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貧困問題

ここでは、「貧困問題」 に関する記事を紹介しています。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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駅近くにあるそのネット・漫画カフェは、雑居ビルの5階にあった。
細い階段の入り口には「3時間900円、6時間1600円、ナイトパック1400円」という看板が立っており、その横には液晶テレビの画面があって、若い女性の声が明るく呼び込んでいた。
「清潔な店内、シャワールームつき。もちろんソフトドリンクは飲み放題!」

このところ、私の心には以前、私のエントリに対してもらったコメントにあった言葉がずっとひっかかっていた。
そのコメントは、まずネットカフェが若者を中心とする貧困者たちのシェルターのような存在になっており、そこで生活するようになると抜け出すのは難しい(もちろん、ネットカフェに泊まる金もなくなれば、あとは野宿をするしかなく、そう言う意味でネットカフェ生活を抜け出すのはいとも簡単である)という趣旨の私の記述に対して、ClossOver氏から「ネットカフェ貧困者があふれているという情景がどこにでもあるというものではなく、あるとすればそうしたネットカフェこそが『異端』なのだ。実際の姿を見ずに語るのでなく、自分の目で確かめてみるべきだ」という指摘をいただいたのだ。

指摘されたこと、とくに実際を見ることなく印象だけで語るべきではないという言葉は耳にいたかったし、現代の貧困を語るうえでネットカフェの存在を抜きにはできないとしたら、やはり私は自分の目でネットカフェなるものを見ておくべきだと思った。

ネットカフェにも松・竹・梅のランクがあるだろうし、私がたまたま訪れたそのネットカフェはどれにあたるものだったのかはよく分からない。しかしネットで料金表を調べてみると100円か200円の違いはあるものの、同じような料金設定のところが多いようなので、だいたい平均的な竹レベルのカフェではなかったかと思われる。

そして中に入ってみると、そこは照明を落としているものの不潔な感じはなく、フロアを細分している壁にドアが整然と並んでいた。
見る限りではここにどれだけネットカフェ難民がいるのかを把握するのは難しい。昼間の時間帯ということもあり、客の出入りはほとんどなかったが、この時間に個室に入っているとすれば、あるいはそれが今日の仕事にあぶれたネットカフェ難民といえるのかもしれない。店の話では、たしかに常連は何人かいるとのことだったが、ここを定宿にしている人がどれくらいいるのかについては曖昧な返事しか得られなかった。「ネットカフェ難民」という言葉は業界にとっては有り難くない言葉に違いなく、誰もが普通にコーヒーでも飲みながら漫画を読んだりネットを楽しんだりする施設であることを強調したいのは当然だ。

たしかに、外回りの仕事中に空き時間ができた営業マンが体を休めがてらネットで仕事をするには都合がいい施設だ。あるいは終電を逃してしまい、やむを得ずどこかに泊まらなければならなくなったとき、シャワー施設も完備したこの施設に入れば、リクライニングシートではあるけれど、一泊4000円はかかるカプセルホテルよりも安くあげることができる。
ネットカフェは、なかなか重宝な施設に違いない。

だからここで私は訂正しておこうと思う。
ネットカフェが難民であふれているという、いかにもマスコミが好みそうな大仰な状況はかならずしも見られないと。
しかし、いくつも並ぶドアの向こうに明日の生活がどうなるかも覚束ない人間がうずくまっている可能性があることもまた事実だ。

湯浅誠の『反貧困』(岩波新書)にはネットカフェ難民から「もやい」に寄せられた相談例が綴られている。それによると、相談してきた男性は38歳で、時給700円の派遣労働をしていた。この賃金では最低賃金ぎりぎりだが、残業時間が長いために生活保護基準は少し上回る収入を得ていた。おかげで1泊1500円程度のネットカフェに泊まる費用は捻出できたが、アパートに入居するための諸費用を貯めることはどうしてもできない。そしてネットカフェを泊まり歩く生活は精神的・肉体的に限界に来ていたという。
湯浅は、「ネットカフェでの暮らしは、低収入であると同時に、高支出である」と書いている。

「毎晩1000円~1500円の宿泊費、三食の食事代はもちろん、風呂代、荷物を預けるためのコインロッカー代、仕事上の身なりを保つためのコインランドリー代、その他もろもろの経費がかかる。いわば、常時旅行しているような状態だ」
そして、ぎりぎりに食事を切り詰めるなどして金を貯めても、「なんとか5万~10万貯められたと思ったころに、無理がたたって体を壊してしまう」のだという。風邪を引けば仕事を休まざるを得ず、住所不安定では健康保険にも入っていないので病院にかかることもできない。せっかく貯めた金も一気になくなってしまう。

さらに、現代の貧困層を「ネットカフェ難民」として一括りにするのにも無理があると湯浅は書いている。ネットカフェ難民はネットカフェだけでなく路上や会社寮、サウナなどを転々としている人々であり、野宿者ではないかもしれないが、居所と住民票所在地が乖離している住所不安定状態という広義のホームレス状態にある。そしてこうした人々は膨大な数に上っているというのだ。ネットカフェを利用しているのは、そのうちのごく一部に過ぎないというわけだ。

こうした観点から見れば、たしかにネットカフェが困窮者であふれている状態というのはレアケースかもしれないが、カプセルホテルに、個室ビデオ店に、サウナに、派遣会社が用意する寮に、簡易宿泊所に、ドヤ街に、われわれが普段何気なく歩いている街のあちこちに、生活に行き詰まった人々が満遍なく分布しているといえるだろう。
ネットカフェが困窮者たちのシェルター的存在になっているという言い方に抵抗を覚えるClossOver氏も、貧困が街を広く薄く覆っており、その様相は次第に濃く厚くなりつつあるという見方に同意してくれるのではないだろうか。

2007年8月、厚労省は「住宅喪失不安定就労者の実態に関する調査」を発表している。それによると、ネットカフェの常連となっている宿泊者は全国に5400人いると推計。東京で300人、大阪で62人に行われた聞き取り調査では、平均月収10万7000円、4人に3人が職に就いているが、そのうち60%は日雇いであるという実態が明らかになっている。
しかし現実には「難民」の数はもっともっと多いことは明らかであり、政府はさらに精度のある調査を行い、この社会を覆っている貧困に対する施策を講じなければならない。

今、テレビなどが報じる「社会」では一人あたり1万2000円といわれる定額給付金についての議論が盛んだが、この金に経済効果があるか、5000万円の所得がある者に支給する必要があるのかという議論は、貧困問題を前にするといかにも不毛である。
2兆円の金を使うのならば、せめて貧困問題を少しでも解決するために使う方法はないものだろうか。
私はそう思わずにいられない。


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関連タグ : ネットカフェ, 貧困, 定額給付金,

昨日、埼玉と東京都内で連続して起きた元厚生次官らの殺傷事件は、その手口が似通っていることから同一人物による犯行の可能性が出ている。また、被害者とその家族が旧厚生省で年金行政に関わっていたことから「年金テロ」ではないかとも言われている。

捜査に進展が見られない現時点で、軽々に憶測するのは控えたい。しかし、もしこの事件が厚労省および社保庁による一連の不祥事や怠慢に原因があって起きたものであるならば、嫌でも6月に起きた秋葉原での無差別殺傷事件を思い起こさずにいられない。
年金記録の紛失や改竄など、数え上げたらきりがないほどの不始末を厚労省と社保庁の役人たちはやってきた。その結果、受け取るべき年金を受け取れなかったり、金額を不当に低くされてしまったりして不利益を被った人はどれほどの数になるのか想像もつかない。なかには年金を払っていたにもかかわらず記録を紛失されて無年金とされ、厚労省による確認はできたものの、金が支払われる前に亡くなってしまった老人もいるという。
厚労省と社保庁に対する恨みを持つ人間は、日本中にいるだろう。
年を取って仕事が出来なくなり、収入の道が途絶えたとき、頼りになるのは年金だけという人が、役人の不手際のために金を受け取れなかったなら、あるいは支払った額に対してわずかな金額しか受給されなかったなら、はたしてどんな思いを抱くだろうか。自分の生活を台無しにし、幸福や希望を奪ったに等しい役人たちに対して恨みを持つのは当然というべきだろう。

秋葉原事件の加藤智大は、派遣労働という不安定で差別を受けやすい、労働者として最下層に位置する自分に絶望し、希望を求めようにも求めようがない社会の冷たさに憤怒して凶行に走った。

もし、今回の事件も年金に関わる恨みが元にあるのであれば、それは年老いた加藤智大のような人物が罪を犯したのかもしれない。
どんな理由があるにせよ、人を殺傷するという行為が正当化されることは絶対にない。
しかし、そうした行為に人を向かわせる可能性をこの社会が持っているのもまた事実であり、今の社会をよりよく変えていかなければ今後もおぞましい犯罪が起きることは十分にあり得ると考えた方がいいだろう。

社会をよりよくするには何をすればいいのか。
それはまず第一に貧困の問題を解決することではないだろうか。
今日の毎日新聞の社説には、「高齢者の犯罪 刑務所が老人施設でよいか」という訴えが載せられている。これによると、昨年中の交通関係をのぞく一般刑法犯の検挙者は約36万6000人で、3年連続で減少した。しかしそのうちの約13%にあたる4万9000人ほどを65歳以上の高齢者がが占めた。この数は10年前の3.8倍で、20年前の約5倍にあたり、過去最多となっている。さらに刑務所に収容された高齢者も20年前の約6倍の1884人で最多記録を更新したという。

社説では、「高齢者人口もこの20年で倍増したが、高齢の検挙者や新規受刑者の増加率は人口増を大きくしのぐ。年代別に人口あたりの犯罪率をみると、各年代が前年を下回っているのに、70歳以上だけが上昇する特異な現象となっている。高齢者は分別があって体力が衰えるので犯罪率は低い、という従来の常識は覆された形だ」と続けている。

なぜ、このような現象が起きているかといえば、そこには「貧困」がある。高齢者の検挙容疑の多くは窃盗など比較的軽い犯罪で、その理由も生活に困窮したり空腹に耐えかねてといったものが多い。法務省が出した『犯罪白書』では、こうした事実を踏まえたうえで「高齢者の生活の安定を図り、孤立させないよう福祉を拡充し、地域と連携して社会全体で対策を講じる必要がある」と提言している。

年間2200億円もの社会保障費を削り続けている一方で、よくもまあこんなことが言えたものだと皮肉のひとつも言いたくなるが、法務省の提言はまったくの正論である。
今のままでは社会保障の網から漏れた高齢者たちが、必要な福祉を受ける代わりに刑務所に入って命をつなぐという悲惨な状況がどんどん広がっていく恐れがある。
格差と貧困が広がり、自分の力ではどう頑張っても這い上がることができない今の社会は湯浅誠が言う通り、まさに「すべり台社会」で、貧困の泥沼にはまったが最後、ネットカフェ難民になるか野宿者になるか、最後には自殺をするか犯罪を犯すしか選択肢がなくなってしまう。

海の向こうからは今も頻繁に自爆テロ事件が伝えられるが、自爆するテロリストの多くは貧困者だということが分かっている。家族を救うためにいくばくかの金をもらって自爆をするか、あるいは自爆することで来世での幸福を得ようとするか。いずれにしても貧困さえなければ悲惨な事件は起きずにすみ、犠牲者が生まれることもないのだ。
日本でも貧困が広く根深いものになっていくにつれ、人々は幸福感を忘れ、希望を失い、社会を不穏なものにしていくだろう。イラクで、アフガンで今日起きていることは明日の日本で起きていることかもしれない。

そうならないためには、貧困問題に真摯に取り組み、これを解決していく他ない。

関連タグ : テロ, 貧困, 高齢者, 年金,

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