上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
映画「靖国 YASUKUNI」が東京で公開され、満員の盛況だったようだ。
どちらかといえば地味な部類に属するドキュメンタリー映画が、これほど注目を集めた背景には、やはり稲田朋美ら自民党の右派議員による「事前検閲」問題が注目されたからだ。この映画の出来映えがどんなものなのか、地方に住む私には見ることができないのがなんとも残念だが、今回の映画は、結局のところ、稲田らが考えている「愛国心」の概念に中国人監督の手になるドキュメンタリー作品がいたく刺激を与えたことが、ことの発端だったように思われる。

ここで問題となる愛国心だが、稲田自身は愛国心を教育問題と絡めて「国を救うには真のエリート1万人が必要であり、その真のエリートとは、いざというときに祖国のために命を捧げる覚悟のある者のことである」という考えを持っている。だから日本は、これら真のエリートを育てるための教育をしていく必要がある、というわけだ。
私からすれば、なんとも鼻持ちならない選民思想であり、半世紀以上も前に日本全国で教育され、その過ちが戦争に結びついた類の愛国心が、今も稲田の心を占めているものだということがわかる。
彼女にしてみれば、靖国神社は祖国のために命を散らした英霊が祀られている神聖な場所であり、反日感情の持ち主かもしれない中国人監督などが、カメラを携えて足を踏み入れること自体がけしからんというのが、本音なのではないか。

この映画の問題にかぎらず、愛国心というものがクローズアップされる場面が近頃やたらと目につくようになっており、それが私の心をむずむずとさせ、居心地悪く感じさせることになる。

たとえば中国政府が行っている聖火リレーだ。
聖火そのものは平和の祭典のシンボルであり、世界融和のメッセージを伝えながら各地をリレーしていくというのが建前になっている。
しかし、今回の聖火リレーでは、自由独立を主張するチベット自治区の人々とオリンピック成功を願う中国人たちとが「愛国心」をむき出しにして対立し、各地で衝突した。
その様子を見るにつけ、また映画「靖国 YASUKUNI」の問題を思い出すにつけ、「愛国心」とは何だろうと考えてしまう。

日本の国家は「君が代」ということになっているが、日本人の中には、今もこの歌に対するアレルギーを持っていて、素直に歌えない人がいる。戦争の時に天皇を賛美する歌として歌われ、「君が代」とともに命を落とした人を思うと、歌う気になれないのだ。
私たちが小学生の頃に習った「君が代」は、やはり天皇である「君」の世が、幾久しく続くようにと願ったうただという、歌の意味を教えられた記憶がある。

ところが、私の娘の世代になると、「君が代」とは母親が子どもの成長を願った歌だと教えられたのだという。さざれ石という小さな石が次第に大きくなって成長し、やがて苔がむすほどまで長生きをすることを願うのだと。

私たちが習った「君が代」は、どちらかというと戦前から伝わってきた、国家賛美の歌としての「君が代」であり、「天皇陛下万歳」という言葉とともに玉砕した日本兵の姿を連想させずにおかない。
だから、私は「君が代」を歌うことに消極的である。
サッカー日本代表が国際試合をするときには必ず試合前に「君が代」が歌われ、試合中にはサポーターたちが「君が代」を歌って応援する。
あるいは、オリンピックで日本選手が金メダルを取ると、その授賞式で「君が代」が吹奏されて観客は、テレビの前に陣取っている人々もふくめて感動することになっている。
サポーターが声援を送り、オリンピックの観客が涙をながすときの「君が代」は、いったいどちらの意味の「君が代」なのだろうか。

今も「君が代」という歌に対して消極的な気持ちを持っている私などは、とてもお母さんが子どもの成長を願って歌っている歌だとは思えないから、好きなサッカーでもサポーターと一緒に熱狂することはないし、オリンピック授賞式で感涙にむせぶこともまずない。
私はどうしても「君が代」に対しては素直になれないのだ。
子どもに対してそれまでとは異なる意味合いの歌として教える教育=国のダブルスタンダードが嫌らしいと思うからなおさらだ。

稲田朋美のような人間は、「君が代」が大好きだろうし、祖国のためを思って犠牲になることも厭わないエリートたちには「君が代」斉唱を教え込むのが当然と考えていることだろう。この場合の「君が代」はもちろん、お母さんが子どもを思って歌うものとは違った意味の「君が代」だ。
しかし、祖国のために命を捧げる覚悟のあるエリートを養うだなんて、それだけで鳥肌が立ちそうだ。
どうして「愛国心」は「命を捧げる」ことに結びつきやすいのだろう。
どうして「愛国心」は、それをむき出しにすることで争いを生むのだろう。

「愛国心」とは、つくづく厄介なものだと思う。
私とて、自分の国を思う気持ちはある。だが、その気持ちはこの国を暮らしにくくしている悪政を行う者に対する怒りとして発露されるものだ。
お国のために命を捧げますなどとは、今の日本では、ゆめゆめ思うことはない。


ブログランキングに参加しています。
↓よろしければクリックを↓
人気ブログランキング


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
スポンサーサイト

関連タグ : 愛国心, 君が代, 聖火リレー, オリンピック,

上映中止で話題になっている映画「靖国 YASUKUNI」の、右翼団体向けの試写会が18日、行われた。
全国から約180人の活動家が集まったという、この試写会。呼びかけ人の一人、木村三浩・一水会代表は「右翼が上映を中止させたかのような間違った言われ型をされているから」と説明した。
試写中、国会議員らが問題視した南京事件の写真を使ったシーンでも何の声も上がらなかったという。

右翼の人たち、冷静じゃないか。大人じゃないか。

試写後は活発な意見が交わされた。「文化庁の女性には納得できない。返還を求める訴訟を起こす」という意見もあれば、「われわれも助成を受けて親靖国映画を作って反論すればいい」「べつになんと言うこともない作品なのに、メディアが注目をあおったのでは」との意見が出た。
同血社の河原博史会長は「個人としては、日本民族に根ざした信仰心を侮辱するものを感じた」としながら、「意義ある会だった。右翼が反社会的というイメージは違う。誰もが映画を見せず抗議するわけでもない。大事なのは表現者同士のガチンコ勝負。そういう意味では映画館が屈してしまったのは問題だと思う」と話した。

以上は朝日新聞の記事によるものだが、これを読むと映画「靖国 YASUKUNI」を問題視し、大人げない反応を示したのはただただ自民党の稲田朋美や有村治子ら議員のセンセイ方だったということになる。有村にいたっては、刀匠の刈谷さんが映像の削除を望んでいるというウソまででっち上げたというのだから話にならない。姑息と言うか、やることがチンピラやくざに等しいと言えるだろう。

「靖国 YASUKUNI」という映画ができた。
その出来映えをめぐって議論が起きるのは当然のことであり、健全な反応だ。
しかし、稲田や有村がやったことは作品を封じ込めようとするものであり、断じて許されるものではない。これらに比べれば、「われわれも助成を受けて親靖国の映画を作るべきだ」と発言した右翼の人たちの方がずっと常識的だと思う。
地方都市に住んでいる私のような人間にはなかなかこの映画を見る機会がないのが残念だが、DVDにでもなれば必ず観たいと思う。
やはり、映画は観てから論じられるべきである。それゆえ、見る機会を奪うような権力の介入には、私は断固として反対する。

昨日はまた、長野県で聖火リレーに関する重要な動きがあった。
やはり善光寺はリレーのスタート地点になることを辞退した。
善光寺
「チベットでの仏教徒弾圧を憂慮する」という僧侶たちの発言は、至極理屈の通ったもので納得がいく。これに比べると中国に対していまだにはっきりとした態度を打ち出せずにいる政府のだらしなさがよけいに際立ってくる。
この問題に対する中国の態度は、非常に強硬で、世界からの批判を浴びても動じない。
一方的にダライ・ラマが反乱を起こしたとするだけだ。対話の余地もないという。
こういう相手に対して、「話し合いの機会を持ってください」と言ったところで通じるわけがないだろう。
来月は胡錦涛がくるというのに、日本は今回の弾圧を非難するのかしないのか。
今からでも遅くはない、やんわりと今回の訪日はお断りすべきではないのか。
オリンピックを開くのは勝手であり、またその成功を祈ることにわれわれもやぶさかではないが、人権弾圧は見過ごすことはできない。この件については時間をかけて話をする必要があると考えるので、胡錦涛主席には機会を改めて来日してもらうことにする。
頑迷な国を相手にケンカを売る必要はないが、もっと外交的な駆け引きがあってしかるべきだろう。

今回、聖火リレーでは善光寺が辞退しただけでなく、コカ・コーラをはじめとするスポンサーも宣伝カーを出さないことを決定した。警備が厳しくて宣伝車が走れない、宣伝の予算がないなどと理由はまちまちだが、根底にチベット問題があることは明らかだ。面白いのは、IBMから事業を引き継いだ中国のレノボまでが、そのなかに加わっていることだ。

26日の聖火リレーはどうなるのか。これから、まだ一波乱ありそうな予感がする。

ブログランキングに参加しています。
↓よろしければクリックを↓
人気ブログランキング


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

関連タグ : YASUKUNI, 右翼団体, 稲田朋美, 有村治子, 聖火リレー, 善光寺,

来週末には、いよいよ日本にも聖火がやってきて、北京五輪のリレーが始まる。
すでに各国で行われた聖火リレーでは、チベットでの中国による人権弾圧に抗議する人々が、さまざまな活動をしているが、日本ではどうなるのだろうか。

リレーのスタート地点となる長野県・善光寺では13日、チベットでの事件で命を落とした人々を悼んで、市民ら約60人がろうそくを灯し、僧侶が読経した。
追悼の灯
もともと聖火リレーはオリンピック大会そのものとは別個のもので、1936年に開かれたベルリン大会で、ヒトラー率いるナチスが世界にその存在をアピールする宣伝をするために始めたものだ。今回の聖火リレーも、当然のことながら聖火はオリンピックそのものよりも中国という国を象徴するものであり、中国は聖火を世界中走り巡らすことによって国威発揚に役立てようとしていることは明らかだ。
また現在は、リレーそのものにスポンサーがつき、ランナーはスポンサーの広告とともに走ることになっている。広告が世界を走り回るということは、その背景には巨額な金が動いていることになる。
こんな事情を考え合わせれば、オリンピック大会をボイコットする必要はないとしても、聖火リレーを取り止める、あるいは縮小すべきだという考え方が出ても当然だろう。すでにみそがついた大会になりつつある北京オリンピックでは、協賛するスポンサーとしても本心は痛し痒しというところだろう。リレーを中止するとなってもクレームはつけにくいのではないだろうか。

リレーには、有森裕子ら著名人がランナーとして名前を連ねているが、彼らはどう対応するのか。私としてはやはり、ここでなんらかの意思表示はするべきではないかと思う。すでにNHKの青木祐子アナウンサーは出走を取り止めている。表向きの理由は、スポーツ担当から報道担当にかわったためとしているが、本心はチベット問題に対する抗議にあると思いたい。
他にも松岡修造、星野仙一、萩本欽一らが走る予定らしいが、彼らの中に気骨を示すものはあるのだろうか。弾圧に抗議するという意思表示をするために、チベットの国旗を腕章にするとか、あるいは後ろ向きに走るとか。

スタート地点の善光寺はどうするのだろう。
チベットで同じ仏教徒が理不尽な目に遭っているというのに、何も意思表示をしないとしたら、お釈迦様も悲しむだろう。へたれな日本政府と同じ真似はしてほしくないものだ。
この際、スタート地点として場所を提供するのを辞退する。あるいはお祭り的な雰囲気を一切排除して、僧侶たち全員が読経しながらスタートさせる。
欧米のようなエキセントリックな方法を取る必要はない。しかし、なんらかの意思表示はする義務があるのではないか。

すでに、26日当日は、リレー終了後に予定されていたイベント中止が決定され、リレーそのものも長野県警が3000人から4000人規模で警備する方針だという。
ものものしい格好をした機動隊員に囲まれてリレーが進んでいく。その様子が映し出されるだけでも中国は複雑な心境になるだろう。
異様な光景の聖火リレーをさらに異様にして抗議の意志を示すために、沿道には誰も見物に行かないというのはどうだろう。名目はリレーが安全に行われるためとして、一切見物客が沿道に立たないようにする。これは日本にいる中国人たちが見物に行くだろうから、あまり効果はないか。

毎日新聞の取材に対して、善光寺事務局は「善光寺から平和を発信できれば、と考えて出発式を引き受けたが、このような事態になって戸惑っている」と語っているが、戸惑うだけでなく、仏教徒として毅然とした態度を示してほしいものだ。

すでに北京オリンピックは記録抹殺することに決めた私は、聖火リレーなどもちろん見る気はないが、日本人としてなんらかの意思表示が行われるであろうことには大いに関心を持っている。


ブログランキングに参加しています。
↓よろしければクリックしてください↓
人気ブログランキング


にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

関連タグ : 北京オリンピック, 聖火リレー, チベット問題, 抗議,

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。