上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
秋葉原での凄惨な事件が起きて、はやくも3週間が過ぎてしまった。
犯行を起こした加藤智大のハケンという境遇と絶望的な孤独があまりに強烈な印象を残し、被害に遭った人々への思いとはべつに、犯人に対する「共感」を多くの人にもたらしたことでも、この事件は記憶に残るだろう。
その「共感」の多くは、今の社会が抱えている矛盾、過酷な労働環境、社会的な孤立といったものからなっている。鬱屈が積もりに積もった挙げ句の犯行だけに、この事件を「テロ」だと考えた人は多く、私もその一人だった。

今日の朝日新聞では藤原新也が寄稿していて、そこで彼はこの事件を「映像を凶器とした無理心中」だったと書いている。

なるほど、テロを起こして大量に殺人するのが目的であるのならば、加藤智大は歩行者天国を横断するのではなく、猛スピードで縦断していけばもっとも多くの犠牲者を出すことができただろう。
しかし、彼はあえて人を数人はねた後に車を止め、そこから走り出して人通りを引き返していった。
通りには秋葉原特有の、カメラを持った者が集まっているという特徴があり、加藤は人を刺しながら走り抜けることにより多数のカメラに自分の姿が映される方法を選んだ。

それは藤原が書く通り、名前も知らなかった他人同士がネットを介して集まり、練炭を焚いて心中したり、硫化水素を使って他者を巻き込んで自殺するという昨今の現象に通じるものがあるのかもしれない。藤原は書く。「加藤容疑者は自分と同類の人々がいると思い込む秋葉原に行って無理心中しようとした」

なるほど。そういう見方もあるか。

事件後、ネットの掲示板には加藤を模倣したと思われる「犯行予告」が多く書き込まれるようになり、8日~23日までに全国で17件が摘発されたと警察庁がまとめている。
大半は悪質ないたずらと見るべきだろうが、私にはやはり若者を中心に犯行予告をせずにいられないような鬱屈した感情が重く沈殿しているように思えてならない。
彼らの中には、ほんとうに加藤に続こうとした者があったのだろうか。

そんななか、30日午前9時頃、大阪府富田林市の市役所に乗用車が突っ込み職員一人がケガをするという事件が起きた。車を運転していたのは井川通夫容疑者61歳で、「内妻の福祉関係で不満を持っていた」と供述しているという。同容疑者は車で突っ込んだ後、ペットボトルに火をつけようとしたが職員が駆けつけたためにそのまま投げつけた。ペットボトルからは油の臭いがしたという。さらに車内からはプロパンガスボンベ3本がみつかり、容疑者は刃物を持っていたとの情報もある。

彼もまた、社会保障を削る一方の現政府のやり方に痛めつけられ、不満を鬱積させていたのだろう。
だとすれば、意識的にせよ無意識的にせよ、加藤に続こうとした者は、なにも若い世代に限らないことになる。
これは、起こってしまった現象を見れば当然ともいえることだが、今の社会に巣くっている病巣が広く、根深いものであることの現れと考えるべきだろう。

自分の車にガスボンベを積み込み、懐に刃物を忍ばせ、我が暮らしを責めつける当面の相手に突っ込んでいった61歳には、どんな思いがあったのだろう。

物価が上昇を続け、社会保障が削られ、生活がどんどん苦しくなっている現状に、日本人はもっと怒りを現すべきだと思うのだが、その形がたわいもないネット予告や単発的に起きる無謀な突撃だけだとしたら、あまりに虚しい。
けれども、これらの事件を個別にとらえてしたり顔をし、「困ったものです」とニュースキャスター風につぶやくだけでは、最早すまないように思う。
スポンサーサイト

関連タグ : 秋葉原, 藤原新也, テロ, 心中,

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。