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酒好き、映画好き、本好き、落語好き、バイク好き、そして鬱。 ちょっとばかり辛い日もあるけれど、フンニャロメ~と生きてます。
◎心にとめおく言葉
●人は、自分が見たいと思うものしか見ようとしない――ユリウス・カエサル
●為政者たるものは憎まれることはあっても、軽蔑されることだけはあってはならない。(塩野七生)
●自分に当てはめられない基準を他人に当てはめるべきではない
――ノーム・チョムスキー
●さまざまな知識人、文化人、政党やメディアは一般の人々よりも右よりな立場を取る――ノーム・チョムスキー
●考えろ、考えろ、考えろ!――ジョン・マクレーン

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実をいうと、今、私は深い疲労と徒労感に襲われて、一種虚脱状態にある。
私は今、ある本の制作に関わっており、その下準備の原稿を400字にして300枚ちかく書いていた。
そのうちの3分の1ほどが、24日から25日にかけて忽然とパソコンから消えてしまったのである。
もちろん、ファイル名をつけて保存しながら書き続けていた。
やれやれ疲れたと一休みすることにして、いったんパソコンのスイッチを切った。

それがいけなかったのだろうか。
次にパソコンを立ち上げて、さて続きを書き始めようと思ったところ、保存しておいたはずの文書がどこにも見あたらないのだ。
一瞬、頭から血の気が引いた私は、パソコン全体に検索をかけたが目指す文書はやはり出てこない。見つかったのは、24日に作業を始めたときの、書きかけの原稿だけだった。
私はそれこそ、パソコンを裏返して見て、消えた文書を探してみたが、デジタル化された文字の羅列には形も質量もない。
つまり肉眼で探したところで、見つかるわけはないのだ。

溜息が出た。いったいどこをどうやって、文書が消えてしまったのか。
昔、DOSベースのワープロを使っている頃は保存を怠ったためにしばしば締め切り前の原稿を消してしまったことがある。パソコンが突然フリーズしてしまって、それまで書いていた原稿が、最初に保存しておいた書き出しの部分を除いて消えてしまったこともある。

デジタルの記号化された原稿は、一種のマジックのうえに成り立っている。マジックなのだから、パッと一瞬で消えたとしても当たり前なのかもしれないが、それまでかけた労力を思うと、私はひたすら悲しく落ち込むしか能がない。

というわけで、一昨日はブログの更新どころではなかった。
昨日も日付が変わるまで原稿を書き直していたので、ブログを書く余力がほとんど残っていなかった。

それでも、自民党政府が30日は衆議院で暫定税率を復活させることを決めてしまったようで、それが我慢ならず、短いエントリを書いた。自公政府に対しては、まだまだ言いたいことが山ほどあるが、昨日の私には「冗談じゃないぜ」と捨て台詞を残すのが精一杯だった。

しかし、私の仕事がどんな状況にあろうと、社会の方ではあとからあとからいろんな出来事が起こって心休まることがない。
昨日、一昨日は硫化水素による自殺者が連続して騒ぎを起こし、松本のサリン事件を彷彿とさせるような光景が見られた。
硫化水素自殺
テレビ、新聞も硫化水素の毒性をあげ、周囲の人を巻き込むような安易な自殺を戒める論調が目立っていた。
報道ステーションの古舘伊知郎などは、ネットでこうした薬物の情報を流すことは殺人幇助にあたるとして、その規制が必要であると、例のごとく眉をひそめて語っていた。

たしかに、ネットで簡単に毒物の知識を得ることができ、それを元に自殺を実行するのは如何なものかと思う。まして関係のない人々を巻き込むような死に方は断じてすべきではない。

それはわかる。当然のことだ。
しかし私は、手段は間違っていたにせよ、自殺を図った人たちが、なぜ死を選ばざるを得なかったのか。そのことをもっと知りたいと思った。
すでに知られている通り、日本ではこのところ毎年3万人以上の自殺者が出ているのだ。これはなんといっても異常な事態で、自殺防止のために何らかの手を打つ必要がある。その「手」とは、死のうとしている人々に希望を与えることに他ならないのだが、残念なことに今の社会は絶望ばかりを国民に与え続けている。
一人浴室に入り、自ら発生させた毒ガスを吸いながら、意識を失っていくまでの間、彼らはどんなことを思っていたのだろう。
古舘伊知郎
マスコミは、硫化水素を使った自殺そのものを伝えるだけで、死んでいった人々のことは伝えようとしない。
しかし、練炭を使った集団自殺にせよ、こんどの硫化水素を使った自殺にせよ、これらが発生した背景には社会に対する絶望があると思えてならない。
古舘伊知郎は、ネットで情報を規制すべきだと言う前に、こうした自殺が生まれる背景に思いをはせ、想像力を働かせて、自殺そのものを減らす努力の大切さを訴えるべきだったと思う。

人はなぜ、自ら死のうと思うのか。
それは社会が、政治がそうさせているということを見逃してはならないと思うのだ。

そんなことを考えつつ、私は、失われてしまった原稿を、ふたたび書き始め、へとへとになって、一瞬「こんな思いをするのなら、死んだ方がましだ」などと考えたりしているところなのである。


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関連タグ : 古舘伊知郎, 硫化水素, 自殺,

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