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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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私は原稿を書くのを商売にしているが、先日はじめて取材される側の立場になった。

ある中高年向け雑誌の取材で、テーマはセックスに関するものだった。
とはいっても、私はべつに性を専門分野にしているわけではないし、性的に際立った特徴をもっているわけでもない。
ただ、この数年、フロイト的な意味でのリビドーの低下が著しく、異性に対する興味がなくなってきた。セックスの快楽を求める気持ちも、ゼロではないものの、かぎりなくゼロに近づきつつある。そんなことを知り合いの編集者に話したのがきっかけだった。

世間一般を見回す、といってもこうしたテーマで話し合う人間の範囲は限られているのだが、40代以上の男たちと話していると、夫婦で寝室を別にしているというケースがかなり多い。なかには、寝室を別にするどころか、妻とは会話さえほとんどしていないという者もいる。食卓には一緒に並ぶが共通する話題がない。極端な例になると、妻はアイドルグループの追っかけをして全国を飛び歩いている。亭主の方はカミサンが不在の間何をやっているかというと、パソコンでアダルトサイトを覗いたり、ときどき若い恋人と会ったりしているのだという。
この男の場合はいたって性欲が旺盛なのだが、夫婦に限っていえば、かぎりなく男と女の関係は希薄なのである。

90年代、中高年の男性向け雑誌に携わっていたことがある。
いわゆる成人向けのマニアックな本ではなく、オトナの趣味とライフスタイルをテーマにした本だった。そのなかで、大きなテーマのひとつになっていたのが「セックス」だった。
中年を迎えると、肉体的な性的能力はどうしても衰えてくる。そんなとき、オトコはどうしたらいいのか。心ならずも(?)愛人を持ってしまった場合、妻との関係はどうすべきなのか。ウンヌンカンヌン。。。
愛人ネタが多いのには少々ヘキエキしたが、その当時まだ中年には間があった自分は、一世代上のオヤジたちが、かくもオンナのことで頭を使っているものかと、ある意味感心したものだった。
そして他を見回せば、若者雑誌でもいかにしてカノジョをものにするか、に始まってアダルト雑誌顔負けのハウツウ記事が氾濫しているのだった。
思えば90年代までの雑誌は、男の側から見る限り、「オンナ、オンナ」と求め、訴え続けていたような気がする。

ところが今はどうだろう。
もちろん、私の知り合い(というか幼い頃からの友人)のように、妻以外の女性を切らしたことがなく、成人近い息子がいる隣の部屋でパソコンのディスプレイに映し出されるアダルト情報とその過激な画面を見続けている人種もいる。
しかし、雑誌の世界を見ると、大人向けの本では「セックスレス夫婦」や「ED」の記事を目にすることが少なくない。若者向けの雑誌でさえも、かつてのような過激な性教育記事は影をひそめているように思える。
私自身、実をいえば抗うつ剤を服用しているせいか、ここ数年ED気味である。90年代、愛人のことに頭を悩ましていたオヤジたちを見習おうにもパワーの源泉が見あたらない。
キンゼイ・レポートのようなものが今出たら、果たしてどんな結果が見られるのか興味深いところだ。

異性に対する興味を持ち続けるということは、若さを保つ秘訣であるという話を聞いたことがある。しかし、今の私は、明らかに5年前、10年前に比べると、その手の興味が少なくなっていると自覚している。もちろん、テレビで綺麗な女性を見ると「ああ、いいな」「可愛いな」と思うことはある。けれども、それで終わりだ。若い頃ならば、その先にめくるめく妄想の世界があったと薄々思い出しながらチャンネルを替える。
これはオトコとして良くないことなのだろうか。淋しいことなのだろうか。

セックスの快楽が少なくなった。また、その欲求も薄くなった。
それは種としての使命に背くことなのだろうか。
私にはわからない。
わからないけれども、今は生活の中にあるセックスの位置が若いときほど中心にないことだけは確かであり、それはそれでいいような気がしている。若い頃のように「オンナ」で頭の中を支配される煩わしさがないのは、決して悪くはないことだと感じている。
昔、映画の中でモーリス・シュバリエが「若くなくても幸せだ」という曲を歌っていたが、今はそれがわかるような気がする。シュバリエは名うてのプレイ・ボーイだったと聞くが、プレイ・ボーイではなかった私も同じかそれに近い境地に達したのだと思えば、それも素敵なことではないかと思う。

もちろん、このままオトコとしての存在価値が薄れていき、消えてしまうと考えるには一抹の淋しさがあることを白状しなければならないが。
この点、わが女房はどう思っているのだろうか。

その答えは、あまり聞きたくない。
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関連タグ : 雑誌, リビドー, 90年代,

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