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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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スポーツを観ていて興奮するのは勝手だ。
しかしテレビ中継をしているアナウンサーが声をからして絶叫するのはなんとかならんものか。
私は小学校の頃からサッカーをやってきて、今でもサッカーは大好きなスポーツだが、ここ数年、テレビのサッカー中継を見ることができなくなってしまった。

それは自分がウツになったせいも関係していると思う。
画面の向こうで興奮したアナウンサーや解説者が、スゴイだのヤッターだのと叫ぶたび、私の心はどんどん冷え込み憂鬱に沈んでいくのだ。
サッカーについていえば30年以上も試合を見ていれば、私もそれなりにすれっからしになっている。それなのにテレビをつけるたびに素人くさいはなしを聞かされ、サッカーのサの字くらいしか知らないようなタレントがコメントを垂れ流し、最後には恥ずかしげもなく絶叫するのを聞かされる。おまけに、サッカーとは流れのあるスポーツなのに、何も分からないスイッチャーが繰り返しゴール場面や反則場面のリプレイを重ねていく。
ほとんど苦痛である。
今よりは少し精神的に健康だった時分でも、テレビのサッカー中継を見るのは、ことに民放が中継するのを見るのは苦痛だった。

お前の解説など聞きたくはない。
ゴールシーンのリプレイを見たいのではない。
試合を見せろ。

私は幾度となくテレビ画面に向かって怒鳴ったものである。恥ずかしげもなく。

それが今ではテレビ中継そのものが見られなくなっている。
見ても、ものの30分でスイッチを切ってしまう。
見続けることができない。

スポーツ中継がつまらない。
民放のひどさは今さらいうまでもないが、有料放送のNHKも面白くない。
さらにサッカー中継でいうならばWOWOWも金を返せと言いたくなるときがある。
倉敷保雄

そんななかで唯一、安心して見ていられたのは倉敷保雄が担当するスカパーのサッカー中継だった。豊富な知識はいうまでもないが、必要なときに最低限のことを言い、平常心を失わない。それでいてときには思わずこちらをニヤリとさせるような冗談も言うので、一度彼の中継を見たら他のスポーツアナの中継など見る気がしなくなる。

そんな倉敷保雄が、現在のスポーツ中継が抱える問題点について語っている記事があった。
http://www.cyzo.com/2008/08/post_765.html

倉敷が挙げている問題点は、まずテレビ局がかかえる制作体制の弊害。
自社で番組を制作する局はなく、下請け孫請けと続いていくうちに最終的に予算がギリギリになり、質的に低いものしか作れなくなる。それでは視聴率を稼ぐことができなくなるから、手っ取り早く「飾り物のようなタレント」を使うか、過剰な「飾り言葉」で取り繕うようになる。
なかにはスポーツ番組など制作したこともない制作会社が番組を担当し、おまけにテレビ局のプロデューサーから番宣のために前後の番組に出ているタレントを出してくれと頼まれるケースもあるという。
なるほど、言われてみれば民放のスポーツ番組はサッカーに限らず、露骨な番組宣伝をしているものが数え切れないほどある。

倉敷が次に挙げるのは、「放送の独占化」だ。
たとえばワールドカップのような大会を高額な放送権料を支払って独占放送することになると、他局が配信しなくなる。サッカーの試合が行われているのに、他局ではまったくその模様が放送されず、試合の結果すら知らされないことがあり得る。独占中継は結局、金を払った放送局の内輪のお祭り騒ぎで終わってしまうというのだ。
さらに、放送の独占が継続されればそれなりにアナウンサーやスタッフも力をつけていく余地があるが、放映権が他局に移ったとたん、その努力はムダになり、次に放送を担当する局のスタッフが1から勉強し直さねばならなくなる。これでは視聴者も喜べないし、第一そのスポーツにとって不幸なことである。これは格闘技中継などに見られる現象だ。

第3の問題点は、局による過剰な演出だ。
倉敷は2006年のトリノ五輪を取り上げ、テレビ各局が高い放送権料を出した競技でメダルの可能性もないのに「この選手がメダルを取る」という報じ方をしたという。その結果として、まるでウソの報道をしている形になるケースが多くなってしまった。さらに、日本選手に注目するあまり、競技の結果がおざなりになり、結局どこの誰が優勝したのか分からない場合もあった。
また、スター選手を持ち上げる演出が行きすぎて、「大丈夫、彼ならやってくれます!」といったコメントを乱発させ、客観的な放送とはほど遠いものになってしまった問題もある。

このあたりは古舘伊知郎がスポーツを担当していたころから顕著になってきたと私は思うが、結果としてスポーツ番組そのものが大仰なだけのつまらないものになってしまった。
私がスポーツ番組を見ないようになり、スポーツ番組を見るのが苦痛にさえ感じるようになったのは、このあたりに原因がある。

今でも倉敷保雄が中継をする試合ならば、最後まで見られるような気がするのだが、残念ながらスカパーの契約を止めてしまった私には、もはや彼の中継番組を見る機会はない。

今、テレビをつけていると、嫌でも北京オリンピックの情報が入ってくる。
頑張れ、ニッポン。さて、メダルはいくつ取れるでしょうか。
この大会を盛り上げていきましょう。

もういいよ、そんなこと。
私にはどうでもいいことだ。

頑張るな、ニッポン。
早く終わってしまえ、オリンピック
甲子園の熱闘がハエのようにうるさく私の周りを飛び回っているというのに、さらにオリンピックの狂乱が始まるのか。

私にとっては、この夏の暑さとともに、どうにか早いところ終わってくれと願うばかりの憂鬱事だ。

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関連タグ : スポーツ中継, オリンピック, 絶叫, 倉敷保雄,

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