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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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福田康夫が夏休みを取って以降、マスコミは内閣改造があると騒いだが、当の福田はいつものポーカーフェイスで何も考えていないという答えを繰り返していた。

それがここに来てにわかに8月初旬に内閣改造という話が浮上してきた。
それだけではない。支持率が低い福田康夫に首相を続投させるよりも、いっそ福田を退陣させて民主党の代表選に合わせて解散総選挙をぶつける案まで出ているという。

今日の朝日新聞の社説では、このところ公明党が連立パートナーの自民党に対して注文をつける大胆な発言が目につくようになったことを取り上げている。
もともと支持率が低迷している福田内閣は、洞爺湖サミットを区切りとして退陣するのではないかという憶測があったが、公明党元代表の神崎武法は、講演会で露骨に福田康夫の首相退陣の可能性をにおわせた。さらに同党幹事長の北側一雄は「内閣改造をしても支持率が高くなる保証はない」と発言し、幹部たちが口々に「早期解散」を唱えはじめたという。
さらに自民党が想定していた8月下旬の臨時国会召集に待ったをかけ、9月下旬への先送りを主張する。
こうした事情を踏まえて朝日は「内閣改造を軸に、総選挙の時期や首相交代などの思惑をはらんでうごめき始めた政局の主導権を、公明党が握っているようにさえ見える」と書いているがまったくその通りで、今や選挙を行ったとしても自民党公明党創価学会の支援がなければ 議席を確保することが難しいのは明らかだ。

その結果、自民党内閣改造も国会召集も解散の時期も公明党の顔色をうかがわなければ決められない状態になっている。
もはや自公政権ではなく、公自政権と呼んだ方が正しいといえるだろう。

しかし、政権の行方を左右するほどの影響力を持つようになった公明党はいったい何を目指そうとしているのか。それが一向にはっきり見えてこないから公明党=創価学会を忌み嫌っている私としてはすこぶる不気味で仕方がない。

今まで公明党がやってきたことは、自民党の悪政を補強するばかりで党是の「国民生活を守る」とはほど遠いことだったことは明らかだ。そこには政党としての主義も主張も認められず、ただただ権力の座にしがみつきたいという執念だけが見て取れた。

そのやり口から見て、おそらく政局を左右する力を持った今、公明党はあくまでも自民党を表に立てて裏で糸を引く気でいるのだろう。首相は人気があり、少しでも今より支持率が高くなるのであれば、麻生太郎でも構わないと踏んでいる。そうして責任の矢面には自民党を立たせ、実質的な人事権や政策決定権は自分たちで握ろうと考えているのではないか。

あるいは、自民党ではもはや勝ち目がないと判断して民主党にすり寄ることも考えられる。実際、鳩山由紀夫は講演会で「公明党を排除することを最初から考えるつもりはない。民主党の考えに協力していただければ大変有り難い」と発言し、公明党との連立を視野に入れていることをうかがわせている。

公明党にしてみれば、政権の座に留まることができるのであれば相手は自民であろうと民主であろうとかまわないのだろう。
しかしこのような政党が政権の座に居座り続けたとして、その先に見えてくるのは決して明るい社会像ではない。むしろカルト宗教による言論封殺と自由を制限する一種の恐怖政治による社会の姿がうかがえるから背筋が寒くなる。
いみじくも朝日の社説は、かつて党の委員長まで務めた矢野絢也が「政治評論家としての活動を中止させられた」と創価学会を提訴していることに触れ、矢野が国会での証言にも応じる姿勢を見せていることから公明党が長期の国会会期を嫌っているのはそのためではないかと推測している。
公明党にはよほど表沙汰にしたらまずい事情があるのだろう。

さらに、今日の「きまぐれな日々」では民主党の永田寿康元衆院議員が創価学会の名誉を傷つけたとして略式起訴された事件を取り上げ、JanJanのさとうしゅういち記者による批判記事を載せている。

「誰であれ、どの団体であれ、公に政治活動をすればそのことに対して批判なり論評を、他勢力や有権者から受けるのは当然のことです。その程度の覚悟もなくて政治をやるなと申し上げたい。この程度のことで、永田さんが起訴されるような状況が、さらにエスカレートすれば、うかうか政治活動ができないではないですか?今度は政策論争すら難しくなりかねません」

そのうえでkojitaken氏は「私は、これなど創価学会と公明党の強権的体質がむき出しになった象徴的な一件で、今後の新政権の枠組には断じて公明党を入れるべきではないと考える」と結んでいる。

私もまったくこれに同意見である。
今や死に体といってもいい福田内閣と自民党は、公明党と結ぶしか活路を見出すことができないだろうが、野党第一党である民主党には、いかに政権奪取のためとはいえ「公明党を排除するつもりはない」などと節操のないラブコールを送ってほしくない。

民主党にはここいちばんのときに公明党をパートナーにするのではなく、社民党なり場合によっては共産党との組み合わせを考えてもらいたいものだ。
自公政権によって破壊されてしまった日本社会を修復し、新自由主義に対抗する社会民主主義を実現するにはそれしかない。
カルト宗教と癒着した政党は、政権のパートナーの選択肢に入れるよりも、むしろ国政の場から追放すべきだと私は考える。

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関連タグ : 公明党, 創価学会, 内閣改造, 自民党, 民主党,

前回は温暖化懐疑論が掲げる諸点について「市民のための環境学ガイド」の記事を元にまとめたが、もちろんここにはユダヤによる陰謀論などはふくまれていない。こういうバカげた発想は、科学的な検証以前の問題であり、もし真面目に信じている者があるとすれば、よほど頭の中が単純に出来ていると言って間違いないだろう。
こういう手合いの頭の中身はおそらくユダヤの陰謀とフリーメーソンの陰謀で世の中の大半が成り立っているように出来上がっているのではないかと思うが、どんなものだろう。

さて、私が温暖化懐疑論についてまとめておくべきだと思ったのは、7月20日の日経新聞に塩谷喜雄論説委員が「反論まで周回遅れ 温暖化巡る日本社会の不思議」という論説記事で温暖化懐疑論を批判し、話題を呼んだというのが発端だ。これについて東大名誉教授の安井至が「IPCCは温暖化を断言したのか」という記事を「あらたにす」の新聞案内人に寄稿し論考しているが、「市民のための環境学ガイド」は実は安井が運営しているサイトであり、ここでも7月27日付けの記事で「温暖化懐疑論と新聞報道」としてまとめているので、こちらを見ていくことにする。

まず、日経の塩谷原稿は次のように始まる。
「科学的には決着している地球の温暖化について、ここにきて温暖化と二酸化炭素(CO2)の排出は無関係」といった異論・反論が日本の一部雑誌メディアなどを騒がせている」。

ここで問題なのは、「科学的に決着している」のが何を意味するかで、「温暖化と二酸化炭素の排出は無関係」であることが科学的事実であるかといえば、答えはノーであり、これは決着しているといっていい。温室効果ガスを排出すれば温暖化する。
ただし、なんらかの寒冷化のメカニズムのトリガーを引くことによって、寒冷化する可能性は残る。たとえば、グリーンランドの氷が溶けて、それが地球の熱塩循環による熱エネルギーの分配メカニズムを壊すといったことだ。また、気候感度(温室効果ガスの濃度が2倍になると、気温は何度上昇するか)については科学的に決着していない。
さらに、地球の揺らぎは非常に大きいので、人工的な温暖化が地球の温度変化にどれだけの影響をもたらすのかということも分からない。IPCCは、現時点の科学で地球の揺らぎを予測することは不可能なので、これをもとに気温の変動を議論することは出来ない。ゆえに人間活動による人為的な温室効果ガスの排出による温暖化だけを対象にするというスタンスを取っている。

さらに、塩谷原稿は「IPCCは、昨年の第四次報告書で人為的温暖化の進行を「断言」した」と書いており、温暖化懐疑論者の池田信夫などはこの解釈に噛みついている。IPCCの第1ワーキンググループによる第4次報告書の政策決定者のためのサマリー(通称SPM)の原文は以下の通りで、

The understanding of anthropogenic warming and cooling influences on climate has improved since the TAR, leading to very high confidence[7] that the global average net effect of human activities since 1750 has been one of warming, with a radiative forcing of +1.6 [+0.6 to +2.4] W/m2 (see Figure SPM.2).

[7] In this Summary for Policymakers the following levels of confidence have been used to express expert judgements on the correctness of the underlying science: very high confidence represents at least a 9 out of 10 chance of being correct; high confidence represents about an 8 out of 10 chance of being correct.


[7]の注によれば、科学的に最低でも90%確実という表現になっている。
科学的事実に100%確実なものなどはないので、90%確実と書いてあれば「二酸化炭素排出が温暖化と無関係」という意見は間違いと断言した、と解釈してもおかしくない。ただし、温室効果ガスが増えることによって正確に気温が何度上昇するのかといえば、はっきりとは分からないというのが現状である。

このIPCCの説明では放射強制力(radiative forcing)を用いているが、これは少々難しい。

気候感度

一方、気候感度で説明したものが第3ワーキンググループのSPMにあり(上グラフ)、これを見ると、気候感度は3℃ということで中心の黒い線が書かれているが、もしも4.5℃ということになれば、上の赤い線だし、もしも、2℃だということになれば、下の青い線ということになる。青い線程度におさまるのであれば、550ppm程度の温室効果ガス濃度でも大丈夫で、対策を取るのが楽になる。反対に、気候感度が4.5℃ということになると対策を取るのが難しいことになる。(オリジナルのキャプションは以下の通り)

Figure SPM.8: Stabilization scenario categories as reported in Figure SPM.7 (coloured bands) and their relationship to equilibrium global mean temperature change above pre-industrial, using (i) “best estimate” climate sensitivity of 3°C (black line in middle of shaded area), (ii) upper bound of likely range of climate sensitivity of 4.5°C (red line at top of shaded area) (iii) lower bound of likely range of climate sensitivity of 2°C (blue line at bottom of shaded area). Coloured shading shows the concentration bands for stabilization of greenhouse gases in the atmosphere corresponding to the stabilization scenario categories I to VI as indicated in Figure SPM.7. The data are drawn from AR4 WGI, Chapter 10.8.

以上の報告を読んだうえで塩谷原稿は「これまで慎重に科学的な姿勢を貫き、断言を避けてきた組織が、ついに結論を世界に示したのだ」、「どうにも止まらない人類社会の温暖化ガスの排出増に対し、ついに、「断言」という伝家の宝刀を抜いた」と書いているが、これは筆が滑ったと言われても仕方ないだろう。
いずれにしても、まだまだ気候感度については不確実性が高い。今後、その測定も可能になるだろうから、現時点の政策としては、IPCCの言う3℃ぐらいを想定して、対処を始め、そして、徐々に修正をしていくことが重要だというのが安井の主張である。

塩谷はまた、「米ブッシュ政権は、CO2などの温暖化ガスでは地球は温暖化しない、あるいは、温暖化という現象自体が存在しないというキャンペーンを張ってきた。同調する石油資本がスポンサーを務めていた数年前までは勢いがあったが、最近はほとんどそうした異論を米国内でも聞かなくなった」。「理由は二つ。スポンサーが温暖化対策、排出削減の方向に舵を切ったことと、全米アカデミーから、ブッシュ政権が科学者への干渉をたしなめられたからとされる」。と書いているが、安井はブッシュ政権の反論は余りにも稚拙だったから、防衛できなかった、というのが真実に近いと見ている。温暖化そのものを否定するのは、やはり無理があるのだと切り捨てている。

池田信夫ら温暖化懐疑論者が塩谷原稿でもっとも激しく反応したのは次のくだりだ。
「日本でメディアをにぎわしている異論のほとんどは、地球科学とも気象学とも無縁の門外漢の学者の言説である」。
実際、池田自身もエコノミストであり地球科学とも気象学とも無縁なのは明らかなのだが、池田は自らのブログで「当ブログで紹介した科学者のうち、だれが門外漢なのか。IPCCのサマリーさえ読んでいない門外漢は、自分だろう。おまけに経済紙のくせに、京都議定書の費用対効果について論じたNordhausやLomborgの最近の議論さえ知らないで、「周回遅れ」の古くさい温暖化脅威論を振り回しているのは日経新聞のほうである」とこきおろしている。

まるで目くそ鼻くそを笑う類の話で笑うしかないが、安田は現在のような温暖化懐疑論が勢いを得たのは武田邦彦の『偽善エコロジー』がバカ売れしたせいで、この手の本がどんどん出るようになったためだとしている。つまり、ひとつヒットが出ると二匹目、三匹目のドジョウを狙う軽薄なマスコミが今日の温暖化懐疑論ないしは陰謀論を醸成したというわけだ。
安田はさらに日本産業界の問題点も挙げている。現状で利益を上げているのだから、今さら温暖化対策などしたくないという心理。
これらについてはHPを読んでもらいたいが、国際政治が環境問題を中心に大きな流れを作ろうとしているときに、日本はまったくそれに対応できていないという指摘は注目すべきだ。安田は洞爺湖サミットでの福田康夫のリーダーシップをある程度評価しているが、世界経済で覇権を握ってきたアメリカ経済に陰りが見え、かわってEUが環境戦略でアメリカに対抗してきている。

この状況下で、これまでアメリカに依存してきた日本がどのような国際政治的立場を取るのか。
それは科学とはかけ離れたところにある問題なのだが、結局のところ、この重要な時期に適切な舵を切る能力を持つ政治家が日本にいないことがいちばんの問題であり、国際政治の舞台で煮え切らない態度をとるしか道のないトホホな国の代表として、福田康夫は適任であるという見方にはうなずくしかない。

関連タグ : 日経新聞, 温暖化懐疑論, 陰謀論, IPCC, 偽善エコロジー,

地球全体が温暖化し、各種の異常気象が起きていることは、今や誰もが感じていることに違いない。
しかし、その原因が何であるかということになると、さまざまな説が入り乱れて国民ぜんたいのコンセンサスを得るにはほど遠い状態であるのが現状だ。むしろ、それ以前に地球温暖化そのものが陰謀であり国家的な詐欺であるとする説が、一定の勢力を得るようになっている。

私自身は二酸化炭素による地球温暖化は事実だと思うし、それが人間が作り出す二酸化炭素によるものが主原因であるかどうかは置くとしても、温室効果があることが明らかになっているガスを排出しないようにすることはプラスになることはあってもマイナスになることはないと思っている。だから二酸化炭素はできるだけ削減する方が望ましい。

しかし、科学者でもない私がここでくだくだと理屈をこねて見せても説得力に欠けるので、ここは科学的にある程度信用できる意見として「市民のための環境学ガイド」を参考に、地球温暖化について整理しておこうと思う。
ちょうど、このサイトでは7月20日と27日の2回にわたって温暖化懐疑論について考察している。(テキストは武田邦彦著『偽善エコロジー』)
くわしくはサイトの方を読んでいただくとして、ここではさわりをまとめておくことにする。

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温暖化懐疑論は、おおよそ以下のようにまとめることができる。
1.二酸化炭素原因への反論
1-1.CO2は温暖化を起こさない
 つまり、CO2による温暖化の影響はわずかであるとして、温暖化の原因は98%が水にあるとする。CO2が原因であるならば対流圏の上の方でもっとも温度が上がるはずなのに、その付近の温度は全く上がっていない。また、現在よりもCO2量が3~10倍だった時代もある、などが論拠。

1-2.CO2発生源は人間活動だけでない
 たとえば火山活動は大量のCO2を出すし、植物の腐敗も大量のCO2を出す。海洋の温度が上がればCO2を吐き出す。しかし、海水の温度が上がるには時間がかかる。それが、800年遅れで、大気中のCO2の濃度が上がる原因である。

1-3.太陽活動または自然活動による温暖化
 気候は周期的に変動している。たとえば、6000年ほど前は今より気温が高く、そのような高温期が3000年も続いた。それでもホッキョクグマは生存していた。
 現在の地球温度の上昇は過去200年にわたって続いているものである。しかも1940-1975年の間、CO2排出量は増加したはずなのに、温度は低下している。

1-4.気候を決めるのは宇宙線の量が大きな働きをしている。したがってCO2が温暖化させているのではない。

1-5.モデルの不完全性
 気象現象は複雑であり、そう簡単にモデルが出来るはずがない。モデルは、温暖化を算出するように作られている。

2-1.温暖化はなぜ悪いのか
 中世温暖期は文明が開花した時期と重なり、温暖化は決して悪いことではない。

2-2.海面上昇
 1000年前にも気温が上昇したが、グリーンランドの氷は溶けなかった。
 北極海の氷は常に増減している。
 海面の上昇は、陸地の変動と、海水の熱膨張で起きるので、極めてゆっくりした上昇である。
 南極の氷は、温暖化によって増えるとされている。
 ツバルの話は温暖化と無関係である。

2-3,台風の凶悪化
 温暖化により台風などの勢力が強くなるといわれているのはウソである。

2-4.有害生物の増大
 温暖化で温帯でも蚊が増えるというが、もともと、北極圏でも蚊はいくらでもいる。

2-5.途上国との問題
 地球温暖化対策は、途上国の発展を阻害する。それが目的なのではないか。
 発展途上国にとって、温暖化対策をとれということは、エネルギーを使うなということに等しい。
 アフリカで太陽電池を使えという。しかし、アメリカ人にも欧州人にも高価な電力である太陽電池を使わなければならないとしたら、アフリカの発展は無い。

3 温暖化を利用している人々
3-1.政治的なものである
 温暖化は政治的な目的に利用されている。
 原子力を推進するために、温暖化を利用している。

3-2.IPCC批判
 IPCCは政治的団体であり、学術的な団体ではない。
 IPCCが2500人ものトップサイエンティストからなるというのはウソで、サイエンティストとも言えないような人が入っている。
 
3-3.研究費・広報費
 気象学者は研究費が欲しくて温暖化を作り出した。
 刺激的なシナリオをふくんだ論文を書くと無知なメディアが取り上げる。
 地球温暖化が巨大な産業を作り出している。

3-4.予防原則の濫用
 地球温度が上昇することは確率的にしかいえない。

3-5.宗教的・モラル
 温暖化防止は新しいモラルである。
 地球温暖化に反対すると異教徒だと見なされる。
 悪人は、工業化社会とされているが、工業化社会こそ多くの人々を豊かにしてきた。
 温暖化防止論議は、農奴の生活を夢見る馬鹿げた発想。

3-6.NGO
 グリーンピースなどの環境団体は極端なことを言わなければ生き残れない。

4.温暖化防止行動
4-1.温暖化対策とエコライフ
 地球温暖化は止まらない。
 日本だけが頑張っても、世界の二酸化炭素は減らない。

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以下は、懐疑論に対する反論だ。

1-1.CO2は温暖化を起こさない。
まず水の寄与が98%という根拠も薄弱。CO2は温室効果ガスである。大気中のCO2濃度が増えれば、確実に温暖化する。しかし、何℃温暖化するか、それは分からない。いわゆる「気候感度」なるものがどうなっているのか、それが問題。「気候感度」とは、温室効果ガスの濃度が2倍になったときに、何度温度が上昇するか、という値のこと。
非常に単純に考えると、温室効果で温度が上がるという説明なので、濃度の上昇が決まれば、温度の上昇が計算できそうに思える。
しかし実は、そう簡単ではない。それがフィードバック機構というもので説明される。温度がちょっと上がると、それを拡大する方向に効くと考えられるのが正のフィードバック機構で、たとえば温度が上昇すると、それまで雪が降っていたところにも雨が降る。雪が積もれば、太陽の光(エネルギー)をほぼ鏡のように反射するが、雨だと、そのような変化はない。すなわち、雪ではなく雨が降るようになると、気温の上昇を拡大する。

一方、負のフィードバック機構もあって、こちらは気温の上昇を抑える。
たとえば、温度が上がれば、水が気体になる割合が増える。そのため、大気中の水蒸気の量が増えて、当然雲が増大する。雲は、太陽の光を反射するので、気温は下がる。ただし、このような雲は、低空の雲で、上空の巻雲は、可視光線を透過するが、赤外線を吸収するので、正のフィードバックを持つというから難しい。
正負のフィードバック機構がどのぐらい気候感度に効くのか、非常に細かい話になり得るので、まだまだパラメータが正確には分からないのが現状であり、これが気象モデルが操作されているという懐疑論の論拠にもなっている。

1-2.CO2発生源は人間活動だけではない
 たしかにCO2は人間だけが出しているものではないが、地球の自然は、ギリギリの条件で動いているので、人為的な原因で二酸化炭素が大気に加えられると、地球がそれを吸収するような体勢になるには、時間がかかる。要するに、変化のスピードが問題であり、大気中の温室効果ガスの変化速度が現時点では、地球がかつて経験したことが無いほどの速度ですすんでいる。これが大問題である。
氷床の解析から分かったとされる温度上昇に800年遅れで、大気中のCO2が増えるという説は、その通り。しかし火山活動などがあるので、皆無と言い切ることはできないものの地球の歴史上、現在ほどの速度で大気中の温室効果ガスが増えているということはここ1億年程度以内ではないはずである。

1-3.についてはほぼ妥当。しかし、IPCCの第四次報告書の主張は、地球は、1950年ごろから寒冷化の周期に入ったのではないかとしており、人為的な温暖化のために、温度の上昇は続いているのではないか、ということ。これをどう解釈するかが課題。これに触れない「懐疑本」はアヤシイ。

1-4.機構を決める他の要素の影響が大きい
1-5.モデルの不完全性
 たしかにこれは考えられるが、これだけですべてを説明するのは無責任である。「気候感度」の問題を議論すべきである。

2.温暖化の影響への反論
2-1.温暖化してなぜ悪い
 いうまでもなく、温暖化してなぜ悪いという言い方はあまりに無責任。氷河や山頂の雪を水源としている農業がすでに破綻しつつある。寒い地方にある大都市が温暖化するのは好都合だとするのは自己中心的である。

2-2.両極の氷と海面上昇
 人為的な原因が関与していないという証拠もまた、ない。やはり「気候感度」を考慮する必要がある。

2-3.台風の凶悪化
 台風については計算精度が不十分なので確実なことはいえない。温暖化によってむしろ台風の数が減るというシミュレーションもある。

2-4.有害生物の増大 
 マラリアの発生域が広がるという考慮が欠けている。

2-5.途上国との問題
 これはロンドンあたりの戦略としてあり得る。つまり、温暖化が大変だということになれば、化石燃料の消費量は抑制される。となると、市場価格は下がる。しかし、そこに、二酸化炭素の排出負担金のようなものを付けることによって、価格を下げない。そして、その排出負担金は、少なくとも、その取引の手数料は、ロンドンを中心としたEUの金融が手にする。産油国が総取りにしていた儲けを、温暖化を利用してEUが儲けようとしているというのはあり得ないことではない。

3.温暖化を利用している人々
3-1.政治的なものである
3-2.IPCCを批判
 政治的であることは間違いないが、レビュープロセスがどこまで悪いか、と言われると、日本人研究者から、悪いという評判が出たことはない。

3-3.研究費・広報費
3-4.予防原則の濫用
3-5.宗教的・モラル
3-6.NGO
 おおむね真実に近い。

4.温暖化防止行動
4-1.温暖化対策とエコライフ
 日本人だけが温暖化を無邪気に信じて、本気で考え、CDMなどや排出権取引などで大枚をむしられている、というのは、半分以上本当だろう。逆に、日本がもっている省エネ技術を上手に海外に流すことができれば、国際貢献だけではなくて、ビジネス的にも儲かる仕組みにすることができるはず。温暖化を上手に商売に利用する、ぐらいのメンタリティーが日本の産業界にあってもいい。ところが、日本産業界は、現在の収益構造を永久に維持したいという思いしか見せない。
日本が今後開発するような技術が、世界全体を救う訳は無い。あまりにも高度だからだ。しかし、EUや米国に売り込むことは可能だし、アジアでも、中国やインドの一部、さらには、シンガポールやマレーシアならば顧客になる可能性が高い。インドネシアなどの普及する技術は、すでに特許が切れかかっているような技術で良いはずなので、排出権をハンガリーから買うために用意したお金で日本企業から特許を買い上げる。その特許をまず中国に売り、そこで製造した機器を、ODAの一部としてインドネシアなどに提供する。そして、時期をみて、工場をインドネシアなどに移す。こんな仕組みを考えるべきだろう。「懐疑本」にはこうしたビジョンが欠けている。

以上が科学的に比較的中立な立場から見たと思われる気候温暖化疑惑説に対する反論だが、こうして見ると、温暖化疑惑説には非科学的な点が多いと言わざるを得ない。ただし、温暖化をビジネスチャンスにしようとしている国の存在は明らかで、この辺が温暖化疑惑=温暖化陰謀論が喜んで取り入れている要素なのだろうと思う。
しかし、この問題については、まず科学的な論点を明らかにした上で語らなければ意味がないことだと思う。

この項つづく。

関連タグ : 地球温暖化, 懐疑論, 気候感度, 正のフィードバック機構,

思考停止理性の放棄
陰謀論疑似科学
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッ、パニパニパニック。

どんな事件も陰謀論をちょちょいと振りかけ味つけすれば、
あーら不思議、9.11はユダヤの陰謀、痴漢は国家の陰謀、地震サイクロンとうぜん国家の陰謀でございとなりまする。

和歌山カレー事件から10年目になる今年、どこかで誰かが言っていた。

「あれはただの集団食中毒事件だった」

ありゃりゃん、こりゃりゃん、摩訶不思議。

そのうちきっと誰かが言い出すだろか。

「麻原彰晃は国にはめられた」
「地下鉄サリンは集団ヒステリーだった」

うそぉー、信じられなーい。
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッパニパニパニック。
げに恐ろしきは思考停止理性の放棄
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッパニパニパニック。

右翼も左翼も関係ないさ。
思考停止に理性放棄でみんな仲良し共同戦線。
右の右は左、友だちの友だちはアルカイダ。
あー、それでも目標同じなら、みんなでお手々つないで頑張りましょう。
小さな違いにゃ目をつぶり、自民倒せば右も左も大喜び
あーめでたいな、さて目出度いか?

国家の陰謀、疑似科学。そんな武器持って自民倒しても
次に来るのは陰謀論とくいの仲間割れ。
あいつが言ってることは陰謀だ、こいつは俺をはめようとしている。
それでも自民さえ倒れてくれりゃ、あーめでたいな、さて目出度いか?

思考停止に理性放棄でみんな仲良し共同戦線。
あー楽しいな、楽しいな。
この楽しさが分からないなんて、
「あなたも陰謀にはめられてるからよ!」
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッパニパニパニック。

今年も暑いよ、熱波が襲う。
かったるいから思考停止に理性も放棄。
そうすりゃ暑さの元が見えてくる。
二酸化炭素で地球温暖化は国家的詐欺だぜ。
地球が熱くなりゃ儲ける奴が出てくる。熱くなればなるほど金になる。
温暖化はそいつらの陰謀だ。
陰謀だ、陰謀だ、陰謀だったら陰謀だ。
こうして騒げば仲間が増える。
あ~陰謀だったら陰謀だ。
思考停止理性の放棄で生まれるものは、幼稚で殺伐とした陰謀の世界だけ。

いいじゃん、それでも楽しいんだから。
楽しくなければ○○じゃないって、それはテレビ局の陰謀だ。
あ~世の中右も左も陰謀だ。
陰謀さえありゃ問題解決、分かりやすいったらありゃしない。
思考停止も理性の放棄もなんぼのもんじゃい、陰謀だったら陰謀だ。

かくして21世紀の日本社会は自公政府を倒して明るい社会が生まれるどころか、ヨーロッパ中世も真っ青の暗黒の社会へと突入していくのでありました。

関連タグ : 思考停止, 理性の放棄, 陰謀論, 疑似科学,

桝添・額賀

財務相の額賀福志郎と厚労相の舛添要一は25日、財務省内で会談し、09年度予算の大枠となる概算要求基準(シーリング)について、年金や医療、介護などの社会保障費の自然増を08年度と同様に2200億円抑制することで合意した。一方、09年度からの基礎年金の国庫負担割合の引き上げ(現行3分の1強から2分の1へ)や、高齢者医療制度の見直し、少子化対策などの財源問題は「年末までの予算編成過程で別途検討する」と決着を先送りした。(毎日jpより)

つまり、この合意は先に「骨太の方針2008」に盛り込まれた社会保障費2200億円削減方針を確認したということだ。

ここで私が思い出すのは消費税のことだ。
消費税は89年に3%で導入され、97年に5%に増税された。
いずれも社会保障のためという口実で導入されたのだが、この20年の間に社会保障は手厚くなるどころか、むしろ逆にどんどん切り捨てられ、老人をはじめとする社会的弱者が悲鳴を上げている。政府は、それでも社会保障に要する財源が不足であるとしてさらなる消費税増税をやりたくてならない。増税しなければ国庫が底をつくというのが言い分である。

しかしこれはどう考えてもおかしい。
消費税の導入が始まって20年になろうとしているが、この間にわれわれ国民が支払った金は190兆円にものぼるのだ。
社会保障のために190兆も支払ってきたのなら、今のような医療崩壊など起こるはずはなく、後期高齢者医療制度のような悪政も行われるはずはなかったのではないか。
われわれが払った190兆円はどこに消えてしまったのか。

一方、この20年を振り返ってみれば、それは大企業優遇が進んだ20年だったといえる。法人税の減税が行われ、この20年間に160兆円もの金が企業の懐に入った。
企業はそのうえ、非正社員を大量に使うことで年金保険料の半額負担も免れてきた。

単純に考えれば、社会保障につかわれるはずの190兆円は企業優遇のための160兆円の穴埋めに消えてしまい、後には十分な福祉を受けられない老人や障害者などの社会的弱者、さらに企業の儲けのために切り捨てられ、社会保障の網からこぼれ落ちる膨大な数の非正社員が残ったことになる。

どうしても消費税の増税は避けられないというのが自民党の言い分で、彼らは少なくとも10%、できれば18%程度までの増税を考えている。そうしなければ十分な社会保障は維持できないと言い張っている。
しかし、これは本末転倒の話で、増税をするならばそれ以前に企業を優遇するために使い込んだ190兆円を戻してもらわなければ筋が通らないというものだ。
そんな金はないと自民党はいうだろうが、そんなことはない。
さんざん甘い思いを味わってきた大企業の税制をもとに戻せばいいだけの話だ。まだ足りないというならば、軍事費を削減し、アメリカに貢いでいる金を今後一切取りやめにすればいいだけの話だ。政府官僚のムダをなくすなどは、その前提条件である。
消費税増税など、もってのほかだ。

それが出来ない、難しいというのなら、それは自民党の限界がきているということに他ならない。政権担当能力に欠ける政党にははやいところ舞台から降りてもらい、まっとうな金の使い方が出来る政党に替わってもらうしかない。
それが果たして民主党であるかどうか、何とも言えないところがもどかしいところではあるのだが。

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関東地方は今日も猛暑だ。
わが家のワンコたちも、この暑さにぐったりしている。
ワンコも種類によって違うが、一般に鼻ペチャ系の犬種は暑さに弱いようだ。
で、わが家にいるのは3匹のパグ親子とフレンチブルドッグで、いずれも鼻ベチャ系。
もう大変です。
タッチー

散歩は毎朝6時すぎにしているのだけれど、この時期は夜明けが早いから6時だとすでにかなり日差しが強い。アスファルトも熱せられているので、ワンコたちはものの20メートルも進まないうちにゼーゼーいって歩くのがやっと。
とくに今年9歳のこももと梅太は辛そうだ。

こももは、一昨年、太りすぎで夏になると歩くことができなくなりダイエットした。今はスリムになって歩けるようにはなったけれど、この頃はやはり年のせいなのか、アスファルトの上を歩いていると急に草むらに入ってへたりこむ。

梅太は、ゼーゼー言いながらも歩くのだが、今年になって腰が抜けるようになった。
一度腰が抜けると、お尻を引きずって前脚だけで進もうとする。お尻を持ち上げて、立ち上がらせてやると再び歩くのだが、歩き方はいかにも老犬で、覚束ない。

5歳になるフレンチブルドッグのブルースは、生まれつきのアレルギー体質で、夏になるとそれが悪化する。今年は少しよくなりかけていた脱毛が再びひどくなり、右耳や前脚の先がほとんどハゲハゲになってしまった。心なしか元気もない。

7歳になったパグ夫婦の息子、タッチーは比較的元気だが、やはり暑さに息が苦しそうにしている。

大丈夫か、ワンコたち。
今年も厳しい夏になりそうだぞ。
私も夏は大の苦手だが、なんとかこの季節をやり過ごそうぜ。
ピーチ

一方、元気がいいのはインコ軍団。
とくに生後3ヶ月半のピーチは言葉をいろいろ覚えはじめ、(あくまでオカメインコレベルの言葉だが)、「ウキウキ、ワキワキ」から「ピーちゃん」「ピーちゃんは?」と話すようになった。言葉を話すだけでなく、最近は笑い声も上げるようになり、私がブログを書いていると背後にあるケージの中で「ウケケケケッ!」と笑い、「ホーホーホー」と歌い出す。

この「ウケケケケッ!」という笑い声が、文章を書きあぐねているときに聞こえてくると、なんだか小馬鹿にされたような気分になってムッと来る。
私は振り返ってピーチを睨みつけるのだが、ピーチは首をかしげて「ホーホーホー」と歌っている。

こいつには敵わないな。
陽気なオカメ。かわいいやつ。
私はふっと笑って再び書き始めるのだが、しばらくするとまた後ろから「ウケケケケッ!」。

すいませんねえ、下手くそな文章で。
私は背中をかたく丸め、もう振り向こうとは思わない。

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昨日の深夜、正確には日付が今日に変わって間もなく、またしても東北地方に大きな地震があった。
被害に遭われた方に、心からお見舞い申し上げます。


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昨日23日のニュースでは、自民党社保庁の後継組織となる日本年金機構の職員採用について、過去に懲戒処分を受けたことのある社保庁職員867人を全員不採用とする方針を決めたことを報じていた。

社保庁は当初、「ヤミ専」職員らと処分歴のある職員のうち、停職・減給処分歴を持つ247人を不採用とする方針を示していた。これに自民党がもっとも軽い戒告処分しか受けていない620人には期限つきの雇用の道が残されていると猛反発し、この厳しい方針となった。

テレビ画面には参議院会長の尾辻秀久らが登場し、不正のあった職員には厳しい処置をするのは当然のことと胸を張っていた。

なるほど、自民党もたまには分かりやすい正義の執行役を演じるものだ。
しかし、この厳しい方針によって、本来の業務とは関係の薄いスピード違反で戒告処分を受けたような場合も事実上解雇されることになる。
たしかにスピード違反も法律違反には違いないのだから、仕方がないといえば言えないこともない。
けれども、自民党はこれまでさんざん官僚どもに好き勝手なことをさせてきたことを棚に上げて、いざこのままでは選挙に勝てないと見るやトカゲの尻尾を切るようにミソもクソも一緒くたにしたような処分方針を固めて胸を張っている。

ニュースを見ていた国民の多くは、自民党もたまにはやってくれるじゃないかと最近の官僚どもの腐敗ぶりに腹を立てていた分、溜飲を下げたかもしれない。
しかし、これは明らかに自民党の勇み足というもので、テレビカメラに向かってどうだとばかりに答えていた間抜け面は三文芝居の舞台で台詞を垂れ流す大根役者のスタンドプレイそのものだ。

そして、自民党にこれほど醜く残酷な処分をさせる元を作ったのは民主党のだらしなさ、不甲斐なさが原因になっていると私は思う。

たしかに今、総選挙をやれば自民党は負けるかもしれない。しかし、それはイコール民主党が国民の信任を勝ち取って政権を奪取することだと思ったら大間違いだ。

民主党代表選をするか否かで揉めているかに見えるが、代表選に対して否定的な考えを持つ者の根底には、代表選を行っている最中に自民党が解散総選挙をすることにしたら自分たちが対応できなくなるという貧乏くさい怯えがある。
さらに、否定論者は小沢一郎の統率力がなければ党が一丸となって戦えないという。だがそれは勝手な言い訳で、実は代表選もせずに小沢一郎によりかかったままの方が自民党に勝てるという思い込みこそが、国民に民主党を見限らせる原因になる。

何度でも繰り返すが、小沢一郎は「生活第一」と言っていた自分の言葉を忘れて大連立に走り、さらにはガソリン国会などといって国に混乱だけをもたらし、棚ぼた式に後期高齢者医療制度の悪評に乗っかって自民党をこき下ろし、挙げ句に国会を放り出して会期を終わらせてしまったのである。
この先何をするか分からない男を無批判に代表として戴いている党に、国民はどれだけ投票意欲をそそられるだろうか。

こんなことは冷静に考える頭を持っていれば自明のことなのに、当の民主党にはそれが見えない。見えていないから自民党の非論理的なスタンドプレイを許してしまうのである。

今さら社保庁の腐れ役人どもの肩を持つ気などはない。
しかし、このまま自民党の安手な「正義」に目を奪われて、せっかくあと一歩のところまで追い詰めた政権交代という獲物を逃がすのはあまりにもったいない。

今、党を割るなどは考えられないことではあろうが、私はこのまま小沢一郎を代表にして政権を取るくらいならば福田康夫にもうしばらく首相の座にいてもらった方がいいとさえ思う。できれば民主党は小沢のような国民の生活に目を向けようとしない政治家と新自由主義者とは袂を分かち、野党再編もしくは野党共闘で自民党を打ち倒してもらいたい。
小沢や、もちろん麻生太郎などに比べればいくらかでもバランス感覚のある福田康夫には、それまでの間、頑張ってもらいたい。

これは今や主流ではなくなりつつあるブログ左派、つまり陰謀論などに汚染されていない人間の、ささやかなる願いである。


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昨日のエントリで、このブログでは民主党代表選を行うべしという立場を明らかにしたが、当の民主党にはほとんどその気はないようだ。
毎日新聞の記事によれば、小沢一郎の対抗馬がいまだに現れず、選挙の構図が定まらない。そのうえ、ベテラン勢が相次いで「無投票3選」を支持する発言をしており、小沢による次期衆院選に向けた地元回り指令が代表選への感心を遠ざけているという。

さらに、小沢に近い藤井裕久最高顧問は17日、「代表選をやるのは反対。これから政権交代しようという時に、エネルギーが分散されてしまう」と岐阜市内の講演で断言。小沢と69年衆院初当選同期の石井一副代表も14日の両院議員総会で「意義があるのは『次は自分が政権を取る』と訴える場合だけ。支援する方はそれなりの腹を持っていただきたい」とすごんでみせたというから、もはや確信的だ。これらの発言だけを見ていると、まるで自民党幹部が言っているような台詞に見えてくる。

民主党内には今代表選の対抗馬を擁立すると、衆院選になったときに小沢が公認候補者を差し替えるという無言の圧力も働いているようだ。
これでは「公認決定に影響すると思う議員は代表選と距離を置くだろう」というのも当然で、若手議員が「地元を空けて東京で代表選の活動をするにはかなりの覚悟がいる」と漏らすのもやむを得まい。

しかしこのような状況を作ることが民主的といえるだろうか。

ここまでして3選して、小沢一郎はなにをやろうと考えているのだろうか。
代表選を行わなければ何も見えてこないではないか。
もちろん、小沢はあらたなマニフェストを発表するだろうが、たとえそこで再び生活第一と歌い上げたとして、今までのいきさつを見てきたわれわれは、どこまでそれを信じていいものやら分からない。

繰り返すが、民主党は代表選を行って公のもとに議論を闘わせるべきである。そうしてこれからこの党が何を目指すのか、何を国民に約束するのかを明確にするべきである。

小沢の知名度に寄りかかり、小沢に任せておけばいいという考え方で今後の党運営を進めていくのなら、民主党はすでにして自民党と同じ道を歩み始めているとしか思えない。

さらに、時事通信によると、鳩山由紀夫は次期衆院選後の政局に関し、「公明党を排除することを最初から考えるつもりはない。民主党の考え方に協力していただけるなら大変有り難い」と述べ、公明党との連携もあり得るとの考えを示している。
権力の座にしがみつくためならば相手を選ばない公明党を抱き込んでまで、民主党は政権を取るつもりなのだろうか。戦略的にその考え方はあるのだろうが、私にはとうてい支持できるものではない。これまで自公政権で公明党が果たしてきた役割には目に余るものがある。

現在の自公政権は一刻も早く交代してもらう必要がある。
しかし、そのかわりに登場するのがやはり自民党的な体質しか持ち合わせていない民主党であり、コバンザメのようにその腹にくっついて再登場する公明党では、国民にとってあまりにも夢がない話とはいえないだろうか。

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民主党のなかにはどうやら代表選をして党を分裂させるのを恐れる気持ちが強いらしく、代表選を行うことなく無投票で小沢一郎を続投させるべしという声が強いようだ。

しかし国民から見れば、これは民主党にとって非常にマイナスに働くことになると思う。
選挙を行わず、なんとなく成り行きで小沢を再選するようなやり方は、これまで自民党がさんざんやってきた密室政治と変わらないではないか。

私は基本的に政治家としての小沢一郎を信用していないため、余計に民主党には代表選を行ってもらう必要を感じている。
なぜ小沢が信用できないのかと言えば、小沢の言っていることやっていることがブレまくっているからである。
こうしてブログに書くのも何度目かになるが、小沢を代表にした民主党は「生活第一」をスローガンに掲げて昨年夏の参院選に大勝した。国民は彼らのスローガンを信じ、格差是正や年金問題の解決などを望んでいたのだ。

ところが小沢はその後、「生活第一」などコロリと忘れたような行動をとる。例の大連立問題だ。間にナベツネを挟み、福田康夫に話を持ちかけたのは他ならぬ小沢だったということだが、真相はどうなのか。

そして3月には暫定税率廃止を求めて大キャンペーンを張り、それなりに自民党を慌てさせることには成功したが、結局一月後には衆院再可決でガソリン税は復活し、その後どんどんガソリン価格が上昇しても、小沢をはじめ民主党はあの3月から4月にかけて大騒ぎしたことなど忘れてしまったように何も言わないし何もやろうとしない。もちろん、「生活第一」のスローガンなどどこへ行ってしまったものか、完全に忘れ去られている。

そして今、民主党代表選をやるかやらぬか、あるいは秋の臨時国会に向けての戦略づくりに懸命で、国民生活がこれだけ追い込まれているという現状には見て見ぬふりを決め込んでいる。
そうとしか見えない状態が続いている。

私が小沢という男を政治家として信用ならないと思っているのは以上の点からだし、民主党が本当に野党第一党として、とりあえずは自民党を倒した後に政権を任せるに足る政党かどうかに疑いを持っているのも、以上の点のうえに、前原誠司のような新自由主義者を少なからず内包していることがあげられる。この党にすべてを任せていいのか。そうとはいいとは言い切れない思いを捨てきれない原因がここにある。

もし民主党が代表選をやらなければ、こうした疑問もすべて明らかにしないまま、小沢は信用できない男としてリーダーを続けていくことになる。民主党はほんとうに「生活第一」を忘れているのかどうかも明らかにしないまま、これからの活動を続けていくことになる。

国民としては到底納得できることではない。
無投票で小沢3選というのは情けないと、「日本がアブナイ!」でも訴えている通り、民主党は代表選を国民のために行い、政党としての方針やリーダーとしてのアピールをしなければならない義務を負っていると思う。

ただし、それでも疑り深い私は民主党を野党第一党として信用するわけではない。本当に自公政権を追い詰めて行くためには、私は民主党ではなく共産党が力をつけていくことがいちばん効果があると思っている。私は共産党員ではないけれど、今いちばん国民が訴えたいことを正面から訴え続けているのは共産党だけではないかと思っている。この考えはもう何年も変わっていないのだが、残念ながら共産党の勢力はもうひとつ伸び悩んでいる。

もし解散総選挙があるとすれば、今度こそ共産党に躍進してもらい、できれば野党共闘で連立政権を握ってくれればいちばんいいと思っている。その連立に民主党が入るのは、私はちっともかまわないと思うのだが、さて小沢一郎はどう思うだろうか。民主党にどれだけ度量があるだろうか。
拝見してみたいものである。

関連タグ : 民主党, 小沢一郎, 代表選, 生活第一, 共産党,

今の自民党内には、中川秀直を中心とする「上げ潮派」と与謝野馨・谷垣禎一を中心とする「消費税増税派」が対立する形でしのぎを削っている。

今週、福田康夫が夏休みをとったことにより、休み明けには内閣改造があるのではないかとの憶測が流れるなか、中川は19日、広島県東広島市で公演し、福田康夫が内閣改造に踏み切る場合、経済成長を重視し安易な消費税引き上げに反対する「上げ潮派」を内閣人事に重用すべきだとの考えを示した。

中川は、町村派が先に特別会計の余剰積立金である「埋蔵金」など総額50兆円規模の財源を捻出し、社会保障費などに活用するよう求める提言を発表したことに言及。その上で「2011年度のプライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化という財政再建目標を先送りせず、国民生活再建と両立させるべき。そのために提言を参考にして対応策を取る人を閣僚にしていただきたい」と語ったという。

原油高にはじまる諸物価が高騰している折り、国民生活がどんどん苦しくなっているというのに消費税増税などは断じて許すべきではない。
しかし、それに対立する形となっている中川の「上げ潮論」だが、一見ごもっともなことを語っているように思えるものの、気をつけなければならない。
それというのも、もともと中川秀直の言う「上げ潮派」とは、大企業を儲けさせることにより日本経済の土台を引き上げさせるという狙いがあり、これは竹中平蔵により打ち出された由来を持つ新自由主義政策の一環であるからだ。

小泉による規制緩和により、これまで大企業は税制面などで優遇され、トヨタなどはそのおかげで世界最高の利潤を生み出す企業になり得たといえる。
もし、中川の言うように上げ潮派の立場を取る政治家が重用されることになり、今後さらなる企業優遇が推し進められることになれば、今までの流れからして国民への負担がいっそう増すことは明らかで、中小企業の倒産がさらに増え、年間自殺者の数は延々と3万人以上を記録していくことになるだろう。
したがって、字面のみから上げ潮派を肯定することは非常に危険である。

また、上げ潮派自身、消費税増税を決して否定しているわけではなく、要するに順番の問題だとしていることも見逃せない。中川も「要は打順の問題だ」と言っており、大企業優遇による景気浮揚策が上手くいったにせよ、失敗するにせよ(私は上手くいかないと思っているが)、次に繰り出してくるのは与謝野や谷垣がやりたくてやりたくて仕方のない消費税増税なのだ。
自民党としては、上げ潮派による景気浮揚策が上手くいかなかったのだから後は消費税を上げるしか策はないという理屈を通しやすくなる。

国民のわれわれとしては、今このときに与謝野馨や谷垣禎一らの言い分を認めることができないと同じように、中川秀直の言う上げ潮論も、到底受け入れるわけにはいかない。

いちばん理屈が通るのは、竹中平蔵が推し進めてきた大企業優遇をやめて、いちばん金を儲けているところから金を出させるということであり、霞ヶ関の無駄、多すぎる国会議員の数を減らすという無駄の削減を徹底的に行うことではないか。
消費税増税などはその後に語るべきものである。

しかし自民党が上げ潮派と消費税増税派との二者選択しか示していない以上、われわれとしてはやはりこの政党を支持する理由はないわけで、結局のところ、いちばん望ましいのは福田康夫に内閣改造よりも解散総選挙の決断をさせ、自民党を敗北させる以外にないということになる。
だが、あくまでも慎重な福田康夫が解散総選挙をする可能性は低いだろう。内閣改造をするとしても、上げ潮派にかたよるでもなく消費税増税派に傾くでもない、中途半端な人事をするのではないか。

だとすれば、残るのは生活が追い詰められつつある国民の声を背に、野党が結束して自民党を追い詰め、解散総選挙に持って行くしかないだろう。
その気運は十分に整っていると思うのだが。

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まったくもって、企業にとって非正規社員というのは都合のいい使い捨て歯車だということだ。

ファミリーレストラン大手「すかいらーく」の契約店長だった埼玉県加須市の前沢隆之さん(当時32歳)が昨年10月に脳出血で死亡したのは、長時間労働による過労が原因として、埼玉・春日部労働基準監督署が6月に労災認定していたことが分かった。
労災認定

名ばかり管理職の問題は、日本マクドナルドの元店長が訴訟を起こして問題が表面化したが、同じような例は日本の至る所で起きていると言う証拠だ。

前沢さんの遺族と支援した労働組合スタッフによると、前沢さんは06年3月、すかいらーく栗橋店で1年ごとに契約更新する契約店長になったが、店長になってから残業時間が増え、帰宅が午前2時3時になることもあり、朝は6時から出勤していたという。家に帰れないときには店の駐車場に止めた自分の車で仮眠したこともあったという。残業は、会社のタイムカードには月約39時間と記録されていたが、遺族側の計算では死亡前3カ月平均で月200時間を超えた。

過労死ラインとされる月80時間を大きく超える残業があったのだから、前沢さんが労災に認定されたのは当然のことだが、それほど働いていても、前沢さんが受け取っていた給料は年収200万程度だったというのが悔しい。
母の笑美子さん(59)は「帰ってきても少し寝ただけですぐ出勤する日が続き、すごく疲れている様子だったが、会社は何もしてくれなかった」と涙ながらに話した。

前沢さんにしてみれば、少しでも頑張って成果を上げていかなければ1年ごとの契約がいつ打ち切られるか分からない不安が常につきまとっていたことだろう。
まさに身を粉にして働いているというのに、会社側は月15万程度の給料しか与えていなかったことになる。一人の人間が死ぬほどの労働を提供していることに対して、企業側は最低の報酬しか与えていなかったのだ。
前沢さんの死が労災認定されたことについて、すかいらーく広報室は「労災認定された事実が確認できておらず、コメントできない」としている。いまさら何を言うかと怒りがこみ上げてくるが、これこそ新自由主義による人殺しの実態といえるだろう。

このような雇用形態を取っている限り、企業に人は定着せず、人材は育たない。ひいてはそのことが企業自体の首を絞めることになるということに企業側はいい加減に気がつかなければならないはずだ。
もはや新自由主義による資本主義社会はどんづまりにきていると、社会全体が認識すべき時に来ている。
安く使って労働力を使い捨てにするというやり方は、日本の財界が推し進めてきた方針だが、労働者は団結してこれにNOを突きつけなければならない。前沢さんのような犠牲をこれ以上出さないためにも、「格差は甘え」だとか「格差は能力の差」などと寝ぼけたことを言っている経営者たちの横面を、労働者は誇りを持って張り飛ばしてやらなければならないと思う。

関連タグ : 非正規社員, 過労死, 労災, 新自由主義,

昨日のニュースは、どのチャンネルを回しても14歳の少年によるバスジャック事件をトップに持ってきていた。

しかし社会全体から見れば、14歳が起こした狼藉ははなはだ不届きではあるものの、行き着く先は親や学校は何をしていたかということに落ち着くだけの話で、全国に流すニュースがトップで重々しく取り上げるほどのものではなかったと思う。

それよりも大きな問題は、燃料価格高騰で漁船が出漁を取り止めたことにより、市場に魚介が出回らなくなったという話題だろう。築地の場内ではマグロが姿を消し、近海物のイワシやアジ、イカが入荷されず、競りそのものが5分で終わってしまったという。
この状況は昨日一日で終わるというものでなく、原油の価格がこのまま高騰を続ければ、やがてわれわれの食卓からはイワシやアジといった庶民の味覚とされた魚が姿を消すことになる。たとえ食べられるとしても、今からは想像もつかないような高級魚として売り買いされるようになるだろうから、結局、カネに余裕のない家庭ではマグロや牛肉がごちそうとして手が届かない食材であるのと同様に、イワシやアジやイカが食べたくても食べられない高級品になってしまうのだ。

魚に加えて8月には卵が値上がりするといわれているし、9月には乳製品がまたしても値上げをする予定であるという。
今の日本人の平均収入がいくらなのかといえば、06年の国税庁によるデータでサラリーマンが435万円となっているが、その数字は年を追うごとに減少している。
つまり、生活に欠かせない食品がどれもどんどん値上がりしているというのに、収入の方は年々目減りしているということで、これは繰り返すことになるが、今の日本でスタグフレーションが進行しているということに他ならない。
平均収入

国民の生活に結びつく、これほど重大な事態が生じているというのに、どのニュースも一片の緊張感も伝えることなく、ただ燃料高騰で漁民が困っているという現象の一面を伝えるだけで終わらせている。
ニュースがかくものんびりしていられるのは、一にも二にもテレビ局に勤める社員の本音はイワシやアジやイカの値段がどうなろうとかまわないほど収入に恵まれているからであり、古舘伊知郎をはじめとするニュースキャスターがいくら眉を寄せて「これは私たちの問題であります」などと言っても年に1億以上もの契約料を受け取っている人間であれば、「さあ次のニュースです」とさらりと流して平気なのだ。そんな画面を、ほんとうに苦しい思いをしている国民は黙って眺めているしかない。
結局テレビ局も、高額の契約でカメラの前に立っているキャスターどもも、心から国民を愚弄しているとしか思えない。
本心から国民生活が第一と考えるのであれば、14歳のバカな犯行など無視をしてでも物価や国民の食の問題を取り上げるべきなのである。

福田康夫が夏休みを取ることになったと報じ、さては内閣改造を考えているのかと素人でも判断できるような報道をする前に、国民の窮状が長く続いているというのに「これまで休みなしにやってきたから休みを取ることにした」とは何事かと、サミットでも成果を上げられなかった無能さとセットで怒りをぶつけてやるべきなのである。

自公政権が国民のことなど何も考えていないことは、何も今さら言うまでもないことだが、テレビ・新聞報道の無策ぶりもまた、国民生活のことなど何も考えていないことを示している。

これから8月、9月と時が経つにつれ、国民の生活は間違いなく苦しくなっていく。もう街頭インタビューで「困ったわねえ」と薄ら笑いをしている余裕もなくなるだろう。
福田康夫がどこまで本気で内閣改造を考えているのかは知るよしもないが、国民生活をかくも苦境に追い込んだ責任を福田をはじめ自民・公明の政治家たちが取るとも取れるとも思えない。
国民としてはこんなときにこそ、野党にいちばんしっかりしてほしいときなのだが、もっとも大きな責任のある民主党は何をやっているのか。

ここ数日の蒸し暑さも手伝って、私のイライラは高じるばかりである。

関連タグ : 国民生活, スタグフレーション, マスコミ, 自民党, 民主党,

まったくこのところの暑さは過酷と言ってもいいほどで、すでに梅雨は明けてしまい、いつの間にか夏本番になってしまったかのようだ。例によって頼りにならない気象庁は、あと数日すればおずおずと「関東地方も梅雨が明けたと思われる」などと言うのかもしれない。

私は夏が苦手だ。
わが家のワンコたちが暑さに弱く、夏の散歩になると途中でへばってしまい、歩けなくのと同様、私もまたワンコたちと一緒にへばってその場にしゃがみ込みたくなるのを我慢してなんとか歩き、とりあえずは飼い主としての体面を保っている有様だ。

暑いときには冷たいものが、なんといっても気持ちいい。
そこで頭に浮かぶのは、やはり真っ白に霜がついたジョッキになみなみ注がれた黄金色のビールということになるが、いや、酒に限らず甘いものだって冷たくて喉ごしのいいものはありがたい。

そこで見つけたのが、奈良の菓子店で柿の専門店が作っているという、その名も「柿こーり」だ。
なるほどね、そうきたか。なかなかうまいネーミングだ。
写真を見るとたしかに氷の中に柿が埋め込まれているように見えるが、実は氷に見える部分は吉野葛で、要するに柿の実をあんにした冷製大福というか水饅頭のようなものなのだ。
食べるときには冷凍してあるものを適度に解凍する。解凍の度合いによって味や食感がいろいろに変化するらしい。
柿こーり

どうです、奥さん。
食べてみたいでしょ。
柿の専門店「奈良吉野いしい」謹製の「柿こーり」は6個入りで1260円。

食べてみたい方はこちらへどうぞ。
奈良吉野いしい
ま、私は写真を見るだけでガマンするしかなさそうだが。
とりあえず目で涼んでみてください。

なんだか、今日は「ジャパネットたかた」のようなエントリになってしまった。
こういう半広告のような記事も、広告放送なみにブログ内で総量規制になったりして。

関連タグ : 柿こーり, 梅雨明け,

拍手機能を回復することができました。

どうぞ、これから盛大な拍手を。
……て、無理か?

失礼しました。


原油高騰のあおりを受けた形で燃油価格が上がり、経営を圧迫していることから今日15日、全国漁業協同組合連合会をはじめとする17の主要漁業団体が一斉に休漁に入った。
一斉休漁
日経の記事によると、全漁連が東京千代田区の日比谷公園で開いた決起集会には全国から沿岸漁業者ら3000人以上が集まり「今すぐ対策を打たないと日本の漁業の将来はない」と気勢をあげた。正午過ぎからは政府に燃料費補てんなどの対策を求め官庁街の霞が関をデモ行進したとある。

それにしても思うのは、4月の暫定税率騒ぎは何だったのかということだ。
民主党はあれだけ大騒ぎをして暫定税率廃止を訴えたというのに、1ヵ月後に衆院で再可決されるとそれきりガソリンの問題は忘れてしまったように、価格がこれだけ高騰しているというのに何の声も上げようとしない。
暫定税率騒ぎの時には格差是正や年金問題のことを忘れ、今度は暫定税率のことを忘れて代表人事に没頭しているかのようだ。
まったくこの野党第一党はどうしてこうも忘れっぽいのだろうか。

今や原油高騰による燃料価格の上昇は、漁業関係者だけの問題ではなく、全国民にとって深刻な問題となっている。
こんな時にこそ、ガソリン税をたとえ期限つきでもいいから廃止してはどうなのか。そう訴える政治家は出てこないものか。

この問題について、「広島瀬戸内新聞ニュース」が「石油関係の税金の3年間の撤廃を」と題するエントリで非常に建設的な提案を行っている。物価上昇、燃料価格上昇でコスト高になる一方で賃金が上がらない現在の状況を「真性のスタグフレーション」としたうえで、次のような打開策を提案している。
以下はその引用。

>この場合、手は二つです。

 第一に供給サイドへの支援として、コストを引き上げている要因を緩和することです。

 石油関係税の思い切った撤廃です。期限は、石油価格が、落ち着くまでをめどにすればいいのですが、時限立法として、3年をめどにしませんか。仁徳天皇が税金を免除したのと同じ期間です。

 第二に、需要面のてこ入れです。これは、社会保障などセーフティネットの思い切った充実でしょう。

 これを機会に、全額税方式の基礎年金を導入する。介護も税方式でまかなう。保険料の事業主負担部分は法人税に振り替え、経営が苦しい中小企業を救う。生活保護を受けやすくする。教育費は国が負担する(大学も卒業を難しくする代わりに無料にする)。育児費も国が負担する。失業保険給付も120日などとけち臭いことは言わず、欧州並みに拡大すべきです。
(中略)
財源は、たちまちは、特別会計の剰余金を当てればよい。それから、次には投機への課税です。

今の石油価格はそんなには長くは続きませんし、続かせてはいけません。投機によるバブル分がなくなるまで、税金を免除して、日本経済を守るべきです。一方で急いで、国際的な投機資金への課税を推進すべきです。<


時限立法として3年がいいのかは分からないが、原油価格が落ち着くまでの間、ガソリン税を撤廃する案には大賛成だ。
また、これとセットで社会保障を充実させ国民が体力を回復させる案もいい。
どうしてこういう声が民主党や他の野党から上がってこないのか。
聞こえてくるのは自民党の消費税増税案や空虚な上げ潮論ばかりというのでは、あまりにひどい。
消費税の引き上げが避けられないのなら、国民が納得することはもちろんのこと、国民がその負担に耐えられるだけの状況を作ってからにすべきだろう。この点においても、今の自民党の政治家たちは国民の苦しい心情をまるで理解していないと言っていい。

ガソリン価格が高騰し続けている今こそ、暫定税率を廃止せよ。
全国でこの声を高らかに上げるときなのではないだろうか。

関連タグ : 全漁連, 一斉休漁, 原油高騰, 暫定税率, 民主党,

ただいま「拍手」が機能できなくなっています。
原因は……わかりません。

FC2で障害があったようですが、その間に「FC2サービス」の方にある拍手の設定をしてみたら、「拍手に失敗しました」と表示されるようになってしまいました。
設定を元に戻しても機能は戻らず、ただいま問い合わせ中です。

原因が分かり次第、設定し直しますので、よろしくお願いします。

いやー、困った、困った。



私は本質的に右翼は嫌いだから、政治ブログを読むとすれば大抵というか、自然に左派系ブログを読むことになる。
しかし左派系ブログにもいろいろあって、現在の自公政権を倒すことがとにもかくにも急務であるとし、敵の敵は味方とばかりになんと右派系ブログと連携して目的を遂げようと乱暴な発言をしているものもあれば、自公政権を倒す目的は同じとしながらも、それに替わる政権が民主党でいいのかと疑問を投げかけるブログもある。民主党がダメというならばどこが替わりに立つべきかといえば、社民や新党日本あたりが中心となって連立を組むべしという案もあれば、共産党にはたらきかけて野党連合を組むべしという考えを示すところもある。
百花繚乱といえば大袈裟に過ぎるかもしれないが、一口に左派系ブログといっても決して一枚岩でないことだけはたしかだ。
そのうえ陰謀論や疑似科学の類が絡み合ってくるから、様相はよけいに複雑なものとなっている。

さらに左派系ブログ界にはもうひとつ変種があって、これら左派系ブログの動きを一段高いところから見下ろし、手厳しい批判を加えるものがある。私が苦笑しつつも勉強させてもらうことが多い「世に倦む日々」などはその代表格といえるだろうが、こうしたブログに問題があるとすれば、あまりに高みからものを言うことが多いために大衆蔑視に陥りやすいという点だろう。
明晰な頭脳を使って現状を分析し、社会に指針を与えようとするのはいい。
けれども、それがエリート主義の衣をまとい、「われら少数エリートが愚かなる大衆を導いてやる」ような言説を取るようになると、肝心な大衆の方が離れていってしまうという矛盾をはらんでいる。

たしかに自民党を倒せ、公明党は怪しからんと声高に叫び、事あるごとに政治家や官僚を茶化し、愚弄するだけでは社会全体の動きには結びつきにくいだろう。
現政権を倒すためには小異を捨てて大同につく必要があるとはいっても、その次にくるものが「とりあえずは小沢一郎を代表とする民主党に政権を取らせる」だけでは、あまりに大雑把すぎて納得が得られない。
現政権を倒すという目的を共有するまではいいが、その後の詰めをきっちりしておかなければ結局のところ、大衆蔑視の大先生に嘲笑われて終わることになるだろう。

今さら言うまでもないが、政局とは生き物である。
福田政権に異を唱え続けて首相が目出度く交代したとして、その席に座るのが極右の麻生太郎になったなら、こんどはどうするのか。
あるいは政界再編の動きが活発になり、自民と民主が分裂して新党結成となったときにはどう対応するのか。民主党に巣くっている前原誠司のような新自由主義者が中川秀直らと新党を作れば、民主党支持者たちは膿を出したと喜ぶかもしれないが、果たしてそう簡単に思い通りに事が動くという保証はまったくない。「生活が第一」と言っていたのをきれいに忘れてしまった小沢一郎が、新しい首相になったとき、果たして格差是正や社会保障問題に真摯に取り組む保証はあるのか。そこまで信用できるのか。
こうしたこと一切に目をつぶって大同小異運動をすすめることにどれだけの意味があるのか。

左派系ブログ界の混迷ぶりは目を覆うばかりだと、高みから見るブログ主たちは笑っているが、彼らとしても日本に暮らしている以上は何らかの指針は表明していかなければならない。しかし、そのアイデアが大衆から乖離したものでは結局言葉遊びに終わってしまうだろう。彼らからすれば大衆は愚かかもしれないが、社会を動かす運動は大衆とともになければ成功はおぼつかないのもまた事実なのだ。

現政権を倒すという目標はいい。
しかし、それだけでまとまるのは難しい。左派系ブログが今混迷しているとすれば、まずは陰謀論など余計なものを振り払い、そのうえで原点に立ち返り、反新自由主義、反右翼をいま一度申し合わせ、仕切り直しをすることが求められるのではなかろうか。

関連タグ : 左派系, 右派, 政権交代, 大衆蔑視,

きまぐれな日々」のkojitakenさんが、今日のエントリで西日本ルートのスケジュールを紹介しているので、こちらは東日本ルートをお知らせする。
反・貧困全国キャラバン

・7/13~ 埼玉
・7/15~ 群馬
・7/18~ 栃木
・7/23~ 茨城
・7/27~ 福島
・7/30~ 宮城
・8/ 3~ 北海道
・8/10~ 青森
・8/18~ 岩手
・8/12~ 秋田
・8/24~ 山形
・8/28~ 新潟
・9/ 1~ 富山
・9/ 4~ 石川
・9/ 8~ 福井
・9/12~ 岐阜
・9/16~ 三重
・9/19~ 長野
・9/23~ 愛知
・9/26~ 静岡
・9/30~ 山梨
・10/5~ 神奈川
・10/9~ 千葉
・10/19~ 東京(西日本ルートと合流)

今日13日の出発式は、埼玉県浦和コルソ7Fホール(JR浦和駅前)で行われる。
内容は以下の通り。

1 労働・生活行政に関する被害・実情報告
 高卒の就職の実態、ネットカフェ難民、ホームレス生活 etc.

2 基調講演 笹森清氏(労働者福祉中央協議会会長)
 「思いを共有する 人間らしい生活を求めて」

3 パネルディスカッション
 藤田孝典氏(NPO法人ほっとポット代表理事)
 湯浅誠氏(NPO法人自立生活支援サポートセンター・もやい事務局長)
 宇都宮健児氏(弁護士)

その他。

全国キャラバンの案内は→http://d.hatena.ne.jp/hanhinkon/20080616/1214141296




いつものメンタルクリニックでの受診ときのことである。
「先生、このごろあっちの方がまったく駄目になってしまったんですよ」
「ああ、そういうことはあるでしょうね」
「やっぱりウツのせいですか?」
バイアグラ、出しときましょうか?」

いやいや、バイアグラなどいるものか。
そんな薬の世話になど、なりたくないわい。薬で立ったところで、何がうれしいものか。

しかし、男性としての機能が完全になくなるとは言わないまでも、線香花火の最後の火花のようにか細くなってしまうというのは、なんとなく淋しいというか、情けないというか。
べつにこれまで絶倫を誇り、世の中の女たちを手当たり次第に押し倒してきたわけではない(むしろ、それとはまったく逆のケースが多かったりするのだが)、それでも、機能を失う(弱くなる)ということは、なんとなく世の中の楽しみの何割方を失ってしまったような気分にさせる。

ああ、これで俺も終わりだ。

そんなふうに慨嘆しつつ、空を眺めてみたりする。

しかしいつまで沈んでいても仕方がない。
これからは余計な雑念に振り回されることがなくなっていいじゃないか、とも思えるようになった。実際、オンナっていう種は、オトコの私にとっては手に余る存在なのだ。色気があるうちはまだ、それでも「いいオンナ」を見ると自然に目が行った。街を歩いていて「あ、可愛い」と思わず声を出してしまい、横にいるカミサンににらまれたこともある。

そういう面倒なことがなくなるのは、けっして悪いことじゃない。

今では、たいがいの女性を見ても、心がむずむずすることはほとんどない。

これぞ枯れた境地。

ところが、だ。
少し前のニュースを見て、私の目は釘付けになった。
スイカを食べるとバイアグラ効果あり?」
見出しにはそう書いてあった。私には文字が躍っているように見えた。

CNNニュースでは次のように伝えている。
>テキサス州ラボック(AP) 米テキサスA&M大学の研究者が、スイカには勃起(ぼっき)不全治療薬バイアグラに似た効果があるという研究結果を発表した。テキサス州は全米有数の種なしスイカの産地でもある。

研究チームによると、スイカに含まれるシトルリンという成分には、血管を拡張させる成分の合成を促す作用がある。これは男性がバイアグラを服用した場合と同様の効果だという。

スイカをたくさん食べるとシトルリンが体内の酵素に反応してアミノ酸の一種アルギニンに変化し、心臓、循環器、免疫の働きを増強する。「アルギニンにはバイアグラと同じような効能があり、勃起不全の治療や予防にもなるかもしれない」とテキサスA&M大学の果実・野菜改良研究所のビム・パティル所長は言う。 <

バイアグラには心臓病を持つ男性の場合、最悪の場合死亡するような発作を起こす副作用があることが知られているが、スイカならばそんな副作用の心配もない。

ただし、と記事には続きがある。
体内のアルギニンレベルを高めるだけのシトルリンを摂取するには、およそカップ6杯分のスイカを食べる必要がある、と。

カップ6杯分のスイカって、どんだけ~?
とにかく少々食べたくらいでは役に立たないのだろう。
ならば、この夏はスイカを食うべし、食うべし! スイカを食って「男」を取り戻そう!

そういえば小学校の頃、給食でスイカが出るとみんな喜んだものだが、なかに一人だけスイカが嫌いで食べられないという変わった奴がいた。
かわいそうな奴。この記事を読んで、今頃、泣いているかもしれない。
スイカが好きな私は、もう勝ったも同然の心持ちだ。

「今年は食べるよ、スイカちゃん」
昨日もスーパーに行った折、店頭に並んでいるスイカを愛おしくポンポンと叩いてきた。

もっとも、私の期待をよそに、ノースカロライナ州立大学でスイカを研究するトッド・ウェーナー氏は、スイカは治療薬としてのバイアグラの代用にならないと言っている。
え~! 効き目があるんじゃないのかよ。

はっきりしてくれよ、アメリカのスイカ研究者たち。

これには私の存在がかかっているといってもいいのだから(ウソです)。

関連タグ : スイカ, バイアグラ, アルギニン, シトルリン,

ブログを書くようになって、そろそろ7ヵ月になろうとしているが、実のところ自分が書くものを公にすることの難しさを感じることが多くなり、それがこのところ、私を悩ませている。

文章を書くのを商売にしていながら何を今さらと思われるかもしれないが、仕事で書く原稿はあらかじめテーマが決まっており、構成と結論をある程度準備してから書く。いわば目的地が決まっている旅行をしているようなもので、多少の回り道をすることはあっても、最終的に間違いなく目指した地点にたどり着けばそれで完了する。

それに比べてブログは、その性格にもよるだろうが、まったく自分が思ったことや信じていることをそのまま現していく作業になる。その結果、書き手の性格や信条が日々のエントリにダイレクトに反映されていくことになるのだが、これを旅に例えるならば目的地を定めない流浪の旅のようなものということができるのではなかろうか。

何を言いたいかといえば、つまるところ私は学者でも研究者でもなく、専門分野を持つ評論家でさえなく、したがって私が書くことは私自身が手探りをしながら考え、書いているものにすぎないということだ。
それでも、日々の暮らしの中で感じること、興味を引かれたことを思うがままに書いていければ、それは私にとってひとつの認知療法になるのではないかと思っている。
ただし、そう思っているだけでは駄目なのだということに、最近思い至った。

たとえ私のような弱小ブログでも、自分の思いを公にする以上は、私自身の立ち位置をはっきりさせておかなければならない。
つまり、私は専門家でも何でもないが、今の日本社会に生きる一人の大人として間違ったことは考えたくないし発表したくないと思っている。正しいこととは、あえて言わない。私は自分自身を偏頗な男だと思っているし、家族からもしばしば私の言うことは極端だと非難されることがあるからだ。
それでも自分なりに間違ってはいないことを信じて発言し、文章にしていかなければ、私のブログが存在する意味はなくなってしまう。

では、私は何を間違ったこととそうではないものと判断し、自分の考えに受け入れていけばいいのか。

これが非常に難しい。

私はできる限り物事を科学的に見ていこうと思っている。科学的に見るということは客観的に観察・吟味するということで、これの対角線上に位置するのが、いわゆる陰謀論疑似科学の類に属する言説である。
この世の中には常人には考えつかないような悪だくみをしている人間が確かにいるだろうし、今の科学では解明できない事象があることは認める。
けれども、それらが実は世の中を動かし地球のすべてのシステムを左右していると考えるのには躊躇いと疑いを持つ。そうした言説を信じることに対して赤信号を掲げたいと思っている。

他のブログを読んでいて楽しいと感じるのは、今まで知らなかった知識や考え方に触れることができるところにあり、自分には思いもつかなかった視点に気がつくことができたときには年甲斐もなくドキドキするようなこともある。
しかし、それも気をつけておかないと知らぬ間に陰謀論疑似科学の類の泥沼に片足を突っ込むことになる。

私がブログでリンクを張るときに基準にするのは、バイクや落語のように私の趣味と合致したブログ、ネット上で知り合った方もふくめて大人のつき合いができる人が運営するブログ、そして私にとって知的好奇心を与え、私に新しい価値観を提示してくれる貴重なブログの3種に分けられるかと思う。

一方、リンクを張らせていただいたものの、時間が経つにつれて、実はそのブログ主がどうやら陰謀論疑似科学の信奉者ではなかったかと気がつくこともある。なかには陰謀論疑似科学を論じて私など反駁する余地もないほど論理的に語っていることもあるので、暗愚な私はしばらくたってからようやくそのことに気がつく始末だ。
こういうブログにリンクを残しておくのも反面教師として役に立つのかもしれないが、私にとってそれらはいつ足を踏み外すかもしれない危ない橋だ。

私のような者が、いつまでブログを続けられるのかは分からない。できるだけ長く続けたいとは思うが、限りある時間のなかで自分を表現していくのであれば、私なりに間違った方向に進まないよう気をつけなければならない。ブログを書くための羅針盤があればいいとは思うが、結局のところ、自分を導くには判断力と知力を蓄えていく他ないのだ。その二つにおいて、いかにも私は心許ないと言うしかないが、自分が目指す方向を誤り、しかもその修正ができなくなったときには、潔くブログの更新を断念することにしようと思う次第である。

関連タグ : ブログ, 疑似科学, 陰謀論, 科学的, 客観的,

7月も早くも中盤に入って、今日は朝から夏の日差しが照りつけている。

私もワンコも朝の散歩をすませただけでぐったりしてしまった。
元気なのはオカメインコグループだけで、ピーチなどは朝から「ウキウキ、ワキワキ!」と、なんだか訳の分からない言葉をしゃべっている。

こういう日は、ただでさえ回転の鈍い頭が、さらに働かなくなる。

というわで、今日もくだらない話題から。
山本モナ
今、話題騒然の尻軽女・山本モナである。
世の中では、今回の山本モナの行動を非難する声が多くを占めているようだ。
それにひきかえ、家庭持ちでありながら、強引に山本をホテルに誘ったとされる巨人の二岡については意外なほど批判の声が聞こえてこない。
一昔前ならば、こういう醜聞が発生すれば、非難されるのはまず男の方で、しかも「球界の紳士」(笑)であるはずの巨人軍の選手が不貞行為をはたらいたとなれば、ただではすまされなかったはずである。

二岡は罪滅ぼしのために頭を丸めたらしいが、世の中は頭を丸めるわけにも行かない女性の方の山本モナに対して俄然厳しくあたっている。
山本が出演していたフジテレビの「サキヨミ」の公式ホームページには、11日午前5時までに1016件の抗議、意見が寄せられたそうだ。その大半は「モナをもう出さないで欲しい」「辞めてください」と番組からの降板を訴えるもので、局ではすでに山本の降板を決めている。

フジテレビではよほど今回の山本の行為が腹に据えかねたらしく、「めざましテレビ」では大塚範一キャスターが騒動について言及、「(サキヨミの)1回目の放送の夜に同じ過ち(不倫騒動)をするなんて軽率。怒りのようなものを感じる」と批判した。
一方、モナが金曜レギュラーを務める日本テレビの情報番組「おもいッきりイイ!!テレビ」の司会者、みのもんたはコメントしなかったという。みのにしてみればスネに傷持つ身だからだろう、偉そうなことはいえなかったに違いない。

世の中はかように山本モナ批判一色に染まっているかのようだが、私はむしろ、今回の山本にかぎっては世の中にたまっているさまざまな不満や鬱憤を晴らしてくれた、一種のガス抜き効果の役目を果たしてくれたと思っている。
いいじゃないの、仕事が終わった後にラブホに行ったって。山本モナだって年齢的には立派なオトナなのだし。キャスターをしている人間がセックスをしてはいけないなどという理由はないわけだし、もしそれがケシカランというのなら、妻帯者や恋人のいるキャスターはみなケシカランことになるだろう。不倫をしたのがケシカランというのなら、それこそ二岡の方が責められるべきで、山本の場合は「ニュース23」のときも念願のニュースキャスターになれたために舞い上がってしまい、思わず取材相手の民主党議員と接近しすぎて情が高ぶるまま路上キスとなったのだろう。
そして今回もまた、同じように報道番組? のキャスターに復帰がかなって舞い上がった山本は、口説かれるまま二岡と意気投合し、五反田のラブホにしけこんだ。
まさに尻軽女の面目躍如ではないか。
ここまでくれば、微笑ましいといってもいいほどだ。

テレビの報道は倫理的に高潔であるべしなどという不文律はいつからあるのか。
それを求めるならば、その前に、テレビの報道はもっと公正で正確な姿勢を心がけるように自らを律すべきだ。視聴者の上等とはいえない好奇心におもねるような番組を垂れ流しておいて、今さら不倫はケシカラン、仕事帰りにラブホはよくないなどというのは笑止というほかない。

笑止といえば、山本モナ嬢と二岡がしけこんだ五反田のラブホは、報道があってからというもの平日にもかかわらず満員盛況なのだそうだ。
倫理的にケシカランというならば、昼間ッから好奇心丸出しでラブホに入っていく男と女こそケシカランというべきだろう。

こうして世の中が勝手な言い分を振り回している間、当の山本モナは自宅で謹慎をしているそうだ。テレビに出て人前に立つ「公人」としての責任がどういうものであるか、山本は果たしてどれほど感じているのやら。
そればかりは本人に聞いてみなければ分からない。

関連タグ : 山本モナ, 不倫, 抗議, 公人,

いやはや、まさかね。

かの大先生のブログで、こんなに笑わせてもらえるとは思いもしなかった。
もちろん、私は大先生が確信犯として尻軽女・山本モナの不倫騒動を取り上げたのだと思う。

それにしても、あの淫乱を絵に描いたような顔をした女をして、大先生は「時代の華」と賞賛し、山本モナだけは家族で共通の話題になり関心になる存在なのだそうな。
しかし「家族でテレビを見ながら、寛げて和めるキャラクターは山本モナだけだ。そういう家庭は全国に多いだろう」とまでいうのは、少々言い過ぎではないか?
先生、ちょっとそこまではついて行けませんぜ。
山本モナ
そもそもフジテレビで始まった「サキヨミ」という情報番組だか報道番組だか、はたまたバラエティだかも判然としないような番組が、なんとも批評のしようのないほど低劣な番組で、その中心に席を占めてヘラヘラ笑っている山本モナは、端から見ていると痛々しいほど品性下劣な、頭の悪そうな女にしか見えなかった。
そうとしか見えなかったと思ったのはまったく私の思いこみであるかもしれない。なにしろ、この番組のあまりのくだらなさに、私は10分として見ていることに耐えられなかったから。

山本モナを見て、まず思ったのが「ああ、これが“あの女”か」ということだった。
あの女とは「筑紫哲也のニュース23」にキャスターとして登用されながら、民主党議員との路上キスの写真をスクープされてあえなく降板した、あの女という意味だ。

べつだん、それはいいさ。私は構わないよ、モナ嬢がどこのだれとキスをしようが、私の性刺激ホルモンはぴくりとも反応しないのだから。
しかしキャスターとして登場後、あまりに早く降板してしまったものだから、下手物見たさの欲望が満たされなかったのは少々残念だったところはある。
だから、「サキヨミ」なる番組に山本モナが出ているとラテ欄で見て、やはり私の好奇心はちょいとばかり刺激されたのは事実だ。

ところがテレビを通して初めて見た山本モナの感想は、ちょうどビル・クリントンが不倫したというモニカ・ルインスキーの顔を初めて見たときのそれに似たものだった。
「なんで、この程度の女に、いかれちまうのかね」
モニカ・ルインスキー
はっきり言って、ルインスキー嬢もモナ嬢も、女としては下手物の部類だ。
クリントンの不倫騒ぎが海の向こうで炎上していた頃、私が仕事で会うことが多かった毒舌の教育評論家は言ったものである。
「フェラチオ好きな女っていうのはさ、口元を見るだけでわかるんだよ。あの、黙っていてもバナナがくわえられる程度に締まりのない唇。そのデレンとした感じを見れば、すぐにそれと分かるんだよ」

当時の私は「先生、それは何でも言い過ぎ。セクハラになりますよ」と言ったものだったが、今では彼の言っていたことに一理あると訂正しなければならない思いだ。
山本モナは、明らかに、そういう口をしてテレビに映っていた。
若い男には、それだけで興奮ものかもしれないが、精気も枯れ果てようとしているウツのオヤジにとって、その手の女はただ鬱陶しいばかりだ。

だから、今回、山本モナが巨人の二岡だかとラブホテルに入ったと聞いて、私は腑に落ちた思いを新たにし、やっぱり人間の品性というものは顔に現れるものなのだと確信した次第だ。
しかし山本モナばかりをあげつらってばかりでは不公平だと思うので、これは男にもいえるものだということははっきりさせておこう。どこぞの著名人などはまさしくその典型で、山本モナが一度の過ちに懲りずに二度までも醜聞を曝してしまったと同様、かの男もいずれは同じ過ちを三度四度と犯すのではないかと思っている。

かの大先生は、山本モナにはマスコミ的価値が十分に備わっているとし、「サキヨミ」なる愚劣な番組をたとえ降板させられたとしても、必ず拾う神が現れるだろうと温かいエールを送っている。しかし男の場合はそうもいくまい。山本モナほどの華もない中年男が醜聞を重ねたところで拾う神などはもはやなく、専門分野で玄人に認められる業績も皆無であれば、世間は失うものを一つとして感じることなく忘れ去るだけだろう。そこにはもちろん、怪しげな陰謀など入り込む余地はない。

大先生の大笑い記事のいちばんの読みどころは、山本モナなどよりも、実は政界を牛耳ろうと画策している森喜朗の精力絶倫ぶりにある。なにしろ森は高市早苗、小池百合子に手をかけただけでは飽きたらず、ついには野田聖子までモノにして、次の福田内閣にいずれかを送り込もうとしているというのだ。
私のような政治音痴からすれば、これこそ「エエッ!」と驚き呆れる事実なのだが、これもどこぞの陰謀論好きの手合いには永田町の陰謀に数えられるのだろうか。

まあ、国策ナントカに比べれば、大先生によるこの陰謀説の方がずっと信憑性があるような気がするのだが、果たしてそれは私の妄想なのだろうか。

■追記
山本モナ自身の釈明文を読むと、なかなか堂々と開き直っていることに感心する。どうせなら家庭持ちの二岡が100%悪いことにすればよかったのに。
「本当にお酒を飲んだだけで、他には何もなかったと天に誓って申し上げます」
と言うくらいなのだから、自分が番組を降ろされるのは冤罪不当だとしてもよかった。
ただし「天に誓ってやってない」などといくら言葉を重ねたところで、二人がセックスするためにホテルに入ったことを疑う者はないだろう。たとえ室内での二人を見てはいなくてもね。
それにしても、入ったのが五反田のラブホというのがなんとも貧乏くさく、性欲ムンムンの臭いが漂ってくる。笑えるなあ、このネタは。

関連タグ : 山本モナ, モニカ・ルインスキー, 品性, 陰謀,

大分県教育委の汚職問題が取り上げられたのは数日前だったと思うが、その実態が明らかになるにつれ、批判の声が日ごとに大きくなっている。
今日の朝日新聞では「教え子に何と説明する」と社説で批判しているし、読売は社会面でこの問題を取り上げ、収賄で起訴された県教委義務教育課参事の証言で、教員採用には「議員枠」があった事実を報じている。

今回の大分県の汚職が特にひどいのは、現職の校長・教頭が逮捕・起訴されたために5つの小学校や中学校で校長や教頭が不在になるという異常事態が生じていることで、朝日の社説ではないが、金の誘惑に負けた薄汚い「先生」のことをいったい何と説明したらいいのかという憤りが募る。

とくに私が注目するのは、口利きの実態が自分の息子や娘を教員試験に合格するように図っている点だ。

国政が世襲議員によって劣化していることは常々言われていることだが、ことは国会議員にとどまらず、教員の世界でも世襲化=劣化が進んでいることをうかがわせる。
たしかに自分の周りを見回してみても、教員の親を持つ子弟はやはり教員になっているケースが非常に多い。
同様に、公務員の家庭では子どもも公務員になっていることが多い。
だとすれば、霞ヶ関の役人どもも内情を調べてみれば二世・三世の官僚が多いこと目を驚かすばかりなのではあるまいか。

それら世襲の役員たちのすべてが無能というわけではなかろう。すべてが情実で職に就いたというわけでもなかろう。

しかし居酒屋タクシーをはじめとする、浮世離れした金銭感覚、生活に困っている者に対して生活保護の申請を拒否する冷酷さなどは、人の痛みを知ることがない人間が役人になっているために生じている現象とはいえないか。

大分県教委汚職問題では教員採用制度の透明化など、改革案がいくつも出されるだろうが、ことは教員制度だけでなく、公務員全体のものとして考えていく必要がある。公務員採用・人事には、それを専門に行う独立機関の設置なども考えていくべきだろうし、なによりも議員同様、世襲を排する方法を講じる必要があるように思う。



関連タグ : 大分県教委, 汚職, 教員採用, 公務員, 世襲,

洞爺湖サミットについては、私は何も期待するものがない。
己の利害を第一に考える指導者たちが雁首を並べたところで、実りある具体策が生まれるとはとうてい思えないからだ。
ため息混じりの私の思いを象徴するような場面が、昨日の「ニュース23」で映し出されていた。

「おい、ジョージ。来いよ」
テラスでの記念撮影を終えた首脳たちがホテルに引き上げようとしているとき、イタリアのベルルスコーニがブッシュに声をかけた。
ニヤニヤしているベルルスコーニのところにブッシュが行くと、ベル公はホテルの窓を指さして言った。
「君のことを撮りたいって言ってるのかもしれないぞ」
ブー公が指さされた方を見上げると、2階の窓際に、携帯やカメラを持ったホテルの女子従業員たちが立ち並び、キャーキャー声を上げているのだった。
ブー公も思わずニヤニヤして手を振り、その声援に応え始めた。
ベル公とブー公の他に、もう一人フランスのサルがにやけて女子従業員たちを見上げていた。
G8

まるで高校生が修学旅行先で、どこかの女子校の生徒たちに遭遇しているような光景だった。
「おい、ナンパしようぜ」
ベル公あたりはそんなことをブー公の耳元で囁いたかもしれない。
「一発やれるかもな」
サルも言ったかもしれない。

つまりはサミットなど、この程度の集まりでしかないのだ。

破産寸前のホテルを大金を出して借り上げ、地元名産の食材をふんだんにつかってフルコースの食事を振る舞い、世界の貧困と食料問題を語り合う。

なんとふざけた会合だろう。
税金の無駄、と騒ぐ連中がいて当然だ。
G8など、なにももたらさないと批判されるのも当然だ。
2050年までに温室ガス排出量を半減させると宣言したところで、金儲けに走っている先進国は例の排出量取引とやらで貧しい国の人々を札束で顔を張るようにして排出権を買い取り、帳簿上の体裁をつけるだけに決まってる。
こんな奴らの宣言に、誰が騙されるものか。

先進国首脳というセレブたちが専用ジェットで大量に二酸化炭素をはき出しながら日本に来ている最中にも、日本の社会の底辺では派遣労働者たちが新しい身分格差のなかで苦しんでいる。
その実態を毎日jpが取り上げている。

39歳の男性は都内でひとり暮らし。複数の派遣会社に登録しているが、仕事がない日はざら。仕事は大工や引っ越しなど力仕事の現場がほとんどで収入は10~20万。
ある現場では、正社員がスタンガンをちらつかせながら派遣を酷使している場面に出くわした。
「同じ派遣の仲間が、そいつにけられ、殴られた。スタンガンは使わなかったようだが、まるで奴隷扱いだった」と男性は振り返る。

横浜市の45歳の女性は親元で暮らしているが、月収は10万未満。仕事は荷物の仕分けや街頭でのティッシュくばりなど。夏の仕事場で、「お前は社員ではないから」と休憩室を使わせてもらえず、炎天下の道ばたでおにぎりを食べたことがあった。乗りかけたエレベーターから追い出され、1階から6階を階段で行き来したこともある。

派遣社員が働く現場では、このような差別が日常的に行われているのである。
社員は社員で、成果主義のもと会社に尻を叩かれ続けているので余裕などない。自分より下に位置する派遣社員に対して、いきおい居丈高になり、鬱憤を晴らしているのかもしれない。
しかし醜い差別構造が、この社会の中に着実に根付いていることは事実なのだ。

このような状況は、はたして改善されるのか。
自民公明両党は8日、日雇い派遣の原則禁止など派遣制度の規制強化策を盛り込んだ提言をまとめ、桝添厚労相に今秋の臨時国会で労働者派遣法を改正するよう求めた。派遣先企業にも法律上の労災防止責任を反映させる措置や、特定企業だけに労働者を派遣する「専ら派遣」への規制強化、マージンの公開義務づけも盛り込んでいるという。しかし、経団連をはじめとする企業側はこの規制に警戒感を示し、今後抵抗していくことが予想される。

企業側は人件費を削るために非正社員を使い、人件費を抑えようとする。しかし、低賃金で保障もない非正社員では結婚することもままならず、このままでは少子化がさらに進んで年金制度も社会保険制度も破綻する。企業は社員の技能や熟練を蓄積できなくなり、国際的な競争力を失っていく。
経済学者の金子勝は、こうした悪循環がすでに社会を蝕み、日本の将来に暗い影を投げかけていると分析している。

企業側は、財界側は、国際競争力をつけるためという名目で税制の優遇を受け、さらに人件費を節約して非正規雇用を多量に利用することで利潤を上げてきた。
しかし、結局行き着く先は企業にとっても労働者にとっても暗澹たる未来でしかないのだ。

洞爺湖で馬鹿げた政治ショーが演じられている間にも、社会は暗闇の待つ未来に向けて歩み続けている。
われわれが目を向けるべきは、行く手に待つ「闇」をいかに振り払うか。その有意義な方策を語る人々であることは言うまでもない。

関連タグ : 洞爺湖サミット, G8, , 派遣労働者, 身分格差, 労働者派遣法,

都会の雑踏を歩いていれば、誰でも一度ならず目にするのはホームレスの姿だ。
歩道の片隅に段ボールをつなぎ合わせ、なかにはどこから持ってきたのか布団まで敷いて寝ている者もいる。
よれよれの、季節外れの服を着た、いかにも垢まみれの彼らの姿を見れば、誰だって近づこうとしないだろう。

少し前まで、彼らのことは働く意志がない社会からのはみ出し者のように思っていた。
世の中に今のように勝ち組だとか負け組だとかいう概念が生まれる前から、浮浪者と呼ばれるホームレスはいたのだし、ゴミあさりをしている彼らの姿を見るにつけ、私は眉をひそめずにいられなかった。

しかし、今は少しだが、そうした見方が違ってきている。
彼らの中には働こうにも住むところがなく、住むところがなければいくら職を探しても仕事をくれるところなどあるわけがないわけで、やむにやまれずホームレス生活を続けている者がいるのだ。
生活保護を訴える
昨日、東京都内でホームレス生活を送っている横山正美さん(57)が、新宿区を相手取り、所持金もなく住む場所もないのに生活保護を支給しないのは違法だとして、東京地裁に訴えを起こした。横山さんは派遣労働を繰り返して生活していたが、仕事を打ち切られて収入を断たれ、仕方なくホームレス生活を始めた。なんとか仕事を探そうとしたが、住所不定で連絡先もないのでは就職などできるわけがない。毎日の生活は路上に寝泊まりし、雑誌を拾ってきて売ってわずかな金を得る他はボランティアの炊き出しに頼るしかなかったという。

このような状況にありながら、生活保護の申請を受けた新宿区は「仕事は十分に確保できる状態」として却下していた。

こうした事実は全国を見れば無数にあるのだろう。
そこに共通しているのは、行政の冷酷さだ。
今の社会では、たとえ住居があっても50代で新しく仕事を見つけることは難しい。
まして住所も連絡先もなく、ホームレスをしているというのでは、仕事が見つかる可能性は皆無だろう。いくら本人に仕事をしようという意志があり、ホームレス生活から逃れたいという思いがあっても、このままでは希望を叶えることは非常に困難だ。

こういう弱い立場の人たちを助け、最低限の生活が送れるようにしてやるのは行政の役目であり、生活保護はそのための大切な手段であるはずだ。

しかし実際には、どの役所でも生活保護の申請を受けることに難色を示す。ほんの少しでも要件を満たしていないと見れば、即座に申請を却下する。申請者がどんなに困っているかということは、まったく斟酌されることはないようだ。

生活保護をめぐる非情な措置は、これまで何度もニュースになってきた。生活保護を受けていた男性が役所から辞退を迫られ、やむなく辞退した結果、餓死してしまった北九州の事件は記憶に新しい。

生活保護は、ホームレスをはじめとする生活困窮者にとって最後のセーフティネットとして機能しなければならないものだ。
しかし現実には、特別な事情がない限りこの制度を利用することができないようになっている。
その裏には社会保障費の削減という政府の政策が横たわっているからだろうし、生活保護を適用するための共通のガイドラインのようなものが明確になっていないということもあるだろう。そしていちばんの原因になっているのは、担当窓口の人間が、基本的に生活保護は受けつけない方針で仕事をしていることにあるだろう。

生活保護を無制限に支給していたのでは、不正受給者が後を絶たないと彼らはいう。
しかし、それをいうなら不正をして私腹を肥やす役人も後を絶たないではないか。今年だけでもどれだけ役人どもの不正が表沙汰になったことだろう。
それなのに、役人たちのボーナスは今年、みなアップしているのである。
これは不平等であり不公正というものだろう。

不正受給者に対しては後からいくらでも厳正な処置をするとして、まずはほんとうに困った人を助けることを第一にする制度に、生活保護システムを改めるべきである。

訴えを起こした横山さんは言っていた。
「ずっと長いこと支給してくれといっているわけじゃない。仕事を見つけるまでの6ヶ月間程度、部屋を借りて生活するための資金を支給してもらいたいだけだ」

彼の訴えは悲痛だ。もし生活保護が受けられなければ、労働意欲はあるにもかかわらず、横山さんはホームレス生活を強いられることになる。
働きたい人間を働かせず、生活していきたい人間に生活を許さない制度。
今ある生活保護制度は、今後、なんとしても改めていかなければならないものである。

関連タグ : ホームレス, 生活保護, セーフティネット, 社会保障,

心がマイナス思考でいっぱいになり、元気を失った状態にあるとき、つまり私がウツ状態に苛まれているとき、オリンピックほど鬱陶しいものはなかった。

テレビをつければどのチャンネルからもガンバレ! とかスゴイ! とかスバラシイ! とか選手たちを礼賛する言葉があふれ出し、黄色い声援がネオンサインのようにきらめいてそれらの言葉を強調する。

もうやめてくれ。いい加減にしてくれ。

私は画面を見るのも辛くなり、テレビのスイッチを切ったものだった。

そのオリンピックが、またしても一月後にやってくる。
今の私の状態は2006年トリノ大会のときほど悪くはないが、それでもまたあの見え透いた美辞麗句とやかましい声援が日常茶飯にあふれ出すことを思うと憂鬱にならざるを得ない。

オリンピックなんかどこが楽しいんだよ。

今でもそう思う。
あんなもので喜ぶのは、ガキだけで十分だ。
メダルを何個取ろうが私の生活には何の関係もないことだ。
選手は努力をしているのかもしれないが、私のために努力してくれている訳じゃない。
彼らの多くは協力団体やスポンサーから多大な援助を受けて「頑張っている」だけじゃないか。
彼らは、幸せな人たちなのだ。
ヤワラちゃんともてはやされている谷亮子など、所属する企業ぐるみの支援を受けて生涯心配のない生活が約束されているのだろう。トヨタは労働者には冷たいが、表舞台で活躍する人間にはカネを惜しまない。いい企業だ。
目出度くスピード社の水着を着られることになった北島康介は、「きっこの日記」で書かれたごとく、まるで古い女を捨てるようにこれまで献身的に支援していたミズノを足蹴にし、新記録に挑むのだろう。
記録に目がくらんだ男、北島康介。
貴様が金色夜叉を演じるならば「売女!」と足蹴にされるお宮の役回りがちょうどいい。
こんな男が泳ぐのを見て、どこが面白いというのだ。

北京では、これも「きっこの日記」で書かれているように、大会を前に野犬や野良猫が大量に駆除された。駆除という名目の大量虐殺である。
街角からは物乞いや路上芸人が姿を消し、風俗営業も当分は営業を停止するのだそうだ。
インターネットからはポルノサイトや政府批判のサイトが削除され、カラオケ店では中国の安全と主権を守る曲以外は禁止になっているそうだ。

見事なまでに表面を取り繕い、キレイキレイになった北京で開かれる世界的な茶番ショー。
煎じ詰めれば、北京オリンピックとはそういうものなのではないか。
開催する側も、出場する側も、みな薄汚れて見える。

なかには地道な努力をしている選手もいるだろう。立派な選手もいるだろう。でも、ほんとうに自分の頭でものを考える人間だったら、北京オリンピックなど出場しなくてもいいと思うはずだ。
日本には残念ながら、自分の頭で考える選手は一人もいないようだ。
みな自己満足か名誉欲で思考停止させてしまっている。

プロとアマとの違いもあやふやな選手たちが頑張った挙げ句、メダルをとったとしても、聞きたくなるのは
「で、帰ったらいくらもらえることになってるの?」
ということくらいだ。

もうやめてくれ、オリンピックで馬鹿騒ぎするのは。
平和の祭典、クソ食らえ。

「ガンバレ」と「ニッポン」の連呼を毎日のように聞かされることになるのかと思うとそれだけで、私は今からげんなりしてしまう。

関連タグ : 北京オリンピック, 茶番,

以前から自分にとって大きなテーマであるにもかかわらず、なかなかブログで正面から取り上げることができずにいるものがある。
それは「貧困」だ。
反貧困マーク
今、フリーターをはじめとする若者たちの貧困が大きな問題となっており、仕事を得るにも企業側に都合のいい使い捨て労働力としての非正規雇用が大きな不安の源になっている。
二十数年前、私は鎌田慧の『自動車絶望工場』を読み、そこで働く期間労働者たちの非人間的な管理下での生活に大きなショックを受けた覚えがある。しかし、その状況は20年以上たっても改善されるどころか、季節労働者よりもさらに待遇が悪く不安定な労働条件で働く派遣労働者が大量に利用されることで、さらに劣悪化しているといえるだろう。

自動車絶望工場』は、トヨタの製造ラインで働く労働者の中に、鎌田慧が自ら入り込んで体験したものをルポルタージュしたものだけに説得力があったのだが、その本を読んだときの私自身、ある出版社の編集部に編集プロダクションから出向した形の派遣社員であり、業種はちがっていたものの、待遇の悪さや立場の弱さではある意味『出版社絶望編集部』にいたといってもいいかもしれない。ただ、私が違っていたのは、待遇の差や正社員の身勝手に憤ることはあっても、与えられた仕事を言われた通りにする仕事ばかりではなく、むしろ自主的な主張を持たなければ編集者として戦力にならないと判断された点であり、編集者としての腕前は大したことはなかったけれど、それでも正社員の何人かには負けない自負を持っていられたことだろう。
その自負の半分は、単なる思いこみに過ぎなかったのだが、自負を持っていられるのといられないのとでは大きな違いがある。
私はその当時、『自動車絶望工場』に描かれる、地方から集められ、機械の一部のように扱われる出稼ぎ労働者たちを、半ば他人事として読んでいた。

私が「貧困」をテーマに考えながら、なかなかメインに取り上げられずにいたのには、昔は持っていた自信が、その後の経験を通して実はいかほどのものでもないことが分かってきたからであり、自分もまた不安定な潜在失業者のひとり、つまりプレカリアートの仲間であるということを認め、そのことを白状した上でなければこの問題に触れることはできないと思っていたからだ。

正直言って、中年を過ぎた男が自分の現状をプレカリアートであると認めるのは辛い。実り多きはずのミドル・エイジに、自分自身が貧困層一歩手前にいると認めるのはなんとも体裁が悪い。
けれどもこのことを認めないことには、現在の貧困問題にコミットしていくことは難しいのも事実なのだ。

今こうして書いている間も、「貧困」の問題を私なりにどのように扱っていったらいいものか、分からない部分がある。
しかし、これは私が「ウツ」になったこととも関係があるが、自分の生活が苦しくなったのはライターとしての能力が劣っているからではないかと自分を責め続けた何年かがあり、仕事ができなくなってしまった(その結果、仕事の依頼も減ってしまった)のは自分の責任だと思い、毎日、死にたいと思っていた時期を顧みて、それは必ずしも私だけの責任ではなかったのではないかと思うようになっている。原稿を書けないライターは使い物にならないが、そういう人間に残される選択肢が自殺しかないとすれば、それは社会もどこかおかしいのではないか。もちろん、社会に甘えるのではない。しかし、卵を産まなくなったニワトリは潰すしかないという社会のあり方は非人間的と言わざるを得ない。
私自身が強く感じていた今の世の中の生き難さ、真綿で首を締め付けられるような息苦しさは、実はもっと多くの人が味わっているのではないかと思うようになった。

自分を責め、毎日目覚めるときがいちばん辛く、死んでしまえばいいのにと思い続けた時期、私をこの世につなぎ止めてくれたのは、私を認めてくれていた数少ない編集者の一人がくれた仕事だった。その仕事で入った金で、暮らしが楽になったなどということはまったくなかったが、それでも一つの仕事が私の価値を認めてくれたような気持ちにはなれたのである。

今の貧困の問題を解決するにはどうすればいいのか。
それは社会制度的に見れば、累進課税への回帰があるだろうし、企業の優遇税制を改めることに帰着するだろう。
それを実現させるには今の自公政権では駄目で、なんとしても政権交代を実現させなければならない。
しかし、かといって次に来る政権は民主党に任せていいかとなると、私はきわめて懐疑的である。
この点で、何が何でも自民党を倒せ、自民党を倒しさえすれば社会はよくなるという乱暴な考え方に、私はなじめない。

もし政権交代が実現なって、社会制度が改善されたとしても、それだけではまだ十分ではない。
私を認め、仕事を与えてくれた編集者のような存在がなければ、この社会は住みやすくはならないのだ。
では、そういう存在とはどういうものなのか。

「猫の教室」平和のために小さな声を集めようの眠り猫さんも、最近この問題にコミットしようとしているが、私も彼に触発されるかたちで、これからは折に触れて「貧困」の問題を私の立場から考えていきたいと思う。

関連タグ : 貧困, プレカリアート, 自動車絶望工場, 自殺, ウツ,

7日から始まる洞爺湖サミットでは、地球温暖化を中心とする環境問題が主要テーマになっている。
たしかに、昨今進んでいる地球規模での異常気象や環境破壊は人類が早急に取り組む必要がある問題といえる。それは否定しない。

しかし、世界全体の温室効果ガス排出量を2050年までに半減するという目標を掲げて討議するのはいいが、世界の首脳が集まって、今話し合うべきことにはもっと重要な問題がありはしないか。

それはもちろん、世界中を襲っている原油高騰と深刻な食糧問題である。なかでも原油高騰と食糧=穀物相場の高騰は対にして語るべき問題であり、さらにこれらに大きな影響を与えている投機マネーについては、各国が共同して解決策に乗り出さなければならない問題といえる。

日本国内だけを見ても、原油高によるガソリン高騰は家計を直撃しているだけでなく、あらゆる産業分野に大きな影響を与え、その活動に打撃を与えている。また、穀物相場の高騰は農業に打撃を与え、畜産農家を廃業に追い込むまでの深刻な問題となっている。何より困るのは、これらに対する打開策がいっこうに示されず、この問題が長期化する様相を呈していることだ。

これらの問題が世界規模で起きているのが現実であり、政権の責任者が集まるG8では、ぜひともこの問題について話し合いを重ねてほしいものだ。

さらに、食糧、原油の高騰には投機マネーが働いているとされているが、これらの動きに一定の枠組みを作ることも緊急を要する。
今朝の朝日新聞では、寺島実郎が「投機マネーの制御に踏み出せ」という記事を寄稿しているが、ここで彼はあらためて、投機マネーの運用資金の4分の1が日本を経由してきていることを挙げている。つまり、海外投資家たちは金利の安い日本で資金を調達して原油や穀物に投資をし、巨額な利ざやを稼いでいるというのだ。日本は投機マネーの暗躍に一役買っているというわけだ。
このような状態を、このまま放置しておいていいはずはない。欧米の金融当局がサブプライムローン問題から信用不安を恐れて金融を緩和し、これもまた投機マネーに力を与えてしまう結果をもたらしてしまった現在、投機マネーをどうやって今後制御していくかは世界に課せられた重要な問題と言えるだろう。

はっきり言って、私には50年までに温室効果ガス排出量をどうするかなどという問題(実現できるかどうかも分からない問題)などよりも、投機マネー制御について真剣に話し合うことの方が数段重要なことのように思えてならない。

洞爺湖サミットテーマは地球温暖化と言われ、マスコミでも連日そのことが取り上げられているが、実のところは、それ以外の問題は非常に曖昧模糊としていることを見逃すわけにはいかない。

いやしくも先進国の首脳が雁首をそろえるからには、もう少し具体的で実効性のある問題を討議すべきだと思う。

寺島実郎はこの記事で、投機マネー制御については450兆ドルともいわれる国境を越えた為替取引に、国際機関が広く薄く「国際連帯税」を課税してマネーゲームを縛ることを提言している。ここから得られる税収は、途上国への環境関連技術の移転や南極・北極の環境対策の財源にする。
もうひとつは、日本として食糧自給率を向上させることだ。これによって原油高騰と地球温暖化に立ち向かうというのだ。食糧の自給率が高まれば輸入時の輸送で消費される燃料消費と二酸化炭素の排出も抑制可能だ。もちろん食物価格の高騰にも耐性ができる。

福田康夫もふくむ首脳たちには、せめてこの程度の提言をまとめられるくらいの実のある話し合いをしてもらいたい。

だからあえて繰り返す。
洞爺湖サミットのテーマは、はたして環境問題でいいのだろうか?


関連タグ : 洞爺湖サミット, 温暖化問題, 原油高騰, 穀物高騰, 投機マネー,

朝日新聞が夕刊のコラム「素粒子」で、鳩山邦夫法相が宮崎勤をふくむ死刑囚13人の刑を執行したことに触れ「死に神」と表現したことに対し、思わぬ波紋が広がっている。

死に神呼ばわりされた鳩山邦夫が激怒したことは、話の流れから当然ともいえる。
私とすれば、あまりに言葉が軽く、死刑をベルトコンベヤーに乗せるようにして執行できないかなどという法相にあるまじき無責任な発言をしていた鳩山邦夫に対しては、たとえに用いられた死に神の方が失礼だと怒ってしかるべきだと思っている。
ことに、秋葉原の通り魔殺人の直後に宮崎勤を処刑したのには、みせしめという政治的な意図も見て取れる。

それでも朝日は、激怒した鳩山に対し、「中傷する意図はなかった」と謝罪した。

鳩山が納得したかはともかく、これで一件落着と思っていたら、そうではなかった。
今度は「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が怒り出したのだ。
あすの会の言い分はこうである。
「確定死刑囚の1日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法相と同様に死に神ということになり、死刑を望むことすら悪いことだというメッセージを国民に与えかねない」として「素粒子の表現は、犯罪被害者や遺族をも侮辱する内容」としている。そして、死刑執行の数がどうして問題になるのか」など4項目の質問を送った。

朝日はこれに対して「いただいた『抗議および質問』を真摯に受け止め、速やかにお答えする」とコメントを出した。

すると、こんどは「地下鉄サリン事件被害者の会」が抗議文を朝日に送りつけた。
「被害者遺族にどんな気持ちを起こさせるか考えなかったのか」とのあすの会の質問に対して朝日側が「気持ちに思いが至らなかった」と回答したことに触れ、「犯罪被害者へのさまざまな二次被害防止の取り組みがなされている中、(朝日新聞社は)旧態依然と言わざるを得ない」と批判している。そして鳩山邦夫については、「現行法に従って粛々と(処刑を)実行した。なんら非難、中傷を受けるようなことではない」と擁護した。

さて、あすの会による抗議にはmahounofuefukiさんが「世界の片隅でニュースを読む」のエントリで朝日は「あすの会」に謝罪する必要はないという意見を述べている。
朝日の「素粒子」に対して、鳩山が抗議するのにはもっともな理由がある。
しかし、それに追随して「あすの会」までが抗議するとはどういうことか。「素粒子」が書いた文章には「あすの会」や犯罪被害者を侮辱したり、彼らの活動を否定するような文言はまったくない以上、「あすの会」の抗議は単なる言いがかりにしか思えない、というのである。

私も、ニュースで「あすの会」が朝日新聞に抗議したと知り、その内容が、自分たちもまた死に神ということになるという点については違和感を抱いていた。
だって、「素粒子」の記事は、逆さにして読んだところで「あすの会」までも「死に神である」と言っているとは読めないからだ。どこをどう解釈すれば、自分たちまで侮辱を受けたと思えるのだろう。この人たちの国語力というか、読解力には根本的に問題があるのではないかと思えたのである。

たしかに犯罪被害者に対しては、文句を言いづらい気持ちはある。しかし新聞社として、この場合ははっきりと「素粒子」の文章が「あすの会」のことに触れた部分はまったくないと反論すべきだった。覚えのないことに対する言いがかりを受けつける必要などなかったのだ。

依然として、この国には重い罪を犯した者には極刑をもって償わせるべきであるという考え方が根強くあるが、死刑は国家による殺人であるとして極刑には懐疑的な考えを持つ者もいる。「あすの会」は殺人を犯した者に対しては死をもって報いよという考えで統一されているのかもしれないが、それでは鳩山の言う「ベルトコンベヤー」装置の一部になるということであり、この装置を少しでも認めないところがある者は許せないとして過剰反応をするあたりは、一種のファッショといえるのではないか。
「あすの会」の抗議に同調する形で抗議文を送った「地下鉄サリン事件被害者の会」もまた、同様である。

理不尽な犯罪によって大切な家族を失った悲しみは、たしかに当事者でなければ分かるものではないだろう。
しかし、だからといって自分たちの意向に反するものは何者も許せないという態度は、いかにも狭量であり、自由な言論を封じ込める危険性すらはらんでいる。

それは北朝鮮による拉致被害者家族にもいえることだ。
家族が突然北朝鮮に連れ去られてしまったという国家的犯罪に遭って、非常な悲しみと苦しみを受けていることは分かる。しかし、安倍晋三のような極右政治家に扇動されていつまでも北朝鮮に対する強硬路線を主張することは、国民にとっては反対しにくいことではあるけれども、国家の利益やアジアの平和全体を考えると、彼らの主張が決して日本の将来にとって善い影響を与えるとは思えない。
アメリカの歴史でもっとも凡庸な大統領の一人に数えられるブッシュは、いったん決めた北朝鮮のテロ支援国家指定解除を昨日になって「拉致問題を忘れることはできない」と言い出して、平和と対話に向けて動き出した北朝鮮との関係に再び水を差す動きを見せてしまった。アメリカにとっては拉致問題など優先順位が低い問題のはずなのに、ブッシュはここにきて冷徹な政治家になりきることができず、八方美人になる方を選んでしまった。
今や拉致被害家族は、日本にとってもアジアにとっても「困った存在」であることは確かで、アジアの平和を欠かすことができないアメリカとしては、拉致被害家族に対して、これからは日本と北朝鮮の二カ国間で話し合いを続けるようにと言えばよかったのだ。

いわれのないことに対して言いがかりをつける犯罪被害者遺族たち。
アメリカだのみで拉致問題の解決を願う拉致被害者の家族たち。
これらに対して敢然として否ということができないマスメディアのだらしなさ。
日本的タブーの存在が言論や報道の自由を損ない、そのあり方を歪めている事実に私は憂慮し、大きな危機感を持つものである。

関連タグ : 素粒子, 鳩山邦夫, あすの会, 地下鉄サリン事件被害者の会, 北朝鮮拉致被害家族,

ブログでよく見られる「マスゴミ」という言い方が、私は好きになれない。
それは自分自身がマスコミの世界の片隅に身を置いているせいかもしれないが、むしろ大手マスコミと呼ばれる新聞・テレビとはほとんど無縁で、中小出版社とのつき合いが多い環境にあるからかえっていわゆる「マスコミ」のことは客観的に見ているのではないかとも思う。

日本のマスコミが日々流す情報は、偏りがちで限られた情報ソースから得たものばかりだから、どのメディアも右へ倣えをしたように同じである。そのいい例が記者クラブの存在で、彼らはお上が発表する情報をそのまま記事にまとめて流すだけだから、どの記事を見ても同じになるのは当たり前である。しかも、お上が出してくる情報は自分たちに都合がいいものである場合が多いから、それを無批判に流すだけでは結局のところ、お上に都合がいい情報しか世の中には流れないことになる。
これではたしかにマスコミが持つ価値は低いと言わざるを得ない。

けれども、だからといって彼らが日々提供する情報をゴミクズ同然と考え、十把一絡げにして「マスゴミ」と卑しめて呼ぶのには抵抗がある。
今やネットをふくめれば、われわれは膨大な情報を得ることができる。そのなかには「マスコミ」が決して流さないような貴重な情報がふくまれていることが多いのは事実だ。そうした情報と「マスコミ」が流す金太郎飴のような情報とを比べれば、どちらが重要なものであるかは自ずと分かるだろう。
だが、情報を受け取る側が気をつけなければならないのは、「マスコミ」が流す情報はすべてクズで、ネットその他自分が信じる情報源こそ真実を伝えていると思い込んでしまうことだ。

たしかに「マスコミ」が流す情報には安易なものが多いし、気をつけていなければ情報操作にはまる恐れがあるものも見受けられる。それでも、注意深く見ていれば、「マスコミ」が流す情報の中にもきちんと取材を重ね、真実を伝えたいという記者の熱意が伝わってくる情報がないわけではない。
反対に、ネットを見ていると、実にさまざまな情報を得ることができるが、それらはいまさらいうまでもなく玉石混淆で、よほど気をつけていなければとんでもないガセネタを信じ込まされることになる。

もっともいい例が、いわゆる陰謀論だ。あえてここでは具体例をあげないことにするが、一見知的で客観的に見えていても、実は信じられないほどねじ曲がった考えから作られたものがあり、事実を歪曲し、それらの情報を受け取る人々の考えを誤った方向に導こうとする。冷静な目を持って、客観的に判断する能力、あるていど洗練されたリテラシーをもっていれば、それらがSF小説レベルにも届かない低俗小説なみの絵空事だということが分かるはずなのに、好奇心のレベルやある種個人に特有のレベルが一致して、信じたいと思ってしまうと絵空事が絵空事でなくなってしまう。
そして困ったことに、絵空事を信じ込んでしまうと、それに合わない事実はすべて陰謀だということになる。

今、われわれがもっとも注意しなければならないのは、どれが事実であり真実を伝えようとしているものか、情報を見分けることである。私自身、ネットで自分の?趣味に合った?情報を見つけると興奮してしまい、これはブログに書かなければと思ってしまうこともある。しかし、それでは無責任な記事しか書けないのであり、その陥穽に陥らないためには、できるだけいろいろな見地から書かれたものを読み、咀嚼していくしかないのだ。
その対し方はなにもネットだけにいえることではない。
結局のところ、「マスコミ」の情報を受け取るということは、自らの判断力と知性を鍛えておかないかぎり、いつまでたっても「マスゴミ」と呼び捨てて満足しているレベルを脱することができないのだと思う。

それにしても、つくづく思うのは今から2000年以上前の人であるカエサルが言った言葉だ。
「人は自分が見たいと思うものしか見たがらない」
この言葉が持つ重要性を、あらためて私は噛みしめているところだ。

■付記
以上の観点から、いちどはリンクを外した大先生の「世に倦む日々」だが、やはり私にとっては得るところが少なくない。そこで恥ずかしながら、ふたたびリンクをさせてもらうことにした。

関連タグ : マスコミ, 陰謀論, 客観, 冷静,

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