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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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いえ、仕事が忙しいとか鬱がひどくなったからというのでなく。
まあ鬱の方はずっと変わらず「よくはない」ですが。

タイトルの通り、しばらくこのブログをお休みさせていただくことにした。

というのも、なんだかこの頃、つまらなくなってしまったのだ。
ニュースを見ても「これについて書いておこう」という気持ちがわいてこなくなってしまった。自分のための防備録として書いておこうという気にもならなくなってしまったのだ。

ひとつは、今の政治の愚劣さにある。
麻生太郎や自民党の批判をいくらしても馬鹿馬鹿しくなるばかりで、書く気が起きない。
民主党がなんとなく右傾化しようとしているなんていうことも、とりあえずは政権交代してから吟味すればいいかという気分になってしまった。
私としては民主党ばかりに関心が向くのでなく、社民党や日本新党との連立を念頭に置いた上での議論がもっと盛り上がってくれることを願っているんだけどね。そのなかには共産党の存在も、もちろんある。

けれども、そういうことをちょっとは真面目に考えようとしても、周りを見回してみると政治ブログと呼ばれるものの多くが植草一秀に毒されていたり、陰謀論で(なかにはアクセス数が減ったのはなんらかの操作があったと思われるなんて植草教祖みずからトンデモな発言をしたものもあったりね)思考停止に陥っているものが多くて、コンナヤツラと一緒にいるのはまっぴらだと思ってしまうのだ。

何度も書くけど、植草という男は自分を挙げた検察や、自分をネタにかき立てた「マスゴミ」が憎くてたまらない、ただそれだけでブログを書いてるいかさま野郎だ。奴がほんとうに国民の幸福だとか、自民党にボロボロにされてしまった国民生活を回復させるとか、真面目に考えているとはとうてい思えない。
奴は国民がどんな生活をしてどんな苦しみを味わっているかを知らないし、知ろうともしていない。だから「悪徳ペンタゴン」などというくだらない造語を作って悦に入っているんだよ。
だけど、そんなものをありがたがっているブロガーが、まったく嫌になるほどいて、そいつらがまた徒党を組んで我こそは正義みたいなことを臆面もなく垂れ流している。

私は嫌いなんだよ。徒党を組むということが。

数を頼みにして、自分とは相容れない者を全否定してしまうような連中には反吐が出るんだよ。

というわけで、すっかりブログがつまらなくなってしまったので、休むことにします。

とは言っても、1ヶ月後の選挙が近づいてきたらまた血が騒ぎ出すかもしれない。
そうしたら、また何か書いてみようかと思う。
それまではしばらくさようなら。

最後に、くたばれ植草一味。
失せろ「自End」村。

これが私の「最後っ屁」だ。
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関連タグ : 植草一秀, 自End,

私はとっくに関係を絶ってしまったが、自公政権を否定し、政権交代を目指すブログが集まったトラックバックピープルに「自End」というグループがある。

発足したのは2007年9月で、ちょうと安倍晋三が政権を放り出し、福田内閣ができる前のことだった。それまで、グループのメンバーたちは極右思想を掲げ日本をどんどん「醜い国」にしつつあった安倍晋三の存在に危機感を抱き、政権打倒を目指した「AbEnd」というリンクリストを作り、反安倍政権に関するエントリを毎日のように上げては互いに刺激し合っていた。
そして2007年7月の参院選挙で自民党が大敗し、それから1ヶ月後に安倍晋三が健康上の理由で政権を投げ出した瞬間、「AbEnd」は目標を達成。参加したブロガーたちは快哉の声を上げたのである。

そして次なる目標は、自公政権を倒すこと、つまり政権交代であるとしてメンバーは「自End」を立ち上げ、「自民党に関する話題について書いたときにTBしてください」と宣言したのである。管理人は「カナダde日本語」の美爾依さんである。

爾来およそ2年。
自End」グループのめざましい活動が功を奏したか、今や自民党はグダグダの骨抜き状態となり、政権党としての体をなしていない状態まで落ちた。そして、ついに衆議院は解散され、8月30日には総選挙の投開票が行われることが決まり、自民党が政権の座を明け渡すのは時間の問題と誰もが見るようになった。

バンザイ、「自End」。
やったね、これまで地道に自民党を批判してきた努力がもうすぐ形になって現れるね。

よかった、よかった。

しかし、そう思っているのは当の「自End」村の村民だけだろう。

なぜなら、「自End」村は、自民党が瓦解していくのを眺めながら、なぜかそれより一足先に自家中毒を起こし、存在の意味を失ってしまったからだ。

今や「自End」村は植草一秀という陰謀論者を教祖と仰ぎ、これを批判する者に対しては徹底的な排他主義をとる仲良しグループに堕してしまった。
彼等をつなぎ止めているのは植草一秀と民主党崇拝による政権交代のみ。これさえ守っていれば、たとえ教祖の植草が言論に対するパージを声高に叫ぼうと批判する声は上がらず、ファナティックな信者の一人があからさまな人種差別的なエントリを上げても黙認し、お題目のように植草が痴漢の罪で刑務所に収監されるのを心配する。

さらには植草が刑務所内で謀殺されるのではないかと思い込み、満月と新月の日には教祖の無事を祈るエントリをメンバー各自がアップしようと言い出すまでになってしまった。

これのどこが「自End」なのだ?

もはや政権交代後に行われる政策について語られるのでもなく、政権交代が現実に近づくにつれ、これまでの公約を変えようとしている民主党に対する批判をするでもない。

単なる植草一秀崇拝の悪魔的な組織になってしまった。

自らに都合の悪いことを言うブログはパージし、仲間内の暴言はスルーし、内向きに小さく小さく固まってしまった。
自浄能力をも失ってしまった彼等、「自End」は、自民党が崩壊するのを待たずに自らが自滅してしまったと言っていい。

今も「自End」の管理人をつとめる美爾依さんのブログは惨憺たる内容で、かつてアルファブロガーに輝いたときの面影はない。
美爾依さんと仲良いとされる「きっこの日記」も近頃は露骨なまでに民主党の肩を持つエントリをしばしばアップするようになって著しく質を低下させてしまった。

開かれた体質と健全な批判精神がなければ、そもそもブログ同士の連携などなりたたないというのに、「自End」村の村民たちは植草一秀を精神的支柱にしはじめてから初期の精神を忘れ、自分に都合のいいものは受け入れるが、そうでないものは排除するという体質に変わってしまった。今では植草流の陰謀論とメディア批判が彼等にとっての定番メニューだ。

さらば「自End」。
短い命だった。
あなた方はまだ気がついていないのだろうが、もはや存在意義はないのだよ。
「自End」という看板があまり汚れないうちに掛け替えた方がいいと思うよ。

新しい村名は「植草党」とでもしてはどうだろうね?

関連タグ : 自End, 植草一秀,

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