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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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今朝の朝日新聞には、「硫化水素自殺やめて」という記事が載っていた。同紙の調べによると、硫化水素による自殺と見られる死者数は4月に入ってから29日夕方までに少なくとも59人にのぼっているという。全体の8割が男性で、20~30代が目立つのが特徴だ。

なんとも困った事態だ。
硫化水素という毒ガスを使って周囲を巻き込む可能性がある死に方が流行したのも困ったことだが、簡単に自殺できる方法があるとなると、こうまで簡単に自殺をする人が増えるということがいちばんの問題だと思う。

硫化水素で死のうとする人は、「毒ガス危険」といった貼り紙をして、最後のダイング・メッセージを残している場合が多い。それは周囲を巻き込みたくないという最後の思いやりなのか、それとも自分の存在に気づいてほしいという願望の現れなのか。

同紙には、夜回り先生こと水谷修氏のコメントが出ている。
「命は君のものですか? 生きたくても病気で死んでいく子どもがいる。戦争で命を奪われた人たちがいる。そんな多くの人から受け継いだ命の糸を絶やさないでほしい」「硫化水素自殺は多くの周りの人にも迷惑どころか命の危険すら与えている。考えてください。明日は必ず来る」

ごもっともな意見で、私などには反論のしようもないところだ。
しかし、同じ朝日新聞の一面では、雇用に恵まれなくて全財産が100円しかないという男性が紹介されている。彼は都内の有名私立大学を卒業したが浪人と留年を重ねているうちに30歳になった。このとき、世間は就職氷河期まっただ中。男性は派遣労働者として働き続けたが、面接をいくら受けても正社員にはなれない。そのうち、面接すると「どうして職をそんなに転々としているのか」と聞かれるようになった。結局、派遣労働者で食いつなぐしかない者が、まじめに働いて正社員になろうとしても、派遣労働者の経験そのものが足かせになって正社員にはなれないのだ。
派遣労働者として働いても賃金は安く保障は低い。給料をもらってもさまざまな名目の天引きがおこなわれて手元に残るのはわずかばかりだ。
こうした悪循環がかさなって、ついには所持金が100円にまでなってしまったというわけだ。

典型的なワーキングプアである。
今、こうしたワーキングプアが、男女を問わず全国に増えている。
真面目に働いても働いても、余裕ができない。暮らしていけない。希望が持てない。

そう、今の日本社会では、べつに悪いことをしているわけでもなく、真面目に生きて行こうとしている人が希望を失い、生きて行くことが困難になっているのだ。

夜回り先生は自殺者を諫めて言う。
「もう一度考えてください。明日は必ずくるのだから」
しかし、ワーキングプアにとっては、その明日もまた絶望に満ちているのだ。生きていることに喜びを見出すことができないのだ。

この状況を見て、どうして一方的に自殺者を責めることができるだろう。
「生きてさえいれば、必ずいいことがある」
それは慰めにはなるかもしれないが、困窮者にとっては、そのいいことは今、この瞬間にも起こらなければ立ちゆかないのだ。

この現実をどうすれば解決できるのか。
それは政治に頼むしかない。

しかし今、腐りきった自民党と公明党は、暫定税率がなければ死んでしまうようなことを言って税率回復の決議をしようとしている。
決議をして道路が造れるようになって、いったいどれだけの人間が救えるようになるのか。
自民も公明も、本当に救わなければならない人々がいるというのに、そちらには目を向けようともしない。彼らは明き盲同然だ。

今日、衆議院で暫定税率の回復が、相変わらずの数の論理で可決され、明日からガソリンがリッター160円になろうとしている。
私は、そろそろ日本国民も黙ってはいられなくなってきていると思うのだが、いかがなものだろうか。


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いまや日本は、どこを向いても「値上げ」「値上げ」だ。
食料品、乳製品の値上げ、小麦の値上げ、それに今度は電気、ガスも大幅な値上げが決まった。

そして政府は30日に暫定税率を衆院再議決で可決、5月以降はガソリン税に加えて原油高騰による値上がり分もふくめレギュラーガソリンでリッター160円台になりそうな情勢だ。
まえにも書いたが、一度下げた税金を、いかなる理由があれ再び上げるのは新たな増税である。
増税するからには、政府はその理由を国民に納得させる義務があるはずだが、自民党の伊吹文明などは「すでに決まり切ったこと」と、なんの誠意も見せようとしない。

私はもう、ここにきて腐れきった自民党に対して、文句を言う気にもなれずにいる。暫定税率を復活するのなら、今までの無駄遣いも復活するのだろうし、役人の天下り先も未来永劫温存していくつもりなのだろう。
文句は言いたくないが、唾を吐きかけてやりたい衝動に駆られる自民党である。
公明党
しかし、私がもっとも腹を据えかねているのは「公明党」の存在だ。
同党のHPを見ると、「生活に直結。政治に直結」というスローガンが出てくるのだが、これはいったいどういうことを意味しているのだろうか。公明党が自民党とともに政権を握ってからやってきたことといえば、自民党の暴走に歯止めをかけるのではなく、その暴走の手助けをすることばかりだった。
今回の暫定税率復活に際しても、公明党はなんら議論することもなく税制関連法案を衆院で再議決する方針を決めている。
これだけ値上げが続き、国民の生活は確実に苦しくなっている状況が明らかになっているというのに、生活に直結、政治に直結しているらしい公明党は、自民党とともにさらなる物価上昇に協力し、すこしでも物価を抑えるような施策のアイデアを出すという気はないようだ。

公明党のHPなど、汚らわしくて長くは見る気もしないのだが、それを我慢してみていると、マニフェスト進捗なる項目があり、そこには「マニフェストの達成度は98%」という文句が誇らしげに書いてある。
いったいどんなマニフェストを達成してきたのか見てみると、たとえば「持続可能で安心できる社会保障制度を構築」という項目では、
・社会保障制度の地方分権改革――前進
・年金制度改革――大きく前進
・基礎年金国庫負担の段階的引き上げ――前進
・新たな高齢者医療制度の実現――進行中
・医療・介護の自己負担軽減の新たな制度の創設――前進

などとなっている。
いかにも公明党は実行力があるといいたそうだが、どれもこれもよく見れば自民党の尻馬に乗って数の論理に加勢しただけのことではないか。「新たな高齢者医療制度の実現」の内容を見てみると、社会保障制度のあり方に関する懇談会や社会保障審議会医療保険部会で検討が進められています、というのが進捗状況で、今後の課題は前期・後期高齢者の負担のあり方など高齢者の実態を踏まえた検討が必要です。となっている。
なんともスカスカの中身である。

公明党はこんな見かけ倒しの文言で「マニフェストの達成度は98%」などと宣言し、政権与党としての責務を果たしていると見せたいところだろうが、どこを見ても心なしかすべての文言は上の空で書かれたように内実が伴っていない。

このような空疎な政党が日本の政治に加わり、与党として悪政を重ねることに協力していることを思うと、心の底から怒りが湧いてくる。

公明党はつまるところ、創価学会の信者たちによる盲信で党の形を見せかけているカルト集団に他ならない。このような集団をいつまでも政党と認めていると、日本人から思考が失われていき、行き着く先は北朝鮮のような独裁政権になるのではないか。創価学会の広報映画を見せられたことがあるが、あれなどはまさに北朝鮮のプロパガンダフィルムと同じで、いちおう政教分離をうたっているものの、この党の本心が池田大作をトップに置く独裁政権を作ることが最終目標であることは間違いないところだろう。

自民党の福田政権は、もはや風前の灯といってもいい状態だが、われわれがほんとうに気をつけておかなければならないのはむしろ、創価学会と公明党が密かに練っている陰謀なのではないかと思えるのである。


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この連休中も、みっちり仕事をしなけれならない私は、ようやく天気が安定してきたというのに、暗くじめついている。
なにが、ゴールデンウィークだよ。海外旅行だよ。
今年は50万人が海外に遊びに行くそうじゃないか。

生活に追われ庶民の生活は苦しくなる一方だという論法があるなかで、こういうバカンスシーズンになると、海外旅行だなんだという人々で空港や駅のターミナルは人でごった返す。

ほんとに日本人の生活は苦しくなっているのか?
それともこれが社会格差の現れと見るべきなのか? 羽田や成田から飛び立つ50万人の日本人のはるか下方にある下界では、別次元の貧困に喘いでいる人々がいるということなのだろうか。
テレビの報道を見ていると、ほんとうに社会の姿が見えなくなる。

それはともかく、昨日の山口補選では、前民主党衆議院議員で社民党推薦の平岡秀夫が当選した。
まずはよかった。
この勝利は、相手がノーパンしゃぶしゃぶの常連のスケベおやじで、耐震偽装問題では証拠隠滅をはかり、社会的地位を上げた噴飯ものの候補だったのだから、あたりまえとも考えられる。
山口の有権者たちは、きわめてノーマルな反応をして投票したと思う。
平岡秀夫
しかし、そのノーマルな反応は、ノーパンしゃぶしゃぶなどに対するものではなく、あくまでも今月から始まった最悪の制度「後期高齢者医療制度」に対する怒りの反応と見るべきだろう。
山口2区の人々は、日本全国民の意志を代表して、自民・公明が推す候補を粉砕して見せたのだ。

この結果を、政府は重く受け取るべきである。
自らが行ってきた悪政を少しでも反省すべきである。
しかし、今の硬直した自民党ではそんな反省もままならないだろう。
ならば、民意が自公政府の思惑に対してノーを突きつけたのだから、内閣は責任をとり総辞職して、こんどは国民全体の真意を諮るべきだ。

そして国民はこんどこそ、自公を倒して民主を中心とする新たな政権を打ち立てるべきだ。
いよいよ自公政権が倒れる日も近いと思うと、暗くじめついている私の心も、少しは晴れてくる。

だが、一方では小泉純一郎小池百合子前原誠司と会食し、なにやら話し合ったという情報もある。求心力を失った福田康夫に代わって、次期首相の座を巡る動きがすでに始まっているようだ。
それにしても、小池百合子
小池百合子
次の自民党総裁には麻生太郎が有力視されているが、そこに小池が立候補することで「日本版オバマ対クリントン」だ、などとはやってほしくないものだ。
これこそパフォーマンス以外のなにものでもなく、馬鹿なマスコミを喜ばせるだけだろう。
そして国民の目を大事な問題から引き離し、いつの間にか問題をすり替えて、ちゃっかり政権を維持しようという腹づもりなのだろうか。
小泉なら考えそうなことかもしれない。

山口補選で民主党候補が勝ったことが、これから政局にどんな影響を与えることになるのか。
また自民党は、どう動くのか。
まずはガソリン税をほんとうに予定通り復活させることができるのか。
今週は、そのあたりを注目していきたいと思っている。


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あたらしい家族が、また増えた。

実はわが家にコザクラインコがやってきたとき、私はオカメインコの愛らしさにも惹かれてしまったのだ。
くるんとカールした冠羽(トサカ)に愛嬌のあるほっぺたの斑点。
コンパニオンバードと呼ばれるらしく、人にとてもなついて寄り添って生きることが好きな鳥だという。

でも、その反面、雛から育てるのは難しいらしく、一人前になって自分でエサが食べられるようになるまでに死んでしまうことが少なくないそうだ。
こりゃ、私には向いていない。
そう思って一度は諦めた。私には雛につききりで面倒を見る自信はないし、そのうえペットショップで売っているヒナは、けっこうなお値段がしていた。

そこで私は、ネットで調べてみることにした。
すると、ネットには里親募集の掲示板がたくさん出ていた。多くはヒナを譲るというものだったが、そのなかで生後1年くらいの成鳥を譲ってくれるという人がいて、私はメールを送ってみた。

すると翌日返事が来て、受け取りに来てくれるなら好きなものを選んでくださいという。愛鳥家のその人は、オカメたちが繁殖しすぎてしまい、ただで譲ると言ってくれる。はじめは有料ということだったが、無償で譲るというと、なかにはは虫類のエサにするためにひな鳥をもらいにくる人間がいるのだそうだ。
もちろん、私の場合はコンパニオンバードとして、あわよくば肩に止まってもらい、頬ずりでもして仲良くしたいと思っている。その人は、タダで差し上げますと言ってくれた。

それが先週はじめのことで、私はその後、オカメインコ用の少し大振りなケージを購入したり、準備万端整えていた。

そして昨日。
茨城まで車で行き、Mさんというその人を訪ねると、彼は腕に立派なオウムを乗せて現れた。真っ白なそのオウムは石像のように美しくて貫禄があり、羽がツヤツヤしている。私とカミサンがオウムの姿に見とれていると、Mさんがオカメインコが5、6羽も入ったケージを持ってきてくれた。
あらかじめ、電話でオスがいいと伝えておいたので、オスだけを集めてくれたのだそうだ。オスは歌うのが好きで、口笛などにあわせてよく歌ってくれるというのだ。

白や黄色やグレーの鳥がいたが、私たちが一目で気に入ったのは顔がまっしろで羽にグレーの斑模様がある一羽だった。ほっぺたにオカメマークはなかったけれど、なんとも気品のある姿をしているうえに、カゴに近づくと人なつこく寄ってきてくれた。
あれこれ迷うこともなく「この子にします!」と決めて、ついにわが家にオカメインコがやってくることになった。
パール

帰り道に真っ白な顔と体から「パール」と名付け、ようやく家に帰り着いたものの、新しい家族の到来にワンコどもが盛大な歓迎をしてくれたおかげでパールはすっかり怖じ気づいてしまった。
オカメインコは人なつこい反面、とても臆病で、ちょっとした物音にもいわゆるオカメパニックを起こすという。案の定、パールは家に着いてから2度、3度とパニックを起こしてしまい、とうとうケージの隅に固まったまま動かなくなってしまった。
ヘタに近づくとまったパニックを起こしそうだ。

一夜明けて、私の仕事部屋にいることになったパールは、いまだにフリーズしたままエサも食べようとしない。
ここはしばらく様子見をするしかないか。
パールが気を許し、私の肩に止まって頬ずりしてくれるようになるまではどれだけかかるのだろう。

かまってやりたい気持ちを抑えつつ、しばらくは鳥と私との根比べが続きそうだ。


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実をいうと、今、私は深い疲労と徒労感に襲われて、一種虚脱状態にある。
私は今、ある本の制作に関わっており、その下準備の原稿を400字にして300枚ちかく書いていた。
そのうちの3分の1ほどが、24日から25日にかけて忽然とパソコンから消えてしまったのである。
もちろん、ファイル名をつけて保存しながら書き続けていた。
やれやれ疲れたと一休みすることにして、いったんパソコンのスイッチを切った。

それがいけなかったのだろうか。
次にパソコンを立ち上げて、さて続きを書き始めようと思ったところ、保存しておいたはずの文書がどこにも見あたらないのだ。
一瞬、頭から血の気が引いた私は、パソコン全体に検索をかけたが目指す文書はやはり出てこない。見つかったのは、24日に作業を始めたときの、書きかけの原稿だけだった。
私はそれこそ、パソコンを裏返して見て、消えた文書を探してみたが、デジタル化された文字の羅列には形も質量もない。
つまり肉眼で探したところで、見つかるわけはないのだ。

溜息が出た。いったいどこをどうやって、文書が消えてしまったのか。
昔、DOSベースのワープロを使っている頃は保存を怠ったためにしばしば締め切り前の原稿を消してしまったことがある。パソコンが突然フリーズしてしまって、それまで書いていた原稿が、最初に保存しておいた書き出しの部分を除いて消えてしまったこともある。

デジタルの記号化された原稿は、一種のマジックのうえに成り立っている。マジックなのだから、パッと一瞬で消えたとしても当たり前なのかもしれないが、それまでかけた労力を思うと、私はひたすら悲しく落ち込むしか能がない。

というわけで、一昨日はブログの更新どころではなかった。
昨日も日付が変わるまで原稿を書き直していたので、ブログを書く余力がほとんど残っていなかった。

それでも、自民党政府が30日は衆議院で暫定税率を復活させることを決めてしまったようで、それが我慢ならず、短いエントリを書いた。自公政府に対しては、まだまだ言いたいことが山ほどあるが、昨日の私には「冗談じゃないぜ」と捨て台詞を残すのが精一杯だった。

しかし、私の仕事がどんな状況にあろうと、社会の方ではあとからあとからいろんな出来事が起こって心休まることがない。
昨日、一昨日は硫化水素による自殺者が連続して騒ぎを起こし、松本のサリン事件を彷彿とさせるような光景が見られた。
硫化水素自殺
テレビ、新聞も硫化水素の毒性をあげ、周囲の人を巻き込むような安易な自殺を戒める論調が目立っていた。
報道ステーションの古舘伊知郎などは、ネットでこうした薬物の情報を流すことは殺人幇助にあたるとして、その規制が必要であると、例のごとく眉をひそめて語っていた。

たしかに、ネットで簡単に毒物の知識を得ることができ、それを元に自殺を実行するのは如何なものかと思う。まして関係のない人々を巻き込むような死に方は断じてすべきではない。

それはわかる。当然のことだ。
しかし私は、手段は間違っていたにせよ、自殺を図った人たちが、なぜ死を選ばざるを得なかったのか。そのことをもっと知りたいと思った。
すでに知られている通り、日本ではこのところ毎年3万人以上の自殺者が出ているのだ。これはなんといっても異常な事態で、自殺防止のために何らかの手を打つ必要がある。その「手」とは、死のうとしている人々に希望を与えることに他ならないのだが、残念なことに今の社会は絶望ばかりを国民に与え続けている。
一人浴室に入り、自ら発生させた毒ガスを吸いながら、意識を失っていくまでの間、彼らはどんなことを思っていたのだろう。
古舘伊知郎
マスコミは、硫化水素を使った自殺そのものを伝えるだけで、死んでいった人々のことは伝えようとしない。
しかし、練炭を使った集団自殺にせよ、こんどの硫化水素を使った自殺にせよ、これらが発生した背景には社会に対する絶望があると思えてならない。
古舘伊知郎は、ネットで情報を規制すべきだと言う前に、こうした自殺が生まれる背景に思いをはせ、想像力を働かせて、自殺そのものを減らす努力の大切さを訴えるべきだったと思う。

人はなぜ、自ら死のうと思うのか。
それは社会が、政治がそうさせているということを見逃してはならないと思うのだ。

そんなことを考えつつ、私は、失われてしまった原稿を、ふたたび書き始め、へとへとになって、一瞬「こんな思いをするのなら、死んだ方がましだ」などと考えたりしているところなのである。


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政府・与党は30日にも暫定税率を元に戻すべく衆議院で再議決する方針を固めている。

もちろん、採決されればガソリンは値上がりする。
それもガソリン税の25円に原油価格の上昇分が上乗せされて、一気に30円も値上がりするだろうと言われている。

国民の一人として、声を大にして言いたいのは「マジかよ!」の一言である。

税金というものは、誰だって払いたくはない。それでも払わなければならないと決まっているものについては、できるだけ安くしてほしいと思う。
これは当たり前の感情だ。
だから、暫定税率の期限が切れて全国でガソリン価格が値下がりしたときはみんな喜んだのだ。
しかし、30日を境に、政府は元に戻すのが当たり前だと考えている。
国民から見ればそれは元に戻すのではなく、あらたな増税がまたひとつ、肩にのしかかってくると言う感覚だ。

いいのか、衆議院で数が多いからというだけで、自民党と公明党の悪政をこのまま許しておいて。
納得できるのか。

私は物わかりが悪いので、とうてい納得できない。

納得できないのは、自民党が道路特定財源として不可欠だとしているこの税金が、道路だけでなく他の用途、しかも端から見ればムダとしか思えない用途に多く費やされている事実があるからだ。

そのひとつとして、朝日新聞は道路特定財源が、道路担当職員用の宿舎の家賃として07年度だけで約1億3000万円使われていたことを報じている。
これは民主党の村井宗明衆院議員の資料請求により、国土交通省が回答したもので、国交省では道路担当職員用に宿舎を安く提供するために全国で145戸を民間から借り上げ、その費用として1億3000万使った。その費用は職員が支払う家賃で戻されるが、集まった家賃は1971万円ぽっちにとどまったという。1戸あたりの平均家賃は8万7000円だが、職員には約1万1000円で提供していた計算になる。差額はつまるところ、道路特定財源を原資とする金で賄っていたというわけだ。

自民党の議員どもは、ガソリン税がなければ道路ができないとわめき、涙を流さんばかりにして暫定税率を元に戻そうとしていたのではなかったか。

しかし、現実には以上のような使い方をして、道路ではなく職員たちが厚く遇されていたのである。

なあ、こんなことは序の口なんだぜ。
奴らは特定財源をいいように貪って、これからも自分たちだけがおいしい思いをしていきたいだけなんだぜ。

そのために増税されるのを、黙って見ていていいのか?

福田康夫は後期高齢者医療制度で国民から総スカンを食らっているというのに、今度また、ガソリン税復活という増税をして、まだ総理の座に座っていられると思っているのだろうか。そうだとしたら、奴は真性の阿呆だぜ。
いい気になっている自民党と公明党は、どんどん国民の気持ちが離れていっているということに気がついていないのだろうか。
そうだとしたら、奴らはハエ以下の脳みその持ち主だぜ。

値上げ、増税、福祉の切り捨て。
このところ、というかこれからも、国民にとっては辛くて長い試練の時が待っている。
それもこれも自民党と公明党が悪政を続けているからだ。
小泉純一郎と竹中平蔵がぶちあげた改革の尻ぬぐいができずにいるためだ。

どうするよ、八つぁん、熊さん。
マツリゴトはわからねえから、なんていってる時じゃないぜ。
1分でも1秒でも早く、自民党政権が倒れ、カルト集団の公明党は解体されるべきだ。

そのためだったらナンマイダでもナンミョウでも(いや、ナンミョウは駄目か)、何でもいいや、題目を唱えてお釈迦様にもキリストにも日本中の八百万の神様にも、願掛けしてやる。

まずは間近に迫った山口2区の補選で圧倒的に勝利し、自公の横面をひっぱたいてやることだ。

頼むぜ、山口の有権者たち。


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昨年のアカデミー賞でアル・ゴアの「不都合な真実」が賞をとったとき、臍曲がりの私は何やら胡散臭いものを感じていた。さらに年末にはアル・ゴア自身がノーベル平和賞を受賞するまでになって、私の鼻を刺激する臭いはますます強くなっていた。
不都合な真実
地球の温暖化が進んでいる。それは主に人間が作り出す二酸化炭素によってもたらされている。
地球の温暖化がこのまま進んでいくと、環境破壊が進み、生態系に深刻な影響が出てくる。南極や北極の氷が溶けて海水面が上昇し、国土が海の下に沈んでしまう国も出てくる。気候が不順になり、大洪水や大干ばつ、さらには大型台風が頻発するようになって人間の生活にも影響をおよぼさずにはおかない。

今では半ば常識とされる地球温暖化の筋書きは、まあ以上のようなものだ。

この事態を受けて、今世界ではなんとか二酸化炭素を減らそうという試みがなされている。京都議定書では各国がその削減目標を掲げたが、日本をはじめとする多くの先進国はその約束を果たせそうもない。

そこで今、二酸化炭素の排出量が商売の種になっている。大量に排出している国は、それが少ない国に金を払い、排出する権利を買って企業活動を維持しようというのだ。

地球温暖化説と二酸化炭素排出取引。
どうも、これが臭いと思っていた。
だいたい、二酸化炭素の排出量を売り買いするっていう発想がインチキ臭いじゃないか。
しかし、この、考えようによっては限りなく詐欺に近い商売をイギリスなどは大まじめになってやっているのだ。
二酸化炭素で金儲けをしようとしている人間や国にとっては、地球温暖化説は金の成る木のようなものだ。温暖化が進んでいる、このままでは地球が危ないと、煽れば煽るほど金になる。
そして、そうした国々は欧米先進国が多いから、彼らは国際的な機関まで国連につくって(IPCC)情報を操作し、産業革命以来の金儲けの方法を編み出したというわけだ。

なぜこんなことを言い出すかといえば、以上の筋書きはただひとつ、実は地球が温暖化などしていないとなれば総崩れになるという弱点を持っているからだ。
そして実際、地球温暖化説はほんとうに中立的な、そして科学的な目で見ていくと、まだ仮説の域を出ていないのだ。

今、地球温暖化説はデマだ、などと言ったり書いたりしたら、即座にトンデモ人間とレッテルを貼られてしまいそうだが、常識が常に真実とは限らないということは頭に入れておいた方がいい。

田中宇の国際ニュース解説が、今「地球温暖化問題の裏側」という興味深い記事を配信している。

これを読むと、私が感じていたアル・ゴアと「不都合な真実」への漠然とした疑いも、霧が晴れるように全体像が見えてくる。それはまさに、アル・ゴアはじめ地球温暖化説をぶち上げている連中にとっては「不都合な真実」に他ならない。

たしかに昨今の異常気象などを見ると、地球が温暖化していると誰もが思いたくなるのは事実だ。
しかし、台風一つをとっても、それがどうして発生するのか、完全に科学的に解明できてるわけではないのだ。海水温度が上昇しているために台風が頻発するというのはひとつのシミュレーションであり、それを日本はじめ各国は頭から信じて取り入れているが、実は台風の発生は海水温度だけがその条件というわけではなく、地球全体の複雑なメカニズムが組み合わさっている。そう考えている科学者もいるのだ。
異常気象
地球の歴史のスパンで見れば、地球は温暖化しているのではなく、むしろ小氷河期に入りつつあるという説もあるくらいだ。
それが果たして本当かどうかはわからないが、少なくともそういう説はひとつやふたつでなく、相当な数の論文として出ている。しかし今地球規模で広がっている温暖化説の前に、それらはほとんど無視されている状態なのだ。
テレビ、新聞は反温暖化説など取り上げようともしないし、アンチ温暖化説の本はトンデモ本として片付けられる。
これはやっぱりおかしい状態だぞ。
そう思わずにいられない。

もちろん、温暖化説は有力な説ではあるのだから、われわれはこれからも二酸化炭素を節減する努力をしていかなければならないだろう。しかし、その一方で、反対の説もあるということを知っておく必要もあるのではないか。「不都合な真実」はあくまでも仮説に基づいて作られたプロパガンダだった。そこに私は胡散臭さを感じた。もし、ほんとうに科学的な目を持って地球がどんな状態にあるのかを検討するのならば、相反する仮説も十分に検証してみなければならない。それが科学というものだ。

地球温暖化説が実は違っていて、地球は氷河期に向かっているとしたら、それはそれで大問題なのだが、その問題のありかは科学的なところにあるのであって、金儲けの道具にあるのでないことはたしかだ。金儲けの道具として温暖化説が利用されているとしたら、それは田中宇も言っているように、ブッシュがでっち上げたイラクの大量破壊兵器と同じことになるのではないか。アメリカとイギリスはイラクに大量破壊兵器があるとして戦争を始めたが、そんなものは実在しなかった。けれども、戦争は今も続いており、多くの人が死んだりケガをしたりしている。その一方で、この戦争によって巨万の富を得ている人間がいることも事実だ。

はたして地球温暖化説はほんとうなのか。これを鵜呑みにしていていいのか。

われわれはこれから、今までとは少し違った見方をしていった方がいいのではないか。
田中宇はそう教えてくれている。


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山口県光市の母子殺害事件で、差し戻し控訴審の判決が出た。

やはり判決は「死刑」だった。

この判決を受けて、今日の新聞、テレビはこぞって判決基準が厳罰化したことを伝えている。また被害者遺族の本村氏の談話も出ている。
悲しみは消えないが、納得できる判決が出て癒やされる」(時事通信)

その言葉には9年という歳月の重みと、今もやりきれなさを抱えているであろう胸の内が感じられる。9年間、闘ってきた本村氏のことを考えると、軽々に言葉を発することは憚らねばならない思いがする。

しかし、私はどうもすっきりしない。
ほんとうに死刑でいいのか。
この死刑は、例の「世の中様」が望んで生まれたものではないのか。

「世の中様」とは、少し前なら倖田來未という歌手の不用意な発言に過剰反応をしてバッシングした人々のことであり、近くは人前をはばからずに泣いて見せた橋下徹に感動し、激励の言葉を寄せた人々のことである。

この事件にかかわらず、最近の凶悪事件に対する判決は、厳罰化の方向に確実に向かっている。
それは犯罪抑止のためともいえるが、一方で、裁判所が大衆の意向に沿うような形で判断を下している向きがないとは言えない。

ここで私が思い出すのは、2001年6月に起きた大阪の池田小児童殺傷事件だ。
犯人の宅間守は反社会的人格障害と診断され、自らも死刑を望んだが、それ以上に世間がこの事件を起こした犯人を憎み、死刑を望んだ。
そして裁判で大阪地裁から死刑の判決が出ると被告は控訴せず、死刑が確定。すると約1年3ヵ月後の2002年9月には死刑が執行されてしまった。
死刑確定から執行までの期間の短さは異例で、まるで法務大臣も世の中様と同じようにこの事件を憎み、この犯人を許せないように執行命令を出した印象が残っている。

今から7年前に起きたあの事件を覚えている人は今も多いと思うが、犯人の名前を覚えている人はどれだけいるだろうか。

池田小で起きた犯罪と、光市で起きた犯罪。どちらも酷いことで共通しているが、もうひとつ共通しているのは、世の中様から嫌われ、憎まれた事件であるということだ。

世の中様をバカにすることはできない。しかし、世の中様には気をつけなければいけないと私は思っている。

世の中様は、まるで忠臣蔵でも見るように世の中を見る。そして決まり切ったことのように吉良上野を悪者と考え、大石内蔵助らを義士として喝采する。
芝居ならばそれもいいが、ことは現実に起きている事件であり、そこには犯人とはいえども一つの命がかかっている。それを最初から死刑と決めつけてしまって、ほんとうに正義は保たれるのだろうか。私はそこに、どうも危うげなものを感じるのである。

もし、今日の控訴審判決で「死刑」という結果が出なかったら、世の中様はどう反応しただろう。橋下徹のように激高し、許せないという声で日本中が一つになってしまったのではないだろうか。
だが、待てよ待てよ。
多数決が民主主義の基本とはいえ、社会全体が一人の人間の死を求めてまとまるということは、どこか異常ではないのか。

たとえ宅間守のような犯罪を犯した者でも、法律は冷徹に施行されるべきである。
この場合の冷徹とは、死刑が確定した者に対して、法務大臣が大衆の意向に影響を受けて刑の執行を早めるようなことがあってはならないという意味の冷徹だ。宅間守のような犯罪者は、憎まれても仕方がないかもしれないが、その犯罪行為が憎まれるだけに記憶から簡単に消し去ってはならないのだ。犯罪は記憶に止められることによって抑止されると思う。宅間守は、まるでこの世から追い払われるように死刑を執行され、その結果、満足した世の中様はその名前も記憶から抹殺してしまう。

今回の光市母子殺害事件でも、犯人の名前は明らかにされていないが、この先最高裁でも死刑判決が出され、死刑が確定したら、世の中様はようやく満足し、この凶悪事件があったことを忘れてしまうだろう。

嫌なものは誰だって見たくはないし記憶に止めておくことも欲しない。
しかし、犯罪は記憶に止めて行かなくては亡くなった人の無念は虚しく消えてしまい、犯罪が社会に残した意味も消えてしまう。つまり、抑止する力もなくなってしまうのだ。そしてまた同じように酷くて憎むべき犯罪が発生すると、また社会全体がかき回したようにヒステリックに騒ぎはじめ、同じように憎しみに染まることになる。

それでは社会はいつまでたっても成長できないではないか。

私は、今日出された判決が妥当かどうか、あえて論評することは避けたい。ただ、この判決に、世の中様の意向が反映され、流された結果出たものだとしたら、そこに危ういものがあると感じる。
法律は、世の中の変化とともにその判断が変わっていくものなのかもしれない。
しかし、性器が写った写真を猥褻とするかどうかを判断するのならともかくとして、人を死刑にするかどうかを世の中の風潮に迎合するような形で判断を下すことには疑問を呈する。

私は、いわゆる人権派弁護士に与するものではない。
しかし今日の判決が出たとき、傍聴席から拍手がわき上がったという事実に、言いようのない嫌悪を感じるのである。

■追記
本村氏のコメントは、時事通信の配信記事から引用したが、実際には本村氏は「癒されることはない」と、まったく逆のことを言っている。時事通信は何を勘違いしたのかわからないが、これでは本村氏が怒っても仕方がない過ちだ。私も大いに迷惑している。
ちなみに、判決後に傍聴席から拍手がわき上がったというのは、産経の記事にあったことを付け加えておく。



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よもやとは思っていたが、やっぱりそうか。

もう、いい加減にしてくれよ。

大阪府知事の橋下徹が、市町村への08年度補助金を79億円カットすると発表したこと対して各市町村長が面と向かって批判した。すると、橋下は泣きながら「どうか協力してください」と訴えた。
橋下徹
その涙に対して、大阪府庁に電話やメールが900通も届いたのだそうだ。
府の情報公開室によると「とにかく頑張れ! 応援します!」「涙を流して感動した。改革に一生懸命になってる姿勢に感激しました」などと知事への応援が約8割を占めたという。(スポーツ報知)

900通の80%といえば720通。みんな涙に感動したというわけだ。
これだけだったらごく一部が反応しただけと思うけれど、ヤフーが行った意識調査でも、5万3116票のうち76%にあたる3万9966票が橋下を支持すると答えているのだから、控えめに言っても橋下の涙は半数以上の日本人を刺激し、同情を呼んだといっていいだろう。

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しかしどうしてこうも、目から出る分泌液に弱いのかね。
私には不思議で仕方ない。

橋下は予算を削れるだけ削って公共サービスの質を低下させようとしているのだ。
そのしわ寄せをまともに食らうのは、橋下の涙に感動した市民にほかならない。
橋下は自分の給料も削っているようだが、これだけ他に削れと厳しくいうのなら、給料をすべて返上してフンドシ一丁になって仕事に励めばいいだろうに、そこまでするつもりはない。知事になってもタレントはやめないように、もらうものは権利としてもらうのだ。
ならば市民の権利はどうなる。
知事として弁護士として、橋下はその点を明らかにしてから予算を削るべきだろう。

それにしても、市民の反応だ。
なぜ、涙ごときに判断を曇らせるのだろう。
あんな、B級映画を通り越して、C級映画の熱血先生みたいな文言に踊らされて感動するとは、あまりに批評眼がないというべきではないか。

「金がなくて困ってるんだよ。だから、お前の金をよこせ」
そう言って首を絞められても、その強盗が泣いていたら金を出す者があるか。
「あんたの気持ちはよくわかった。金はくれてやろう。ついでに首も絞めてくれ」
そう言う人間がいるか。

しかし驚くことに、この国には盗人に追銭をやるような人間がたくさんいるらしい。

私は、人前で泣くやつは男女を問わず嫌いだ。
信用ならない。
涙を流すやつは、理屈を通さずに情で無理を通そうとする。
詐欺はみな悪質だが、泣き落としをするやつは悪質なうえに卑怯である。
橋下はずるがしこく立ち回って人気を煽り、テレビのセットのような安物の政策で知事を名乗っているが、なんのことはない、奴が言っていること、やっていることは他人に痛みを求めることだけではないか。
政治とは、ときに痛みをともなうものであったとしても、その先に希望が見出せるものでなければならないはずだ。生活者に希望を与えることができずに何がリーダーだ。
今の大阪にはそんな余裕はない、だから痛みしか与えることができないのだというのなら、橋下はただのサディストであり、政治家としての資格はない。

涙などに誤魔化されてはならない。
いやしくも公の席で涙を流す奴は、その涙の出所を疑ってかかるべきだ。
橋下が、安っぽい涙と無責任な発言だけで今まで乗り切ってきたことを、いい加減に見破るべきだ。

泣いたから感動する。頑張れと応援する。
なんともはや。
それなら、福田康夫がカメラの前で泣いたら、ガソリン税が元通りになってもいいのか。後期高齢者医療制度もうやむやになっていいのか。
現内閣のうつけ大臣どもがそろって泣き出せば、社会格差がそのままになっても、医療問題が深刻になっても、年金が誤魔化されたままでも、国民はみんな応援するのか。

馬鹿馬鹿しい。
もう三文芝居に酔うのはやめてくれ。
こういう状況があると、今週末に迫った山口2区の補欠選も先が思いやられる。
橋下が流した涙の悪影響はすこぶる大きいと思う。

大衆をバカ呼ばわりするのは天に唾するようなものだが、あえて言う。
もういい加減に自分の頭で考えろよ。

20日の時事通信のニュースでは、4月に行った世論調査で、首相にふさわしい人物はだれかという問いに対して、トップが小泉純一郎、2位が麻生太郎という結果が出たそうだ。

もう私は、溜息を通り越してめまいを起こしそうな、悪いげっぷが出て今にも吐き出しそうな気分にげんなりし、ほとほと参っている。


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「お父さんは、死刑がない方がいいと思うの?」

数日前、「ニュース23」を見ながら、娘が聞いてきた。
番組ではその日、死刑擁護論者というよりも推進者の鳩山邦夫法相と死刑廃止論者の亀井静香が対談をしていた。
鳩山は、法相に就任して以来、今日までに10人の死刑確定者に対して死刑執行を命じている。
死刑については、鳩山は昨年「法相が関わらず、自動的に死刑執行をするシステムがあってもいいのではないか」という発言をして物議を醸したことでも知られる。このときは言葉の選び方がよくなかったと弁明したが、鳩山が死刑そのものを必要なものと考えており、死刑執行は粛々と執行されるべきものと思っていることに変わりはない。
鳩山邦夫
この日の放送でも鳩山は、死刑執行が犯罪の抑止力になっているという持論を述べていた。人を何人も殺しておいて、犯人の命だけが助かるのはおかしい、日本の風土に合わないと言っていた。

これを聞いていて、私は思わず「そうかな」とつぶやいたところ、それを聞きとがめた娘が冒頭の問いを私に投げかけてきたというわけだ。

私は、少し考えて、「やっぱり死刑制度はない方がいいと思うよ」と答えた。

「どうして。それじゃあ殺された人の家族が可哀相じゃない」

たしかにその通りだ。
自分だって、家族を殺されたら、殺した犯人をただにしてはおかないと思うだろう。殺されたのが犬だって、相手を憎む気持ちは変わらないだろう。

けれども、理不尽なことに対する憎しみを解消する手段として「死刑」があってもいいのかとなると、どうしても躊躇する。
人を殺すことは、もう一人殺すことでチャラになるのか。そう考えると、私にはどうもチャラになるとは思えないのだ。

死刑は国の権力に基づいて行われる刑罰である。
しかし、国というものは、国民の安全と生活を守る義務はあるけれども、犯人とはいえ国民の一人の命を奪う権利はないのではないかと思うのだ。
もちろん、これに対しては国民の生活を守るために殺人を犯すような人間は死刑にすべきだという答えが返ってくるだろう。
けれども。
私は、国には「お前は悪いことをしたのだから、世間の人々と一緒にいては困るよ」と刑務所に隔離する権利はあっても、「お前は悪いことをしたのだから、生きていてはいけない」という権利はないように思えて仕方がないのだ。

死刑をせよ、と今なら鳩山邦夫がそれを命じる。
果たして鳩山邦夫という男にそれだけの権利があるのか。
鳩山は、死刑を執行せよとは言うが、実際に死刑を行うのは刑務所の刑務官である。彼は役人だから、上司の鳩山から命じられればそれに従うしかない。
そして個人的には何の関係もない「犯人」を、法の名の下に「殺人」するのだ。
むろん、刑務官に殺人をするという意識はないだろうが、それでも自分の手で一人の人間を死に至らしめることの重みは感じるに違いない。

タイトルを忘れてしまったが、死刑執行を描いたノンフィクションを読んだことがある。そこでは、死刑執行を行う刑務官の苦悩も描かれていたことを記憶している。

人が人を殺す。これは一般社会のなかではあってはならないことである。
それと同様に、刑務所の中でも、人が人を殺すことはあってはならないのではないか。たとえそれが法務大臣の命令だとしても。

「それじゃあ遺族の気持ちはどうなるの」

娘は不満げだ。

「何も悪いことをしてないのに家族を殺されて、ずっと悲しみと憎しみをこらえて生きて行かなければいけないの?」

私はまたも考えて、やはりそうだとうなずく。
激しい怒りと悲しみと、憎しみ。
それを生むから犯罪は忌むべきものなのだ。けれども、その激しい感情は犯人を死刑にすることでしか癒せないものなのか。あるいは昇華することはできないものなのか。私はそこで暴論を言う。

「ほんとうに遺族が気持ちを晴らせるようにするなら、もういちど仇討ちを復活させるしかないだろう」
「そんなこと、できるわけがないじゃない」
「できないよ。だから、何とか別の方法で気持ちを落ち着かせなければならないのじゃないか」

ここまで話すと、どうしても思いは山口県光市で起きた母子殺人事件におよぶ。22日にはいよいよ判決が言い渡されることになっているが、被害者遺族の本村洋氏が強く死刑を望んでいることは私も知っている。
それについて私が言うことはない。
あのむごい事件に遭って、犯人に対する怒りを燃やすことは当然のことだ。死刑を願うのも自然だろう。

けれども、第3者である私はやはり、死刑には反対だと唱える。
ただし、仮釈放なしの終身刑にはしてやりたいと思う。被告が犯した罪は、一生かけて償う必要がある。今の法制度には仮釈放なしの無期懲役刑はないが、裁判員制度がはじまるまでにはぜひとも、この量刑を法に盛り込むべきだと思う。

むごい殺人事件を起こしても死刑にならないとしたら、犯罪は増えることになるのだろうか。鳩山邦夫は増えるという。私の娘もそれに賛成する。
しかし私は、賛成しない。

裁判の判決が厳しくなるのはある程度、犯罪の抑止力になるとは思うが、死刑判決がそれに結びつくとは思えない。打ち首獄門が行われていた江戸時代でも、犯罪は起きていたのだ。
鳩山邦夫が10人の死刑を執行したこの期間に、目立って犯罪が減ったかと言えば、そんなことはない。犯罪は死刑があるかどうかで発生数が変化するのではなく、政治が悪いかどうかで変化すると考える方が妥当だろう。悪政が行われて社会に不安が満ち、秩序が乱れれば犯罪が発生するのは当たり前ではないか。そこに死刑がどれほど関係するというのだ。

それでも娘は、まだ納得せずに言う。
「無期懲役が最高刑になったら、被害者遺族が払う税金で犯人を養うことになる。私はそんなの許せないと思う。死刑にした方がお金がかからなくてすむでしょう」

人の命をコストで計るということには抵抗があるが、それも見逃せない理屈であることはたしかだ。
単純に考えると死刑の方がコストがかからないように思えるが、実は反対で、死刑の方が無期懲役よりもコストがかかるという報告がアメリカではなされている。そこには収監中の生活維持費や裁判費用などの要素が複雑にからんでくるのだが、実際には両者のコストを正確に比較することは難しいようだ。日本ではこのような試算が行われていないようだが、それはなぜなのか。

というわけで、コストの点から死刑を存続させるべきという意見にも、私は疑義を呈する。

娘は、ついに到底納得しない様子でぷいと立ち去ってしまった。

そうなのだ、犯罪とは当事者だけでなく、それについて思いを巡らせる人間にとっても、到底納得できるものではないのだ。

だから厄介なのだ。厄介だけれど、真剣に考えていかなければならない問題なのだ。
裁判員制度が始まろうとしている今、その重要性はますます高まっているといえるだろう。


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上映中止で話題になっている映画「靖国 YASUKUNI」の、右翼団体向けの試写会が18日、行われた。
全国から約180人の活動家が集まったという、この試写会。呼びかけ人の一人、木村三浩・一水会代表は「右翼が上映を中止させたかのような間違った言われ型をされているから」と説明した。
試写中、国会議員らが問題視した南京事件の写真を使ったシーンでも何の声も上がらなかったという。

右翼の人たち、冷静じゃないか。大人じゃないか。

試写後は活発な意見が交わされた。「文化庁の女性には納得できない。返還を求める訴訟を起こす」という意見もあれば、「われわれも助成を受けて親靖国映画を作って反論すればいい」「べつになんと言うこともない作品なのに、メディアが注目をあおったのでは」との意見が出た。
同血社の河原博史会長は「個人としては、日本民族に根ざした信仰心を侮辱するものを感じた」としながら、「意義ある会だった。右翼が反社会的というイメージは違う。誰もが映画を見せず抗議するわけでもない。大事なのは表現者同士のガチンコ勝負。そういう意味では映画館が屈してしまったのは問題だと思う」と話した。

以上は朝日新聞の記事によるものだが、これを読むと映画「靖国 YASUKUNI」を問題視し、大人げない反応を示したのはただただ自民党の稲田朋美や有村治子ら議員のセンセイ方だったということになる。有村にいたっては、刀匠の刈谷さんが映像の削除を望んでいるというウソまででっち上げたというのだから話にならない。姑息と言うか、やることがチンピラやくざに等しいと言えるだろう。

「靖国 YASUKUNI」という映画ができた。
その出来映えをめぐって議論が起きるのは当然のことであり、健全な反応だ。
しかし、稲田や有村がやったことは作品を封じ込めようとするものであり、断じて許されるものではない。これらに比べれば、「われわれも助成を受けて親靖国の映画を作るべきだ」と発言した右翼の人たちの方がずっと常識的だと思う。
地方都市に住んでいる私のような人間にはなかなかこの映画を見る機会がないのが残念だが、DVDにでもなれば必ず観たいと思う。
やはり、映画は観てから論じられるべきである。それゆえ、見る機会を奪うような権力の介入には、私は断固として反対する。

昨日はまた、長野県で聖火リレーに関する重要な動きがあった。
やはり善光寺はリレーのスタート地点になることを辞退した。
善光寺
「チベットでの仏教徒弾圧を憂慮する」という僧侶たちの発言は、至極理屈の通ったもので納得がいく。これに比べると中国に対していまだにはっきりとした態度を打ち出せずにいる政府のだらしなさがよけいに際立ってくる。
この問題に対する中国の態度は、非常に強硬で、世界からの批判を浴びても動じない。
一方的にダライ・ラマが反乱を起こしたとするだけだ。対話の余地もないという。
こういう相手に対して、「話し合いの機会を持ってください」と言ったところで通じるわけがないだろう。
来月は胡錦涛がくるというのに、日本は今回の弾圧を非難するのかしないのか。
今からでも遅くはない、やんわりと今回の訪日はお断りすべきではないのか。
オリンピックを開くのは勝手であり、またその成功を祈ることにわれわれもやぶさかではないが、人権弾圧は見過ごすことはできない。この件については時間をかけて話をする必要があると考えるので、胡錦涛主席には機会を改めて来日してもらうことにする。
頑迷な国を相手にケンカを売る必要はないが、もっと外交的な駆け引きがあってしかるべきだろう。

今回、聖火リレーでは善光寺が辞退しただけでなく、コカ・コーラをはじめとするスポンサーも宣伝カーを出さないことを決定した。警備が厳しくて宣伝車が走れない、宣伝の予算がないなどと理由はまちまちだが、根底にチベット問題があることは明らかだ。面白いのは、IBMから事業を引き継いだ中国のレノボまでが、そのなかに加わっていることだ。

26日の聖火リレーはどうなるのか。これから、まだ一波乱ありそうな予感がする。

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まだあまり言われていないようだが、今の日本の状況は、スタグフレーション局面に入っていると言っていいのではないだろうか。
スタグフレーションとは、物価上昇(インフレ)と景気後退(あるいは景気停滞)が同時に進行することを指す。

物価上昇については、もう言うまでもなくほとんどの国民が感じていることだろう。原油高にはじまるガソリン価格の高騰、それを元にして連鎖的に起きている諸物価の高騰。なかでも食料品の高騰ぶりは、バイオエタノールを起因とする海外の穀物価格の急騰や自民党の農政の失敗なども重なり深刻な状態にある。
加えて、後期高齢者医療制度に見られるような社会保障の切り捨てによる負担増がある。
労働者の賃金は上がらないというのに、物価だけが上がり、社会保障の質がどんどん悪くなって行っている。

物価が上がれば消費活動が鈍り、経済活動は停滞する。一部の企業を除いて、多くの企業、とくに中小零細企業は苦しい経営に喘いでいる状態が続いているといっていいだろう。

昭和48年(1973)にオイルショックが起きたときには潜在やトイレットペーパーを買おうとする主婦がスーパーに殺到して大騒ぎになったが、今の日本社会でこのような現象が起きずにいるのが、私には不思議というか、不気味でさえある。
オイルショック
GDPなどの数値で見る限りは日本経済は安定しているように見えるが、国民一人ひとりの現状を見れば、安定とはほど遠い状態にある。何事も表面上の数値でしかものを言おうとしない自民党政府は、現状を決して後退局面にあるとかスタグフレーションに入ったとは言わないだろうが、生活者の実感としては間違いなく今の日本はスタグフレーション局面に入っており、これからの成り行き次第ではまたオイルショック時のような騒動が起こりうると思う。

暫定税率の問題で国会がもたつき、一時的にガソリン価格は安くなっているが、それでも高値安定という感じであり、原油高が今後さらに続いていけば揮発油税などなくてもどんどんガソリン価格は上がっていくだろう。
さらに今月末には自民党が暫定税率維持を衆議院可決させる可能性もあり、そうなればさらにガソリン価格は上がることになる。

となると、これまで民主党がやってきたことは何だったのかということにはならないか。

今、民主党は後期高齢者医療制度の廃止を叫んでいるが、もともと去年の夏の参院選で勝利したときには国民の生活第一をかかげ、年金問題と医療制度に取り組むことを約束していたはずだ。
それがいつの間にか暫定税率にすり替えられ、今は後期高齢者医療制度に文句を言っている。
文句を言ってくれるのはいいが、民主党がもともと掲げていたマニフェストに忠実に行動していれば、年金問題ももう少し混乱が小さくすんだかもしれず、後期高齢者医療制度にしても、4月に入ってからガタガタ言うようなことにはならなかったはずだ。

結局は民主党も国民に対して誠実な態度を見せなかったがために、今の混乱があると言ってもいいのではないだろうか。
その意味で、民主党=小沢一郎の怠慢はもっと責められるべきである。
小沢一郎
今、国民はどこを向いても値上げばかりで、相当に追い詰められてきている。生活に危機感を持っている。
この状況はいつまで続くのか。
今の状態が、さらに悪くなっていくのではないか。
国民にとってはそれがいちばん切実な問題であり、この事態から脱却することが、今いちばん望むことである。
民主党は、この願いに誠実に応える必要がある。
そうでなければ、何のための参議院与党なのだ。

昨日、大阪府知事の橋下徹は府内首長たちの前で涙を見せた。
08年の予算で、知事直轄の府改革プロジェクトチームの削減案により大幅に市町村への支出金を削減すると発表したことから大ブーイングを受けたためである。
橋下徹
橋下は泣いて頭を下げたが、腹の中では削減案を譲る気は少しもなく、冷酷に予算をカットしていくことだろう。そうして府民全員に痛みをこらえてもらう必要があると言ったのだから、当然のことだと言うだろう。
そこには貧しい人々を思いやるあたたかさは微塵もない。

今、政治を担っている者たちは、みな橋下のように国民に痛みを強いているように思われてならない。痛みを強いるのが当たり前だと思っているように感じずにいられない。
自民党に公明党、そして民主党も同じだ。

国民は今、政治に対してもっと怒りを持つ必要がある。
怒りを持って自公政権を倒し、民主党の勘違いを正していかなければならない。
そうしなければ、日本国民の先行きはあまりに暗すぎる。


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恥ずかしながら、今までブログに動画を貼りつける方法がわからなかった。
とくにYou Tubeはどうやったらいいのか、皆目わからずに今日まで来てしまった。

でも、調べてみると意外なほどカンタンなんですね。

というわけで、小さな記念として私のお気に入りの動画を。
バカっぽいけど、すごいです。笑えます。でも、ちょっと痛そう。

もう有名すぎたか? まあ許しておくれ。



もうひとつ、日本でブレークなるか、マギボン



それにしても彼女、アメリカの片田舎でひとりネットを見て日本語を学んだのだそうだ。
すげーなー。
私なんか大学まで行って英語の授業を受けたのに、ダメダメだもんね。
お恥ずかしいかぎり。

がんばれ、マギボン



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来週末には、いよいよ日本にも聖火がやってきて、北京五輪のリレーが始まる。
すでに各国で行われた聖火リレーでは、チベットでの中国による人権弾圧に抗議する人々が、さまざまな活動をしているが、日本ではどうなるのだろうか。

リレーのスタート地点となる長野県・善光寺では13日、チベットでの事件で命を落とした人々を悼んで、市民ら約60人がろうそくを灯し、僧侶が読経した。
追悼の灯
もともと聖火リレーはオリンピック大会そのものとは別個のもので、1936年に開かれたベルリン大会で、ヒトラー率いるナチスが世界にその存在をアピールする宣伝をするために始めたものだ。今回の聖火リレーも、当然のことながら聖火はオリンピックそのものよりも中国という国を象徴するものであり、中国は聖火を世界中走り巡らすことによって国威発揚に役立てようとしていることは明らかだ。
また現在は、リレーそのものにスポンサーがつき、ランナーはスポンサーの広告とともに走ることになっている。広告が世界を走り回るということは、その背景には巨額な金が動いていることになる。
こんな事情を考え合わせれば、オリンピック大会をボイコットする必要はないとしても、聖火リレーを取り止める、あるいは縮小すべきだという考え方が出ても当然だろう。すでにみそがついた大会になりつつある北京オリンピックでは、協賛するスポンサーとしても本心は痛し痒しというところだろう。リレーを中止するとなってもクレームはつけにくいのではないだろうか。

リレーには、有森裕子ら著名人がランナーとして名前を連ねているが、彼らはどう対応するのか。私としてはやはり、ここでなんらかの意思表示はするべきではないかと思う。すでにNHKの青木祐子アナウンサーは出走を取り止めている。表向きの理由は、スポーツ担当から報道担当にかわったためとしているが、本心はチベット問題に対する抗議にあると思いたい。
他にも松岡修造、星野仙一、萩本欽一らが走る予定らしいが、彼らの中に気骨を示すものはあるのだろうか。弾圧に抗議するという意思表示をするために、チベットの国旗を腕章にするとか、あるいは後ろ向きに走るとか。

スタート地点の善光寺はどうするのだろう。
チベットで同じ仏教徒が理不尽な目に遭っているというのに、何も意思表示をしないとしたら、お釈迦様も悲しむだろう。へたれな日本政府と同じ真似はしてほしくないものだ。
この際、スタート地点として場所を提供するのを辞退する。あるいはお祭り的な雰囲気を一切排除して、僧侶たち全員が読経しながらスタートさせる。
欧米のようなエキセントリックな方法を取る必要はない。しかし、なんらかの意思表示はする義務があるのではないか。

すでに、26日当日は、リレー終了後に予定されていたイベント中止が決定され、リレーそのものも長野県警が3000人から4000人規模で警備する方針だという。
ものものしい格好をした機動隊員に囲まれてリレーが進んでいく。その様子が映し出されるだけでも中国は複雑な心境になるだろう。
異様な光景の聖火リレーをさらに異様にして抗議の意志を示すために、沿道には誰も見物に行かないというのはどうだろう。名目はリレーが安全に行われるためとして、一切見物客が沿道に立たないようにする。これは日本にいる中国人たちが見物に行くだろうから、あまり効果はないか。

毎日新聞の取材に対して、善光寺事務局は「善光寺から平和を発信できれば、と考えて出発式を引き受けたが、このような事態になって戸惑っている」と語っているが、戸惑うだけでなく、仏教徒として毅然とした態度を示してほしいものだ。

すでに北京オリンピックは記録抹殺することに決めた私は、聖火リレーなどもちろん見る気はないが、日本人としてなんらかの意思表示が行われるであろうことには大いに関心を持っている。


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昨日のニュースでは、どれも「後期高齢者医療制度」がスタートしたことを取り上げ、その混乱ぶりと矛盾点を映し出していた。

「報道ステーション」では、この制度のために保険料がこれまでの3倍にもなって徴収された老夫婦を取り上げていた。
この夫婦の場合、妻が寝たきりで障害者年金を受け取っており、これまでは保険料を支払わずにすんできた。今度の制度は一人ひとりが徴収の対象になる。障害者年金を受け取っている妻もその例外ではなく、しかも夫に20万ほどの年金が支払われているために夫婦一世帯の収入と見なされて算定され、結果としてこれまでの3倍もの徴収額になったという。

しかも、徴収額が変わることを知らせてきたのが今月初めで、15日にはもう天引きされていた。「これでは抗議する時間もない」と夫は怒っていた。

もう1人の老婆の場合は年金収入はゼロ。息子に扶養される形になっていた。ところが、国は半年間は猶予をおくものの、それ以降は年金を一銭ももらえないこの老婆からも保険料を徴収する。この人の場合は天引きではなく自分で窓口まで支払いに行くことになるのだろうが、どうやってその金を捻出するのか。支払いを滞らせると、国は容赦なく保険証を取り上げるのである。

その他にも、少ない年金のために蓄えを少しずつ切り崩して生活している老夫婦もいた。彼らの生活は、さらに年金が削られることによって貯金が底をついたときには生活が成り立たなくなることが見えている。それなのに、救済策はまったくないのだ。
舛添要一
国民の多くを巻き込む制度だというのに、このような矛盾と理不尽な点を抱えたまま施行されてしまったのは、2年前の小泉内閣のときに自民党が衆議院で強行採決をしたからだ。
その自民党の議員たちは、今もこの制度が「いい制度」だと言い、インタビューに応じた衆議院議員の鈴木俊一は制度を改めるつもりは毛頭ないと言い切っていた。
舛添要一などは「私は世界でいろいろな制度を見てきたが、これほどいい制度を持つ国は他にない」という旨の発言をしていた。自民党の中には野田毅のように「この制度はもう一度考え直す必要がある」という者もいる。与党内でも完全に煮詰められた制度でないのだ。

「ニュース23」では、脱北ジャーナリストによる北朝鮮の隠し撮り映像が放送されていた。
そこに映し出されるのは、食べるものがないために学校にも行けない子どもや、崩れかかった家屋に住む貧しい農民、肥料を積んだ貨車からこぼれ落ちる肥料を拾い集め、金に替える貧しい人々の姿だった。
北朝鮮でも市場主義が広がり、都市部では恵まれた生活をしている人々もいるようだが、一連の映像を見ていて思ったのは、もしかするとこれは数年後の日本の姿かもしれないということだった。
私は背筋が凍るような思いをした。
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富める者と貧しい者との格差は広がり、都市部と地方の格差も広がり、一方では食事にも事欠く人々が現れる。保険料など払えない人々は保険証もなく、医療を受けることもできない。
一方で都市部に住む金持ちたちは、相変わらず日本は好景気が続いていると言い、高級ブランドの店が大繁盛を続ける。
少し前までは、北朝鮮の人々が可哀相な暮らしをしていると思っていたのに、昨日を境にして、その感じ方が劇的に変わってしまった人は少なくないのではないだろうか。

日本はこのまま悪くなっていくのだろうか。だとしたら、異常な悪政がこの事態を招いているのであり、それは北朝鮮と変わらないということではないか。
北朝鮮とただひとつ違うのは、われわれの手には自らの意志でこの政府を倒す可能性を持っているということだ。
何としてでも、次の選挙では自民党と公明党だけには勝たせてはならない。
その意味でも、今度の山口二区の選挙は重要な意味を持つ。


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9.11事件の当日、あのビルにいた誰かがビデオを手にしており、航空機が突っ込んできたそのときを撮影していたら、こんな映像が残ったかもしれない。
スクリーンを見ながら、そんなことを考えた。

今日は、「クローバーフィールド/HAKAISHA」を観てきた。
クローバーフィールド01

映画はタイトルもなく、唐突に始まる。
最初にビデオのテストパターンが出て、そこに字幕が現れ、この画面はセントラルパークだったところから回収されてきたものだと説明される。

セントラルパークだったところ……

ということは、すでにニューヨークマンハッタンの、あの公園は此の世から姿を消しているということか。
しかしまた、なぜ?

考える間もなく、画面はごく普通のホームビデオの映像になる。
そこに登場する二人の男女。
一夜をともにした翌朝らしく、男の子が持つカメラが窓の外の眺めから家の中、そしてまだベッドの中にいる彼女と映していく。

歩きながら撮影するとこうなります、というように画面はブレブレで見にくいったらありゃしない。でも、これが作者の狙いなのだ。ビデオマニアが恐ろしい事件に遭遇したら、どんな映像を撮るか。これが、良くも悪くも「クローバーフィールド」の核となるアイデアだからだ。

同じような試みで作られた映画に「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」があったけれど、こちらは映画クルーがたまたま怪奇現象に遭遇してしまったという設定だった。
なんだ、同じじゃん。
でも、こっち(「クローバーフィールド」)の方がスケールがでかいよ。スケールがでかいから、生に近い臨場感が伝わってくる。だから思わず、私は9.11を連想してしまったのだ。
クローバーフィールド02
9.11では、見えないテロリストが人々を恐怖のどん底に突き落としたのだが、この映画でもそこいら辺がうまく考えられている。
突然ニューヨークの街が破壊され、人々がパニックを起こす場面が描かれていくのだが、一体何事が起こったのか、なかなかわからせてくれない。どうやら巨大な生物が暴れているらしいのだが、その正体がわからない。

どんな姿をした生物なのか、それはどこからやってきたのか、なぜ街を破壊し、人々を殺戮していくのか。
映画はこれらのことについて、ほとんど語ろうとしない。だから、映画を観ているわれわれも、登場人物と一緒になって混乱しながらストーリーを追うしかないのだ。
あの日、自分たちのオフィスがあるビルに飛行機が衝突するなど、だれも想像できなかった。しかし、悪夢のようなことが実際に起こったとき、人はどんな行動を取るのか。映画を作る勘所はここにあるだろう。

この映画が成功作になり得なかったのは、最初の思いつきは面白かったものの、結局は極限状態に追い詰められた人間というものを突き詰めて描けなかったところに原因がある。得体の知れないものに襲われ、暗闇募る夜の街を逃げまどう登場人物たちのセリフやリアクションが、いかにも嘘くさいのである。アイデアは面白いが、才能ある脚本家と監督だったら、もっと違う味つけをしていたに違いない。HAKAISHAの造形も、それがなぜ破壊に至るようになったのかをきっちり描くだろう。9.11の恐ろしさが、アルカイダというテロ組織によって起こされた無差別殺人だったとわかるにつれ、エスカレートしていったように。

しかし、だからといってこの映画がまったくつまらなかったわけではない。
訳もわからず、まったく理不尽に命を狙われることになる主人公たちの恐怖感は十分伝わってくるし、アメリカお得意の軍隊出動が、少しも頼りにならないところなどは皮肉に笑える。
結局、アメリカ政府はニューヨークを自らの手で消滅させてしまったのだが、果たして凶暴な威力をふるった敵を倒すことはできたのか。

そこは観客の想像にまかせる、というところがまた、なんともニクイね。


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今日15日は、後期高齢者医療制度により、75歳以上の人たちが介護保険料とともに健康保険料も天引きされた年金がはじめて支給される日だ。

ただでさえ少ない年金、しかも社保庁の不始末がまったく片付いていないというのに、しっかり天引きされてくる年金を受け取る老人たちの気持ちはどんなものだろう。戦後、平和になったとはいっても決して暮らしやすかったとは言えない日本で一生懸命働いて、今日まで生きてきた老人たちには「公平な痛み」を味わわねばらないいわれなど、ないはずだ。

それにもかかわらず、厚労省の役人は「年金記録問題と保険料天引きとは別問題だ」(厚生労働省幹部)と言って悪びれる様子もない。(時事通信)
何度でも繰り返すが、金が足りなくなるからといって老人からも金を巻き上げるという発想は、まるで穀潰しの放蕩息子が考え出したような噴飯もののアイデアだ。

昨日は巣鴨で野党4党が集まって、後期高齢者医療制度の廃止を訴えていたが、その結集した力を生かして、なんとか自公政権に終止符を打ってもらいたいものだ。
野党演説
さらにもうひとつ、今日は福田政権になって発の国政選挙となる衆院山口2区補欠選挙が告示される。
立候補しているのは自民党新人で公明党が推薦する山本繁太郎(59)と、前民主党比例中国ブロック衆院議員で社民党が推薦する平岡秀夫(54)の二人だ。
暫定税率や日銀総裁人事で対立が続いている自民・民主両党にとっては、政局の行方を占う意味でどちらも負けられない戦いになっている。自民党は安倍晋三や外務大臣の高村正彦が応援に駆けつけているが、民主党も小沢一郎がすでに2度、選挙区入りしている。

山本繁太郎がこの選挙で勝てば、自民党は勢いに乗ってガソリン税の暫定税率を維持する税制関連法案を衆院で可決するだろう。反対に平岡秀夫が勝てば、一気に福田政権が倒れるかもしれない。
もちろん、私としては平岡秀夫に勝ってもらいたいと思う。

山本繁太郎という人物は、すでにいくつかのブログでも取り上げられているように、あの「ノーパンしゃぶしゃぶ」スキャンダルで有名になった風俗店の馴染みだった人物であり、当時の建設省官僚としてさんざん<おいしいお肉>を食べてきた男である。
さらに、「耐震偽装事件」では、国土交通省にあって、事件の責任が国交省の役人におよぶ証拠を隠滅したことで局長から国交省審議官に昇進したという、いわく付きの男だ。
山本繁太郎
こんな男が、こんどは衆議院議員になろうというのだ。なんとも面の皮が厚い野郎ではないか。断じて当選してほしくない。こんな男が当選したために暫定税率維持が決まり、今まで通り利権と税金の無駄遣いが続くのかと思うと、私は目眩を覚える心地さえする。

しかし、山口県は安倍晋三の出身地でもあり、日本でも有数の保守王国だ。実際、選挙が行われる地区の住民たちは「ガソリンよりも道路だ」という人が少なくないようだ。
どうも予断は許されない状況だが、山口の人々よ、今こそ良識を働かせてノーパンしゃぶしゃぶ男を議員などにしないようにしてもらいたい!


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それにしても「後期高齢者医療制度」にしても「長寿医療制度」にしても人を馬鹿にしていることには変わりないネーミングをしたものである。今の政府が、少しも国民のことなど考えていないということの現れだろう。

このクソのような制度を、福田康夫は「私はほんとにいい制度だと思うんですけどね」と言っていたのをニュースで見たときにはのけぞりそうになった。こいつはいつも他人事のようにものを言うクセがあるけれど、本気で老人たちのことなどどうでもいいと思っているんじゃないだろうか。そんな危惧を持った。

しかし危惧どころか、福田は本気で多くの老人を絶望に追い込むつもりのようだ。
福田康夫
今日午前、国立成育医療センターを視察した福田は、記者団の質問に答えて「保険証がまだ(本人に)届いていない不手際がある。説明不足で混乱をしている。十分説明し、いささかの不安も与えないようにしなければいけないのに、そういうことをしていなかったのは本当にまずかったと反省している」と陳謝したが、その一方では臆面もなく「総合的に考え、こういう制度がいちばんいい」と再び言ってのけたのだ。

福田康夫が思っている、「後期高齢者医療制度」――言っておくけど、私はとても気恥ずかしくて「長寿医療制度」などとは呼べないよ――の「いいところ」とは、いったいどこにあるのだろうか。

そもそもこの制度を考え出したのは小泉純一郎で、高齢化社会による保険医療費の財源逼迫に対し、これを節約するために考え出された悪法だ。それは誰もが思っていることだろう。
しかし福田は「いい制度だ」と強調する。
このズレはどこから生じるものなのだろうか。

yahoo知恵袋には「長寿医療制度は国民にとって、どんなメリットがありますか?」という素朴な質問が乗っている。
それに対する答えを見ていくと、ざっと次の通りだ。

1.平成の姥捨て山。高齢者の年金から、確実に医療費を差し引くことができること。このような制度のメリットは全くない、国・厚生労働省・国会に対する不信感を醸成しているだけ。
2.ずる賢い人と、大企業社員の管理職と、中小企業経営者のみが儲かる社会。今月の年金支給日から、五月連休明けまで、自殺や犯罪行為が増加するでしょう。
3.あるとすれば老人をいじめて早死に促進、医療費削減すること。
4.要するに医療が高度化して医療が高額になり、このままでは破綻してしまう恐れがあるから新制度に切り替えただけ。

適当に要約させてもらったが、つまるところ、少なくとも国民にとって「いいところ」は何もないというのが答えになっている。

新聞「赤旗」はさらに細かく詳しく、この制度のよくない点を解説している。それによると、
1.これまで保険料を払ってこなかった被扶養者もふくめて年金額が月1万5000円以上の75歳以上の人はすべて保険料徴収の対象になる。その徴収法は、年金から有無を言わさず天引きされる。
2.徴収される保険料は条例により都道府県によって異なるが、政府の試算では全国平均で月6000円になる。介護保険料(全国平均4090円)とあわせると毎月1万円以上が天引きされることになる。
3.これまで高齢者は、障害者や被爆者と同じように保険料を滞納しても保険証を取り上げられることはなかったが、今度の制度では保険証が取り上げられ、短期保険証・資格証明書が発行される。
4.保険料は2年ごとに改定されるが、後期高齢者の数が増えると自動的に保険料も引き上げられる仕組みになっている。
5.窓口負担は原則1割、現役並み所得者3割と変わらない。しかし、後期高齢者とそれ以外の世代で病院・診療所に支払われる診療報酬を別立てにし、医療格差をつけようとしている。
6.後期高齢者に対して手厚い医療を行う病院や診療所の経営が悪化するようになり、高齢者は粗悪な医療や病院追い出しを迫られることになる。

おい福田よ、「いいところ」など、どこにも見あたらないじゃないか。なにが「いい制度」なんだよ。ちゃんと説明してみろよ。
後期高齢者医療制度」「メリット」でググってみても、「メリットなし」というのばかり出てくるぞ。
行政側サイトには「今後も1割負担のままですみます」「医療制度が安定し、今後も安心して利用できる」という言葉が出てくるけれど、医療の格差が生じた挙げ句、支払う額は同じ1割でも、診療の内容はスカスカになるのでは意味がないじゃないか。
福田は「これまで説明不足だった」と反省しているが、いくら反省したところで、どこから見ても悪法でしかないこの制度からメリットを見いだすことは難しい。

やっぱり小泉が残した負の遺産は、早いところ廃止すべきだよ。
国民みんながそう思ってるよ。
老人の自殺者が増え、今年から年間自殺者が4万人を超えるなんていうことにならないうちに、野党は、共産党もふくめて制度廃止に向け、共闘していくべきだ。


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庭に置いてある睡蓮鉢にメダカを入れるというので、カミサンとホームセンターに行ってきた。
メダカ
しかしホームセンターというのは、ある意味「魔の場所」であって、ヒメダカを買うはずが、DIYのコーナーを見ているうちに水やり用の蛇口を洗濯機と共用にしたいということになって二股の蛇口を購入することになったり、そういえばハンドソープもなくなっていたからと、台所用品のコーナーを探して詰め替え用のそれを買ったりと、だんだん買い物カゴが一杯になっていく。

私はといえば、セキセイインコのエサがなくなってきていたからそれを買うつもりでいたのだが、カミサンの買い物があれこれ終わって最後にペットコーナーに行き、まずはヒメダカを見つけて10匹購入した。
睡蓮鉢には2、3匹もいればいいのだが、最近わが家の水槽では熱帯魚が相次いで★になってしまい、ずいぶん淋しくなってしまった。ディスカスも3年以上生きてくれたのだが、最後の一匹も死んでしまって、いまではエンゼルフィッシュ2匹と、コリドラスなど小さな魚が数匹しか残っていない。
メダカは熱帯魚ではないけれど、まあ大丈夫だろうと水槽を賑わわせるために7匹いれることにした。

さて最後に小鳥のコーナーに行ってインコのエサも無事購入。
これで今日の買い物は終わりになるはずだったのだが、なにしろペットコーナーである。
いけないイケナイと思いながらも、ついつい足は動物たちがいる方に向いてしまう。
その向いた先が、今日は犬や猫ではなく、小動物の方だった。
そして、そこで私たちがほぼ同時に目を止めたのがコザクラインコだった。
コザクラインコ

体全体が若葉のような緑色をしていて、顔から胸にかけて、珊瑚のような紅色をしている。
なんとも美しい鳥だ。
コザクラインコは別名ラブバードとも呼ばれ、つがいにするとそれはもう仲睦まじく暮らすのだという。
しかし雄雌を区別するのが難しいため、多くは一羽だけを飼う。
すると、鳥は飼い主を恋人のように慕い、人なつこく甘えてくるようになる。

そんな話を以前聞いていたこともあり、私たちは俄然そこにいるコザクラインコを飼う気になってしまった。もちろん、私の心の片隅では「止めておけよ、これで犬4匹に熱帯魚に、メダカにセキセイインコ、そのうえコザクラインコまで飼うというのか。誰が世話をするって、俺に決まってるじゃないか。もう生き物係は止めておけよ」。そんな声がずっとブツブツつぶやいていたのである。

しかしカミサンの方はもう、新しい鳥かごを見たり、コザクラインコのエサはどうすればいいのかと店員に聞いたりしている。
私はといえば、その鳥の入ったカゴに「特価」と書いてあるのが気になって、思わず尋ねてしまった。

「これは、もう幼鳥じゃないんです。だからなかなか人に慣れなくて、手乗りにするのは難しいと思います」

そういうことか。要するに嫁に行きそびれた鳥だったのか。
それを聞いて、かえって私もその鳥を飼う気になってしまった。

「おい、本気か? 飼うのかよ」

心の中でいまだにささやいている声を打ち消し、とうとう私たちは嫁に行きそびれたコザクラインコの飼い主になってしまった。

「名前、どうする?」
カミサンが聞いた。
「そりゃ、サクラだろ」
「そうね、やっぱり」
カミサンもコザクラインコの名前はサクラと思っていたらしい。
なんだかね。。。。

嫁に行きそびれ、人になつきにくくなってしまった鳥を家に連れ帰ると、待ち構えていたわが家のラブドッグどもが新しい家族を物珍しそうに嗅ぎまわる。性格に難のあるフレンチなどは、カゴから飛び出している羽に食いつこうとしてカミサンに叱られていた。

ラブバードね。はてさて、わが家の誰を恋人にするのやら。
それよりも、まず人に慣れてくれるかどうか。
うれしいような、大変なことをしてしまったような、思わずひとつ、溜息をついてしまった。


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4月8日のエントリ「映画を観るには想像力とリテラシーが必要だ」に対して、観音崎さんとkazeさんからコメントをいただいた。

それは、稲田朋美議員は映画「靖国 YASUKUNI」について文化庁が助成金を出したことを糺しているだけであり、上映の是非については何も言っていないというものだった。
稲田朋美
もう一点は、「YASUKUNI」の中に稲田が映っていることに対して、肖像権の問題もあり得るという意見だ。

二つ目の意見に関しては、問題はないだろう。この映画はドキュメンタリー映画なのであり、そこに映っている人々すべてに肖像権の許可を求めていたら映画そのものが成り立たなくなる。また、稲田は公人であり、基本的に公人には肖像権は適用されないことになっている。
観音崎さんは「朝日新聞の広告料に6000万円出しているプロダクションが何故『文化庁』の750万が必要なのか?」と疑問を呈しているが、これについては答える必要もないだろう。映画というものは際限なく金がかかるものであり、制作者ならば誰でも1円でも多くの金を集めたいと願うものだ。文化庁が750万円出してくれる可能性があるというのなら、その話に飛びついたとして不思議はない。もちろん、文化庁の審査が適正だったのかどうか、それについては映画を観ていない私には判断できない。また、広告に6000万も使っているプロダクションが750万を必要とするかどうかについては、プロダクションに聞いてみるしかないだろう。人の懐勘定までは与り知るところではない。


さて、不明な私が答えに窮してしまったのは、最初の意見だ。

稲田朋美は助成金の是非を確かめるために映画の上映を要請した。
これだけでは事前検閲と言えないのではないか。検閲と騒ぐのは、過剰反応なのではないか。

はたして稲田のした行為にきな臭いものを感じ、事前検閲だと批判した者は、過剰反応しただけだったのだろうか。

答えはノー。

過剰反応どころではない。きわめてまっとうな解釈に基づいて批判をしていると、私は思う。

第一に、稲田は衆議院議員という特権を持つ人間である。そのような人間がひとつの芸術作品に対して、国の助成の可否を問うたのだ。もし稲田がわれわれと同じ一般市民だったら、まず自分たちのために試写をせよと要求することもできない。稲田は自分の特権を利用して強引に試写を要求し、映画を観た感想如何によっては助成を取り消すべきだと考えているのだ。
これはつまるところ、一政治家が映画の制作に口出しをすることに他ならないではないか。そして映画制作の部外者が口出しをして作品に妙な色づけをするのは、それだけですでに検閲にあたるのではないか。

第二に、稲田は衆議院議員であるだけでなく、「伝統と創造の会」を結成し、その会長に就任している人物だ。
稲田は「我々が問題にしたのは助成の妥当性であり、映画の上映の是非を問題にしたことは一度もない。いかなる内容の映画であれ、それを政治家が批判し、上映をやめさせるようなことが許されてはならない」とコメントしている。
しかし、「伝統と創造の会」という超保守=右翼的思想を持つ団体のトップが助成金の妥当性であろうといちゃもんをつけたとすれば、それは即ち右翼団体を刺激することは容易に想像がつくことであり、その結果として上映を自粛する映画館が続出したのである。稲田にしてみれば上映が困難な状況を作り出したことに成功したわけで、あわよくば制作会社から750万円も取り上げたいと思っているのだろう。
これを検閲と言わずして、何を検閲と言えばいいのだ。

稲田のような特権を持つ人間が口を開くことによって、それだけで世の中に萎縮を生む。そのことがいちばんの問題なのではないか。言論・表現の自由に対して許可を出すか否か。その発想が根底にあること自体が検閲なのだ。稲田朋美が発した言葉には、その発想が限りなく色濃くうかがえる。
だから批判する者が大勢いるのだ。そして私も、その批判を是とする者のひとりなのだ。

言論・表現の自由とは、言葉にすれば勇ましい響きを持つが、実は非常に繊細で扱いに気をつけなければ損なわれるのが容易なものなのだ。だからこそ、これに反し、これを侵そうとするものに対して、われわれは常に声を上げていかなければならないのだ。

稲田の白々しい、他意はなかった的な発言には惑わされるべきではない。
これだけのことを考えるのにずいぶん時間を要してしまった。多くのブロガーには常識だったろうに、即座に答えられなかった。それは私の頭が悪いからである。
その点は容赦を願うとして、ここにあらためて、素朴な疑問に答えたいと思う。


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関連タグ : 稲田朋美, , YASUKUNI, 伝統と創造の会, 言論・表現の自由,

二世議員のことを書いたエントリで、石原伸晃の写真をアップしたところ、その直後にheartさんのブログ石原慎太郎親子のヤミ献金疑惑のことを知った。

やれやれ、こんどは宏高だ。
石原宏高
元ネタは4月13日の新聞「赤旗」で、政商と呼ばれる水谷建設元会長の水谷功被告(脱税事件で公判中)と、石原慎太郎、三男の宏高親子が銀座の料亭「吉兆」で会合を持ったというもの。
この会合は、2005年9月に元衆議院議員の糸山英太郎が呼びかけたもので、石原宏高の当選を祝うという名目だった。
そして会に先立ち、糸山側は水谷側に当選祝いとして500万円用意するように依頼した。これを受けて水谷の知人の女性が金を用意、紙袋に入れて糸山側に渡した。さらに糸山の秘書は、現金を高級焼酎の「森伊蔵」の箱に詰め、会が始まると石原親子に手渡したという。

さぞやうまかったろうよ、「森伊蔵」は。
ありがたみのある味わいがしただろう。

この事実に今年3月、東京地検特捜部が関心を示し、すでに水谷被告やその知人の女性、さらに会合に出席しており、水谷と同様500万を包んだとされる埼玉県の石材業者からも事情を聴取。すでに現金が『森伊蔵」に詰め替えられた資料もつかんでいるという。

さらに、衆院選挙前の2005年8月には、東京・品川区の「ホテルパシフィック東京」で、宏高の「拡大事務局会議」が開かた。この席にも水谷被告らが出席しており、知人女性とともに55万円の現金を宏高の秘書に手渡したという。この事実にも検察は関心を持っているらしい。

政治資金規正法では年間5万円以上の寄付を受け取った場合には収支報告書にその事実を記載しなければならないことになっているが、慎太郎・宏高の政治団体の収支報告書には「拡大事務所会議」や「吉兆」の会合で受け取ったとされる金額の記載はない。

すでに2007年3月には、市民が石原慎太郎らを政治資金規正法違反の疑いで東京地検に刑事告発しているという。

さて検察がどこまで本気で取り調べを進めていくのか、私としても注目だ。
新銀行東京の失敗で巨額の税金を都民から巻き上げることに成功した石原慎太郎は、陰ではちゃっかり自分のポケットにワイロを入れて膨らませていたのだ。
つくづく、お主も悪よのう、石原。
石原慎太郎
それにしてもこの親子、政界の石原軍団は、日本にとって百害あって一利なし。早いところ検察に取っ捕まって塀の向こうに入れられないものだろうか。
ついでに、糸山のように金に汚い男も、どこかに追放してほしいものだ。

私は切にそれを願うよ。



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報道ステーションに出演していた東大の月尾嘉男が、興味深いことを言っていた。
それは、今の自民党議員のうち、52%が二世議員だというのだ。衆議院議員でも30%超。これほど二世議員が多いのは世界的に見ても珍しいという。

ただ珍しいだけならば、動物園のように公開して入場料でも取ればいいのだが、厄介なのは、これら二世議員のおかげで日本の政治が確実に劣化し、どんどん国民不在のものになっていることだ。
彼ら二世議員は、自分の肝臓を父親に提供した河野太郎のように、肉親に対しては熱い義理を感じている。親から譲り受けた支持団体にも厚く遇することを忘れない。
けれども国民に対しては、庶民感覚というものを持ち合わせていないのだから、人に優しい政治などできるわけがない。

かつて田中角栄は「政治は数、数は力であり、力は金だ」と豪語したが、今の二世議員たちは、角栄とはまた違った意味で数は力、力は金の論理を政治に当てはめているように思われる。つまり、議員の座を世襲して確固たるものにしていけば与党としての数は保てるのであり、あとは金の計算をしくじらずに損をしない、周りに損をさせないようにしていけばいい。つまりは新自由主義を旗印にして、世の中を(自分たちのように)金持ちで恵まれた人間たちだけが住みやすいように変えていくことを当然のことのように目標にするわけだ。

それにしても52%とは、いまさらながら驚くべき数字ではないか。あらためていうまでもなく、半数以上が親の七光で議員をやっているのだぜ。石原伸晃のようなボンクラ顔をした二世議員の顔が、今、私の目の前にちらついている。それはハエのように五月蠅く飛び回るので、叩きつぶしてやりたい衝動に駆られる。
ゴマノハエ


自民党の半数以上の二世議員たち、衆議院議員の30%を占める世襲議員たちをひとりひとり調べていけば、今の日本が抱える病巣が、自ずと明らかになってくるような気がする。
これら二世議員たちに加えて、近頃やけに名を挙げている稲田朋美や有村治子のようなトンデモ議員が政治に携わっているのだから、日本がどんどん住みにくくなっているのもわかるような気がする。

今の日本を変えるには、もちろん自民党を倒すことが第一だが、同時に二世議員を規制する制度を作ることも必要なのではないだろうか。なぜなら民主党にも二世議員は多いからだ。
歌舞伎じゃあるまいし、政治は世襲しちゃ駄目だろう。

議員たちよ、すこしは親の七光を恥じたらどうだ?


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関連タグ : 自民党, 二世議員, 世襲,

昨日までの寒さとはうって変わって、今日は春らしい暖かな日となった。

さあ、そろそろバイクに気持ちよく乗れる季節になってきたぞ。
桜並木

春の風に乗って、花や草の香りに頬を撫でられながら、田舎道を走るのはほんとに気持ちがいいものだ。走ること、ただそれだけが目的になって楽しめる。
クルマの運転も嫌いじゃないが、やはり走っていて楽しいと感じるのはバイクの方だ。
かぎりなく開放的でいて、かぎりなく孤独になれる乗り物。それがバイクだ。
何事も徒党を組むのが好きではない私には、バイクはぴったりの乗り物なのだ。
まあ、見た目にかっこいいわけじゃないけどね。
でも、バイクに乗っていると人がどう見ていようとあまり気にせずにすむ。

世の中には、バイクに乗っているというとそれだけでなんだか眉を顰める人がいるけれど、バイクに乗ってる人間をみな暴走族のように思われては困る。
だいたい、私は恐がりだから、危ない思いをするような走り方はしない。
クルマの間をすり抜けて走るような真似もしない。ほとんどね。
スピードだって、車の流れに乗ってゆったり走るのが好きだ。
スカラベオ
たしかに、バイクは危険な乗り物ではある。クルマと違って体がむき出しだから、ちょっと転んだだけでも怪我をする。転び方が悪いと思わぬ大怪我をすることもある。
それだけは気をつけなければならない。
車輪が2つしかないから、安定性がよくないこともある。
クルマなら、ちょっとした石に乗り上げてもガタンと衝撃を受けるだけですむが、バイクの場合、石の大きさによっては吹っ飛ぶことがある。
私は4年前に吹っ飛んだ。腕の骨を折り、全身を打って5日間入院した。

だから偉そうなことはいえない。
年取ってから事故ると、体にひびくよ。そりゃもう、ひどいもんだ。
今でも背中が痛んで、寝るときはうめきながら体を横たえる。

そんな目に遭ったなら、バイクなんか乗るのを止めればいいじゃない。
バイクに乗らない人はそう言うだろう。
しかし、バイクが好きな人ならわかってくれるはずだ。
ちょっとくらい怪我をしたって、バイク乗りは止められないよ。

ところが今、バイク乗りは皆困っている。

それというのも、昨年6月から道路交通法が変わって、バイクに対する駐車取り締まりが厳しくなったのだ。
いや、正確にはクルマも同じように厳しく取り締まるようになっている。
けれども、クルマは違反切符をもらいたくなければ駐車場を探せばいい。
ところがバイクには、駐輪したくてもそれと認められた場所が極端に少ないのだ。
たまにクルマ用の駐車場でバイクOKのところがあるが、聞けば料金はクルマと同じだという。

そりゃ、あんまりだろう。
バイクの大きさって、大型バイクだって軽自動車の半分くらいなものじゃないか。
なのにクルマと同じ料金とはひどいじゃないか。
高速道路もバイクはクルマと同じ料金を取られるが、これも常々おかしいと、私は思っている。
バイクの方がクルマより軽いし、道幅だってとらないじゃん。
どうして同じなのよ。

私が乗っているのは250ccの、いわゆるビッグスクーターだが、こいつを押しながら駐車場を探し回り、最後に原付バイクが並んでいる駐輪場にたどりついたとき、管理人のオヤジは顔をしかめて言ったものだ。

「だ~めだよ、これは。大きすぎるもの」

そりゃ、自転車や原付よりは大きいですよ。
でも、駐車場も入れてくれないし、私はどうすればいいのよ。

これではバイクに乗るのが悪いと、町も警察も言っているようなものではないか。
取り締まりを厳しくするのなら、バイクを置く場所を確保してから厳しくすべきだろうに。
交通法規を変えるなら、バイク乗りも納得するような変え方をすればいいだろうに。

ほんとにこの国は、何かというとまず制度から作って、実態をあとからむりから合わせようとする癖がある。後期高齢者医療制度だってそうじゃないか。
欠陥だらけの制度だけ作って見切り発車して、多くの老人たちを困らせている。

おかしいよ、この国は。

今日も今日とて私は愛車を駆って街まで買い物に出たのだが、駐輪する場所を見つけるまでに1時間ちかくかかった。ようやくみつけた駐輪場で、やっぱり「大きすぎる」と嫌な顔をされ、そこをなんとかと拝み倒して置かせてもらった。もちろん有料で。

なんだろうね、この肩身の狭さは。
税金だってちゃんと払ってるのに。
安全運転だってしているのに。
「すいません」と言わなければ、駐輪することもできないのだ。

バイクはクルマに比べて燃費もいいし、上手に使えば環境にもやさしい乗り物だ。
そこのところをもう少し、わかってもらえないものだろうか。


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中国は、チベットの人々を弾圧するだけでは物足りないらしい。

きっこのブログ」によると、今度は「オリンピックのための中国式クリーンナップ作戦」として猫を大量に殺しているということだ。野良猫狩りということだが、殺したネコの数はおよそ50万匹にもなるという。

さらに、ペットのネコでも飼育する権利を買わなければならず、その金額は200元(約2900円)なのだという。日本円にすれば安いような気もするが、中国には収入が500元以下の貧しい家庭も多く、愛するネコのためとはいえ200元もの金は出せない場合が多い。ということは、飼育する権利のないネコが家にいると、それは野良猫として当局が連れ去り、殺処分されてしまうことを意味するのだろう。

それもただ殺されるだけではない。
ネコたちは大半が毛皮工場に運ばれて皮を剥がれ、色を染め直して偽物のミンクやキツネの毛皮として売られるというのだ。

私は、かねがね毛皮については反対の立場をとっている。
日本のアホな芸能人にはいまだにファーだと言って、ステイタスシンボルのように体にぶら下げている者がいるが、まったく許し難いことである。
毛づやのいい毛皮を取るために、いったい動物たちがどんな扱いを受けているか、どんな殺され方をしているか、知っているだろうか。私は知っているから、それを思うだけで胸が悪くなる。胸が悪くなることはなるべく書きたくはないのだが、それは動物にとって苦痛に満ちた方法であるとだけは書いておこう。
もはや人間にとって、毛皮など必要ないのだ。
かわいそうなネコ

「きっこのブログ」では、この中国で起きている異常な事態に反対する署名を募っているが、微力ながら私も協力したいと思う。もちろん、私も署名をすました。
署名フォームは↓こちら。
http://www.shomei.tv/project-10.html

さて、ここで北京オリンピックのことだ。

きっこさんは、北京オリンピックをボイコットすべしと考えているようだが、私は違う。
オリンピックは開催すればいい。
この大会を目指して精進してきた選手たちも出たいことだろう。
この大会を当てにしている商売人たちも開催を願っているだろう。
その人々の期待を無下にすることはないと思う。
さらにオリンピックをボイコットすることから生じる政治的なこじれを考えると、日本にとっては必ずしも得策ではないと思う。

しかし、このようなことをしている中国を許したくない気持ちは私にもある。

そこで提案だ。

オリンピックは開催すればいい。勝手にやればいいのだ。
そのかわり、私は見ない。今度のオリンピックには関心を持たないことにする。
テレビ放送も見ないし、新聞雑誌も北京大会に関するものは見ざる・言わざる・聞かざるで行こうと思う。オリンピックを無視しようと思う。

昔、ローマ帝国では行いの悪かった皇帝に対して下される最悪の処分として記録抹殺刑が行われた。これは、その皇帝に関する公式記録からその名前を消し去り、肖像などはすべて破壊するということで、存在そのものをなかったものにすることを意味する。皇帝にとってはもっとも不名誉な処分だった。暴君として知られるネロや、大浴場を遺しているカラカラなどがその処分を受けている。
歴史から抹殺するとはいっても、ネロもカラカラもその名はいまだに残っているのだから完全に消し去ることはできない。けれども、存在をなかったものにするということは、強大な権力を持った皇帝にとっては十分に恐ろしいことではなかっただろうか。
私は、中国に対して、この記録抹消刑と同じ処分を地球に生きる人間の一人として行いたいと思う。
もし、私と同じように考える人が増え、北京オリンピックが誰の話題にものぼらないようになったら、それは中国としていちばん恐れる事態になるとはいえないだろうか。

私はここで訴える。

このブログを読んで、気持ちを同じくしてくれる人があれば、北京オリンピックを記録抹消刑に処してやろう。
チベット人に対して行っている弾圧に抗議して。
動物たちに対して行っている非人道的な虐殺に抗議して。
貧しい国民に対して行っている非人道的な政策に抗議して。

私は、北京オリンピックを私の歴史の中から抹殺することを誓う。

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昨日はエントリを書いておきながら、結局アップすることができなかった。

私のところにも「ねんきん特別便」が届いていて、見ればやはり、短い期間ではあるが私が正社員だった頃の数年間分の厚生年金の記録が抜け落ちていた。
「ねんきん特別便」という間抜けな名前といい、余白だらけの書面を見て、私は今さらながらに社保庁がやったことの杜撰さと無駄遣いぶりに腹が立った。
おまけに記録を訂正するには、ディズニーランド以上の行列につかなければならないことで、さらに腹が立った。

そんなことをつらつら書いていたのだが、さてアップしようという段になってブラウザがフリーズしてしまった。
今時、ブログを書くのはエディタなりワープロを使って書いてコピペするのが常識なのだろうが、私はその常識が面倒で、ブラウザを開けたまま書いてしまうことが多いのだ。

しかしさすがに、写真まで配して書き上げた記事が目の前で消えてしまうのはショックだった。
というわけで昨日は、気力も時間もなくなってしまったので、1回休み、ということになってしまったのだった。

年金問題にしても後期高齢者医療制度にしても、あらためて思うのは、本当に政府のやり方はひどいということだ。国民のことなどなにも考えていないとしか思えない。
年金問題がこれほど多くの国民を巻き込んでいるというのに、社保庁は2014年を目処に職員を40%減らす方針を発表した。
ほんとうならば、職員を増やして問題の処理に当たらせるべき時だろう。窓口を今の十倍に増やして対応すべき時だろう。
しかし、政府のやり方は、まずは予算削減が大前提で、国民のことは二の次、三の次である。

後期高齢者医療制度にしても、まったく同じだ。医療保険の削減が第一で、そのために多くの老人の生活を苦しめようとしている。
政府にとっては国民よりも制度の方が大事ということだ。

この悪政が、いつまで続くのだろうか。
われわれは決して許してはならないと、昨日は大筋ここまで書いたのだった。

そこで、オー! フリーズ。
というわけだ。
福田康夫

私のパソコンがフリーズしたのとは反対に、国会では福田康夫がめずらしくヒートしていた。
これはこれで、なかなか面白い眺めだった。
私は、後期高齢者医療制度について、福田が「長寿医療制度」と看板を掛け替え、「なかなかいい制度だと思いますけどね」と、例の他人事口調で言っていたのを忘れられない。
その福田が、小沢一郎と相対して、髪を振り乱さんばかりに激高している。
声がうわずって、今にも泣きそうに見える。
それに対して、せせら笑っているように見える小沢一郎は悪役顔をしているが、言っていることは小沢の方が筋が通っていた。日銀人事に財務省の既得権益があってはならない。この明確な主張があったのに、福田は相変わらず財務省出身者を選び続けた。愚かなのは誰が見ても福田の方だ。

日銀総裁人事について、福田康夫は民主党にふりまわされた、人事権の乱用だと噛みついたが、数を頼みにこれまでさんざん職権を乱用してきたのは自民党政府の方だ。
何を今さらと、小沢も苦笑していたのだ。
小沢一郎
福田は自分を哀れんでか、「かわいそうなくらい苦労してるんですよ」といっていたが、もっともっと苦労すべきなのだ。今まで野党の言うことなど、最後に押し切ってしまえばいいという驕りが通用しなくなっただけのことだ。苦労して苦労して、それでもだめなら政権を譲ればいいのだ。

私自身は、小渕、森、小泉、安倍と続いてきた総理の中では福田康夫はいちばんまともな人間だと思っているのだが、やはり国のリーダーとしては物足りない。

はやいところ、政権を交替するのが、いちばんなのではないかと思わざるを得ない。


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いうまでもなく、すぐれた映画というものは、見る側に対して相応のリテラシーを要求するのである。
私が「ノーカントリー」をすぐれていると感じたのは、単に善と悪が闘うアクションと暴力がすさまじかったからではなく、善と悪という人間的な価値観を超えたところにある「死」の存在が描かれているところに衝撃を感じたからであり、理不尽で無差別に襲いかかる死というものが、きわめて現代的なテーマに通じているところに感心したからである。
血と暴力に彩られた死の前に、人は無力に佇むしかない。そこには絶望が感じられるが、もちろん、この映画はそれだけを答えにしているのではない。残虐で無慈悲な殺戮は、なにも現代だけの専売特許なわけではなく、昔も同じように行われていたという台詞がある。この台詞をとらえて考えれば、死も暴力も普遍的なテーマとして描かれているのが、この作品であり、観客はいくら時代が進んでも人間の本質は変わらないといったあきらめを感じるかもしれない。
あるいは、ラストシーンでトミー・リー・ジョーンズが妻に向かって長々と夢を見た話をするが、その内容は、雪の降る凍える山道を死んだ父親と馬に乗っていく夢だ。父親は牛の角に火を灯したものを持って先に行ってしまうが、自分は父親がきっとどこかで待っていてくれるだろうと感じる。
この話をラストに持ってくることにより、観客は、無慈悲な死と殺戮が描かれているが、遠い未来にはかすかな希望も見えているのだというメッセージを受け取ることもできる。

つまり、すぐれた映画というのはいくつもの答えがあるものなのだ。

さて、このごろ話題になっている「靖国 YASUKUNI」の問題だ。
遅ればせながら、私もひとこと書いておきたい。
YASUKUNI

私が思うには、いちばん問題なのは、映画に対する想像力もリテラシーも欠如している稲田朋美が議員の特権を乱用して試写を要求し、まったく的外れな感想を述べたことにあると思う。

稲田に想像力が欠けているのは、映画を見る以前に、国会議員が政府出資の助成金が出て映画が作られていることを問題視して試写を要求することがどういう影響を与えるかということに対してまったく想像力を働かせていないということだ。そのようなことをすれば検閲と受け止められることは容易に想像がつくことなのに、稲田にはそれがわからなかった。
そしてリテラシーに欠けているのは、さまざまな受け取り方が可能であることがすぐれた映画であることを理解せず、自分の物差しだけを当てはめて「靖国神社が国民を侵略戦争に駆り立てる装置だったという政治的メッセージを感じた」と感想を述べた点にある。それは稲田が感じたひとつの感想に過ぎないものであり、映画「YASUKUNI」のすべてを語りうるものでは決してないということを、稲田は理解していない。そういう見方をすることもできるかもしれないが、そうではなく、今まで靖国神社に対して特別な思い込みや知識を持っていなかった人が、改めて靖国神社について考えるきっかけを与えてくれた。その点で、この作品は高い評価を得たはずなのだ。
稲田程度のリテラシーでは、せいぜい「恋空」のようなケータイ小説を映画化したものでも見ていればいいだろう。

議員による検閲ではないのかという批判が起きるのは当然のことなのに、稲田は卑怯にもまともに答えようとせず、逃げ回っている。このような議員に税金が支払われていることの方が、私としては問題視したい気持ちだ。

また、自民党の水落敏栄参院議員、有村治子参院議員は、この作品が助成対象としてふさわしくないと、助成金の返還を求めている。
しかし、そもそもこの映画は文化庁の決して緩くはない審査をパスして助成金を得たものであり、それを今さら蒸し返すのは、たんなる難癖をつけるだけの幼稚な行為である。
靖国神社を映画の題材にすることは英霊や御霊に対する不遜であるという有村の言い分も、無理がある。それならば、これまで数え切れないほど作られてきた戦争を題材にした映画すべてが、戦争で犠牲になった人々に対して不遜であることになり、すべて上映禁止にしてDVDなどは販売禁止にしなければならないだろう。そんなことは不可能だし、ナンセンスだ。

靖国神社はとくべつな存在である、と議員たちはよくいうが、どこがどう特別なのか。その特別なところがいいのか悪いのか、ひとつひとつをはっきりさせる者がいない。われわれから見れば、彼らは自分の主義主張に都合よくこの神社を利用しているに過ぎないように思われる。

靖国神社は国が、先の戦争で亡くなった人々を祀る神社だが、そこには強制連行された朝鮮人の遺骨や、戦争犯罪人として処刑された人の遺骨もいっしょくたに祀られてしまっている。そのいい加減さが反発を呼び、国際問題に発展する。合祀問題をどう考えるか、どう処理すべきかを明らかにすることが政治的意味合いを持つことそのものなのであり、そのことを論じるのが目的ではないドキュメンタリー映画を撮ることに政治的な解釈をこじつけるのは、映画作家に対して失礼なことだと思う。

いずれにしても「YASUKUNI」がすぐれた映画かどうかは、議員が判断することではなく、一般の人々が見て判断すべきことである。そして判断するには、この映画が上映される機会を持つ必要がある。この点において、ようやく公開に踏み切る映画館が増えてきたことは喜ばしいことだと思う。
偏狭な右翼思想による妨害は、警察の手によって排除される必要がある。

われわれには、すぐれた映画を観る権利があるのだ。


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関連タグ : 映画, YASUKUNI, 稲田朋美,

昨夜来、関東地方には台風並みに発達した低気圧が北上してきており、激しい雨と風が吹き荒れている。
こんな朝は、私も犬たちも雨合羽を身につけて歩くのだが、あまりに風が強いために犬たちの合羽は目繰り上がりあまり雨よけの役に立っていない。私の眼鏡にも容赦なく雨が打ち付けて、前がよく見えない。
こんな日に、狂犬病予防接種があるのだが、どうなるのだろう。

さて、今の日本が、格差社会という名の戦場と化しており、われわれの上には好むと好まざるとに関わらず、新自由主義の砲弾が降り注ぐ中で暮らしている。
この言葉に、私はいまだにこだわり続けている。

この問題の大きさ、根深さに比べれば、日銀総裁の人事などは些末なことだし、衆参のねじれ国会により国政が滞っていることも枝葉のことのように思えてくる。
われわれは、昭和16年から20年にかけて続いた、アメリカ連合軍との激しい闘いをしたとき以来の厳しい状況に置かれているのではないか。

昨日の朝日新聞朝刊の社説では、「憲法25条を」再定義しようという一文が載っていた。
「高度経済成長期を経て、日本人の暮らしは物質面では飛躍的に豊かになった。しかし、表面的な反映とは裏腹に、人々は弱々しく孤独になった。頼りにしてきた会社も終身雇用してくれるか怪しい。家族のきずなはもろくなった。そして何よりも、希望が見えなくなった。目の前に立ちはだかる政府の膨大な借金と、急速な少子高齢化。忍び寄る経済力の衰え……。」

そこで朝日は、もういちど日本国憲法に定められた第25条を想起する。
憲法第25条とは、人間が人間らしく定められた権利を持つとした条文である。
1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない。

朝日の社説では、岸信介内閣のときに最低賃金法、国民皆保険を目指す国民健康保険法改正、自営業者らを対象に加えた国民年金法が日の目を見たとし、その後の池田勇人内閣による所得倍増計画によって日本経済は成長路線を走ることになり、国民の生活水準が向上するに従って福祉水準も自然に後を追って上昇したとしている。

しかし低成長と財政難に悩む今、福祉も公共投資も借金ではまかなえなくなってきた。希望が霞む今、憲法25条が掲げる「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か、今の尺度で問い直し、すべての国民がその恩恵にあずかれるよう、制度を作り直す必要があるとしている。
愛美さん
この社説が掲載された同じ日、NHKではNHKスペシャル「愛美さんが教室に戻れる日」という番組を放送していた。ここでは教室で男子生徒から殴られたことがきっかけで中学に行けなくなった愛美さんという少女と、部活でのトラブルが原因で家にこもるようになった3年生の真義君を中心に不登校の問題を取り上げていた。
今、日本全国では12万7000人もの不登校児童がいるといわれる。大阪では小中学校に「不登校対応専任教師」を配置し、ひとりひとりの家庭の中にまで入り込むケアをしている。そのなかで浮かび上がってくるのは、まさに新自由主義の戦争に傷つき、破壊されてしまった家庭の中で必死にうごめく人々の姿だった。

愛美さんは母親と2人暮らしで、母親がパートに出て生計を立てている。その母親が腰を痛めて仕事に出られなくなって、愛美さんの態度にも微妙な影響が現れてくる。真義君は弟と母親との3人暮らしをしているが、母親は子どもたちが幼い頃に離婚し、一人で養ってきた。しかし体をこわして現在は生活保護で暮らしている。家庭内の仕事は長男の真義君が引き受けている。真義君は3年生で受験を控えているが、不登校による学力の遅れ、将来に対する不安で体調を崩しがちだ。
真義君
それでも彼はいう。
「高校へ行きたい。高校に行かなかったら、僕の人生はおしまいになる」
彼は一人で役場を訪ね、高校入学に必要な奨学金の申請をする。彼に対して何もしてやれない母親は、心配のあまり失踪して精神安定剤を大量服用し、倒れて病院に運び込まれる。
命は取り留めるが、真義君には心配で眠れない日が続く。
「まったくアホやね。アホとしかいえん」
淡々と語る真義君だが、彼はきっと不安におびえふがいない母親に怒り、心の中では大声を上げて泣き叫んでいたことだろう。

ふたつの家庭に共通しているのは、離婚により機能を失ってしまった家族と、そこに容赦なく襲いかかる貧困の問題だ。真義君の母親は訴える。
「どんなに頑張っても、生活がなりたたないんです。働こうにも職がない。一度体をこわすと、新しい仕事はみつからない」
それは今の社会保障の網の目からこぼれ落ちた人々を代表する声でもある。

新自由主義の爆弾は、弱い者から狙い撃ちにしていくのだ。彼らのケースは、その典型といえるだろう。父親がおらず、母親も体をこわして働けない。生活の負担は子どもにのしかかる。子どもは自分の将来に不安を抱え、心身ともに疲れ果ててしまう。
不登校児童の問題には、貧困の他にも虐待などさまざまな事情がふくまれている。
不登校専任担当教員たちは、100回、200回と家庭に足を運んで子どもたちが学校に出てこられるように働きかける。その結果、学校に戻って卒業式を終えることができる子どももいるが、とうとう卒業式にも出席しない子どももいる。
卒業
大阪府がとっている「不登校専任担当教員」制度は、注目に値するといえよう。
私の娘も、ある事情から中学時代に学校に行けなくなってしまった。しかし娘の学校には「不登校専任担当教員」などはおらず、各学級に数人ずつも不登校生徒がいたにもかかわらず、すべてが担任に任されていた。そして担任によっては不登校生徒まで目を届かせることができず、半ば放置されたままにされていた。学校側はそのことを「決して生徒さんには無理をさせない」ためだと言っていたが、不登校になった娘には、学校で行われる行事の連絡も一切なく、生徒に配る書類があっても机の中に入れられたままで、娘がたまに学校に行くと、それらをまとめて抱えて持ち帰るのだった。
私は、学校が娘のような不登校生徒を放棄しているように感じた。
結局、娘は、卒業式にさえ呼ばれなかった。親の私たちが問い合わせて、連絡するのを担任が忘れていたことがわかり、改めて卒業式に出てくれと言われたが、娘はそれを拒否した。皆でおこなう卒業制作も、連絡が来ず、娘は参加しなかった。担任が連絡を忘れていたためである。
その後、私は学校側に抗議したが、ほとんどとりつく島がない状態だった。自分たちは誠意を尽くしてきた。それが通じなかったのは残念だというのである。
私は担任も、校長も、許せないと思っている。

それにくらべれば、大阪府の取り組みはうらやましいほどだ。
しかし、問題の原点にあるのは、今の日本社会が抱えている問題、つまりは格差社会がもたらしている弊害とそのしわ寄せが弱者に集中していることであり、この問題を解決することなしには不登校の問題も改善することは難しいだろう。

そこで、もういちど思い出さなければならないのは憲法第25条だ。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。そして「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上および増進に努めなければならない」。
単に生活保護の基準をゆるめるといった対策が必要というのではない。国民には、みな人間らしく生きるための権利があり、国はそれを保証する義務がある。そのことをもっと真剣に考えていく必要があるのだ。そのためにはっきり掲げなければならないのは、新自由主義を粉砕することであり、国民が主体であることを確認した上での社会民主主義を実現させることだ。

弱者へのしわ寄せがこれ以上続いていくと、日本は本当に根底から瓦解していくのではないか。私は、そのことを危惧せずにいられない。いまほど、「まともな政治」が求められている時代はないのではないか。


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どうも、このところ調子が悪い。
あまり「うつ」の状態のことや、その影響については書かないように、この頃は気をつけているつもりだ。
しかしこの1~2週間は、何もする気になれない。それも仕事をふくめて、大切なことほど集中できず、机の前から逃げ出すことばかり考えてしまう。落ち込んで、気分が悪くなり、布団の中に潜り込みたくなってしまう。
この数日の、私が書いたブログを読み返してみても、まったくいやになるほどひどい文章で、ゴテゴテとまわりくどく、わかりにくい。私のブログなど、読んでくださっている方はそれほど多くはないだろうけれど、それにしても大切な時間をひどい文章につき合わせているのだから申し訳ないというしかない。
ほんとにどうも、申し訳ないです。
できれば削除してしまいたいけれど、それも卑怯な気がしてできずにいる。

文章は簡潔に、わかりやすく。これがいちばんとわかっているのだが、鬱々とした気持ちになると、思考がぐるぐる同じ所を回転しはじめてしまうのだ。その結果、自分は何を言いたかったのだっけと、確かめるために読み返さなければならない。まったくアホである。

夜が早く明けるようになったためか、近頃ワンコが私を騙そうとする。
彼らは寝室のドアの前にベッドを置いて、そこで固まって寝ているのだが、窓の外が明るくなってくるとママワンコ(8歳)と息子ワンコ(6歳)が鼻を鳴らしてさわぎはじめる。

「もう朝だよ、散歩に行こうよ」
「はやく連れて行って、ボウコウが破裂しちゃうよ」

浅い眠りの中に、ワンコたちの訴えが忍び込んでくる。

「早く、早く!」

うっすらと目を開けると、なるほどカーテン越しに見る窓の外は明るい。
寝ぼけた目で時計を見ると長針が30分あたりを指している。
もう6時半か。起きてやらなくちゃ。
重い頭に顔をしかめながら起き上がり、服を着る。
そうしてあらためて時計を見ると、まだ5時半なのである。

「お前たち、俺を騙したな」

息子ワンコはうれしそうに足下でくるくる回っている。
オヤジワンコ(8歳)とフレンチ(4歳)は、眠そうな顔をしてこちらを見上げている。

「まだ、そんな時間じゃないでしょ」

「お前たちの仲間が、俺をだましたんだよ。もう起きちゃったから、散歩に行こうか」

重い足取りで階下に降りると、ワンコたちもついてくる。もう、こうなったら4匹とも散歩に行く気満々だ。
リードを取り出し、一匹ずつハーネスをつける。みんな行きたいものだから、進んでハーネスに頭を通してくる。
ところがフレンチだけは、ハーネスをてにしたのを見ると何故かどこかに隠れる。隠れてこちらをうかがっている。名前を呼ぶと、近くまで来るが、ハーネスを付けようとするとまた逃げ出す。

私は朝の調子が悪い。いい加減、ここまででかなりムカついているのだが、辛抱強く呼び続け、ようやくハーネスを付ける。すると、いままで逃げていたワンコが、いちばんになって外に飛び出していく。

まったく犬ってやつは。

先週は2週間に1回の通院日だったが、あまり眠れないことと、朝早く犬に騙されて起こされてしまうと話した。
医者は「そういうときは厳しくしないと。あなたはボスなんだからね。一発ひっぱたいてやればいい」

へたれなボスの私は、犬を叩くこともよくしないのですよ。お互い年取ってきてるしね。

かくして一応ボスとは認めているものの、私をどこか舐めているワンコたちは毎日マイペースで起きて、散歩して、食べて、寝て、を繰り返している。
一方、私は……。
ベッドに逃げ込みたい気持ちをなんとか抑えながら、一日を送る。仕事が出来る日もあれば、まったく手に付かない日もある。困ったことだと思いながら、でもブログは自分を確認するものとして大切なものなのだから、なんとか書き続けたいと思う。

しかしそのブログに、ひどい文章しかかけなくなってくると、もう私はどうしようもなくなる。

今日は、産経ニュースで石原慎太郎が「日本よ」という原稿を寄稿していた。
今の日本の政治状況を幕末になぞらえて語っているつもりなのだろうが、この男の書く文章は大仰な物言いをするわりに少しも頭に響いてこない。こっちの頭が悪いせいだろうか。私には支離滅裂としか思えないのだがどうだろう。

文中で石原は、毛沢東の「矛盾論」を引き合いに出して、「目の前にある厄介ごと、つまり解決すべき矛盾には、実はそれを規制しているもう一つの大きな背景があるのであって、それを正確に認識してかからないと問題の完全な解決にはならない」と説いているが、これって、新銀行東京で失敗をやらかしたことにあてはめれば、石原自身を排除しなければ問題は解決しないと言っているのに等しいような気がするのだがどうなのだろう。
日本よ
私の今の混濁した頭では判断がつかないのである。

みなさん、どう思われますか?


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4月4日の「世に倦む日々」のエントリを読んで、ずっと心の中に澱のように沈んでいる言葉がある。
この日、取り上げられていたのは青森県八戸市で起きた、母親による8歳の息子絞殺事件のことだった。東京で結婚し、子供をもうけたが離婚して八戸の実家に息子と2人で帰ってきた母親。自宅に引きこもりがちだったという母親に、何があったのかはわからない。しかし、いつもそばにいて、母親が苦労している様子を見てきた息子は、「おかあさん」という題名の詩を書き、それが学校の教師の目にとまり、コンクールに応募して入賞を果たした。その詩の内容は、母親に対する愛情にあふれるものだった。
母親に対して深い愛情を持ち、全幅の信頼を寄せていたであろう8歳の息子の首を、30歳の母親は電気コードで締めて殺害した。

なんとも痛ましい事件がまたひとつ起きたわけだが、私の心に染みついて離れないのは、thessalonike4氏による以下の言葉だ。

「私にはどうしてもこういう問題とは自分を向き合わせなくてはならないのだという気分がある。それに触れずに先に行くことができない。何が起きているのかを考え、言葉にしなくてはいけないと思い、最も適切な言葉は何だろうかといつも思う。格差社会の戦場にいるのだ。それが私自身が最も納得できる言葉である。新自由主義の砲弾が飛んできて、隣にいた人間の頭部を吹き飛ばしたり、前を歩いていた人間の内臓をぐしゃぐしゃに潰して、死体が散乱して血だらけになった地面の上を歩いているのだ。戦場だから、次の瞬間に砲弾の犠牲になるのは自分だから、誰にも何も声をかけず、目を背けることもせず、ただ生体が死体になる事実だけを喉からのみこんで歩くだけなのだ。戦場では弱い者から犠牲になるのだ。イスラエルの地上軍はガザの子供を銃で頭を撃って殺すが、日本の新自由主義は日本の弱者の子供をこうやって殺す。」
土浦殺人事件
われわれは戦場に暮らしている。
目には映らず、耳にも聞こえないが、新自由主義の砲弾や銃弾が降り注ぐ修羅場の中で生きている。その言葉が、重く心にのしかかる。
親が子供を殺し、家族が家族を手にかける事件が相次いで起きている。
また、先月には土浦で無差別殺人事件が発生し、岡山では駅のホームから他人を突き落とすという衝動殺人事件もあった。
それぞれの事件には異なる背景があるが、私にはどの事件も、現代を象徴するもののように思えてならない。それを言葉にすれば「世に倦む日々」の記述と同じことになってしまうのだが。
戦場の中で生きているうちに、われわれの心は荒み、死というものに対する恐れが鈍ってきている。人の死を悼む気持ちはあるが、一方では悲惨でむごたらしい死が日常のことになって心の上層を滑り落ちていく。死はきまぐれに人々の上に訪れて、人間を弄ぶようにして命を奪って去っていく。人はなぜ、このような死に方をしなければならないのか、考えるいとまもなく死んでいく。
これまで、人間はいかに生きるべきかを考えることが人生の大きな命題だったが、今やわれわれはなぜ死なねばならないのかについても考えなければならないときにきている。

本年度の米アカデミー賞で、作品賞、監督賞など4部門を受賞したジョエル&イーサン・コーエン兄弟による「ノーカントリー」を観てきた。
すでにこの作品については様々なことが書かれていることと思うが、何の予備知識も持たずに観に行った私は、この作品がまさしく現代的な死をテーマに据えた、緊張感にあふれる物語として画面に見入った。

冒頭、画面はテキサスの広大な荒れ地を映しながら、保安官のエド(トミー・リー・ジョーンズ)の長い独白で映画は幕を開ける。「今の殺人は、まったく訳がわからない。老人の家に押し入った強盗が、年金を奪っただけで老人を拷問し、殺して穴に埋める。なぜ、そんなことをしなければならないのか」「自分はこの前、少年を死刑にした。彼は殺人を犯したが、理由などなかった。ただ殺したくて殺した。もし刑務所から出ることがあったら、また殺すと言っていた。まったく訳がわからない」――そんなモノローグが続いていくと、警官がひとりの男を逮捕する場面になる。男はおとなしく手錠をはめられてパトカーに乗り、保安官事務所まで連行される。まだ年若い保安官補が電話をかけていると、その背後に男が忍び寄り、手錠をかけた腕で保安官補を絞め殺す。渾身の力を腕に込めながら、どこか恍惚とした表情を浮かべて命を奪っていく。その男の名は、アントン・シガー(ハビエル・バルデム)。この映画の主役といってもいい、異様な殺人者だ。
シガー
画面が替わって、この映画のもう一人の主要人物、ジョシュ・ブローリン演じるルウェリンという男がライフルを構えて鹿を狙っているところをカメラがとらえる。彼は岩でライフルを支え、照準器を使って一頭の鹿に狙いを定める。息を凝らし、全神経を集中させて、鹿の胸のあたりを狙って引き金を引く。
次の瞬間、鹿は一瞬ガクッとよろめくが、銃声に驚いた他の鹿たちと一緒に逃げていってしまう。
獲物を逃したルウェリンは、双眼鏡であたりを見回しているうちに奇妙な光景を発見する。
それは、ギャングたちが麻薬取引で撃ち合いとなり全員が死亡してしまった現場だった。彼はそこで大量の麻薬と200万ドルという大金を見つけてしまう。誰も見ている者はいないが、そのカネに手をつけることは命を狙われることを意味する。それでも彼は200万ドルが入ったバッグを手に歩き去る。
物語は、ここから命がけで逃げるルウェリンと、ギャング組織に命じられてその命を狙うシガー、そして大量殺人事件解決とルウェリン保護のために立ち上がるエドの3つの視点から進められていく。

これ以上、ストーリーの説明は不要だろう。誰が死んで、誰が生き残るのか、そんなことはこの映画は問題にしていない。いちばんの眼目は、「死」というものがいかに理不尽に、しかも気まぐれに人に襲いかかるかという点にある。登場人物の一人がこんなセリフを言っている。
「死というやつは誰の思い通りにもならない。病気で長くはないとわかっていても、死ぬとなればなぜ今日なんだと思わずにいられない」

シガーは金などといった人間的な価値観を超越した存在で、人を殺していく。前を走っている車を止めては、不審気に降りてきた男に世間話のように語りかけ、屠畜用の圧搾ポンプで額に穴を開ける。彼は死そのものであり、彼のそばに寄るものは、カラスだろうと一発見舞われることになる。
しかしこの映画では、とかく関心は異常な殺し屋のシガーに向けられるが、私はむしろルウェリンという「まともな男」が狩りをしている場面が心に引っかかる。
ルウェリンはなぜ、狩りをするのだろうか。食料が必要だから? 毛皮や肉を売って金にするため? それとも、単にハンティングを楽しむだけだったのか。
映画ではルウェリンがベトナム戦争帰りだということが明かされるが、死神そのもののシガーの存在だけでなく、動物を狙い撃つルウェリンもまた、実は確たる理由もなく死をもたらす側に属していることを映画は暗示している。
数多くいる鹿たちのなかから、一頭に狙いを定め、引き金を引く。その一頭を殺さなければならない理由は何もないのだ。鹿に対して、ルウェリンは何も特別な感情を持ってはいない。ただ殺す。そこに獲物がいるから銃を撃つだけだ。シガーは、同じ臭いを持つ存在に感づいたから、導かれるように彼を追いつめようとする。
ルウェリン
思えば土浦で起きた無差別殺傷事件も、岡山で起きた駅ホームでの突き落とし殺人事件も、犯人となった男たちは得体の知れない死神のように被害者に迫り、命を脅かした。彼らは誰かを殺す必然に駆られて行動を起こした。ただし、その必然には意味などなかった。貧困、孤独、絶望、そんな言葉が浮かんでくるが、それこそが新自由主義が日本全国に絨毯爆撃のようにまき散らしている砲弾にほかならない。その砲弾にあたり、人生を粉砕された人間が我が子の首を電気コードで絞めて窒息させる。その銃弾に前途を閉ざされた若者が、見ず知らずの会社員をホームで突き飛ばした。あるいは集中砲火によって仕事の取引がなくなり、経済的に追いつめられた父親が家族を抹殺しようとした。まだ年若い母親が、マンションから我が子を投げ落とし、自分も身を投げた。彼らはみな、新自由主義の見えない狙撃手から照準器で狙いをつけられ、不幸にも被弾してしまったのだ。
ノーカントリー」では、理由なき殺人を繰り返すシガーの存在を現代的な死の象徴として描く。彼に対して、われわれは善悪のものさしすらあてはめて考えることができない。純然たる死に、いいも悪いもない。死の前に、われわれはただ膝を屈するしかない。
その言いようもない挫折感と絶望感。
きわめて現代的な死の問題をわれわれに反芻させつつ、この映画は幕を閉じる。

なぜ人は死ななければならないのか。その死は、どうして訪れたのか。これからは、その背景を思いつつ、「現代の死」に向き合う必要がある。そんなことを考えさせる映画だった。

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関連タグ : 児童殺害, 衝動殺人, 新自由主義, 戦場, ノーカントリー,

老人たちが呼ばれて嫌な気持ちになるのは「ジジイ」「ババア」と呼び捨てられるときだろう。
先日、電車に乗ったときのこと、シルバーシートに腰掛けた2人の女性が憤慨して言っていた。

「まったく、冗談じゃないわよ。まだこんなに元気だというのに後期高齢者だなんて人をバカにして!」
舛添要一
ニッポンコクでは、厚労省の役人が「ジジイ」「ババア」を翻訳すると「前期高齢者」、「クソジジイ」「クソバババア」を翻訳すると「後期高齢者」ということになるのだ。
そして「後期高齢者医療制度」なるものを私なりに翻訳し直すと、「金食い虫のクソジジイ・クソババアどもから残らず金をふんだくるための仕組み」ということになる。いみじくも舛添要一が言っていたように「老人医療には金がかかる。かかった分は利用した人に負担していただかないと保険制度がなりたたなくなる」というところに、この制度の原点がある。

それでも、こんな制度を作っておきながら、舛添以下、厚労省の役人どもは「お年寄りをバカにする気はございません」と言うのだろうが、75歳を過ぎたら人の人生も後期になると勝手に決めつけた時点ですでにバカにしているのである。さすがに評判芳しからぬと、めずらしく察した福田康夫は看板にある「後期高齢者」を「長寿」に塗り替えるよう命じたが、すでに遅すぎた。ここではあえて書き換える前の名前で呼ぶが、「後期高齢者医療制度」は、名前だけでなくその内容まで、とことん老人をコケにした悪法と言っていいだろう。

何が悪いといって、まず年金問題も片付かないうちに、その年金から保険料を天引きするという発想がいかにもこすからい。まるで、金は貸すけれどもあらかじめ利子を差し引いた金しか渡さない高利貸しのようなものではないか。
しかも、75歳になった時点で、それまで加入していた国民健康保険や共済組合などの被用者保険から脱退させられて、強制的に独自の医療保険に組み入れられるのだ。そして、生活保護受給者を除き、子どもの扶養者としてこれまで保険料を払っていなかった人間や寝たきりなどで障害認定を受けた人々まで、保険料の支払いを義務づけられる。これまで扶養家族として支払い義務がなかった老人は、約200万人いるとされるが、その一人ひとりから容赦なく徴収しようというのが、この制度だ。
抗議集会
さらに質が悪いのは、保険料を天引きすると言いながら、いったいいくら天引きされることになるのか、ほとんど説明されていない点だ。少ない年金をやりくりして生活している老人にとって、この制度は戦々恐々とせざるを得ない。昨日のニュースでは、自分がいったいいくら天引きされることになるのかわからずに、役所の窓口を訪れる老人たちの姿が映し出されていた。彼らが口々に不安を訴えていたのはいうまでもない。それはそうだろう、介護保険をすでに支払っている上に、さらに保険料まで受け取っている年金額によって天引きされるというのだ。生活していく金がどんどん目減りしていく現実に、絶望とも諦めともつかない表情をうかべる老人が多かった。
後期高齢者医療制度

厚労省は、この制度により月額6万6000円の基礎年金受給者で保険料負担は1000円程度となり、国民健康保険に加入していたときに比べて1800円程度軽減されるとしている。また月額16万7000円の厚生年金受給者の場合、7700円から5800円に減額されるとしている。
しかし、すでに天引きされている介護保険料(全国平均で月4900円)と合わせると、75歳以上の老人のうち約8割が、平均月1万円以上支払うことになるという。介護保険料と医療保険料の支払額が年金の2分の1以上になる場合には、医療保険は天引きされないことにはなっている。けれども、国民年金で平均月4万7000円という受給額から最大で50%まで保険料として引かれてしまうことになるのだ。おまけに、後期高齢者医療制度に便乗する形で、65歳から74歳で国民健康保険に加入している人からも保険料が天引きされることになっている。

さらにさらに、月1万5000円未満の年金受給者は、自分で保険料を納めにいかなければならず、もし保険料を滞納した場合には、保険証が取り上げられ、代わりに資格証明書が発行される。これは保険料を支払うまでは病院に行っても10割支払わなければならないもので、事実上、保険料を払えない老人は医療を受けられなくするものだ。これまでは、75歳以上の高齢者は、国の公費負担医療を受けている障害者や被爆者と同様に、保険証のとりあげが禁止されていた。しかし今回の「後期高齢者医療制度」では、この対象からはずされることになっている。

支払う保険料は、全国平均で月6200円、年間平均で7万4400円と厚労省では説明している。しかし、実際に支払う額は各都道府県によって決められるので、東京都で年11万5000円など、現在払っている国民保険税よりもかなり多い金額になる。しかも、高齢者の人口が増えるに従って保険料が自動的に上がる仕組みになっているので、支払額は今後どんどん上昇していくのは間違いない。

また、窓口負担は1割負担から2割負担に引き上げる、一ヶ月あたりの自己負担限度額を引き上げるという案もあったが、これは昨年の参院選で与党が惨敗したために一年間凍結となっている。しかし、このまま放っておけば来年の4月からは間違いなくこれらの負担増が老人たちにのしかかってくるのである。

とにかく複雑でわかりにくいこの制度には、まだまだ国民を落とし穴に引きずり込むような仕掛けがたくさん仕込まれているのだが、自民党も公明党も、素知らぬ顔をして制度の改正だと抜かしている。
民主党、社民、国民新党、共産党はこの悪法を廃止すべく動くようだが、今後はもっと声を大にして活動してもらいたいものだ。
ほんとうに、ガソリン税の陰で、生活を脅かす悪法が国民の目をすり抜けながら効力を発揮しようとしている。与党は目くらまし作戦のように、われわれの目を誤魔化そうとしている。
けっして見逃してはならない。年をとっても絶望することしかできないような社会には、絶対にしてはならないのだ。


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