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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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自民党総裁選への動きがあわただしい。
それに呼応するようにブログでもさまざまな憶測がとびかっているが、かのテサロニケ大先生の今日のエントリは、先日の「アダルトな政治学」以来の苦笑を誘われた。

大先生独自の分析にもとづき、その前段では中川秀直が総裁への野望に燃えていることに言及しているのはいい。そういうことも大いにあるだろう。
しかし、それに続いて総裁選の大本命である麻生太郎に並んで中川秀直が立ち上がり、2人がテレビで討論するとなると、その図は絵柄として最悪で、自民党支持率が下がってしまうだけでなくテレビ局のプロデューサーまでが意欲を喪失、シラけてしまうとまで言うのはいかがなものか。
大先生によれば、ベストな総裁選の映像は麻生太郎とマダム回転寿司こと小池百合子野田聖子が顔を並べるもので、これこそが視聴率を稼ぐのだという。
マダム回転寿司

そりゃ、たしかにゲロッパ中川なんかにテレビ画面に出てきてほしくはないさ。
だけど、冷徹な政治学徒としての目をもつ大先生がそんなことを言っていていいのだろうか。
野田聖子

エントリの後半は、政局を論じると言うよりも単なるミーハーになりさがったかのように野田聖子を持ち上げる。
ここで大先生のエントリから引用してもいいのだが、それさえも気恥ずかしくなるほどの持ち上げようは、いったいどうしたのかと思ってしまう。
殿ご乱心は自民党の中だけにしてほしいものだが。

たしかに野田聖子には新自由主義の臭いがなく官僚臭も感じさせない「美点」があるとしよう。
だからといって、それだけで野田聖子が一国の総理の器にふさわしいかどうかとはまったく関係がない。いくら野田聖子が「働く女性」のピュアなイメージを持っているからと言って、総理総裁を目指すべきだと言ってしまっていいものか。

殿、ご乱心?

野田聖子が郵政大臣をしていた10年前よりもきれいになっていることをほめちぎり、年を経るごとに美しさを増していくには努力が必要なことであり、それを実現している女を女は尊敬するとまで言うのはまあ、我慢しよう。
しかし、麻生太郎と小池百合子と野田聖子が3人で総裁選を戦う「絵」ができると、確実に自民党の支持率は上がるとまで言うのは、どういうつもりなのだろう。
これではまったく自民党総裁選のタイコモチではないか。

自民党が麻生太郎を軸にして、小池百合子や野田聖子の顔をちらつかせるのは織り込み済みの戦略である。
たしかに華のある絵ができれば国民の関心は低くなろうはずがない。
しかし日頃リベラル・左派に手厳しく己が手本と自負するブログがまんまとその手に乗ってしまってどうする。
いくら目を惹く花が並んでいても、その土台は腐っているのである。
花に目を取られて花瓶の汚れとヒビに気がつかずにどうするのだ。

麻生太郎がいくら人気が高いとマスコミがはやしたてようと、小池百合子や野田聖子がいくら目新しいと騒ぎ立てようと、自公政権にノーを突きつける側から見れば問答無用だ。
小池もダメなら野田が出てきてもダメ。
ダメなものはダメなのだ。
自民党ではダメなのだ。
そこを押さえた上でものを言わなくては、肝心の政権交代の実現が遠のくというものだ。
そして、それだけは何としても避けなければならないのだ。

自民党が誰を繰り出してこようと、われわれははっきりと拒絶する。
そうでなければ目標実現などかなうはずがないではないか。

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関連タグ : 自民党, 総裁選, 野田聖子, 小池百合子, テサロニケ,

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