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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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「O君、俺と一緒にいっぱい仕事しような。そうしたらさ、世の中がみんな注目するような本ができるって」

Tさんは、あのいつもの人懐こい笑顔を浮かべて私の肩をがっちりつかんで揺すった。彼の力強さが服をを通して伝わってきた。
彼は私の返事などろくに聞かず、さっと向きを変えて歩き始めていた。お気に入りのトレンチコートの裾が風をはらんで広がり、背中を見せた姿はどんどん遠ざかっていく。

彼は有能な編集者として、会社からも、周りの人間からも一目置かれていた。馬力あふれるその仕事ぶりは、ときには当初の企画意図をはずれて思いがけない方向に向かってしまうことがあり、そんなときには「また暴走機関車の脱線がはじまった」と揶揄されることもあった。他の編集者ならば、編集長から大目玉を食らいかねないような脱線ぶりをすることもあったが、彼の場合は黙認された。
売れない雑誌の編集部とは言え、彼は編集長に次ぐナンバー2の位置にいたし、脱線しながらも結果として他の編集者ではつかめないような取材源の尻尾をつかみ、大きな記事にしたこともある。だから、彼の暴走がはじまっても、しばらくの間は皆様子を見ているのだった。

Tさんは、キンノスケという役者みたいな名前だったものだから、いつもみんなからは「キンちゃん」と呼ばれて親しまれていた。キンちゃんは、名前だけでなく顔つきもなかなかの男前で、女性社員からも人気があった。明るくて冗談好きで、彼が言うとそれが下ネタであっても女性たちはそれを許した。
彼には妻がいたが、会社の受付嬢だった頃にTさんが口説き落としたのだと聞かされた。男前で陽気なうえに仕事も人一倍できるときているのだから、彼から結婚を申し込まれた女性なら、二つ返事でOKしたのではないだろうか。
盛大な結婚式を挙げて、幸せな家庭を作っていたが、30をだいぶ過ぎても彼には子どもが出来なかった。
「キンちゃん、あんまり仕事ばかりするから子どもを作るヒマがないんじゃないの」
編集長がからかうと、キンちゃんは真顔で言い返した。
「そんなことないですよ。やるべきことはしっかりやってます」
「そのやり方がさ、違う方に暴走してるんじゃないの」
そう言われると、顔を真っ赤にしてうつむいてしまい、周囲にいた者は大笑いした。
しばらくして、キンちゃんは編集スタッフのIさんに声をかけていた。
「ねえ、Iさんとこはどうやったら子どもできたの?」
Iさんは、40歳近くになって子どもができた人である。
「え、どうやってって言われても」
困惑するIさんにキンちゃんは食い下がった。
「Iさんはさ、週に何回くらいやってるの。俺、2回くらいなんだけど、それじゃやっぱり少ない?」
「いやあ、ちょうどいいんじゃないですか。。。」

そんなキンちゃんに、ようやく子どもが出来た。
もう来年は40になるという歳だった。その喜びようは大仰なほどで、まさに嬉しさを爆発させていたといってもいいだろう。彼は赤ん坊を抱いた写真をお守りのように持ち歩き、会う人ごとにそれを見せていた。
「どう。可愛いだろ。ウチの長男だよ」
2年後には二人目が出来て、彼はさらに有頂天になった。
その喜びのエネルギーを仕事にも向け、彼は文字通り馬車馬のように働いた。
もともと会社からも目をかけられていた男だけあって、彼はそのうち編集業務だけでなく、営業のような仕事まで任されるようになった。大企業とのパイプ役になって広告を出してもらうと同時に、内部事情を聞き出してそれを雑誌の企画に役立てようとした。ちょっとした産業スパイのような役割だ。
仕事は激務を極め、通常の仕事の他に接待などもこなさねばならず、帰宅するのは夜遅く。休日返上で走り回ることも少なくなかったという。

私がキンちゃんに出会ったのは、彼に最初の子どもが生まれるころだった。新米スタッフとして雇われ、右も左も分からないような私をなぜか彼は気に入ってくれた。もちろん子どもが生まれた時には何度も写真を見せられた。
「これが俺の奥さん。美人だろ」
そんなことも悪びれずに言う人だった。
彼は私と組んで仕事をするようになり、私は暴走機関車の下働きとしてこき使われた。仕事が終わると飲みに行き、安酒場で焼き鳥と酎ハイを飲みながら編集長の悪口を聞かされた。仕事でヘマをすると、彼は私の家にまで電話してきて叱ってくれた。彼は怒る時も真面目で、一生懸命だった。
私が原稿を書くと必ず目を通してくれて、出来がいい時には褒めてくれた。それが何よりうれしかった。

彼とは3年ほど仕事を一緒にした。
その間に、たしかに私は鍛えられた。それと同時にカイシャの裏事情やら人間関係のドロドロも嫌と言うほど聞かされて、私はうんざりしてしまった。
その後、彼は昇進して別の部署に移り、私は編集スタッフの仕事を辞めてライターになった。

そして間もなく、彼の死を知らされた。まだ50にもならない、早すぎる死だった。
クモ膜下出血で倒れ、一度も意識を取り戻すことなく逝ってしまったのだという。
後には奥さんと、まだ幼い二人の子どもが遺された。
「彼はカイシャに殺されたようなものです!」
キンちゃんに可愛がられていた出入りの業者は、泣きはらした目でそう言った。彼が倒れたのは日曜日で、その日も接待に出かけて遅く帰り、風呂に入って床についたらそのまま意識を失ってしまったのだという。
キンちゃんの死は皆を驚かせ、そして悲しませた。
葬式には大勢の人が集まり、まるで社葬をしているみたいだった。

彼が死んでから、もう10年以上の時が経ってしまった。
さすがに彼の記憶も薄れてきた。
そんなときに彼のを見た。
の中でキンちゃんは(もっとも私は彼のことをキンちゃんなど、畏れ多くて呼んだことはないのだが)、相変わらず威勢がよくてバリバリ仕事をしていた。
私と一緒に仕事をしようと言ってくれたときも、これから取材に出かけるところで、彼は私を誘ってくれたのだった。

睡眠状態が悪い私は、毎日、睡眠導入剤を飲んでいる。
しかし、いつも処方される薬を飲んでいると、眠れることは眠れるが、必ずといっていいほど悪を見る。にうなされて叫び声を上げ、自分の声に目を覚ます。
そして目を覚ました時の気分の悪さにしばらく動けなくなる。

かかりつけの医者に事情を話した。
「それじゃ、別の薬を出すから、それを頓服のように布団に入ってから飲むようにしてください」
そう言われて出された薬は、たしかに効いた。
眠りが深くなり、にうなされることもなくなった。目覚めた後も、わりあいすっきりしている。
その代わり、眠気がなかなか取れない。
今日は、その眠気に負けてもう一度眠ったところ、思いがけずキンちゃんのを見た。

キンちゃんが遺した子どもたちは、どうしただろう。
奥さんは、あれから苦労したのだろうな。
私は、その後も生き続けて、いつの間にか死んだ彼よりも年上になってしまった。彼が生きていたら、私はまた一緒に仕事をしたのだろうか。そうして、世の中をあっと言わせるような本を作っただろうか。

まだぼんやりしている私の脳裏に、Tさんの颯爽とした後ろ姿が焼きついて、なかなか消えようとしなかった。

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