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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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西松建設の違法献金事件で、小沢一郎が窮地に立たされている。
民主党はこれは国策捜査だとか、政権による陰謀だと公言して党を挙げて対決しようとしている。

昨日は政府高官の発言として「自民党側は立件できないだろう」という台詞が飛び出して、民主党側はいっそういきり立ったかに見える。
誰が言った言葉なのか。もしその台詞が本当ならば、やはり今回の小沢一郎に対する強制捜査は国策捜査であり政府の陰謀なのではないか。

しかし、私は陰謀論というのが大嫌いである。
陰謀論というのは詰まるところ憶測に過ぎず、自分がはっきりと見てもいないことに対してそれらしい理由付けをして満足してしまう。
そこには何の理性も、思索もない。
民主党にしてみれば、今回の事件が小沢一郎と民主党に打撃を与えるために行われた政権与党の陰謀だと想像すればそれだけで頭に血が上り、なんとしても自民党をやっつけてやろうという気持ちになるだろう。

だが、忘れてもらっては困るのは、民主党が自民党を倒すべく闘っているのは、国民生活を立て直すためであり、そのための政権交代なのだ。
党首である小沢一郎を信じるのはいい。党首を守ろうとするのはかまわない。
しかしそのために、政党が果たすべき役割を忘れてもらっては困る。

今日になって「自民党側は立件できない」と発言したのは元警察庁長官で官僚トップの漆間巌官房副長官らしいことが明らかになった。
民主党は週明けにも漆間氏を追及していく構えだが、その一方では西松建設の裏献金が自民党の有力議員にも10年以上にわたって総額6000万円程度わたっていたという関係者の供述が出てきている。
仮にその「有力者」が自民党政権の中枢を担っている人物だったとしたら、今度は自民党が打撃を食らう番だろう。

この一連の成り行きを見ていて思うのは、やはり思い込みで陰謀論を主張することの無益さである。
民主党には自民党の誰が裏金を受け取っていたにせよ、「それ見たことか」などと喜ぶようなことはせず、しっかりと地に足をつけた態度を見せてほしい。
そのためには、まず小沢一郎にかけられた嫌疑を明確に証明することであり、もうひとつは解散総選挙を行って国民生活を取り戻すという、政党が掲げていた目標をもういちど確認することだ。
それなくしては共闘していくだろう他の野党も納得できないだろうし、なによりも国民が承知しない。

陰謀論を捨てて党議に立ち返る。
今の民主党に求めるのはこれに尽きる。

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関連タグ : 陰謀論, 西松建設, 民主党,

どうも「知性」という言葉にコンプレックスを持ち、世界で起きているあらゆる紛争にはユダヤが介在しているという妄想を抱いているブログのことが心配だ。

今年の夏も暑さが厳しいから、アタマがどうかしてしまったのではないだろうかと心配なのだ。

大してIQも高くない私が言うのもおこがましいが、「反知性」とは「考えることを放棄すること」であり、決して「反知識人主義」とはならないはずだ。
「考えることを放棄すること」とはすなわち、世の中で起こっているあれやこれやを論じるときに、いちいち論証していくのは面倒だから誰かの陰謀にしちまえと片付けてしまうことである。

なるほど陰謀論は便利だし、それなりにオモシロおかしく読めるだろう。陰謀論のなかにも一つや二つくらいは真実がふくまれているのかもしれない。夏休みの読み物としてはうってつけかもしれない。
けれども、その程度の代物で真面目な顔をして歴史や世界を語ってほしくはないものだ。

世の中に起きる事象の真実を探ろうという姿勢はいい。
しかし特別な組織も持たずにあまねく真実を白日の下にさらすのは不可能というものだろう。そこに陰謀という言葉をもってきて、すべてはそのなかにふくまれているというのは、傍目から見ているとインチキ手品にしか見えない。

あれはユダヤの陰謀です、それも実はユダヤがやっていたのです。
その「うな重」のウナギはユダヤのものです。日本の売国奴どもが偽装をしているのです。
はっはっは。

それで、その「うな重」は、どんな味がするのだい?

関連タグ : うな重, 知性, 陰謀論,

前回は温暖化懐疑論が掲げる諸点について「市民のための環境学ガイド」の記事を元にまとめたが、もちろんここにはユダヤによる陰謀論などはふくまれていない。こういうバカげた発想は、科学的な検証以前の問題であり、もし真面目に信じている者があるとすれば、よほど頭の中が単純に出来ていると言って間違いないだろう。
こういう手合いの頭の中身はおそらくユダヤの陰謀とフリーメーソンの陰謀で世の中の大半が成り立っているように出来上がっているのではないかと思うが、どんなものだろう。

さて、私が温暖化懐疑論についてまとめておくべきだと思ったのは、7月20日の日経新聞に塩谷喜雄論説委員が「反論まで周回遅れ 温暖化巡る日本社会の不思議」という論説記事で温暖化懐疑論を批判し、話題を呼んだというのが発端だ。これについて東大名誉教授の安井至が「IPCCは温暖化を断言したのか」という記事を「あらたにす」の新聞案内人に寄稿し論考しているが、「市民のための環境学ガイド」は実は安井が運営しているサイトであり、ここでも7月27日付けの記事で「温暖化懐疑論と新聞報道」としてまとめているので、こちらを見ていくことにする。

まず、日経の塩谷原稿は次のように始まる。
「科学的には決着している地球の温暖化について、ここにきて温暖化と二酸化炭素(CO2)の排出は無関係」といった異論・反論が日本の一部雑誌メディアなどを騒がせている」。

ここで問題なのは、「科学的に決着している」のが何を意味するかで、「温暖化と二酸化炭素の排出は無関係」であることが科学的事実であるかといえば、答えはノーであり、これは決着しているといっていい。温室効果ガスを排出すれば温暖化する。
ただし、なんらかの寒冷化のメカニズムのトリガーを引くことによって、寒冷化する可能性は残る。たとえば、グリーンランドの氷が溶けて、それが地球の熱塩循環による熱エネルギーの分配メカニズムを壊すといったことだ。また、気候感度(温室効果ガスの濃度が2倍になると、気温は何度上昇するか)については科学的に決着していない。
さらに、地球の揺らぎは非常に大きいので、人工的な温暖化が地球の温度変化にどれだけの影響をもたらすのかということも分からない。IPCCは、現時点の科学で地球の揺らぎを予測することは不可能なので、これをもとに気温の変動を議論することは出来ない。ゆえに人間活動による人為的な温室効果ガスの排出による温暖化だけを対象にするというスタンスを取っている。

さらに、塩谷原稿は「IPCCは、昨年の第四次報告書で人為的温暖化の進行を「断言」した」と書いており、温暖化懐疑論者の池田信夫などはこの解釈に噛みついている。IPCCの第1ワーキンググループによる第4次報告書の政策決定者のためのサマリー(通称SPM)の原文は以下の通りで、

The understanding of anthropogenic warming and cooling influences on climate has improved since the TAR, leading to very high confidence[7] that the global average net effect of human activities since 1750 has been one of warming, with a radiative forcing of +1.6 [+0.6 to +2.4] W/m2 (see Figure SPM.2).

[7] In this Summary for Policymakers the following levels of confidence have been used to express expert judgements on the correctness of the underlying science: very high confidence represents at least a 9 out of 10 chance of being correct; high confidence represents about an 8 out of 10 chance of being correct.


[7]の注によれば、科学的に最低でも90%確実という表現になっている。
科学的事実に100%確実なものなどはないので、90%確実と書いてあれば「二酸化炭素排出が温暖化と無関係」という意見は間違いと断言した、と解釈してもおかしくない。ただし、温室効果ガスが増えることによって正確に気温が何度上昇するのかといえば、はっきりとは分からないというのが現状である。

このIPCCの説明では放射強制力(radiative forcing)を用いているが、これは少々難しい。

気候感度

一方、気候感度で説明したものが第3ワーキンググループのSPMにあり(上グラフ)、これを見ると、気候感度は3℃ということで中心の黒い線が書かれているが、もしも4.5℃ということになれば、上の赤い線だし、もしも、2℃だということになれば、下の青い線ということになる。青い線程度におさまるのであれば、550ppm程度の温室効果ガス濃度でも大丈夫で、対策を取るのが楽になる。反対に、気候感度が4.5℃ということになると対策を取るのが難しいことになる。(オリジナルのキャプションは以下の通り)

Figure SPM.8: Stabilization scenario categories as reported in Figure SPM.7 (coloured bands) and their relationship to equilibrium global mean temperature change above pre-industrial, using (i) “best estimate” climate sensitivity of 3°C (black line in middle of shaded area), (ii) upper bound of likely range of climate sensitivity of 4.5°C (red line at top of shaded area) (iii) lower bound of likely range of climate sensitivity of 2°C (blue line at bottom of shaded area). Coloured shading shows the concentration bands for stabilization of greenhouse gases in the atmosphere corresponding to the stabilization scenario categories I to VI as indicated in Figure SPM.7. The data are drawn from AR4 WGI, Chapter 10.8.

以上の報告を読んだうえで塩谷原稿は「これまで慎重に科学的な姿勢を貫き、断言を避けてきた組織が、ついに結論を世界に示したのだ」、「どうにも止まらない人類社会の温暖化ガスの排出増に対し、ついに、「断言」という伝家の宝刀を抜いた」と書いているが、これは筆が滑ったと言われても仕方ないだろう。
いずれにしても、まだまだ気候感度については不確実性が高い。今後、その測定も可能になるだろうから、現時点の政策としては、IPCCの言う3℃ぐらいを想定して、対処を始め、そして、徐々に修正をしていくことが重要だというのが安井の主張である。

塩谷はまた、「米ブッシュ政権は、CO2などの温暖化ガスでは地球は温暖化しない、あるいは、温暖化という現象自体が存在しないというキャンペーンを張ってきた。同調する石油資本がスポンサーを務めていた数年前までは勢いがあったが、最近はほとんどそうした異論を米国内でも聞かなくなった」。「理由は二つ。スポンサーが温暖化対策、排出削減の方向に舵を切ったことと、全米アカデミーから、ブッシュ政権が科学者への干渉をたしなめられたからとされる」。と書いているが、安井はブッシュ政権の反論は余りにも稚拙だったから、防衛できなかった、というのが真実に近いと見ている。温暖化そのものを否定するのは、やはり無理があるのだと切り捨てている。

池田信夫ら温暖化懐疑論者が塩谷原稿でもっとも激しく反応したのは次のくだりだ。
「日本でメディアをにぎわしている異論のほとんどは、地球科学とも気象学とも無縁の門外漢の学者の言説である」。
実際、池田自身もエコノミストであり地球科学とも気象学とも無縁なのは明らかなのだが、池田は自らのブログで「当ブログで紹介した科学者のうち、だれが門外漢なのか。IPCCのサマリーさえ読んでいない門外漢は、自分だろう。おまけに経済紙のくせに、京都議定書の費用対効果について論じたNordhausやLomborgの最近の議論さえ知らないで、「周回遅れ」の古くさい温暖化脅威論を振り回しているのは日経新聞のほうである」とこきおろしている。

まるで目くそ鼻くそを笑う類の話で笑うしかないが、安田は現在のような温暖化懐疑論が勢いを得たのは武田邦彦の『偽善エコロジー』がバカ売れしたせいで、この手の本がどんどん出るようになったためだとしている。つまり、ひとつヒットが出ると二匹目、三匹目のドジョウを狙う軽薄なマスコミが今日の温暖化懐疑論ないしは陰謀論を醸成したというわけだ。
安田はさらに日本産業界の問題点も挙げている。現状で利益を上げているのだから、今さら温暖化対策などしたくないという心理。
これらについてはHPを読んでもらいたいが、国際政治が環境問題を中心に大きな流れを作ろうとしているときに、日本はまったくそれに対応できていないという指摘は注目すべきだ。安田は洞爺湖サミットでの福田康夫のリーダーシップをある程度評価しているが、世界経済で覇権を握ってきたアメリカ経済に陰りが見え、かわってEUが環境戦略でアメリカに対抗してきている。

この状況下で、これまでアメリカに依存してきた日本がどのような国際政治的立場を取るのか。
それは科学とはかけ離れたところにある問題なのだが、結局のところ、この重要な時期に適切な舵を切る能力を持つ政治家が日本にいないことがいちばんの問題であり、国際政治の舞台で煮え切らない態度をとるしか道のないトホホな国の代表として、福田康夫は適任であるという見方にはうなずくしかない。

関連タグ : 日経新聞, 温暖化懐疑論, 陰謀論, IPCC, 偽善エコロジー,

思考停止理性の放棄
陰謀論疑似科学
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッ、パニパニパニック。

どんな事件も陰謀論をちょちょいと振りかけ味つけすれば、
あーら不思議、9.11はユダヤの陰謀、痴漢は国家の陰謀、地震サイクロンとうぜん国家の陰謀でございとなりまする。

和歌山カレー事件から10年目になる今年、どこかで誰かが言っていた。

「あれはただの集団食中毒事件だった」

ありゃりゃん、こりゃりゃん、摩訶不思議。

そのうちきっと誰かが言い出すだろか。

「麻原彰晃は国にはめられた」
「地下鉄サリンは集団ヒステリーだった」

うそぉー、信じられなーい。
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッパニパニパニック。
げに恐ろしきは思考停止理性の放棄
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッパニパニパニック。

右翼も左翼も関係ないさ。
思考停止に理性放棄でみんな仲良し共同戦線。
右の右は左、友だちの友だちはアルカイダ。
あー、それでも目標同じなら、みんなでお手々つないで頑張りましょう。
小さな違いにゃ目をつぶり、自民倒せば右も左も大喜び
あーめでたいな、さて目出度いか?

国家の陰謀、疑似科学。そんな武器持って自民倒しても
次に来るのは陰謀論とくいの仲間割れ。
あいつが言ってることは陰謀だ、こいつは俺をはめようとしている。
それでも自民さえ倒れてくれりゃ、あーめでたいな、さて目出度いか?

思考停止に理性放棄でみんな仲良し共同戦線。
あー楽しいな、楽しいな。
この楽しさが分からないなんて、
「あなたも陰謀にはめられてるからよ!」
あ~パニッ、パニッ、パニッ、パニッパニパニパニック。

今年も暑いよ、熱波が襲う。
かったるいから思考停止に理性も放棄。
そうすりゃ暑さの元が見えてくる。
二酸化炭素で地球温暖化は国家的詐欺だぜ。
地球が熱くなりゃ儲ける奴が出てくる。熱くなればなるほど金になる。
温暖化はそいつらの陰謀だ。
陰謀だ、陰謀だ、陰謀だったら陰謀だ。
こうして騒げば仲間が増える。
あ~陰謀だったら陰謀だ。
思考停止理性の放棄で生まれるものは、幼稚で殺伐とした陰謀の世界だけ。

いいじゃん、それでも楽しいんだから。
楽しくなければ○○じゃないって、それはテレビ局の陰謀だ。
あ~世の中右も左も陰謀だ。
陰謀さえありゃ問題解決、分かりやすいったらありゃしない。
思考停止も理性の放棄もなんぼのもんじゃい、陰謀だったら陰謀だ。

かくして21世紀の日本社会は自公政府を倒して明るい社会が生まれるどころか、ヨーロッパ中世も真っ青の暗黒の社会へと突入していくのでありました。

関連タグ : 思考停止, 理性の放棄, 陰謀論, 疑似科学,

ブログを書くようになって、そろそろ7ヵ月になろうとしているが、実のところ自分が書くものを公にすることの難しさを感じることが多くなり、それがこのところ、私を悩ませている。

文章を書くのを商売にしていながら何を今さらと思われるかもしれないが、仕事で書く原稿はあらかじめテーマが決まっており、構成と結論をある程度準備してから書く。いわば目的地が決まっている旅行をしているようなもので、多少の回り道をすることはあっても、最終的に間違いなく目指した地点にたどり着けばそれで完了する。

それに比べてブログは、その性格にもよるだろうが、まったく自分が思ったことや信じていることをそのまま現していく作業になる。その結果、書き手の性格や信条が日々のエントリにダイレクトに反映されていくことになるのだが、これを旅に例えるならば目的地を定めない流浪の旅のようなものということができるのではなかろうか。

何を言いたいかといえば、つまるところ私は学者でも研究者でもなく、専門分野を持つ評論家でさえなく、したがって私が書くことは私自身が手探りをしながら考え、書いているものにすぎないということだ。
それでも、日々の暮らしの中で感じること、興味を引かれたことを思うがままに書いていければ、それは私にとってひとつの認知療法になるのではないかと思っている。
ただし、そう思っているだけでは駄目なのだということに、最近思い至った。

たとえ私のような弱小ブログでも、自分の思いを公にする以上は、私自身の立ち位置をはっきりさせておかなければならない。
つまり、私は専門家でも何でもないが、今の日本社会に生きる一人の大人として間違ったことは考えたくないし発表したくないと思っている。正しいこととは、あえて言わない。私は自分自身を偏頗な男だと思っているし、家族からもしばしば私の言うことは極端だと非難されることがあるからだ。
それでも自分なりに間違ってはいないことを信じて発言し、文章にしていかなければ、私のブログが存在する意味はなくなってしまう。

では、私は何を間違ったこととそうではないものと判断し、自分の考えに受け入れていけばいいのか。

これが非常に難しい。

私はできる限り物事を科学的に見ていこうと思っている。科学的に見るということは客観的に観察・吟味するということで、これの対角線上に位置するのが、いわゆる陰謀論疑似科学の類に属する言説である。
この世の中には常人には考えつかないような悪だくみをしている人間が確かにいるだろうし、今の科学では解明できない事象があることは認める。
けれども、それらが実は世の中を動かし地球のすべてのシステムを左右していると考えるのには躊躇いと疑いを持つ。そうした言説を信じることに対して赤信号を掲げたいと思っている。

他のブログを読んでいて楽しいと感じるのは、今まで知らなかった知識や考え方に触れることができるところにあり、自分には思いもつかなかった視点に気がつくことができたときには年甲斐もなくドキドキするようなこともある。
しかし、それも気をつけておかないと知らぬ間に陰謀論疑似科学の類の泥沼に片足を突っ込むことになる。

私がブログでリンクを張るときに基準にするのは、バイクや落語のように私の趣味と合致したブログ、ネット上で知り合った方もふくめて大人のつき合いができる人が運営するブログ、そして私にとって知的好奇心を与え、私に新しい価値観を提示してくれる貴重なブログの3種に分けられるかと思う。

一方、リンクを張らせていただいたものの、時間が経つにつれて、実はそのブログ主がどうやら陰謀論疑似科学の信奉者ではなかったかと気がつくこともある。なかには陰謀論疑似科学を論じて私など反駁する余地もないほど論理的に語っていることもあるので、暗愚な私はしばらくたってからようやくそのことに気がつく始末だ。
こういうブログにリンクを残しておくのも反面教師として役に立つのかもしれないが、私にとってそれらはいつ足を踏み外すかもしれない危ない橋だ。

私のような者が、いつまでブログを続けられるのかは分からない。できるだけ長く続けたいとは思うが、限りある時間のなかで自分を表現していくのであれば、私なりに間違った方向に進まないよう気をつけなければならない。ブログを書くための羅針盤があればいいとは思うが、結局のところ、自分を導くには判断力と知力を蓄えていく他ないのだ。その二つにおいて、いかにも私は心許ないと言うしかないが、自分が目指す方向を誤り、しかもその修正ができなくなったときには、潔くブログの更新を断念することにしようと思う次第である。

関連タグ : ブログ, 疑似科学, 陰謀論, 科学的, 客観的,

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