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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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大阪市此花区で起きたパチンコ店放火事件については、触れようと思っていなかった。

しかし犯人の高見素直(41)が自首して逮捕され、犯行の動機として「仕事もカネもなく、人生に嫌気がさした。通り魔みたいに誰でもいいから人を殺したいと思った」と自供したことを知り、これは触れておかなければならないと思った。

つまり、今回の事件もまた、人生絶望した人間が見知らぬ人を巻き添えに無残な犯行を起こしたことで、記録にとどめておく必要があると思ったからだ。

ここ数年、われわれは幾度となく人生絶望した人間が犯した犯行を目にしてきた。
近くは1年前の6月、秋葉原の歩行者天国に自動車で突っ込み、通行人をナイフで殺傷した加藤智大の事件が記憶に新しい。
翌7月には東京八王子市の駅ビルで、女性2人が包丁で刺され死傷した。捕まった菅野昭一は「大きな事件を起こして両親を困らせようと思った」と話し、誰でもいいから殺そうと考えていたことが明らかになっている。
さらに10月には大阪市浪速区の個室ビデオ店で客16人が死亡した放火事件。この事件では、離婚や早期退職で人生に挫折した小川和弘が捕まっている。
昨年は3月にも茨城県土浦市で金川真大が、人生に嫌気がさし、死刑になりたいという願望から8人を殺傷した。

どの事件にも共通しているのは相手は誰でもよかったという場当たり的な犯行である点と、その動機に人生に対する深い絶望が横たわっている点である。

こうした事件を防ぐにはどうしたらいいのか。
それぞれの事件後には、警察関係者や弁護士、心理学者など、専門家たちがテレビに登場してそれぞれの意見を述べていた。
ことに、凶器としてナイフが使われた土浦の事件と秋葉原の事件以降は、アウトドア用の器具としてどこでも売られていた両刃のナイフ(ダガーナイフ)が斑馬を規制されるようになった。
大阪で起きた個室ビデオ店の事件では、迷路のようになっている店の構造が問題となり、火災に対する備えの重要性が叫ばれた。

今回の高見素直が犯したパチンコ店放火でも、昨日のニュースでは消防関係者が出て、「どんなに規模が小さい店でも、スプリンクラーの設置が必要だ」と述べていた。

しかし、これらの犯罪のいちばん重要なポイントであるはずの、犯人たちがなぜ人生に絶望したのか、という点については何も語られない。
加藤智大が事件を起こした直後は、派遣労働者たちの過酷な労働環境や、人をモノとして扱う人材派遣業者やその受け入れ会社の非人間性が非難された。

けれども、それから1年以上がたった今、また同じように人生に絶望した男が人を無差別に殺傷する事件が起きたというのに、この男の絶望については語られることがない。

われわれは、あの秋葉原事件から1年が過ぎたというだけで、派遣労働者の問題も、非人間的な労働環境の問題も解決したと思っているのだろうか。
あるいは、この社会に生きることがいかに難しく、希望さえ持てなくしているという事実から目を反らすように教え込まれてしまったのだろうか。

加藤智大の事件のとき、私は、同じようにこの社会に絶望しているし、大きな不満を抱えて生きている。もしかしたら自暴自棄になって、私自身もまた破滅的な行動に出るかもしれない。加藤と私は同じ人間だと書いた。
その思いは今も変わらない。
社会は閉塞して息苦しく、名ばかりの自由はあるけれど、経済的な苦しさや精神的な辛さに、今にも押し潰されそうになっている。
こうしてブログを今も書いていられるのは、ほんの偶然と言ってもいいのかもしれない。

今の日本社会は、一部のゆとりのある人々にとっては過不足ない社会かもしれないが、生活にゆとりが持てない人間にとっては毎日がギリギリの崖っぷちを歩いているようなもので、一度バランスを崩したら、犯罪を犯すか自殺するしか自分を解放する術がない。

一連の無差別殺人事件で、いちばん語られる必要があるのは、この社会が持っている病理であり、歪みを正していくための方法についてだ。
ナイフの販売や所持を規制したり、火災の時にも対応できる設備を作るのは、下痢をしたときに下痢止めを飲むのと同じだ。たとえ薬のおかげで下痢が止まったとしても、体内に蓄積される有毒物質をすっかりはき出さない限り、根本的な治癒は望めない。

昨日のニュースでは、過労死・過労自殺についての報道もあった。
毎年3万人以上が自殺しているなかで、過労自殺もまた増加しているという。
しかし過労死や過労自殺をしたとしても、遺族がそれを証明するためには大変な障害があるという。
まず、企業側が社員を過労死・過労自殺に追いやったことを認めたがらない。
そのうえ、過労死・過労自殺の実態を知ろうとしても、労働局が企業名の公表を拒む。企業名を公表すれば、その企業の業務に支障が出る可能性がある、というのが理由だ。

自殺者が1日に100人も出ているという、戦争よりもひどい現実にありながら、企業にしても労働局にしても、なんという後ろ向きな姿勢だろう。
国は自殺対策プロジェクトをスタートさせているが、その成果は上がるどころか、一向に自殺者の数は減らず、今行っているような手ぬるい対策では早急な効果は望めないのではないか。

自殺もまた人生に絶望した人間が、最後に選ぶ道である。

生きて行くことの苦しさから逃れる選択肢が、犯罪か自殺しかないとしたら、あまりに酷いことだとはいえないか。

景気対策として気前よく補正予算からバラマキを続けてきた麻生太郎には、日本の社会が抱えている本当の問題が見えていないし、解決する気もないだろう。
この異常な社会の上でままごとのような閣僚人事を行い、不祥事を起こしては首を挿げ替えるといったゲームのような政局に明け暮れている人間どもには、犯罪を犯した人間や自殺していった人間の心の闇は分かるまい。

人の痛みを共有できない今の日本には、私はつくづく嫌気がさしている。嫌悪しているといってもいい。
自分でももてあましてしまうほどの嫌悪感を抱きながら、一縷の望みをまだ捨てきれずにいるのは、もうすぐ政権交代が実現し、今よりは少しでもマシな社会が実現できる可能性がないわけではない、と思うからである。

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関連タグ : 人生, 絶望, 過労死, 自殺,

少し前の情報になるが、19日付けの「ITpro」というネットマガジンで「本当に『いす』がなかった、キヤノン電子のオフィス」という記事が出て、一部で話題になった。

なぜ話題になったかと言えば、同社の社長である坂巻久は『椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!』(祥伝社)という本を書いており、その内容通りに社内から椅子を撤去することによって大きな収益改善効果を上げているとされたからだ。

なぜ、社内から椅子を撤去すれば収益改善に結びつくのか。
坂巻の著書によれば、会議室から椅子を撤去したことで会議への集中力が高まり、年間の会議時間が半減した。オフィスでも、立つことで社員同士のコミュニケーションが密になり、問題解決の精度やスピードが劇的に改善した。
さらに椅子代も不要、椅子をなくした分のスペースが節約されるなど、椅子をなくすことのメリットは計り知れない、というのである。
椅子がない職場

これだけ読めば、画期的な社長のアイデアで社内は活力にあふれているだろうといった想像がなんとなく芽生えてくる。

しかしネットの住人たちが驚き、話題にしたのは作業台の前に立って作業している社員たちの、なにか殺伐とした光景であった。
さらに驚かされたのは、廊下の一部に青く塗られたゾーンがあり、「5m3.6秒」と書いてあるところだ。

坂巻が言う。
「広い工場なので、移動に費やす時間がバカにならない。社員に歩くスピードを体得してもらうための仕掛け」
なのだそうだ。
この5mのゾーンの両端にはセンサーが設置されており、3.6秒以内でそこを通過しないと警報が鳴る仕組みになっている。
廊下

この記事を書いた記者は、こうした光景を目にしながらも、
「本当にいすのないオフィスを目の当たりにして,改めて“改革の達人”と呼ばれる酒巻社長の実行力に感銘を受けた。いすをなくすことに代表される酒巻社長のさまざまな改革により,キヤノン電子の業績は,いすをなくした2000年から2007年の8年間で,経常利益率が9.7ポイント改善した」
と評価し、
「急激な在庫調整を行った製造業各社にとって,在庫が適正水準に戻ったこれからが正念場。100年に一度の不況を乗り越えるために企業に求められているのは,「いすをなくしましょう」と言って本当になくしてしまえるような,実行力のあるリーダーなのだろう」
と結んでいる。

だが、ネットでの反応は違う。

「これなんて収容所」
「足腰の弱い奴はやってけんな」
「ほんと社畜って感じだな」
「どこの刑務所だよ」
「刑務所の方がまだましってレベル。もはや従業員はブロイラー」
「さすがキヤノン、社員の扱いは奴隷のようですね。刑務所でさえ椅子はあると思うぞ」
などと、批判的な感想が大半を占めた。

そりゃそうだ。
誰だって、こんな光景を見て、自分もそこで働いてみたいなどとは思わないだろう。さすがに休憩時間ぐらいはしゃがめるのだろうが、一日中立ちんぼで作業させられて、廊下を歩く速度まで測られる。
毎日毎日、そんなことの繰り返しをして給料がいくらなのか知らないが、人生が楽しいなどという言葉は出てきようがない。
まさにキヤノン電子というカイシャは、社員にとっては生活を維持していくために必要なところといえるだろう。

チャップリンは「モダン・タイムス」という作品で企業の効率化優先のために、従業員の人間性が犠牲になる様を描いて見せたが、今その世界が現実になっているのだ。

これはホワイトカラーにもいえることで、国家公務員一般労働組合の活動をしている人々によるブログ「すくらむ」が「このままでは仕事に殺される-過労死・過労自殺を強制する経団連会長・副会長出身企業13社」というエントリで、その実体をつまびらかにしている。

過労死は、今や「KAROSHI」として英語の辞書にも載っているというが、企業が成果主義を取り入れ、生産性と効率の向上を追求するようになった結果、従業員の間には賃金格差が生じ、さらに精神ストレスまでも強める結果になったという。

>成果主義の狙いの一つは、リストラによって人員削減がつづく環境のもとで、ホワイトカラー労働者を相互に競わせ、まえより少ない人員でもっと働かせて、人件費総額を抑制することにあった。その結果、最近は、ホワイトカラーのあいだでも、仕事が増えて給与が下がるという事態が生じている。<

>第一生命経済研究所主任研究員の松田茂樹氏によると、ホワイトカラーの男性正社員の労働時間は、2001年の1日平均 9.5時間から2005年の10.2時間に増え、10時間以上働く人も4割から6割に急増した。このように労働時間は増えたにもかかわらず、平均年収は 2001年の645万円から、2005年の635万円へと10万円下がった。時間当たり賃金は、2001年を100とすると、2005年は91で、1割近く減少したことになる。これらのことは結局、ホワイトカラーが絞り込まれていっそう搾り取られるようになったことを意味している。<

株主の立場から企業の社会的責任(CSR)を求めて活動している「NPO法人株主オンブズマン」は、日本経団連の会長・副会長出身企業16社の労務コンプライアンスの現状を把握するために所轄の労働局に対して時間外・休日労働協定(36協定)に関する情報公開請求を行った。
「36協定」というのは労働基準法第36条に基づく、時間外・休日労働協定のことで、使用者は労働者の過半数を代表する労働組合ないし従業員組織と協定を結び、労働基準監督署に届け出れば、労基法の定めを超えて時間外および休日に何時間労働をさせても罰せられないものとしている。
力関係から見れば、これはずいぶん使用者側に都合のいい協定のように思える。
そして実際、厚労省は「36協定」における労働時間の延長の限度を、1週15時間、2週27時間、4週43時間、1カ月45時間、2カ月81時間、3カ月120時間、1年360時間としているものの、法的拘束力はなく、この限度を遙かに超える時間外・休日労働を可能にする「特別延長時間」を設けている企業が大多数だという。
これ、橋下徹流に言えば企業がやっていることはぼったくりバーと同じ、ということである。

そしてこの情報開示の結果、明らかになったのは、日本経団連の会長・副会長企業の36協定は、三菱商事・全日空空輸・第一生命の3社を除いてすべて過労死ラインを超える36協定を結んでいることだった。

会長企業のキヤノンの場合、最大延長時間は月90時間、年1080時間。
同社の別の事業所では最大で月80時間、年700時間働かせることができる協定を結んでいるが、その場合の1日の延長可能な時間は15時間。
ということは、1日9時間の拘束時間を15時間延長し、24時間働かせることもできるわけだ。
同じように、パナソニックでも1ヶ月に延長できる最大時間は100時間だが、1日に延長できる最大時間は13時間45分。
日立製作所も一日延長できる最大時間が13時間となっている。

これでは過労死や過労自殺が起きるのも当たり前だ。

「すくらむ」では最後に次のように書いている。

経団連はCSRに対する取り組みのなかで、ILOが唱える「ディーセント・ワーク」(まともな働き方、人間らしい労働)の実現を言葉としては受け入れている。しかし、実際には会長・副会長企業の大多数は、付表の36協定の概要に明らかなように、過労死・過労自殺を招く長時間残業の削減にはきわめて消極的である。<

末端の工場では従業員たちが歩く速度まで規制され、立ったまま働かされ、管理職は設定された目標を実行するために身を削って1日中働き続ける。
もはや労働に喜びや達成の喜びをみつけるのは夢物語の世界となっている。
職場は人間交流の場であり、人間成長の場である、というのも幻想に等しい。

あるのは効率と成果。いかに無駄をなくして収益を増やすか。

大不況に見舞われているときに、仕事にありつくことさえ難しくなっている現在だが、その仕事の現場が人間性のかけらもない、ただの「工場」になってしまっているのが恐ろしい。
このままでは企業だけが肥大化し、幸福を得るのはトップだけということになってしまう。
国民生活を豊かなものにするためには、政治を正すだけでなく、企業にもその社会的責任を重く考えさせるようにしていかなければならない。

関連タグ : 経団連, キヤノン, 過労死,

まったくもって、企業にとって非正規社員というのは都合のいい使い捨て歯車だということだ。

ファミリーレストラン大手「すかいらーく」の契約店長だった埼玉県加須市の前沢隆之さん(当時32歳)が昨年10月に脳出血で死亡したのは、長時間労働による過労が原因として、埼玉・春日部労働基準監督署が6月に労災認定していたことが分かった。
労災認定

名ばかり管理職の問題は、日本マクドナルドの元店長が訴訟を起こして問題が表面化したが、同じような例は日本の至る所で起きていると言う証拠だ。

前沢さんの遺族と支援した労働組合スタッフによると、前沢さんは06年3月、すかいらーく栗橋店で1年ごとに契約更新する契約店長になったが、店長になってから残業時間が増え、帰宅が午前2時3時になることもあり、朝は6時から出勤していたという。家に帰れないときには店の駐車場に止めた自分の車で仮眠したこともあったという。残業は、会社のタイムカードには月約39時間と記録されていたが、遺族側の計算では死亡前3カ月平均で月200時間を超えた。

過労死ラインとされる月80時間を大きく超える残業があったのだから、前沢さんが労災に認定されたのは当然のことだが、それほど働いていても、前沢さんが受け取っていた給料は年収200万程度だったというのが悔しい。
母の笑美子さん(59)は「帰ってきても少し寝ただけですぐ出勤する日が続き、すごく疲れている様子だったが、会社は何もしてくれなかった」と涙ながらに話した。

前沢さんにしてみれば、少しでも頑張って成果を上げていかなければ1年ごとの契約がいつ打ち切られるか分からない不安が常につきまとっていたことだろう。
まさに身を粉にして働いているというのに、会社側は月15万程度の給料しか与えていなかったことになる。一人の人間が死ぬほどの労働を提供していることに対して、企業側は最低の報酬しか与えていなかったのだ。
前沢さんの死が労災認定されたことについて、すかいらーく広報室は「労災認定された事実が確認できておらず、コメントできない」としている。いまさら何を言うかと怒りがこみ上げてくるが、これこそ新自由主義による人殺しの実態といえるだろう。

このような雇用形態を取っている限り、企業に人は定着せず、人材は育たない。ひいてはそのことが企業自体の首を絞めることになるということに企業側はいい加減に気がつかなければならないはずだ。
もはや新自由主義による資本主義社会はどんづまりにきていると、社会全体が認識すべき時に来ている。
安く使って労働力を使い捨てにするというやり方は、日本の財界が推し進めてきた方針だが、労働者は団結してこれにNOを突きつけなければならない。前沢さんのような犠牲をこれ以上出さないためにも、「格差は甘え」だとか「格差は能力の差」などと寝ぼけたことを言っている経営者たちの横面を、労働者は誇りを持って張り飛ばしてやらなければならないと思う。

関連タグ : 非正規社員, 過労死, 労災, 新自由主義,

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