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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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ブログではあまり触れる者がなかったように思うが、終戦記念日の今日、先日公開された東条英機の直筆メモのことを記しておきたい。
東条英機

メモは1945(昭和20)年8月10日から14日にかけて書かれたもので、これは国体護持を条件に連合国側のポツダム宣言の受け入れを御前会議が決めた10日と重なる。当時「メモ魔」と呼ばれるほどだった東条はすでに首相の座を降りていたが、重臣会議で経緯を説明され、意見を求められたという。メモはそのとき天皇に上奏したとする内容を「奉答要旨」として細かく記したものだった。

以下、朝日新聞からの引用。

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中心は、ポツダム宣言が求める「日本国軍隊の完全武装解除」への懸念だ。「手足を先(ま)づもぎ、而(しか)も命を敵側の料理に委する」ようだと例えながら、武装解除に応じてしまえば、国体護持は「空名に過ぎ」なくなると訴えた。「敵側」が国体護持を否定する態度に出れば「一億一人となるを敢然戦うべき」と上奏したとしている。

 戦争の目的は「自存自衛」「東亜の安定」にあり、目の前の戦況に心を奪われないように求めたとも書いている。

 長崎原爆投下から2日後の11日以降は自身の思いを書きつづる。「無条件降伏を応諾」すれば「稍(やや)もすれば一段安きに考えたる国民として軍部をのろうに至るなきや」と記し、見下ろすような考えを示しながらも国民の反応を気にする姿が見える。さらに日本軍は「相当の実力を保持」と見解をつらね、「簡単に手を挙ぐるに至るが如(ごと)き国政指導者及(および)国民の無気魂なりとは、夢想だもせざりし」と当時の内閣や国民に不満をぶつけた表現もある。

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東条は陸軍大臣当時から対米英戦で主戦論を唱え、41年10月に首相に就任。12月にパールハーバー奇襲で開戦に踏み切った。戦況が悪化した44年7月に総辞職。戦後、A級戦犯容疑者として東京裁判に起訴され、48年12月、巣鴨拘置所で処刑された。

今、東条が残したメモを見ると、日本を戦争に導いたこの男は敗色濃厚になり政府が無条件降伏を受諾しようとしたときもまだ、徹底抗戦を主張し、無条件降伏を受諾することは不甲斐ないと憤り、日本軍はいまだ戦うに十分な力を持っていると考えていた。

広島・長崎に原爆が投下され、米軍の空襲によって東京をはじめ日本各地が焼け野原にされたときになってもなお、この男は戦争継続を訴え、戦力はあると思い込んでいたのだ。現実を見ようとせず、己が力を盲信する男に率いられて命を落としていった300万を超える人々の無念が思いやられる。
国を率いるべきではない人間に国政を託すことが、どんな結果をもたらすかを考えると、戦後63年を迎えた今も、決してわれわれは気を緩めてはならないのだと思う。

今、政治の世界では極右思想の持ち主で、戦中戦後を貧しい人々を苦しめながら富を貪ってきた家に育った麻生太郎が首相として待望されている。また自民党の外では平沼赳夫に連なる右派民族主義の政治家たちが頭をもたげようとしている。「きまぐれな日々」ではこれらに旗を振る櫻井よしこら右派マスコミ人を厳しく批判しているが、リベラル・左派を任じるブロガーはここで改めて立場を明確にし、対極でものをいう人々に対して地道に反論していく必要があるだろう。
ゆめゆめ21世紀に東条英機の亡霊を甦らせるようなことがあってはならない。
そしてもちろん、私が願うのは今様の民族主義的国体護持、戦力温存、戦争容認などではなく、福祉国家の実現であり、格差を是正し、平和憲法を守っていくこと。これを実現できる政治家を支持し、選挙で一票を投じることである。

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関連タグ : 終戦記念日, 東条英機, , 右派民族主義, 福祉国家, 平和憲法,

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