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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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政府・日銀は先月、株式が一時一万円台を回復したこともあり、「景気は底打ち」したと発表した。
しかし、機能発表された5月の主な経済指標では、雇用や消費など家計に関わる指標は依然として厳しい状況が続いていることが明らかになった。

少し細かく見ると、総務省が発表した完全失業率は5.2%と前月から0.2ポイント悪化。
従業員500人以上の企業で、雇用者が前年同月比0.3%減と1年11ヶ月ぶりに減少。これは雇用環境の悪化が中小企業から大企業に広がっていることを示す。
また、厚労省が発表した有効求人倍率も0.44倍と過去最悪を更新した。

家計の方を見ると、総務省が発表した家計調査では1世帯(2人以上)あたりの消費支出は28万5530円と、実質で前年同月比0.3%増。1年4ヶ月ぶりに前年同月を上回ったが、定額給付金やエコポイントなど特殊要因が押し上げたというのが読売の経済記者のの見方だ。

毎日新聞の社説では、やはり雇用の悪化が過去最悪になったことを取り上げている。完全失業者数も前年同月に比べて77万人増えており、完全失業率5.2%は、いずれ過去最悪の5.5%を突破するのではないかという。

こうした数字を見るまでもなく、われわれの生活実感からしても景気はまだまだ下向きであり、とても底を打ったなどと言えるものではない。

ホンダやトヨタのハイブリッドカーが人気を呼んで納車まで数ヶ月待ちだとかいう報道や、テレビを見ているとしきりに流れる自動車会社の「エコカー減税」も、金に余裕のある人にしか関係のないものばかりで白けるばかりだ。
もちろん、ハイブリッドカーが売れれば日本の主要産業の自動車生産企業が息を吹き返すのだから、全体的に見れば日本にとって悪い話ではない。
けれども、雇用の現場を見れば、相変わらず非正規雇用の問題は解決しておらず、今の政府にはこの問題に取り組む姿勢すらないように思われる。

昨日30日で、昨年末から注目された「派遣村」がとうとう解散したが、派遣村が浮き彫りにした日本の格差の現実と貧困の問題、非正規雇用の問題を、政治はこれからどのように解決していくつもりなのか。麻生太郎が内閣人事に手を付けると言ったとか、言わないとか、相変わらずのブレまくった醜態をさらしている間にも、職が見つからず、住居の確保を心配する人が不安な毎日を送っている。自民党でもいい、民主党でもいい。誰かこの現実を振り向いて、何とかしようと声を上げられないものだろうか。

次の政権に望むのは、一刻も早く同一労働・同一賃金の原則を確立し、非正規雇用を体よく利用しようとする雇用者側に対する歯止め策を打ち出すことだ。
まずは現実に困っている人々を早く救済する手立てを講じること。毎日新聞では「ハウジングプア」の連載をしていたが、人間の生活にとって住居というものがいかに大切なものであるかを痛感させられる。

単に雨露をしのぐ場としての住居でなく、人は住居を持つことによってはじめて社会的存在として認められるのだ。それがいとも簡単に失われ、糸の切れた凧のようにホームレスになっていく人がまだまだ多い。
この国では住宅政策もまた貧しいと記者は訴えている。
行政による家賃補助制度は他の先進国に比べて大きく遅れているうえに、家賃の安い公営住宅は極度に少なく、その抽選に当たることは宝くじに当たるようなものだとさえ言われる。
それなのに、政府は公営住宅の戸数を減らそうとしているというのだから頭が痛くなってくる。

国内外の住宅政策を研究している神戸大・早川和夫名誉教授の指摘は鋭い。
「日本人は住宅に公的支援がないことに疑問を感じない。マインドコントロールにかかっているようなものだ」
早川氏は続ける。
「住居の保障は医療や教育と同じように政府が取り組むべき社会政策だ」

政府は目前に困っている人々がいる現状を解決するために一刻も早く手を打つべきだ。
その一方で、すっかり崩壊してしまった日本の社会保障をこれからどうやて立て直すかを真剣に考えていかなければならない。手っ取り早い解決策などはないだろう。財源の問題一つをとっても、消費税増税で賄おうなどという乱暴な手で、この問題を解決しようなどとは考えてほしくない。消費税の逆進性は誰もが認めることであり、経済的弱者に大きな負担を強いる制度は決して受け入れるわけにはいかない。政治家や経済学者にはじっくり頭をひねってもらいたいところだ。

自民党は、東国原英夫を閣僚に迎えるなどと言っているが、東国原のような男が何人増えても、社会をよりよくしようなどと言う論議が深まるとは思えない。
われわれは政治に素人を求めているのではないのだ。
政策に対して深い考えを持ち、息の長い論議ができるプロを必要としている。
自民党はもはや末期的症状を呈していると見てよさそうだが、それに対する野党はどうなのか。
国民はポピュリズムに惑わされることなく、じっくりと政治を語る人間たちの言葉に耳を傾ける必要がある。
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関連タグ : 景気, 社会格差, 社会保障,

麻生太郎の知能の低さ、その発言の空虚さについては、もう語るのが馬鹿馬鹿しいほどで、いちいちブログに取り上げる気にもなれない。

しかし、11月20日に開かれた経済財政諮問会議での麻生の発言は、まったく許し難いというか、もう呆れてものが言えなくなるほどひどいものだった。これについては「きまぐれな日々」をはじめとする多くのブログでも取り上げているが、私も遅ればせながら取り上げて、あらためて麻生の低脳ぶりを批判しておきたい。

そもそも麻生が総裁選の時から言い出した「日本に必要な社会保障は『中福祉・中負担』である」という言葉からして欺瞞に満ちている。「中福祉・中負担」とはスウェーデンなど北欧諸国に代表される「高福祉・高負担」型社会保障とアメリカに代表される「低福祉・低負担」の間を取ったもので、言葉だけを見ればアメリカのような国民の税負担は軽いけれども貧乏人がひとたび病気になれば満足な医療も受けられない、あるいは十分な医療を受けると財産を失うこともありうるという状態にはしないというもの。かといって、北欧のように高税率をかけて「揺りかごから墓場まで」面倒を見ようというほど腹をくくったこともできない。いわば日本お得意の中庸路線の考え方だ。

しかし、今の日本の現実を見れば「中福祉・中負担」にはほど遠く、医療崩壊が進むなかで保険料の増額や後期高齢者医療制度など、国民の負担ばかりが増している「低福祉・高負担」の様相に限りなく近づいている。
麻生太郎を議長として開かれた経済財政諮問会議は、こうした状況を改めて麻生の言う「中福祉・中負担」に原状を回復させようという意図があるかに見える。
だが、実際に諮問会議の議事録を読むと、ここで議論されているのは高齢化が進む社会で社会保障関連の支出が増大していることを問題とし、これを補うためには一にも二にも消費税増税が必要だと考えていることが分かる。

消費税増税については何度も述べているように、今の日本でこれを行えば景気はさらに後退し、格差が拡大・固定化していくことにつながるので反対である。
麻生が言う「中福祉・中負担」は消費税増税を根底に考えられていることから問題外であり、そもそも日本が目指すべきなのは中途半端な「中福祉・中負担」などではなく、思い切った税制改革つまりは所得税の累進課税化と固定資産税強化を行ったうえで北欧型の「高福祉・高負担」を実現させることである。これにより大資本や富裕層から厚く徴税し、貧困者からも応分の負担させることで社会保障の原資とする。あくまでも消費税のような一律なやり方で問題を解決しようという考え方には反対である。

さて、消費税増税を根底にして進めていった20日の経済財政諮問会議だ。議事録によれば「安心対策」「生活対策」について語られていくが、肝心の「中福祉」の具体的な中身については出席した議員はもとより、議長の麻生太郎自身がまともなイメージを持っていないことが明らかになっていて唖然とさせられる。
さらに、唖然とさせられるのは、「中負担」実現のための財政再建、無駄の削減や効率化について話し合われているときに突然、麻生太郎が口を挟む。
それが今回問題になったセリフだ。
以下、議事録から。

(麻生議長) 67 歳、68 歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。
病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、 「今日ここに来ている患者は 600 人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタクシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる」と。みんな知っているわけである。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間したら病院に来る必要はないというわけである。その話は、最初に医療に関して不思議に思ったことであった。
それからかれこれ 30 年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。


これにはさすがに他の議員たちも言葉を失ったらしく、与謝野馨はほとんど麻生の言葉を無視する形で議論のまとめに入っている。

乳母日傘で育った今年68歳の麻生太郎は、生活の厳しさに直面しながら生きてきた人々を理解していない。それどころか、社会保障は国民相互の助け合いが基本理念であるという基本中の基本も分かっていない。「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」というセリフには、そうした麻生の思い上がりと無知さ加減が顕著に現れている。
広島瀬戸内新聞ニュース」のさとうしゅういちさんは、「病気ってそれだけで苦しいんですよ」と麻生をたしなめているがその通りで、病気の苦しさは病気になった者にしか分からないとはいうものの、麻生の無理解ぶりには開いた口がふさがらない。格差と貧困が広がった今の社会には、保険料を支払うことができずに保険証を取り上げられ、実質的に医療から見放されている人々が、子供をふくめてどれだけいるか、麻生は分かっていないだろう。
社会保障とは、誰もが負担をする義務がある代わりに、誰一人漏れることなくサービスを受けられるものでなければならない。しかし、どれほど金持ちか知らないが、まるで社会保障費は麻生財閥が支払ってやっていると言わんばかりの麻生太郎は、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人」は保障など受ける資格はないと言っているに等しい。つまるところ、麻生は病気になるのは自己責任とでも言いたいのだろう。

こんな男が議長になって社会保障について会議を持ったとしても、永遠に日本の国民が救われることはない。
まったく、麻生のようなバカ男のことは、こうして書いているだけでも嫌になってくる。

本当に、一日も早く麻生太郎には総理の座を降りてもらいたいものだ。そしてこんな男しか担ぎ出せなかった自民党政権にも終わりを告げてもらいたいものだと切に願う次第である。

関連タグ : 麻生太郎, 経済財政諮問会議, 社会保障, 医療費, 失言,

麻生太郎

このところ、どうも魚の小骨が喉に引っかかったような気持ちで過ごしていた。
新聞・テレビなどの報道を見るにつけ、またネットニュースなどの書き込みを見るにつけ、
「なんか違うんだよな」
そう思いながらも言葉にすることができず、なんとなく時を過ごしてしまった。過ごしながらも、こんな三面ネタはすぐに忘れ去られるだろうと思っていた。
ところがこの話題、よほど誰かの癇に障ったのか、いまだに尾を引いている。
私の喉に引っかかったままの小骨も、それとともに邪魔臭さが増してきて、何とかしなければ気が済まなくなってしまった。

何の話かって?

麻生太郎の夜ごとの会合・会食のことである。

今さらここでおさらいすることもないだろう。
麻生太郎が毎日のようにホテルのバーやレストランで飲み食いしていることについて、「庶民感覚からかけはなれている」という非難の声が上がっている、あの件だ。

ほんとうのところ、どれほどの国民が麻生の夜ごとの贅沢に腹を立てているかは分からない。しかし事を報じた記者たちは間違いなく腹を立てているようだ。麻生が

「たくさんの人と会うと言うのは、ホテルのバーっていうのは安全で安いところだという意識が僕にはあります。だけど、ちょっと聞きますけど、例えば安いとこ行ったとしますよ。周りに30人からの新聞記者がいるのよ。警察官もいる。営業妨害って言われたら何て答える?新聞記者として『私たちの権利です』って、ずーっと立って店の妨害して平気ですか?聞いてんだよ。答えろよ」

こう逆ギレしたせいもあって、記者たちはその後も執念深くこの件を書き立てている。
記事を読んだ国民も、おそらくかなりが麻生の贅沢を面白くなく思っているに違いない。
もちろん、私だって癪に障るさ。
「けっ、いいよな。ボンボンは」ってなもんだ。
俺だってできることならやってみたいよ。

さて、私の喉に突き刺さった小骨というのはここにある。

俺だってやれるものならやりたいけれど、金がないからそれはできない。
それを麻生の野郎はこれみよがしに連日連夜つづけやがって。
面白くねえな。

だけど、麻生などは首相にならなくたって似たようなことはやってきただろうし、麻生財閥が解体でもされない限り、奴は贅沢三昧を今後も続けていくはずだ。
それをいまさら「庶民感覚」とかけはなれていると言ったところで詮ないことではないか。
仮に麻生が、酒食に大枚の金を使うかわりに妾を何人も囲って3日と空けずに通い詰めていたとしたら、それは道徳的にけしからんと言ってもいいかもしれない。
だが、ホテルのレストランやバーをわが家のように使っているからと言って書き立てても仕方がない。せいぜいのところ、あまり飲み過ぎて要らぬ失言をしないようにと皮肉の一つも言ってやればいいのである。

この件でもっとも私を苛つかせる小骨は、「庶民感覚」という言葉だ。

いったい何だ? 庶民感覚って。

これまでみんなが寄ってたかって書き立てている「庶民感覚」とは、詰まるところ嫉妬や妬みをもっともらしく言い換えただけのことではないか。
だいたい、庶民感覚などという言葉を使う前に、果たして総理大臣に庶民感覚などというものが必要なのかどうかを考えてみたらどうなのか。

第一に、麻生のような男が「30人からの新聞記者や警官」を引き連れて赤提灯を訪れたなら、営業妨害云々以前にイヤミったらしくてしょうがない。庶民には庶民の領域がある。それを首相ごときに侵してもらいたくはないものだ。
第二に、日本の首相には「庶民感覚」を慮るばかりに安っぽい酒場に入り浸るような真似をしてほしくないという気持ちがある。貧乏くさい首相など、さらに魅力がなくなるではないか。世界の要人と相対することを仕事にする人間ならばそれなりの店を知っておいてもらいたい。麻生はポケットマネーでそういうところに出入りしているというのだから、これはちょっぴりではあっても褒めてやっていいことだとさえ思う。実は全部税金で飲み食いしてたというのなら、それはそれでムカツクことではあるけれど。

そしてもうひとつは、「庶民感覚」という言葉を受け取るわれわれの側にある意識の問題だ。

もし私が麻生ほどではないにしても十分な金をもっていたら、すでに書いたように、私だって連日ではないにしても高級レストランに行くことだろう。
たまたま私は麻生が利用して話題に上った六本木の「馬尻」という店を知っている。
いい店である。そこそこ手頃な金額でワインと上質な料理が楽しめる。
麻生にはもったいない店である。私だって行けたのだから。
私が東京に暮らしていて、小金があれば、そして六本木という土地柄が好きならば、「馬尻」はぜひ行きつけにしたい店である(もっとも最近の事情は知らないのだが)。

誰だって、自由になる金があればそれなりの贅沢はするだろう。人にはそれぞれ趣味があるから、金の使い方はさまざまだろうが、自分の金を使ってちょっと贅沢をすることに、誰が文句を言うだろう。
今回、一連の報道や書き込みを読んでいて感じたのは、記事を書いている者自身が持っている卑しさがそこはかとなく漂っていることだった。

たとえば大手マスコミの社員ならば、普通の会社員よりもずっといい給料をもらっていることは周知の事実だ。彼らだって、毎日かどうかは知らないけれど、六本木や銀座の店を普通に利用しているのだ。いや、自分は新橋の赤提灯しか行ったことがないというのなら、それは趣味の問題か、あるいは単に飲み食いには金を使いたくない人種だというだけのことだろう。

さらに、マスコミに限らず、昔ながらの福利厚生を維持している大企業、中企業ならば社員だけが利用できる倶楽部があるはずである。かなりな高級食材を原価に近い金額で飲み食いできるこれらの施設は、麻生が利用している会員制バーと変わらないではないか。
恵まれた社員たちは皆、こうした施設を利用しているはずである。
そして自分たちは並以下の「庶民」たちには利用できない特権を持ち、それを当たり前のように行使しながら、卑しい人間とはいえ麻生太郎が同じようなことをすると「庶民感覚」とかけはなれていると非難する。

これを卑しいといわないのならば、卑怯とでも言うしかない。

私には今や小金もなければ、恵まれた社員のような特権もない。
だから、今回の報道にはたまらなく嫌悪感を感じる。

麻生も嫌らしいが、それをしたり顔で非難する輩も十分に嫌らしい。

私は総理大臣には庶民感覚など必要ないと思っている。
ただし、この社会は国民全員が互いに助け合わなければ幸せに暮らすことができない。社会保障はそのためにある。この大切な社会保障を維持するためには総理大臣もふくめ、国民すべてが応分の負担をしていかなければならない。
この意味で、首相は国民すべての生活のことを思いやる国民感覚は必要である。これがない者には首相を務める資格はない。

麻生太郎に、それはあるか。

私は、ないと思っている。

関連タグ : 麻生太郎, 庶民感覚, 社会保障,

都会の雑踏を歩いていれば、誰でも一度ならず目にするのはホームレスの姿だ。
歩道の片隅に段ボールをつなぎ合わせ、なかにはどこから持ってきたのか布団まで敷いて寝ている者もいる。
よれよれの、季節外れの服を着た、いかにも垢まみれの彼らの姿を見れば、誰だって近づこうとしないだろう。

少し前まで、彼らのことは働く意志がない社会からのはみ出し者のように思っていた。
世の中に今のように勝ち組だとか負け組だとかいう概念が生まれる前から、浮浪者と呼ばれるホームレスはいたのだし、ゴミあさりをしている彼らの姿を見るにつけ、私は眉をひそめずにいられなかった。

しかし、今は少しだが、そうした見方が違ってきている。
彼らの中には働こうにも住むところがなく、住むところがなければいくら職を探しても仕事をくれるところなどあるわけがないわけで、やむにやまれずホームレス生活を続けている者がいるのだ。
生活保護を訴える
昨日、東京都内でホームレス生活を送っている横山正美さん(57)が、新宿区を相手取り、所持金もなく住む場所もないのに生活保護を支給しないのは違法だとして、東京地裁に訴えを起こした。横山さんは派遣労働を繰り返して生活していたが、仕事を打ち切られて収入を断たれ、仕方なくホームレス生活を始めた。なんとか仕事を探そうとしたが、住所不定で連絡先もないのでは就職などできるわけがない。毎日の生活は路上に寝泊まりし、雑誌を拾ってきて売ってわずかな金を得る他はボランティアの炊き出しに頼るしかなかったという。

このような状況にありながら、生活保護の申請を受けた新宿区は「仕事は十分に確保できる状態」として却下していた。

こうした事実は全国を見れば無数にあるのだろう。
そこに共通しているのは、行政の冷酷さだ。
今の社会では、たとえ住居があっても50代で新しく仕事を見つけることは難しい。
まして住所も連絡先もなく、ホームレスをしているというのでは、仕事が見つかる可能性は皆無だろう。いくら本人に仕事をしようという意志があり、ホームレス生活から逃れたいという思いがあっても、このままでは希望を叶えることは非常に困難だ。

こういう弱い立場の人たちを助け、最低限の生活が送れるようにしてやるのは行政の役目であり、生活保護はそのための大切な手段であるはずだ。

しかし実際には、どの役所でも生活保護の申請を受けることに難色を示す。ほんの少しでも要件を満たしていないと見れば、即座に申請を却下する。申請者がどんなに困っているかということは、まったく斟酌されることはないようだ。

生活保護をめぐる非情な措置は、これまで何度もニュースになってきた。生活保護を受けていた男性が役所から辞退を迫られ、やむなく辞退した結果、餓死してしまった北九州の事件は記憶に新しい。

生活保護は、ホームレスをはじめとする生活困窮者にとって最後のセーフティネットとして機能しなければならないものだ。
しかし現実には、特別な事情がない限りこの制度を利用することができないようになっている。
その裏には社会保障費の削減という政府の政策が横たわっているからだろうし、生活保護を適用するための共通のガイドラインのようなものが明確になっていないということもあるだろう。そしていちばんの原因になっているのは、担当窓口の人間が、基本的に生活保護は受けつけない方針で仕事をしていることにあるだろう。

生活保護を無制限に支給していたのでは、不正受給者が後を絶たないと彼らはいう。
しかし、それをいうなら不正をして私腹を肥やす役人も後を絶たないではないか。今年だけでもどれだけ役人どもの不正が表沙汰になったことだろう。
それなのに、役人たちのボーナスは今年、みなアップしているのである。
これは不平等であり不公正というものだろう。

不正受給者に対しては後からいくらでも厳正な処置をするとして、まずはほんとうに困った人を助けることを第一にする制度に、生活保護システムを改めるべきである。

訴えを起こした横山さんは言っていた。
「ずっと長いこと支給してくれといっているわけじゃない。仕事を見つけるまでの6ヶ月間程度、部屋を借りて生活するための資金を支給してもらいたいだけだ」

彼の訴えは悲痛だ。もし生活保護が受けられなければ、労働意欲はあるにもかかわらず、横山さんはホームレス生活を強いられることになる。
働きたい人間を働かせず、生活していきたい人間に生活を許さない制度。
今ある生活保護制度は、今後、なんとしても改めていかなければならないものである。

関連タグ : ホームレス, 生活保護, セーフティネット, 社会保障,

私は共産党員ではないが、わが家のポストには定期的に共産党の後援者による広報紙が投げ込まれていく。
『ねじばな』というその広報紙には、いつも自公政権がもたらした悪政のことや、私が住んでいる地区の議会における不正などを告発する記事が掲載されており、興味深く読むことにしている。

その『ねじばな』5月20日号に、「『自民党をぶっ壊す』が実現か
大喝采浴びつつ弱者の生活破壊」というコラムがあった。
もちろんここで取り上げられているのは「自民党をぶっ壊す」と言っていた小泉純一郎のことであり、筆者はここでもう一度、大衆に熱狂的に迎えられた小泉政権とは何だったのかと考え直そうとしている。

「小泉氏が首相となったときの印象は大変危険な男が出てきたという印象でした。何よりも右翼的であること、厚生大臣在任中に既に医療制度改悪がもくろまれ、弱者には冷酷な性格が見え隠れしていました」

その通りだ。弱者に冷酷な性格が政権を担ったおかげで今、日本の国民はエライ思いを味わわされているところだ。
筆者は続ける。

「小泉氏が実現させた政策は今、列島を揺るがせている後期高齢者医療制度もそうですが、この他にもたくさんあります。(中略)主なものを見ますと、年金の掛け金の毎年引き上げ。老齢者控除の廃止。健康保険の二割負担を三割に、70歳以上でも高所得者は三割負担に。労働基準法の改悪で、非正規雇用労働者を増やした。特別養護老人ホームの入所者の居住費・食費を保険から外した。生活保護費・児童扶養手当の削減。障害者自立支援法では一割負担を強行した。等々があります。
一方では銀行の不良債権処理として150兆円にものぼる公的資金を投入したことも業績の一つです。80%以上の国民から大喝采を浴びる中で、同時進行でこれだけの国民や弱者を痛めつける施策を実現していたわけです。」

後期高齢者医療制度については、自民党内部でも見直しを言い出す者が出ているようだが、これだけ並べられると、いかに小泉という男が人気の陰で悪辣なことをやってきたかと、今さらながらに呆れる思いだ。
小泉はまた、財政再建のために社会保障費を毎年2200億円削ることも決めているが、これについても自民党内で賛否両論が出ている。
もし、小泉が決めた通りに社会保障費を削減していけば、日本の社会保障は崩壊することが目に見えている。
それでは小泉の決めたことをチャラにして、従来通りに社会保障を行っていくとすれば、財源がなくなることがわかっている。

そこで議論の対象になってくるのが消費税になるのだが、消費税で社会保障をすべて賄うのには問題があることも指摘されている。
だいたい、この諸物価が高騰しているなかで、さらに消費税を10%にするとか15%にすると言われたら、国民はだまっていないだろう。
消費税はすぐには上げづらい。
ならばどこに財源を求めるかということだが、道路特定財源を一般財源化して財源に充てるという考え方があるだろう。
道路は、とくに地方にとっての生活道路は必要なものに違いないのだが、道路族がいっている道路は同じ道路でも違うものである。彼らの言い分を聞いていたのでは、いつまでたってもほんとうに必要なものに金を使うことができないだろう。

この際政治家たちに求められるのは、財源の枠組みを変え、財源の使い道のプライオリティをすべて見直すことだ。
道路を造るのは、必要かもしれないが、医療や福祉、教育問題に比べれば優先度は下に置くべきだろう。
だが、道路は命だといっている自民党の議員たちにそんなことができるのか。

やはり、日本を少しでもよくしようと思うのならば、今は何よりも政権を交替することが先決だと思う。
政権を替わって、社会保障全般をすべて見直す、いや、小泉がやってきたことをどんなに小さなことでもいいからつまみ上げ、すべて改めていく必要がある。

先週末の報道ステーションでは、ゲスト解説者に出ていた鳥越俊太郎が「駐留米軍への思いやり予算の2200億を社会保障費に充てるべきだ」と言っていた。
この発言は、非常にまっとうな考えであり重要なものだと思うのだが、政治家でこれを口にする者は民主党にも見あたらない。どうしてなのだろうか。

いずれにしても、今の自民党が政策的に行き詰まっているのは明らかであり、福田康夫は洞爺湖サミットに顔を並べたいと思ってはいるらしいが、私としては一秒でも早く、総辞職して国民の審判を仰ぐときが来ればいいと思う。

今ならば、かつて小泉を喝采したような目の曇った国民も、冷めた目で正しい選択ができるのではないか。
私はそのことに期待し、今度こそほんとうに自民党がぶっ壊れるのをこの目で見てやりたいと願っている。


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