●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン
家人は反対にドラマが好きなので、仕方なくつきあうこともあるが、初回を見ただけで「ああ、このドラマ駄目。つまらない」と言ってしまい、顰蹙を買うことになる。
「鹿男あをによし」など、奈良を舞台にしているのに登場人物が誰一人関西弁を話さない。アホちゃうか。「あをによし」という表記も間違ってるし。
そのなかで、唯一楽しみにしているドラマがNHKの朝ドラ「ちりとてちん」だった。
ところがこのドラマも師匠の草若の死を描く数週間というもの、やたらと回想シーンが多くなり、物語がなかなか前に進まず、がっかりしていた。回想シーンが増えると、どうしてもドラマが停滞し、水増しされた感じになってしまうのだ。
それでも先々週にようやく師匠が死んで、次の展開はどうなるかと思っていたら、主人公夫婦のもとに新しく弟子がやってきた。
何でもよく気がつく男の子で、話も巧み。そのうえ家族に死に別れ、自分の面倒を見てくれた姉にも死なれて落語で身を立てる決心をしたなどと言う。その言葉に、主人公夫婦はもちろん、徒然亭一門の兄弟子たちも心を鷲づかみにされてしまうのだった。
ところがこの弟子が、実は大嘘つきだったというのが先週の話。
上方落語には「鉄砲勇助」という噺があり、千に三つの真実しか言わない大阪の男が、日本一のほら吹き男と嘘つきの勝負をするというストーリーである。この噺と嘘つきの弟子の物語とがリンクしていくところが、相変わらずの巧さだ。
何でも気がつく、よくできた弟子と思っていた若者が、実は筋金入りの大嘘つきで、話したことは全部ウソ、しかも自分のウソがばれるかばれないか、ギリギリのところで人を試すのが好きというとんでもない奴だったことが判明するというのが先週の山場だった。
「ちりとてちん」に嘘つきの弟子が登場した先週、突然、三浦和義元被告がサイパンで逮捕されたというニュースが報じられて、大いに驚かされた。
アメリカには殺人罪の時効がないそうで、アメリカ自治領のサイパンで空港に降り立ったところをそのまま逮捕されたという。
27年前の事件、それも日本では最高裁で無罪が確定した事件が、なぜ今という思いが先に立つ。もちろん、大方の人々と同じように、私も事件当時は三浦という男が限りなくクロに近いと思っていた。彼の周りにはあまりにも事件が多すぎるからだ。しかし、あの「疑惑の銃弾」事件については、かぎりなく黒に近い灰色のまま、決定的な証拠がないために無罪になった。これはこれで、「疑わしきは罰せず」の原則に則った判決だったのかと思っていた。感情的な問題は別にして。
彼は別件の妻殴打事件と詐欺罪で有罪となり98年から服役している。そして服役中には雑誌社などを相手に名誉毀損などの訴訟を500件ちかくも起こし、弁護士も立てずにその8割で勝利している。
頭は悪くない男なのだ。いや、凡人に比べればはるかに頭が切れるといってもいいだろう。
けれども、彼は釈放後、コンビニでつまらない万引きをして再び逮捕され、起訴猶予処分を受けている。やはり犯罪と縁を切ることができない男には違いないのだ。
こうした事実を合わせてみると、この男も「鉄砲の勇助」同様、筋金入りの嘘つきなのではないかという疑いを持たざるを得ない。落語の嘘つきは人を笑わせてくれるが、彼の場合はウソをつくことで自分一人が楽しんでいる風がある。そこが他人をして眉をひそめさせるところなのではないだろうか。
相手が嘘つきだと、人はまともに相手にすることができなくなる。何が本当でどこまでがウソなのか、それを考えていると疲れてしまうからだ。彼はそういうタイプの男であり、自分のウソを楽しみながら生き延び、サイパンに旅行し、思いがけず捕まったのではないか。
今回の逮捕劇はあまりに唐突で、私にはこれ以上感想を述べることはできない。
「カナダde日本語」の美爾依さんが書いているように、アメリカやカナダには重大事件に時効がないのは日本も見習うべきだと思う。
けれどもそれはそれとして、今回のことは「なぜ今?」の思いの方が強いというのが偽らざるところだ。折しも日本もアメリカも軍関係の重大事件が起きている最中であることもあり、国民の注意をナニかから逸らそうとしているような誰かの意図が働いているような、なんとなく嫌な感じがする。
そちらの方が、どうも私にとっては大きな問題である。
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