◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
今朝の朝日新聞には、「硫化水素自殺やめて」という記事が載っていた。同紙の調べによると、硫化水素による自殺と見られる死者数は4月に入ってから29日夕方までに少なくとも59人にのぼっているという。全体の8割が男性で、20〜30代が目立つのが特徴だ。
なんとも困った事態だ。
硫化水素という毒ガスを使って周囲を巻き込む可能性がある死に方が流行したのも困ったことだが、簡単に自殺できる方法があるとなると、こうまで簡単に自殺をする人が増えるということがいちばんの問題だと思う。
硫化水素で死のうとする人は、「毒ガス危険」といった貼り紙をして、最後のダイング・メッセージを残している場合が多い。それは周囲を巻き込みたくないという最後の思いやりなのか、それとも自分の存在に気づいてほしいという願望の現れなのか。
同紙には、夜回り先生こと水谷修氏のコメントが出ている。
「命は君のものですか? 生きたくても病気で死んでいく子どもがいる。戦争で命を奪われた人たちがいる。そんな多くの人から受け継いだ命の糸を絶やさないでほしい」「硫化水素自殺は多くの周りの人にも迷惑どころか命の危険すら与えている。考えてください。明日は必ず来る」
ごもっともな意見で、私などには反論のしようもないところだ。
しかし、同じ朝日新聞の一面では、雇用に恵まれなくて全財産が100円しかないという男性が紹介されている。彼は都内の有名私立大学を卒業したが浪人と留年を重ねているうちに30歳になった。このとき、世間は就職氷河期まっただ中。男性は派遣労働者として働き続けたが、面接をいくら受けても正社員にはなれない。そのうち、面接すると「どうして職をそんなに転々としているのか」と聞かれるようになった。結局、派遣労働者で食いつなぐしかない者が、まじめに働いて正社員になろうとしても、派遣労働者の経験そのものが足かせになって正社員にはなれないのだ。
派遣労働者として働いても賃金は安く保障は低い。給料をもらってもさまざまな名目の天引きがおこなわれて手元に残るのはわずかばかりだ。
こうした悪循環がかさなって、ついには所持金が100円にまでなってしまったというわけだ。
典型的なワーキングプアである。
今、こうしたワーキングプアが、男女を問わず全国に増えている。
真面目に働いても働いても、余裕ができない。暮らしていけない。希望が持てない。
そう、今の日本社会では、べつに悪いことをしているわけでもなく、真面目に生きて行こうとしている人が希望を失い、生きて行くことが困難になっているのだ。
夜回り先生は自殺者を諫めて言う。
「もう一度考えてください。明日は必ずくるのだから」
しかし、ワーキングプアにとっては、その明日もまた絶望に満ちているのだ。生きていることに喜びを見出すことができないのだ。
この状況を見て、どうして一方的に自殺者を責めることができるだろう。
「生きてさえいれば、必ずいいことがある」
それは慰めにはなるかもしれないが、困窮者にとっては、そのいいことは今、この瞬間にも起こらなければ立ちゆかないのだ。
この現実をどうすれば解決できるのか。
それは政治に頼むしかない。
しかし今、腐りきった自民党と公明党は、暫定税率がなければ死んでしまうようなことを言って税率回復の決議をしようとしている。
決議をして道路が造れるようになって、いったいどれだけの人間が救えるようになるのか。
自民も公明も、本当に救わなければならない人々がいるというのに、そちらには目を向けようともしない。彼らは明き盲同然だ。
今日、衆議院で暫定税率の回復が、相変わらずの数の論理で可決され、明日からガソリンがリッター160円になろうとしている。
私は、そろそろ日本国民も黙ってはいられなくなってきていると思うのだが、いかがなものだろうか。
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なんとも困った事態だ。
硫化水素という毒ガスを使って周囲を巻き込む可能性がある死に方が流行したのも困ったことだが、簡単に自殺できる方法があるとなると、こうまで簡単に自殺をする人が増えるということがいちばんの問題だと思う。
硫化水素で死のうとする人は、「毒ガス危険」といった貼り紙をして、最後のダイング・メッセージを残している場合が多い。それは周囲を巻き込みたくないという最後の思いやりなのか、それとも自分の存在に気づいてほしいという願望の現れなのか。
同紙には、夜回り先生こと水谷修氏のコメントが出ている。
「命は君のものですか? 生きたくても病気で死んでいく子どもがいる。戦争で命を奪われた人たちがいる。そんな多くの人から受け継いだ命の糸を絶やさないでほしい」「硫化水素自殺は多くの周りの人にも迷惑どころか命の危険すら与えている。考えてください。明日は必ず来る」
ごもっともな意見で、私などには反論のしようもないところだ。
しかし、同じ朝日新聞の一面では、雇用に恵まれなくて全財産が100円しかないという男性が紹介されている。彼は都内の有名私立大学を卒業したが浪人と留年を重ねているうちに30歳になった。このとき、世間は就職氷河期まっただ中。男性は派遣労働者として働き続けたが、面接をいくら受けても正社員にはなれない。そのうち、面接すると「どうして職をそんなに転々としているのか」と聞かれるようになった。結局、派遣労働者で食いつなぐしかない者が、まじめに働いて正社員になろうとしても、派遣労働者の経験そのものが足かせになって正社員にはなれないのだ。
派遣労働者として働いても賃金は安く保障は低い。給料をもらってもさまざまな名目の天引きがおこなわれて手元に残るのはわずかばかりだ。
こうした悪循環がかさなって、ついには所持金が100円にまでなってしまったというわけだ。
典型的なワーキングプアである。
今、こうしたワーキングプアが、男女を問わず全国に増えている。
真面目に働いても働いても、余裕ができない。暮らしていけない。希望が持てない。
そう、今の日本社会では、べつに悪いことをしているわけでもなく、真面目に生きて行こうとしている人が希望を失い、生きて行くことが困難になっているのだ。
夜回り先生は自殺者を諫めて言う。
「もう一度考えてください。明日は必ずくるのだから」
しかし、ワーキングプアにとっては、その明日もまた絶望に満ちているのだ。生きていることに喜びを見出すことができないのだ。
この状況を見て、どうして一方的に自殺者を責めることができるだろう。
「生きてさえいれば、必ずいいことがある」
それは慰めにはなるかもしれないが、困窮者にとっては、そのいいことは今、この瞬間にも起こらなければ立ちゆかないのだ。
この現実をどうすれば解決できるのか。
それは政治に頼むしかない。
しかし今、腐りきった自民党と公明党は、暫定税率がなければ死んでしまうようなことを言って税率回復の決議をしようとしている。
決議をして道路が造れるようになって、いったいどれだけの人間が救えるようになるのか。
自民も公明も、本当に救わなければならない人々がいるというのに、そちらには目を向けようともしない。彼らは明き盲同然だ。
今日、衆議院で暫定税率の回復が、相変わらずの数の論理で可決され、明日からガソリンがリッター160円になろうとしている。
私は、そろそろ日本国民も黙ってはいられなくなってきていると思うのだが、いかがなものだろうか。
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いまや日本は、どこを向いても「値上げ」「値上げ」だ。
食料品、乳製品の値上げ、小麦の値上げ、それに今度は電気、ガスも大幅な値上げが決まった。
そして政府は30日に暫定税率を衆院再議決で可決、5月以降はガソリン税に加えて原油高騰による値上がり分もふくめレギュラーガソリンでリッター160円台になりそうな情勢だ。
まえにも書いたが、一度下げた税金を、いかなる理由があれ再び上げるのは新たな増税である。
増税するからには、政府はその理由を国民に納得させる義務があるはずだが、自民党の伊吹文明などは「すでに決まり切ったこと」と、なんの誠意も見せようとしない。
私はもう、ここにきて腐れきった自民党に対して、文句を言う気にもなれずにいる。暫定税率を復活するのなら、今までの無駄遣いも復活するのだろうし、役人の天下り先も未来永劫温存していくつもりなのだろう。
文句は言いたくないが、唾を吐きかけてやりたい衝動に駆られる自民党である。

しかし、私がもっとも腹を据えかねているのは「公明党」の存在だ。
同党のHPを見ると、「生活に直結。政治に直結」というスローガンが出てくるのだが、これはいったいどういうことを意味しているのだろうか。公明党が自民党とともに政権を握ってからやってきたことといえば、自民党の暴走に歯止めをかけるのではなく、その暴走の手助けをすることばかりだった。
今回の暫定税率復活に際しても、公明党はなんら議論することもなく税制関連法案を衆院で再議決する方針を決めている。
これだけ値上げが続き、国民の生活は確実に苦しくなっている状況が明らかになっているというのに、生活に直結、政治に直結しているらしい公明党は、自民党とともにさらなる物価上昇に協力し、すこしでも物価を抑えるような施策のアイデアを出すという気はないようだ。
公明党のHPなど、汚らわしくて長くは見る気もしないのだが、それを我慢してみていると、マニフェスト進捗なる項目があり、そこには「マニフェストの達成度は98%」という文句が誇らしげに書いてある。
いったいどんなマニフェストを達成してきたのか見てみると、たとえば「持続可能で安心できる社会保障制度を構築」という項目では、
・社会保障制度の地方分権改革――前進
・年金制度改革――大きく前進
・基礎年金国庫負担の段階的引き上げ――前進
・新たな高齢者医療制度の実現――進行中
・医療・介護の自己負担軽減の新たな制度の創設――前進
などとなっている。
いかにも公明党は実行力があるといいたそうだが、どれもこれもよく見れば自民党の尻馬に乗って数の論理に加勢しただけのことではないか。「新たな高齢者医療制度の実現」の内容を見てみると、社会保障制度のあり方に関する懇談会や社会保障審議会医療保険部会で検討が進められています、というのが進捗状況で、今後の課題は前期・後期高齢者の負担のあり方など高齢者の実態を踏まえた検討が必要です。となっている。
なんともスカスカの中身である。
公明党はこんな見かけ倒しの文言で「マニフェストの達成度は98%」などと宣言し、政権与党としての責務を果たしていると見せたいところだろうが、どこを見ても心なしかすべての文言は上の空で書かれたように内実が伴っていない。
このような空疎な政党が日本の政治に加わり、与党として悪政を重ねることに協力していることを思うと、心の底から怒りが湧いてくる。
公明党はつまるところ、創価学会の信者たちによる盲信で党の形を見せかけているカルト集団に他ならない。このような集団をいつまでも政党と認めていると、日本人から思考が失われていき、行き着く先は北朝鮮のような独裁政権になるのではないか。創価学会の広報映画を見せられたことがあるが、あれなどはまさに北朝鮮のプロパガンダフィルムと同じで、いちおう政教分離をうたっているものの、この党の本心が池田大作をトップに置く独裁政権を作ることが最終目標であることは間違いないところだろう。
自民党の福田政権は、もはや風前の灯といってもいい状態だが、われわれがほんとうに気をつけておかなければならないのはむしろ、創価学会と公明党が密かに練っている陰謀なのではないかと思えるのである。
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食料品、乳製品の値上げ、小麦の値上げ、それに今度は電気、ガスも大幅な値上げが決まった。
そして政府は30日に暫定税率を衆院再議決で可決、5月以降はガソリン税に加えて原油高騰による値上がり分もふくめレギュラーガソリンでリッター160円台になりそうな情勢だ。
まえにも書いたが、一度下げた税金を、いかなる理由があれ再び上げるのは新たな増税である。
増税するからには、政府はその理由を国民に納得させる義務があるはずだが、自民党の伊吹文明などは「すでに決まり切ったこと」と、なんの誠意も見せようとしない。
私はもう、ここにきて腐れきった自民党に対して、文句を言う気にもなれずにいる。暫定税率を復活するのなら、今までの無駄遣いも復活するのだろうし、役人の天下り先も未来永劫温存していくつもりなのだろう。
文句は言いたくないが、唾を吐きかけてやりたい衝動に駆られる自民党である。

しかし、私がもっとも腹を据えかねているのは「公明党」の存在だ。
同党のHPを見ると、「生活に直結。政治に直結」というスローガンが出てくるのだが、これはいったいどういうことを意味しているのだろうか。公明党が自民党とともに政権を握ってからやってきたことといえば、自民党の暴走に歯止めをかけるのではなく、その暴走の手助けをすることばかりだった。
今回の暫定税率復活に際しても、公明党はなんら議論することもなく税制関連法案を衆院で再議決する方針を決めている。
これだけ値上げが続き、国民の生活は確実に苦しくなっている状況が明らかになっているというのに、生活に直結、政治に直結しているらしい公明党は、自民党とともにさらなる物価上昇に協力し、すこしでも物価を抑えるような施策のアイデアを出すという気はないようだ。
公明党のHPなど、汚らわしくて長くは見る気もしないのだが、それを我慢してみていると、マニフェスト進捗なる項目があり、そこには「マニフェストの達成度は98%」という文句が誇らしげに書いてある。
いったいどんなマニフェストを達成してきたのか見てみると、たとえば「持続可能で安心できる社会保障制度を構築」という項目では、
・社会保障制度の地方分権改革――前進
・年金制度改革――大きく前進
・基礎年金国庫負担の段階的引き上げ――前進
・新たな高齢者医療制度の実現――進行中
・医療・介護の自己負担軽減の新たな制度の創設――前進
などとなっている。
いかにも公明党は実行力があるといいたそうだが、どれもこれもよく見れば自民党の尻馬に乗って数の論理に加勢しただけのことではないか。「新たな高齢者医療制度の実現」の内容を見てみると、社会保障制度のあり方に関する懇談会や社会保障審議会医療保険部会で検討が進められています、というのが進捗状況で、今後の課題は前期・後期高齢者の負担のあり方など高齢者の実態を踏まえた検討が必要です。となっている。
なんともスカスカの中身である。
公明党はこんな見かけ倒しの文言で「マニフェストの達成度は98%」などと宣言し、政権与党としての責務を果たしていると見せたいところだろうが、どこを見ても心なしかすべての文言は上の空で書かれたように内実が伴っていない。
このような空疎な政党が日本の政治に加わり、与党として悪政を重ねることに協力していることを思うと、心の底から怒りが湧いてくる。
公明党はつまるところ、創価学会の信者たちによる盲信で党の形を見せかけているカルト集団に他ならない。このような集団をいつまでも政党と認めていると、日本人から思考が失われていき、行き着く先は北朝鮮のような独裁政権になるのではないか。創価学会の広報映画を見せられたことがあるが、あれなどはまさに北朝鮮のプロパガンダフィルムと同じで、いちおう政教分離をうたっているものの、この党の本心が池田大作をトップに置く独裁政権を作ることが最終目標であることは間違いないところだろう。
自民党の福田政権は、もはや風前の灯といってもいい状態だが、われわれがほんとうに気をつけておかなければならないのはむしろ、創価学会と公明党が密かに練っている陰謀なのではないかと思えるのである。
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この連休中も、みっちり仕事をしなけれならない私は、ようやく天気が安定してきたというのに、暗くじめついている。
なにが、ゴールデンウィークだよ。海外旅行だよ。
今年は50万人が海外に遊びに行くそうじゃないか。
生活に追われ庶民の生活は苦しくなる一方だという論法があるなかで、こういうバカンスシーズンになると、海外旅行だなんだという人々で空港や駅のターミナルは人でごった返す。
ほんとに日本人の生活は苦しくなっているのか?
それともこれが社会格差の現れと見るべきなのか? 羽田や成田から飛び立つ50万人の日本人のはるか下方にある下界では、別次元の貧困に喘いでいる人々がいるということなのだろうか。
テレビの報道を見ていると、ほんとうに社会の姿が見えなくなる。
それはともかく、昨日の山口補選では、前民主党衆議院議員で社民党推薦の平岡秀夫が当選した。
まずはよかった。
この勝利は、相手がノーパンしゃぶしゃぶの常連のスケベおやじで、耐震偽装問題では証拠隠滅をはかり、社会的地位を上げた噴飯ものの候補だったのだから、あたりまえとも考えられる。
山口の有権者たちは、きわめてノーマルな反応をして投票したと思う。

しかし、そのノーマルな反応は、ノーパンしゃぶしゃぶなどに対するものではなく、あくまでも今月から始まった最悪の制度「後期高齢者医療制度」に対する怒りの反応と見るべきだろう。
山口2区の人々は、日本全国民の意志を代表して、自民・公明が推す候補を粉砕して見せたのだ。
この結果を、政府は重く受け取るべきである。
自らが行ってきた悪政を少しでも反省すべきである。
しかし、今の硬直した自民党ではそんな反省もままならないだろう。
ならば、民意が自公政府の思惑に対してノーを突きつけたのだから、内閣は責任をとり総辞職して、こんどは国民全体の真意を諮るべきだ。
そして国民はこんどこそ、自公を倒して民主を中心とする新たな政権を打ち立てるべきだ。
いよいよ自公政権が倒れる日も近いと思うと、暗くじめついている私の心も、少しは晴れてくる。
だが、一方では小泉純一郎が小池百合子、前原誠司と会食し、なにやら話し合ったという情報もある。求心力を失った福田康夫に代わって、次期首相の座を巡る動きがすでに始まっているようだ。
それにしても、小池百合子。

次の自民党総裁には麻生太郎が有力視されているが、そこに小池が立候補することで「日本版オバマ対クリントン」だ、などとはやってほしくないものだ。
これこそパフォーマンス以外のなにものでもなく、馬鹿なマスコミを喜ばせるだけだろう。
そして国民の目を大事な問題から引き離し、いつの間にか問題をすり替えて、ちゃっかり政権を維持しようという腹づもりなのだろうか。
小泉なら考えそうなことかもしれない。
山口補選で民主党候補が勝ったことが、これから政局にどんな影響を与えることになるのか。
また自民党は、どう動くのか。
まずはガソリン税をほんとうに予定通り復活させることができるのか。
今週は、そのあたりを注目していきたいと思っている。
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なにが、ゴールデンウィークだよ。海外旅行だよ。
今年は50万人が海外に遊びに行くそうじゃないか。
生活に追われ庶民の生活は苦しくなる一方だという論法があるなかで、こういうバカンスシーズンになると、海外旅行だなんだという人々で空港や駅のターミナルは人でごった返す。
ほんとに日本人の生活は苦しくなっているのか?
それともこれが社会格差の現れと見るべきなのか? 羽田や成田から飛び立つ50万人の日本人のはるか下方にある下界では、別次元の貧困に喘いでいる人々がいるということなのだろうか。
テレビの報道を見ていると、ほんとうに社会の姿が見えなくなる。
それはともかく、昨日の山口補選では、前民主党衆議院議員で社民党推薦の平岡秀夫が当選した。
まずはよかった。
この勝利は、相手がノーパンしゃぶしゃぶの常連のスケベおやじで、耐震偽装問題では証拠隠滅をはかり、社会的地位を上げた噴飯ものの候補だったのだから、あたりまえとも考えられる。
山口の有権者たちは、きわめてノーマルな反応をして投票したと思う。

しかし、そのノーマルな反応は、ノーパンしゃぶしゃぶなどに対するものではなく、あくまでも今月から始まった最悪の制度「後期高齢者医療制度」に対する怒りの反応と見るべきだろう。
山口2区の人々は、日本全国民の意志を代表して、自民・公明が推す候補を粉砕して見せたのだ。
この結果を、政府は重く受け取るべきである。
自らが行ってきた悪政を少しでも反省すべきである。
しかし、今の硬直した自民党ではそんな反省もままならないだろう。
ならば、民意が自公政府の思惑に対してノーを突きつけたのだから、内閣は責任をとり総辞職して、こんどは国民全体の真意を諮るべきだ。
そして国民はこんどこそ、自公を倒して民主を中心とする新たな政権を打ち立てるべきだ。
いよいよ自公政権が倒れる日も近いと思うと、暗くじめついている私の心も、少しは晴れてくる。
だが、一方では小泉純一郎が小池百合子、前原誠司と会食し、なにやら話し合ったという情報もある。求心力を失った福田康夫に代わって、次期首相の座を巡る動きがすでに始まっているようだ。
それにしても、小池百合子。

次の自民党総裁には麻生太郎が有力視されているが、そこに小池が立候補することで「日本版オバマ対クリントン」だ、などとはやってほしくないものだ。
これこそパフォーマンス以外のなにものでもなく、馬鹿なマスコミを喜ばせるだけだろう。
そして国民の目を大事な問題から引き離し、いつの間にか問題をすり替えて、ちゃっかり政権を維持しようという腹づもりなのだろうか。
小泉なら考えそうなことかもしれない。
山口補選で民主党候補が勝ったことが、これから政局にどんな影響を与えることになるのか。
また自民党は、どう動くのか。
まずはガソリン税をほんとうに予定通り復活させることができるのか。
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あたらしい家族が、また増えた。
実はわが家にコザクラインコがやってきたとき、私はオカメインコの愛らしさにも惹かれてしまったのだ。
くるんとカールした冠羽(トサカ)に愛嬌のあるほっぺたの斑点。
コンパニオンバードと呼ばれるらしく、人にとてもなついて寄り添って生きることが好きな鳥だという。
でも、その反面、雛から育てるのは難しいらしく、一人前になって自分でエサが食べられるようになるまでに死んでしまうことが少なくないそうだ。
こりゃ、私には向いていない。
そう思って一度は諦めた。私には雛につききりで面倒を見る自信はないし、そのうえペットショップで売っているヒナは、けっこうなお値段がしていた。
そこで私は、ネットで調べてみることにした。
すると、ネットには里親募集の掲示板がたくさん出ていた。多くはヒナを譲るというものだったが、そのなかで生後1年くらいの成鳥を譲ってくれるという人がいて、私はメールを送ってみた。
すると翌日返事が来て、受け取りに来てくれるなら好きなものを選んでくださいという。愛鳥家のその人は、オカメたちが繁殖しすぎてしまい、ただで譲ると言ってくれる。はじめは有料ということだったが、無償で譲るというと、なかにはは虫類のエサにするためにひな鳥をもらいにくる人間がいるのだそうだ。
もちろん、私の場合はコンパニオンバードとして、あわよくば肩に止まってもらい、頬ずりでもして仲良くしたいと思っている。その人は、タダで差し上げますと言ってくれた。
それが先週はじめのことで、私はその後、オカメインコ用の少し大振りなケージを購入したり、準備万端整えていた。
そして昨日。
茨城まで車で行き、Mさんというその人を訪ねると、彼は腕に立派なオウムを乗せて現れた。真っ白なそのオウムは石像のように美しくて貫禄があり、羽がツヤツヤしている。私とカミサンがオウムの姿に見とれていると、Mさんがオカメインコが5、6羽も入ったケージを持ってきてくれた。
あらかじめ、電話でオスがいいと伝えておいたので、オスだけを集めてくれたのだそうだ。オスは歌うのが好きで、口笛などにあわせてよく歌ってくれるというのだ。
白や黄色やグレーの鳥がいたが、私たちが一目で気に入ったのは顔がまっしろで羽にグレーの斑模様がある一羽だった。ほっぺたにオカメマークはなかったけれど、なんとも気品のある姿をしているうえに、カゴに近づくと人なつこく寄ってきてくれた。
あれこれ迷うこともなく「この子にします!」と決めて、ついにわが家にオカメインコがやってくることになった。

帰り道に真っ白な顔と体から「パール」と名付け、ようやく家に帰り着いたものの、新しい家族の到来にワンコどもが盛大な歓迎をしてくれたおかげでパールはすっかり怖じ気づいてしまった。
オカメインコは人なつこい反面、とても臆病で、ちょっとした物音にもいわゆるオカメパニックを起こすという。案の定、パールは家に着いてから2度、3度とパニックを起こしてしまい、とうとうケージの隅に固まったまま動かなくなってしまった。
ヘタに近づくとまったパニックを起こしそうだ。
一夜明けて、私の仕事部屋にいることになったパールは、いまだにフリーズしたままエサも食べようとしない。
ここはしばらく様子見をするしかないか。
パールが気を許し、私の肩に止まって頬ずりしてくれるようになるまではどれだけかかるのだろう。
かまってやりたい気持ちを抑えつつ、しばらくは鳥と私との根比べが続きそうだ。
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実はわが家にコザクラインコがやってきたとき、私はオカメインコの愛らしさにも惹かれてしまったのだ。
くるんとカールした冠羽(トサカ)に愛嬌のあるほっぺたの斑点。
コンパニオンバードと呼ばれるらしく、人にとてもなついて寄り添って生きることが好きな鳥だという。
でも、その反面、雛から育てるのは難しいらしく、一人前になって自分でエサが食べられるようになるまでに死んでしまうことが少なくないそうだ。
こりゃ、私には向いていない。
そう思って一度は諦めた。私には雛につききりで面倒を見る自信はないし、そのうえペットショップで売っているヒナは、けっこうなお値段がしていた。
そこで私は、ネットで調べてみることにした。
すると、ネットには里親募集の掲示板がたくさん出ていた。多くはヒナを譲るというものだったが、そのなかで生後1年くらいの成鳥を譲ってくれるという人がいて、私はメールを送ってみた。
すると翌日返事が来て、受け取りに来てくれるなら好きなものを選んでくださいという。愛鳥家のその人は、オカメたちが繁殖しすぎてしまい、ただで譲ると言ってくれる。はじめは有料ということだったが、無償で譲るというと、なかにはは虫類のエサにするためにひな鳥をもらいにくる人間がいるのだそうだ。
もちろん、私の場合はコンパニオンバードとして、あわよくば肩に止まってもらい、頬ずりでもして仲良くしたいと思っている。その人は、タダで差し上げますと言ってくれた。
それが先週はじめのことで、私はその後、オカメインコ用の少し大振りなケージを購入したり、準備万端整えていた。
そして昨日。
茨城まで車で行き、Mさんというその人を訪ねると、彼は腕に立派なオウムを乗せて現れた。真っ白なそのオウムは石像のように美しくて貫禄があり、羽がツヤツヤしている。私とカミサンがオウムの姿に見とれていると、Mさんがオカメインコが5、6羽も入ったケージを持ってきてくれた。
あらかじめ、電話でオスがいいと伝えておいたので、オスだけを集めてくれたのだそうだ。オスは歌うのが好きで、口笛などにあわせてよく歌ってくれるというのだ。
白や黄色やグレーの鳥がいたが、私たちが一目で気に入ったのは顔がまっしろで羽にグレーの斑模様がある一羽だった。ほっぺたにオカメマークはなかったけれど、なんとも気品のある姿をしているうえに、カゴに近づくと人なつこく寄ってきてくれた。
あれこれ迷うこともなく「この子にします!」と決めて、ついにわが家にオカメインコがやってくることになった。

帰り道に真っ白な顔と体から「パール」と名付け、ようやく家に帰り着いたものの、新しい家族の到来にワンコどもが盛大な歓迎をしてくれたおかげでパールはすっかり怖じ気づいてしまった。
オカメインコは人なつこい反面、とても臆病で、ちょっとした物音にもいわゆるオカメパニックを起こすという。案の定、パールは家に着いてから2度、3度とパニックを起こしてしまい、とうとうケージの隅に固まったまま動かなくなってしまった。
ヘタに近づくとまったパニックを起こしそうだ。
一夜明けて、私の仕事部屋にいることになったパールは、いまだにフリーズしたままエサも食べようとしない。
ここはしばらく様子見をするしかないか。
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かまってやりたい気持ちを抑えつつ、しばらくは鳥と私との根比べが続きそうだ。
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実をいうと、今、私は深い疲労と徒労感に襲われて、一種虚脱状態にある。
私は今、ある本の制作に関わっており、その下準備の原稿を400字にして300枚ちかく書いていた。
そのうちの3分の1ほどが、24日から25日にかけて忽然とパソコンから消えてしまったのである。
もちろん、ファイル名をつけて保存しながら書き続けていた。
やれやれ疲れたと一休みすることにして、いったんパソコンのスイッチを切った。
それがいけなかったのだろうか。
次にパソコンを立ち上げて、さて続きを書き始めようと思ったところ、保存しておいたはずの文書がどこにも見あたらないのだ。
一瞬、頭から血の気が引いた私は、パソコン全体に検索をかけたが目指す文書はやはり出てこない。見つかったのは、24日に作業を始めたときの、書きかけの原稿だけだった。
私はそれこそ、パソコンを裏返して見て、消えた文書を探してみたが、デジタル化された文字の羅列には形も質量もない。
つまり肉眼で探したところで、見つかるわけはないのだ。
溜息が出た。いったいどこをどうやって、文書が消えてしまったのか。
昔、DOSベースのワープロを使っている頃は保存を怠ったためにしばしば締め切り前の原稿を消してしまったことがある。パソコンが突然フリーズしてしまって、それまで書いていた原稿が、最初に保存しておいた書き出しの部分を除いて消えてしまったこともある。
デジタルの記号化された原稿は、一種のマジックのうえに成り立っている。マジックなのだから、パッと一瞬で消えたとしても当たり前なのかもしれないが、それまでかけた労力を思うと、私はひたすら悲しく落ち込むしか能がない。
というわけで、一昨日はブログの更新どころではなかった。
昨日も日付が変わるまで原稿を書き直していたので、ブログを書く余力がほとんど残っていなかった。
それでも、自民党政府が30日は衆議院で暫定税率を復活させることを決めてしまったようで、それが我慢ならず、短いエントリを書いた。自公政府に対しては、まだまだ言いたいことが山ほどあるが、昨日の私には「冗談じゃないぜ」と捨て台詞を残すのが精一杯だった。
しかし、私の仕事がどんな状況にあろうと、社会の方ではあとからあとからいろんな出来事が起こって心休まることがない。
昨日、一昨日は硫化水素による自殺者が連続して騒ぎを起こし、松本のサリン事件を彷彿とさせるような光景が見られた。

テレビ、新聞も硫化水素の毒性をあげ、周囲の人を巻き込むような安易な自殺を戒める論調が目立っていた。
報道ステーションの古舘伊知郎などは、ネットでこうした薬物の情報を流すことは殺人幇助にあたるとして、その規制が必要であると、例のごとく眉をひそめて語っていた。
たしかに、ネットで簡単に毒物の知識を得ることができ、それを元に自殺を実行するのは如何なものかと思う。まして関係のない人々を巻き込むような死に方は断じてすべきではない。
それはわかる。当然のことだ。
しかし私は、手段は間違っていたにせよ、自殺を図った人たちが、なぜ死を選ばざるを得なかったのか。そのことをもっと知りたいと思った。
すでに知られている通り、日本ではこのところ毎年3万人以上の自殺者が出ているのだ。これはなんといっても異常な事態で、自殺防止のために何らかの手を打つ必要がある。その「手」とは、死のうとしている人々に希望を与えることに他ならないのだが、残念なことに今の社会は絶望ばかりを国民に与え続けている。
一人浴室に入り、自ら発生させた毒ガスを吸いながら、意識を失っていくまでの間、彼らはどんなことを思っていたのだろう。

マスコミは、硫化水素を使った自殺そのものを伝えるだけで、死んでいった人々のことは伝えようとしない。
しかし、練炭を使った集団自殺にせよ、こんどの硫化水素を使った自殺にせよ、これらが発生した背景には社会に対する絶望があると思えてならない。
古舘伊知郎は、ネットで情報を規制すべきだと言う前に、こうした自殺が生まれる背景に思いをはせ、想像力を働かせて、自殺そのものを減らす努力の大切さを訴えるべきだったと思う。
人はなぜ、自ら死のうと思うのか。
それは社会が、政治がそうさせているということを見逃してはならないと思うのだ。
そんなことを考えつつ、私は、失われてしまった原稿を、ふたたび書き始め、へとへとになって、一瞬「こんな思いをするのなら、死んだ方がましだ」などと考えたりしているところなのである。
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私は今、ある本の制作に関わっており、その下準備の原稿を400字にして300枚ちかく書いていた。
そのうちの3分の1ほどが、24日から25日にかけて忽然とパソコンから消えてしまったのである。
もちろん、ファイル名をつけて保存しながら書き続けていた。
やれやれ疲れたと一休みすることにして、いったんパソコンのスイッチを切った。
それがいけなかったのだろうか。
次にパソコンを立ち上げて、さて続きを書き始めようと思ったところ、保存しておいたはずの文書がどこにも見あたらないのだ。
一瞬、頭から血の気が引いた私は、パソコン全体に検索をかけたが目指す文書はやはり出てこない。見つかったのは、24日に作業を始めたときの、書きかけの原稿だけだった。
私はそれこそ、パソコンを裏返して見て、消えた文書を探してみたが、デジタル化された文字の羅列には形も質量もない。
つまり肉眼で探したところで、見つかるわけはないのだ。
溜息が出た。いったいどこをどうやって、文書が消えてしまったのか。
昔、DOSベースのワープロを使っている頃は保存を怠ったためにしばしば締め切り前の原稿を消してしまったことがある。パソコンが突然フリーズしてしまって、それまで書いていた原稿が、最初に保存しておいた書き出しの部分を除いて消えてしまったこともある。
デジタルの記号化された原稿は、一種のマジックのうえに成り立っている。マジックなのだから、パッと一瞬で消えたとしても当たり前なのかもしれないが、それまでかけた労力を思うと、私はひたすら悲しく落ち込むしか能がない。
というわけで、一昨日はブログの更新どころではなかった。
昨日も日付が変わるまで原稿を書き直していたので、ブログを書く余力がほとんど残っていなかった。
それでも、自民党政府が30日は衆議院で暫定税率を復活させることを決めてしまったようで、それが我慢ならず、短いエントリを書いた。自公政府に対しては、まだまだ言いたいことが山ほどあるが、昨日の私には「冗談じゃないぜ」と捨て台詞を残すのが精一杯だった。
しかし、私の仕事がどんな状況にあろうと、社会の方ではあとからあとからいろんな出来事が起こって心休まることがない。
昨日、一昨日は硫化水素による自殺者が連続して騒ぎを起こし、松本のサリン事件を彷彿とさせるような光景が見られた。

テレビ、新聞も硫化水素の毒性をあげ、周囲の人を巻き込むような安易な自殺を戒める論調が目立っていた。
報道ステーションの古舘伊知郎などは、ネットでこうした薬物の情報を流すことは殺人幇助にあたるとして、その規制が必要であると、例のごとく眉をひそめて語っていた。
たしかに、ネットで簡単に毒物の知識を得ることができ、それを元に自殺を実行するのは如何なものかと思う。まして関係のない人々を巻き込むような死に方は断じてすべきではない。
それはわかる。当然のことだ。
しかし私は、手段は間違っていたにせよ、自殺を図った人たちが、なぜ死を選ばざるを得なかったのか。そのことをもっと知りたいと思った。
すでに知られている通り、日本ではこのところ毎年3万人以上の自殺者が出ているのだ。これはなんといっても異常な事態で、自殺防止のために何らかの手を打つ必要がある。その「手」とは、死のうとしている人々に希望を与えることに他ならないのだが、残念なことに今の社会は絶望ばかりを国民に与え続けている。
一人浴室に入り、自ら発生させた毒ガスを吸いながら、意識を失っていくまでの間、彼らはどんなことを思っていたのだろう。

マスコミは、硫化水素を使った自殺そのものを伝えるだけで、死んでいった人々のことは伝えようとしない。
しかし、練炭を使った集団自殺にせよ、こんどの硫化水素を使った自殺にせよ、これらが発生した背景には社会に対する絶望があると思えてならない。
古舘伊知郎は、ネットで情報を規制すべきだと言う前に、こうした自殺が生まれる背景に思いをはせ、想像力を働かせて、自殺そのものを減らす努力の大切さを訴えるべきだったと思う。
人はなぜ、自ら死のうと思うのか。
それは社会が、政治がそうさせているということを見逃してはならないと思うのだ。
そんなことを考えつつ、私は、失われてしまった原稿を、ふたたび書き始め、へとへとになって、一瞬「こんな思いをするのなら、死んだ方がましだ」などと考えたりしているところなのである。
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政府・与党は30日にも暫定税率を元に戻すべく衆議院で再議決する方針を固めている。
もちろん、採決されればガソリンは値上がりする。
それもガソリン税の25円に原油価格の上昇分が上乗せされて、一気に30円も値上がりするだろうと言われている。
国民の一人として、声を大にして言いたいのは「マジかよ!」の一言である。
税金というものは、誰だって払いたくはない。それでも払わなければならないと決まっているものについては、できるだけ安くしてほしいと思う。
これは当たり前の感情だ。
だから、暫定税率の期限が切れて全国でガソリン価格が値下がりしたときはみんな喜んだのだ。
しかし、30日を境に、政府は元に戻すのが当たり前だと考えている。
国民から見ればそれは元に戻すのではなく、あらたな増税がまたひとつ、肩にのしかかってくると言う感覚だ。
いいのか、衆議院で数が多いからというだけで、自民党と公明党の悪政をこのまま許しておいて。
納得できるのか。
私は物わかりが悪いので、とうてい納得できない。
納得できないのは、自民党が道路特定財源として不可欠だとしているこの税金が、道路だけでなく他の用途、しかも端から見ればムダとしか思えない用途に多く費やされている事実があるからだ。
そのひとつとして、朝日新聞は道路特定財源が、道路担当職員用の宿舎の家賃として07年度だけで約1億3000万円使われていたことを報じている。
これは民主党の村井宗明衆院議員の資料請求により、国土交通省が回答したもので、国交省では道路担当職員用に宿舎を安く提供するために全国で145戸を民間から借り上げ、その費用として1億3000万使った。その費用は職員が支払う家賃で戻されるが、集まった家賃は1971万円ぽっちにとどまったという。1戸あたりの平均家賃は8万7000円だが、職員には約1万1000円で提供していた計算になる。差額はつまるところ、道路特定財源を原資とする金で賄っていたというわけだ。
自民党の議員どもは、ガソリン税がなければ道路ができないとわめき、涙を流さんばかりにして暫定税率を元に戻そうとしていたのではなかったか。
しかし、現実には以上のような使い方をして、道路ではなく職員たちが厚く遇されていたのである。
なあ、こんなことは序の口なんだぜ。
奴らは特定財源をいいように貪って、これからも自分たちだけがおいしい思いをしていきたいだけなんだぜ。
そのために増税されるのを、黙って見ていていいのか?
福田康夫は後期高齢者医療制度で国民から総スカンを食らっているというのに、今度また、ガソリン税復活という増税をして、まだ総理の座に座っていられると思っているのだろうか。そうだとしたら、奴は真性の阿呆だぜ。
いい気になっている自民党と公明党は、どんどん国民の気持ちが離れていっているということに気がついていないのだろうか。
そうだとしたら、奴らはハエ以下の脳みその持ち主だぜ。
値上げ、増税、福祉の切り捨て。
このところ、というかこれからも、国民にとっては辛くて長い試練の時が待っている。
それもこれも自民党と公明党が悪政を続けているからだ。
小泉純一郎と竹中平蔵がぶちあげた改革の尻ぬぐいができずにいるためだ。
どうするよ、八つぁん、熊さん。
マツリゴトはわからねえから、なんていってる時じゃないぜ。
1分でも1秒でも早く、自民党政権が倒れ、カルト集団の公明党は解体されるべきだ。
そのためだったらナンマイダでもナンミョウでも(いや、ナンミョウは駄目か)、何でもいいや、題目を唱えてお釈迦様にもキリストにも日本中の八百万の神様にも、願掛けしてやる。
まずは間近に迫った山口2区の補選で圧倒的に勝利し、自公の横面をひっぱたいてやることだ。
頼むぜ、山口の有権者たち。
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もちろん、採決されればガソリンは値上がりする。
それもガソリン税の25円に原油価格の上昇分が上乗せされて、一気に30円も値上がりするだろうと言われている。
国民の一人として、声を大にして言いたいのは「マジかよ!」の一言である。
税金というものは、誰だって払いたくはない。それでも払わなければならないと決まっているものについては、できるだけ安くしてほしいと思う。
これは当たり前の感情だ。
だから、暫定税率の期限が切れて全国でガソリン価格が値下がりしたときはみんな喜んだのだ。
しかし、30日を境に、政府は元に戻すのが当たり前だと考えている。
国民から見ればそれは元に戻すのではなく、あらたな増税がまたひとつ、肩にのしかかってくると言う感覚だ。
いいのか、衆議院で数が多いからというだけで、自民党と公明党の悪政をこのまま許しておいて。
納得できるのか。
私は物わかりが悪いので、とうてい納得できない。
納得できないのは、自民党が道路特定財源として不可欠だとしているこの税金が、道路だけでなく他の用途、しかも端から見ればムダとしか思えない用途に多く費やされている事実があるからだ。
そのひとつとして、朝日新聞は道路特定財源が、道路担当職員用の宿舎の家賃として07年度だけで約1億3000万円使われていたことを報じている。
これは民主党の村井宗明衆院議員の資料請求により、国土交通省が回答したもので、国交省では道路担当職員用に宿舎を安く提供するために全国で145戸を民間から借り上げ、その費用として1億3000万使った。その費用は職員が支払う家賃で戻されるが、集まった家賃は1971万円ぽっちにとどまったという。1戸あたりの平均家賃は8万7000円だが、職員には約1万1000円で提供していた計算になる。差額はつまるところ、道路特定財源を原資とする金で賄っていたというわけだ。
自民党の議員どもは、ガソリン税がなければ道路ができないとわめき、涙を流さんばかりにして暫定税率を元に戻そうとしていたのではなかったか。
しかし、現実には以上のような使い方をして、道路ではなく職員たちが厚く遇されていたのである。
なあ、こんなことは序の口なんだぜ。
奴らは特定財源をいいように貪って、これからも自分たちだけがおいしい思いをしていきたいだけなんだぜ。
そのために増税されるのを、黙って見ていていいのか?
福田康夫は後期高齢者医療制度で国民から総スカンを食らっているというのに、今度また、ガソリン税復活という増税をして、まだ総理の座に座っていられると思っているのだろうか。そうだとしたら、奴は真性の阿呆だぜ。
いい気になっている自民党と公明党は、どんどん国民の気持ちが離れていっているということに気がついていないのだろうか。
そうだとしたら、奴らはハエ以下の脳みその持ち主だぜ。
値上げ、増税、福祉の切り捨て。
このところ、というかこれからも、国民にとっては辛くて長い試練の時が待っている。
それもこれも自民党と公明党が悪政を続けているからだ。
小泉純一郎と竹中平蔵がぶちあげた改革の尻ぬぐいができずにいるためだ。
どうするよ、八つぁん、熊さん。
マツリゴトはわからねえから、なんていってる時じゃないぜ。
1分でも1秒でも早く、自民党政権が倒れ、カルト集団の公明党は解体されるべきだ。
そのためだったらナンマイダでもナンミョウでも(いや、ナンミョウは駄目か)、何でもいいや、題目を唱えてお釈迦様にもキリストにも日本中の八百万の神様にも、願掛けしてやる。
まずは間近に迫った山口2区の補選で圧倒的に勝利し、自公の横面をひっぱたいてやることだ。
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昨年のアカデミー賞でアル・ゴアの「不都合な真実」が賞をとったとき、臍曲がりの私は何やら胡散臭いものを感じていた。さらに年末にはアル・ゴア自身がノーベル平和賞を受賞するまでになって、私の鼻を刺激する臭いはますます強くなっていた。

地球の温暖化が進んでいる。それは主に人間が作り出す二酸化炭素によってもたらされている。
地球の温暖化がこのまま進んでいくと、環境破壊が進み、生態系に深刻な影響が出てくる。南極や北極の氷が溶けて海水面が上昇し、国土が海の下に沈んでしまう国も出てくる。気候が不順になり、大洪水や大干ばつ、さらには大型台風が頻発するようになって人間の生活にも影響をおよぼさずにはおかない。
今では半ば常識とされる地球温暖化の筋書きは、まあ以上のようなものだ。
この事態を受けて、今世界ではなんとか二酸化炭素を減らそうという試みがなされている。京都議定書では各国がその削減目標を掲げたが、日本をはじめとする多くの先進国はその約束を果たせそうもない。
そこで今、二酸化炭素の排出量が商売の種になっている。大量に排出している国は、それが少ない国に金を払い、排出する権利を買って企業活動を維持しようというのだ。
地球温暖化説と二酸化炭素排出取引。
どうも、これが臭いと思っていた。
だいたい、二酸化炭素の排出量を売り買いするっていう発想がインチキ臭いじゃないか。
しかし、この、考えようによっては限りなく詐欺に近い商売をイギリスなどは大まじめになってやっているのだ。
二酸化炭素で金儲けをしようとしている人間や国にとっては、地球温暖化説は金の成る木のようなものだ。温暖化が進んでいる、このままでは地球が危ないと、煽れば煽るほど金になる。
そして、そうした国々は欧米先進国が多いから、彼らは国際的な機関まで国連につくって(IPCC)情報を操作し、産業革命以来の金儲けの方法を編み出したというわけだ。
なぜこんなことを言い出すかといえば、以上の筋書きはただひとつ、実は地球が温暖化などしていないとなれば総崩れになるという弱点を持っているからだ。
そして実際、地球温暖化説はほんとうに中立的な、そして科学的な目で見ていくと、まだ仮説の域を出ていないのだ。
今、地球温暖化説はデマだ、などと言ったり書いたりしたら、即座にトンデモ人間とレッテルを貼られてしまいそうだが、常識が常に真実とは限らないということは頭に入れておいた方がいい。
田中宇の国際ニュース解説が、今「地球温暖化問題の裏側」という興味深い記事を配信している。
これを読むと、私が感じていたアル・ゴアと「不都合な真実」への漠然とした疑いも、霧が晴れるように全体像が見えてくる。それはまさに、アル・ゴアはじめ地球温暖化説をぶち上げている連中にとっては「不都合な真実」に他ならない。
たしかに昨今の異常気象などを見ると、地球が温暖化していると誰もが思いたくなるのは事実だ。
しかし、台風一つをとっても、それがどうして発生するのか、完全に科学的に解明できてるわけではないのだ。海水温度が上昇しているために台風が頻発するというのはひとつのシミュレーションであり、それを日本はじめ各国は頭から信じて取り入れているが、実は台風の発生は海水温度だけがその条件というわけではなく、地球全体の複雑なメカニズムが組み合わさっている。そう考えている科学者もいるのだ。

地球の歴史のスパンで見れば、地球は温暖化しているのではなく、むしろ小氷河期に入りつつあるという説もあるくらいだ。
それが果たして本当かどうかはわからないが、少なくともそういう説はひとつやふたつでなく、相当な数の論文として出ている。しかし今地球規模で広がっている温暖化説の前に、それらはほとんど無視されている状態なのだ。
テレビ、新聞は反温暖化説など取り上げようともしないし、アンチ温暖化説の本はトンデモ本として片付けられる。
これはやっぱりおかしい状態だぞ。
そう思わずにいられない。
もちろん、温暖化説は有力な説ではあるのだから、われわれはこれからも二酸化炭素を節減する努力をしていかなければならないだろう。しかし、その一方で、反対の説もあるということを知っておく必要もあるのではないか。「不都合な真実」はあくまでも仮説に基づいて作られたプロパガンダだった。そこに私は胡散臭さを感じた。もし、ほんとうに科学的な目を持って地球がどんな状態にあるのかを検討するのならば、相反する仮説も十分に検証してみなければならない。それが科学というものだ。
地球温暖化説が実は違っていて、地球は氷河期に向かっているとしたら、それはそれで大問題なのだが、その問題のありかは科学的なところにあるのであって、金儲けの道具にあるのでないことはたしかだ。金儲けの道具として温暖化説が利用されているとしたら、それは田中宇も言っているように、ブッシュがでっち上げたイラクの大量破壊兵器と同じことになるのではないか。アメリカとイギリスはイラクに大量破壊兵器があるとして戦争を始めたが、そんなものは実在しなかった。けれども、戦争は今も続いており、多くの人が死んだりケガをしたりしている。その一方で、この戦争によって巨万の富を得ている人間がいることも事実だ。
はたして地球温暖化説はほんとうなのか。これを鵜呑みにしていていいのか。
われわれはこれから、今までとは少し違った見方をしていった方がいいのではないか。
田中宇はそう教えてくれている。
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地球の温暖化が進んでいる。それは主に人間が作り出す二酸化炭素によってもたらされている。
地球の温暖化がこのまま進んでいくと、環境破壊が進み、生態系に深刻な影響が出てくる。南極や北極の氷が溶けて海水面が上昇し、国土が海の下に沈んでしまう国も出てくる。気候が不順になり、大洪水や大干ばつ、さらには大型台風が頻発するようになって人間の生活にも影響をおよぼさずにはおかない。
今では半ば常識とされる地球温暖化の筋書きは、まあ以上のようなものだ。
この事態を受けて、今世界ではなんとか二酸化炭素を減らそうという試みがなされている。京都議定書では各国がその削減目標を掲げたが、日本をはじめとする多くの先進国はその約束を果たせそうもない。
そこで今、二酸化炭素の排出量が商売の種になっている。大量に排出している国は、それが少ない国に金を払い、排出する権利を買って企業活動を維持しようというのだ。
地球温暖化説と二酸化炭素排出取引。
どうも、これが臭いと思っていた。
だいたい、二酸化炭素の排出量を売り買いするっていう発想がインチキ臭いじゃないか。
しかし、この、考えようによっては限りなく詐欺に近い商売をイギリスなどは大まじめになってやっているのだ。
二酸化炭素で金儲けをしようとしている人間や国にとっては、地球温暖化説は金の成る木のようなものだ。温暖化が進んでいる、このままでは地球が危ないと、煽れば煽るほど金になる。
そして、そうした国々は欧米先進国が多いから、彼らは国際的な機関まで国連につくって(IPCC)情報を操作し、産業革命以来の金儲けの方法を編み出したというわけだ。
なぜこんなことを言い出すかといえば、以上の筋書きはただひとつ、実は地球が温暖化などしていないとなれば総崩れになるという弱点を持っているからだ。
そして実際、地球温暖化説はほんとうに中立的な、そして科学的な目で見ていくと、まだ仮説の域を出ていないのだ。
今、地球温暖化説はデマだ、などと言ったり書いたりしたら、即座にトンデモ人間とレッテルを貼られてしまいそうだが、常識が常に真実とは限らないということは頭に入れておいた方がいい。
田中宇の国際ニュース解説が、今「地球温暖化問題の裏側」という興味深い記事を配信している。
これを読むと、私が感じていたアル・ゴアと「不都合な真実」への漠然とした疑いも、霧が晴れるように全体像が見えてくる。それはまさに、アル・ゴアはじめ地球温暖化説をぶち上げている連中にとっては「不都合な真実」に他ならない。
たしかに昨今の異常気象などを見ると、地球が温暖化していると誰もが思いたくなるのは事実だ。
しかし、台風一つをとっても、それがどうして発生するのか、完全に科学的に解明できてるわけではないのだ。海水温度が上昇しているために台風が頻発するというのはひとつのシミュレーションであり、それを日本はじめ各国は頭から信じて取り入れているが、実は台風の発生は海水温度だけがその条件というわけではなく、地球全体の複雑なメカニズムが組み合わさっている。そう考えている科学者もいるのだ。

地球の歴史のスパンで見れば、地球は温暖化しているのではなく、むしろ小氷河期に入りつつあるという説もあるくらいだ。
それが果たして本当かどうかはわからないが、少なくともそういう説はひとつやふたつでなく、相当な数の論文として出ている。しかし今地球規模で広がっている温暖化説の前に、それらはほとんど無視されている状態なのだ。
テレビ、新聞は反温暖化説など取り上げようともしないし、アンチ温暖化説の本はトンデモ本として片付けられる。
これはやっぱりおかしい状態だぞ。
そう思わずにいられない。
もちろん、温暖化説は有力な説ではあるのだから、われわれはこれからも二酸化炭素を節減する努力をしていかなければならないだろう。しかし、その一方で、反対の説もあるということを知っておく必要もあるのではないか。「不都合な真実」はあくまでも仮説に基づいて作られたプロパガンダだった。そこに私は胡散臭さを感じた。もし、ほんとうに科学的な目を持って地球がどんな状態にあるのかを検討するのならば、相反する仮説も十分に検証してみなければならない。それが科学というものだ。
地球温暖化説が実は違っていて、地球は氷河期に向かっているとしたら、それはそれで大問題なのだが、その問題のありかは科学的なところにあるのであって、金儲けの道具にあるのでないことはたしかだ。金儲けの道具として温暖化説が利用されているとしたら、それは田中宇も言っているように、ブッシュがでっち上げたイラクの大量破壊兵器と同じことになるのではないか。アメリカとイギリスはイラクに大量破壊兵器があるとして戦争を始めたが、そんなものは実在しなかった。けれども、戦争は今も続いており、多くの人が死んだりケガをしたりしている。その一方で、この戦争によって巨万の富を得ている人間がいることも事実だ。
はたして地球温暖化説はほんとうなのか。これを鵜呑みにしていていいのか。
われわれはこれから、今までとは少し違った見方をしていった方がいいのではないか。
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山口県光市の母子殺害事件で、差し戻し控訴審の判決が出た。
やはり判決は「死刑」だった。
この判決を受けて、今日の新聞、テレビはこぞって判決基準が厳罰化したことを伝えている。また被害者遺族の本村氏の談話も出ている。
「悲しみは消えないが、納得できる判決が出て癒やされる」(時事通信)
その言葉には9年という歳月の重みと、今もやりきれなさを抱えているであろう胸の内が感じられる。9年間、闘ってきた本村氏のことを考えると、軽々に言葉を発することは憚らねばならない思いがする。
しかし、私はどうもすっきりしない。
ほんとうに死刑でいいのか。
この死刑は、例の「世の中様」が望んで生まれたものではないのか。
「世の中様」とは、少し前なら倖田來未という歌手の不用意な発言に過剰反応をしてバッシングした人々のことであり、近くは人前をはばからずに泣いて見せた橋下徹に感動し、激励の言葉を寄せた人々のことである。
この事件にかかわらず、最近の凶悪事件に対する判決は、厳罰化の方向に確実に向かっている。
それは犯罪抑止のためともいえるが、一方で、裁判所が大衆の意向に沿うような形で判断を下している向きがないとは言えない。
ここで私が思い出すのは、2001年6月に起きた大阪の池田小児童殺傷事件だ。
犯人の宅間守は反社会的人格障害と診断され、自らも死刑を望んだが、それ以上に世間がこの事件を起こした犯人を憎み、死刑を望んだ。
そして裁判で大阪地裁から死刑の判決が出ると被告は控訴せず、死刑が確定。すると約1年3ヵ月後の2002年9月には死刑が執行されてしまった。
死刑確定から執行までの期間の短さは異例で、まるで法務大臣も世の中様と同じようにこの事件を憎み、この犯人を許せないように執行命令を出した印象が残っている。
今から7年前に起きたあの事件を覚えている人は今も多いと思うが、犯人の名前を覚えている人はどれだけいるだろうか。
池田小で起きた犯罪と、光市で起きた犯罪。どちらも酷いことで共通しているが、もうひとつ共通しているのは、世の中様から嫌われ、憎まれた事件であるということだ。
世の中様をバカにすることはできない。しかし、世の中様には気をつけなければいけないと私は思っている。
世の中様は、まるで忠臣蔵でも見るように世の中を見る。そして決まり切ったことのように吉良上野を悪者と考え、大石内蔵助らを義士として喝采する。
芝居ならばそれもいいが、ことは現実に起きている事件であり、そこには犯人とはいえども一つの命がかかっている。それを最初から死刑と決めつけてしまって、ほんとうに正義は保たれるのだろうか。私はそこに、どうも危うげなものを感じるのである。
もし、今日の控訴審判決で「死刑」という結果が出なかったら、世の中様はどう反応しただろう。橋下徹のように激高し、許せないという声で日本中が一つになってしまったのではないだろうか。
だが、待てよ待てよ。
多数決が民主主義の基本とはいえ、社会全体が一人の人間の死を求めてまとまるということは、どこか異常ではないのか。
たとえ宅間守のような犯罪を犯した者でも、法律は冷徹に施行されるべきである。
この場合の冷徹とは、死刑が確定した者に対して、法務大臣が大衆の意向に影響を受けて刑の執行を早めるようなことがあってはならないという意味の冷徹だ。宅間守のような犯罪者は、憎まれても仕方がないかもしれないが、その犯罪行為が憎まれるだけに記憶から簡単に消し去ってはならないのだ。犯罪は記憶に止められることによって抑止されると思う。宅間守は、まるでこの世から追い払われるように死刑を執行され、その結果、満足した世の中様はその名前も記憶から抹殺してしまう。
今回の光市母子殺害事件でも、犯人の名前は明らかにされていないが、この先最高裁でも死刑判決が出され、死刑が確定したら、世の中様はようやく満足し、この凶悪事件があったことを忘れてしまうだろう。
嫌なものは誰だって見たくはないし記憶に止めておくことも欲しない。
しかし、犯罪は記憶に止めて行かなくては亡くなった人の無念は虚しく消えてしまい、犯罪が社会に残した意味も消えてしまう。つまり、抑止する力もなくなってしまうのだ。そしてまた同じように酷くて憎むべき犯罪が発生すると、また社会全体がかき回したようにヒステリックに騒ぎはじめ、同じように憎しみに染まることになる。
それでは社会はいつまでたっても成長できないではないか。
私は、今日出された判決が妥当かどうか、あえて論評することは避けたい。ただ、この判決に、世の中様の意向が反映され、流された結果出たものだとしたら、そこに危ういものがあると感じる。
法律は、世の中の変化とともにその判断が変わっていくものなのかもしれない。
しかし、性器が写った写真を猥褻とするかどうかを判断するのならともかくとして、人を死刑にするかどうかを世の中の風潮に迎合するような形で判断を下すことには疑問を呈する。
私は、いわゆる人権派弁護士に与するものではない。
しかし今日の判決が出たとき、傍聴席から拍手がわき上がったという事実に、言いようのない嫌悪を感じるのである。
■追記
本村氏のコメントは、時事通信の配信記事から引用したが、実際には本村氏は「癒されることはない」と、まったく逆のことを言っている。時事通信は何を勘違いしたのかわからないが、これでは本村氏が怒っても仕方がない過ちだ。私も大いに迷惑している。
ちなみに、判決後に傍聴席から拍手がわき上がったというのは、産経の記事にあったことを付け加えておく。
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やはり判決は「死刑」だった。
この判決を受けて、今日の新聞、テレビはこぞって判決基準が厳罰化したことを伝えている。また被害者遺族の本村氏の談話も出ている。
「
その言葉には9年という歳月の重みと、今もやりきれなさを抱えているであろう胸の内が感じられる。9年間、闘ってきた本村氏のことを考えると、軽々に言葉を発することは憚らねばならない思いがする。
しかし、私はどうもすっきりしない。
ほんとうに死刑でいいのか。
この死刑は、例の「世の中様」が望んで生まれたものではないのか。
「世の中様」とは、少し前なら倖田來未という歌手の不用意な発言に過剰反応をしてバッシングした人々のことであり、近くは人前をはばからずに泣いて見せた橋下徹に感動し、激励の言葉を寄せた人々のことである。
この事件にかかわらず、最近の凶悪事件に対する判決は、厳罰化の方向に確実に向かっている。
それは犯罪抑止のためともいえるが、一方で、裁判所が大衆の意向に沿うような形で判断を下している向きがないとは言えない。
ここで私が思い出すのは、2001年6月に起きた大阪の池田小児童殺傷事件だ。
犯人の宅間守は反社会的人格障害と診断され、自らも死刑を望んだが、それ以上に世間がこの事件を起こした犯人を憎み、死刑を望んだ。
そして裁判で大阪地裁から死刑の判決が出ると被告は控訴せず、死刑が確定。すると約1年3ヵ月後の2002年9月には死刑が執行されてしまった。
死刑確定から執行までの期間の短さは異例で、まるで法務大臣も世の中様と同じようにこの事件を憎み、この犯人を許せないように執行命令を出した印象が残っている。
今から7年前に起きたあの事件を覚えている人は今も多いと思うが、犯人の名前を覚えている人はどれだけいるだろうか。
池田小で起きた犯罪と、光市で起きた犯罪。どちらも酷いことで共通しているが、もうひとつ共通しているのは、世の中様から嫌われ、憎まれた事件であるということだ。
世の中様をバカにすることはできない。しかし、世の中様には気をつけなければいけないと私は思っている。
世の中様は、まるで忠臣蔵でも見るように世の中を見る。そして決まり切ったことのように吉良上野を悪者と考え、大石内蔵助らを義士として喝采する。
芝居ならばそれもいいが、ことは現実に起きている事件であり、そこには犯人とはいえども一つの命がかかっている。それを最初から死刑と決めつけてしまって、ほんとうに正義は保たれるのだろうか。私はそこに、どうも危うげなものを感じるのである。
もし、今日の控訴審判決で「死刑」という結果が出なかったら、世の中様はどう反応しただろう。橋下徹のように激高し、許せないという声で日本中が一つになってしまったのではないだろうか。
だが、待てよ待てよ。
多数決が民主主義の基本とはいえ、社会全体が一人の人間の死を求めてまとまるということは、どこか異常ではないのか。
たとえ宅間守のような犯罪を犯した者でも、法律は冷徹に施行されるべきである。
この場合の冷徹とは、死刑が確定した者に対して、法務大臣が大衆の意向に影響を受けて刑の執行を早めるようなことがあってはならないという意味の冷徹だ。宅間守のような犯罪者は、憎まれても仕方がないかもしれないが、その犯罪行為が憎まれるだけに記憶から簡単に消し去ってはならないのだ。犯罪は記憶に止められることによって抑止されると思う。宅間守は、まるでこの世から追い払われるように死刑を執行され、その結果、満足した世の中様はその名前も記憶から抹殺してしまう。
今回の光市母子殺害事件でも、犯人の名前は明らかにされていないが、この先最高裁でも死刑判決が出され、死刑が確定したら、世の中様はようやく満足し、この凶悪事件があったことを忘れてしまうだろう。
嫌なものは誰だって見たくはないし記憶に止めておくことも欲しない。
しかし、犯罪は記憶に止めて行かなくては亡くなった人の無念は虚しく消えてしまい、犯罪が社会に残した意味も消えてしまう。つまり、抑止する力もなくなってしまうのだ。そしてまた同じように酷くて憎むべき犯罪が発生すると、また社会全体がかき回したようにヒステリックに騒ぎはじめ、同じように憎しみに染まることになる。
それでは社会はいつまでたっても成長できないではないか。
私は、今日出された判決が妥当かどうか、あえて論評することは避けたい。ただ、この判決に、世の中様の意向が反映され、流された結果出たものだとしたら、そこに危ういものがあると感じる。
法律は、世の中の変化とともにその判断が変わっていくものなのかもしれない。
しかし、性器が写った写真を猥褻とするかどうかを判断するのならともかくとして、人を死刑にするかどうかを世の中の風潮に迎合するような形で判断を下すことには疑問を呈する。
私は、いわゆる人権派弁護士に与するものではない。
しかし今日の判決が出たとき、傍聴席から拍手がわき上がったという事実に、言いようのない嫌悪を感じるのである。
■追記
本村氏のコメントは、時事通信の配信記事から引用したが、実際には本村氏は「癒されることはない」と、まったく逆のことを言っている。時事通信は何を勘違いしたのかわからないが、これでは本村氏が怒っても仕方がない過ちだ。私も大いに迷惑している。
ちなみに、判決後に傍聴席から拍手がわき上がったというのは、産経の記事にあったことを付け加えておく。
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よもやとは思っていたが、やっぱりそうか。
もう、いい加減にしてくれよ。
大阪腐府知事の橋下徹が、市町村への08年度補助金を79億円カットすると発表したこと対して各市町村長が面と向かって批判した。すると、橋下は泣きながら「どうか協力してください」と訴えた。

その涙に対して、大阪府庁に電話やメールが900通も届いたのだそうだ。
府の情報公開室によると「とにかく頑張れ! 応援します!」「涙を流して感動した。改革に一生懸命になってる姿勢に感激しました」などと知事への応援が約8割を占めたという。(スポーツ報知)
900通の80%といえば720通。みんな涙に感動したというわけだ。
これだけだったらごく一部が反応しただけと思うけれど、ヤフーが行った意識調査でも、5万3116票のうち76%にあたる3万9966票が橋下を支持すると答えているのだから、控えめに言っても橋下の涙は半数以上の日本人を刺激し、同情を呼んだといっていいだろう。

しかしどうしてこうも、目から出る分泌液に弱いのかね。
私には不思議で仕方ない。
橋下は予算を削れるだけ削って公共サービスの質を低下させようとしているのだ。
そのしわ寄せをまともに食らうのは、橋下の涙に感動した市民にほかならない。
橋下は自分の給料も削っているようだが、これだけ他に削れと厳しくいうのなら、給料をすべて返上してフンドシ一丁になって仕事に励めばいいだろうに、そこまでするつもりはない。知事になってもタレントはやめないように、もらうものは権利としてもらうのだ。
ならば市民の権利はどうなる。
知事として弁護士として、橋下はその点を明らかにしてから予算を削るべきだろう。
それにしても、市民の反応だ。
なぜ、涙ごときに判断を曇らせるのだろう。
あんな、B級映画を通り越して、C級映画の熱血先生みたいな文言に踊らされて感動するとは、あまりに批評眼がないというべきではないか。
「金がなくて困ってるんだよ。だから、お前の金をよこせ」
そう言って首を絞められても、その強盗が泣いていたら金を出す者があるか。
「あんたの気持ちはよくわかった。金はくれてやろう。ついでに首も絞めてくれ」
そう言う人間がいるか。
しかし驚くことに、この国には盗人に追銭をやるような人間がたくさんいるらしい。
私は、人前で泣くやつは男女を問わず嫌いだ。
信用ならない。
涙を流すやつは、理屈を通さずに情で無理を通そうとする。
詐欺はみな悪質だが、泣き落としをするやつは悪質なうえに卑怯である。
橋下はずるがしこく立ち回って人気を煽り、テレビのセットのような安物の政策で知事を名乗っているが、なんのことはない、奴が言っていること、やっていることは他人に痛みを求めることだけではないか。
政治とは、ときに痛みをともなうものであったとしても、その先に希望が見出せるものでなければならないはずだ。生活者に希望を与えることができずに何がリーダーだ。
今の大阪にはそんな余裕はない、だから痛みしか与えることができないのだというのなら、橋下はただのサディストであり、政治家としての資格はない。
涙などに誤魔化されてはならない。
いやしくも公の席で涙を流す奴は、その涙の出所を疑ってかかるべきだ。
橋下が、安っぽい涙と無責任な発言だけで今まで乗り切ってきたことを、いい加減に見破るべきだ。
泣いたから感動する。頑張れと応援する。
なんともはや。
それなら、福田康夫がカメラの前で泣いたら、ガソリン税が元通りになってもいいのか。後期高齢者医療制度もうやむやになっていいのか。
現内閣のうつけ大臣どもがそろって泣き出せば、社会格差がそのままになっても、医療問題が深刻になっても、年金が誤魔化されたままでも、国民はみんな応援するのか。
馬鹿馬鹿しい。
もう三文芝居に酔うのはやめてくれ。
こういう状況があると、今週末に迫った山口2区の補欠選も先が思いやられる。
橋下が流した涙の悪影響はすこぶる大きいと思う。
大衆をバカ呼ばわりするのは天に唾するようなものだが、あえて言う。
もういい加減に自分の頭で考えろよ。
20日の時事通信のニュースでは、4月に行った世論調査で、首相にふさわしい人物はだれかという問いに対して、トップが小泉純一郎、2位が麻生太郎という結果が出たそうだ。
もう私は、溜息を通り越してめまいを起こしそうな、悪いげっぷが出て今にも吐き出しそうな気分にげんなりし、ほとほと参っている。
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もう、いい加減にしてくれよ。
大阪

その涙に対して、大阪府庁に電話やメールが900通も届いたのだそうだ。
府の情報公開室によると「とにかく頑張れ! 応援します!」「涙を流して感動した。改革に一生懸命になってる姿勢に感激しました」などと知事への応援が約8割を占めたという。(スポーツ報知)
900通の80%といえば720通。みんな涙に感動したというわけだ。
これだけだったらごく一部が反応しただけと思うけれど、ヤフーが行った意識調査でも、5万3116票のうち76%にあたる3万9966票が橋下を支持すると答えているのだから、控えめに言っても橋下の涙は半数以上の日本人を刺激し、同情を呼んだといっていいだろう。

しかしどうしてこうも、目から出る分泌液に弱いのかね。
私には不思議で仕方ない。
橋下は予算を削れるだけ削って公共サービスの質を低下させようとしているのだ。
そのしわ寄せをまともに食らうのは、橋下の涙に感動した市民にほかならない。
橋下は自分の給料も削っているようだが、これだけ他に削れと厳しくいうのなら、給料をすべて返上してフンドシ一丁になって仕事に励めばいいだろうに、そこまでするつもりはない。知事になってもタレントはやめないように、もらうものは権利としてもらうのだ。
ならば市民の権利はどうなる。
知事として弁護士として、橋下はその点を明らかにしてから予算を削るべきだろう。
それにしても、市民の反応だ。
なぜ、涙ごときに判断を曇らせるのだろう。
あんな、B級映画を通り越して、C級映画の熱血先生みたいな文言に踊らされて感動するとは、あまりに批評眼がないというべきではないか。
「金がなくて困ってるんだよ。だから、お前の金をよこせ」
そう言って首を絞められても、その強盗が泣いていたら金を出す者があるか。
「あんたの気持ちはよくわかった。金はくれてやろう。ついでに首も絞めてくれ」
そう言う人間がいるか。
しかし驚くことに、この国には盗人に追銭をやるような人間がたくさんいるらしい。
私は、人前で泣くやつは男女を問わず嫌いだ。
信用ならない。
涙を流すやつは、理屈を通さずに情で無理を通そうとする。
詐欺はみな悪質だが、泣き落としをするやつは悪質なうえに卑怯である。
橋下はずるがしこく立ち回って人気を煽り、テレビのセットのような安物の政策で知事を名乗っているが、なんのことはない、奴が言っていること、やっていることは他人に痛みを求めることだけではないか。
政治とは、ときに痛みをともなうものであったとしても、その先に希望が見出せるものでなければならないはずだ。生活者に希望を与えることができずに何がリーダーだ。
今の大阪にはそんな余裕はない、だから痛みしか与えることができないのだというのなら、橋下はただのサディストであり、政治家としての資格はない。
涙などに誤魔化されてはならない。
いやしくも公の席で涙を流す奴は、その涙の出所を疑ってかかるべきだ。
橋下が、安っぽい涙と無責任な発言だけで今まで乗り切ってきたことを、いい加減に見破るべきだ。
泣いたから感動する。頑張れと応援する。
なんともはや。
それなら、福田康夫がカメラの前で泣いたら、ガソリン税が元通りになってもいいのか。後期高齢者医療制度もうやむやになっていいのか。
現内閣のうつけ大臣どもがそろって泣き出せば、社会格差がそのままになっても、医療問題が深刻になっても、年金が誤魔化されたままでも、国民はみんな応援するのか。
馬鹿馬鹿しい。
もう三文芝居に酔うのはやめてくれ。
こういう状況があると、今週末に迫った山口2区の補欠選も先が思いやられる。
橋下が流した涙の悪影響はすこぶる大きいと思う。
大衆をバカ呼ばわりするのは天に唾するようなものだが、あえて言う。
もういい加減に自分の頭で考えろよ。
20日の時事通信のニュースでは、4月に行った世論調査で、首相にふさわしい人物はだれかという問いに対して、トップが小泉純一郎、2位が麻生太郎という結果が出たそうだ。
もう私は、溜息を通り越してめまいを起こしそうな、悪いげっぷが出て今にも吐き出しそうな気分にげんなりし、ほとほと参っている。
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「お父さんは、死刑がない方がいいと思うの?」
数日前、「ニュース23」を見ながら、娘が聞いてきた。
番組ではその日、死刑擁護論者というよりも推進者の鳩山邦夫法相と死刑廃止論者の亀井静香が対談をしていた。
鳩山は、法相に就任して以来、今日までに10人の死刑確定者に対して死刑執行を命じている。
死刑については、鳩山は昨年「法相が関わらず、自動的に死刑執行をするシステムがあってもいいのではないか」という発言をして物議を醸したことでも知られる。このときは言葉の選び方がよくなかったと弁明したが、鳩山が死刑そのものを必要なものと考えており、死刑執行は粛々と執行されるべきものと思っていることに変わりはない。

この日の放送でも鳩山は、死刑執行が犯罪の抑止力になっているという持論を述べていた。人を何人も殺しておいて、犯人の命だけが助かるのはおかしい、日本の風土に合わないと言っていた。
これを聞いていて、私は思わず「そうかな」とつぶやいたところ、それを聞きとがめた娘が冒頭の問いを私に投げかけてきたというわけだ。
私は、少し考えて、「やっぱり死刑制度はない方がいいと思うよ」と答えた。
「どうして。それじゃあ殺された人の家族が可哀相じゃない」
たしかにその通りだ。
自分だって、家族を殺されたら、殺した犯人をただにしてはおかないと思うだろう。殺されたのが犬だって、相手を憎む気持ちは変わらないだろう。
けれども、理不尽なことに対する憎しみを解消する手段として「死刑」があってもいいのかとなると、どうしても躊躇する。
人を殺すことは、もう一人殺すことでチャラになるのか。そう考えると、私にはどうもチャラになるとは思えないのだ。
死刑は国の権力に基づいて行われる刑罰である。
しかし、国というものは、国民の安全と生活を守る義務はあるけれども、犯人とはいえ国民の一人の命を奪う権利はないのではないかと思うのだ。
もちろん、これに対しては国民の生活を守るために殺人を犯すような人間は死刑にすべきだという答えが返ってくるだろう。
けれども。
私は、国には「お前は悪いことをしたのだから、世間の人々と一緒にいては困るよ」と刑務所に隔離する権利はあっても、「お前は悪いことをしたのだから、生きていてはいけない」という権利はないように思えて仕方がないのだ。
死刑をせよ、と今なら鳩山邦夫がそれを命じる。
果たして鳩山邦夫という男にそれだけの権利があるのか。
鳩山は、死刑を執行せよとは言うが、実際に死刑を行うのは刑務所の刑務官である。彼は役人だから、上司の鳩山から命じられればそれに従うしかない。
そして個人的には何の関係もない「犯人」を、法の名の下に「殺人」するのだ。
むろん、刑務官に殺人をするという意識はないだろうが、それでも自分の手で一人の人間を死に至らしめることの重みは感じるに違いない。
タイトルを忘れてしまったが、死刑執行を描いたノンフィクションを読んだことがある。そこでは、死刑執行を行う刑務官の苦悩も描かれていたことを記憶している。
人が人を殺す。これは一般社会のなかではあってはならないことである。
それと同様に、刑務所の中でも、人が人を殺すことはあってはならないのではないか。たとえそれが法務大臣の命令だとしても。
「それじゃあ遺族の気持ちはどうなるの」
娘は不満げだ。
「何も悪いことをしてないのに家族を殺されて、ずっと悲しみと憎しみをこらえて生きて行かなければいけないの?」
私はまたも考えて、やはりそうだとうなずく。
激しい怒りと悲しみと、憎しみ。
それを生むから犯罪は忌むべきものなのだ。けれども、その激しい感情は犯人を死刑にすることでしか癒せないものなのか。あるいは昇華することはできないものなのか。私はそこで暴論を言う。
「ほんとうに遺族が気持ちを晴らせるようにするなら、もういちど仇討ちを復活させるしかないだろう」
「そんなこと、できるわけがないじゃない」
「できないよ。だから、何とか別の方法で気持ちを落ち着かせなければならないのじゃないか」
ここまで話すと、どうしても思いは山口県光市で起きた母子殺人事件におよぶ。22日にはいよいよ判決が言い渡されることになっているが、被害者遺族の本村洋氏が強く死刑を望んでいることは私も知っている。
それについて私が言うことはない。
あのむごい事件に遭って、犯人に対する怒りを燃やすことは当然のことだ。死刑を願うのも自然だろう。
けれども、第3者である私はやはり、死刑には反対だと唱える。
ただし、仮釈放なしの終身刑にはしてやりたいと思う。被告が犯した罪は、一生かけて償う必要がある。今の法制度には仮釈放なしの無期懲役刑はないが、裁判員制度がはじまるまでにはぜひとも、この量刑を法に盛り込むべきだと思う。
むごい殺人事件を起こしても死刑にならないとしたら、犯罪は増えることになるのだろうか。鳩山邦夫は増えるという。私の娘もそれに賛成する。
しかし私は、賛成しない。
裁判の判決が厳しくなるのはある程度、犯罪の抑止力になるとは思うが、死刑判決がそれに結びつくとは思えない。打ち首獄門が行われていた江戸時代でも、犯罪は起きていたのだ。
鳩山邦夫が10人の死刑を執行したこの期間に、目立って犯罪が減ったかと言えば、そんなことはない。犯罪は死刑があるかどうかで発生数が変化するのではなく、政治が悪いかどうかで変化すると考える方が妥当だろう。悪政が行われて社会に不安が満ち、秩序が乱れれば犯罪が発生するのは当たり前ではないか。そこに死刑がどれほど関係するというのだ。
それでも娘は、まだ納得せずに言う。
「無期懲役が最高刑になったら、被害者遺族が払う税金で犯人を養うことになる。私はそんなの許せないと思う。死刑にした方がお金がかからなくてすむでしょう」
人の命をコストで計るということには抵抗があるが、それも見逃せない理屈であることはたしかだ。
単純に考えると死刑の方がコストがかからないように思えるが、実は反対で、死刑の方が無期懲役よりもコストがかかるという報告がアメリカではなされている。そこには収監中の生活維持費や裁判費用などの要素が複雑にからんでくるのだが、実際には両者のコストを正確に比較することは難しいようだ。日本ではこのような試算が行われていないようだが、それはなぜなのか。
というわけで、コストの点から死刑を存続させるべきという意見にも、私は疑義を呈する。
娘は、ついに到底納得しない様子でぷいと立ち去ってしまった。
そうなのだ、犯罪とは当事者だけでなく、それについて思いを巡らせる人間にとっても、到底納得できるものではないのだ。
だから厄介なのだ。厄介だけれど、真剣に考えていかなければならない問題なのだ。
裁判員制度が始まろうとしている今、その重要性はますます高まっているといえるだろう。
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数日前、「ニュース23」を見ながら、娘が聞いてきた。
番組ではその日、死刑擁護論者というよりも推進者の鳩山邦夫法相と死刑廃止論者の亀井静香が対談をしていた。
鳩山は、法相に就任して以来、今日までに10人の死刑確定者に対して死刑執行を命じている。
死刑については、鳩山は昨年「法相が関わらず、自動的に死刑執行をするシステムがあってもいいのではないか」という発言をして物議を醸したことでも知られる。このときは言葉の選び方がよくなかったと弁明したが、鳩山が死刑そのものを必要なものと考えており、死刑執行は粛々と執行されるべきものと思っていることに変わりはない。

この日の放送でも鳩山は、死刑執行が犯罪の抑止力になっているという持論を述べていた。人を何人も殺しておいて、犯人の命だけが助かるのはおかしい、日本の風土に合わないと言っていた。
これを聞いていて、私は思わず「そうかな」とつぶやいたところ、それを聞きとがめた娘が冒頭の問いを私に投げかけてきたというわけだ。
私は、少し考えて、「やっぱり死刑制度はない方がいいと思うよ」と答えた。
「どうして。それじゃあ殺された人の家族が可哀相じゃない」
たしかにその通りだ。
自分だって、家族を殺されたら、殺した犯人をただにしてはおかないと思うだろう。殺されたのが犬だって、相手を憎む気持ちは変わらないだろう。
けれども、理不尽なことに対する憎しみを解消する手段として「死刑」があってもいいのかとなると、どうしても躊躇する。
人を殺すことは、もう一人殺すことでチャラになるのか。そう考えると、私にはどうもチャラになるとは思えないのだ。
死刑は国の権力に基づいて行われる刑罰である。
しかし、国というものは、国民の安全と生活を守る義務はあるけれども、犯人とはいえ国民の一人の命を奪う権利はないのではないかと思うのだ。
もちろん、これに対しては国民の生活を守るために殺人を犯すような人間は死刑にすべきだという答えが返ってくるだろう。
けれども。
私は、国には「お前は悪いことをしたのだから、世間の人々と一緒にいては困るよ」と刑務所に隔離する権利はあっても、「お前は悪いことをしたのだから、生きていてはいけない」という権利はないように思えて仕方がないのだ。
死刑をせよ、と今なら鳩山邦夫がそれを命じる。
果たして鳩山邦夫という男にそれだけの権利があるのか。
鳩山は、死刑を執行せよとは言うが、実際に死刑を行うのは刑務所の刑務官である。彼は役人だから、上司の鳩山から命じられればそれに従うしかない。
そして個人的には何の関係もない「犯人」を、法の名の下に「殺人」するのだ。
むろん、刑務官に殺人をするという意識はないだろうが、それでも自分の手で一人の人間を死に至らしめることの重みは感じるに違いない。
タイトルを忘れてしまったが、死刑執行を描いたノンフィクションを読んだことがある。そこでは、死刑執行を行う刑務官の苦悩も描かれていたことを記憶している。
人が人を殺す。これは一般社会のなかではあってはならないことである。
それと同様に、刑務所の中でも、人が人を殺すことはあってはならないのではないか。たとえそれが法務大臣の命令だとしても。
「それじゃあ遺族の気持ちはどうなるの」
娘は不満げだ。
「何も悪いことをしてないのに家族を殺されて、ずっと悲しみと憎しみをこらえて生きて行かなければいけないの?」
私はまたも考えて、やはりそうだとうなずく。
激しい怒りと悲しみと、憎しみ。
それを生むから犯罪は忌むべきものなのだ。けれども、その激しい感情は犯人を死刑にすることでしか癒せないものなのか。あるいは昇華することはできないものなのか。私はそこで暴論を言う。
「ほんとうに遺族が気持ちを晴らせるようにするなら、もういちど仇討ちを復活させるしかないだろう」
「そんなこと、できるわけがないじゃない」
「できないよ。だから、何とか別の方法で気持ちを落ち着かせなければならないのじゃないか」
ここまで話すと、どうしても思いは山口県光市で起きた母子殺人事件におよぶ。22日にはいよいよ判決が言い渡されることになっているが、被害者遺族の本村洋氏が強く死刑を望んでいることは私も知っている。
それについて私が言うことはない。
あのむごい事件に遭って、犯人に対する怒りを燃やすことは当然のことだ。死刑を願うのも自然だろう。
けれども、第3者である私はやはり、死刑には反対だと唱える。
ただし、仮釈放なしの終身刑にはしてやりたいと思う。被告が犯した罪は、一生かけて償う必要がある。今の法制度には仮釈放なしの無期懲役刑はないが、裁判員制度がはじまるまでにはぜひとも、この量刑を法に盛り込むべきだと思う。
むごい殺人事件を起こしても死刑にならないとしたら、犯罪は増えることになるのだろうか。鳩山邦夫は増えるという。私の娘もそれに賛成する。
しかし私は、賛成しない。
裁判の判決が厳しくなるのはある程度、犯罪の抑止力になるとは思うが、死刑判決がそれに結びつくとは思えない。打ち首獄門が行われていた江戸時代でも、犯罪は起きていたのだ。
鳩山邦夫が10人の死刑を執行したこの期間に、目立って犯罪が減ったかと言えば、そんなことはない。犯罪は死刑があるかどうかで発生数が変化するのではなく、政治が悪いかどうかで変化すると考える方が妥当だろう。悪政が行われて社会に不安が満ち、秩序が乱れれば犯罪が発生するのは当たり前ではないか。そこに死刑がどれほど関係するというのだ。
それでも娘は、まだ納得せずに言う。
「無期懲役が最高刑になったら、被害者遺族が払う税金で犯人を養うことになる。私はそんなの許せないと思う。死刑にした方がお金がかからなくてすむでしょう」
人の命をコストで計るということには抵抗があるが、それも見逃せない理屈であることはたしかだ。
単純に考えると死刑の方がコストがかからないように思えるが、実は反対で、死刑の方が無期懲役よりもコストがかかるという報告がアメリカではなされている。そこには収監中の生活維持費や裁判費用などの要素が複雑にからんでくるのだが、実際には両者のコストを正確に比較することは難しいようだ。日本ではこのような試算が行われていないようだが、それはなぜなのか。
というわけで、コストの点から死刑を存続させるべきという意見にも、私は疑義を呈する。
娘は、ついに到底納得しない様子でぷいと立ち去ってしまった。
そうなのだ、犯罪とは当事者だけでなく、それについて思いを巡らせる人間にとっても、到底納得できるものではないのだ。
だから厄介なのだ。厄介だけれど、真剣に考えていかなければならない問題なのだ。
裁判員制度が始まろうとしている今、その重要性はますます高まっているといえるだろう。
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上映中止で話題になっている映画「靖国 YASUKUNI」の、右翼団体向けの試写会が18日、行われた。
全国から約180人の活動家が集まったという、この試写会。呼びかけ人の一人、木村三浩・一水会代表は「右翼が上映を中止させたかのような間違った言われ型をされているから」と説明した。
試写中、国会議員らが問題視した南京事件の写真を使ったシーンでも何の声も上がらなかったという。
右翼の人たち、冷静じゃないか。大人じゃないか。
試写後は活発な意見が交わされた。「文化庁の女性には納得できない。返還を求める訴訟を起こす」という意見もあれば、「われわれも助成を受けて親靖国映画を作って反論すればいい」「べつになんと言うこともない作品なのに、メディアが注目をあおったのでは」との意見が出た。
同血社の河原博史会長は「個人としては、日本民族に根ざした信仰心を侮辱するものを感じた」としながら、「意義ある会だった。右翼が反社会的というイメージは違う。誰もが映画を見せず抗議するわけでもない。大事なのは表現者同士のガチンコ勝負。そういう意味では映画館が屈してしまったのは問題だと思う」と話した。
以上は朝日新聞の記事によるものだが、これを読むと映画「靖国 YASUKUNI」を問題視し、大人げない反応を示したのはただただ自民党の稲田朋美や有村治子ら議員のセンセイ方だったということになる。有村にいたっては、刀匠の刈谷さんが映像の削除を望んでいるというウソまででっち上げたというのだから話にならない。姑息と言うか、やることがチンピラやくざに等しいと言えるだろう。
「靖国 YASUKUNI」という映画ができた。
その出来映えをめぐって議論が起きるのは当然のことであり、健全な反応だ。
しかし、稲田や有村がやったことは作品を封じ込めようとするものであり、断じて許されるものではない。これらに比べれば、「われわれも助成を受けて親靖国の映画を作るべきだ」と発言した右翼の人たちの方がずっと常識的だと思う。
地方都市に住んでいる私のような人間にはなかなかこの映画を見る機会がないのが残念だが、DVDにでもなれば必ず観たいと思う。
やはり、映画は観てから論じられるべきである。それゆえ、見る機会を奪うような権力の介入には、私は断固として反対する。
昨日はまた、長野県で聖火リレーに関する重要な動きがあった。
やはり善光寺はリレーのスタート地点になることを辞退した。

「チベットでの仏教徒弾圧を憂慮する」という僧侶たちの発言は、至極理屈の通ったもので納得がいく。これに比べると中国に対していまだにはっきりとした態度を打ち出せずにいる政府のだらしなさがよけいに際立ってくる。
この問題に対する中国の態度は、非常に強硬で、世界からの批判を浴びても動じない。
一方的にダライ・ラマが反乱を起こしたとするだけだ。対話の余地もないという。
こういう相手に対して、「話し合いの機会を持ってください」と言ったところで通じるわけがないだろう。
来月は胡錦涛がくるというのに、日本は今回の弾圧を非難するのかしないのか。
今からでも遅くはない、やんわりと今回の訪日はお断りすべきではないのか。
オリンピックを開くのは勝手であり、またその成功を祈ることにわれわれもやぶさかではないが、人権弾圧は見過ごすことはできない。この件については時間をかけて話をする必要があると考えるので、胡錦涛主席には機会を改めて来日してもらうことにする。
頑迷な国を相手にケンカを売る必要はないが、もっと外交的な駆け引きがあってしかるべきだろう。
今回、聖火リレーでは善光寺が辞退しただけでなく、コカ・コーラをはじめとするスポンサーも宣伝カーを出さないことを決定した。警備が厳しくて宣伝車が走れない、宣伝の予算がないなどと理由はまちまちだが、根底にチベット問題があることは明らかだ。面白いのは、IBMから事業を引き継いだ中国のレノボまでが、そのなかに加わっていることだ。
26日の聖火リレーはどうなるのか。これから、まだ一波乱ありそうな予感がする。
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全国から約180人の活動家が集まったという、この試写会。呼びかけ人の一人、木村三浩・一水会代表は「右翼が上映を中止させたかのような間違った言われ型をされているから」と説明した。
試写中、国会議員らが問題視した南京事件の写真を使ったシーンでも何の声も上がらなかったという。
右翼の人たち、冷静じゃないか。大人じゃないか。
試写後は活発な意見が交わされた。「文化庁の女性には納得できない。返還を求める訴訟を起こす」という意見もあれば、「われわれも助成を受けて親靖国映画を作って反論すればいい」「べつになんと言うこともない作品なのに、メディアが注目をあおったのでは」との意見が出た。
同血社の河原博史会長は「個人としては、日本民族に根ざした信仰心を侮辱するものを感じた」としながら、「意義ある会だった。右翼が反社会的というイメージは違う。誰もが映画を見せず抗議するわけでもない。大事なのは表現者同士のガチンコ勝負。そういう意味では映画館が屈してしまったのは問題だと思う」と話した。
以上は朝日新聞の記事によるものだが、これを読むと映画「靖国 YASUKUNI」を問題視し、大人げない反応を示したのはただただ自民党の稲田朋美や有村治子ら議員のセンセイ方だったということになる。有村にいたっては、刀匠の刈谷さんが映像の削除を望んでいるというウソまででっち上げたというのだから話にならない。姑息と言うか、やることがチンピラやくざに等しいと言えるだろう。
「靖国 YASUKUNI」という映画ができた。
その出来映えをめぐって議論が起きるのは当然のことであり、健全な反応だ。
しかし、稲田や有村がやったことは作品を封じ込めようとするものであり、断じて許されるものではない。これらに比べれば、「われわれも助成を受けて親靖国の映画を作るべきだ」と発言した右翼の人たちの方がずっと常識的だと思う。
地方都市に住んでいる私のような人間にはなかなかこの映画を見る機会がないのが残念だが、DVDにでもなれば必ず観たいと思う。
やはり、映画は観てから論じられるべきである。それゆえ、見る機会を奪うような権力の介入には、私は断固として反対する。
昨日はまた、長野県で聖火リレーに関する重要な動きがあった。
やはり善光寺はリレーのスタート地点になることを辞退した。

「チベットでの仏教徒弾圧を憂慮する」という僧侶たちの発言は、至極理屈の通ったもので納得がいく。これに比べると中国に対していまだにはっきりとした態度を打ち出せずにいる政府のだらしなさがよけいに際立ってくる。
この問題に対する中国の態度は、非常に強硬で、世界からの批判を浴びても動じない。
一方的にダライ・ラマが反乱を起こしたとするだけだ。対話の余地もないという。
こういう相手に対して、「話し合いの機会を持ってください」と言ったところで通じるわけがないだろう。
来月は胡錦涛がくるというのに、日本は今回の弾圧を非難するのかしないのか。
今からでも遅くはない、やんわりと今回の訪日はお断りすべきではないのか。
オリンピックを開くのは勝手であり、またその成功を祈ることにわれわれもやぶさかではないが、人権弾圧は見過ごすことはできない。この件については時間をかけて話をする必要があると考えるので、胡錦涛主席には機会を改めて来日してもらうことにする。
頑迷な国を相手にケンカを売る必要はないが、もっと外交的な駆け引きがあってしかるべきだろう。
今回、聖火リレーでは善光寺が辞退しただけでなく、コカ・コーラをはじめとするスポンサーも宣伝カーを出さないことを決定した。警備が厳しくて宣伝車が走れない、宣伝の予算がないなどと理由はまちまちだが、根底にチベット問題があることは明らかだ。面白いのは、IBMから事業を引き継いだ中国のレノボまでが、そのなかに加わっていることだ。
26日の聖火リレーはどうなるのか。これから、まだ一波乱ありそうな予感がする。
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まだあまり言われていないようだが、今の日本の状況は、スタグフレーション局面に入っていると言っていいのではないだろうか。
スタグフレーションとは、物価上昇(インフレ)と景気後退(あるいは景気停滞)が同時に進行することを指す。
物価上昇については、もう言うまでもなくほとんどの国民が感じていることだろう。原油高にはじまるガソリン価格の高騰、それを元にして連鎖的に起きている諸物価の高騰。なかでも食料品の高騰ぶりは、バイオエタノールを起因とする海外の穀物価格の急騰や自民党の農政の失敗なども重なり深刻な状態にある。
加えて、後期高齢者医療制度に見られるような社会保障の切り捨てによる負担増がある。
労働者の賃金は上がらないというのに、物価だけが上がり、社会保障の質がどんどん悪くなって行っている。
物価が上がれば消費活動が鈍り、経済活動は停滞する。一部の企業を除いて、多くの企業、とくに中小零細企業は苦しい経営に喘いでいる状態が続いているといっていいだろう。
昭和48年(1973)にオイルショックが起きたときには潜在やトイレットペーパーを買おうとする主婦がスーパーに殺到して大騒ぎになったが、今の日本社会でこのような現象が起きずにいるのが、私には不思議というか、不気味でさえある。

GDPなどの数値で見る限りは日本経済は安定しているように見えるが、国民一人ひとりの現状を見れば、安定とはほど遠い状態にある。何事も表面上の数値でしかものを言おうとしない自民党政府は、現状を決して後退局面にあるとかスタグフレーションに入ったとは言わないだろうが、生活者の実感としては間違いなく今の日本はスタグフレーション局面に入っており、これからの成り行き次第ではまたオイルショック時のような騒動が起こりうると思う。
暫定税率の問題で国会がもたつき、一時的にガソリン価格は安くなっているが、それでも高値安定という感じであり、原油高が今後さらに続いていけば揮発油税などなくてもどんどんガソリン価格は上がっていくだろう。
さらに今月末には自民党が暫定税率維持を衆議院可決させる可能性もあり、そうなればさらにガソリン価格は上がることになる。
となると、これまで民主党がやってきたことは何だったのかということにはならないか。
今、民主党は後期高齢者医療制度の廃止を叫んでいるが、もともと去年の夏の参院選で勝利したときには国民の生活第一をかかげ、年金問題と医療制度に取り組むことを約束していたはずだ。
それがいつの間にか暫定税率にすり替えられ、今は後期高齢者医療制度に文句を言っている。
文句を言ってくれるのはいいが、民主党がもともと掲げていたマニフェストに忠実に行動していれば、年金問題ももう少し混乱が小さくすんだかもしれず、後期高齢者医療制度にしても、4月に入ってからガタガタ言うようなことにはならなかったはずだ。
結局は民主党も国民に対して誠実な態度を見せなかったがために、今の混乱があると言ってもいいのではないだろうか。
その意味で、民主党=小沢一郎の怠慢はもっと責められるべきである。

今、国民はどこを向いても値上げばかりで、相当に追い詰められてきている。生活に危機感を持っている。
この状況はいつまで続くのか。
今の状態が、さらに悪くなっていくのではないか。
国民にとってはそれがいちばん切実な問題であり、この事態から脱却することが、今いちばん望むことである。
民主党は、この願いに誠実に応える必要がある。
そうでなければ、何のための参議院与党なのだ。
昨日、大阪府知事の橋下徹は府内首長たちの前で涙を見せた。
08年の予算で、知事直轄の府改革プロジェクトチームの削減案により大幅に市町村への支出金を削減すると発表したことから大ブーイングを受けたためである。

橋下は泣いて頭を下げたが、腹の中では削減案を譲る気は少しもなく、冷酷に予算をカットしていくことだろう。そうして府民全員に痛みをこらえてもらう必要があると言ったのだから、当然のことだと言うだろう。
そこには貧しい人々を思いやるあたたかさは微塵もない。
今、政治を担っている者たちは、みな橋下のように国民に痛みを強いているように思われてならない。痛みを強いるのが当たり前だと思っているように感じずにいられない。
自民党に公明党、そして民主党も同じだ。
国民は今、政治に対してもっと怒りを持つ必要がある。
怒りを持って自公政権を倒し、民主党の勘違いを正していかなければならない。
そうしなければ、日本国民の先行きはあまりに暗すぎる。
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スタグフレーションとは、物価上昇(インフレ)と景気後退(あるいは景気停滞)が同時に進行することを指す。
物価上昇については、もう言うまでもなくほとんどの国民が感じていることだろう。原油高にはじまるガソリン価格の高騰、それを元にして連鎖的に起きている諸物価の高騰。なかでも食料品の高騰ぶりは、バイオエタノールを起因とする海外の穀物価格の急騰や自民党の農政の失敗なども重なり深刻な状態にある。
加えて、後期高齢者医療制度に見られるような社会保障の切り捨てによる負担増がある。
労働者の賃金は上がらないというのに、物価だけが上がり、社会保障の質がどんどん悪くなって行っている。
物価が上がれば消費活動が鈍り、経済活動は停滞する。一部の企業を除いて、多くの企業、とくに中小零細企業は苦しい経営に喘いでいる状態が続いているといっていいだろう。
昭和48年(1973)にオイルショックが起きたときには潜在やトイレットペーパーを買おうとする主婦がスーパーに殺到して大騒ぎになったが、今の日本社会でこのような現象が起きずにいるのが、私には不思議というか、不気味でさえある。

GDPなどの数値で見る限りは日本経済は安定しているように見えるが、国民一人ひとりの現状を見れば、安定とはほど遠い状態にある。何事も表面上の数値でしかものを言おうとしない自民党政府は、現状を決して後退局面にあるとかスタグフレーションに入ったとは言わないだろうが、生活者の実感としては間違いなく今の日本はスタグフレーション局面に入っており、これからの成り行き次第ではまたオイルショック時のような騒動が起こりうると思う。
暫定税率の問題で国会がもたつき、一時的にガソリン価格は安くなっているが、それでも高値安定という感じであり、原油高が今後さらに続いていけば揮発油税などなくてもどんどんガソリン価格は上がっていくだろう。
さらに今月末には自民党が暫定税率維持を衆議院可決させる可能性もあり、そうなればさらにガソリン価格は上がることになる。
となると、これまで民主党がやってきたことは何だったのかということにはならないか。
今、民主党は後期高齢者医療制度の廃止を叫んでいるが、もともと去年の夏の参院選で勝利したときには国民の生活第一をかかげ、年金問題と医療制度に取り組むことを約束していたはずだ。
それがいつの間にか暫定税率にすり替えられ、今は後期高齢者医療制度に文句を言っている。
文句を言ってくれるのはいいが、民主党がもともと掲げていたマニフェストに忠実に行動していれば、年金問題ももう少し混乱が小さくすんだかもしれず、後期高齢者医療制度にしても、4月に入ってからガタガタ言うようなことにはならなかったはずだ。
結局は民主党も国民に対して誠実な態度を見せなかったがために、今の混乱があると言ってもいいのではないだろうか。
その意味で、民主党=小沢一郎の怠慢はもっと責められるべきである。

今、国民はどこを向いても値上げばかりで、相当に追い詰められてきている。生活に危機感を持っている。
この状況はいつまで続くのか。
今の状態が、さらに悪くなっていくのではないか。
国民にとってはそれがいちばん切実な問題であり、この事態から脱却することが、今いちばん望むことである。
民主党は、この願いに誠実に応える必要がある。
そうでなければ、何のための参議院与党なのだ。
昨日、大阪府知事の橋下徹は府内首長たちの前で涙を見せた。
08年の予算で、知事直轄の府改革プロジェクトチームの削減案により大幅に市町村への支出金を削減すると発表したことから大ブーイングを受けたためである。

橋下は泣いて頭を下げたが、腹の中では削減案を譲る気は少しもなく、冷酷に予算をカットしていくことだろう。そうして府民全員に痛みをこらえてもらう必要があると言ったのだから、当然のことだと言うだろう。
そこには貧しい人々を思いやるあたたかさは微塵もない。
今、政治を担っている者たちは、みな橋下のように国民に痛みを強いているように思われてならない。痛みを強いるのが当たり前だと思っているように感じずにいられない。
自民党に公明党、そして民主党も同じだ。
国民は今、政治に対してもっと怒りを持つ必要がある。
怒りを持って自公政権を倒し、民主党の勘違いを正していかなければならない。
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恥ずかしながら、今までブログに動画を貼りつける方法がわからなかった。
とくにYou Tubeはどうやったらいいのか、皆目わからずに今日まで来てしまった。
でも、調べてみると意外なほどカンタンなんですね。
というわけで、小さな記念として私のお気に入りの動画を。
バカっぽいけど、すごいです。笑えます。でも、ちょっと痛そう。
もう有名すぎたか? まあ許しておくれ。
もうひとつ、日本でブレークなるか、マギボン。
それにしても彼女、アメリカの片田舎でひとりネットを見て日本語を学んだのだそうだ。
すげーなー。
私なんか大学まで行って英語の授業を受けたのに、ダメダメだもんね。
お恥ずかしいかぎり。
がんばれ、マギボン。
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とくにYou Tubeはどうやったらいいのか、皆目わからずに今日まで来てしまった。
でも、調べてみると意外なほどカンタンなんですね。
というわけで、小さな記念として私のお気に入りの動画を。
バカっぽいけど、すごいです。笑えます。でも、ちょっと痛そう。
もう有名すぎたか? まあ許しておくれ。
もうひとつ、日本でブレークなるか、マギボン。
それにしても彼女、アメリカの片田舎でひとりネットを見て日本語を学んだのだそうだ。
すげーなー。
私なんか大学まで行って英語の授業を受けたのに、ダメダメだもんね。
お恥ずかしいかぎり。
がんばれ、マギボン。
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来週末には、いよいよ日本にも聖火がやってきて、北京五輪のリレーが始まる。
すでに各国で行われた聖火リレーでは、チベットでの中国による人権弾圧に抗議する人々が、さまざまな活動をしているが、日本ではどうなるのだろうか。
リレーのスタート地点となる長野県・善光寺では13日、チベットでの事件で命を落とした人々を悼んで、市民ら約60人がろうそくを灯し、僧侶が読経した。

もともと聖火リレーはオリンピック大会そのものとは別個のもので、1936年に開かれたベルリン大会で、ヒトラー率いるナチスが世界にその存在をアピールする宣伝をするために始めたものだ。今回の聖火リレーも、当然のことながら聖火はオリンピックそのものよりも中国という国を象徴するものであり、中国は聖火を世界中走り巡らすことによって国威発揚に役立てようとしていることは明らかだ。
また現在は、リレーそのものにスポンサーがつき、ランナーはスポンサーの広告とともに走ることになっている。広告が世界を走り回るということは、その背景には巨額な金が動いていることになる。
こんな事情を考え合わせれば、オリンピック大会をボイコットする必要はないとしても、聖火リレーを取り止める、あるいは縮小すべきだという考え方が出ても当然だろう。すでにみそがついた大会になりつつある北京オリンピックでは、協賛するスポンサーとしても本心は痛し痒しというところだろう。リレーを中止するとなってもクレームはつけにくいのではないだろうか。
リレーには、有森裕子ら著名人がランナーとして名前を連ねているが、彼らはどう対応するのか。私としてはやはり、ここでなんらかの意思表示はするべきではないかと思う。すでにNHKの青木祐子アナウンサーは出走を取り止めている。表向きの理由は、スポーツ担当から報道担当にかわったためとしているが、本心はチベット問題に対する抗議にあると思いたい。
他にも松岡修造、星野仙一、萩本欽一らが走る予定らしいが、彼らの中に気骨を示すものはあるのだろうか。弾圧に抗議するという意思表示をするために、チベットの国旗を腕章にするとか、あるいは後ろ向きに走るとか。
スタート地点の善光寺はどうするのだろう。
チベットで同じ仏教徒が理不尽な目に遭っているというのに、何も意思表示をしないとしたら、お釈迦様も悲しむだろう。へたれな日本政府と同じ真似はしてほしくないものだ。
この際、スタート地点として場所を提供するのを辞退する。あるいはお祭り的な雰囲気を一切排除して、僧侶たち全員が読経しながらスタートさせる。
欧米のようなエキセントリックな方法を取る必要はない。しかし、なんらかの意思表示はする義務があるのではないか。
すでに、26日当日は、リレー終了後に予定されていたイベント中止が決定され、リレーそのものも長野県警が3000人から4000人規模で警備する方針だという。
ものものしい格好をした機動隊員に囲まれてリレーが進んでいく。その様子が映し出されるだけでも中国は複雑な心境になるだろう。
異様な光景の聖火リレーをさらに異様にして抗議の意志を示すために、沿道には誰も見物に行かないというのはどうだろう。名目はリレーが安全に行われるためとして、一切見物客が沿道に立たないようにする。これは日本にいる中国人たちが見物に行くだろうから、あまり効果はないか。
毎日新聞の取材に対して、善光寺事務局は「善光寺から平和を発信できれば、と考えて出発式を引き受けたが、このような事態になって戸惑っている」と語っているが、戸惑うだけでなく、仏教徒として毅然とした態度を示してほしいものだ。
すでに北京オリンピックは記録抹殺することに決めた私は、聖火リレーなどもちろん見る気はないが、日本人としてなんらかの意思表示が行われるであろうことには大いに関心を持っている。
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すでに各国で行われた聖火リレーでは、チベットでの中国による人権弾圧に抗議する人々が、さまざまな活動をしているが、日本ではどうなるのだろうか。
リレーのスタート地点となる長野県・善光寺では13日、チベットでの事件で命を落とした人々を悼んで、市民ら約60人がろうそくを灯し、僧侶が読経した。

もともと聖火リレーはオリンピック大会そのものとは別個のもので、1936年に開かれたベルリン大会で、ヒトラー率いるナチスが世界にその存在をアピールする宣伝をするために始めたものだ。今回の聖火リレーも、当然のことながら聖火はオリンピックそのものよりも中国という国を象徴するものであり、中国は聖火を世界中走り巡らすことによって国威発揚に役立てようとしていることは明らかだ。
また現在は、リレーそのものにスポンサーがつき、ランナーはスポンサーの広告とともに走ることになっている。広告が世界を走り回るということは、その背景には巨額な金が動いていることになる。
こんな事情を考え合わせれば、オリンピック大会をボイコットする必要はないとしても、聖火リレーを取り止める、あるいは縮小すべきだという考え方が出ても当然だろう。すでにみそがついた大会になりつつある北京オリンピックでは、協賛するスポンサーとしても本心は痛し痒しというところだろう。リレーを中止するとなってもクレームはつけにくいのではないだろうか。
リレーには、有森裕子ら著名人がランナーとして名前を連ねているが、彼らはどう対応するのか。私としてはやはり、ここでなんらかの意思表示はするべきではないかと思う。すでにNHKの青木祐子アナウンサーは出走を取り止めている。表向きの理由は、スポーツ担当から報道担当にかわったためとしているが、本心はチベット問題に対する抗議にあると思いたい。
他にも松岡修造、星野仙一、萩本欽一らが走る予定らしいが、彼らの中に気骨を示すものはあるのだろうか。弾圧に抗議するという意思表示をするために、チベットの国旗を腕章にするとか、あるいは後ろ向きに走るとか。
スタート地点の善光寺はどうするのだろう。
チベットで同じ仏教徒が理不尽な目に遭っているというのに、何も意思表示をしないとしたら、お釈迦様も悲しむだろう。へたれな日本政府と同じ真似はしてほしくないものだ。
この際、スタート地点として場所を提供するのを辞退する。あるいはお祭り的な雰囲気を一切排除して、僧侶たち全員が読経しながらスタートさせる。
欧米のようなエキセントリックな方法を取る必要はない。しかし、なんらかの意思表示はする義務があるのではないか。
すでに、26日当日は、リレー終了後に予定されていたイベント中止が決定され、リレーそのものも長野県警が3000人から4000人規模で警備する方針だという。
ものものしい格好をした機動隊員に囲まれてリレーが進んでいく。その様子が映し出されるだけでも中国は複雑な心境になるだろう。
異様な光景の聖火リレーをさらに異様にして抗議の意志を示すために、沿道には誰も見物に行かないというのはどうだろう。名目はリレーが安全に行われるためとして、一切見物客が沿道に立たないようにする。これは日本にいる中国人たちが見物に行くだろうから、あまり効果はないか。
毎日新聞の取材に対して、善光寺事務局は「善光寺から平和を発信できれば、と考えて出発式を引き受けたが、このような事態になって戸惑っている」と語っているが、戸惑うだけでなく、仏教徒として毅然とした態度を示してほしいものだ。
すでに北京オリンピックは記録抹殺することに決めた私は、聖火リレーなどもちろん見る気はないが、日本人としてなんらかの意思表示が行われるであろうことには大いに関心を持っている。
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昨日のニュースでは、どれも「後期高齢者医療制度」がスタートしたことを取り上げ、その混乱ぶりと矛盾点を映し出していた。
「報道ステーション」では、この制度のために保険料がこれまでの3倍にもなって徴収された老夫婦を取り上げていた。
この夫婦の場合、妻が寝たきりで障害者年金を受け取っており、これまでは保険料を支払わずにすんできた。今度の制度は一人ひとりが徴収の対象になる。障害者年金を受け取っている妻もその例外ではなく、しかも夫に20万ほどの年金が支払われているために夫婦一世帯の収入と見なされて算定され、結果としてこれまでの3倍もの徴収額になったという。
しかも、徴収額が変わることを知らせてきたのが今月初めで、15日にはもう天引きされていた。「これでは抗議する時間もない」と夫は怒っていた。
もう1人の老婆の場合は年金収入はゼロ。息子に扶養される形になっていた。ところが、国は半年間は猶予をおくものの、それ以降は年金を一銭ももらえないこの老婆からも保険料を徴収する。この人の場合は天引きではなく自分で窓口まで支払いに行くことになるのだろうが、どうやってその金を捻出するのか。支払いを滞らせると、国は容赦なく保険証を取り上げるのである。
その他にも、少ない年金のために蓄えを少しずつ切り崩して生活している老夫婦もいた。彼らの生活は、さらに年金が削られることによって貯金が底をついたときには生活が成り立たなくなることが見えている。それなのに、救済策はまったくないのだ。

国民の多くを巻き込む制度だというのに、このような矛盾と理不尽な点を抱えたまま施行されてしまったのは、2年前の小泉内閣のときに自民党が衆議院で強行採決をしたからだ。
その自民党の議員たちは、今もこの制度が「いい制度」だと言い、インタビューに応じた衆議院議員の鈴木俊一は制度を改めるつもりは毛頭ないと言い切っていた。
舛添要一などは「私は世界でいろいろな制度を見てきたが、これほどいい制度を持つ国は他にない」という旨の発言をしていた。自民党の中には野田毅のように「この制度はもう一度考え直す必要がある」という者もいる。与党内でも完全に煮詰められた制度でないのだ。
「ニュース23」では、脱北ジャーナリストによる北朝鮮の隠し撮り映像が放送されていた。
そこに映し出されるのは、食べるものがないために学校にも行けない子どもや、崩れかかった家屋に住む貧しい農民、肥料を積んだ貨車からこぼれ落ちる肥料を拾い集め、金に替える貧しい人々の姿だった。
北朝鮮でも市場主義が広がり、都市部では恵まれた生活をしている人々もいるようだが、一連の映像を見ていて思ったのは、もしかするとこれは数年後の日本の姿かもしれないということだった。
私は背筋が凍るような思いをした。

富める者と貧しい者との格差は広がり、都市部と地方の格差も広がり、一方では食事にも事欠く人々が現れる。保険料など払えない人々は保険証もなく、医療を受けることもできない。
一方で都市部に住む金持ちたちは、相変わらず日本は好景気が続いていると言い、高級ブランドの店が大繁盛を続ける。
少し前までは、北朝鮮の人々が可哀相な暮らしをしていると思っていたのに、昨日を境にして、その感じ方が劇的に変わってしまった人は少なくないのではないだろうか。
日本はこのまま悪くなっていくのだろうか。だとしたら、異常な悪政がこの事態を招いているのであり、それは北朝鮮と変わらないということではないか。
北朝鮮とただひとつ違うのは、われわれの手には自らの意志でこの政府を倒す可能性を持っているということだ。
何としてでも、次の選挙では自民党と公明党だけには勝たせてはならない。
その意味でも、今度の山口二区の選挙は重要な意味を持つ。
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「報道ステーション」では、この制度のために保険料がこれまでの3倍にもなって徴収された老夫婦を取り上げていた。
この夫婦の場合、妻が寝たきりで障害者年金を受け取っており、これまでは保険料を支払わずにすんできた。今度の制度は一人ひとりが徴収の対象になる。障害者年金を受け取っている妻もその例外ではなく、しかも夫に20万ほどの年金が支払われているために夫婦一世帯の収入と見なされて算定され、結果としてこれまでの3倍もの徴収額になったという。
しかも、徴収額が変わることを知らせてきたのが今月初めで、15日にはもう天引きされていた。「これでは抗議する時間もない」と夫は怒っていた。
もう1人の老婆の場合は年金収入はゼロ。息子に扶養される形になっていた。ところが、国は半年間は猶予をおくものの、それ以降は年金を一銭ももらえないこの老婆からも保険料を徴収する。この人の場合は天引きではなく自分で窓口まで支払いに行くことになるのだろうが、どうやってその金を捻出するのか。支払いを滞らせると、国は容赦なく保険証を取り上げるのである。
その他にも、少ない年金のために蓄えを少しずつ切り崩して生活している老夫婦もいた。彼らの生活は、さらに年金が削られることによって貯金が底をついたときには生活が成り立たなくなることが見えている。それなのに、救済策はまったくないのだ。

国民の多くを巻き込む制度だというのに、このような矛盾と理不尽な点を抱えたまま施行されてしまったのは、2年前の小泉内閣のときに自民党が衆議院で強行採決をしたからだ。
その自民党の議員たちは、今もこの制度が「いい制度」だと言い、インタビューに応じた衆議院議員の鈴木俊一は制度を改めるつもりは毛頭ないと言い切っていた。
舛添要一などは「私は世界でいろいろな制度を見てきたが、これほどいい制度を持つ国は他にない」という旨の発言をしていた。自民党の中には野田毅のように「この制度はもう一度考え直す必要がある」という者もいる。与党内でも完全に煮詰められた制度でないのだ。
「ニュース23」では、脱北ジャーナリストによる北朝鮮の隠し撮り映像が放送されていた。
そこに映し出されるのは、食べるものがないために学校にも行けない子どもや、崩れかかった家屋に住む貧しい農民、肥料を積んだ貨車からこぼれ落ちる肥料を拾い集め、金に替える貧しい人々の姿だった。
北朝鮮でも市場主義が広がり、都市部では恵まれた生活をしている人々もいるようだが、一連の映像を見ていて思ったのは、もしかするとこれは数年後の日本の姿かもしれないということだった。
私は背筋が凍るような思いをした。

富める者と貧しい者との格差は広がり、都市部と地方の格差も広がり、一方では食事にも事欠く人々が現れる。保険料など払えない人々は保険証もなく、医療を受けることもできない。
一方で都市部に住む金持ちたちは、相変わらず日本は好景気が続いていると言い、高級ブランドの店が大繁盛を続ける。
少し前までは、北朝鮮の人々が可哀相な暮らしをしていると思っていたのに、昨日を境にして、その感じ方が劇的に変わってしまった人は少なくないのではないだろうか。
日本はこのまま悪くなっていくのだろうか。だとしたら、異常な悪政がこの事態を招いているのであり、それは北朝鮮と変わらないということではないか。
北朝鮮とただひとつ違うのは、われわれの手には自らの意志でこの政府を倒す可能性を持っているということだ。
何としてでも、次の選挙では自民党と公明党だけには勝たせてはならない。
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9.11事件の当日、あのビルにいた誰かがビデオを手にしており、航空機が突っ込んできたそのときを撮影していたら、こんな映像が残ったかもしれない。
スクリーンを見ながら、そんなことを考えた。
今日は、「クローバーフィールド/HAKAISHA」を観てきた。

映画はタイトルもなく、唐突に始まる。
最初にビデオのテストパターンが出て、そこに字幕が現れ、この画面はセントラルパークだったところから回収されてきたものだと説明される。
セントラルパークだったところ……
ということは、すでにニューヨークマンハッタンの、あの公園は此の世から姿を消しているということか。
しかしまた、なぜ?
考える間もなく、画面はごく普通のホームビデオの映像になる。
そこに登場する二人の男女。
一夜をともにした翌朝らしく、男の子が持つカメラが窓の外の眺めから家の中、そしてまだベッドの中にいる彼女と映していく。
歩きながら撮影するとこうなります、というように画面はブレブレで見にくいったらありゃしない。でも、これが作者の狙いなのだ。ビデオマニアが恐ろしい事件に遭遇したら、どんな映像を撮るか。これが、良くも悪くも「クローバーフィールド」の核となるアイデアだからだ。
同じような試みで作られた映画に「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」があったけれど、こちらは映画クルーがたまたま怪奇現象に遭遇してしまったという設定だった。
なんだ、同じじゃん。
でも、こっち(「クローバーフィールド」)の方がスケールがでかいよ。スケールがでかいから、生に近い臨場感が伝わってくる。だから思わず、私は9.11を連想してしまったのだ。

9.11では、見えないテロリストが人々を恐怖のどん底に突き落としたのだが、この映画でもそこいら辺がうまく考えられている。
突然ニューヨークの街が破壊され、人々がパニックを起こす場面が描かれていくのだが、一体何事が起こったのか、なかなかわからせてくれない。どうやら巨大な生物が暴れているらしいのだが、その正体がわからない。
どんな姿をした生物なのか、それはどこからやってきたのか、なぜ街を破壊し、人々を殺戮していくのか。
映画はこれらのことについて、ほとんど語ろうとしない。だから、映画を観ているわれわれも、登場人物と一緒になって混乱しながらストーリーを追うしかないのだ。
あの日、自分たちのオフィスがあるビルに飛行機が衝突するなど、だれも想像できなかった。しかし、悪夢のようなことが実際に起こったとき、人はどんな行動を取るのか。映画を作る勘所はここにあるだろう。
この映画が成功作になり得なかったのは、最初の思いつきは面白かったものの、結局は極限状態に追い詰められた人間というものを突き詰めて描けなかったところに原因がある。得体の知れないものに襲われ、暗闇募る夜の街を逃げまどう登場人物たちのセリフやリアクションが、いかにも嘘くさいのである。アイデアは面白いが、才能ある脚本家と監督だったら、もっと違う味つけをしていたに違いない。HAKAISHAの造形も、それがなぜ破壊に至るようになったのかをきっちり描くだろう。9.11の恐ろしさが、アルカイダというテロ組織によって起こされた無差別殺人だったとわかるにつれ、エスカレートしていったように。
しかし、だからといってこの映画がまったくつまらなかったわけではない。
訳もわからず、まったく理不尽に命を狙われることになる主人公たちの恐怖感は十分伝わってくるし、アメリカお得意の軍隊出動が、少しも頼りにならないところなどは皮肉に笑える。
結局、アメリカ政府はニューヨークを自らの手で消滅させてしまったのだが、果たして凶暴な威力をふるった敵を倒すことはできたのか。
そこは観客の想像にまかせる、というところがまた、なんともニクイね。
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スクリーンを見ながら、そんなことを考えた。
今日は、「クローバーフィールド/HAKAISHA」を観てきた。

映画はタイトルもなく、唐突に始まる。
最初にビデオのテストパターンが出て、そこに字幕が現れ、この画面はセントラルパークだったところから回収されてきたものだと説明される。
セントラルパークだったところ……
ということは、すでにニューヨークマンハッタンの、あの公園は此の世から姿を消しているということか。
しかしまた、なぜ?
考える間もなく、画面はごく普通のホームビデオの映像になる。
そこに登場する二人の男女。
一夜をともにした翌朝らしく、男の子が持つカメラが窓の外の眺めから家の中、そしてまだベッドの中にいる彼女と映していく。
歩きながら撮影するとこうなります、というように画面はブレブレで見にくいったらありゃしない。でも、これが作者の狙いなのだ。ビデオマニアが恐ろしい事件に遭遇したら、どんな映像を撮るか。これが、良くも悪くも「クローバーフィールド」の核となるアイデアだからだ。
同じような試みで作られた映画に「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」があったけれど、こちらは映画クルーがたまたま怪奇現象に遭遇してしまったという設定だった。
なんだ、同じじゃん。
でも、こっち(「クローバーフィールド」)の方がスケールがでかいよ。スケールがでかいから、生に近い臨場感が伝わってくる。だから思わず、私は9.11を連想してしまったのだ。

9.11では、見えないテロリストが人々を恐怖のどん底に突き落としたのだが、この映画でもそこいら辺がうまく考えられている。
突然ニューヨークの街が破壊され、人々がパニックを起こす場面が描かれていくのだが、一体何事が起こったのか、なかなかわからせてくれない。どうやら巨大な生物が暴れているらしいのだが、その正体がわからない。
どんな姿をした生物なのか、それはどこからやってきたのか、なぜ街を破壊し、人々を殺戮していくのか。
映画はこれらのことについて、ほとんど語ろうとしない。だから、映画を観ているわれわれも、登場人物と一緒になって混乱しながらストーリーを追うしかないのだ。
あの日、自分たちのオフィスがあるビルに飛行機が衝突するなど、だれも想像できなかった。しかし、悪夢のようなことが実際に起こったとき、人はどんな行動を取るのか。映画を作る勘所はここにあるだろう。
この映画が成功作になり得なかったのは、最初の思いつきは面白かったものの、結局は極限状態に追い詰められた人間というものを突き詰めて描けなかったところに原因がある。得体の知れないものに襲われ、暗闇募る夜の街を逃げまどう登場人物たちのセリフやリアクションが、いかにも嘘くさいのである。アイデアは面白いが、才能ある脚本家と監督だったら、もっと違う味つけをしていたに違いない。HAKAISHAの造形も、それがなぜ破壊に至るようになったのかをきっちり描くだろう。9.11の恐ろしさが、アルカイダというテロ組織によって起こされた無差別殺人だったとわかるにつれ、エスカレートしていったように。
しかし、だからといってこの映画がまったくつまらなかったわけではない。
訳もわからず、まったく理不尽に命を狙われることになる主人公たちの恐怖感は十分伝わってくるし、アメリカお得意の軍隊出動が、少しも頼りにならないところなどは皮肉に笑える。
結局、アメリカ政府はニューヨークを自らの手で消滅させてしまったのだが、果たして凶暴な威力をふるった敵を倒すことはできたのか。
そこは観客の想像にまかせる、というところがまた、なんともニクイね。
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関連タグ : クローバーフィールド, 9.11,
今日15日は、後期高齢者医療制度により、75歳以上の人たちが介護保険料とともに健康保険料も天引きされた年金がはじめて支給される日だ。
ただでさえ少ない年金、しかも社保庁の不始末がまったく片付いていないというのに、しっかり天引きされてくる年金を受け取る老人たちの気持ちはどんなものだろう。戦後、平和になったとはいっても決して暮らしやすかったとは言えない日本で一生懸命働いて、今日まで生きてきた老人たちには「公平な痛み」を味わわねばらないいわれなど、ないはずだ。
それにもかかわらず、厚労省の役人は「年金記録問題と保険料天引きとは別問題だ」(厚生労働省幹部)と言って悪びれる様子もない。(時事通信)
何度でも繰り返すが、金が足りなくなるからといって老人からも金を巻き上げるという発想は、まるで穀潰しの放蕩息子が考え出したような噴飯もののアイデアだ。
昨日は巣鴨で野党4党が集まって、後期高齢者医療制度の廃止を訴えていたが、その結集した力を生かして、なんとか自公政権に終止符を打ってもらいたいものだ。

さらにもうひとつ、今日は福田政権になって発の国政選挙となる衆院山口2区補欠選挙が告示される。
立候補しているのは自民党新人で公明党が推薦する山本繁太郎(59)と、前民主党比例中国ブロック衆院議員で社民党が推薦する平岡秀夫(54)の二人だ。
暫定税率や日銀総裁人事で対立が続いている自民・民主両党にとっては、政局の行方を占う意味でどちらも負けられない戦いになっている。自民党は安倍晋三や外務大臣の高村正彦が応援に駆けつけているが、民主党も小沢一郎がすでに2度、選挙区入りしている。
ただでさえ少ない年金、しかも社保庁の不始末がまったく片付いていないというのに、しっかり天引きされてくる年金を受け取る老人たちの気持ちはどんなものだろう。戦後、平和になったとはいっても決して暮らしやすかったとは言えない日本で一生懸命働いて、今日まで生きてきた老人たちには「公平な痛み」を味わわねばらないいわれなど、ないはずだ。
それにもかかわらず、厚労省の役人は「年金記録問題と保険料天引きとは別問題だ」(厚生労働省幹部)と言って悪びれる様子もない。(時事通信)
何度でも繰り返すが、金が足りなくなるからといって老人からも金を巻き上げるという発想は、まるで穀潰しの放蕩息子が考え出したような噴飯もののアイデアだ。
昨日は巣鴨で野党4党が集まって、後期高齢者医療制度の廃止を訴えていたが、その結集した力を生かして、なんとか自公政権に終止符を打ってもらいたいものだ。

さらにもうひとつ、今日は福田政権になって発の国政選挙となる衆院山口2区補欠選挙が告示される。
立候補しているのは自民党新人で公明党が推薦する山本繁太郎(59)と、前民主党比例中国ブロック衆院議員で社民党が推薦する平岡秀夫(54)の二人だ。
暫定税率や日銀総裁人事で対立が続いている自民・民主両党にとっては、政局の行方を占う意味でどちらも負けられない戦いになっている。自民党は安倍晋三や外務大臣の高村正彦が応援に駆けつけているが、民主党も小沢一郎がすでに2度、選挙区入りしている。








