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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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野中広務
クソ面白くもない自民党総裁選は、どうやら麻生太郎で決まりの出来レースが公然化しているようだが、今日の毎日新聞には元自民党幹事長の野中広務のインタビュー記事が出ている。野中といえば、麻生が「部落出身者では総理大臣にはなれないわなあ」と暴言を吐き、激怒して黙らせたというエピソードが知られている。
この時期、毎日があえて野中にインタビューを行ったというのも、総裁選のニュースを垂れ流しているばかりの他のマスコミと一線を画すところがあってなかなかいい企画だと思う。

インタビューはやはり、麻生太郎について語るところから始まっている。そしてやはり、野中は麻生に対して「(麻生には)人権を踏まえた視点がありますか。華麗な家柄だけど、人を平等に考えない。国家のトップに立つ人として資質に疑問がある」と答えている。
おお、やっぱり野中は麻生をまだ許してないんだ。
言ってくれるじゃん。
人間として麻生という男には欠落したものがあるという見方にはまったく私も共感するし、こんな男に国のリーダーを任す気になれないというのも同感だ。

昨日の、「安城や岡崎だからよかったけど、名古屋だったら大洪水だ」と言って顰蹙を買った失言にも、麻生という男が被害に遭った人々に対する思いやりを持たず、その場だけのウケを狙っている底の浅い男であることがよく現れていた。

ミクシィでは、このことを非難した私に対して、「麻生さんはべつに岡崎に豪雨が降ってよかった、万々歳と言ってるわけじゃない。名古屋だともっと大きな被害になりかねなかったといいたかっただけで、わざわざネガティブに受け取る方が問題だ」と難癖をつけてきた馬鹿な男がいたが、こういう男も麻生と同類で、実際に安城や岡崎で水害にあった人々の気持ちをまったく理解も想像もしていないとしかいえない。
麻生太郎は育ちがいいから下々とかけ離れた神経を持っているのかと思っていたが、必ずしもそうではないということが端なくも分かったのは面白かった。
想像力に欠ける馬鹿な男はどこにでもいるということである。

さらに野中は厳しく言葉を重ねる。
「安倍晋三前首相と福田康夫首相が辞める時、(麻生は)2度とも事前に打ち明けられたのに、善後策も講じないで一番先に自分が手を挙げた。幹事長の職責が分かっていない人だ」

もう全否定に近いね。
麻生よ、お前など総理になる資格はないと野中は公言しているようなものだ。痛快、痛快。

野中は民主との大連立はあるかとの問いに答えて、
「それよりも、与野党とも右傾化する中で、二度と戦争をしない日本をつくる基軸となるような人たちの集まりをつくるチャンスじゃないか。ガラガラポンやった方がいい」と政界再編に期待している。
この点では昨日、小泉純一郎が小池百合子の激励会をやって「『小池首相』になれば世界にも発信できるし、これほど変化が起こったことを示す道はない」と語り、「味方が敵になるかもしれない。敵がやがて味方になるかもしれない」と発言、やはり政界再編をにらんだような言葉を発している。

実際、昨日は民主党と国民新党との合併話が持ち上がるなど、再編に向けた動きは現実化しつつあるようだ。もしそうなれば、今の自民党は瓦解するだろうから国民としては望むところなのだが。

さて、話を野中に戻すと、自民党総裁選について、野中は「できれば麻生よりも与謝野馨に勝たせたい。しかし演説を聴いていると声に迫力がない、健康が心配だ。次の次の首相候補を視野に入れたら、石原君はここで登録しておくべき人間だと感じる」と語っている。
石原については大いに疑問符をつけたいところだが、野中は小池百合子に対しては「時の権力者について上手に泳いできた人に一国を任すことはできないなあ。後ろに小泉(純一郎元首相の)再登板という絵が描かれてるんじゃないか」と語るなど、かなり客観的に見ている。石破茂についても、「石破さんは防衛政策では優れた個性を持っているが、政治家としては全体像が出てこないですね」と一蹴している。

このインタビューは続きがあるそうだから楽しみだが、私は野中広務という政治家を必ずしもすべて支持はしない(破防法適用を強硬に主張、森喜朗首相選出に関わるなど)ものの、今の自民党のなかで彼のような存在がなくなったことがいちばんこの党をダメにしていると思うのである。


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関連タグ : 野中広務, 麻生太郎, 総裁選, 政界再編, 毎日新聞,

Diamond Onlineにジャーナリストの上杉隆が、今回の首相辞任と自民党総裁選のことを書いている。(無責任首相を相次ぎ生み出した自民党は「製造者責任」を問われるべきだ)

その内容に別段新しいことは見あたらないのだが、自民党の連中が、まるで年に一度のお祭りでもやるみたいにテレビ・マスコミを巻き込んで大はしゃぎしているのを見ていると心底むかついてくるので、上杉と同じ主張になるが、私もあらためて書いておくことにする。

私が言いたいことは以下の一言に尽きる。

自民党は、総裁選をするまえにまず国民の前に謝るべきである。

昨年9月には安倍晋三が「お腹が痛い」といって首相の座を放り出した。
そのときにも、国民に対する謝罪の言葉はなかった。
そして今年、福田康夫はねじれ国会による国会運営が苦労の連続だったことを恨みがましく並べ立て、安倍と同じように首相の座を投げ出した。
やはり福田からも、国民に対する謝罪の言葉はなかった。

さらに、安倍内閣時と今回の福田内閣で奇しくも幹事長を務めていた麻生太郎は、その職責から連帯責任があるはずなのに、やはり詫びを入れることなく「自分には総裁選に立候補する資格がある」と言って即座に次期首相候補として手を挙げたのである。

麻生だけではない。2年も連続して首相が無責任な辞任をすると言う不祥事を生み出しながら、自民党はやはり国民に謝罪することなく、総裁選という祭りの準備に取りかかった。

上杉は、中曽根康弘の言葉を引用して次のように書いている。
〈次の自民党総裁にふさわしい人を考える時、最近の首相辞任の二つの例を、我々先輩の政治家から見ると、2世、3世は図太さがなく、根性が弱い。何となく根っこに不敵なものが欠けている感じがする〉

ここまでは上杉が書いたものの要約であり、この後、上杉は今の世襲政治家に比べて昔の政治家は命を投げ出す覚悟があったと、昔を懐かしむようなことを綴っていく。
残念ながら、私は今の世襲政治家に問題があるのは賛成するが、だからといって昔の政治家がよくできていたなどとは間違っても言いたくはない。

敗戦後、アメリカに占領されていたという事情はあるにしても、徹底したアメリカ従属の政治形態の基礎を作ったのは誰だったのか。
政権交代なき保守政治を続け、その結果として政官民の癒着体質を作ってきたのは誰だったのか。それやこれやを考えていけば、とてもではないが三角大福中(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)の時代はよかったなどとは言えないし、もちろん、それに遡る佐藤栄作や岸信介が優れていたなどとは、口が裂けても言いたくはない。

とはいえ、今の世襲政治家たちが政治家として著しく劣化していることは間違いなく、だからこそ2年も続けて首相辞任などというみっともない事態になったのだ。

そこで話は元に戻るが、国民を舐めきった辞任の仕方をし、さらに国会の空白を作って総裁選というお祭りに熱を上げている自民党は、これからも政治を続けていきたいと思うならば、お祭り騒ぎに酔う前に、一度襟を正して国民の前に勢揃いし、このたびは申し訳ありませんでしたと土下座でもして詫びるべきなのである。

マスコミは、詫びることなく小池が出る、石原も立つなどと騒ぐべきではないのだ。
お祭り騒ぎに紛れてこの政治的不祥事の責任を曖昧にし、さらに政権を維持しようなどという不届きなことを考えている「自民党」というゴロツキ集団を徹底的に糾弾するべきなのだ。
マスコミにはおそらく、そんなことはできないだろうが、総裁選などは所詮内輪の祭りなのだ。
2度続けて起こった不祥事に、国民は内心うんざりしている。
ほんらいならば3面記事にしかならないドタバタ騒ぎなどは軽くやり過ごし、真に求めるべき国民への謝罪がこの先行われるのかを注視したい。
もちろん自民党には謝罪などというアタマは働かないだろう。
だから、自民党はダメなのだ。

誰が総裁になろうとも、国民が選ぶのは政権交代であり、自民党と公明党以外の政党(もちろん、右翼などは論外だがね)に政権を執らせることこそ重要なのだ。

■追記
5日夕方にはさらに前防衛相の石破茂が立候補を表明した。また、この他に棚橋泰文元科学技術相と山本一太外務副大臣が立候補を目指す考えを明らかにしている。

ふざけるな、自民党!

関連タグ : 自民党, 総裁選, 謝罪,

自民党総裁選は、野田聖子が麻生太郎を支持することによって不出馬が決定的となった。
おかげで総裁選からひとつ花(笑)が消えることになったが、そのかわりに増税派から与謝野馨が立ち上がり、そして4日午前にはネオリベ陣営から石原伸晃元政調会長が立候補に前向きの意向を示した。
石原伸晃

これで総裁選に立候補が予想されるのは財政出動派の麻生太郎に新自由主義者の小池百合子と石原伸晃、そして増税派の与謝野馨ということになった。
昨日の時事通信では、小池百合子が20人の推薦人を集めるのに苦労しているという情報があったが、どうやら小池も本気で取り組んでいるらしい。同じ時事通信の4日12時10分配信の報では党本部で記者団に「多くの方から連絡や励ましをいただいている。環境が変わりつつあるかなと思っている」と述べ、推薦人確保など出馬への環境が整いつつあると強調した。

さらにこれからも名前が挙がってくるのかは今のところ不明だが、今や人気の凋落著しいと思われる新自由主義陣営から小池百合子と石原伸晃の2人が立つとすれば、もはや自民党内では不人気をかこち、小泉チルドレンも冷遇されて次期選挙では風前の灯火と言われている新自由主義者たちも意外にしぶとく生き残りを図っているように見える。
たしかに、万万が一にでも小池や石原が総裁になったとして、党内で彼らを支持するのはごく一部だろうから、新総裁は出発時から苦労することは必至だ。

だが、これを見て民主党をはじめとする野党は、そして社会民主主義の実現を信じる国民は、喜んでばかりもいられまい。
というのも、新自由主義者が総裁候補に2人もあがり、新しい首相になる可能性があるということは、少なくなっているとはいえ今でも新自由主義を信奉している人間が少なからずいるということであり、視点を自民党の外、われわれ国民が暮らす社会に転じれば、やはりいまだに「自己責任論」を押しつけて低賃金低保障の劣悪な条件で人をこき使おうとしている経営者たちがまだまだ多くいることを認めざるを得ないのだ。こうした、人間を員数でしか考えない人種を法の力で抑え込み、人間が人間として暮らしやすく生きていける社会を実現するにはまだまだ道のりは遠いと思った方がいい。

民主党をはじめとする野党は、座して自民党総裁選を見ていることはもちろんないだろうが、今の政治的空白の時間をフルに活用して社会民主主義を実現させる具体的なプランを打ち出してほしいものだ。

そしてわれわれブロガーは、くれぐれも「偽造CHANGE」などというバカげた陰謀論ごっこに時間を費やすことを止めて、地に足のついた論議を続けていく必要があると思う。

関連タグ : 自民党, 総裁選, 石原伸晃, 新自由主義者, 社会民主主義,

自民党総裁選への動きがあわただしい。
それに呼応するようにブログでもさまざまな憶測がとびかっているが、かのテサロニケ大先生の今日のエントリは、先日の「アダルトな政治学」以来の苦笑を誘われた。

大先生独自の分析にもとづき、その前段では中川秀直が総裁への野望に燃えていることに言及しているのはいい。そういうことも大いにあるだろう。
しかし、それに続いて総裁選の大本命である麻生太郎に並んで中川秀直が立ち上がり、2人がテレビで討論するとなると、その図は絵柄として最悪で、自民党支持率が下がってしまうだけでなくテレビ局のプロデューサーまでが意欲を喪失、シラけてしまうとまで言うのはいかがなものか。
大先生によれば、ベストな総裁選の映像は麻生太郎とマダム回転寿司こと小池百合子野田聖子が顔を並べるもので、これこそが視聴率を稼ぐのだという。
マダム回転寿司

そりゃ、たしかにゲロッパ中川なんかにテレビ画面に出てきてほしくはないさ。
だけど、冷徹な政治学徒としての目をもつ大先生がそんなことを言っていていいのだろうか。
野田聖子

エントリの後半は、政局を論じると言うよりも単なるミーハーになりさがったかのように野田聖子を持ち上げる。
ここで大先生のエントリから引用してもいいのだが、それさえも気恥ずかしくなるほどの持ち上げようは、いったいどうしたのかと思ってしまう。
殿ご乱心は自民党の中だけにしてほしいものだが。

たしかに野田聖子には新自由主義の臭いがなく官僚臭も感じさせない「美点」があるとしよう。
だからといって、それだけで野田聖子が一国の総理の器にふさわしいかどうかとはまったく関係がない。いくら野田聖子が「働く女性」のピュアなイメージを持っているからと言って、総理総裁を目指すべきだと言ってしまっていいものか。

殿、ご乱心?

野田聖子が郵政大臣をしていた10年前よりもきれいになっていることをほめちぎり、年を経るごとに美しさを増していくには努力が必要なことであり、それを実現している女を女は尊敬するとまで言うのはまあ、我慢しよう。
しかし、麻生太郎と小池百合子と野田聖子が3人で総裁選を戦う「絵」ができると、確実に自民党の支持率は上がるとまで言うのは、どういうつもりなのだろう。
これではまったく自民党総裁選のタイコモチではないか。

自民党が麻生太郎を軸にして、小池百合子や野田聖子の顔をちらつかせるのは織り込み済みの戦略である。
たしかに華のある絵ができれば国民の関心は低くなろうはずがない。
しかし日頃リベラル・左派に手厳しく己が手本と自負するブログがまんまとその手に乗ってしまってどうする。
いくら目を惹く花が並んでいても、その土台は腐っているのである。
花に目を取られて花瓶の汚れとヒビに気がつかずにどうするのだ。

麻生太郎がいくら人気が高いとマスコミがはやしたてようと、小池百合子や野田聖子がいくら目新しいと騒ぎ立てようと、自公政権にノーを突きつける側から見れば問答無用だ。
小池もダメなら野田が出てきてもダメ。
ダメなものはダメなのだ。
自民党ではダメなのだ。
そこを押さえた上でものを言わなくては、肝心の政権交代の実現が遠のくというものだ。
そして、それだけは何としても避けなければならないのだ。

自民党が誰を繰り出してこようと、われわれははっきりと拒絶する。
そうでなければ目標実現などかなうはずがないではないか。

関連タグ : 自民党, 総裁選, 野田聖子, 小池百合子, テサロニケ,

福田康夫が首相の座を放り出してから一昼夜が過ぎた。
報道を見る限りでは、概して福田に対する厳しい意見が多かったように思う。
いわく、
無責任だ」
「指導力がない」
「最後まで他人事のように辞めていった」
こうした声に対して、
「ご苦労様」
「ショックだ」
「我慢もこれまでだったのだろう」
といった気遣いの声は少数派だったと思う。

昨夜の「NEWS23」では、後藤謙次が「最低の辞任」と福田康夫の判断を切り捨てていた。

今思い返してみれば、福田康夫内閣は、発足当時から「国民の目線に立って」政治を行うことを標榜しながら一度として国民の側から物事を見ようとしたことはなく、「安心実現内閣」と自らを名づけながらついに国民を安心させることなく責任を放棄してしまった内閣だ。
さしたる理由もなく一国の代表の座を棄てるなど、あってはならないことで、見ようによっては安倍晋三以上の無責任さと言っていいかもしれない。

自民党ではさっそく22日に総裁選を行うことを決定したが、小池、石原、野田といった名前は浮かんでいるものの、本命は麻生太郎一本で根回しが進められていることだろう。
つまり総裁選とは単なるお祭りで、麻生太郎総裁の承認式に他ならない。
そしてこの御祭騒ぎは、同じ時期に代表選で三選することになる小沢一郎の影を薄める働きをするだろう。

しかし、われわれがここで忘れてならないのは、自民党は国民の信任を得ないままに首相を輩出し続け、そのうえ2度までも続けて責任放棄する形で首相の座を降りているということだ。
この事実を前に、これからいくら自民党が言葉を飾って政権維持を訴えようと、有権者である国民は彼らに耳を貸す必要はない。
もはや自民党には政権を担当する資格はないのだ。
国民の側に発ってものを考え、年金問題や後期高齢者医療制度をはじめ、地方の格差、医療問題など、待ったなしの生活に根ざした問題に取り組んで行くには自民党では力不足なことは明らかだ。
さらに、定額減税など目先を帰る程度の小細工を弄してお茶を濁そうとする公明党のバラマキ政策も持続的な社会保障政策の構築とはほど遠いと言わざるを得ない。彼らの頭にあるのは国民全体ではなく、生活に困っている創価学会員だけであり、それらを救済することだけが急務なのだから、とてもではないが国政を預けておくわけにはいかないのである。

今、首相交代という節目を迎え、いよいよ自公政権にも区切りを迎える時が来ようとしている。
多くのブログでは、自公政権に引導を渡し、政権交代という新しい時代を迎えるために声を上げようとしている。
及ばずながら私もこれから当分の間は反自公政権と政権交代を訴えていくキャンペーンを張っていこうと考える。

とりあえずは総裁選の御祭騒ぎで民主党の代表選をかき消そうとしている自民党の姑息な行為を叩いていこうと思うが、「自エンド」と政権交代のためになることならばどんなことでも記事にしていきたいと思う。
そうして一日も早く、確実に、政権交代が実現するよう、他ブログとも協力していきたいと決意した次第である。

関連タグ : 自民党, 福田康夫, 無責任, 総裁選, 政権交代,

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