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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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先日、ろくな論議もせずに成立してしまった宇宙基本法については、私は強い懸念を持っていることをすでに述べた。
http://funnyarome.blog82.fc2.com/blog-entry-146.html
これまで平和利用に厳しく制限してきた宇宙開発を、自衛隊も携わることを可能にして軍事利用への道を開いたことは、今後の日本の進路を大きく変えていく可能性をはらんでいる。
私は、ネットでの反対署名にも参加したし、匿名ではあるがコメントも載せた。この考えは今も変わらないが、ここでもうひとつ付け加えておく必要があるように思う。

それは、日本の宇宙開発が軍事目的にも利用できるようになったとはいうけれど、実際のところ、日本には独自に偵察衛星などを開発していく実力など今のところないということだ。
日本は今、H-2aロケットを打ち上げ、観測衛星などを打ち上げる程度の技術力は持っているが、軍事利用に耐えるほどの精度の高い能力を持つ偵察衛星をつくる能力に置いては、やはりアメリカが資金力においても技術力においても群を抜いている。これに対抗するほどの、たとえば解像力が50センチの(つまり地上にある50センチ程度のものを識別することができる)偵察衛星は、日本のどの企業も作っているはずはなく、もしこれから同程度の衛星を作るとなれば、莫大な設計・建造コストがかかることになる。

それではなぜ、わざわざ宇宙基本法を成立させて、宇宙開発を軍事にも利用できるようにしたかといえば、いちばん手っ取り早く理解できるのは、アメリカからの圧力があったとしか思えない。つまり、軍事衛星の開発にはアメリカにとっても莫大なコストがかかるわけで、どうせなら属国の日本にも金を出させて開発しよう、そうすれば資金の節約にもなり、人的コストだって軽減できることになる。衛星さえ作ってしまえばシャトルで打ち上げ、宇宙から得られるデータのおこぼれを日本に与えておけばいい。
要するに、金がかかりすぎる宇宙開発費を、日本にも出させようとするアメリカの魂胆が、今回の宇宙基本法成立の陰で働いていると見るべきなのだ。

しかし、日本にだって立派な技術はあるじゃないかというかもしれない。現に、昨年9月に打ち上げられた月探査船「かぐや」は、ハイビジョンによる月と地球の撮影に成功したではないか。数日前には、アポロ15号が残した月面の噴射跡を発見することもできた。
地球の出

だが、単に地球の出(アース・ライジング)がきれいに撮影できました、月面の細かいところまで見ることができましたという程度では、科学的に見ればほとんど価値がないのである。
ハイビジョン・カメラを提供したNHKは、得意気になってアポロ以来の快挙のように特集番組を作っていたが、その内容の幼稚で空疎なことといったら、もう笑うしかなかった。
ほんとうに月の探査をして成果を上げるなら、月表面の元素や鉱物組成、地下構造といったものが詳細に明らかにされなければならない。そして月の起源、宇宙の成り立ちの謎を少しでも明らかにするデータを得なければならない。
しかし今のところ、かぐやはそうした成果はほとんど地上にもたらしてくれてはいないのだ。

宇宙からハイビジョンで地球をとらえる。その程度の「観測」をするにも、550億からの資金を投入しているのだ。
軍事利用も可能な衛星を作るとなれば、必要となる資金はその比ではないだろう。
宇宙開発を本格的に行うとすれば、アメリカに追随するのがいちばんの早道なのだ。そして、そこにはもちろん、これまで宇宙開発に関わってきた企業、政治家たちの利権が絡んでいる。

今回の宇宙基本法は、こうしたアメリカの思惑と、アメリカと組むことから生まれる利権とが合わさって、議論されることもなく成立してしまった。
こういうのを「筋のよくない法律」というのではないか?


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四川省大地震による被害で、中国国内は今も混乱のさなかにあるのだろうが、それより以前に起きた中国製冷凍ギョーザによる中毒事件はまだ解決していない。
今日の報道によれば、兵庫県高砂市の家族が食べたギョーザのトレーに付着していた具材から、約1万3200ppmの有機系殺虫剤「メタミドホス」が検出されたことが県警捜査1課の調べでわかった。
この数値は、残留基準値の約4万4000倍にあたるという高濃度で、県警は残留農薬ではなく、やはり人為的混入の可能性が高いとしている。

人が口に入れるものに毒物を混ぜるという、きわめて悪質で卑劣な犯罪が行われているのだ。
犯人は必ずいる。
しかし、この地震による混乱のために、ただでさえ捜査が行き詰まっていたものが、事件解明はさらに遠のいてしまった観がある。
ここはなんとしても、救助活動とはべつに断固とした捜査を中国側にしてもらいたいと思うのだが、現実には難しいのではないだろうか。
だからといって、自給率が低いために食を他国に頼らざるを得ない日本としては、このまま手を束ねているわけにも行かない。今回の事件があったからと言って、単純に今後は中国からの食品輸入を取り止めるというのも現実的ではない。
冷凍ギョーザに毒物を入れた犯人は、なんとしても探し出さなければならないが、それとはべつに、食の安全を確保するためのシステムを日中で早急に作り上げる必要があるだろう。

地震被災者の救援活動などを通して、今のところ日中関係は悪くない状態にある。この機会を逃さずに、一日も早くシステムをつくってほしいものだ。
それはたとえば、地震の被害に遭った農村地帯の復興から協力する形で安全な農作物を作るシステムから始めるといったことが必要なのではないだろうか。

食の安全といえば、中国だけが問題なのではない。
日本もまた、今、食に対する信用が大きく揺らいでいる。
客が食べ残した料理を使い回していた大阪・船場吉兆が昨日廃業したが、産経ニュースはこれを受けて行った「使い回し」についてのアンケート調査の結果を報じている。
それによると、27日までに921人(男性694人、女性227人)からの回答があり、以下のようにまとめられている。
船場吉兆
------
(1)使い回し発覚で飲食店の信用が失われたと思いますか

YES→94%NO→6%

(2)使い回しに関する厳しい罰則は必要ですか

YES→71%NO→29%

(3)食べ残しを自己責任で持ち帰ることを望みますか

YES→64%NO→36%

-------

私の場合、
(1)については、私も同感でイエス。
ただし、外食産業の末端では以前からかなりひどいことが行われていたことを知っているし、体験もしている。
体験したのは銀座で、今はもう潰れてしまったに違いないが、ある無国籍料理の店だった。私は友人と二人でそこに入り、ワインとサラダ、トルティーヤ、それに煮込みのようなものを注文した。しばらくして料理が出てきたが、なんと出された皿に並んでいたトルティーヤのひとつには、明らかに人が囓った後の半月型の欠損があった。
これ、やっぱり使い回しだったんだよね。

もうひとつ私が実行犯の一人から直接耳にしたことだが、学生時代に高速道路のあるレストランでアルバイトをしていたその男は、長時間勤務で腹が減ってくると、客が注文したピザパイをつまみ食いしていたというのだ。ご存じの通り、ピザパイはあらかじめ何等分かにカットして出される。その男は(っていうか、古い友人なんだけどね)、そのうちの1枚をこっそり食べ、適当に並べ替えて隙間を埋めてテーブルに運んだというのだ。
これは使い回しではないけれど、食の現場ではこのような不正が昔から行われていたということだ。

だから、今さら船場吉兆のせいで飲食店の信用が失われたというよりも、もともと日本の飲食産業など、信用できるものではなかったということだ。

(2)についても、罰則は必要だと思うが、往々にして食の現場、それも末端ほど労働条件が劣悪な場合が多い。この環境を変えることなしに罰則だけを強化しても問題の解決にはならないだろうと思う。

(3)については、お好きにどうぞというしかない。しかし「自己責任で持ち帰る」とはどういうことだろう。もし持ち帰ったものを食べて腹をこわしたりしても自己責任だ、ということか? なんだかなあ、のクエッションだ。持ち帰るよりも、出されたものは残さずに食え、と言っておこう。

とにかく今回の事件を通して、日本でも食の安全などお寒い状態にあるのであって、使い回しなどの不正はほんとうに氷山の一角が現れたに過ぎないのだろう。
これを防ぐには、それこそ「自己責任で」外食を続けるか、さもなくば、もう外食なんかしないことにするしかなさそうだ。そうして一時は狂乱状態ともいえた、あのミシュランガイドなど、破り捨てることだ。

三つ星だって、そこまでは見通してはいないだろうからね。


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動物を飼っていると、いろいろなことを教えられる。

私の場合、いちばん長く飼っているのはワンコなので、犬から教えられることが多かった。
無償の愛情、人を信頼すること、思いやり。彼らは、その生と死を通してそれらのことを私に教えてくれたと思う。

それに比べると、小鳥というのは私にとって長らく気心の知れない動物だった。
わが家には今年で飼い始めて5年になるセキセイインコがいるのだが、毎日エサを与え、水を換え、ケージの掃除をしていても、ワンコのようにダイレクトな反応を示してはくれない。
表情や仕草からその気持ちを推し量ることもできなかった。

高価なペレットという、ワンコで言えばプレミアム・ドッグフードのようなエサを与えても、大半をケージにまき散らしてしまうし、電話で話をしている最中に、突然ギャーギャー騒ぎ出す。

なんとかしてくれよ。
やっぱり犬を飼うようにはいかないな。
あいつとは気持ちが通じない。

もとはといえば娘のためにヒナを買ってやったのだが、お約束通り、娘は小鳥の世話などすぐにしなくなり、私が世話をすることになって5年が過ぎたのである。
そして、その5年の大半を、世話しながらも上記のように、なんだか面白くない思いで見ていたのである。

けれども、カミサンはそんなセキセイでも可愛いと思ったらしく、またセキセイは言葉を覚えると聞いていることから、毎日、朝晩に名前を呼んだり言葉を教えようとしたり、歌を歌って聞かせていた。
それでも、娘が「やまち」と名付けたそのセキセイは、名前を言うわけでもなく、もちろん歌を歌うこともなく、一向に懐いた様子を見せることもなかった。

「よせよ。無駄だよ、そんな鳥に教えようとしたって」

毎日ひとりで小鳥相手に話しているカミサンに向かって、私は呆れて言ったものである。

ところが、1年ほど前だから、「やまち」を飼い始めて4年目くらいたってからのことになる。
毎晩、寝る前に「おやすみ、やまち」と声を掛けるカミサンに、カバーを掛けたケージの中からセキセイが「チュッ」と返事をするようになったという。
「ホントかよ。偶然鳴いたんだろ」
そう言って聞き流そうとする私に、カミサンはそんなことはないと言い張った。
「絶対、やまちは私の言葉を聞いてるんだよ。だって、電気を消して、それまで静かだったのに『じゃあお休みね、やまち』って言うと必ず『チュッ』っていうんだから」

わかった、わかった。そうでしょうね。
私はそれでも信じなかった。
なぜなら、毎朝世話をする私には、やまちは挨拶することもなかったし、ケージの中に手を差し入れると慌てて逃げていくばかりだったから。

そんな状況が1年ほども続いて、カミサンは相変わらず言葉や歌を教えようとしていたが、やまちは一向にしゃべりも歌いもしなかった。
ところが、朝の世話をする私に対するやまちの態度が、変わってきていることに、今度は私が気がついた。
私も一応、無駄とは思いながら朝いちばんにケージのカバーを外すときには「おはよう、やまち」と声を掛けるのだが、返事こそしないものの、エサを替えようとして手を差し入れると、やまちは以前のように怯えた様子で逃げ回るのでなく、私の指に対して突いたり、軽く囓るようになったのである。
それは威嚇ではなく、明らかに私の指と遊んでいるという感じだった。

もしや、と思って私は手の平に少しだけエサを乗せ、ケージに入れてみると、やまちはしばらくエサを見ながらケージの中を動き回っていたが、そのうち、覚悟を決めたかのように手の平に近づいてきたのだ。
そして、はじめはおそるおそる少し離れたところから体を乗り出すようにしてエサを取り、食べていたのが、そのうち手の平にちょこんと飛び乗ってエサを食べるようになった。

気心が知れないと思っていたセキセイのやまちと、5年をかけて気持ちが通じたと思った。
毎日、世話をする私を、やまちはやまちなりに見ていたのだ。
そして、つきあいはじめて5年になろうというときに、ようやく、こいつは安全なやつだと認めてくれたのだ。

「やまち、やまち。おいで」

それからは私も声をかけるようになった。声をかけたところで、やまちはなかなか言う通りにはしてくれないのだが、エサを持って入れる手にはすぐに乗ってくれるようになった。

「このままいけば、手乗りになってくれるかもしれないな」

私はカミサンに言った。

その後、私たちは前にも書いたように、ペットショップで売れ残っていたコザクラインコのサクラを買った。もう大人になってしまい、人には懐かないだろうと言われたサクラが、なぜか愛おしくなってしまい、思わず買ってしまった。
案の定、サクラはいまだに手を怖がり、少しも懐くそぶりを見せないが、カミサンは諦めずに声をかけ続けている。

私はといえば、ペットショップで見かけたオカメインコの愛らしさにいかれてしまい、これも手乗りではなく成鳥になってしまったパールを譲り受け、パールの相棒にと、今度はピーチと名付けたオカメのヒナをブリーダーから買い求めた。

ヒナから育てたピーチは、今ではべたべたに甘えてくる手乗りに成長したが、パールはまだまだ私を恐れている。それでもエサを持ってケージに手を入れると、恐る恐るだが食べてくれるようにはなってきた。先日はケージから飛び出してしまい、家の中を飛び回ったが、私が追いかけるのを止めると、ピーチと一緒にいつの間にか私の肩に乗っていた。
私はうれしくなってしまった。

人は何かを伝えようとするとき、言葉をつくしてなんとかそれを正確に伝えようとする。
そして気持ちを込めて話せば、それはかならず伝わるものだと思い込んでいる。

けれども、いくら言葉をつくしたつもりになっても、その気持ちがすぐに相手に伝わるとは限らない。
セキセイインコのやまちは、5年間、私を見続けてきて、ようやく手の平に乗ってやろうと思ってくれた。私は彼女(やまちは、メスである)に気持ちを伝えるのに、5年を要したのだ。
セキセイインコは小さな鳥だが、10年以上も生きる長生きの動物だ。コザクラインコも、オカメインコも、かなり長生きをする。長生きをする分、彼らはじっくり時間をかけてものを考えるのだろうか。サクラもパールもまだまだ慣れてくれないが、私もカミサンも今は楽天的に考えている。
気持ちというものは、必ずしもすぐに伝わるものではない。
けれども、こちらが諦めず、相手を裏切らずに居続けることができるなら、かならずそれは伝わっていくものだ。

私は、小鳥からも大切なことを教わったと思っている。

関連タグ : セキセイインコ, コザクラインコ, オカメインコ, 気持ち,

中学生の頃、そのころはまだ『平凡』とか『明星』といった芸能人・アイドル情報を載せた雑誌が流行っているときだった。
私は少年漫画派だったので、芸能人のことなどにはそんなに興味はなかった。でも、中学生にとってはちょっと大人向けのそれらの本には、女性アイドルの水着写真や、セックスに関する記事などもあって、友人の誰かがその種の本を教室に持ってくると、いちおう私も貸してもらってチェックせずにはおかなかった。

だが、そのときは、私がチェックしていたタイミングがいかにも悪かった。始業のベルが鳴り、担任がいつ教室に入ってきてもおかしくないというのに、何を思ったか、私は『平凡』だったかを担任の机に座って広げて見ていたのだ。

剣道部の顧問をやっていたその担任は、生活指導でも厳しいことで恐れられていた。
それなのになぜ、私はわざわざ敵陣で、見てはならない桃色図書を開いていたのだろうか。自分でも理解できないのだが、当然のことに間もなく担任が教室に入ってきて、ケシカラン本を開いている私はすぐに彼の目にとまった。

私は本を取り上げられ、襟首をつまみ上げられた。
このとき、私が思わず言った言葉が最低だった。

「あ、それ○○君が持ってきた本だから」

返してやってくれと言うつもりだったのだが、学校にそんな本を持ってきたと言うことで、私だけでなく○○君もこっぴどく叱られる羽目になってしまった。
私がクラスでの評判を落としたのは、言うまでもない。

ひとつは、わざわざ担任の机で芸能雑誌を広げていた愚かさが非難の対象になった。
もうひとつは、本を取り上げられて、持ち主の名前を白状してしまった、つまり友人を売ったことに対する非難が、燎原の炎のように燃え広がっていった。

もちろん、私はどちらの非難に対しても、申し開きをすることはできない。
これがきっかけで、私がクラスのみんなから無視されるようになり、やがて苛めの対象になったとしても不思議ではなかった。
ところが幸いなことに、当時のクラスメートは私のような馬鹿者に対して、そういう陰湿な仕打ちをしないやさしさを持っていた。
まったくもって、ありがたいことである。

学校の始業時間が過ぎているのに、芸能雑誌を広げていた私は、勉強することが第一の生徒の本分を忘れて娯楽にうつつを抜かしていたから教師は本を取り上げて私を叱りつけた。
ところが、NHKという放送局には、私などを軽く超える考え違い人間がいるらしい。

例のインサイダー取引問題である。
NHK会長
当初、NHKのディレクターら3人の職員が、報道番組から知り得た情報を元に、業務時間中にインサイダー取引を行っていたことが問題になっていた。

ところが、その後「職員の株取引問題に関する第三者委員会」による調査が行われると、NHK側がインサイダー取引を認識した時期について虚偽説明を行っていたうえ、調査に非協力的な職員が多数いたことが明らかになった。毎日新聞はこれを以下のように報じている。
--------
NHKの畠山博治理事(当時)は事件を発表した1月17日の会見で「証券取引等監視委員会の立ち入り調査を受けた16日に初めてインサイダー取引を知った」と説明。だが実際には、11日に監視委幹部がNHKを訪れ原田豊彦専務理事(同)に「16日に調査に立ち入るので協力してほしい」と依頼をしていた。橋本元一前会長は第三者委の聴取に「個人名など具体的な内容が判明したのが16日だった」と釈明したという。

 また「自分や家族が株を保有していた」と回答した職員2724人のうち、証券会社から取引履歴を入手するために必要な委任状を第三者委に提出しないなどで、調査を行えなかった職員が943人にのぼった。中には「任意調査の限界を超えている」「プライバシー侵害だ」などと拒否する職員もいた。
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インサイダー取引とは、株価を左右するような重要な情報を知りうる立場にある人間が、その情報が公表される前に株の売買をして不当な利益を得ることをいう。
要するにインチキでイカサマな儲け方なのだ。
だから金融商品取引法ではこれを厳しく規制している。
NHKの職員は、報道取材などから知った情報をもとに、仕事中に株の売買を行い、なにがしかの利益を得ていた。

これは授業が始まろうとしているのに芸能雑誌を見ていたどころのさわぎではない。
私がやったことは単なるバカな行為だが、NHKの職員がやったことは社会のルールを無視した防いであり、報道関係者・マスコミ関係者として、もっともやってはいけないことだった。

しかも、毎日新聞によれば、「金融庁から課徴金納付命令を受けた3人のうち水戸放送局の元ディレクターは、調査結果で実名などを公表しないよう求めて4月に東京地裁に仮処分を申し立てたことも分かった。東京地裁は申し立てを却下、東京高裁も即時抗告を棄却した」とも報じている。
厚顔にして無恥。
まったく、こういう奴らが報道に携わっているかと思うとゾッとする。

以前、私は仕事でNHKを訪ねたことがあるが、エレベーターに乗ろうとして遮られた経験を持っている。
私を箱の中に入れまいとしたのは報道局の男で、私ほか数人を制して自分たちが乗り込み、ドアを閉めたのである。
おそらく、これから至急どこかの現場に行かなければならなかったのだろうが、それにしてもいかにも官僚を思わせる横柄なやり方に、私は憤ったものである。

今回の一連のNHK職員による不正事件を見ると、その時のことを思い出さずにいられない。
あのように横柄な態度をとる者がNHKには何人もいて、しかも自分たちの特殊な立場を利用して職務中に金儲けに走っていた。
まったく許し難いことではないか。

しかも腹立たしいのは、第三者委員会の調査に対して900人以上が非協力的だったということだ。
こいつらは、自分たちが今、世間からどんな目で見られているかわかっていながら調査を拒否したのだろうか。
だとしたら確信犯といってもいいのではないか。
第三者委員会の調査報告では、インサイダー取引に関与した3人について、その他にも「疑わしい取引」をしていた可能性があることを否定できないとしている。
また、少なくとも81人が勤務中に株を売買していたことも明らかにしている。

これはもう、第三者委員会が言うまでもなく、NHKという組織全体が劣化というよりも腐ってきていると考えた方がいいだろう。
NHKには昨年の「ワーキングプア」シリーズなど、すぐれたドキュメンタリーを作る能力があることは認めるが、一方でこんな不正をやっていたのでは、今後は信用して番組を見ることができなくなるだろう。

それにしても、昔なら記者連中が集まって賭け麻雀でもやっていたところだろうに、今は株の売買とはね。
時代は変わったものである。
NHKは民放に比べて、給料が安いというのはもっぱらの噂だが、マネーゲームをやる程度には潤っているわけだ。まったくもって、けっこうな話だ。

調査に非協力的だった943人に不正はなかったのか、勤務中に株の売買をやっていた「投資家たち」をどう処分するのか。
NHKの信用はこれからにかかっている。
少なくとも今のままではね。

受信料なんか払う気がしねえよ。


■追記
NHKにしてこのていたらくなのだから、もっと高収入で金に目がない民放の連中はどうなのだろう。
公共の電波を独占している企業、そこに勤める者たちへの目は、もっともっと厳しくなってもいいと思う。

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私は共産党員ではないが、わが家のポストには定期的に共産党の後援者による広報紙が投げ込まれていく。
『ねじばな』というその広報紙には、いつも自公政権がもたらした悪政のことや、私が住んでいる地区の議会における不正などを告発する記事が掲載されており、興味深く読むことにしている。

その『ねじばな』5月20日号に、「『自民党をぶっ壊す』が実現か
大喝采浴びつつ弱者の生活破壊」というコラムがあった。
もちろんここで取り上げられているのは「自民党をぶっ壊す」と言っていた小泉純一郎のことであり、筆者はここでもう一度、大衆に熱狂的に迎えられた小泉政権とは何だったのかと考え直そうとしている。

「小泉氏が首相となったときの印象は大変危険な男が出てきたという印象でした。何よりも右翼的であること、厚生大臣在任中に既に医療制度改悪がもくろまれ、弱者には冷酷な性格が見え隠れしていました」

その通りだ。弱者に冷酷な性格が政権を担ったおかげで今、日本の国民はエライ思いを味わわされているところだ。
筆者は続ける。

「小泉氏が実現させた政策は今、列島を揺るがせている後期高齢者医療制度もそうですが、この他にもたくさんあります。(中略)主なものを見ますと、年金の掛け金の毎年引き上げ。老齢者控除の廃止。健康保険の二割負担を三割に、70歳以上でも高所得者は三割負担に。労働基準法の改悪で、非正規雇用労働者を増やした。特別養護老人ホームの入所者の居住費・食費を保険から外した。生活保護費・児童扶養手当の削減。障害者自立支援法では一割負担を強行した。等々があります。
一方では銀行の不良債権処理として150兆円にものぼる公的資金を投入したことも業績の一つです。80%以上の国民から大喝采を浴びる中で、同時進行でこれだけの国民や弱者を痛めつける施策を実現していたわけです。」

後期高齢者医療制度については、自民党内部でも見直しを言い出す者が出ているようだが、これだけ並べられると、いかに小泉という男が人気の陰で悪辣なことをやってきたかと、今さらながらに呆れる思いだ。
小泉はまた、財政再建のために社会保障費を毎年2200億円削ることも決めているが、これについても自民党内で賛否両論が出ている。
もし、小泉が決めた通りに社会保障費を削減していけば、日本の社会保障は崩壊することが目に見えている。
それでは小泉の決めたことをチャラにして、従来通りに社会保障を行っていくとすれば、財源がなくなることがわかっている。

そこで議論の対象になってくるのが消費税になるのだが、消費税で社会保障をすべて賄うのには問題があることも指摘されている。
だいたい、この諸物価が高騰しているなかで、さらに消費税を10%にするとか15%にすると言われたら、国民はだまっていないだろう。
消費税はすぐには上げづらい。
ならばどこに財源を求めるかということだが、道路特定財源を一般財源化して財源に充てるという考え方があるだろう。
道路は、とくに地方にとっての生活道路は必要なものに違いないのだが、道路族がいっている道路は同じ道路でも違うものである。彼らの言い分を聞いていたのでは、いつまでたってもほんとうに必要なものに金を使うことができないだろう。

この際政治家たちに求められるのは、財源の枠組みを変え、財源の使い道のプライオリティをすべて見直すことだ。
道路を造るのは、必要かもしれないが、医療や福祉、教育問題に比べれば優先度は下に置くべきだろう。
だが、道路は命だといっている自民党の議員たちにそんなことができるのか。

やはり、日本を少しでもよくしようと思うのならば、今は何よりも政権を交替することが先決だと思う。
政権を替わって、社会保障全般をすべて見直す、いや、小泉がやってきたことをどんなに小さなことでもいいからつまみ上げ、すべて改めていく必要がある。

先週末の報道ステーションでは、ゲスト解説者に出ていた鳥越俊太郎が「駐留米軍への思いやり予算の2200億を社会保障費に充てるべきだ」と言っていた。
この発言は、非常にまっとうな考えであり重要なものだと思うのだが、政治家でこれを口にする者は民主党にも見あたらない。どうしてなのだろうか。

いずれにしても、今の自民党が政策的に行き詰まっているのは明らかであり、福田康夫は洞爺湖サミットに顔を並べたいと思ってはいるらしいが、私としては一秒でも早く、総辞職して国民の審判を仰ぐときが来ればいいと思う。

今ならば、かつて小泉を喝采したような目の曇った国民も、冷めた目で正しい選択ができるのではないか。
私はそのことに期待し、今度こそほんとうに自民党がぶっ壊れるのをこの目で見てやりたいと願っている。


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今日、5月25日はわが家のパグ親子のうちの一人息子(ほんとは5匹兄妹なのだが)、タッチーの誕生日である。
タッチー

7年前の今日、5匹の赤ん坊をお腹に抱えて身動きするのも苦しそうだったこもも母さんは、私たち家族で赤ん坊を取り上げてやろうと準備を整え、さあ明日は出産予定日だからとカミサンと娘が出かけてしまったその日、私ひとりだけ家に残っていたときに出産を始めてしまったのだった。

羊膜に包まれて最初の子が出てきたとき、ここも母さんは一生懸命にその膜を食い破ろうとしていた。
犬は自分で出産できるものと思っていた私は、突然始まったお産にひとり慌てながらも、こももが羊膜を破り、子どもが産声を上げるのを待っていた。
ところが、10分たち20分が過ぎようというころになっても、こもも母さんは羊膜を破ることができずにいる。
さすがに心配になり、私はかかりつけにしていた病院に電話した。

「そのままじゃ、死んでしまいますよ。はやく羊膜を破ってあげてください」

え、そうなの?
私は手近にあったハサミを持って、恐る恐る子犬が入っている小さな袋を持ち上げると、そっとハサミの先端を入れてみた。
生暖かい水がこぼれて、手のひら大の子犬が現れた。
私は、いちおう予習しておいた処置法を思い出し、子犬の体をタオルで拭くと、へその緒を切って糸で結んでやった。

と、ここまではよかったのだが、肝心の赤ん坊がうんともすんとも言わない。
私は再び不安になって病院に電話した。

「羊膜を破るのが遅れたから息ができなくなってるんです。鼻に羊水が詰まっているはずだから吸ってあげてください」

私は躊躇もなく、子犬の鼻に口をつけ、チュッと一吸いした。
しかし子犬はぐったりしている。
私は三度、病院に電話した。

「体を軽くマッサージしてあげて、それから口にストローで砂糖水を1、2滴垂らしてみてください」

いわれるままに、タオルで子犬をくるみ、マッサージをする。それでもダメ。それではと砂糖水を作ろうと思ったのだが、ずっとそれまでかがんでいた私は、軽くぎっくり腰を起こしてしまった。
もはやこれまで。子犬よ、許せと思いかけたときにカミサンの母親が顔をのぞかせた。
「どうかしたんですか?」
「すいません、さ、砂糖水を!」

ようやく砂糖水を手にした私は、ストローの口を子犬の舌にあて、1滴、2滴落としてみた。すると、魔法の水でも飲んだように、ぐったりしていた赤ん坊が息を吹き返した。
「ニーッ! ニーッ!」

これが7年前、私が体験したワンコの助産経験である。

こもも母さんはそれから30~60分おきに5匹の子犬を産んだ。
最初の子は大変だったが、あとはもう慣れたものだった。
子犬たちの体を拭いてやり、こもも母さんに戻してやると、まだ目も開かない赤ん坊たちが這い始めて、母親の乳首を探し当てる。そして勢いよく吸い始めた。

ぎっくり腰になりながら、私にとってはほんとに大変な出来事だったが、同時に生涯二度と味わえない体験をさせてもらったと思っている。

その後、5匹の子犬たちは日ごとに成長し、4匹が次々と里親さんにもらわれていった。
そしてわが家に残ったのが、5番目に生まれ、今日7歳になったタッチーというわけだ。

生まれたときから両親と一緒に育ってきたタッチーは、チビのころはかなりな内弁慶のいたずらっ子だったが、大きくなるとおっとりして誰にでもよくなつく、いい子になった。
私が仕事をしているときは、いつでも足下にいてイビキをかいているし、トイレに立てば、一緒に来てドアの前で待っている。出かけたときは親子で玄関口に並んで私の帰りを待っているらしい。
夜眠るときも、タッチーだけは必ず私の寝室の前に陣取って、盛大にイビキをかいて寝ている。

人なつこくて忠実で、ほんとにいい子に育ってくれた。他の子がなにかと病院通いすることが多いなかで、タッチーだけは病気知らずの優等生で育ってきた。
ただ一つ、食い意地が汚いのだけが玉に瑕といえば玉に瑕。しかしこれだって、飼い主の私に甘えてのことだから、カワイイものである。

そのタッチーが7歳になり、犬の世界ではシニアに分類されるようになった。7歳なんてあっという間だった。先輩犬のココが亡くなったのも7歳だったが、今思うとあらためてその死が早かったことが悔やまれる。

これでわが家のワンコたちはこももと梅太夫婦が9歳と8歳、息子のタッチーが7歳、フレブルのブルースが4歳となった。あと3ヶ月すれば、梅太も9歳になり、ブルースが5歳になる。
散歩して食事をして、後は寝転んで、ときどき私に抱っこされて。ワンコたちはそんな毎日を繰り返してここまできた。

はたして、ワンコたちは、それで幸せを感じているのだろうか。

私は、ワンコたちにとっていい飼い主であったのだろうか。

疑うことを知らない犬たちは、どんなときも私を見上げ、尻尾を振り、体をじっと撫でさせる。それが彼らの答えなのだろうか。

撫でながら、私は思う。
私はずっと、幸せだったよ、と。

できれば、この幸せが一日でも長く続きますように。
そう願わずにはいられない。


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今回、クジラがクローズアップされたのは、グリーンピースによる告発があったからだ。調査捕鯨を行っていた日新丸の乗組員が、捕獲し解体したクジラの部位を「手みやげ」として一人数キロずつ持ち帰る習慣があったのを利用して、合計1トンにものぼる「畝須」という部分を横流ししていたという疑惑が持たれている。
その後、西濃運輸が窃盗でグリーンピースを訴えたが、警察はどう対応したのだろうか。テレビ・新聞はそのことを伝えていない。
グリーンピースがやったことは、手法としてはあまり感心できるものではないと思う。けれども、彼らが「窃盗」したおかげで、日本人にとっては貴重なクジラが、不正に取引されていたかもしれないということが明らかになったのだ。問題としては、やはりこちらの方が大きいと、私は思う。
なぜなら、これは日本人の「食」に関わる問題だからだ。

現在、調査捕鯨を行うには、およそ60億円必要とされている。
しかし、これに対して政府から出る金は13億円ほどだ。残る50億ちかい金は、調査捕鯨で得たクジラの部位を売ることによって賄われている。
調査をするだけなのに、なぜたくさんのクジラを殺さなければならないのか。
それは、調査を続けるためには資金を稼がなければならないというジレンマがあるためだ。クジラを売ることで50億近い金を稼がなければならないとしたら、1頭や2頭で足りるわけがない。もし、なるべくクジラを殺さないようにするとしたら、クジラの流通価格は今の数十倍に跳ね上がることだろう。

だから、今回、日新丸の乗組員たちがクジラの部位を横流ししていたことが事実ならば、それはクジラ食を愛する人々を裏切る行為であり、調査捕鯨そのものを脅かすことになる。そこが問題なのだ。

私は、つい最近まで調査捕鯨には否定的な考えを持っていたし、無理をしてクジラの肉を食べなくてもいいではないかと思っていた。

けれども、調査捕鯨によりクジラの種によっては十分な数が棲息していることが明らかになり、マグロのような汚染物質に侵されていない肉が得られることがはっきりするならば、日本人の食にとっては貴重なタンパク源となるクジラをもっと食べるようアピールしてもいいのではないかと思うようになった。
クジラの食害については、IWCでも日本は主張しているようだが、もともと自国の牛肉を売りつけたいと考えているアメリカやオーストラリアでは聞く耳を持たないのは明白だ。彼ら反捕鯨国が、いかに矛盾に富んだ主張をしているかは、アメリカはアラスカのエスキモーに絶滅危惧種であるホッキョククジラの捕獲を許していることが挙げられるし、オーストラリアについては繁殖しすぎたという理由でカンガルーを虐殺しようとしている一事を見ても明らかだろう。

昨日のエントリの繰り返しになるが、われわれ日本人は伝統的にクジラを大切に食べてきたのだ。内臓はもちろんのこと、骨に至るまで捨てることはなかった。頭の先から尻尾の端まで、実にさまざまな工夫を凝らして料理を作り出してきた。
クジラは日本人にとって、世界に誇るべき文化なのだ。
日本はこの考えに基づいて、これからは国を挙げて捕鯨を行う体制を立て直すべきだと思う。今のような、中途半端な調査捕鯨ではなく、立派な捕鯨船を造って船団を組み、クジラを獲る。もちろん、決して乱獲はしてはならない。絶滅危惧種に手を出すこともならない。
その代わり、増えすぎて海の生態系を壊すほどの食害が危惧されるミンククジラなどは適正な数だけ捕獲する。捕獲したクジラは解体し、無駄にすることなく日本全国に公平に流通させる。
国が補助を出し、捕鯨を守るようにしていけば、今は高級なクジラもかつてのような大衆に愛される食材になるだろう。

日本がIWCを抜けられずにいるのは、一にも二にもアメリカとの利害関係があるからだろうが、日本の立場をはっきり説明し、クジラが決して人を癒すためだけの動物ではなく、時には食害をもたらす害獣であることもきっちりと説明し、安全なタンパク源として今後守り続けていく必要があることをアピールする必要がある。アメリカだけではなく、世界に向けてメッセージを発する必要がある。

私は肉が好きだ。牛肉はうまいと思う。鶏肉も好きだし、豚も、羊も、馬も、鹿も、イノシシも、食べる。美味しく食べる。クジラも同じだ。
実際、食べてみればわかるが、クジラはほんとに美味い。美味いうえに体にやさしい。クジラで食物アレルギーを起こすことはないのだそうだ。
私はクジラをもっと食べたい。
そして、食べる以上は有り難いと思って食べる。それが肉を提供してくれる動物たちへの礼儀というものだろう。
ただし、食べるならば安全でなければ困る。
今、アメリカ産の牛肉には大きな疑問符がついている。
大量生産されている鶏肉も、あまり健康的な肉とはいえなくなっている。
それは魚も同じで、マグロのような大型回遊魚は、体内にメチル水銀が蓄積されているといわれる。

だとすれば、アメリカ産牛肉や薬漬けで育てられたブロイラーや、高濃度に水銀汚染されているマグロは、もう止めにしたい。
日本は、これまで調査捕鯨を行ってきた成果から、クジラが安全な食材であると宣言できるなら、世界に広くこれをアピールし、明日からでもクジラ食を始めるべきだと思うのだが、いかがだろうか。



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ことによったら日本は、国際捕鯨委員会(IWC)を脱退してもいいのかもしれない。
このところ、偶然ではあるが鯨に関する仕事をしていることから、いろいろ調べ、専門家からも話を聞く機会があった。
その結果、考えさせられることが多かった。
くじら

すでに承知の通り、捕鯨問題については複雑な事情が絡み合っている。現在のところ、捕鯨国である日本はノルウェーとともにIWCでは、まるで悪役扱いを受けており、一日も早く捕鯨活動を止めるように言われている。これに環境保護団体のグリーンピースやシーシェパードらが加わって、さらに事態を複雑かつエキセントリックなものにしている。

私は、鯨が知的生物であり、それを殺すのは残酷だから捕鯨を止めるべきだという言い方はもういい加減にうんざりしているので取り合わないことにする。一言だけいうならば、鯨を殺すのが可哀相ならば、牛や豚は可哀相ではないのかということになる。鶏だって鶏なりに知的な動物である。それを生まれたときから小さな檻に入れて肥え太らせ、適当な時期が来れば機械的に首をはねて逆さ吊りにするのは可哀相とはいえないのか。そういうことになる。

捕鯨問題を考えていくと、いちばん質が悪いのは、やはりアメリカということになる。
IWCにおいても反捕鯨国であるカナダ、ニュージーランド、オーストラリアと並んでアメリカはその一員となっているが、もっとも強硬に捕鯨禁止を訴えているのがアメリカである。

その理屈は、上記のごとく動物愛護精神に発したものから、希少動物を保護すべきだというものが多いが、彼らの本音は実のところ、鯨を食うくらいなら、自分の国が輸出する牛肉を食えというものだ。
この視点から見れば、捕鯨問題に対して強硬に反対しているのはいずれも牛肉の輸出国であるということに気がつくだろう。

そのなかで、なぜアメリカは質が悪いかといえば、それは狂牛病の恐れのある牛肉を食べさせたくて騒いでいることもあるけれど、それよりも、イラクで何万人もの民間人を殺しておきながら鯨を殺すのは残酷だなどという幼稚な思考回路でものを言っているが悪質なのである。
さらにアメリカは、アラスカエスキモーに、保護資源であるホッキョククジラの捕獲を許しているが、ホッキョククジラこそ絶滅が危惧されている種であり、それを先住民の文化を守るためだからといって自国内の人間に捕獲させるというダブルスタンダードをとっている。
この欺瞞も許しがたいものがある。

さらに歴史的に見ても、アメリカは1712年以降マッコウクジラを捕獲していたが、それは肉を食べるのではなく、もっぱら鯨から捕れる油を使ってロウソクを作るためだった。肉などは捨てていたのである。あまりに捕獲したためにアメリカ近海ではマッコウクジラが獲れなくなった。するとアメリカは、大西洋から太平洋まで船団を組んで鯨を捕るようになっていった。
そして1846年には、アメリカ船736隻、その他の国230隻が太平洋で操業し、一年間に1万頭以上のマッコウクジラを捕獲したという。とくにアメリカでは46年当時、7万人以上が捕鯨に従事したといわれ、漁場はインド洋をふくむ全世界に拡大した。
その結果、当然ながら鯨の数は激減し、漁場は荒廃してしまった。
これがアメリカの捕鯨を廃らせる要因になったが、もう一つは石油の発見があったために、鯨油が必要なくなったことも大きな理由になっている。その後はクジラヒゲが使われていたが、これも鋼の開発によって需要が減少した。
かくしてアメリカは、鯨をとことん工業資源として利用した挙げ句、代替資源がみつかったために捕鯨を止めたのである。
ここに動物保護の精神などは微塵も混じってはいないのだ。

これに対して日本はどうだったか。

まず日本では、鯨を勇魚と呼んだように、ほ乳類ではなく魚という意識が強かった。それゆえ肉食をしなかった時期も、鯨だけは貴重な動物たんぱく源として鯨の肉を食べてきた歴史がある。
いや、肉だけではない。アメリカのように鯨油は灯火用に利用したし、肉以外の部分もほとんどを食用にしてきた。今も残る、クジラ料理のかずかずは、古人の工夫の歴史でもあり、実にさまざまな料理が残っている。これはひとつの文化といってもよい。
さらに料理だけではなく、骨や内臓は肥料として利用されたし、ヒゲはゼンマイに利用するなど、ほとんど無駄にすることがなかった。
くじら部位

組織的な鯨漁は、和歌山県の太地町が発祥とされている。その後は土佐、肥前、壱岐、対馬などで「鯨組」という700名からなる企業集団へと発展していった。ここには、漁を行う者だけでなく、経営・管理担当者や解体処理担当者、大工、鍛冶屋までもふくまれていた。
日本で行われた捕鯨は、近海にやってくる鯨を対象にした、消極的捕鯨であり、ナガスクジラ、ザトウクジラ、イワシクジラ、セミクジラ、コククジラ、ミンクジクラが主だった。捕獲した頭数は年間300~400頭程度といわれる。
日本各地には捕鯨基地が置かれたが、そこには鯨を祀る塚が建てられ、「鯨鯢(げいげい)の塚」と呼ばれた。そして捕獲した鯨には、なんと戒名までつけて、感謝の祈りを捧げてきた歴史がある。

歴史的に見て、日本はクジラを非常に愛してきた民族ということができるだろう。

その日本も、近代捕鯨が行われるようになって鯨を乱獲したのはアメリカと同じである。
それゆえに第二次大戦後、1948年に設立されたIWCには51年から加盟し、鯨類の国際的な資源管理に協力することになった。
けれども終戦後の日本は食糧事情が極端に悪く、クジラは貴重なたんぱく源だった。1950年代から60年代まで、日本では牛や豚よりもクジラの肉がポピュラーなものだった。私自身、クジラの肉やベーコンが、肉屋ではなく八百屋で売られていたのを見た記憶がある。
何故なのかはわからないが、それほど身近な商品だったのだ。
もちろん、クジラの竜田揚は学校給食のメインメニューのひとつだった。

世界的に反捕鯨運動が活発になったのは70年代以降である。
この気運によって、日本の捕鯨活動も自粛せざるを得なくなり、現在では調査捕鯨という名目で捕鯨をしているのはご存じの通り。

しかし現在、この調査捕鯨によって地球上にはかなりな数のクジラが生息していることがわかっている。ことにミンクジクラは南氷洋だけで78万頭おり、クジラによる食害が懸念されている。
IWCは捕鯨禁止の方向で話をまとめようとしているが、それはすでに述べた通り牛肉の輸出国であるアメリカやオーストラリアが主導している意見である。
実際、国連の下部組織であるFAO(国連食糧農業機関)などは、クジラの過剰保護に警告を与えている。

さて、以上のことから、日本人はどうすべきなのかが見えてくるのではないだろうか。
つまり、「クジラをもっと食わせろ」である。

ことに食料自給率が低い日本では、今後食糧事情は難しくなっていくことが予想される。
今のような輸入に頼ったやり方では早晩行き詰まってしまうだろう。

この問題を解決するには、ひとつには自給率を上げる努力をすることがあげられる。
そして第二は、資源としてのクジラを有効に利用することだ。
もちろん、以前のように乱獲をしてはならない。しかし、昔から日本人がやってきたように、鯨に敬意を払いながらすべて無駄にすることなく使うのであれば、何をアメリカなどに遠慮する必要があるものか。BSEの恐れのある肉など、食えたものではないではないか。

クジラをもっと食わせろ。
そのためには、国はもっと資金を注ぎ込み、捕鯨産業を保護し、以前のように鯨肉が豊富に安価に流通する仕組みを作る必要がある。

これが今回、私が得た結論である。


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関連タグ : 捕鯨問題, IWC, 食文化,

昨日21日、参院本会議で宇宙基本法が自民、民主、公明3党などの賛成多数で成立した。
これにより、従来は平和目的の利用に限定した宇宙政策が、軍事利用も可能になった。

これは日本政府による政策の大きな転換点になるはずの出来事なのだが、あまり話題になることなく、通り過ぎようとしている。
話題にならずに通り過ぎたのは参院も同じことで、与党案を土台にした修正協議に民主党が応じたために実質審議は衆参あわせて計4時間だった。
これではまともに論議したとは、とてもいえないだろう。

この法案が成立したことで、今後、日本の宇宙開発はどう変わるのか。

まず、自衛隊による宇宙空間の軍事目的利用が可能になる。つまり、偵察衛星やミサイル防衛体制の中核にあたる警戒衛星も開発・運用することができるようになる。また、通信傍受衛星など独自の開発も可能になる。
共同通信は「非侵略なら平和利用、という解釈を取り、専守防衛の範囲内で軍事的利用を認めた」と報じている。また朝日新聞では民主党の細野豪志衆議院議員の談話として「災害などの脅威除去、資源探査にも活用できる」との談話を載せている。

日本の宇宙開発が平和利用に限定されていたのは、69年の国会決議で「宇宙の平和利用」を定めたためだった。
今回の法案成立は、宇宙開発の目的が「わが国の安全保障に資する」という文言を加えることにより、事実上、これまでの平和利用が非軍事であるという解釈を変更したことになる。

どうも日本人は宇宙というとロマンを求める傾向が強く、こういう大事な法案が成立してもなんとなくOKのような気持ちで見てしまってはいないだろうか。
しかし、今回の宇宙基本法は、考えようによっては非情に危険性をはらんでいると思う。

まず、何よりも平和利用としてきた宇宙開発を、軍事にも利用できるとしてこれまでの方針を180度変えるほどの決定をするにもかかわらず、議員たちはろくに議論もせずに結論を出してしまったことが問題だ。共産、社民は反対しているが、自公、民主はこれらの声にほとんど耳を貸すことなく法案を成立させてしまった。
なぜ、ろくに話し合いもせずに結論を急いだのか。ひとつは国防族議員による強い要望があったことがあげられる。そしてもう一つは、宇宙開発産業を活性化させることにより金儲けのチャンスを得たい産業界の要望があったことだ。両者は互いに利権で結びついており、ビジネスチャンスが広がればそれぞれが潤うようになっているのだから、一致団結して話を進めようとしたのだろう。自公がその尻馬に乗って法案を通そうとするのはわかるが、民主党までがやすやすと歩調を合わせてしまったのはなぜなのだろうか。

宇宙基本法が成立したことにより、これからの日本の宇宙開発は、専守防衛の範囲とはいえ着実に軍事化の道を歩むことになる。そして、軍事化の道を進む先には、防衛だけでは飽きたらず攻撃目的の開発が待っている。軍事というものは、守るだけとはじめは言っていても、いずれはそれにあきたらなくなり、攻撃のことも考えるようになるものだ。ミサイルを迎撃するミサイルは防衛目的に作られるが、ミサイルはミサイルに違いなく、立派な殺人兵器になりうるのと同じだ。

そして専守防衛といいながら軍事化を進めていくことで、それはいずれ拡大解釈されるようになり、結局は憲法9条改憲に行き着くことだろう。
そのときになって反対を唱えても、すでに既成事実が積み重なっていることを与党は盾にして、反対意見を封じ込めようとするだろう。
もうそのときになっては手遅れ、というわけだ。

こんな心配をするのは、私が被害妄想に駆られているからだろうか?

いやいや、後期高齢者医療制度にせよ、あとで大問題になる法案は、いつも何となく決められてしまっていることが多いということをわれわれは学習しているはずだ。

今回の宇宙基本法は、もう一度、改めて議論する余地が大いにある。
宇宙ロマンの陰で、軍事化と金儲けに血眼になっている連中がいることを、ゆめゆめ忘れてはならない。

ネットでは、「宇宙の平和利用」の原則を堅持しようという署名運動が行われている。
念のため、私もここにリンクを張っておくことにする。


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関連タグ : 宇宙基本法, 軍事化, 改憲, 憲法9条,

実は16日以降、私はブログを書きながら、ちょっとさみしい思いにとらわれていた。

というのも、それまでは私の屁理屈のような記事にも親切な読者の方が励ましてくれて、拍手を送ってくれていたのである。
ところが、16日以降はこの「拍手」がぱったりと途絶えてしまったのだ。

なぜだ?

俺は相変わらず、つまらないことを書いているのに。
あ、つまらないことを書いているから拍手がないのか。
でも、ちょっとくらいはいいところだってあるんじゃないか? それなのに。

私は、さみしかった。

で、昨夜のことである。
ありがたいことに、私にご注進してくれた人があったのだ。

どうやら、拍手ボタンをクリックすると「拍手に失敗しました」というメッセージが出てしまっていたらしい。
拍手に失敗って、どういうことよ。
ためしに私も自分の記事を拍手してみた。自分で自分に拍手をするなんて、初めてだ。

そうしたら、な~るへそ。拍手ができないんでやんの。

なぜだ、と頭をひねったところ、思い当たることがあった。

実は16日にFC2から「新機能を追加しました」というメールが来て、そのなかに新しい拍手機能が追加されたとあったのだ。
で、私は何の疑いもなく、その機能に登録した。

どうやら、それいらい、拍手ができないようになってしまったようだ。

FC2にはもとから拍手ボタンがついていたので、新機能を追加するとこれが干渉してしまうらしい。
そこで、新機能の方を削除して、元に戻したら、拍手できるようになった。

ああ、よかった。
しかし、紛らわしい機能をつけるなよ>FC2。年寄りにはわからねえよ。使い勝手が。

というわけでみなさん、これからは存分に拍手してください。
励みになりますから。

って、こういうお願いするのは、甘かった?

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前回のエントリに対して、zizzizさんという方からコメントをいただいた。
このブログでは、いたずらコメントを避けるために管理者である私の認証制を取らせていただいているのだが、どういうわけか今回のzizzizさんのコメントは私が認証する前に削除されてしまった。

しかし、私にとってありがたく、また有意義なコメントであると思うので、以下にその全文をコピーし、お礼かたがた私の思うところを記しておこうと思う。
-------
はじめまして。いつも楽しく読ませていただいております。今回の記事に関して少し気になりましたので、失礼と思いながらコメントさせていただきます。
私は「社会保障国民会議」のメンバーの慶応大教授の権丈善一氏のホームページを日ごろから拝見させていただいているのですが、まず権丈氏は租税方式推進論者ではありません。今回提出されたシュミレーションは『基礎年金税方式』の問題点を浮き彫りにするのが目的であったものと考えます。
権丈氏のホームページをご覧になると参考になりますよ。http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/
-------

で、さっそく私も権丈善一氏のホームページを拝見してみた。
すると「2008年4月、いわゆる今日的年金問題について」というPDFファイルがあり、ここに今回のシミュレーションのことがくわしく説明されていた。
くわしくは権丈氏のHPを見ていただくとして、権丈氏をふくむ多くの社会保障研究者が基礎年金を租税財源にすることに懐疑的であることがわかった。
なぜ、租税財源にするのには問題があるのか。それは以下のようにまとめられるかと思う。

1.全額税方式にすると、まずなによりも巨額な税財源が必要になること。消費税をこれにあてるとすると、現在の消費税率にさらに5~7%の税率を上乗せしなければならなくなる。しかも、高齢化が進めば財源も多くを必要とするために将来的にはさらに税率を上げる必要がある。
2.こうした税財源は、疲弊が甚だしい医療・介護の問題と競合するものであるため、多くの社会保障研究者は、基礎年金への国庫負担は現行の3分の1から2分の1に引き上げる1%分の投入にとどめ、それ以上消費税を引き上げることが可能であれば、医療介護・少子化問題の対策に使うべきだと考えている。
3.基礎年金財源をすべて租税財源に移行するには、以下の3つの方法が考えられる。
・これまでにどれだけ年金を支払ってきたかの履歴を無視する
・これまでに支払ってきた履歴を反映させる
・これまでに支払ってきた金額に見合った給付を上乗せする
しかしながら、これらの方法にはそれぞれメリットとデメリットがあり、簡単に移行させることは難しい。
4.財源を消費税で負担することになれば、これまで企業が負担してきた分のおよそ3.5兆円分がなくなることになるが、これを現役・高齢者にすべて負わせるのは妥当といえるのか。

なるほど、zizzizさん、おかげで私にもだいぶ見えてきた気がする。
少なくとも、権丈氏をはじめとする社会保障研究者税方式には少なからず疑問を持っているというわけだ。
しかし、前エントリでも見たように、国民会議のメンバーのなかには奥田碩のように、かなり影響力の強い新自由主義者も名を連ねている。このような者たちが、このさきどのような理屈を並べて企業優遇の策を打ち出してこないともかぎらない。

われわれは、これからも注意深くこの問題を見守っていく必要があるといえるだろう。


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関連タグ : 年金, 財源, 税方式, 介護・医療問題, 少子化問題, 社会保障研究者,

今朝の朝日新聞一面では、基礎年金の財源をすべて税金でまかなった場合、09年度には消費税を9.5~18%まで引き上げる必要があるとの試算を政府の社会保障国民会議が公表したことを取り上げている。
消費税の負担を一律に重くする代わりに、見かけ上、保険料負担を減らすというインチキな試算だ。消費税がこんなに上がっては、保険料がいくらか下がったところで年金受給者や会社員の負担が増えることは目に見えている。
その一方で、年金を税方式にすることにより、これまで保険料の半額を負担しなければならなかった企業の負担は軽くなる。

またしても、新自由主義者たちによる企業優遇と国民いじめの構図だ。

試算は4通り行われており、現行の給付水準(6万6000円)維持を前提に、
1.加入歴にかかわらず、すべての高齢者に満額を支給する。
2.過去に未納期間があれば、その分を減額する。
また、基礎年金を全員に支払ったうえで加入歴に応じて
3.今の保険料相当分(3万3000円)を上乗せする。
4.今の給付全額分(6万6000円)を上乗せする。
以上の4通りに分けている。
消費税率がもっとも高くなるのは、給付の上乗せ額が大きい4で、09年度には12%の税率引き上げが必要とされる。現行の5%に国庫負担を3分の1から2分の1に引き上げる財源(消費税1分)を加えると、合計18%の税率になる。

また、1の場合は、保険料を払ってきた人と、未納者の間に不公平が生じるのが問題だ。
2は、未納期間があればその分減額されるために不公平は出ないところが特長だが、現在の無年金・定年金の人を救済することができない弱点がある。

さらに試算では、家計への影響も調べている。
保険料が減る分と、消費税が増える分を差引きしたものを世帯別に見ると、全体に負担は増えることになるが、ことに高齢者や年金受給世帯では負担が重くなることが明らかになった。

その一方で、企業はと言うと現在約3兆円の負担がなくなる。
2を導入した場合には、従業員1世帯あたり2000~9000円の負担減になるという。
経済界では「企業負担が減る分は、従業員に還元する」としているが、具体策は示されていない。

つまるところ、税金(つまり消費税)で年金をまかなおうという試みは、いずれにしても国民に負担増を強いることになる。ことに、やり方によっては年金受給世帯や高齢者の負担が重くなるようにできている。
これでは批判轟々の後期高齢者医療制度と同じじゃないか。

なによりも、負担をすべて国民に押しつけて、企業だけが負担を軽くするという魂胆に腹が立つ。
こんな案をまとめた「社会保障国民会議」のメンバーは誰かというと、

阿藤誠(早大人間科学学術院特任教授)
大森弥(地域ケア政策ネットワーク代表理事)
奥田碩(前日本経団連会長)
小田與之彦(日本青年会議所会頭)
唐沢祥人(日本医師会会長)
神田敏子(全国消費者団体連絡会事務局長)
権丈善一(慶応大商学部教授)
塩川正十郎(元財務相)
清家篤(慶応大商学部教授)
高木剛(連合会長)
竹中ナミ(社会福祉法人理事長)
中田清(全国老人福祉施設協議会副会長)
樋口恵子(高齢社会をよくする女性の会理事長)
南砂(読売新聞東京本社編集委員)
山田啓二(京都府知事)
吉川洋(東大大学院経済学研究科教授)

税方式は、年金を払ってこなかった人も最低限の受給ができるところがメリットのように思われるが、その実は、大幅な増税を全国民に強いるものであり、しかも、ひとり企業だけが負担を軽くするという、なんとも都合のいい方式だ。

まだ試算の段階には違いないが、物価高と増税にあえぐ国民の前にこのような、さらなる増税案を示すとは。
国民は生かさず、殺さず、搾り取るものとの考えが、お上の根底にはあることが伺える。


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関連タグ : 基礎年金, 税方式, 消費税, 増税,

一昨日のエントリでは、つまらない問題を取り上げてしまったために、私自身脱力してしまい、なんだか調子がよくない。
ウツというやつは、何がきっかけで気分がドンと落ち込むかわからない。
朝から何もする気になれず、かといってボーッとしている自分も許し難く、気分が落ち込むといつもこの葛藤の繰り返しだ。

こんなふうに書くと、ウツであることをエクスキューズにしていると思われるかもしれない。
その通りだ。
私は、ウツであることを女々しく言い訳に使おうと思っている。
ウツだからできません。
ウツだから考えられません。
ウツだから、バカですいません。バカなのはウツとは関係ないか。しかしバカでもウツにはなるのである。
そして自分がウツだということによって、アホなオヤジが悪あがきしている様を見てもらい、あわよくば温かい言葉の一つももらって自分を元気づけようなどと企んでいるのである。しかしせっかく温かい言葉をコメントしてもらっても、私は必ずしもそれに答えることができない。コメントに答えなければならないと思うことは、ウツにとっては辛いので、有り難いと思いながらもコメントを掲載させてもらうだけで大半は勘弁してもらっている。
せっかくコメントしたのに答えがないと心中密かに怒りをくすぶらせている方がいるとすれば、お許し願いたい。
私、ウツなものですから。

さて、実は一昨日の新聞でほんとうに私が興味を引かれたのは自民党のくだらない企みなどではなかった。
「耕論」というオピニオン面である。
「それってサヨク?」と題した紙面には、ワーキングプアが注目され格差と貧困問題がひろがっているのを背景に、文芸誌『すばる』がブロレタリア文学を特集し、小林多喜二の『蟹工船』が大増刷されているという社会現象から、いわゆる左翼系の考えを持つ人々が増えているのではないかということで、雨宮処凜、的場昭弘(神奈川大学教授)、佐藤俊樹(東大准教授)の3人が現代のサヨクについて語っている。
雨宮処凜についてはこれまでいくらか読み知っていたが、私自身、不安定な労働者、失業者の総称である「プレカリアート」の一人だと思っている。それだけに、今静かに広がり動きつつある動きが「生存をかけた若者の反撃」だとした彼女の言葉は刺激的だ。
私などはいい年をして、この社会がこんなに生き難い、息苦しいと感じるのはなぜなのかがわからず、ついこの間まで自己責任という名の縄でがんじがらめになっていた。ほんとうは、国民に対してかくも生き難い思いをさせているのは国家=政府であり、その政府が舵を取ってきた新自由主義やグローバリズムこそが元凶なのだと知ったのは本当に最近のことなのだ。それにくらべれば、75年生まれの雨宮がすでにしっかりとこの社会悪の原点を見据え、発言しているということは素晴らしいことだと思う。
逆に言えば、雨宮のような若者の方が、より切実に格差や貧困の問題に直面しているから先鋭的な存在になりうるのだとも思うのだが。

今取り上げられている「サヨク」という言葉について、雨宮は、昔の物差しで見れば団結し、自由と生存を求めはじめている若者の姿が左翼的と捉えられるのかもしれないが、それは違うと断言している。今、人生に行き詰まりを感じ生活の苦しさにあえいでいる若者たちにとっては右も左も関係はなく、社会が自己責任という一言で片付けてしまうなかで追い詰められた者たちが立ち上がった結果なのだという。かつての労働運動とも違い、貧困という生活の実感から生まれてきた生存をかけた運動なのだという。
私もまったく彼女の意見には賛成だ。
苦しくて、あげずにいられなくなった叫び声に、いまさら左翼とか右翼とかいうレッテルを貼りつけることにどれだけの意味があるのだろうかと思う。

私だって、このブログで書いてきたことを見れば、もしかしたら左翼的と色分けされる可能性はある。
けれども、自分が右であるとか左であるという意識を持ったことは一度もない。
もちろん、まさか右翼じゃねえよ、とは思うけれども。

目の前に新自由主義という大きな敵を発見した。だから、それに与する者どもを徹底的に糾弾してやりたいというのが私の思いである。

もうひとり、私が関心を持ったのは神奈川大学の的場昭弘の言葉だった。
現在フランスにいて研究しているという的場は、一部のエリートを除き、確かな未来を約束されている若者がいないという点で日本もフランスも共通しているという。現在フランスではサルコジ政権によって改革が行われ、結果として経済格差が広がっているという。インフレの加速、実質賃金の低下、経済成長の鈍化、教育制度の改革などの諸問題が次々と明らかになりストライキを引き起こしている。大統領に就任したサルコジもまた、新自由主義者としてフランス経済をグローバル化しようとして、結果、社会格差を生んだというわけだ。
フランスでは一昨年、高校生・大学生による「学生運動」が全土に広がったが、若者を中心にした左翼主義的な社会運動の気運はヨーロッパ各地に高まりを見せているという。

新自由主義とグローバリズムを敵と見なす社会闘争は、日本だけでなく世界でも同時に起こりつつあることなのだ。

的場は「超訳『資本論』」という本を出し、若者たちにもう一度マルクスの『資本論』にたちかえってもらうのが目的だったという。そこで引用しているマルクスの言葉が、あらためて現代にも通じることを教えてくれる。
「資本家が獲得する利潤は、つまるところまじめに働く労働者からの労働力の搾取にほかならない」。そして的場はこう続けるのだ。
利潤が他人の労働力の搾取であるなら、今の金融資本主義で獲得される一部の人々の高所得は、とりわけ非正規雇用の若者の賃金、第三世界の人々(とりわけ女性や児童)の低賃金の結果ともいえる、と。

今は闘うときなのだ。この国には砲弾は落ちてこないし銃弾が飛ぶこともないが、毎日100人以上の戦死者が出ている。彼らは自殺としてひとまとめにされているが、新自由主義者たちによる攻撃にさらされたあげく、夢も希望も人生そのものも木っ端微塵に破壊されて倒れてしまった戦死者なのだ。

われわれは闘わなければならない。

そのために何をすればいいのか。

ウツで機能が低下している頭から、さながら煙を吐きながら、私は考え続けているところだ。


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今日の朝日新聞の社説では、「参院が邪魔なんですね」というタイトルで、自民党の有志議員が一院制を目指す議員連盟を旗揚げしたことを取り上げている。

それによると、自民党の連中は衆参両院を統合し「国民議会」という一院制の国会にすべきだと主張しているとのこと。
その狙いはもちろん、現在の参院が野党多数となっている「ねじれ状態」を解消することにある。一院制になり、今の自公独裁状態が維持されれば、今後、日銀総裁人事で揉めることもないし、暫定税率の問題でもたつくこともなく、道路特定財源の無駄遣いを暴かれることもなくなるというわけだ。

私も少し前までは、参議院なんていらないじゃんと思っていた。
自民党が政権を握ってきた、つまりは衆参両院とも自民党が過半数を占めていた状態が続いていた時代には、参議院はほんらい持つはずのチェック機能を果たす場面はほとんどなく、自民党が提案する法案をただ通過させるだけのトンネルのように見えたからだ。
こんなトンネルのために選挙をするのは無駄だし、多数の議員に税金から給料を支払うのも無駄だと思っていた。

けれども、去年の参院選で自民党が歴史的大敗を喫して民主党が第一党になったおかげで上にあげたような、自民党にとっては都合の悪いことがいろいろ国民の目にも見えるようになったのである。
国民からすれば、今の「ねじれ状態」は、はななだまっとうな状態なのであり、これを解消して一院制にするなどという企ては断じて許すべきではないと思う。

しかも、今回の一院制議連の顧問には、森、小泉、安倍というトンデモ総理経験者が顔を並べる予定だという。
ますますもって、こんなもん、認めるわけにはいかないぞ。

昨日発足した議連の設立総会には、衆参から48人が出席したというが、こういう悪しき独裁を狙う者の名前は国民一人ひとりが脳裏に刻み込み、今後政界に生き延びることを許さないようにしたいものだ。
と思ってそのメンツを調べてみた。
しかし太田誠一、中馬弘毅、山本一太といった名前はすぐに上がってくるのだが、他の44人がなかなか出てこない。
山本一太
それもそうだろう。こんな時期にこんな虫のいい魂胆を持った会に参加するヤツは、確信犯かさもなくば後ろめたさを持っているに違いない。変に名前を覚えられて、後々選挙で損をするのは御免とばかりにこっそり総会に出席したのだろう。
まったくもって忌々しい。

朝日の社説では、冒頭で「テストの成績がふるわない生徒が、自分の努力不足を棚に上げて『テストの制度が悪い』と開き直」っているようだと揶揄している。
しかし、産経新聞は一院制に賛成的な記事を書いている。さすがサンケイ。自公の独裁が続くよりも国会が停滞しているのを解決する方が重要と考えているらしい。
自民党幹事長・伊吹文明の「国会が常識と矜持を取り戻せないと国民が判断した場合、二院制が一院制になることはあるかもしれない」という言葉を引用し、「一院制論議は『転ばぬ先の杖』と言えなくもない」と結んでいる。
伊吹文明
なにが転ばぬ先の杖だよ。こんな制度にしたら、日本は本当にひっくり返ってしまうだろうに。
伊吹によるいつもの偉ぶった文言も忌々しいが、産経の記事もかなり忌々しい。

そんなこんなを考えていたら、ああ、日曜日も午後になってしまった。
まったく自民党のアホ議員どもがくだらないことを企てるから、時間を損した気分だ。
どうせ一院制にする議論など、憲法改正の面倒な手続きうんぬんよりも、職を失いかねない参議院議員たちが猛反対して尻すぼみになるに決まっている。
同じ憲法改正をするなら、インチキ臭い「みなし否決」のような制度を改めることを考えた方がいいよ。

外はよく晴れて爽やかな風が吹いている。
初夏の日射しは少し暑さを感じさせるが、のどかな空気がいかにも日曜日にふさわしい。
それなのになぜ、私は朝から自民党のアホな企てのことなんか考えて時を費やしてしまったのだろう。
そう思うと、我ながらますます忌々しく、私は暗い思いに心を浸しながら一言つぶやく。

ガッデム・自民党!


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今日の朝日新聞には、「『救援強行』揺れる国連」と題する記事が出ていた。
今月2日から3日にかけてビルマを襲った巨大サイクロンによって、同国では甚大な被害が出ており、今も家や家族を失った人々が何の救援も受けられずに苦しんでいる。
これに対して軍事政権は国民を助けるどころか、自分たちに都合のいい新憲法案を可決させるために国民投票を強行した。
さらに他国からの援助物資は受け入れるとしながらも、人的支援は頑なに拒み続けている。
同国内では、援助物資が十分に行き渡らず、家も崩壊したまま、為す術もなくその日暮らしを送っている人々が250万人もあふれているというのに。
これはまさしく国家による放置プレイだ。
このままでは国民の命が危ない。
ビルマ

この状況をなんとかしなければならないと、国連ではフランスが声を上げた。
「国家が国民を十分に救おうとしないとき、国際社会はその主権を侵してでも救援を行うべきだ」
サイクロンは天災に違いないが、その後起こっている状況は、明らかに軍事政権による人災だというのが基本的な考えで、このままでは飢餓や疫病などで新たな被害が出る恐れがあるとしている。

これに対してビルマの宗主国でもある中国は、国内問題に介入すべきではないと反対している。国際法上も災害救援のための強制介入を認めた合意や取り決めはないという。

現在、フランス側にはアメリカ、イギリス、ベルギーが同調しており、中国側にはロシア、南アフリカ、リビアなどがついていて、国連安保理は分裂状態にある。

相変わらず日本はこういう話題にはなかなか登場してこないのがもどかしいが、ここは客観的に見て国民を救うことが第一であり、軍事政権が十分にそれを行っていないことがはっきりしているのであれば、強行してでも救援をするべきだと思う。

米英両国は、イラクに大量破壊兵器があるという見込みだけで、その主権を侵し、戦争を勃発させた。
こういう主権侵害についてはいくらでも非難されるべきだと思うけれど、国民を死の瀬戸際まで追い詰めている政府に対しては主権侵害もなにもないだろう。
こう書くと、まったくの感情論のようになってしまうが、国連にはルワンダの虐殺などを教訓にして、危険にさらされた人間は国家だけでなく国際社会にも守る責任があるという「保護する責任」が採択されている事実がある。
ビルマの場合は、国民を守るべき政府がその義務を果たしていないのだから、まちがいなく国際社会がその責任を果たすべきだと思う。

ただ、心配されるのは、強硬に救援策を取った場合、軍事政権との摩擦あるいは衝突が懸念されることだ。
救援物資を運び、国内に行き渡らせるには、物資を積んだ船をビルマの軍港に接岸しなければならないだろうし、ヘリを飛ばして人々の元に配る必要も出てくるだろう。
それを軍事政権が黙って許すか。

ここでまた紛争が始まったのでは元も子もない、というのが慎重論派の考えだ。

たしかに難しい問題をはらんでいるとは思う。

しかし、こうして論争をしている間にも、苦しんでいるビルマ国民の命はどんどん危険にさらされているのだ。

その事実の重さの前には、思い切った行動が、やはり必要だと思う。

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昨日のエントリについて、ほげーという人物から捕鯨について勘違いしているようなので教えてあげようという親切なコメントをいただいた。

いい機会なので、私もあたらめて調査捕鯨と捕鯨問題について、もういちど勉強してみることにした。

まず、科学的な調査をするためになんでクジラを殺さなければならないのかがよくわからない。という私の疑問に対して、彼は、

致死的調査しないと、深海にもぐってしまい寿命も長く養殖での観察も出来ない鯨は、調査に何十年・何百年と言う時間がかかってしまい、現実的じゃないから 」
と教えてくれている。

これをもっと詳しく説明すると、調査捕鯨はクジラの生態や資源量を科学的に調査・管理するために日本政府が(財)日本鯨類研究所に許可を与えて、北西太平洋では1994年から、南極海では87年から毎年行っている。調査内容は、船上からの目視調査による資源量の推定(つまりクジラが何頭くらい泳いでいるか)や、全長・体重などの計測、さらに年齢、性別、内臓からのサンプル収集、胃の内容物の調査など、調査項目は100項目以上もあるという。

そして現在、南極海ではミンククジラが850頭±10%、ナガスクジラが50頭、ザトウクジラが50頭、捕獲を認められている。

北西太平洋では、ミンククジラ220頭、ニタリクジラ50頭、イワシクジラ100頭、マッコウジクラ10頭となっている。

20年間の調査によって、クジラの餌の種類や行動範囲、寄生虫や汚染物質の蓄積度合いなどのデータが得られているという。

これに対して反捕鯨国や反捕鯨団体からは、希少種であるクジラを殺す調査方法そのものに対する批判が寄せられている。また南極海は、国際的に認められた鯨の保護区であり、そこでの捕鯨活動がまた、非難の対象となっている。
つまり、国際的に見てもクジラを調査するためになんで殺さなくちゃならないか、理解されているわけじゃないのだ。
この点、ほげ-氏の「致死的調査しないと(つまり殺さなければ)調査に何十年・何百年という時間がかかってしまって現実的でなくなる」という説明は、いささか言葉が足りないように思う。
少なくとも、それじゃ私は納得できない。殺さなければ、クジラの生態とか寿命ってわからないものなのか? どんなものを食べているかとか、どれくらい汚染物質の影響を受けているかを調べるのに、毎年数十頭から数百頭も殺さなければならないのだろうか? それがわからない。
教えるならもっと親切に教えてくれ。

ほげー氏はさらに「捕獲した鯨の肉は、食用含めて有効に使わなければならないと言うIOCのルールがある 一般に鯨肉売られてるけど見たこと無い?
標本にもなるだろうけど、そんなのほんの一部 」
と書いている。

IOCというのは国際オリンピック委員会のことだったと思うが、これはICRWのことだろう。この条約では、調査副産物を可能な限り有効利用することが義務として定められており、捕獲したクジラの肉などを販売することはICRWの条約本文で調査実施国に命じている。調査実施国は、この売り上げ金をもとにして翌年の調査経費の一部にあてているというわけだ。
さて、条約で鯨の肉などは有効に利用しなければならないことになっているが、今回グリーンピースが問題にしたのは、日新丸乗組員12人が鯨肉を入れた段ボール箱47箱を自宅などに宅配便で送っていた点である。ほげー氏は、これを「グリーンピースの妄想」とかたづけているが、記者会見場で披露された段ボール入りの美しいウネスは、とても妄想の産物には見えなかった。このあたり、ほげー氏にはグリーンピースに対する偏見があるのではないか?

捕鯨船団の乗組員には、これまでにも下船の際に鯨肉を一人数キロずつ無料で配るということが慣習的に行われていたという。まあ、手土産としての「役得」というやつだ。これが基本のね。
しかし税金で行われている調査捕鯨にこういう「役得」があること自体、私はよくないことだと思うのだが、どうだろう。

それにしても、12人で段ボール箱47箱というのは悪質ではないのか?
もしこれが本当ならば、これだけの鯨肉を家族で食べきれるわけはなく、明らかに業者に横流しするのが目的だったと考えるのが妥当というものだろう。なにしろ、鯨肉は高級品なのだから。
もちろん、鯨料理の店は何軒も現実に営業しているのだから、鯨肉が表ルートで流通していることはわかっている。
けれども、47箱分もの大量な鯨肉がどこかに消えたとなれば、それは裏ルートがあると考えるのが普通だろう。

さらにほげー氏は、「(日本の調査捕鯨に)反対してるのはオーストラリアとかの「観光資源として鯨が必要」な国と、「政治的に日本を叩いておきたい」国がほとんど。あとは、反捕鯨国と仲良くしたい国が追従してるだけだよ」
と述べているが、ことはそんなに単純じゃないだろう。
日本国内にだってグリーンピースのように調査捕鯨に反対している団体がいるわけだし、食文化に対する考え方や野生動物に対する考え方(そのなかには鯨のような知的生物を殺してもいいのかという極端な考え方もふくまれているが)などが複雑に絡み合っている。

ほげー氏は、どうもグリーンピースに対する思い込みが強いようだが、捕鯨について教えを垂れるなら、あんたこそもうちょっと柔軟な頭を持って勉強をした方がよさそうだよ。

念のためにいっておくけど、私はかならずしもIWC(国際捕鯨委員会)の立場に与するものではない。
あくまでも、こんかい日新丸の乗組員が行ったと思われる不正について、問い糾したいと考えているだけだ。
毎年10億もの税金を注ぎ込んで、わざわざ国際問題を引き起こすような調査捕鯨など、もういい加減にやめてもいいのではないかとは思っているけどね。


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いやもう、笑っちゃったね。
苦笑するというか、こうなると呆れるのを通り越して失笑するしかない。
無駄遣いの実態が後から後から出てくる道路特定財源問題だ。
昨日は民主党の菅直人らが無駄遣いの温床といわれる国交省・地方整備局のうち、関東地方整備局を視察した。
そこで民主党議員と整備局職員との間で「証拠を見せろ」「見せられない」の押し問答が行われた。
関東整備局
何の証拠かといえば、タクシーチケット(いわゆるタク券)の半券があるかどうかをやりあっていたのである。

なにをつまらないことで、と思ったら、関東地方整備局では07年4月~08年2月末にかけて1134回分、約2200万円のタクシー代をチケットで支出していたことが明らかになったのだ。
しかも驚くのは、道路部の課長補佐級職員が07年4月~9月にかけて11ヵ月で190回、全部でおよそ490万円ものタクシー代を一人で使っていたというのだ。
ということは、この職員は2日に1度以上の割合、というかほぼ毎日タクシーを使ってご帰宅なさっていたということだ。

こりゃあ、見せてみなさいよと言いたくもなるわな。半券を。

ふつう、企業が無駄な支出をカットするというときに、まず対象になるのがタクシー券だ。経営が厳しければタクシー券を全廃するし、全廃しないまでも自由には使えないようにする。
だって、タクシー代って高いもの。
そのうえ、タクシーチケットは使い放題にしておくと、仕事に関係ないことで使ったり、社員以外の者に使わせたりといった不正使用が日常茶飯になりがちの代物なのだ。

ニュースの画面に映った当の課長補佐級職員というオッサンは、バーコード禿げの、どう見ても冴えない男だったが、民主党議員たちの前で伏し目がちにしている様子は
「こいつ、ゼッタイに不正使用しているな」
と思わせるに十分だった。

きっと、このオッサンは仕事帰りに飲みに行き、終電なんか気にせずにカラオケなんか歌ってたのだろうな。なんたってタク券がポッケにあるんだから全然帰りのことなんか心配しないでいいわけだ。
一人じゃつまらないから、仲間とか社外の友人なんかも誘ったりしたんだろうな。
「いいよ、帰りはタクシーでみんなの所を回ってやっから」とか言ったかもしれない。あるいは
「俺の名前でサインしとけばいいから」とか言って、それぞれにタク券を渡したりしたかもしれない。

いや、「かもしれない」ではなくて「やった」だな。

彼らにとっては、それが役得なのだから、利用するのは当たり前なのだ。罪悪感などさらさらないだろう。
たとえ、その先、タクシー会社に支払わねばならない金が税金だとしても、人の金ほど使うのが楽しいものはないというものだ。

まったく役得ってやつは、こたえられねえ。

結局、関東地方整備局はタクシー券の半券を見せるのを断った。
憤る民主党議員たちに対して、担当者が言ったセリフがまた笑わせた。

「今、上の者から見せなくてもいいと言われましたので」
だってさ。まるで小学生なみの受け答え。

失笑。

で、役得といえばもうひとつ、調査捕鯨をしていた日新丸の乗組員が、捕獲した「標本」であるはずのクジラの肉を手土産として持ち帰っていたことがグリーンピースによって明らかにされた。
もともと科学的な調査をするために、なんでクジラを殺さなければならないのかがよくわからない「調査捕鯨」で、乗組員たちは役得のようにクジラの肉を持ち帰っていたのだ。
しかも、今回問題にされているのは、そのお持ち帰りの量だ。
今回、証拠としてあげられたのはウネス約23キロが入った段ボール箱だった。
しかし、朝日新聞によると、なかにはなんと一人で200~300キロも帰国後に自宅などに発送した者がいて、総量にすると1トン近く、卸値で約1500万円分が「手土産」になっていたというのだ。
ウネス

これも、もう明らかだよ。
裏ルートでどこかの料理屋に流していることは。
今や日本人にとってクジラ肉は高級品だ。
たとえば今回、日新丸の乗組員が持ち帰ったとされるウネスという部分の場合、昨年で1キロ3750円で卸されている。04年は同じものが5500円で卸されており、価格は下がっているが、これは調査捕鯨による「漁獲高」が増えたからだ。
それでもウネスから作られるクジラベーコンは、今、100g2000円近い値段で売られている。
絶対に食べられないことはないけれど、まあ庶民はあまり手を出さないような金額の商品には違いない。

一人で200キロも横流ししていた乗組員は、これをいくらで分けてやっていたのだろう。
きっと、卸値よりは何割か安い「良心的価格」だったのだろうな。
たとえば8掛けで売ったとして3000円×200キロだから60万ということになる。
いい小遣いになるじゃないか。

これだから調査捕鯨はやめられないってか。

何かと批判の多い日本の調査捕鯨だが、昔から手土産の習慣はあったとはいえ、こういう薄汚く見えることをやっているかぎり、日本の捕鯨に対する主張が世界から理解されることはないように思う。

まったく、この国は役得天国のようだ。

しかし、こういう役得に対して、あまり大きな非難の声が上がらないのは、国民の大多数が役得の旨味を知っているからなのだろう。
そうではないか?

役得にはほとんど縁がない、私のような個人零細事業者は、ヘッヘッと引き攣った笑いを顔に浮かべるしかない。


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私は9年前、一匹のパグ犬を喪い、ペットロスに落ち込んだ。
7歳2ヶ月。
決して若くはないが、まだまだ一緒に暮らせると思っていたし、可愛くて可愛くて、この子の子どもが欲しいと思い、お嫁さんをもらい受けたほどだった。
ココ

都内に住む、やはりパグ愛好家のご夫婦とネットを介して知り合い、その年の7月に生後2ヶ月半の牝パグを家に迎えた。
ところが、嫁さんパグが来る前日に、わが家のパグが熱中症で倒れた。

パグは暑さに弱い犬種だとは聞いていたが、まさか自分の飼い犬が熱中症になるとは思いもしなかった。というより、イヌの熱中症がどんなものかもわからなかった。
その日、散歩から帰ってきたワンコ(ココという名前)の呼吸がいつまでたっても激しく治まる気配がないのを不審に思ったカミサンが
「ココちゃん、おかしいんじゃない?」
そう言ったのがきっかけだった。
たしかに様子がおかしい。いつまでたってもゼーゼーいってぐったりしている。
これは普通じゃない。
私はあわてて、時間を確かめた。その当時かかりつけにしていた獣医はまだ連絡がつくと思った。そして電話すると、
「まず体温を測って。もし40度以上あるのだったら熱中症だから、たらいに氷水を張って体をつけてやって」
そう言われた。
体温を測ると、ココの熱は40度以上もあることがわかった。
言われるままに、子どもに使ったベビーバスを引っ張り出して水を張り、冷凍庫にあったありったけの氷を入れてココの体を浸けた。
ココはぐったりしたままだった。
私は再び獣医に電話して、様子を伝えた。
「10分おきに体温を測って。それで熱が下がらなければ私が行くから」
私は、言われた通りにした。ココの肛門に体温計を差し込み、10分ごとに熱を測った。
幸い、そのときは熱が下がり、ようやくココも元氣を取り戻した。

翌日、お待ちかねのお嫁さんが来て、ココはどんな態度を取るだろうと思っていたら、子犬の姿を見るなり猛然と吠えだしてしまい、子犬の方が怯えてしまった。

それでも、気のいいココのことだ。そのうち慣れてくれるだろう。
そう思っていたが、ココは容易に嫁イヌを受け入れようとしなかった。

そして9月。
ココが再び倒れた。こんどはいきなり全身をけいれんさせ、泡を吹くような感じで倒れてしまった。
医者に電話すると、家まで来てくれてぶっとい注射を打ってくれた。ココは痛そうに悲鳴を上げたが、これも治ってくれるならという思いで体が動かないように、私はココを押さえていた。
けれどもココは、翌日には後足が立たなくなり、その翌日にはケージのなかで仰向けになったまま意識が戻らなくなってしまった。
医者に連絡すると、熱中症は再発しやすいから、体温を測って40度を超えることがあったら水に浸け、その後も10分ごとに体温を測るように言われた。
私は言われた通りにイヌのケージの隣に布団を敷き、それでも眠るどころではなく時計とにらめっこをして時間が来るとココの肛門に体温計を差し込んだ。そして測った温度をノートに逐一記録していった。

それが三日二晩続いた。
結局、ココはそのまま意識を回復することなく、最後は尿毒症を起こしてしまった。

私は、9月に入ってココの後ろ足が立たなくなったときに「これはいけない」と悟った。悟りながらどうすることもできず、ひとりトイレに入って泣いた。

9月中旬、ようやく暑さがゆるんできた日の夕方、ココはカミサンが娘と一緒に買い物に出ている間に、私の腕の中で息を引き取った。

獣医にココが死んだことを伝えると、私は叱られてしまった。
「だからね、暑さに弱い子は気をつけてあげないとこういうことになっちゃうの」

そうです。
ココが可愛いといいながら、私は何もココのことをわかっておらず、暑さの中を散歩させたり、クーラーもつけない部屋にココを置いておいた。私は、駄目な飼い主で、馬鹿な飼い主です。

ココの遺体に買えるだけの花を添え、好きだったぬいぐるみを棺となった段ボール箱に入れ、食いしん坊だったからとビスケットを買ってきて口元に置いてやった。娘は私たち家族の絵を描いて、ずっと一緒だからねと言った。

ココは、ペット用の寺院で荼毘に付された。

それからの毎日、私は自分を責めた。ココを殺したのは自分だ。パグが熱中症にかかりやすいということに気をつけてやらなかった。ココは何も言えないのに、苦しい思いをしながら、朝寝坊だった私につきあい、熱でとろけそうになったアスファルトの上をとぼとぼ歩いていたのだ。私はそれを散歩だと思って満足していたのだ。

なんというバカな飼い主。

ココの墓は車で1時間ほどかかる寺にあったが、私は時間さえあればそこに行って手を合わせ、詫びを言った。
「ココ、ごめんな。お前のことをわかってあげられなくて悪かった。許してくれ」
線香の煙が全身を燻し、体中が香のかおりに包まれた。それがなんとなく、バカな私の心を洗い清めてくれるような気がした。

けれども、ココがいなくなってからというもの、私は通りでパグを見かけると胸が痛み、毎日通っていた散歩のコースを通りかかると涙があふれ、そこを歩くことができなくなった。

お嫁さんをくださったご夫婦も、ココが突然なくなったと知って驚いていたが、まだあどけない顔をした牝パグが一匹残ってしまった。
私は、ココを喪った気持ちを埋め合わせるために、半ば熱に浮かされたようにペットショップをのぞき込み、そこで見つけたオスの赤ちゃんパグを買い求めた。

それが今も一緒に暮らしている、今年9歳になるパグ夫婦だ。
このパグ夫婦はその後、十分すぎるほどに私の心に空いた穴を埋めてくれた。
けれども、私の心の中にはそれとはべつに、ずっと罪悪感が残ったままだった。
パグのことをよく知りもせずに飼い主面をして、ただ可愛い可愛いといっていただけの馬鹿オヤジ。だから獣医にも叱られたのだ。

そんな私の心を救ってくれたのは、仕事で偶然出会った、別の獣医の言葉だった。
その人は、飼い主に連れられてくる動物たちの気持ちがわかるのだと言っていた。そして、動物たちは自分がどんなに苦しい思いをしていても、飼い主のことを気にかけているのだと話してくれた。
私は、思わず自分が体験したことをその人に話していた。
大切なパグを、熱中症で亡くしてしまったことを。動物のことをわかりもせずに飼っていた自分の馬鹿さ加減を。

するとその人は言った。
「私だったら、飼い主さんを責めたりはしないです。だって、あなたはワンちゃんのために心から心配し、一緒に苦しんであげたじゃないですか」

私は、もう泣くしかなかった。
泣きながら、その一言に罪悪感に苛まれていた私の心は、救われた。


今、中国では大変な事態が起こっている。
これまで誰も経験したことがないほどの規模の地震が起こり、数万人が死亡し、負傷し、今も生き埋めになっている人がいる。
中国政府は、これに対して必死になって救助活動を続けている。
首相の温家宝が被災地に飛び、瓦礫の中に向かって声をかけ、救助を急げと急き立てていた。
その姿は、見ようによっては政治的プロパガンダと映るかもしれない。
救援物資は受けつけながら、人的支援を拒んできた中国政府の姿勢も、日本人から見れば疑問に映るかもしれない。
学校や幼稚園は崩壊したけれど、役所や政府の建物は無事だったというのは政治がよくなかったからだと非難できるかもしれない。
これらを総合して、やはり中国はと、貶めることができるかもしれない。

けれども、未曾有の被害を前にして中国の人々が必死になっていることは確かであり、第三者から見れば要領が悪く、何をやっているのだと苛立ちを覚えたとしても、片や国の威信をかけたオリンピックを抱え、片やこれからどれほどの被害規模になるか見当もつかないほどの災害に遭った国と人々を、そうそう冷たく突き放してもいいものだろうか。
日本のマスコミは中国が情報操作をしている、被災地に足を入れさせないと不満たらたら垂れ流しているが、それをそのまま受け取って、茶の間にいる人間が嫌悪感だけを募らせているというのも、私にはどこか愚劣に思えて仕方がない。
勝谷誠彦などは、この混乱を機にチベットでは大粛清が行われている可能性があるなどと煽っているが、こういう輩の文言にたやすく乗っていいものだろうか。

私は疑問に思う。

中国に対しては、なるほど私自身もよく思っていないところはある。
けれどもそれはあくまで平時のことであり、今起きているような非常事態にまでそれを導入するのは浅慮に過ぎるのではないか。

彼らは間違いなく混乱し、そして傷ついている。
よしんばチベットでけしからぬことが行われているとして、それを非難するならば証拠が挙がってからだろう。それでは遅いというならば、お前が現場になぜいかないのだと問いたい。
今、日本ではネットの世界でも冷静さとは無縁の憶測と非難とが渦巻いている。
中国はひどい国だと、誰もが言い募っている。

でも、それは馬鹿な飼い主だった私に対して、声を荒げて非難した獣医と似ていないか?

いや、その無責任と非情さ。傷んでいるものを足蹴にするような残忍さにおいて、件の獣医を上回っているといっていいだろう。
私は今、そのことに非常に不快感を持っている。

なぜ、もっと温かい目で見てやれないのだろう。
日本には阪神淡路大震災の教訓がある。それを活かせば協力できることはいくらでもあるはずだ。
今は、非難をしているときでははい。隣国を思いやり、協力を惜しまずするべき時である。
中国共産党が処理能力を持たないならば、なおさらのこと、隣国であるわれわれが力と知恵を貸してやるべきだ。

こういうときに、偏狭な言辞を弄し偏見を露呈するのは、卑怯で醜い行為だと思う。


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ゴールデンウィーク直前から始めた仕事が先週いっぱいかかってようやく終わり、一息つけると思っていた。
ところが、一息もなにも、またしてもリバウンドのようなウツの波が押し寄せてきてしまった。

朝から気分最悪でワンコの散歩に出るのがやっと。
鳥舎となりつつあるわが家の鳥の世話をするのがやっと。

体がだるく、起きているのが辛い。といって、寝るのも気が進まないのだ。この辺、ウツの人ならわかってくれるだろうか。
結局、無理矢理にでも寝てしまった方が後で楽になるんだけどね。
人様が働いている時間に布団に入る自分が許せない、そんな気分になるわけだ。こういう気持ちが押しとどめようとしてもどうにもならないのである。

嫌だね、やっぱりウツなんて。
ウツは心の風邪のようなものなどというのはマヤカシだ。
風邪は薬を飲むにしろ飲まないにしろ、いずれ治るが、ウツは薬を飲んでもたいしてよくならないし、かと言って飲まなければ余計症状が重くなる。薬を止めると禁断症状も出る。
要するに、麻薬を使ってないだけのヤク中と変わりない。
もう、自分がクズになったような気分である。

こういう低調な気分のときに、われらが自民党公明党の先生方は昨日、またもや衆院再可決で道路特例法を成立させてくれた。

おいおい、もういい加減にしてくれよ。
これで3回目だぜ。

そりゃ、参議院で決議できない場合は否決されたものと見なし、参議院よりも優越権を持つ衆議院で3分の2以上の賛成が集まれば可決となる。これは憲法で決められているのだから仕方がない。

しかし、民意が完全に政府から離れてしまっているこの状況下で、「みなし否決」だの「3分の2再可決」だの、いわば裏技的なことを続けざまに連発して強引に政策を推し進めていくやり方は見苦しいばかりだ。
たとえばプロ野球を見ていて、形勢よろしくないチーム(おまけに不人気チーム)が隠し球や振り逃げを連発してアウトと出塁を重ねて勝ったとする。
試合としてはルール違反をしたわけじゃないのだから成立するだろうけれど、ファンはこんな試合、だれも見たいとは思わないし勝利も認めないだろう。勝ちは勝ちでも、おそろしく価値の低い勝ち。
満場のブーイングだ。
そんなやり方で一勝をあげても、不人気チームの人気はさらに下がるだろうし、ファンは少なくとも監督の交代を求めて騒ぎ出すだろう。情けない試合をやった選手に対しても、厳しい声が浴びせられることだろう。

今、自民党公明党がやっていることって、これと同じことなんじゃねえの?

ここ数日、私は気分がどん底に落ち込んでいるのだが、ニュースを見ていると、ことに国会運営がらみのニュースを見ていると、さらに気分が落ち込み、悪寒がして、発熱しそうになる。
もう、ウツどころじゃなくて質の悪いインフルエンザにでもかかったように気分が悪くなる。

特に昨日は午前中に暫定税率の来年度からの一般財源化を閣議決定しておいて、午後には今後10年間、道路特定財源を維持すると衆議院で可決した。
なんだよ、このわかりにくさは。
やってることが目茶苦茶じゃん。
子どもにどう説明すればいいのさ、今の政治家がやっていること。
「場当たり」としか言いようがないじゃないか。

ほんとに、こういう政治を許してちゃいけないよ。
今の政府がやっているのは草野球以下のレベルだよ。野球に例えたら、野球に失礼なくらい、ひどいよ。

中国にはある言い習わしがあって、悪い政治が行われていると天変地異が続いて起きるのだそうだ。だから、大地震や大型サイクロンのために手痛いダメージを食らったら、政府のトップは全員首を挿げ替えなければならないことになっていたそうだ。
昔の中国では、そういうことをやっていたらしいけれど、現代にもこの言い習わしが生きているならば、ビルマや中国は政治家が交替しなくちゃならないだろう。

反対に、わが日本にもこの言い習わしが通じるとすれば、これから恐ろしい天変地異が襲ってくる可能性が大ということになる。
恐ろしや、恐ろしや。
そんな目に遭って国民が被害を受ける前に、今のうちに自民党公明党は政権を降りて、野党と交替してもらいたいものだ。


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関連タグ : 道路特例法, 見なし否決, 3分の2可決, 自民党, 公明党, ウツ,

この数日、関東地方は5月とは思えないほどの寒さに見舞われている。
昨日、今日はとくに寒く、ストーブなしにはいられないほどだった。

わが家に来てからちょうど1週間になるオカメインコのピーチは、すっかり鳥らしくなり、羽ばたく練習をしきりにしていたが、この寒さで体調を崩さないかと心配だ。
ヒーターをつけただけではすぐ熱が逃げてしまうので、今日はホームセンターに行って断熱材(プチプチ)のビニールシートを買ってきて、ケージのまわりに張りめぐらした。
これでちょっとは安心かな?
ピーチ

パールにもヒーターを入れてやらなければとホームセンターを探したが、もう時季外れで売っていなかった。で、ネットで注文。こういうときはやっぱりネットはありがたい。
ヒーターと一緒にサーモスタッドも買って、できるだけ温度を保てるようにするつもり。
サーモは、ほんとは「爬虫類サーモ」という商品がいいらしいのだが、けっこうなお値段なので、園芸用にも使えるお安いやつを注文した。
やはりネットでいろいろなオカメのブログを見ていくと、同じようなサーモを使っている人がいるようだし、まあ大丈夫でしょう。
ちなみに、ピーチのヒーターにもサーモスタッドをつけたが、こちらはウチにあった熱帯魚用のサーモを流用。水中用だけど、大丈夫だよな、きっと。ということで。

ここ数日の私は、手のひらの中で大きくなっていくピーチが可愛くて可愛くて仕方がない。
もう、孫を抱いてる爺さんのような気持ちだ。
そのピーチが、今日の午後、エサをやっているときに羽ばたきはじめたと思ったら、ついに飛んだ。
羽ばたくピーチ

ピューッと舞い上がって、その後、どこに行ったらいいのかわからない感じでカーテンにしがみついたのがおかしかった。
その後、夕方のエサの時間にも飛んで、こんどは床に不時着した。
ワンコがすかさず追いかけたので、カミサンが顔色を変えてダッシュし、間一髪でピーチを確保。まるでライフセーバーのようだった。

世界では、サイクロンのために大被害を被っているビルマや、大地震で未曾有の被害を出している中国の人々がいるというのに、こういう甘っちょろいことをやっていていいのかと思うのだが。
自然の猛威の前に、人間は常に無力なのだが、それでもビルマにせよ中国にせよ、政府がもっと国民のことを考えて国づくりをしていれば、もう少し被害は少なくてもすんだのではないかと思うのは、私だけだろうか。

被害に遭った人々が、一秒でも早く、一人でも多く、助かりますように。

そんな人間の祈りとは無関係に、ウチのワンコは一日、ストーブの前に寝っ転がっていた。
キミたちは幸せだよ、ほんとに。
ブルース



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わが家のパグ親子のお母さん、こももが誕生日を迎えた。
満9歳である。
人間でいうと、だいたい54歳くらいらしい。
こもも

だいぶ老けたね、こももさん。
年取ると人間もいろいろガタが出てくるけれど、こももも2年ほど前から膀胱を悪くしており、現在は処方食で発症を抑えている状態。
でも、いつまた血尿が出たりするか、冷や冷やなところはある。

ま、飼い主の私も原因不明の背中痛に悩まされる毎日だし、5年前からはウツを患っているし、同じだよ。
生きて行くのは大変だ。

今月は25日に息子のパグ犬が7歳になる。
もう息子の方もシニアに分類されるようになるということか。
5匹の子犬を私ひとりで取り上げたのが、もう7年も前のことになるかと思うと、あらためて時間の経つのが早いと感じる。
あのときは、大変な思いをしましたよ。

いい経験だったけどね。

お互い年を取ったけど、まだまだ一緒にやっていきたいものだね。

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昨日のエントリで、私は軍事政権というものがどうして自国の民を虐げるのか、それが分からないと書いた。
これはほんとうに私の心に発した素朴な疑問である。

なぜなら、自国の民が虐げられ、疲弊していけば生産能力が落ちて、まず国力が落ちるだろう。そのうえ、国際社会からは非人道的な政治を行っていると非難され、信用を失う。
国にとっていいことは何もないはずなのだ。

軍事政権とは、軍部首脳が政権を直接担当することにより、行政・司法・立法の一手に握り、その結果として憲法の停止や戒厳令の布告など恣意的な政治を行うものとして知られる。
その目的は、ひとえに軍部関係者や軍組織が利益を得ることにある。
したがって、国民の意思や現体制に対する批判は無視するか徹底的に弾圧して自らの権益を守ろうとする。
つまり、国民がどんなに疲弊し、国力が弱まっても、軍部が潤っていられる限りはその姿勢は変わらないということだ。
サイクロン

私は、今、大型サイクロンによって未曾有の被害を出している国の名を「ミャンマー」とは呼ばない。この名称は1989年6月に政権を樹立した軍事政権によって改められたもので、日本政府は無批判にこれを承認してマスコミもそれに従っているが、軍事政権によって苦しめられている国民のことを思えば、とてもこの名称を受け入れるわけにはいかない。よって私はこの国を以前の「ビルマ」と呼ぶことにする。

ビルマでは、サイクロンによる死亡者数が10万人を超える可能性もあるというほどの甚大な被害が出ている。
これに対して国連は各国に総額1億8730万ドル(約196億円)の支援拠出を要請しているが、軍事政権は救援物資は受け入れているものの、人的救援はビザの発行を拒否するなどして頑なな態度を取っている。
のみならず、現政権はこれほどの非常事態にあるにもかかわらず、10日に予定された新憲法案の国民投票を強行した。
国民投票
軍事政権は選挙を実施することで、この国でも民主化が進展したことをアピールする狙いを持っているが、肝心の新憲法案の内容とは、まったく笑いたくなるほど軍部に都合がいい内容ときている。

1.大統領は、配偶者に外国の市民権を持つ者がいないことを要件とする。つまり、イギリス人を夫に持つアウン・サン・スー・チーさんの立候補を事実上封じることを狙いにしていることは明らかだ。

2.議会は、議席の4分の1は、国軍司令官が指名する軍人が占めるものとする。また議員の立候補資格は、過去に犯罪歴がないことが要件。これは、民主化運動をした者の立候補を封じる目的があるもの。

3.憲法改正には議員の75%の賛成が必要とする。軍人議員が25%を占める議会では、これにより実質的に憲法改正は困難になる。

4.非常事態には、全権を軍司令官に委譲することができる。

以上を見ただけでも、いかにこの憲法案が軍部に都合よく作られたものであるかということがわかる。

ビルまでは今、多数の死亡者が出ただけでなく、救援物資が行き渡らないことから飢餓的状況が発生している。またインフラが破壊されたことで衛生上の問題も深刻化している。
多くの国民が家族を失い、飢えに苦しみ、伝染病の恐れにおののいているというのに、軍事政権は陳腐な憲法案を提出し、20年ぶりに行われる選挙だといって民主化をアピールしようとしているのだ。

だれが見ても、この軍事政権による国の運営は滅茶苦茶だということは明らかであり、このままではビルマという国そのものがやせ衰えていくのではないかと思いたくなる。
それでも軍事政権が強気でいられるのはなぜか。
それは、後ろ盾に中国がいるからだ。

軍事政権と強い結びつきを持っている中国は、以前からこのデタラメな政府を厚く援助してきた。その見返りとして中国は、軍事的にビルマを利用する権利を得てきたのだ。
中国は、今回のサイクロン被害に対する援助では、国際社会からの厳しい目が向けられていることから突出した援助をせずに様子見をしているが、軍事政権からすれば、中国がついていてくれるかぎりはいくらでも悪逆非道なことをしても許されるという思い上がりがある。

かくして、国民から見れば「クソ食らえ」な新憲法案は、圧倒的多数で可決されることになる。
それは当たり前だ。
サイクロンに生活を木っ端微塵に打ち砕かれた国民は投票どころではなかったろうし、よしんば投票しようと思っても、軍部による厳しい監視の目が光っていて、とても反対票など投じることはできないからだ。

憎むべきはサイクロン以上に、長きにわたって国民を苦しめ続けている軍事政権である。
そして、その政権をバックアップしている中国である。

日本国民は、せめてこれからは、あの国のことを「ミャンマー」などと呼ばずに「ビルマ」と呼ぶことにしたらどうだろう。
そして、クソ食らえな政府を支援している共産党独裁政権国家の中国で開かれるオリンピックを拒否したらどうだろう。

私は民主主義がいちばんすぐれた体制だとは必ずしも思わない。
政治はどんな体制であれ、国民に夢と希望を与えるものでなければならないと思っており、それを実現する可能性が、今のところいちばん高いのが民主主義体制だと思うから、これを支持している。

だから軍部という、一部の人間と組織だけが利権を握り、ひたすらその利潤を追求していくという体制は許し難いと思う。いつかは救われる日が来ると大衆に幻想を抱かせる共産主義やカルト宗教よりもひどいといっていいかもしれない。

しかし、振り返ってみれば、今の日本もまた、一部の政治家と企業だけが利権を握り、利潤を追求していることに変わりはないのではないか。
日本は、軍部でこそなかったが、自民党(と公明党)という恣意的な政治を行う集団に長らく苦しめられている。

ビルマでの民主化を応援するとともに、日本における自公政権の打破に、われわれはこれからも真剣に取り組んでいかなければならないと思う。


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関連タグ : ミャンマー, 軍事政権, 中国, サイクロン, 民主化,

オカメのピーチは、順調に成長している。
ピーチ

羽もだいぶ伸びてきたし、一昨日あたりから羽ばたく練習を始めた。
立ち上がってちょこちょこ歩き始めるようにもなってきた。

首を伸ばしてあたりを興味深そうに見回している姿がなんとも可愛い。

でも、心配事もでてきた。

この頃、餌を与えても食べることに集中してくれない。どうも気が散ってしまうようで、スプーンで与えても二口三口で口を閉じ、あとはイヤイヤをするばかり。
食べてくれなきゃ、大きくなれないよ、ピーチ君(いちおうオスらしい)。

もうひとつは、昨日から急に気温が下がってしまい、風邪を引かないかと心配。
一応、セキセイインコで使ってたヒーターを入れてやったけれども。
大丈夫か?

寒いと言えば、2階の仕事部屋にいるパールも風邪を引かないか心配だ。
ホームセンターに行って、もうひとつヒーターを買ってくるべきかな?
それともケージを毛布かなんかで覆ってやればいいのだろうか。

こういう中途半端な時期に冬のような寒さに戻るなんて、今年もなんだか天候不順の年になりそうな気配だ。
ビルマ(ミャンマーじゃないよ!)では大型サイクロンが大被害をもたらしているし。

それにしても、軍事政権というのはどうして非人道的になるのだろう。
北朝鮮、中国などの独裁政権の国も上層部は潤っても国民は疲弊している。この両国もまた、非人道的な政策をとって国際的に非難されているわけだが、なぜなのだろう。
「われわれを信じていれば、明日は極楽のように素晴らしい国家ができるのだ。それまで民はすべからく苦難に耐えよ」――共産主義がまだ信じられていた頃は、こういう理屈が通っていたのだろうけれど、今は誰もそんなこと、信じちゃいないはず。
それなのに、なぜ、かくも非人道的な振る舞いを彼らは自国民に対して行うのだろうか。
それがわからん。

オカメインコの適正な飼い方と同じくらい、わからん。

だれか教えてくれ。
などと、まあ。。。。
なんだか素朴な疑問が湧いてくる、寒い日曜日なのだ。

関連タグ : オカメインコ, 天候不順, 軍事政権, 独裁政権, 非人道的,

胡錦涛が来た、死んだパンダの代わりに新しいのを2頭貸してくれると言ってきた。
今回の5日に渡る訪日で、これ以上の意義があったのか。

昨日は胡錦涛早稲田大学を講演に訪れた。
外務省による招待だったらしいが、なぜ、こともあろうに早稲田大学が選ばれたのか。
早稲田大

早稲田とは、今でこそ廃れつつあるが、ながく在野精神と権力に対する旺盛な批判精神を学風として受け継いできた大学だ。
それが昨日は、中国主席が訪れるとあって、チベットの自由を訴えるチベット人やそれに賛同する日本人、いや、何も関係のない日本人まで隊列を組んだ警察によって排除されてしまった。

早稲田大学は、このようなことを断じて許すべきではなかった。
警察の力を頼みにするようなことをすべきではなかった。
客寄せパンダのように自学の学生でもある福原愛を使ってパフォーマンスをすべきではなかった。

昨日の一事で、早稲田の誇りは微塵に散ってしまった。

中国は、いったい日本で何をやろうとしているのか。前哨戦は長野で行われた聖火リレーにあった。
あのとき、リレーの沿道には中国政府によって招集された中国人グループが群れを作り、チベット人や日本人は沿道に近づくことも許されなかった。中国政府がそれを要請し、日本は警察を動かしてそれに応えたのだ。
かくして長野の聖火リレーは、これが日本かと見まがうような、中国国旗と赤いシャツを着た応援団でいっぱいになった。
現場では、中国人とチベット人との「小競り合い」があったと報じられたが、事実は中国人による暴力がふるわれたのであり、警察はそれを見て見ぬふりをして通した。
あの時逮捕されたのは中国人はゼロで、チベット人と日本人だけだった。中国と日本政府にとっては、中国人の逮捕者を出してはならなかったのだ。

中国は北京オリンピックを単なる平和の祭典、スポーツの祭典だなどとは考えていない。
国威発揚の場であり、広がりつつある新自由主義をさらに徹底させることを狙いとしている。
だから、わざわざ聖火をエベレストの頂上まで持って行くという愚挙を平気でやってのけ、その様を世界に配信した。現場にはチベット人も動員されていたが、周囲は関係者以外きびしく排除され、ものものしい警備の中で「儀式」が行われた。
中国は北京オリンピックを成功させなければ、国の威信が損なわれ、市場経済の価値を低めることになってしまう。だから必死なのだ。

早稲田大学大隈講堂で行われた講演で、胡錦涛は日中が互いに脅威ではないことを訴えた。
けれども、中国という国は、国民が中華思想を持ち続けているかぎり、そして一党独裁体制が続くかぎり、世界にとっての脅威であり続ける。日本にとっては北朝鮮と同様、困った隣人であり続ける。

昨日の講演会には、中国シンパの学生と中国関係者しか入場を許可されなかったそうだ。一般の学生は、警察隊によって遠くに追いやられ、学校周辺では商店がシャッターを閉めさせられた。
そういうことをやらせておいて、何が「脅威ではない」だ。

福田康夫胡錦涛の卓球を戦略的と褒めちぎったが、日本の外交は常にその場限りの戦術さえろくになく、ただ膝を屈して卑屈に笑ってみせるだけだ。そうでなければ、ギョウザ問題でもっと強い言葉を発すべきだったし、東シナ海ガス田開発では日本の立場を主張すべきだった。チベット問題についても、中国の人権問題と絡めて意見するべきだったのだ。戦略的に見て、今回もまた日本は非常にまずい外交をやってしまったと思う。
胡錦涛と福田
5日間も滞在して胡錦涛がやろうとしていることは、詰まるところ、中国側の圧力を日本のすみずみにまで浸透させることであり、北京オリンピックのチケットをちらつかせながら広告代理店やスポンサーが意のままに動くことを確認しようとしていることなのだ。
その証拠に、胡錦涛は自分に都合の悪いことは何一つはっきりさせずにいるではないか。

今回の胡錦涛来日は、日本の外交史にまた新たな失敗と屈辱に満ちたページを付け加えただけで終わる。日本の国民の利益になることは、高額の代金を請求されながら恭しく借りることになるパンダ様がやってくることくらいだ。
まったく笑止な話で、涙が止まらん。
私は、この1~2ヵ月で、五星紅旗を見ると反吐が出そうになる癖がついてしまった。
五星紅旗

それにしても。
期待どおり、外交手腕のなさをさらけ出した福田康夫
胡錦涛が来てもシッポを振りながら指をくわえてみているだけの自民党。
ホンマにしようもない奴らだね。


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一昨日わが家にやってきたオカメインコの赤ん坊、ピーチ。

1日5回、3時間おきに授乳食を小さなスプーンで食べさせて、今のところ順調にいってます。
食欲も旺盛。相変わらずガーッ、ガーッといいながら食べてます。
ホラ、
だいぶ、鳥らしくなってきたでしょ。
鳥らしく


さすが、ヒナの成長は早いです。

でも、オカメはヒナのうちは飼育が難しいともいわれているので、これからも要注意です。

早く大きくなって、パールの友だちになっておくれよー。

関連タグ : オカメインコ、ペット,

ああ、なんてこった。

実はブリーダーさんにオカメインコの相棒をということで、若鳥を1羽くださいとお願いしていたのだ。

「じゃあ、ヒナの状態を見て、1週間くらいで送ります」

ヒナ?

大丈夫なのか?>俺

母鳥の役なんかやったことないぞ。
で、ブリーダーさんに聞いてみた。

「大丈夫です。何かあったらすぐ電話下さい。私が教えてあげるから」

そうか。。。そんじゃ、やってみるか。

と思っていたら、今朝のこと。

「ガーッ、ガーッ!」
と壊れたスピーカーのような音がする段ボール箱が届いた。

なんじゃ?
と思ったら、中に入っていたのがこれ↓
ピーチ

ほんとにヒナじゃん。羽も生えそろってないし。

どひゃー。仕事でテンパッてるときに育児かよ。

でも、仕方ないです。
やります、私。
生き物係ですから。

というわけで、新しい家族が思いがけず早く来てしまったというお粗末。

名前はピーチに決めました。

早く大きくなるんだぞ-。

去年の暮れにブログというものを始めて、まだ5ヵ月にも満たないが、なんとかここまで続けることができた。
これも拙いわが記事を読んで下さるみなさまのおかげと言うしかない。

訪問者の数もいつの間にか10000を超え、ブログランキングでもFC2の社会部門では1位を頂戴している。

畏れ多いことである。

これからも、なんとかこのペースで書いていけたらと思う。

みなさま、どうかこれからもよろしくお願いします。

と書いた尻から申し訳ないのだが、
今日は、というか今週は、原稿を書く仕事が煮詰まっているので、エントリの更新が少なくなるかもしれない。

平にご容赦を。
映画「靖国 YASUKUNI」が東京で公開され、満員の盛況だったようだ。
どちらかといえば地味な部類に属するドキュメンタリー映画が、これほど注目を集めた背景には、やはり稲田朋美ら自民党の右派議員による「事前検閲」問題が注目されたからだ。この映画の出来映えがどんなものなのか、地方に住む私には見ることができないのがなんとも残念だが、今回の映画は、結局のところ、稲田らが考えている「愛国心」の概念に中国人監督の手になるドキュメンタリー作品がいたく刺激を与えたことが、ことの発端だったように思われる。

ここで問題となる愛国心だが、稲田自身は愛国心を教育問題と絡めて「国を救うには真のエリート1万人が必要であり、その真のエリートとは、いざというときに祖国のために命を捧げる覚悟のある者のことである」という考えを持っている。だから日本は、これら真のエリートを育てるための教育をしていく必要がある、というわけだ。
私からすれば、なんとも鼻持ちならない選民思想であり、半世紀以上も前に日本全国で教育され、その過ちが戦争に結びついた類の愛国心が、今も稲田の心を占めているものだということがわかる。
彼女にしてみれば、靖国神社は祖国のために命を散らした英霊が祀られている神聖な場所であり、反日感情の持ち主かもしれない中国人監督などが、カメラを携えて足を踏み入れること自体がけしからんというのが、本音なのではないか。

この映画の問題にかぎらず、愛国心というものがクローズアップされる場面が近頃やたらと目につくようになっており、それが私の心をむずむずとさせ、居心地悪く感じさせることになる。

たとえば中国政府が行っている聖火リレーだ。
聖火そのものは平和の祭典のシンボルであり、世界融和のメッセージを伝えながら各地をリレーしていくというのが建前になっている。
しかし、今回の聖火リレーでは、自由独立を主張するチベット自治区の人々とオリンピック成功を願う中国人たちとが「愛国心」をむき出しにして対立し、各地で衝突した。
その様子を見るにつけ、また映画「靖国 YASUKUNI」の問題を思い出すにつけ、「愛国心」とは何だろうと考えてしまう。

日本の国家は「君が代」ということになっているが、日本人の中には、今もこの歌に対するアレルギーを持っていて、素直に歌えない人がいる。戦争の時に天皇を賛美する歌として歌われ、「君が代」とともに命を落とした人を思うと、歌う気になれないのだ。
私たちが小学生の頃に習った「君が代」は、やはり天皇である「君」の世が、幾久しく続くようにと願ったうただという、歌の意味を教えられた記憶がある。

ところが、私の娘の世代になると、「君が代」とは母親が子どもの成長を願った歌だと教えられたのだという。さざれ石という小さな石が次第に大きくなって成長し、やがて苔がむすほどまで長生きをすることを願うのだと。

私たちが習った「君が代」は、どちらかというと戦前から伝わってきた、国家賛美の歌としての「君が代」であり、「天皇陛下万歳」という言葉とともに玉砕した日本兵の姿を連想させずにおかない。
だから、私は「君が代」を歌うことに消極的である。
サッカー日本代表が国際試合をするときには必ず試合前に「君が代」が歌われ、試合中にはサポーターたちが「君が代」を歌って応援する。
あるいは、オリンピックで日本選手が金メダルを取ると、その授賞式で「君が代」が吹奏されて観客は、テレビの前に陣取っている人々もふくめて感動することになっている。
サポーターが声援を送り、オリンピックの観客が涙をながすときの「君が代」は、いったいどちらの意味の「君が代」なのだろうか。

今も「君が代」という歌に対して消極的な気持ちを持っている私などは、とてもお母さんが子どもの成長を願って歌っている歌だとは思えないから、好きなサッカーでもサポーターと一緒に熱狂することはないし、オリンピック授賞式で感涙にむせぶこともまずない。
私はどうしても「君が代」に対しては素直になれないのだ。
子どもに対してそれまでとは異なる意味合いの歌として教える教育=国のダブルスタンダードが嫌らしいと思うからなおさらだ。

稲田朋美のような人間は、「君が代」が大好きだろうし、祖国のためを思って犠牲になることも厭わないエリートたちには「君が代」斉唱を教え込むのが当然と考えていることだろう。この場合の「君が代」はもちろん、お母さんが子どもを思って歌うものとは違った意味の「君が代」だ。
しかし、祖国のために命を捧げる覚悟のあるエリートを養うだなんて、それだけで鳥肌が立ちそうだ。
どうして「愛国心」は「命を捧げる」ことに結びつきやすいのだろう。
どうして「愛国心」は、それをむき出しにすることで争いを生むのだろう。

「愛国心」とは、つくづく厄介なものだと思う。
私とて、自分の国を思う気持ちはある。だが、その気持ちはこの国を暮らしにくくしている悪政を行う者に対する怒りとして発露されるものだ。
お国のために命を捧げますなどとは、今の日本では、ゆめゆめ思うことはない。


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関連タグ : 愛国心, 君が代, 聖火リレー, オリンピック,

わが家のいちばん新しい家族、オカメインコのパールがやってきて、ちょうと1週間が過ぎた。

あまりに増えた鳥を減らしたいとのことで、飼い主さんから譲り受けたものなのだが、たくさんの鳥と一緒に育ったせいか、人に慣れていない。
私は知らなかったが、こういう鳥を「荒鳥」というのだそうだ。
それでも飼い主さんは「一応、手乗りに近いことはする」とおっしゃっていたけれど、今のところはまったくその気配がない。

まあ、お互い気長に慣れていくしかなさそうだ。

それでも1週間前は、私が近づくだけで怯えてバタバタし、2日間も餌を食べずに止まり木に固まっていたのが、3日目には床にばらまいた餌を拾って食べるようになり、甲高い声で「ピィーッ」と鳴くようになった。4日目には見た目にも落ち着いてきて、よく鳴き声を上げるようになった。
そして5日目には、ようやく餌箱から餌をついばむようになった。

上々の進歩である。

あとは人間の手から餌を食べるようになってくれれば、そのうち腕とか肩に乗ってくれるようになるかもしれない。

ところで、私はオカメインコというのははじめて飼ったのだが、いろいろと面白いところがある鳥だということがわかってきた。

なにが面白いって、鳥のくせしてしじゅうボーッとしているのである。
↓ドン・キングみたいな顔してるパール。
パール

パールの鳥かごは、私の仕事部屋にあり、私はいつも背を向ける形で仕事をしている。
後ろでカサコソ音がしているときは、パールがカゴの床を歩いている音で、パリパリいっているのは餌をついばんでいる音だとわかる。

で、なーんにも音がしないので、振り返ってみると、パールは眠るでもなくじっとしている。
その様子が、いかにもボーッと遠くを見ているようでおかしい。
ためしに「パール」と呼んでみると、ハッとしたように首を動かす。

変な奴。

今日などは、午前中いっぱい鳴くのも忘れたようにボーッとして、ときどき私の足下にころがっているワンコたちを見下ろしていた。

何を考えてるんだろ。

これで言葉でも覚えてくれればいいんだけどな。
まあ、それはこれからのお楽しみとして。

もしかすると、来週あたり、また家族が増えるかも。
それはまた、その時にご報告ということで。

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昨日のエントリで、やや自虐的に「パンダなんかいらねえよ」と書いたところ、なんとまあ、東京都知事の石原慎太郎センセイが、大まじめで「パンダなんかいらないんじゃないの」と言っていたのを知ってビックリだ。
こんなところでセンセイと意見が同じになるとはね。

しかしマジな話で、私は中国に毎年1億だかのレンタル料を払ってまで上野にパンダを置く意味がどれだけあるのか、理解に苦しむ。
福田康夫は胡錦涛とパンダのことを話題にするらしいが、今はパンダどころじゃねえだろ、というのが率直な気持ちだ。いいじゃないか、パンダは中国の山の中で守られていけば。どうして無理に引き連れてきてさらし者にする必要がある?
これはパンダが可愛らしくて希少動物であるとはまた別次元の問題だ。

さて、本日5月3日は憲法記念日だ。
これまで憲法記念日と言えば、朝日新聞阪神支局の襲撃事件とセットになって、第9条が話題になることが多かったが、今年は少々趣が違うようだ。
朝日新聞の社説を読むと、世論調査で改憲論に賛成する者を反対する者が大きく上回ったことを踏まえたうえで、実は憲法9条よりも重大な問題として国民の生存権をうたった憲法25条の重要性を取り上げている。

これはもっともな話で、これだけ社会格差が広がり、非正規雇用労働者が増えて雇用の不安が増大し、明日をも知れぬ生活を強いられる人が増えている現状で、もっとも重要なものは「すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」とした25条の精神をいかに守るかと言うことにある。
ことに今は非正規雇用労働者だけでなく、年金で暮らす老人や生活保護で暮らす人々の生活が、自公政権による悪政で脅かされている現実がある。
朝日新聞の「声」欄には、「生存権を失う貧しい母子ら」と題する一文が載っている。これによると、今、生活保護を受けている北海道の母子家庭の母親9人が、子ども一人について月2万円支給される母子加算が縮小・廃止されることに対して裁判を起こしているという。詳細な事情はわからないが、子どもを抱え女手一つで生活を支えて行くには、今の社会は厳しすぎる。この人たちにとって救いの手は生活保護しかないとしたら、その縮小・廃止は生存に関わる問題だろう。
ここにも政治による弱者への冷酷な仕打ちが見て取れる。投稿者は、この現実に、すべての国民に生存権を保障している憲法25条が、ただの絵に描いた餅になっているのではないかと憤っている。

しかし今、心配なのは生活保護を必要としている困窮者だけに限ったことではない。今は普通に暮らしている人も、明日、明後日にはその生活が脅かされる可能性がある。それは多くの老人たちに天災のように降ってわいた後期高齢者医療制度の実施を見ても明らかだ。
農政の失敗により経営難に追い詰められている多くの農家。そして生活物資の相次ぐ価格上昇で生活を切り詰められることを余儀なくされている多くの国民。

こうした事態が次々と明らかになって国民が悲鳴を上げているというのに、今の政府はただ忍耐を要求するだけだ。
これを許しておいていいのだろうか。
すべては政府が憲法25条の精神を軽んじ、目先の利益を追うことだけに汲々としてきたツケが今まわってきたものを、国民に押しつけているのが自公政権のやり方だ。
私はガソリン価格が上昇した1日、「われわれも苦渋の決断をした」と言った福田康夫の顔を見て、また「地方の痛みはわれわれがいちばんよくわかっている」と街頭演説していた公明党の太田昭宏の顔を見て、反吐が出る思いだった。何が決断、何がわかっている、だ。彼らはほんとうに大切なことは何も決断できず、何もわかっていないから、こんな社会になっているのではないか。

われわれは今日、あらためて憲法25条に書かれている言葉を噛みしめ、その精神をもういちど肝に銘じて、現政権と対峙していかなくてはなるまい。


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