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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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私は威張るヤツと胡散臭いものが大嫌いである。
そしてもう一つ、性犯罪者は人類の敵だと思っている。

ここで私の信条など書いても仕方のないことだが、最近ブログを見ていると、妙に気持ちが悪くなることがある。
植草一秀
植草一秀という経済学者だかエコノミストだかが、どこぞの教祖様のように持ち上げられているのである。
植草一秀といえば、テレビにもコメンテーターとしてよく顔を見ていたが、なんといっても彼を一躍有名にしたのは「手鏡事件」だろう。
今さら事件のことを説明するまでもあるまい。
2004年4月、植草は早稲田大学大学院公共経営研究科教授であった時に、品川駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとしたとして逮捕された。
この公判中、検察側は植草が1998年6月にも東海道線横浜駅~品川駅間で痴漢行為をおこし神奈川県迷惑防止条例違反で罰金5万円の刑を受けたことを明らかにしている。
さらに、品川事件のほとぼりもさめやらぬ2006年9月には、京急本線の品川駅~京急蒲田駅間の下り快特電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で、警視庁により逮捕された。

植草という男は、一度ならず2度、3度と性犯罪を犯した疑いがもたれているのである。
3度目の事件について、植草本人は「酒に酔っていて覚えていない」と述べており、後日「警察のでっち上げだ」と無実を主張している。ただし、彼が痴漢行為をしたという品川~京急蒲田の電車は、「帰宅途中だった」という植草の証言と矛盾する逆方向の電車だった。これに対しても植草は、「品川駅で電車を乗り間違えた」と言っているが、京急品川駅は上り線ホームと下り線ホームが別々になっている。普通、帰宅に使っている電車で上り線ホームと下り線ホームを間違えることは考えにくい。百歩譲って泥酔したために電車を乗り間違えたとしても、目撃者の証言から、さほど混雑していない車内であるにもかかわらず、植草は女子高生の後ろに立ち、体を密着させるようにして立っていたという。
これでは痴漢行為があったと言われても文句は言えまい。

私にはピンとこないが、いわゆる左派系ブログではこれら一連の事件に対して植草教授は冤罪であると擁護する意見が多い。
私自身は左派とも右派とも自分自身を思っていないが、客観的に見て植草一秀は痴漢行為をしたと思っている。少なくとも、それと間違えられる行為をしたと思う。そして何より、植草という男は同じ過ちを3度も繰り返しているのである。
私から見れば、この男は立派な性犯罪者である。

どうしてこのような男をもてはやすのか。
私にはさっぱり理解できない。
植草を逮捕したのは国策による陰謀だとする説がまかり通っているが、それは東北で起きた地震が、実はナントカという装置を使って起こされた国家的な陰謀だという妄言に近いものではないのか。
この男は李下で冠を正すような真似を3度までもした。
私にとってはそれだけで十分である。

だいたい植草一秀という一エコノミストが、国策にとって邪魔になるほど大きな存在だったのか?
私にはそれも解せない。
私には「植草教」の信者たちが、勝手に祭り上げているだけのように見える。
植草がそれほどの大先生であるならば、彼の手になるブログもさぞかし立派なものだろうと見てみたが、これまた特大の?をつけざるを得ない代物だ。

たとえば昨日のエントリ「独立自尊外交について」。kojitakenさんが「きまぐれな日々」で呈した疑問について答える形になっているが、ほとんどが自著『知られざる真実』からの引用だ。評判が高いらしい本のことだから、引用すれば誰もが納得するのかもしれないが、私には納得できない。
これは単なる自著の自己宣伝ではないか。
いやしくもブログを書いて、人の疑問に答えるならば、自著の引用などではなく、たとえ同じ内容であったとしてももう一度、自分の言葉で書き直して答えるのが誠意というものではないのか。
ながながと引用文をもって作られた回答を読まされたkojitakenさんは、お気の毒というものである。
頭の悪い私には、読んでられないよ、こんな退屈な文章は。まるでナルシストのオナニーを見せられたような気色悪ささえ感じる。
だからいったい結論はどこにあるんだよ、早く射精しちまえよ。

植草はこの文章のなかで、「私の言説に対する批判を私は一切排除しないが、批判する際には、私のこれまでの著作を踏まえてほしいと感じる。歴史認識、外交政策、経済政策などについて、マスメディアなどが勝手に創り出してきた事実と異なる私に対するイメージに基づいて批判されても、私としてはいわれなき事実誤認だとしか反論できない」と書いているが、ここでも自著の宣伝かよ。お前の本を読まないヤツとは話ができないというのか。それは思い上がりというものじゃないのか。
このオヤジはブログをどういうものだと考えているのだろう。

気色悪いエロオヤジ。
これが私の植草一秀に対する印象である。

どうしてこんな男を持ち上げるブロガーが存在するのか、そして今のブログ界には植草を否定するのはタブーでもあるかのような雰囲気があるのはなぜなのか。
私には次の大地震がいつどこで起きるのか予測がつかないと同じ程度に、理解不能であり、薄気味悪い現象である。

■追記
●植草一秀のブログ「植草一秀の『知られざる真実』」を見ると、明らかに右翼系のリンクがいくつかあることに気づいた。
リンクを張るときは、ある程度しがらみも手伝うだろうが、彼の場合は右翼(右派といったらいいのか?)ブログに共鳴してのことではないかと私は考える。
●それは、彼の記事にある言葉の使い方にもなんとなく漂っている。
「人間性を尊重し、相互扶助、相互信頼を重視し、独立自尊の精神、尊厳を大切に考え、私的利害を排してより良い社会を作る」――言ってることはもっともだが、こういう言葉の並べ方って、稲田朋美(これは右翼じゃなかったっけね)あたりが喜んで使いそうだよな。なんて思ってしまうのだ。
「為政者には能力もさることながら、徳と無私の精神が求められるとも思う」とかね。
「次期総選挙は日本で「真の改革」=「世直し」を実現できるかどうかを決する「天王山」の戦いになる」なんて、自民党右派の政治家が使いそうな大時代な言い回しだし。
●結局、植草一秀という男は、反小泉=竹中路線を主張してはいるけれど、本質的には右翼よりで、自民党の平沼赳夫あたりと同じものなのではないか。こんな男に迂闊に共感し、エールを送るようなことはしたくないものだ。
胡散臭いよ、この男は。私は、嫌いだ。

■追記 その2
●kojitakenさんのエントリを読んでいてみつけた「ポリティカルコンパス」というのを、私もためしにやってみた。結果は「リベラル左派」だってさ。ふーん、そんなものか。
これから名刺の肩書きにでもするかな(笑)。
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関連タグ : 植草一秀, 性犯罪者, 思い上がり, 薄気味悪さ,

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