。
ロイターの記事では、とりあえず09年度からの消費税増税については各閣僚とも慎重な意見だった述べているだけであり、消費税増税について消極的だとはどこにも書いていない。

それを裏づけるように記事の最後には財務相の伊吹文明の言葉を引用している。
「(恒久財源を確保できるまでは)手持ちのお金がどこかにないのか、そのほかに国民が納得できる個別増収を図れる税目がないのか。こうしたものを予算の編成過程で検討する」。
これは例の「目くらまし」発言から生まれたもので、その心は、今は増税しなくても、いずれ必ず消費税増税はすると断言しているのと同じと考えていいだろう。

しかし消費税増税については、景気が落ち込んでいるときに実施すべきではないという問題ではなく税制そのものの見直しをして語られなければならない。つまりそれは、今内閣が目指そうとしている保守本流回帰路線の中で語られるのでなく、政権交代により社会民主主義に移行した上で所得再分配効果を強化した、福祉国家実現の過程の中で語られるべき問題なのである。
そういう意味でも、今回の改造内閣が中川秀直ら新自由主義を推し進めようとする「上げ潮派」を排除したことは大きいといえるが、国民としてはまだまだ気を許すわけにはいかない状態が続いている。

一方、経団連は4日、停滞感が強まる日本の経済情勢を打破するための緊急提言をまとめ発表した。
緊急提言の内容は次の9項目だ。
(1)原子力の活用促進(設備利用率の向上)
(2)中小物流・農林水産業者の燃料費高騰に対する緊急避難的な補助。高速道路料金の引き下げ
(3)資源価格の投機的高騰の抑制
(4)世界最先端の電子行政・電子社会の構築
(5)魅力ある農業経営のための基盤強化
(6)子育て世帯を中心とする所得税減税
(7)住宅取得促進減税
(8)省エネ・環境対応製品の普及のための税制措置
(9)EPA・FTA締結交渉の加速、WTO交渉の最終合意に向けての一層の努力

各項目を見てみると、燃料高騰に対する緊急避難的な補助、高速道路料金の引き下げ、資源価格の投機的高騰の抑制など、すぐにも手を打つべきものが盛り込まれているとはいえる。
しかし、経団連にしてみれば、こうした処方箋によって構造改革を進め、新自由主義路線を推し進める意図が根底にあるわけで、活力ある経済社会を実現するためには、当然のごとく消費税の引き上げは必要とし、そのうえで税・財政・社会保障制度の一体改革の断行をすべきであると説いているのだ。彼らの本音は、今回内閣から閉め出された形の「上げ潮派」に近いものであることを考えると、とりあえずは高速道路料金引き下げなど場当たり的な手当てを施しておき、ゆくゆくは麻生太郎に政権を担当させ、上げ潮派勢力を復帰させることにあると考えるのは容易なことだ。

公明党は権力の座さえ保証されるならば政権担当者は誰でもいいと考える政党なので、経団連にしてみれば問題はない。
問題があるとすれば、自民党内部の上げ潮派が民主党の一部と接近して政界再編が起きることで、経団連としてはそうした混乱は避けたいところだろう。各施策について「政治の強いリーダーシップによる早急な実施を求める」という訴えの背後には、彼らがうすうす感じている危機感が現れていると見ることもできるのではないか。

国民としては消費税増税を望んでいる現政府と財界の思惑に注視し、安易な財政再建策や構造改革を許さず、一日も早い政権交代を実現させるよう意思表明していくことが重要であり、底の割れた福田改造内閣の欺瞞や経団連の都合のいい思惑には絶対に騙されてはならないと思う。

関連タグ : 税制改正, 消費税増税, 自民党, 経団連, 緊急提言,

赤塚不二夫

赤塚不二夫が昨日午後、東京都内の病院で肺炎のために亡くなった。享年72。
長く寝たきりの状態が続いていたようだが、リアルタイムで「おそ松くん」を読んでいたファンとして、その訃報に触れるのは寂しい。
赤塚不二夫が生み出したキャラクターの豊富さは、今見返してみても驚嘆するばかりだ。たしかに漫画の世界には手塚治虫という巨人がいたけれど、赤塚は手塚には決して書くことができないギャグマンガで勝負し、いくつもの傑作を世に送り出した。

好きなキャラクターは、読者の年代や性別によりさまざまだろうけれど、私はここではなんといってもニャロメを挙げておきたい。
打たれても蹴飛ばされてもへこたれず、ニャロメー!と起き上がる不屈の反骨魂。このブログのタイトルをつけるときに真っ先に頭に浮かんだ言葉が、ニャロメー!からいただいた「フンニャロメ」であったことをここに白状しておく。

心身を削るようにしてあまたの作品と無数のギャグを生み出した赤塚不二夫は、たしかにこの世に産み落とされた天才の一人だったと思う。晩年はアルコールに体を蝕まれてしまったが、なぜか悲壮感を感じさせないところもすごかった。

氏の魂が安らかに眠るよう、心から祈りたい。


関連タグ : 赤塚不二夫, ニャロメ,

あれまあ、福田さん。
これできっぱり小泉純一郎の路線に別れを告げたんだな。
野田聖子の入閣が決まったとき、だれもがそう思ったに違いない。
われらがテサロニケ大先生ならば、森喜朗が唾をつけたとされる高市、小池、野田のなかから見事に一人入閣を果たしたことで大満足というところだろうか。

今回の改造内閣の顔ぶれを見て思うことは、ふたつある。
ひとつは福田康夫が小泉・竹中の改革路線と決別して旧守派に回帰したこと。
したがってどの顔ぶれを見ても新鮮みに乏しく、福田康夫が「国民のための内閣」と力説してもほとんど胸に迫ってくるものはない。

もうひとつは、財政再建派をもちいたことで、当面の間は新財務相になった伊吹文明が言っていたように「国民を目くらましにかけておく」としても、与謝野馨、谷垣禎一を据えたことで、明確に消費税増税をするというメッセージを国民に送ったと言うことだ。
これもまた、福田の言う「国民のための内閣」とは逆行する人事と言うべきで、福田康夫の言う言葉はただただ虚ろに響くだけである。

いまや政権の風向きに敏くなった公明党は、とりあえず環境相に斉藤鉄夫を送り込んでおき、次の政権に備えるといったところだろう。

新しさが感じられず、従ってこれからの政治にも期待ができない点では多くの人と意見を同じくする私だが、なかでも脱力ものでがっかりしたのは留任した2人である。いかにも言葉の軽い官房長官・町村信孝と国民を裏切り続けた厚労相・舛添要一。いくらなんでもこの2人には替わって欲しかった。これから福田改造内閣がどれだけ続くか知らないが、この2人のいい加減な言説に引き続きつきあわねばならないと思うと、国民の一人として目眩すら感じるところだ。

この2人を留任させたことをふくめ、新閣僚の顔ぶれを見ても、自民党にはもはや新しい風を起こすだけの人材もなければパワーもないということだけははっきりしたのではないだろうか。

一応かたちのうえでは小泉・安倍路線に別れを告げたかに見えるものの、極右の新自由主義者・麻生太郎を幹事長に据えたということは、福田内閣がいまだ新自由主義をはっきり否定しきれずにいるということであり、竹中平蔵と通じている中川秀直が巻き返しを図る余地はまだあるだろう。表面上は財政再建=消費税増税の布石を打っておきながら、いざとなれば首相の座を麻生に譲り、今度は中川一派に実権を握らせる。
いずれにしても自民党の舵取りは、国民生活を守る方向には向いていかないことだけははっきりしている。
ということは、自民党が今の状況でどうあがいても、支持率が上がることは望めないだろうし、総選挙ともなれば大敗を喫する可能性の方が大きいということだ。

今や国民の大多数が痛みを感じ、生活の苦しさに悲鳴を上げようとしている。
政治がいちばんに取り組むべきは、この状況をいかにして和らげていくかにつきるだろう。つまり社会民主主義への転換だ。
ここで重要になるのは、野党がどれだけ国民の心に訴えかけていくことができるかだろう。

代表選を控える民主党には、ぜひともこの点を中心課題に据えて、具体的な対策をあげた上で代表を選んでほしいものだ。民主党だけではない。自民党と公明党を除く野党すべてが社会民主主義のために立ち上がる必要がある。

今回の内閣改造は、自民党政治の終焉と、社会民主主義への大転換の序章となるのではないか。
そういう意味で、私はある意味希望を持って第二次福田内閣の顔ぶれを見ているところだ。


関連タグ : 改造内閣, , 財政再建派, 消費税増税, 自民党, 社会民主主義,

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