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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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昨日は、その前日に見たNHKの「マネー資本主義」最終回を放送していたのだが、放送時間をうっかり忘れていて後半部分しか見られなかった。
とはいえ、これまでなかなか充実していた内容に比べ、最終回となった昨日の放送はゲストに糸井重里や西原理恵子といった、あまりピンとこないゲストを3人並べ、海外のインタビューに交えてコメントさせるという、つまらない構成になっていたのが残念だった。

それでも印象に残ったのは、終盤にインタビューしたヘッジファンド社長のジム・チャノスとハーバード大学のマイケル・サンデル教授の対照的なコメントだった。

チャノスは当然ながら、市場原理主義の権化ともいうべき言説を展開し、今こそ徹底的に自由競争を追求していくべきだと言っていた。資本主義である以上は、富を公平に分配することは不可能であり、その代わりに猛烈な努力をした人や人にはない独創的なものを生み出した人には大きな富を得るチャンスが与えられる。社会主義はすべての人が公平に富を受け取るべく作られたが、結局破綻してしまったではないか。資本主義が残った以上は自由競争を追求していくのは当然で、不平等が生まれるのも資本主義だからこそなのだ、といったことを述べていた。

これに対して、マイケル・サンデル教授は、もはや経済成長だけが社会の目的ではあり得ず、「公共」という概念を取り戻す必要があるのではないかと言っていた。

ヘッジファンド社長がいまだに社会主義は敗れ、資本主義が勝ち残ったのだから、自由競争をつきつめろというのは、それ自体、理にかなった主張といえよう。しかし、本当に資本主義が勝ち残ったのかといえば、この番組のそもそものテーマである金融恐慌はなぜ起こったのかということに行き着く。
富を追い求める自由競争が世界規模で行われ、金儲けこそが第一の価値観になった挙げ句、金融工学というモンスターを作り出し、そして自壊していったのが昨年の金融恐慌ではなかったのか。
たしかに社会主義を実践した国々は、理想と現実のギャップを埋めきれずに体制そのものを崩壊させてしまったが、あれは社会主義の敗北だったのか。

そう考えてみると、サンデル教授のいう「公共」という概念が、これから光を浴びることになるのではないかという気がしてくる。

私はジム・チャノス社長とは反対に、敗北したのは資本主義の方であると思っている。奇しくもチャノス自身が言ったとおり、資本主義が資本主義である限りは社会すべてに富や幸福を分配することはできない。力のある者が勝ち、力が劣る者は負ける。しかしこの基本原理のなかでいちばん問題なのは、勝った者が負けた者に対して思いやるシステムが欠けている点だ。

社会主義と資本主義を対比するとき、私は思い出すものがある。

運動会の徒競走で、順位をつけるのは不公平だからみんなで並んでゴールさせようとした学校があるとして批判された問題だ。

みんなで一緒にゴールするのでは、競争の意味がなくなってしまい、そもそも競技は成り立たなくなる。悪しき学校教育の見本であり、歪んだ平等主義と叩かれた。
もちろん、私も徒競走くらい自由に走らせるべきだと思うし、子どもたちをそこまで管理するのは如何なものかと思う。
けれども、その一方では、徒競走がクラスのヒーローを作るための競技だとするのも違うな、と思ってしまう。

私の娘が幼稚園に通っていたときも運動会があり、徒競走が行われたが、子どもたちのなかには、それまで先頭を走っていたのに、後ろで転んでしまった子がいると、その子のことが気になって走るのを忘れてしまう園児がいた。
「○○ちゃん、走れー!」という声がとぶ。
一方では転んだ子に対して
「がんばれーっ!」と声援が送られる。
一等賞の子にはもちろん大きな拍手。そして、転んでヒザを擦りむき、泣きながらビリでゴールした子に対しても、みんながあたたかく拍手で迎えた。
これは幼稚園がそうするように決めごとを作ったのではなく、子どもたちやその保護者たちに自然に備わった優しさや思いやりが現れたものだった。
どこにでもある運動会の一コマだったが、私は妙に感動したのを今も覚えている。

徒競走のよさは、こんなところにあるのではないかと思う。
そして、社会のあり方も、結局のところは同じではないかと私は思うのだ。
自由競争はあってもいい。
けれども、競争には必ず勝者と敗者が出る。そのとき、みんなで敗者のことを思いやり、転んでもがんばれと声を掛ける思いやりがあるべきではないのだろうか。

金儲けが第一で、勝ち組と負け組を明確に分けるような社会、ついこの間までわれわれが踊らされていた社会に、そんなあたたかさはあっただろうか。
そう思うとき、一企業が自己の利益だけを追求するのでなく、社会への貢献をも大きな目的として活動していくという「公共資本主義」が、社会主義への反省とともにこれからもっと考えられていってもいいのではないかと思うのだ。

今日7月21日。
衆議院は午後1時からの本会議で解散された。そして第45回衆院選は8月18日公示、30日投開票の日程で行われることが決まった。

日本の社会を滅茶苦茶にし、国民生活を疲弊させ、年間3万人以上もの自殺者を生み出し続けている自民党による政治は、今度の選挙ではっきりと否定しなければならないと思う。
政権与党でありながら、いまだにマニフェストも公表できず、候補者が銘々勝手にマニフェストを出すなどと馬鹿なことを言っている自民党の候補者たちには1票たりとも与えたくない心境だ。

しかしその一方で、政権交代が期待される民主党に対しても、われわれは厳しい目を持って投票の是非を決める必要があると思う。
これまで自民党が行ってきた金持ちと企業ばかり優遇する政策をとるのではないか、4年間は上げないと言っていた消費税はどうなるのか。経団連は18%まで増税する必要があると言っているが、国民の敵とも言える経団連との距離をどうとっていくのか。
次の選挙では、単に自民党政治を否定するだけでなく、日本社会が息を吹き返すような、国民全体が安心できるような政権が生まれることを考えなければならない。
そのためには民主党だけを一人勝ちさせるのではなく、社民党や国民新党、さらには共産党にも議席を与えるようにしていきたいものだ。

人間としてのあたたかさや、思いやりが生かせる社会を実現させるために、今度の選挙をわれわれは大切に考えていかなければならないと思うのである。

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関連タグ : 総選挙, 資本主義,

昨年中は、拙い文章におつきあいいただき、ありがとうございました。
年があらたまったとはいえ、時間のつながりから言えば今年もまた多くの苦難が待ちかまえているように思うのが、多くの人々の実感なのではないだろうか。
景気の悪化、雇用の不安、迷走を続ける政府自民党。
どこを見回しても明るい材料はない。

けれども今年は総選挙がある。
われわれ国民の意思を直接政治に反映させるための貴重な機会が訪れる。
願わくは政権交代により、社会民主主義的な政府ができますように。
国民が安心と希望を持って生きていける社会が実現しますように。

今年もまたプリプリ怒ってばかりのブログになるかもしれないけれど、ひとつ堪えて、よろしくおつきあいください。

皆様、今年もよろしくお願いします。

ooaminosora

関連タグ : 総選挙,

小泉純一郎が突然、政界を引退することを表明したニュースはマスコミに驚きをもたらしたようで、昨日の「報道ステーション」では、冒頭から繰り返し小泉事務所前から自動車に乗り込んだ小泉を追いかけたカメラが、記者たちの「引退は本当ですか」という質問に無言で頷く様子を映し出していた。
古舘伊知郎は例によってバカの一つ覚えの台詞である「この日本に難問が山積している時期に」というフレーズをこの日も得意気に使って小泉引退の意味について語ろうとしていた。
この日のゲストは時事通信の田崎史郎だったが、古館の陰気くさい質問に「結局、後継者を指名するために引退するという、昔ながらの政治家の手法をとったにすぎず、がっかりした」といった旨の言葉を返していた。

TBSの「ニュース23」でも小泉引退をトップに報道していたが、その扱いは意外にあっさりしたものだった。そして後藤謙次が、「何の総括もなく勝手に辞めていく。これは形が違った投げ出しに他ならない」と切り捨てていた。

ニュースでは自民党議員たちの言葉として「驚きはあるが、小泉氏はすでに終わった人だから」という冷めた見方もあることを報じていたのが印象に残る。

突然の引退表明をしたのには、たしかに驚きはあったが、つまるところ小泉の退場劇が意味するものは以上の事柄で語り尽くされているのではなかろうか。
つまり、小泉純一郎という男は竹中平蔵と組んで構造改革を断行し、その結果として大手企業や金融界には大きな恩を売ったが、その一方で肝心の国民生活を完膚無きまでにたたき壊した。そして今、社会では打撃を被った国民生活の立て直しが急務となっており、小泉政権がもたらした改革の見直しに迫られている。その時期に張本人の小泉が引退したということは、自ら取った政策を何ら総括することなく投げ出したことに他ならない。

さらに、世襲政治家の劣化が指摘されているなかで、やはり自らも自分の息子を後継者と指名して麻生新政権が発足したその日に引退を表明した。国民としてはまたしても世襲政治家がひとり増えることにげんなりするほかない。今後、小泉進次郎がどんな政治家になるかはわからないが、親譲りの新自由主義者であることは間違いなく、親から受け継いだ支持基盤をもとにカイカクを訴えていくことは想像に難くない。
新自由主義者であり、世襲政治家となる小泉進次郎については、これから厳しい目でその言動をチェックしていかなければならないだろう。

国民にとってはさしたる驚きも、影響もない小泉引退だったが、自民党にいる小泉チルドレンたちにとっては青天の霹靂だったろう。
ただでさえ、次の総選挙では総崩れが予想されるうえ、拠り所を失った彼らにはもはや単なる失業者になるしか道は残されていない。看板を失ったチルドレンどもなどに、だれが見向きなどするものか。彼らには新自由主義の冷たく厳しい社会に出て、身を切られるような辛い思いをしてもらいたいものだ。もしかしたら、少しはそこで学習して、まともな感覚を持った人間になれるかもしれない(無理だと思うが)。

財界には大きな味方だった小泉の引退を惜しむ声が強いが、次の選挙で政権が代わり、社民主義政治が行われるようになった暁には、これまで好き勝手に日本の富を貪り、格差社会を築くことに汲々としてきた御手洗以下の不届き者どもに痛烈な一撃を食らわせてやりたい。

念願の総理総裁になり、ますます口がひんまがってしまった麻生太郎の卑しいプライドを粉砕する必要もある。
今度の総選挙では、なんとしても民主党に勝たせて自公を政権の座から蹴落としてやらなければならないと、あらためて思う次第である。

関連タグ : 小泉純一郎, 世襲政治家, 総括, 総選挙,

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